なりぞこないのシンデレラ Des Cendrillon Manqué   作:etis

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吸ふごとに
鼻がぴたりと凍(こほ)りつく
寒き空気を吸ひたくなりぬ

石川啄木 「一握の砂」より


九章 冷凍される日々

年が明けて、新春特番も終わると、業界の騒々しさも一段落する。

2月にかけて気温が下がっていく中、彼女は街を歩いていた。

ぼんやりとしているのか、尖っているのかよくわからない空気。

寒さの中に、頭の中の思考は溶け出している。

道路わきの排水口に落ちているチラシは、346プロのアイドルのものだった。

頓着しないで歩き続ける。

クリーム色のキャスケットを深くかぶり直し、マフラーに顎をうずめる。

自らの息が白いことに目線を取られた。

その瞬間、後ろから声をかけられた。

「……加蓮?」

一瞬、声をかけてきたその男性が誰だったか気づかなかった。

「プロデューサー……?」

なぜだか、彼の顔を、私は初めて見たような気がした。

「よう、加蓮」

軽く手を上げて挨拶をしてきた彼、城ケ崎美嘉のプロデューサーは、笑っていた。

もう一月以上会っていなかったことになるのだろうか。

最後に会ったのは、秋のライブか。

「お久しぶりです」

「ああ、久しぶりだ。加蓮は、今から仕事か?」

「ええ、今から高森さんのラジオに、トライアドで」

高森藍子、先輩アイドルで、アイドルになったのはシンデレラプロジェクトよりも先だった。聞いた話では城ケ崎美嘉に遅れること数ヶ月だったらしい。

それでもラジオのレギュラーを持ち、アイドルとしての活動以外に、ドキュメンタリーのナレーターや洋画の吹き替え、そしてつい先日は演劇活動を始めたらしいということも聞いている。そのような精力的なアイドルが、高森藍子だ。

余談だが、バラエティなどのトークが主体の番組だと、彼女と話しているといつのまにか収録がとんでもない長さになるというウワサもある。

「そうか」

彼は少し考えた様子を見せてから、

「……お前たちの収録、見学してもいいか?」

「え? 別にいいですけれど……、どうして?」

「いや、興味本位だよ」

興味本位、今更私たちに興味を持つなんて。

「渋谷さんが気になるんですか?」

「いや、そういうわけじゃないさ」

「ふうん……、まあ、いいですけど。今日は常務の部下の人が付き添いで来るはずなので、そっちにきちんと話を通してくださいね」

「ああ、もちろんだ」

私は止めていた足をまた動かし始める。釣られて彼も歩きだす。

「しかし、いっぱしのアイドルらしくなったな、加蓮」

「そうですか?」

「変装も板についている」

彼が私の全身を眺めたことが目線から分かる。

私は今、ワンピースのセーターの上にダッフルコートを着ている。そして、縁の厚い眼鏡、マフラー、キャスケットをかぶれば顔はそうそう見えない。

「プロデューサーさんは、すぐにわかったじゃないですか」

「そりゃ、曲がりなりにもプロデューサーだからな」

変装くらいでわからなくなったりしたらへこむしかないよ、と彼は笑った。

笑い声が道路に落ちていく。

新春らしい乾燥した陽気だった。

落ちきった笑い声のあとにはなにも残らなかった。

五分もしないで目的の収録スタジオのある建物の入口に着いた。

守衛に笑顔を投げかけつつ、自動ドアをくぐる。

「なあ、加蓮」

「はい?」

「あれから、シンデレラプロジェクトのプロデューサーとは会ったか?」

「ええ。先月に、一度」

「そうか」とだけ言って、彼はもうそれについてはなにも言わなかった。

「俺は付き添いの人に挨拶してからでないと入れないから先に行っててくれ」

「わかりました」

彼を一人残して、私はエレベータに乗る。

扉が閉じる直前まで、私は彼の顔を見ようとしなかった。

 

録音ブースの中の高森藍子に向けて、合図がされた。

「高森藍子のゆるふわタイム! ということで、早速ですが今日のゲストさんの紹介をしていきたいと思います。今日はこちら! トライアドプリムスのみなさんをお招きしております!」

凛、奈緒、加蓮の三人が揃って、「こんにちは!」と挨拶をする。

一瞬だけ、加蓮が遅れたような気がするが、気のせいだったかもしれない。

「さて、トライアドプリムスのみなさんなんですが、一人ひとりに自己紹介をしてもらったあと、ちょっとだけどういうユニットなのか、というのを説明していただきたいと思います」

誰ともなく、はい、という相槌。

「じゃあ、まず凛ちゃん」

「はい。渋谷凛、15歳です。趣味は犬の散歩、かな」

「お散歩! 私も好きです。いいですよね~。 はい、次は奈緒ちゃん!」

「はっ、はい! 神谷奈緒です! 17歳です! えーっと、えー、趣味? い、いわなきゃだめ?」

恥ずかしそうに頬を赤らめ、うつむきがちになった奈緒に、藍子はにっこりと言った。

「だめです」

「うぐっ……」

黙りこくってしまった奈緒に凛が「ほら、奈緒」

「う、うう……」といううめき声につづいて、マイクに乗らないほどの小さな声が漏れた。

「え、なんですか?」

耳をそばだてるようなしぐさをした藍子に、奈緒は叫ぶようにして言った、

「アニメとか! 見るのが大好きです……」が、後ろのほうになると声が小さくなっていった。

そんな様子に頓着しないで、藍子はさくさくと話を進めていく。

「はい、ありがとうございます。次は加蓮ちゃん!」

「はい。北条加蓮、16です。趣味は、ネイルアート、かな」

「へえ、ネイルですか。ちょっとやってみたことはあるんですけれど、難しくてあんまりできなかったので後で教えてもらおうかな、なんて。さて、自己紹介もしていただきましたし……トライアドプリムスさんは、このラジオ初めての出演ですね」

「というか、トライアドプリムスとしてはラジオ自体が初めて、だね」と凛が言った。

「凛ちゃんは、去年ニュージェネとして出演してくれましたよね」

「うん、そうだね。あれも随分と前なんだね……」感慨深げに凛は言う。「けどとりあえずニュージェネのことはちょっと置いて、トライアドプリムスの話をしよう」

「そうですね」

「結成したのはついこないだなんだよ」

「去年の11月ころでしたっけ? どういう経緯で結成したんでしょう?」

カバーストーリーはできている。それがカバーストーリーだということを知っているのは、KroneとCinderellaの関係者だけ。

「凛と違って、あたしと加蓮はトライアドが正真正銘アイドル初体験なんだ。凛は、ニュージェネでもうデビューしてるから」

「あ、もう出てきたねニュージェネ」

くすりと凛が笑う。

「ええ、そうですね。じゃ、ちょっと凛ちゃん……」

「うん。こほん。ニュージェネっていうのは、あ、New Generationの略なんだけれど、私が参加してるもう一つのユニットなんだ。結成は去年の、えっと、春の終わりくらいかな」

「シンデレラプロジェクトの一つなんですよね!」

うん、と凛がうなずく。

「シンデレラプロジェクトっていうのは、アイドルユニットの集合というか、6つくらいのユニットがあって、普段は別個に活動してるんだけど、大きなイベントのときとかはみんな集まって演技をするの。だから、私にとってはニュージェネ、トライアドに加えてもう一つの参加ユニットってところかな。個性的な人がたくさんいるから、ちょっとでも気になったら調べてほしいな」

「そうですよね。未央ちゃんとか……」

「未央と仲いいよね、藍子って」

「未央ちゃんと私は仲良しですよ! 先月の舞台でもご一緒させていただきましたし……」

「あっそうそう。未央っていうのは、ニュージェネのメンバーで本田未央っていう娘。もう一人のメンバーは島村卯月」

話の流れにそってニュージェネのCDや今後の予定を凛が話す。

それの切りがいいところを狙って、藍子が続けた。

「そんな三人のユニット、New Generationなんですが、シンデレラプロジェクトも含めていまも活動中なんですよね。そんななか新しいユニットとして活動を始めたというのはどういう経緯があったんでしょう?」

「うーん、これはそっちの二人から言ってもらったほうがいいかな」

「へっ、あたしらにふるの?」

「ええ。よろしくお願いしますね、奈緒ちゃん、加蓮ちゃん」

「しっ、仕方ないな。えーっと、あたしと加蓮は同期で、アイドルになるのも、たぶん何ヶ月か凛より遅いんだよな。あたしたちは城ケ崎美嘉さんと同じ部署に入ってたんだ」

「ふむふむ」

「で、美嘉さんの妹で城ヶ崎莉嘉っていう娘がいるんだけど、その娘も実はシンデレラプロジェクトのメンバーなんだよ。凸rationっていうユニットなんだけど」

「ああ、知ってます知ってます」

「それのせいか知らないけど美嘉さんと一緒にいるとシンデレラプロジェクトの人と会うことが多くって、一緒に練習をしたりすることもあって。あのときはちょうど凛とレッスンしてたときで、別にそれ自体は特別なことじゃなかったとその時は思ってたんだけど、なんか偉い人にはそうじゃなく感じられたらしくて」

奈緒は笑う。

白々しく。

嘘くさく。

寒々しく。

「あれよあれよという間に、私たち三人がピックアップされて、トライアドプリムスができてたってわけ」

「ふぅむ、なるほど! 偶然が産んだ奇跡といった感じですね?」

「ん、ん、んー。奇跡というのはまあちょっとわかんないけれど」

そう言って恥ずかしげに奈緒が笑った。

「まあ、なるべくしてなったっていう感じは、ある。かな?」

「うんうん! いいですね!」何度も藍子は頷いた。

「馴れ初めはそんな感じで始まって、トライアドはそのデビューもまた衝撃的でしたね?」

「ああ。秋のライブだね」と凛が言葉を継いだ。

「あれは、もともとあれを目標にしていたんでしょうか?」

「うん。Project Krone自体が、あそこでのお披露目を目標にしていたから」

「トライアドも例外ではなかった、と。練習時間、というか準備する時間は正直なところ短くて大変だったと思いますが、いかがですか……?」

「それも、うん。なんというか、実のところみんなに助けられたんだよね」

そう言って、凛は二人を見て笑った。

「ニュージェネの二人が応援してくれて……。それだけじゃなくてシンデレラプロジェクトのみんなも応援してくれて、そのおかげで私は出来たのかもって思ってる。奈緒と加蓮はわからないけど……」

藍子は目線を奈緒に向けて、「奈緒さん、どうですか?」

「え。うーん……。あたしと加蓮は、なんというか、仲間っていう仲間もいなくって、Kroneのメンバーも会ったばかりで、正直どうしたもんかなーっていうのはあったよ」

「ふむふむ」

「けど、そんなこと言っていても仕方ないし、なにより秋ライブに出るのにニュージェネじゃなくてトライアドとして出ることを選んでくれた凛に恥はかかせられないなって感じで逆に気合が入ったよ」

「なるほど! 男前ですね!」

「そ、そうか?」

「うん。そうだよ、奈緒。そんなこと思ってたんだね」

「いや、別にそんな大したことじゃ……」

照れたような様子で、奈緒は頬をかいた。

「ま、まあそんなこんなで秋のライブが私たちの初ステージになったってわけ」

「うーん、あんなおっきな舞台が初めてって、すごいですよねえ。初舞台というと、凛ちゃんはどうでしたか? シンデレラプロジェクトの初舞台って、どうでしたっけ」

「シンデレラプロジェクトの初舞台? みんな大体小さいイベントから始まってたよ。私たちだけちょっと違ってたけど、あれは特別だし……」

「というと?」

「あれ? 知らない?」藍子が首を横にふる。「そうか……。ニュージェネの初舞台って単独じゃなかったんだ」

「あれ、そうなんですか」

「うん。美嘉のバックとして出たから……。ああ、ニュージェネとしてではないけれど、あの三人揃ってバックダンサーとして出たから」

「ふうん。美嘉ちゃん、結構最初のころからシンデレラプロジェクトに関わってたんですねえ」

「確かに、そうかな」

「私もアイドルになりたてのころはお世話になった記憶があります」

「あれ? 藍子もなの?」

「ええ。私とか、茜ちゃんとかも随分とお世話になりました」

「へえ……。じゃあさ、みんなにとって美嘉って、どんな存在?」

「え!?」と藍子が手を口に当てて驚いた。

「なかなか難しいことを聞いてきますね凛ちゃんは」

「美嘉がどんな存在か、ねえ……」

考えこむ三人のうち、先鞭をつけたのは加蓮だった。

「私的には、頼れる先輩、かな」

奈緒が追従する。

「ああ、やっぱりそんな感じだよな。わかるよ」

「そうですか?」

小首を傾げる藍子に、二人が不思議そうな顔をする。

「そうですか、って。いや、だってずっと私たちは頼りにしてきたから……」

「ああ、そうか。それもそうですね。私とか茜ちゃんのイメージからすると、案外抜けたところもある可愛い女の子って感じなんですけど。まあ、色々ですよね」

「可愛い女の子、かあ」

「美嘉の場合、可愛いというより、獰猛とかのほうが似合ってないか?」と奈緒が笑い混じりに言った。

「うーん、そう見えるかもしれませんけれど……」困った顔で藍子が言う。「美嘉ちゃんって、実はそんな面だけじゃないんですよね」

まあ、実際にその面を見てみないとなんとも言えないとは思いますけれど。と彼女は付け加えた。

「ふうん……。そればっかりはわからないかもね。付き合いが長くないと」

「あっ、そうすると、この中で私だけが知ってるってことになりますね」と嬉しそうに藍子が言った。

「なんだかんだ言って、私も、奈緒と加蓮も付き合いは短かったからね……」

藍子が、少し話題の軌道修正をする。

「美嘉ちゃんのことも気になりますけど、今日来てもらってるのはトライアドですから、ちょっとトライアドの三人だからこそ聞けることを聞いてみましょうか。まず、凛ちゃん」

「はい。なに?」

「これは結構先週募集したお手紙とかメールの中でも多かったんですけれど……」そう言って藍子はにやりと笑った。「ずばり、ニュージェネとトライアド、どっちが本命?」

「ほ、本命?」凛は形容しがたい顔でその質問を受けた。

「大事、とかじゃなくて?」

「ええ、どっちが本命、ですか?」

「本命って……告白するわけじゃないんだから……」そう小声で不満をこぼしながら、凛は考えこむ。

そんな凛をよそに、

「奈緒ちゃんと加蓮ちゃん的には、やっぱりトライアドが本命! って言って欲しいですよね?」

「いやー、それはちょっと微妙なところかなー……」

「あれ、そうなんですか?」

「あたしとしては、まあ、あー……言わないでおこう」

「奈緒! 言うなら最後まで言ってよ!」顔を真赤にした凛が叫ぶ。

「えー……? しょうがないな……。うーん、トライアドのほうを大切にしてほしいっていうのはやっぱりあるんだけど、やっぱりニュージェネのほうも大事にしてほしいかなって思うんだ」

そんな奈緒に、藍子が凛を横目に笑いながら言った。

「あら、そんな浮気みたいなことを許していいんですか?」

「う、浮気!?」

「いやいや」と奈緒は手を横にふる。「そりゃーあたしと加蓮にとってはこっちのほうが大事だけどさ、シンデレラプロジェクトありきでのあたしたちっていうのもあるからさ」

「なるほどぉ。甲斐甲斐しいお嫁さんたちですけど、凛ちゃん、いかがです?」

「……はあ、まあ、そんなことを言われたらどっちもきちんとやらないといけないよね。うん、がんばるよ。奈緒、加蓮」

「いやぁ、いいお話でしたね」

そう言う藍子になにをいけしゃあしゃあと、と凛が食いつくが、「おっと、そろそろCMの時間ですので」と藍子が言い放つ。

慌てたふうな凛の声がフェードアウトしていく。

 

録音が終わったスタジオの談話室に、藍子とトライアドプリムスがいる。壁際にある自販機の前で、奈緒と藍子がジュースを買っている。

「お疲れ様。加蓮」

「うん。凛も、お疲れ様」

二人はもうすでにカップ式の自動販売機でコーヒーを買っていた。湯気が立ち上るそれを前に、二人は無言になる。

小銭を入れる音。缶が落ちる音。

「奈緒、なに買ったの?」

近づいてくる二人に凛が声をかけた。

「ん。暖かいのにした」

「そう……」

「お二人はコーヒー……それもブラックですか?」

藍子が覗き込んで、驚いたように手で口を抑える。

「うん」凛が一口飲んでから答える。「なにか変?」

「変じゃないですよ。私、ブラックコーヒーって飲めなくて……」

「ああ、そういうことか。別に珍しくないんじゃない?」

「それなんですけど……」

首を傾げる奈緒と凛。

「なにかあるの?」

「いえ、別に、そのぉ……」

藍子は、何か言いたげな顔をしながら、それでも何も言わずに手を合わせて、もじもじとしている。先ほどのラジオをきっちりと進行させた顔は潜められ、柔らかな笑みを、赤く染めている。

「どうやったら、ブラックコーヒー飲めるようになりますか?」

「ええ? どうやったら、って……」

凛が困ったように顔を加蓮に向ける。

「私は、いつの間にか飲めるようになってた、かな」

「そんな……、凛ちゃんはどうですか?」

「私も似たような感じかなあ。昔は砂糖入れないと飲めなかったけど」

「うーん……私はいつまでもコーヒーを飲めないままなんでしょうか」

しょんぼりとした藍子に凛が「い、いや藍子、そんなへこむほどのことじゃないと思うんだけど」

「ええ、そうはそうなんですけど、ちょっと、えぇっと、仲良くなりたい人がいて、その人はコーヒーが大好きなんですけど……」

「ああ、藍子はブラックが飲めないからそういう話ができないってことか」

「そうなんです……」

「うーん、それは、ちょっとどうだろうね」

「砂糖を徐々に減らすとかは?」

「最近逆にお砂糖を増やすようになっちゃって……」

「そりゃまたなんで?」

「私ももっと減らしたいんですけど、最近お仕事が忙しくて、ちょっと、こう、ヤケになっちゃって……」

「ああ……確かに最近忙しそうだよね。藍子」

と苦笑交じりに言う。

すると、藍子は腰を上げて、大声を上げる。

「そう! そうなんですよ! 最近はほんっとーに忙しくって、お散歩も出来ないし、プロデューサーさんとお話をする暇もないし!!」

「ちょっ!? 藍子!」

「それだけならいいんですけど、舞台の成功のお祝いにこの前したコーヒーを一緒に飲んでくれるっていうお話も全然音沙汰がなくて……」

「どうどう、藍子、落ち着いて」

「あたし、高森さんのこんな姿初めてみたよ……」

「うん、レアだね……」

「二人とも感慨深げに眺めてないで抑えてよ!」

「あ、ああ、そうだな」

 

藍子を落ち着かせ終わった頃には、温かかったコーヒーは冷めかけていた。

「ご迷惑をおかけしました……」

「別にいいんだけどさ。藍子。それで?」

「それで、と言うと?」

「仲良くなりたい相手、っていうのは藍子のプロデューサーってこと?」

「そっ」

何かを言いかけた藍子は、凛からの目線から逃げるようにあらぬところを見つめる。

その状態でジュースの入った缶を握りしめ、一口飲むが、

「高森さん、それ、あたしの……」

「えっ、あっ! ごめんなさい!」

「構わないけど……。質問には答えてくれないか?」

「うっ、うう」

三人の問い詰める目線に、藍子は諦めたようにため息をつく。

「……そうです。その、私のプロデューサーさんのことです」

「ふぅーん。ねえ、藍子って、プロデューサーのこと、好きなの?」

「それは……」

藍子は暗い顔をしている。

「私にもわからないんです」

「わからない?」

オウム返しにした加蓮を見て、藍子は言った。

「わからないんです。本当に。私、プロデューサーさんのことが好きなんでしょうか?」

「そんなの聞かれてもわからないけれど……。仲良くなりたいとは思っているんでしょ?」

「ええ、それはそうなんですけど。私、今まで身近に男性の方がいたことがなくって。ずっと女子校だったので」

「それでも、アイドルとして仕事してたら男の人と話す機会だって……」

と奈緒が言いかけるが、「やばい、意外とないかも」

「そうなんですよ。アイドルって、恋愛とかしてるとダメですから……」

「それでも、ときどきいますよね。マネージャーとかと付き合ってるとか」と私が口を挟む。

「私は、その、たぶんプロデューサーさんと仲良くなりたい、って思ってはいるんですけど、そこから先のことがまったく想像できなくて」

「えっと、付き合ってからってこと?」

「はい」

私が、「普通、手を繋いだり?」と言えば、

奈緒が「抱きしめたりしたりもあるな」と言い、

最後の凛が、「あとは……キスとか?」言ったことに対して、藍子は顔を真赤にしてうつむいてしまった。

「……どうしたの、藍子」

「なんだか、プロデューサーさんとそんなことをする想像をしたら……」

私たち三人は顔を見合わせる。

「ねえ、藍子」

「なんですか?」

まだほほの赤い藍子が顔をあげた

「それ、恋愛感情だよ」

三人を代表して、凛が告げる。

「やっぱり、ですか」

そう言った藍子は、嬉しそうに、そして悲しそうに微笑んだ。

「私、アイドル失格ですね」

「そんなことは……」

とりなす言葉に首を振った彼女はぽつりとつぶやいた。

「私は、アイドルでいたかったのになあ」

 

 

三人は無言で事務所までの道を歩いている。

藍子が何を考えていたのか。恋愛を許されないアイドルという立場。それが、本当にどこまでも遵守しなければならないルールなのか。

わからない。誰かを好きになったことはもちろんある。それでも、許されない恋なんてものの経験はない。

どうしたら皆が幸せになれるのか。藍子とプロデューサーがエゴを通して恋人になるべきなのか。しかし、それは、そんなことをあの藍子が望むだろうか。

そして、私だったらどうしただろうか。

ぼんやりとしていた意識を、奈緒の言葉が突いた。

「……高森さん、どうするんだろうな」

「さあ……」

私の右隣りを歩いていた加蓮が答えた。

「プロデューサーのことを好きになる、って。うちらだったら、常務を好きになるとかか?」

「シンデレラなら、あのプロデューサーかな?」

私はからかうような加蓮の言葉にすぐには答えなかった。

「プロデューサー、か」

その言葉は、白い息になって夜空に消えた。

「まさか、凛もか?」

奈緒はジャンパーの袖に仕舞っていた両手を取り出し、こわばった声で聞く。

ふっと凛は笑う。

「それこそ、まさかだよ」

「それならいいけどさ」

「あの人には感謝してるけど、そういうのじゃないかな」

「感謝、か」

そう言って、三人は揃って立ち止まり夜空を見上げた。

「ねえ?」

「なに?」

「常務のこと、どう思ってる?」

「そう、だね」

私は、視界の端に二人の顔を捉える。

二人のその無表情に、何も言わないことに。

「私は、感謝、してるんだと思う」

二人は、何も言わない。

「奈緒と加蓮の二人に出会えたこと。トライアドプリムスとして活動できること。たぶん、私は感謝してるんだと思う」

「そう、だよなあ」

そう言うと、奈緒は凛の左腕にからみつく。

「奈緒!?」

「いや、たまにはいいじゃんか。こういうのも。それとも、凛は嫌か?」

「い、嫌じゃないけれど」

「ならいいじゃん。ほら、加蓮も」

「加蓮もなの!?」

「だって片方だけだと収まり悪いじゃん」

凛が困ったように眉を曲げて加蓮を見つめる。

「加蓮は、しないよね?」

「んー。どうしよっかなー」

「ほ、ほら、事務所に近づいたら人目も増えるし……。私たちアイドルだし、目立ったことはあんまりしないほうが……」

そんな言い訳をしている凛を無視して、加蓮は「みんな変装してるから大丈夫でしょ」と言い捨てる。

えいっと抱きついて、三人は一塊になる。

「おー、暖かいな。コート越しでも結構体温って分かるんだな」

「こ、こら奈緒!」

「いいじゃんいいじゃん。凛」

「加蓮も! ちょっとそこは違っ、そこは胸だから!」

やかましくもかしましく、三人は歩き出す。

 

 

三人で騒ぎながらたどり着いた事務所。

事務書類を提出しなければならないので、二人と別れて歩いていた廊下で、加蓮は再びプロデューサーと出会った。

「加蓮」

出会い頭に、彼は真剣な顔で名を呼ぶ。

「……なんですか?」

「お前は、今楽しいか?」

「楽しくなかったら、あなたがどうにかしてくれるとでも言うんですか」

「そういうわけじゃないさ」

そういうわけじゃない。彼は繰り返す。

スーツのポケットに手を突っ込んでいる彼に、加蓮は言う。

「じゃあ、なんのために私に何かを、あんな説教を押し付けるんですか。あの人は」

「あの人? ああ、あいつか」

「あの人は、なんのために……」

「あいつは、まあ、馬鹿だからな。愚直なやつだ。なあ、加蓮」

「なんですか?」

「最近、思うんだよ。案外と思っていたより世界って単純なのかもなって」

「はぁ? なんですか、いきなり」

「難しく考えすぎるなよ。北条加蓮」

じゃあな。

そう言って彼は歩き去る。

一人残された加蓮はひとりごちた。

「なんだっていうのよ 」

握りしめられた右手が、震えていた。

 

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