なりぞこないのシンデレラ Des Cendrillon Manqué   作:etis

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「さばかりの事に死ぬるや」
「さばかりの事に生くるや」
止せ止せ問答

石川啄木 「一握の砂」より


十章 奇遇なる日々

私の心が、もしもあの人に影響を与えられるのだとしたら。

それは、救済であるのか、あるいは断罪であるのか、それはわかりません。

あのクリスマスの日に解き放たれた私の心が、今どんな形をしているのかは、自分でもよくわかりません。

どこか歪で、けれども温かい。

そんな曖昧なことしか感じ取れません。

あの日のこと。

ステージに向かって走りだす私が、その直前まで手を繋いでいた凛ちゃんと未央ちゃんとの間、離れてしまった手のひらになにかの熱を感じたこと。

舞台の上から見える客席の、今までの経験からしてそんなに大きくもないはずの会場、そのはるか後方に見えるシンデレラプロジェクトのメンバーの持つ光芒。

終わった後、泣きはらした私たち三人に向けてプロデューサーさんがハンカチを差し出してくれて、けれど三人ともがそれを使ったせいでびしょびしょになってしまったこと。

そんな、どうでもいいようなことばかりが頭に浮かんできます。

どうでもいいような、ありふれたこと。

その温かさが。

そんな小さな熱が。

身体の芯の動力炉、私たちを突き動かすなにかの燃料になるということを、私は知りませんでした。

熱情の源が、そんな大したことのないものだっていうことを、初めて知りました。

案外と、私たちは単純みたいです。

そう。

なんてことのないものばかりでも、甘やかな力は湧いてきて、人を包み、守ることすらもできるようになる。

美しいとは言いがたいような感情であっても、私たちはそれに対してこんにちはと言い放つことができる。

悲しさや憎しみといったいとわしい感情でさえも、抱きしめることができる。

憤りや、明日への絶望ですら、私たちは。

ためらいや戸惑い、そして、目のくらむような断崖でさえ。

私たちは愛することができる。

それを愛することができたからこそ、私は前を向くことができた。

自らの脆さ。

精神の弱さ。

諦めようとする心。

それをすべて目の前に広げて、お天道様の前に広げる。

そうすることで、わかったことがある気がするんです。

怖がることも間違いではない。

逃げることも間違いではない。

負けることも間違いではない

けれど、目をそらすことだけは駄目なのだ、と。

なかったことにしてはいけない。

自らのこころとの格闘を、自ら忘れてしまってはその傷が報われない。

いくら傷ついたとしても。

いくら躓いたとしても。

いくらよろけたとしても。

私たちは自らの心に責任を持つ必要がある。

自分の人生に誠実でなければならない。

そして、それこそがなによりも重要な、大切なことで。

みんなの前に顔を上げて立つためにも必要なことでした。

……こんなことを、あの人に私がきちんと伝えられるのでしょうか?

こんな、曖昧なことを。

そして、伝えられたとしてあの人が理解してくれるのでしょうか?

理解してくれたとして、何かが変わるのでしょうか?

私の望むように何かが変わるとは望みません。

ですが、願うことが許されるならば。

叶うのならば。

みなが、笑える明日が。

あたたかに見つめ合うことのできる未来が。

私は、欲しい。

 

かさり、と書類を執務机の上に下ろす。それには、『シンデレラの舞踏会』と書かれている。前とは違い、もう『仮』は付いていない。

「シンデレラの舞踏会」

「はい」

「一月後、だ」

「……はい」

僕は、机を挟んで目の前に立っている男の来歴を思い出す。

「君たちの一年の集大成だ。何もかもを存分に出しきりなさい」

「はい。部長には、感謝しております」

「よしてくれよ。これが仕事だからね……」

手をひらひらとさせて、真面目な顔で頭を下げた彼をあしらう。

「それで勝算は、どうかね?」

「勝算、勝算ですか」

「ああ。君の思いは、美城常務を超えるかね?」

「いえ」

否定の言葉に、僕は眉を上げる。

「『私の思い』の思いではなく、『私たちの思い』です。そして、たぶんですが……」

「なんだね?」

「これは、勝ち負けというものではないのだと、私は思っています」

「勝ち負けではない、か」

「そして、正しいとか正しくないということでもない、今は、そう思っています」

「正しさでもなく、勝ち負けでもなく。……君たちは、何を目指しているんだい?」

「誰もが笑える明日を」

「明日、そして笑顔、か」

「はい」

僕は、まっすぐに立っている彼から身体をそむけて、立ち上がった。

窓際に近づいて、僕は言った。

「君は、君たちは……」

「私たちは、ファンも、アイドルも、そしてそれだけでなくスタッフのみなさんも笑える明日が欲しい。それが、私たちの願いです」

「そんなことが、できるのかね?」

「できます」

背後で、彼は力強く言った。

「誰もが笑って過ごせる未来……、そんなものは幻想ではないかね?」

「幻想であったとしても、空想であったとしても、夢想であったとしても。くじけることがあろうと、それを目指すこと自体が苦難を産もうと、笑顔を忘れるときがあろうと」

僕は、振り返る。

振り返ってしまった。

「彼女たちとならば、超えて行ける。どこまでも行ける」

私は、そう信じています。

言い切った彼に、僕はなにも答えなかった。

身動きもしない僕に、彼は会釈をして部屋を去っていった。

扉の閉まる音を聞いたあと、僕は視線を窓の外にずらして、一言、そうか、とだけ言った。

 

 

冬の雨。

その冷たさに精神を浸す。

雪になるほどの寒さでもなく、薄暗い空からそれは落ちてくる。

レッスンルームの立ち並ぶ廊下に私たちはいた。窓際に立ち、ガラスに手を当てていると、自分の魂が暮れかけた闇に開放されていく気がする。

「で?」

「はい」

振り向くと、島村卯月がいる。

「なにか、ご用ですか?」

「ええ。お礼がしたくて」

「お礼?」

「お礼、です」

「私は、なにもお礼されるようなことをした覚えがないんですが」

「いいえ」

そう言って彼女は首を振る。

彼女は、今どんな思いを抱いて私の前に立っているのだろうか。

それがわからない。

確かに島村卯月の今の顔は笑みを描いている。

けれど、それはすなわち嬉しいだとか、楽しいだとか、そういう感情を表すとは限らない。

それが私たちの仕事だからだ。

「去年の梅雨と初夏のはざまに、私たちは会ったことがあるんですよ」

「梅雨……」

「梅雨明けのよく晴れた日でした。あの日、介抱していただいたことは、よく覚えていますよ」

介抱、という言葉で、おぼろげに記憶が刺激される。

「もしかしてあの日倒れそうだったのは……?」

「そうです。北条さんは覚えていますか?」

「……思い出しました」

なぜ忘れていたのだろう?

こんなに特徴的な人を。

クリスマスのあの日から輝きを一層増した、この美しい少女を。

「すみません。今の今まで忘れていたみたいで」

「ううん」彼女は首を振って、また微笑んだ。「仕方ないと思います。北条さんは、いいえ」

音がした。

心臓の立てる音が。

「あなたは生きることに興味がないんですから」

何の変哲もない瞬間に訪れる事故のような失敗の音を。

血の気が引ける、一瞬の静寂。

「どうして……そう思うんですか?」

「ああ、違うかもしれませんね。興味はあっても、ある程度以上踏み込むことはしない。絶対防衛線を引いて、その内側に閉じこもっている。だれとも分かり合おうともせず、だれにもわかってもらおうともせず」

「何を言っているんですか?」

「プロデューサーさんに話を聞いたんです。あなたの話を。あなたの弱さを」

私は胸の中で舌打ちをする。

「……プロデューサーっていうのは、口が軽くてもできる仕事なんですね」

「プロデューサーさんを責めないであげてください。無理に聞いたのは私ですから。なにより、あなたの様子がおかしいことに気づいたのは、私じゃありませんから」

誰だと思いますか? と問いかけてくる。

「奈緒か、凛か。あるいは、美嘉のプロデューサー、そのどれかかな」

「おしいですね。そのどれかじゃなくて全員です。みんな、あなたのことを好きなんですよ」

「……それで、どうして島村さんが私にその話を?」

彼女は私の言葉を無視して、窓に近づいた。

横目に見ても、彼女の表情は変わらない。

「北条さんは、私のことをどう思っていますか?」

「どう、と言われても」

「誰にでも笑顔を振りまく、優しい人だ。って思ってませんか?」

私は何も答えない。

それは肯定を表す。

「だと思いました」

そう言って彼女は笑う。

優しい笑みで。

暖かな弧を描く唇。

「あなたは凛ちゃんに似ていない、ってプロデューサーさんは言ったみたいですね」

先ほどまでの自分のように、彼女は手のひらをガラスに当てる。

温かさに、ガラスが一瞬白く濡れる。

「その話を聞いた時、私、似てるなって思ったんです」

「誰が、何に」

「私が、あなたに」

「そんなわけはないですよ」私は苦笑交じりに答えた。「私と島村さんじゃ、全然……」

「私は、すっごく似てるなって思ったんです。ためらっていること、勇気がないっていうことが。私もそうですから」

「私が何をためらっていると? 何を、何から逃げているって言うんです?」

「わからないんですか?」

「私は、逃げてなんかいない」

この時会話の中で初めて彼女は笑みを崩した。

そして、ため息をついて、「そうですか」と言う。

「まずは私の話を、聞いてくれますか」

「どうぞ」

「ありがとうございます」そうお辞儀すると、彼女は再び笑顔を浮かべる。

「クリスマスの時、私はみんなのおかげで前に進むことができるようになりました。なんの自信も、裏付けもないけれど、ただみんなと一緒に進みたいから、到達したことの峠の先を、輝く光の向こう側を見たいと思ったから、私はあのとき歩き出すことができました。私は、みんなのことが大好きだから。大好きなみんなと一緒にいたいから。そう思ったから」

「それで?」

「それで、私は思ったんです。私がみんなのことを好きなのと同じくらいに、私は愛されているんだなって」

私は目を力強く閉じて、息を深く吸って、吐いた。

何かを吐き出すように、忘れるように、自分を制御するために。

目を開けて、私は彼女を促す。

「いいよ。続けて」

「はい。それはそれで終わりなんですけど、プロデューサーからあなたのお話を聞いて、思ったんです。あなたは、奈緒ちゃんと凛ちゃんから信頼されている。それだけじゃなくてKroneのメンバーとしてきちんと活動している。私や、未央ちゃん、ほかのシンデレラプロジェクトのメンバーも、あなたのことはすごいと思っているんです。トライアドの話なんかも……。だから、みんなあなたのことが大好きなんです」

「ま、わかってはいるよ」

私は肩をすくめる。

「多少は、私は信頼されているっていう自負はあるよ」

「ですけど」

「けど?」

「あなた自身は、そうじゃない」

「ふぅん?」

「凛ちゃんに執着したのが、なぜだかわかっていますか?」

Project Kroneの黎明。Triad Primusの結成の前日譚。

なぜ北条加蓮が渋谷凛に執着したか?

アイドルになる道が、Triad Primusしかないこと、すなわち渋谷凛を説得するしかなかったことは確かだ。

そして、それだけだったはずだ。

「こう思ったことがあるんじゃないですか?」

そう言って彼女は口を開く。

笑っている。

嘲笑っている。

それは私の錯覚かもしれない。

『なぜ、渋谷凛の横に立つのが私ではなかったのか』

その言葉を発し終えた彼女の唇は、生暖かな血のような赤色をしていた。

どこかのレッスンルームの扉が開いて、喧騒が私たちを撹乱する。

「シンデレラプロジェクトの初期ユニットとして、New Generationではなく、Triad Primusが入っていたら……。そう思ったんじゃないですか? そうだったならばよかったのに。そんな世界ならば、凛ちゃんともっと言葉を交わすことができたのに。信じられる幸せを、裏切らないと確信できるような幸せを、手に入れられたかもしれないのに、と」

「私は……」

「私ですら思ったことがあるのに、あなたが思わないはずがない。もしも、凛ちゃんとあなたたちが先に出会っていたとしたら、New Generationを作れるか? そう考えると、私は胸が苦しくなります。私は、できればそんなことは考えたくない」

彼女は、まるで泣きそうな顔をしている。

「けれど、奈緒ちゃんはそうじゃない。考えて、考えて、考えた末にあなたの隣に立っている」

「なぜ奈緒の話を、島村さんがするんですか?」

彼女は何も答えず、代わりに可愛らしく首を傾けた。

そして、私の背後を指差す。

「詳しい話は直接本人に聞いてみてはいかがですか?」

その指の先、廊下の角に私は彼女を見つける。

「よ、よぉ。加蓮……」

「奈緒……」

神妙な面持ちで近づいてきた奈緒は、いきなり頭を下げた。

「ごめん! 加蓮! 盗み聞きするつもりはなかったんだけど……今の話聞いてて、これだけは言いたいんだ」

「なにを?」

「あたしは、あたしたちがあるのは、今Project KroneとTriad Primusがあるのは、シンデレラプロジェクトとNew Generationがあってこそだと思ってる。New Generationがなかったら、たぶんあたしたちは、違うあたしたちになってたと思う」

それは、あり得たかもしれない未来。

「もしも、もしもTriad Primusが最初からあれば」

そう始めてから奈緒は、

「たぶん、楽しいと思う。いろんな初めてがあって、ラジオに出るのだって三人揃って初めてで、ライブのときの失敗や成功も、みんなみんな分かち合うことができて、凛に頼りっぱなしじゃなくて、三人で前を向いて歩くことができて……。キラキラして、大変かもしれないけれど、想像すればするほど羨ましくなる、綺麗な世界」

と続けて、けれど、と切った。

奈緒は、私の手を掴み、何度か深呼吸をする。

「けれど、そうじゃないんだ。それは、私たちじゃないんだ。加蓮」

涙を目尻に貯めた少女が、初夏のあの日に初めて出会った相棒が、唇を震えさせながら、告げた。

「今ここにいるのが、私たちなんだ。Triad Primus、それが私たちのユニットなんだ」

「奈緒……」

「あの日、あたしがアイドルになってから、初めて、本当に初めての仲間だと思ったのは、凛でも、鷺沢さんや唯や美嘉でもプロデューサーでも他の誰でもなくて、それは、加蓮なんだ」

それは愛の告白のように。

「ずっと、ずっと、あたしは加蓮の隣にいた。だから知っている」

思い出す。

夏の日々。汗にまみれて、お互いの疲れ果てた様子を笑いあったことを。

秋の日々。二人で耐えた明日の見えない日々を。

冬の日々。軋んだ関係を、無視し続けた結果の、薄氷のような日々を。

そして、これから来る(きたる)、春の日々。

「理解はできなかったけれど、シンデレラプロジェクトのプロデューサーとの話も聞いた。それを聞いて、なんとなくだけど、今まで意味ありげに言っていたことを思い出したんだ。だから知っている」

奈緒が鈍いと思って何気なく漏れていたかもしれない、私の心。

「世界で一番私たちの歌を、Trancing Pulseを歌ったのは凛じゃない。あたしと加蓮なんだ。だから知っている」

燃え盛る篝火のそばにあるかのように、掴まれた腕が熱い。

「だから知っている! 加蓮の輝きを、あの日、あのライブでの加蓮が、心から楽しんでいたことを!」

私は、その瞬間に奈緒の目尻の涙が落ちたことに気づいて、「あ……こぼれた」と小さく声を漏らす。

彼女はそんな私に頓着せずに、ぼろぼろと涙をこぼしつづける。

「信じてくれ、加蓮! 加蓮はあの日、本当に楽しかったはずなんだよ。あの日、三人で遊んで帰って、どれほどあたしが次の日を楽しみにしたことか! あの日は絶対忘れない、忘れやしない! 加蓮は、私たちのことが嫌いかもしれない。信頼していないかもしれない。冷笑主義の屁理屈頑固者かもしれない。それでもいい。そんなことはどうだっていいんだ! 本当に一つだけ、たった一つでいいから信じてくれればいい! あの日、加蓮は本当に楽しかったってことを! 加蓮は、あの日心の底から自分自身を愛することができたんだっていうことを!」

言い切った奈緒は、息を荒げて肩を上下させている。

「あの日、かぁ」

我知らず漏れた声に、自分自身驚いた。

克明に思い出せる出来事。脳裏に描かれる丸一日。

「分かんないなぁ……」

考えれば考える程わからない。

私は本当にTriad PrimusがNew Generationになり変わればいいと思っているのだろうか?

みんなのことが大嫌いなのだろうか?

島村さんと私は似ているんだろうか?

もしもを考えるのは、そんなにいけないことなのだろうか?

奈緒が言っていることは正しいんだろうか?

わからない。

本当にわからない。

まったくもって理解できない。

「分からなくても」

後ろから静かに声が降り注ぐ。

「分からなくても、考えて考えて、頭を使って使い果たして。もう無理だと思ってもあきらめないで。それでも出てきた何かが、たぶん本物なんだと思います」

「本物……」

それもまたよくわからない。

色々なことが頭の中を飛び交って、宇宙線のようにそこら中の情報を書き換える。

それでも生き残る何か。

それって、なんだろう。

その時、嗚咽を漏らして俯いていた奈緒が頭をあげた。

「なあ、加蓮」

奈緒の顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。

「あたしも、よく分かんないけどさ。加蓮みたいに難しい悩みなんかもないけれど。それでも、たぶん。たぶんだけどさ」

袖で目を拭い去り、奈緒は笑った。

「加蓮、もう一度、踊りたくはないか?」

「踊る……」

「もう一度、あの歌を。みんなの前で」

「みんなの前で」

「ああ、歌うんだよ」

あの日のように。

光を浴びて。

音の波紋を世界へと投げつけてやることは。

ああ、自然と思いついた言葉がある。

本当に、動物のように原始的な反応で。

いつものような冷笑なんかもできず。

自然と笑みを浮かべて私は言った。

「楽しいだろうね」

そう言うと、奈緒は涙を堪えるかのように一瞬うつむいた。

「そうだろ」

それは、よく抑えられた声だった。

「楽しそうだろ。それでいいんだ」

そう言うと、奈緒は顔をそむける。

嗚咽が漏れ聞こえてくる。

私は呆れたように笑う。

「まったく、奈緒は泣き虫だね」

そして、彼女の頭を抱きしめた。

私の発言に不満を言うように声をあげたけれど、そんなことは無視してやる。

窓の外に目を向けると、雨はまだ降っている。

けど、明日は晴れるといいな。

そんなことを、私は静かに思った。

 

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