なりぞこないのシンデレラ Des Cendrillon Manqué 作:etis
ビルに設置された大きなからくり時計の周りを、小さな人形がせわしなく走り回る。
まるで、小人の物語のように。
私たちの人生は、大きな太陽の周りを走る小さな地球の上で、大きな社会という歯車にのっかっている小さな生でしかない。
そう考えても、あるいはそう考えなくても、私たちがなんで生きているのかなんて、誰も知らない。
私は、有り余るほどの時間を、その思索に費やしてきた。
病室の窓から見える空は、いつも青くて、怖いほどに澄み切っていた。
テレビから流れる流行りの音楽は、この街の空が狭いと歌っているけれど、私にとっての空はどの街にいったところで同じだろう。
そう考えながら、手をかざしてみると、影が顔に落ちる。
じくじくとした痛みが、体を襲う。
私は別になにか病気をわずらっているわけではない。
ただ、体が弱いだけ。
小さなころの夢はアイドルになることだった。
遊園地で見かけたそのアイドル。私はその姿に魅了された。
今思えば場末の泡沫のような立場だったのだろう。テレビでもその姿を見たことはない。
けれどもその歌う姿は、踊る姿は、汗をきらめかせてステージを駆け回るその姿は少女を魅了するのには十分なほどに熱量があった。
私にとっての憧れは、しかし、その夜に潰えた。
興奮しすぎたのか、皮肉なことに、私はその日の夜遅くに発作を起こし、入院することになった。
脂汗にまみれながら、私はうっすらと、痛みにおかされながら思った。
ああ、私は、ずっとこのままなんだな。
それは、別に悲観的な色合いを持った感情ではなくて、信じられないほどにすんなりと受け入れることができた。なにをしたところで意味はないし、生きていることには、死んでいないということ以上の意味はない。今日、今この瞬間に意識を失いそのまま死んだとしても、結局それは明日の朝に気づく自分がいないのだから、無意味だ。
生きることは、無意味だ。
そんな、斜に構えたことを考えるようになったのは、小学校のころのことで、それからずっと私はそんなままだった。
今もそうだ。
目の前にいる男、金髪で背の高い男が私に向かって懸命に話しかけている。ピアスを唇につけていて、かかった唾のせいか知らないけれど光っている。
私は、携帯電話を見ながら、しかも音楽を聞いている。
つまるところ、彼の話を聞く気なんてさらさらないのだ。
それが、なおさらに彼を必死にさせているということはわかっていて、しかも、ここが夜の街であり、もしかしたら身の危険があるかもしれないとわかっていても、私にはどうでもよいことだった。
もしかすると、破滅願望があるのかもしれない。
ふふっと口が笑みを描く。
携帯電話をいじりながら、私は駅に向かって歩き続ける。
さすがに無視しすぎたか、駅が目の前にある交差点を待っているときに焦れた男が私の携帯電話につながったイヤホンを奪おうとする。
怒気に満ちたその赤い顔を見ても、あるいは、彼の大きな手が私の顎を抑えて、その指にはまった指輪についたシルバーアクセが刺さって首のあたりが痛くても、私は、面倒くさくて大した反応もしなかった。
罵声を浴びせてくる男の唾が降ってくるのを鬱陶しく思う。
彼の肩越しに、周りの人間が見て見ぬふりをしているのがわかる。
ああ、そうだね。
私だってそうするよ。
駅の上の空。月が見える。
病室からずっと見えていた月。
明るい明るい満月。
ああ、もうそんな月齢か。
「なんか言えやオラァ! てめえ、スカしやがって!」
なにか?
なにを言えばいい?
私は鼻で笑う。
「月が見える」
「…………っはぁ?」
「あんたの肩越しに月が見えるよ」
「……ってんめぇ!」
ついにしびれを切らした男が、左手を振り上げる。
ああ、痛いんだろうな。
けれど、まあ、別にいいか。
そう思ってとりあえず目くらいはつむっておこうと思ったのに、いくら待っても痛みはない。
いくら痛みに慣れているといっても、さすがに殴られてわからないなんてことはないのになあと思いながら目を開けると、男が驚愕に目を見開いている。
なんでだろう、そう思いながら目線を振り降ろされかけている手にやると、私にたどり着くすんでのところで別の手がそれを押さえ込んでいることがわかった。
さらにそのまま目線を向けると、そこには黒い猫がいた。
もちろん、猫、というのは比喩にすぎないけれど、その瞳は猫のように澄んでいたし、黒々とした長い髪は綺麗な満月の下であっても真っ黒なまま照り輝いている。青いジャケットに左手を突っ込みながら、片手間に男の手を止めている彼女は、なんのためにそんなことをしたんだろう?
「あぁん!? オメエもこいつの仲間か?」
その女性は、私の肩を持って少しだけ後ろに下がらせる。
「違う」
「違うゥ!? じゃあなんで俺の邪魔しやがった!」
激昂する男に対して、その女性は、無表情に答えた。
「あんた、臭いんだよ」
「俺の香水はたけえんだぞ!?」
「そうじゃないよ」
あんたはね、臭いんだ。そう言いながらその女性は手を離した。
男は忌々しげに女性を見て、面倒になったのか踵を返す。
一人で何事かをつぶやきながら離れていく様子を鋭い目で眺めるその女性は、よく見ると、そんなに年の変わらない少女だったということに気づく。すっと筋の通った鼻、ちいさめの唇。飾りっけの薄いユニセックスのジャケットと濃い色のスキニージーンズが、よく似合っていた。
ふと私の目線に気づいたのか、こちらに笑いかけた。
「大丈夫?」
「う、うん」
「怪我は……ないみたいだね」
そこで彼女はもう一度笑顔を浮かべた。
「あの、あなたは?」
「私? 私は大丈夫だよ。あなたの名前は?」
「私は……」
私の名前。
「私は、北条加蓮」
「じゃあ、加蓮。とりあえずしばらくはここには来ないほうがいいよ。あの男にまた会うかもしれないからね」
「う、うん……」
真摯な瞳で、彼女が言ってくる。
私は、その瞳に押されて頷いてしまう。
「よし。じゃあ……」
そう言って、彼女が体を翻す。
「あっ……」
ありがとう、と言う暇も名前を聞く暇もなく彼女は歩き去っていった。
不思議な娘だ。
自分のことを棚に上げて、私は少し笑った。