「そっちこそ。良いのかい?もう日付も変わるだろうに」
「ああ、まぁどの道今夜のシフトは俺だ」
ステファンは頷くと床を蹴り、展望デッキ側まで飛んでくる。片手で柵を掴みそのまま体を地面に落とす。GBWFに閉じ込められた当初はうまく行かなかった無重力状態での体捌きも今では日常動作の一部でしか無い。
そのままステファンはいつもの仏頂面を崩す事無く宇宙を見つめ始める。これがコロニー入港前とか大気圏低軌道まで下りていれば雄大な景色が広がるが、現在はただ星空が広がっているだけだ。下を向けばサンダーチャイルドの推進部が放つ淡い青色の噴射炎が見えなくもないが、展望デッキの位置が推進部ノズルよりかなり奥まった所にあるが故に眺めると言うよりは覗き込むような感覚になるので、実質的には星空とサンダーチャイルドの外部壁面しか見るものは無い。大会議室程の広さがある展望デッキはファントムペイン構成員にとってはちょっとした遊戯室であり、音楽プレーヤーを持ち込んだり読書に耽るなどフリースペースとして使われるのが常だが、今日のステファンは何も持ってきておらず柵に腕を掛け、そこに顎を沈めて無限に広がる宇宙を眺めているだけだった。
酔いの回ってきたエカテリーナが寡黙なビルダーの息抜きを邪魔しまいと腰を上げた時、不意にステファンが口を開いた。
「本当に良いのか?」
「えっ?」
もう離れようと床を蹴らんとしていた所に話しかけられて振り向いた事で行き場を失った力みが妙な具合に体を浮かせる。
「火星の事だ」
「あっ?ああ。まぁ……これまでの小遣い稼ぎじゃなく本格的な出稼ぎになっちまうがね」
「俺は正直、エカテリーナは止めると思っていたが」
「……」
ステファンはぼんやりと宇宙を眺めている。その横顔には何の感情も浮かび上がっていない。
「このクランの趣旨は様々な事情を抱えている人間の駆け込み寺である所に存在意義がある。上手く立ち回ろうとして失敗した人間が、堅実にやり直す。と」
「あぁその通りさ、だから」
「だからこそ、だ」
いつもの調子で返そうとしたエカテリーナの言葉は、しかしステファンによって遮られる。不意にエカテリーナの方を向いたステファンの目は何時になく険しいものだった。
「だからこそ、今回の決定はそのポリシーに沿っているとは思えない」
「あのねぇ、ステファン、もうちょっと頭を柔らかくおしよ。あたし等は何も小賢しく立ち回ろうってんじゃない。こういう行為を続ける為の最低限のツールを確保する為にやろうって言ってるんだよ」
「その最低限のツールを得るやり方が正しいのか、と問うているんだ」
ばっと顔を上げたステファンの顔は何時になく真剣だった。あぁ、これだ。とエカテリーナは胸中で嘆息を漏らす。このビルダーはとにかく全ての物事に論理的整合性を求めたがる。モノづくり故の性か、単に生来のものなのか。
こちらに理がある限りは口を開く事も無く説明抜きでも理解してくれる貴重な存在だが、臨機応変な対応は望めない。確実な正当性よりもその場その場で一先ず間違ってはいない事を並べ立てて逃げ口上とする癖のある自分にとってはある意味、突っかかってくるだけの奴よりもよっぽど難敵だ。
「正しいかどうかなんて分からない……じゃ納得しないってツラだね」
「さっきの説明も、分からない訳じゃない。が、身元確かでない人間の依頼を受け不釣り合いな報酬を安く手に入れようと言うのは博徒の発想だ」
「……」
「ここでばくち事に手を出すと言うその発想自体がアウトローの証。さもしい証拠と言われれば我等はやはり『そう言う手合い』と言う評価からは抜け出せまい」
「ほう。船は諦めろっていうのかい?」
流石のエカテリーナもアウトロー呼ばわりは心外だった。常日頃ステファンからの要望を出来る限り叶え、出来れば会わないで済ませたいクラン代表衆との打合せにも顔を出している。出来る事はやっているつもりの中での僥倖だったのだ。
「そうは言っていないだろう」
「いいや言ったね。いいかいステファン、うち等は確かに坊主みたいな事やってるがね。ここは学校じゃないんだ。理屈が合ってりゃ上手く回るなんてのはパーツの擦り合わせだけにしといて欲しいね」
いつになく感情的になってしまったのは手元の安酒のせいだけではあるまい。
「それともステファン。アンタが新しく艦を入手するってのかい」
「だから違うと言っているだろう。前のように、ジャンクの残骸を搔き集めて……」
「前にやったのは他クランを出し抜いてジェネレータを確保できたからさ。あれかい?苦労して手間がかかってれば帳消しだとでも?」
「それは俺は知らされていなかった!」
「知らされていなくったって同罪さね。どの道今の状況の中で文句なしにシロで事を成そうってのは無理って事さ!」
「だから問題はそこじゃない!」
ドン、と柵を拳で叩く音がデッキ中に広がり、一瞬二人の間に静寂が広がった。同時にエカテリーナも知らずのうちに酒パックを握りしめていた事に気が付き、こめかみを抑える。
「……俺は、もっと身の丈にあった地道な方が筋が通っていると思っている……会議で発言したい連中はみな発言したとも思っている……特にジョージ。大蔵省である奴がそれなりに悩んで出した事だと言うのもな……」
ステファンは息を切らしながら心情を吐露していく。
「ふん……」
それは私だって同じさ。と言う言葉は飲み込んだ。
「しかしそれでもやっぱり俺はヘレナと同意見だ。戦闘を……下手をするとPvPがあるかもしれない事で事を成そうと言うのは……あまり好みじゃない……」
「……」
「それじゃクランが成り行かないのも理屈としては了解だ。けどな……不当に高い報酬の奥に見えているのは明らかにトラブルを抱えた厄介な案件だ。追っ払うだけじゃ済まないタイプのPvPも十分視野に入ってくる。せめてその事について何かあっても良かっただろう……」
「……」
言われてしまった。なんとなく流していざそのような展開になれば想定外だった。と言う顔をして居直るつもりだったが。
ジョージは報酬に目がくらんでいる。ダンはそもそも舵取り故にあまりそうした事にナイーブでない。ニネットもまたPvPには寛容だしヘレナはそもそもそこまで考えていない。
「俺もそれ以上のPvPを忌避する訳じゃない。振り払う火の粉は払わねばならぬ……と言うのは分かる。だがな、例え仕方なくする事であってもそれを極力避けようとする事は出来る。そうだろ?」
ステファンの問いかけにエカテリーナは頷く。
「俺は……」
ステファンが何か言いかけた時、不意に展望デッキの窓ガラスに防護シャッターが降り始めた。戦闘状態の合図だ。二人は顔を見合わせると身をひるがえし入り口へ向かって床を蹴った。
「クソッ、今日はダガーの修繕に費やすつもりだったんだが」
「まぁ来ちまったもんは仕方ないね」
二人の一瞬で空気を切り替えると格納庫へと向かった。