なりぞこないのシンデレラ Des Cendrillon Manqué 作:etis
「渋谷さん」
一人黄昏れる。
そんな私の後ろ姿に、彼は何を感じたのだろう?
「プロデューサー」
「こんなところにいたのですか」
その言葉の後ろには何が続くんだろうか。まだ寒いのだから、気をつけてください、かな。
「うん……」
ライブの成功を祝して行われたパーティ。社内のカフェを貸しきって、舞踏会に参加した部署みんなのお祝いだ。ご飯も飲み物も、余興もなにもかもふんだんにある。
そんな華やかな宴の席で、誰も彼もが浮かれて、呆れて、笑って、泣いて。
「ドレス、良くお似合いです」
「ありがと」
私の首元を覆う薄いサテン地のショールが月光を照り返す。
青いドレス、赤いドレス、黄色のドレス、ニュージェネレーションのみんなを見て、加蓮は信号機のようだと笑った。
その加蓮と奈緒は私と似た色合い、つまりは青色に近い、けれど露出度の全く違うドレスを着ていた。
ぱっくりと割れているドレスのせいで惜しげも無く晒されている奈緒の背中を、同じような背中の露出が多いステージ衣装を着たことのあるラブライカの二人が面白がり、いじっていた。
加蓮は逆に露出の少ないドレスに丈の長いグローブを合わせ、澄ましてさえいれば淑女のようだった。
他のみんなも、ドレスやとっておきの装いに身を包み、一つの終わりを楽しんでいた。
いまも、カフェの中からたくさんの笑い声。
泣きそうなほどの嬉しさと、笑いたくなるほどの寂しさがあった。
気が早くも少し春めいた冬の空気が、髪の毛を撫ぜる。
静かに彼は私の横に立つ。
「主賓が、ここにいていいの?」
「あなたも。いえ、みながそうですよ」
「……それもそうだね」
雲が行ったり来たり。月の上のハイウェイ。
「そろそろ、あなたと出会って一年、ですね」
空を見上げて、私は頷く。
「いろいろなことが、ありました」
「それは……」
くるり、と私は首を回して彼の横顔を見つめる。
「それは、楓さんのことも?」
問うと、彼は静かに目をつむった。
「はい」
「結論は、出たの?」
彼は微動だにしない。
動くのを待つ。
秒針が一回りするほどの時間。
彼は私のほうに顔を向けた。
「知っている、のですね」
「うん」
彼はため息をついて、「部長か、あるいは城ヶ崎さん、ですか?」
首肯を返す。
「私は、たぶん、いいえ……」
彼は無表情だけれど、顔が赤い。
そういえばパーティの中で彼はお酒を飲んでいたかもしれない。
彼がお酒を飲む場面を、初めて見た。
「あなたと出会った時、私の時計が進み始めたんです」
「それって……」
そう言って薄く顔を緩めた彼の顔を、なぜか私は見続けられなかった。
「そ、そう」
「あなたは、渋谷さんは私の大切な人です。もちろん島村さんや本田さん、それにシンデレラプロジェクトのみなさん、それだけではなくこの一年出会ったすべての人達が私にとっての大切な人です」
「……それ、私も思うな」
カフェの外の綺麗な静けさ。
聞こえてくるあたたかな騒音。
夏のライブを思い出す。
あの日の早朝、露に濡れた草原を。
そして、夜の火照った身体を冷ます、星々の白さを。
「ねえ、プロデューサー」
「はい」
「あのとき、夏のライブのとき。プロデューサーはさ、『楽しいですか』みたいなこと聞いてきたよね」
「はい」
「今の私を見て、どう答えると思う?」
「それは……」
彼は生真面目に考えこむ。
そんな様子が可笑しくて、私は笑ってしまう。
「別にそんなにまじめに考えなくてもいいのに」
「おそらく、ですが」
「え?」
「おそらくですが、私と今の渋谷さんが考えることは同じなのではありませんか?」
私は一瞬動きを止める。
「呆れた……」
「え? な、なにか変なことを言ってしまいましたか?」
「ううん。なんにも……」
なんとも恥ずかしいことを考えてしまった。
取り繕うように咳払いをして、
「で、楓さんはどうするの?」
「どうする、と言われましても、みなさん勘違いしているようですが」
「? どういうこと?」
「私と高垣さんの物語は、もう終わっているんです」
「そんなことは」
「終わっているんですよ。あの時。すでに」
「そんなので、いいの?」
「だからこそ、ですよ」
柔らかに微笑む。
「終わってしまったからこそ、また始めることができる。今は、そう思っています」
「そう、なんだ」
「ええ」
「よかったね」
「はい」
そっけない言葉の応酬。
だが、彼と楓さんの二人の関係が、少しでも良い物になる。それは予感ではなく確信だった。
二人無言で空を見上げている。
「まだ、夏の大三角は見えないかな。早すぎるかな」
「星座には詳しくありませんので」
「そう」
「星座は、詳しくありませんが。あの日のあなたたちは本当の星のように輝いていました」
「そう。みんな、きらきらしてた」
「あなたも、ですよ」
それを無視して、
「楓さんは?」
と問いかける。
「プロデューサーは、楓さんを見てどう思った?」
「私は……」
背後からヒールの足音。
「聞いておいてなんだけれど、私には言わなくていいよ」
「はい?」
くるりと後ろを見る。
「こんばんは」
「こんばんは。楓さん」
横目で彼をうかがうと、目を見開いて驚いた様子だ。
「楓、さん」
「答えは、直接言ったほうがいいよ」
「渋谷さん……」
それを無視して、私は楓さんの横を通ろうとする。
「凛ちゃん」
「え?」
「狙いましたね?」
私はそれに何も言わず、ただ笑い返した。
パーティを抜けだした二人、彼女が気にしないはずはない。
短くため息をついた彼女は彼に向かって歩き出す。
去り際に、
「……ありがとう」
と、小さく言い残して。
私は二人から遠ざかる。
楓さんと私の靴音が呼応しあう。
カフェの中に入ると、入り口のそばの壁によりかかっていた美嘉が声をかけてきた。
「どう? 首尾は」
「さあね。あとはあの二人の関係だから」
「それもそうだね」
肩をすくめた彼女と、私たちは歩き出す。
かしましく騒いでいるアイドルたちのもとへ向かいながら、ちらりと後ろをうかがう。
外にいる彼らの姿を見られるわけではないけれど、たぶん、うまくいくだろう。
彼らの時は動き出した。
ただ、今だけはその時計の盤面を見る必要はなく。
その時が進むということだけを信じられれば、それでよい。
春だ。
私は思う。
彼女と初めて出会ったあの日のように月の明るい夜だ。
私はあの日のことを思い出しながら、肌寒さの中にぬくみを含み始めた夜風を頬に、歩いている。
耳にはイヤホンを付けていて、軽快なポップミュージックを流している。
それは、私たちの今度の新曲だ。
頭の片隅の自分が、来る日のために身体を動かしていることがわかる。
左手を前に突き出すと同時にステップを踏んで、見得を切って、転調と同時に身体を翻し三人でフォーメーションを……。
そう。
今度のはマイクスタンドを使って歌うのではなく、きちんとダンスを踊る。初ライブ以来、私たちは同じ曲、Trancing Pulseしか持ち歌がなかった。そしてそれは、マイクスタンドの前に立って歌うもので、それほど激しい動きはできないものだった。
だが、今度は違う。
新曲は自分でマイクを手に持ったまま、パフォーマンスをする必要がある。自由度も増えたぶん、運動量も増える。
だから、二人は私の身体のことを心配する。
それが心地よく、くすぐったい。
緩んだ頬を隠すように、私はほほを手のひらでこする。
あの日と同じく、人の絶えないこの街。
信号が赤から青に変わる。
静かな川のように人が流れていく。
音楽の向こうの人混みは、まるで枝垂れ桜のかかったせせらぎのように聞こえる。
そんな流水は、岩にぶつかり、分かたれる。
あの時のように彼女はそこに存在していた。
空を見上げていた凛は、近づいてくる私に気づいたのか薄い声をこぼした。
「ああ……加蓮」
私は手をポケットに突っ込んだまま、話しかける。
「凛」
二人そのまま歩き出す。
流れを分けていた柱が二柱、流れだす。
「今日は、仕事だった?」
薄く上気した顔に、私は問いかけた。
「うん」
「……久しぶりにプロデューサーに会えた?」
「うん」
「元気だった? あの人は」
「元気だよ。二期生は人数も多くて大変らしいけど……」
彼女はシンデレラプロジェクトのプロデューサーの近況を話して聞かせてくれた。そして、一段落したところで、話題は別なところに移った。
「奈緒は、結局新田さんと同じ大学に入ったんだっけ」
「うん。学部は違うらしいけどね」
「ふうん。ラクロスでも始めるのかな」
「どうだろうね」
彼女はくすりと笑った。
その笑みが、本心からのものであるということを私は知っている。
だから、私は見惚れた。
「なに、どうかしたの? 加蓮」
見つめていたことに気づいたのか、凛が首をかしげている。
「なんにも。ただ、楽しそうだなって」
「……加蓮も、楽しそうだよ」
「そう?」
そうだろうか?
「奏とのユニット、忙しそうにしてるでしょ」
「ああ、うん。忙しい」
速水奏とのユニット、モノクロームリリィ。
「レッスンの回数が少ない代わりに中身が濃くてね」
Kroneのリーダーとして忙しい奏、トライアドプリムスとの兼ね合いもある加蓮。そしてふたりとも高校生である。
必然、そうそう予定が合わず、合ったとしても短い時間に濃密なトレーニングをする必要がある。
「私は体力がやっぱり不安だからね」
そう自嘲するように笑う。
シニカルに考えてしまう癖は、そうそう抜けるものでもない。
私は、変わらない。
「それでも歌は歌えるんだよね」
「まあ……。正直なところを言えば、この問題は結構心因性のものだからさ」
「心因性、ね」
自分に対する不信、不安。
そうそう人は変われない。
変化というのは、その先が正しいとわかっていてもなお恐ろしい。
「凛は、強いよね」
「え? そう、かな」
「けど、弱くもあるよね」
「ん……? どういう意味?」
「凛はすごいよねって話」
「またぁ……」呆れたような顔をして凛はため息をつく。「加蓮は時々私を買いかぶるよね」
「そうかな?」
「そうだよ。私はそんなにすごくないよ。すごいのは、たぶん卯月とか、未央、奈緒。それに、加蓮だって」
「私?」
「だって、そうでしょう? 卯月もそうだったけど、小さいころの夢を叶えたんじゃない」
言われて、私は足を止める。
「小さいころの夢、か」
「あれ、違うの? なんか面接のときそう言ったって美嘉のプロデューサーから聞いたんだけど」
「違わないけどね」
面接でそう言ったのは、建前だった。
一応、本当に小さいころにそれを思ったことはある。
ステージの中心に立ちスポットライトを浴びることを。
ただ、それは誰しもが描く夢じゃないだろうか?
アイドルとしてでなくとも、何かで人から秀でたいと、優れた者でいたいというのは、誰しもが持っている純真で、そして薄汚れた夢。
「凛は、昔そういうのはなかったの?」
「私?」ちょっと唸ってから「私はあんまり、かな」
「へえ? 全然興味なかったの?」
「ううん。そういうわけじゃないんだけど……どう言えばいいかな」
二人自然と立ち止まる。
住宅街の真ん中、車止めのそば。
遠くから車が作り出す環境音。
塗装の剥げかけた車止めに寄りかかって、凛は後ろに傾く。
表情が見えなくなる。
「私って、臆病なんだ」
だから。
「そういう欲望自体、持つことが怖かった。持っている自分を認めたくなかった。けれど、純真に輝きを求める人たちを、初めて見たから」
誰のことを考えているのだろう。
卯月とプロデューサーか? 本田未央、赤城みりあ……?
「私も、私のことを認めてあげようって。そう思えたから。私は、夢を持っていいんだって、思えたから」
そう言って、彼女は私を見る。
「そう、なんだ」
「加蓮は?」
「私は」
どうだろう。
今、自分のことを認められるだろうか。
私は、私の夢を信じているだろうか。
「けど、加蓮は聞くまでもないかな」
凛は苦笑する。
その言葉の意味がわからず、私は問いかける。
「どういう意味?」
「加蓮は、猪突猛進だからね」
「え」
「加蓮って、案外思いついたら即実行ってところ、あるよね。行動力」
「そ、そう?」
「そうだよ。私のことをトライアドに誘ったときなんて、結構強引だったじゃん。奈緒は慌ててたしねー。私も困ったし」
「それは……」
「あ、悪いって言っているわけじゃないんだ」慌てたように手を横に振り、凛は言う。「けどね、加蓮は、たぶん加蓮が思っているよりも単純だよ」
足元の石を蹴り飛ばして、凛が言った。
「加蓮のいいところって、そういうところじゃないかな」
「単純、って言われるのなんかフクザツ……」
しかもそれがいいところと言われても……。
「ふふっ。ごめんごめん」
けどね。と凛は立ち上がる。
「たぶんだけど、加蓮は複雑でめんどくさいんだけど……」
「めんどくさいって言うな」
「けど、たぶん一周回って単純なんだと思う」
ぼそりと呟いたつっこみを無視してか聞こえなかったのか、凛が会心の笑みを浮かべている。
「……はぁ、凛が私のことをどう見ているかわかったよ。私、帰るね」
「うん。また明日」
ひらひらと手を振って、凛は私を見送る。
住宅街の中を歩くと、すぐに角を曲がることになる。
凛の姿もすぐに消えて、私の影も彼女からもう見えない。
「また明日、か」
そんな言葉で喜んでしまう私は、単純なのかもしれない。
その一方で単純では嫌だなあ、と思う自分もいる。
けれど、私はまたほほを手のひらでさする。
ほほが少しゆるんでいる気がする。
ああ。
もう。
どっちでもいいかもしれないな。
余白
からり、と扉の開く音がした。
続けて革靴の立てる小気味良い音。
目線を向ける必要もない。
その足音はつながりを保ったまま、僕の後ろで立ち止まる。
「久しぶりだな、今西」
ゆっくりと振り返る。
「ああ、君か」
あの頃と同じく、細身の筋肉質な身体をスーツに包んだ彼。
「今日も、そのスーツなのかい?」
ここは個人経営の小さな居酒屋。彼の高級なスーツは浮いている。
彼は肩をすくめる。
「お前も、そのほつれかけたセーターはやめろと言っているだろう」
「いやいや、これは実に暖かくてね……」
「まったく」
言いながら彼は僕の横に断りもなく腰掛ける。
カウンターごしに容赦なく酒を頼んだ彼は、店主が差し出したおしぼりで手を拭きながら、「で、あいつらはどうなった」
今度は僕が肩をすくめる番だ。
「知っているだろうに。お膳立てしたのは君だろう?」
彼はむっつりと黙っている。
「まったく。この歳になっても君に振り回されることになるとはね。あの娘も、彼女たちも、彼も不憫なことだ」
「俺が黒幕だとでも?」
「少なくとも、彼を拾ったのは僕じゃない。君だ。そしてあの娘が帰ってくるのも、僕は直前まで知らなかった……」
生中おまちぃ。店主が言う。
「ああ……」
そうこぼした彼は、ごくり、と一息でジョッキを半分ほど開ける。
「まあな、けど、ここまでうまくいくとは思ってなかったさ」
「彼を成長させること、あの娘を成長させること、アイドルたちを大量に発掘し、育てあげること……。すべて、君の書いた筋書き通りだ」
「よしてくれよ。ここまでうまくいったのは俺の手柄じゃない。ただまあ……」
「なんだい」
「俺は、信じてたからな。ずっと。あいつらなら、いや、俺が信じた子供であり、男であり、そいつらが見出した少女たちだ。できないはずがないだろう?」
そう言うと、彼はいたずらげに笑い、ジョッキを差し出す。
「……まったく。僕は日本酒なんだがね」
「おちょことジョッキで乾杯して悪いって法もなかろうよ」
「ああ、まあそうだね」
それじゃ。
「乾杯」
そうして、僕たちは話しだす。
あのころと同じように。
僕達の周りの、素晴らしい人々の、素晴らしさを。