オンバーンの放った【
後ろからではその表情は窺い知れないが、その背中にはどこか悠然とした余裕が見て取れる。
てか黒瀧さんもトレーナーだったの?教えてくれれば良かったのに、この照れ屋さんめ。
いやぁ、でもマジ助かったっす。
完全にこっちを呑み込まんばかりの勢いだった【
『ゾロォ』
『…デポ』
ゾロアとウデッポウが駆け寄ってきた。良かった、こいつらも無事だったみたいだ。
今回は完全に俺の判断ミス。
バトルの采配がどうとかじゃない。もちろんそれも足りなかったんだけど、そもそもこのバトル自体が無謀だった。
野生のオンバーンの力を甘く見積もり、このゾロアとウデッポウならうまくやれるんじゃないかと高を括っていた。
さらに言えば、黒瀧さんが来てくれなければ俺自身も無事では居られなかった。
野生のポケモンの危険性は頭では認識していたはずだけど、結局全然理解しちゃいなかったんだ。ゲームとは違う、トレーナーにも危害が及ぶ可能性が十分にあるんだ。
「どうしますか?」
身を呈して危機を救ってくれた黒瀧さんがこちらを一瞥し、問い掛けてくる。この戦いを続行するのかを聞いているのだろう。俺は静かに首を横に振ると、黒瀧さんはこくりと頷いた。
「分かりました、賢明な判断かと思います」
再びオンバーンに向き直る黒瀧さん。その視線の先には、湾曲を描く二本の大きな角に、悪魔が生やす矢印のような尻尾、どこか骸骨を連想させる黒い大型犬の様なポケモンの姿がある。
デルビルの進化形。ダークポケモン、ヘルガー。何だろう、最近デルビルに縁があるのかな。
「ヘルガー、【
黒瀧さんがヘルガーに【
この技は、野生のポケモンとのバトルを強制的に終了させることが出来る技だ。
これで終わり、か。無謀だとは分かっていても、こんな終わり方になるのは悔しいな。だけど俺がここで我を通して皆を危険に晒すわけにはいかない。チャンスがあったらもう一度…、力をつけてリベンジしよう。
ーーーだが。
「…ヘルガー?」
『ヘルグァァァァ…』
黒瀧さんが戸惑ったような声を漏らす。どうしたんだ?ヘルガーの様子がおかしい。オンバーンも全く退く気配を見せない。レベル差で【
いや、違う。そもそもヘルガーは【
『ェルガアアァァァァァッ!!』
「おいッ、待つんだヘルガー!」
『ォンバアァァァァァンッ!!』
地を蹴り勢い良く飛び出していくヘルガーは、黒瀧さんの制止を無視し、そのままオンバーンに飛び掛かり、その鋭い牙を剥く。
…黒瀧さんの命令を聞いていない?
「【
数歩下がり、俺の隣に立つ黒瀧さんが申し訳なさそうに告げる。
なるほど。
あのヘルガー、本来の持ち主は黒瀧さんじゃないってことか。
以前から気になっていた、この世界でのポケモンを巡るシステムの一つ。それが非トレーナーへのポケモンの譲渡の是非だ。
捕獲したポケモンやあるいはそのモンスターボールには、何らかの技術でその保有トレーナーの情報が結び付き登録されているのだろう。だからこそ、その所有権の譲渡にはTSSの『トレード』アプリが必要ということなっている。
だがトレーナーとして選ばれなかった人間は、その厳重な認証方法故にTSSを使用することが出来ない。ならば『トレード』の機能を介さずに、そのポケモンを非トレーナーに渡せば良いのではないだろうか、という発想に誰しもが行き着くはずだ。
だが、その結果が恐らくあのヘルガーだ。黒瀧さんの命令を無視するどころか、あまつさえ暴走している節もある。
…って、うわあアチッ!?
ヘルガーの吐き出した火炎の熱がこっちまで…!てかあいつこっちに向かって平気で火ィ吹いてるぞ!?ヘルガーマジヤベェ!
「かえんのいき…いえ、はげしいほのおですかね?」
いやそれポケモンじゃないですよ?ドラゴンなクエストのモンスターズの方です。黒瀧さんはそっち派でしたか。
…って、この人いつの間に黒服じゃなくて銀服になってんの!?どこに持ってたその本格防火服!?
「着ますか?」
着ますかじゃねーよ!この人ボケまくりだなツッコミ追い付かねーよ!早く貸して着るから!もうあんた黒瀧さんじゃなくて
『ヘェルギャァァァァァァッ!!』
『ォオオンッ!ヴァァァンッ!!』
ヘルガーが無差別に【
LEDであんなにも美しくライトアップされていた鍾乳石の宮殿や地底湖は、今はすっかり様変わりし、全てが真っ赤に染まっている。何に火が燃え移ったのかは甚だ謎だが、地面は燃え盛る火の海になっている。燃え上がる炎の中で、オンバーンとヘルガーは激しい衝突を繰り返し、洞穴内はまさの地獄の様相を見せる。
カオス。
でもまぁ防火服のおかげで少し落ち着けたわ。ちょっとちょっと銀瀧さん、あの危ない
「回収ですか?さすがにこの防火服を着ていてもあの中に飛び込むのは少々気が……あぁ、なるほど、その手がありましたか」
俺の意図を理解したのか、銀瀧さんがモンスターボールを取り出しボタンを押すと、赤い光線がヘルガーに射出される。だが、ヘルガーは一向にボールに吸い込まれる気配がない。
「ダメですね、回収出来ません」
ぬぅ、ダメか。
だったらもうこんな危ない奴ら放っておいて、この場は撤退すべきじゃなかろうか?
『ー…』
…ん?
『…ーッ…』
今、何か聞こえたような…?
視線を周囲に巡らせ、注意深く方々に耳を傾ける。
「どうしました?」
キョロキョロと辺りを見回す俺を見て、銀瀧さんが尋ねてくる。いやね、何か微かに音が聞こえたような気がしたんですけど…。
『ーーィッ!』
やっぱり聞こえる。どこだ…!?
『ゾロッ!』
ゾロアが俺の防火服の裾をくいっと一度引っ張り、火の海の隙間を縫って走り出す。そっちってことか?だけど防火服を着込んだとは言え、さすがにそこを走って行くのはちょっと無理。
ウデッポウ、お疲れの所悪いけど、あの辺の消火頼める?
『ウデポッ』
ウデッポウが鋏から、きめの細かい【
そんでもって、そうだな…あの辺の天井に高圧の【
『バシュッ!!』
『ズガガンッ!ガラララッ!』
よし、ウデッポウが放った高圧の水弾が天井から垂れる鍾乳石を穿ち、それがガララッとヘルガーとオンバーンのすぐ側に崩れ落ちて奴らの気がそっちに逸れた今のうちに走り出すんだー(丁寧な状況説明)
『ゾロッ!』
ゾロアが待っていたのは、崩れ落ちたと思しき岩盤が折り重なって出来た厚い瓦礫の山の前。こりゃ酷いな、誰がやったんだ(すっとぼけ)。ここに何かあんのか?
瓦礫の隙間から中を覗いてはみるが、元々が暗いせいでその奥はよく見えない。よし、こんな時は現代の便利アイテムの出番だ。
テテテテッテテー♪
スーマーホーのーラーイートー!(ダミ声)
いやぁホント便利やでスマートホン。さすがスマートを名乗るだけある。ついでにお先真っ暗の俺の未来もスマートに輝かしく照らし出しててくれないだろうか。
瓦礫の中をペカー!瓦礫の中身は何だろな、っと……ん?
…………あぁ、なるほど。
『ヘルグワァァァッ!!』
うおっ!?ヘルガー!?オンバーンと一緒になって暴れ回っていたはずヘルガーが、いつの間にかこちらを目標に定めている。クソッ、ここで暴れられるのだけは避けたいんだけど…!
何度もすまんウデッポウ、少しのあいだヘルガーを抑えていてくれッ!
『…デッポ』
ウデッポウが【
よし、ウデッポウがヘルガーを抑えてくれている内にこの瓦礫をどうにかしないと。オンバーンっぽい大きな黒い影も火の中に突っ込んでいった気がするけど気のせいだな。
比較的小さな瓦礫から取り除くのだが、 他の瓦礫の支えになっているような物は動かさないよう、細心の注意を払い、それでいてうまく隙間を作るように考えながら排除していく。気分はリアル瓦礫deジェンガ。
あ、そっちは頼むねゾロア。そうそう、うまいうまーい!キャッキャッ☆
『ッバキューーンッ!』
ひゃあっ!?何事ッ!?
ウ、ウデッポウさんがヘルガーとオンバーンを相手にしながら睨んでらっしゃる…。す、すんません、真面目にやります!
…というか、バキューンって何撃ったらそんな音するんですか…?(震え声)
………………
…………
……
これでよし…と。
粗方の細かい瓦礫を取り除き、瓦礫の山には人一人がやっと通れる程度の小さな穴が出来上がった。
ゾロア、頼めるか?
『ゾロッ!』
ゾロアは元気に一吠えし、瓦礫の山の中に入っていった。これで取り合えずは一安心、かな?
ーーージャジャッズザザザッ!
ッ!?
すぐ後ろで聞こえた砂利擦れの音で跳ねるように振り返ると、いつの間にか戦いから抜け出したオンバーンが、ほんの数メートル先に降り立った所であった。
背後を覆う赤い炎の海で逆光となり、その全身が暗い陰に包まれている。しかしその双眸だけが、周囲の光を集めて鈍く輝き、真っ直ぐ射抜くようにこちらを見据えている。
ーーーーーー逃げろッ!
脳が警鐘を鳴らし、『全力で逃げろ』と全身に信号を送る。
しかし、食物連鎖の頂点に君臨するドラゴンという種族から発せられる凄まじい威圧感に晒され、身体がまるで痺れたように硬直する。
ズザッ、ザザッーーー。
一歩、また一歩と、翼を前後させながら悠然と歩み寄るオンバーン。目と鼻の先まで近付き、ようやく窺い知れた表情から読み取れるのは、
静かで、それでいながら内から滲み出る程の激しい感情。
ーーー怒り、だ。
スッ、とオンバーンが飛膜を引き絞る。
何故かその動作の全てが緩慢で、スローモーションのようにゆっくりと再生される。
ーーー翼の先に生える鋭い指爪が何かを掴むようにゆっくりと閉じられる。
ーーー戦闘機の翼の形状を思わせる飛膜の筋がが一際浮かび、グッと強張る。
ーーー目蓋が一瞬閉じられ、再び開く。
ーーー身体の動きに合わせて双眸がゆっくりと動き、鈍い黄金色のが残光として揺れる。
現実にはほんの一瞬のスムーズな動作だったのだが、我が身に降りかかる明確な死を前にして、視覚以外の感覚が限定的に遮断され、認識系回路と視覚が超常的に高められたのだ。
この感覚、もしバトルでーーーーーー。
飛翼が振るわれる、
その刹那。
ーーーピタリ、とその動きを止める。
死が遠退き、急激に感覚が戻る。
『オンッ!』
戻ってきた聴覚が最初に捉えたのは……鳴き声?
気が付けば身体の硬直からも解放されており、鳴き声に反応して後ろを振り返る。
そこにあったのは、小さいポケモンを口に咥えるゾロアの姿。
『オンッ!』
小さなポケモンが元気に鳴き声をあげ、ゾロアが口から解放する。そのまま、まだ覚束ない足取りでオンバーンの足元へと歩み寄る。
『ォンバーン…』
すっかり怒りを鎮めたオンバーンが、足元に歩み寄ってきた小さなポケモンに顔を寄せ、優しく擦り付ける。
『オンッ!』
そのポケモンもどこかくすぐったそうに全身でその愛撫を受け入れ、自分からも身体を擦りつけている。
微笑ましい姿だ。
ゾロアが咥えていたこの小さなポケモンの名は、オンバット。
そう、きっとこのオンバーンとオンバットは親子なんだろうな。
さっき瓦礫の山の中で見たものはオンバーンの巣で、聞こえてきた音の正体はこのオンバットの鳴き声だったんだ。
『ゾロッ!』
ゾロアを見ると、その後ろに大きな卵が三つ集まって転がっているのが目に入る。卵は特に割れた様子もなく、時折微かに震えているのが見て取れる。そっちも無事だったんだな、良かった。
ゾロアも尻尾を振って嬉しそうにしている。良くやったゾロア、お手柄だぞ。わしゃわしゃー。
龍仙洞の主オンバーンは、巣に居るこの子供たちを守るために周囲を警戒していた。ちょうどそんな時に俺が足を踏み入れたあげく、戦いを始めてしまった。
そこまでは良かったのだが、戦いの影響で洞穴内部は激しく崩れ、その巣が巻き込まれてしまった。結果としてオンバットや卵がこうして無事だったから良かったが、一歩間違えれば子たちはただでは済まなかっただろう。
野生のポケモンたちはただこの世界に現れた訳ではなく、こうして普通の動物たちのように生活を営なみ、やがてこうして子孫を残し、その生を全うするのだろう。
この世界の生態系は大きく変わる。それも、きっとそう遠くない近い未来に。
それがこの世界にとってどう影響するのかはまだ分からない。だが今は、お互いにとって良い未来が訪れることを、ただただ祈るばかりだ。
『オンッ!』
ん?あぁ、オンバットか。ちょこちょこと歩み寄ってきた。よいしょっ…と、おお、意外と重い。
巻き込んで悪かったなオンバット。お前たちの住み処、かなり壊しちゃったけど許してくれ。きっと九重さんがお金の力で何とかしてくれっから(悪い顔)
ほら、俺たちはもう行くから、奥に隠れてな。そろそろあのヘルガーをどうにかしないと、さすがのウデッポウもそろそろ限界だろう。
『オンッ!』
だが、何故かオンバットが足下から離れようとしない。何、どうしたの?危ないから離れてろって。
『オンッ!オンオンッ!』
何かわちゃわちゃ身振り手振りしてるカワユス。
じゃなくて、だ。もしかして…?
ちらっとオンバーンに目を遣ると、どこか子を見守るような親の顔でオンバットを見ている。と、俺の視線に気が付いたのか、今度はしっかりと俺の目を見据える。その目は先程までの激しい怒りが籠ったものではなく、静かで、それでいて真剣な眼差し。そこに威嚇や威圧は一切感じられない。
視線を交錯させること数秒。
オンバーンはふっとその表情を緩め、こくり、と一つ頷いた。言葉は通じないが、その意味は十分に伝わってくる。目は口程に物を言う。ほんの数秒だが、オンバーンのその目は、言葉以上に雄弁に語りかけて来ていたのだ。
…そっか、ならば慎んでお受け致します。
TSSからモンスターボールを転送して地面に置くと、オンバットは自ら駆け寄りボタンを押し、パカリと割れたボールの中に吸い込まれて行く。再び閉じたボールは微動だにせず、そのままカチリと最適化を終える。
おんぱポケモン、オンバット。
ここ龍仙洞のような暗い洞窟を住み処とし、20万Hzという高周波数の超音波を耳から発射する。それを浴びた者は、例え屈強なプロレスラーであったとしても目を回し、立っていられなくさせるのだとか。
図らずも、ウデッポウに続く三体目のポケモン、オンバットが仲間に加わった!
ありがとうな、オンバーン。大切に育てるよ。
『ォンヴァアアン!』
オンバーンは傍らにあった卵を端に寄せると、一つ咆哮をあげて戦場に舞い戻った。直に産まれてくるであろう子供たちを、その未来を守るために。
うっし、ゾロア、俺たちも行くぞ!
『ゾロォッ!』
この戦いに終止符を打つ為、ゾロアと共に戦場に飛び込んだ。いい加減、三話も続いた龍仙洞編にはもう飽き飽きしてんだよ!
◇◇◇
その後、ウデッポウによってすでに疲弊させられていたヘルガーは、オンバーン、ゾロアを加えた三体に囲まれ、その抵抗も虚しく僅か十秒足らずで撃沈。消火活動を終えた銀瀧さんによってボールに回収され、ようやく一件落着。
もしこれがゲームであったならば、ストーリーの序盤で進化形のドラゴンタイプと不可避バトル突入という、即クソゲ認定したであろう絶望のオンバーン戦はこうして幕を閉じたのだった。
結末はまさかのダイジェスト。
だって最後は本当にあっさりと終わったんだもの。詳細を説明してもいいんだけど、ヘルガーがボロ雑巾のようにされる様をいくら言葉巧みに語った所で、ヘルガーが一瞬でボコボコにされるという結末は変わらないんだから、説明したって仕方ないじゃないか。
もと来た道を引き返し、主通路の分岐地点に戻れば、そこにはキャンプテーブルに座り紅茶を嗜みながら楽しそうに談笑している心結と九重さんが待っていた。いや、来るときそんな荷物絶対なかったよね?ティーセット一式揃ってんじゃんそれ。
「あら、帰ってきたようね」
「あ、お兄ちゃんおかえりー!」
むん?心結の機嫌が直ってるな。何か良いことでもあったかな?
まぁとりあえず無事で何よりだな。てか無事どころか天然の洞窟で優雅にティータイムとか余裕過ぎんだろ。
「その様子だと、何か得るものはあったようね?」
うん、おかげさまで得難い経験が出来たのは確かだ。
最初は、これ何でオンバーンと戦ってんだっけ?という疑問しかなかったわけだが、何だかんだで得るものが多かった。
オンバーンからはオンバットを託され、パートナーは早くも三体目。さらには己の未熟さやこれからの課題、そして新たな可能性を発見することが出来た。ここに連れてきてくれた九重さんには本当に感謝だな。
「ところでうちの黒瀧はどこかしら?あなたの所へ行かせたはずなのに見当たらないのだけれど」
え?いやいや、そこにいますよ?いつの間にか九重さんの後ろに控えている黒瀧さんを指差す。
「え?……あなた、どなたかしら?」
「?あぁ、これは失礼致しました」
思い出したように防火服を脱ぎ捨て、元の黒服に戻る黒瀧さん。
「あら黒瀧そこに居たのね、銀色で分からなかったわ。そろそろ帰るわよ、準備なさい」
「畏まりました」
どうやらあの黒スーツが黒瀧さんの本体らしい。
……何か不憫になってきた。心の中で銀瀧さんとか呼んですみませんでした。
「へへへー、お兄ちゃん?これ、なーんだ?」
別れた時とは一転して上機嫌な心結が、その手に握っている何かを自慢気に見せ付けて来た。
…まぁ何か、なんて言ったけど、正直とっくに気付いてた。だってずっと両手で弄んでるんだから気付かない訳がない。
その手に握られているのは、もはや見紛うことなき超科学の塊。モンスターボールだ。
「すっごく可愛い子なんだよ?帰ったら紹介するね」
それに、と心結は言葉を続ける。
「…これでもう、お兄ちゃんに守られてるだけじゃないから」
…何を気にしていたのかと思ったら、そういうことか。
心結はこう言うが、兄として妹を守るなんてのは当然のことだ。こんな世界になってしまい、俺がトレーナーとして戦えるのなら余計に、だ。でも心結は決してそれを良しとしない。それは今も昔も変わらないようだ。いつからか、俺の手を煩わせることを極端に嫌うようになった。あれはいつぐらいからだっただろうか。
「なーんてね!さ、早く帰ろ?帰って晩ご飯作らなきゃ」
何が食べたい?と心結が笑顔をこちらに向けながら腕を絡ませてくる。
うーん、そうだな。シンプルに唐揚げとか食いたいな。帰りに岩手の地鶏『奥州いわいどり』でも買って帰ろうか。
「噂の心結ちゃんの手料理ね?ぜひ御相伴に与りたいわね」
話を聞いていたらしい九重さんが歩を進めるペースを緩め、心結が居るのとは反対隣に近付いてきた。
「あ、良かったら架純さん、このまま家でご飯食べますか?お口に合うかは分かりませんし、帰ってから作るのでちょっと遅くなっちゃいますけど」
「あら、ご一家の団欒にお邪魔じゃないかしら?」
何故か上目遣いで訊いてくる九重さん。一家の団欒って言ったってどうせ母さんたちはこんな時でも出社して遅くまで帰ってこないしな。心結が良いんならそれで良いんじゃないか?
「よし、決定ー!楽しみだねお兄ちゃん?」
「ふふ、じゃあお言葉に甘えてお邪魔させて貰うわね」
そうと決まれば急いで帰りましょう、と九重さんが意味深な笑みを浮かべ、黒瀧さんに色々と指示を出す。
その結果、いつの間にか龍仙洞前にはヘリが用意されており、それに乗って帰途に就くことになった。操縦もまさかの黒瀧さん。もう何でもありだな九重家…。
ま、心結が目を輝かせて楽しそうにしているし、九重さんもその心結の様子を見て満足気に微笑んでいるから、俺は何も言うまい。
世界はすっかり変わってしまい、俺の周りも今までと比べると少し…いや、かなり賑やかになった。でもま、たまにならこんな非日常的な日々も悪くないと思う。ならば今はただ、俺なりにこの日常を守っていこう。
願わくは、心結のこの笑顔が、ずっと失われることがありませんように。
◆◆◆
東京都
ーーーポケモン対策室。
「ポケモンレンジャー部隊、か」
重厚で高級感が漂う無垢材のデスク。そこに一人の男性が両肘をついて手を組み、その手の上に顎を乗せて思案している。黒髪を短く整え、ストライプスーツをややカジュアルに着崩す、見た目は三十代前半と思しきこの男。
この部屋の室長、
「はい、アメリカ特殊作戦軍の指揮の下、陸、空、海軍、海兵隊の兵士の中からトレーナーを選抜し構成するようです」
藍原の対面で直立しているのは彼の部下、
二人の会話は続く。
「真っ先に特殊部隊のお噂とは、アメリカさんらしいな」
「すでに将兵にはトレーナーであることの報告が義務付けられたそうですからね」
「あぁ、彼の国の将兵はSSN(社会保障番号)加入が義務付けられているからな。管理も容易いだろう。あの国なら国民に報告義務が課されるのも時間の問題だろう」
「人材の確保と囲い込み、ですか」
「あぁそうだ。すでにこの世界において、トレーナーであるか否かは大きな差だ。そのトレーナーと言う人財の流出を防ぐ為には、それを完全に掌握している必要がある。逆に言えば、それによって非トレーナーが特定される。非トレーナーは自衛手段を持ち得ないという意味において、社会的弱者と言っても過言ではないからな」
「とても人間の力ではポケモンに対抗出来ませんからね…」
「だからこそ国が、国民の安全を保障する為の仕組みを整えてやる必要がある訳だが、何をするにしてもトレーナーの存在は必要不可欠だ」
「ならば我が国でも報告を義務化するべきなのでは?」
「それが理想であり、近い将来には実現させるつもりではある、が…まぁすぐには難しいだろうな。この国は法整備に時間がかかり過ぎる。強制せずに挙手を募る程度が限界だろうな」
「自由の国アメリカ以上に自由や義務と言った権利に煩い国ですからね」
「とは言え、国民の安全の為には一部にそれを強いる必要があるのも確かだ。九重管理監には、警察官トレーナーの育成や、役所や交番と言った地域向けのポケモン対処マニュアルの作成を提言している」
「私のような非トレーナーではポケモンを従えることは出来ないのでしょうか」
「さあな…検証報告があがってはいるが、今のところ結果は芳しくない。だがもしそれが可能ならば、ポケモンに対して種としての優位性を維持することが出来るんだがな…」
『プルルルルッ…ガチャッ』
ふと、デスクの固定電話に内線が入り、藍原はワンコールで受話器を取り上げる。
「私だ。…うむ、そうか。分かった、お連れしてくれ」
「有識者会議の彼ら、ですか?」
「あぁ、お待ち兼ねの、だよ」
「彼らが協力してくれるといいのですが…」
「させるさ。その為に、私がいるんだ」
『コンコンッ』
「どうぞ」
『ガチャリ』
「失礼します。室長、彼らをお連れしました」
入ってきたのは銀縁眼鏡をかけ、パンツスーツを着こなした長身の女性。彼の部下の一人、
「ご苦労、通してくれ」
「はい、お二人とも、どうぞ」
「おっす、邪魔するよ、っと」
「ちょ、こらミドリのッ!アンタ無礼過ぎんでしょ!ったく……失礼します」
岸波に促され部屋に入ってきたのは、二人の男女。その見た目はおおよそ高校生程度だろう。
少年は明るめの茶髪に黒い長袖シャツ、迷彩柄のカーゴパンツという非常にラフな服装で、いかにもオフィス然としたこの部屋にはお世辞にも似つかわしいとは言えない格好だ。
対して少女の方はと言えば、彼女の通う学校の制服と思しきブレザーを着ている。ダークブラウンの髪を、青い花の簡素な飾りがあしらわれた髪留めで一纏めに束ねている、所謂ポニーテールというやつだ。
「やぁご足労いただいてすまない。先刻の会議もご苦労だったね」
藍原がオフィスチェアから立ち上がり、二人を労い、歓迎するといったような手振りを見せながら、デスクの前に歩み出る。
「ホントだぜ。俺たちに話があるんだろ?さっさとしてくれるか?わざわざ東京まで来たんだ、早くこっちのポケモン捕まえに行きたいんだよ」
「ハァ、さっきも思ってたけど、ホントガキねぇ、アンタって……。すみません、えと…アイハラさん」
「ははっ、気にしなくていいさ。このあと君たちには私の部下を二人ずつ付けるから、約束通り二、三日程度なら自由に連れ回してくれて構わないよ」
「それそれ!ホテル代とメシ代もそっち持ちなんだろ?くぅ~、最高だなッ!なぁ青いの!?」
「アンタと一緒にすんなっつの……。ありがとうございます。でもどうしてそこまで厚遇して頂けるんですか?」
「何、それだけポケモントレーナー…取り分け君たちには価値を見出だしているということさ。それに君たちに同行することで得られるポケモン知識や経験は、私たちにとっても有益だからね」
「価値、ですか…?」
「ま、そりゃ当然だな!てかいいからよ、早く本題に入ってくれ!」
少年が藍原に先を促す。
「ふむ、そうだね…。ところで、もう一人の彼はどうしたのかな?」
藍原はふと思い出したように二人に尋ねる。すると、少女は顎に手を当て思案顔を浮かべ、少年は見るからに不機嫌そうな表情に変わる。
「あぁ、あのアカイのですか?会議が終わってから何も言わずに帰ったみたいです」
「そうか、彼は来てくれなかったか…残念だ」
少女の言葉を聞き、その言葉通り残念そうに苦い顔をする藍原。彼に取ってこの少年たちは十分に大切なゲストではあるが、実の所彼の本音は、もう一人の少年こそが本命であった。
「ふんっ、いらねーよあんなスカした奴!あいつより俺の方が強い!」
「んなこと誰も聞いてねっつの…。てかエキシビジョンバトルであのアカイのに負けたでしょ、アンタ」
「うるせーよ青いの!ちゃんとやったら俺の方が強いに決まってんだろ!」
「ギャンギャンうるせっつの、負け犬」
「あぁん!?ケンカ売ってんのかテメー!!いい度胸だ、かかってこいよ!!バトルだ!!」
気が短い少年と、彼に対してどこか呆れたように毒を吐く少女。
「まぁまぁ、その戦いは非常に興味深いんだが、今は落ち着いてくれるかい?」
「ったく…コイツと居るとホント疲れるわ。それで、話って何ですかアイハラさん?」
今度は少女が藍原に話の続きを促す。
「ふむ、単刀直入に言おう」
藍原は一息だけ間を置き、どこか作られたような笑顔を浮かべて二人に向き直り、言葉を紡ぐ。
「君たち、国の専属トレーナーになる気はないかな?