なりぞこないのシンデレラ Des Cendrillon Manqué   作:etis

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いつも睨むラムプに飽きて
三日ばかり
蝋燭の火にしたしめるかな


石川啄木 「一握の砂」より


一章 慣れない日々

「なんでポッキーってこんなに美味しいんだろう」

私は一人、だらりとソファの上で足を伸ばしながらうめいた。

しなくちゃいけないことがなにもない夜のリビング。

両親も仕事で遅いし、なにもすることがない。

マニキュアで遊んでもいいけれど、今日はそんな気分じゃない。

とりあえず、そろそろ静かさがうっとうしくなってきた。

ガラスのテーブルの上に置かれたリモコンを操作して、テレビを付ける。

リモコンを放り出して、ソファに体を預ける。

テレビの中では、アイドルたちが歌を歌い、踊っている。男性だろうと、女性だろうと、アイドルにあんまり興味がないけれど、話を合わせることができるくらいには知っている。

みんな、案外とアイドルが好きだから、自然と詳しくなる。

さすがにライブなんかには行ったことはないけれど、CDを借りたことはあるし、ネットで聞くこともある。けれど、顔やアイドルのパーソナリティにはあんまり興味がなくて、どうしても覚えているのはメロディだけだったり、歌詞だけだったりする。

今見ている番組に出ているアイドルたちも、聞いたことのある曲だとは思ったけれど、結局誰だったのかは思い出せなかった。

そうこうしているうちに番組は新人アイドルをおちょくって、笑いを取るようなパートに移っていた。

ちょっとだけむっとしながら、リモコンを取り上げようと体を起こす。

だが、その瞬間に見えたその顔が、行動を止めさせた。

「は?」

待った。

「あのときの娘?」

なんであの娘がアイドルなんかやってるんだ? いやたしかに綺麗な娘だなあとは思ったけれど。いや、待てまあなんでこんなに私は驚いているんだ。別にそれくらい変でもなんでもないだろう。

「んん……?」

いやいや。待てよ……? あの顔、見たことがあるかも……。あのときじゃなくて、もっと前に……。

行儀悪くあぐらをかいて、ホットパンツの裾が乱れて大きく開いても気に留めずに腕を組み考えこむ。

むむむと額に指をあてて考えることしばし。

「あぁ!!」

中学のころのあの娘だ!

同じクラスだったのは中学一年生のころだ。女子にしては成長の遅かったあの娘は、背がちいさくて、髪型もいまとは全然違っていた。いつもショートボブで、まるで男の子のようだった。周りよりもちいさくて、しかも人当たりが良くないせいか、ちょっと目立っていたけれどそのことを気にもせずにいつも超然としていたことを覚えている。

授業中は眼鏡をかけていて、成績もよかった。運動神経もよくて、愛想さえよければみんなの輪の中心になれるくらいにすごい子だと思っていたけれど、残念ながらそういう娘ではなかった。

「なんて名前だっけ…………」

うーんと再び考える。

「あっ、卒アル!」

ぱっと飛び出して二階にある自分の部屋に走りこむ。

クローゼットの中にしまいこんでいた卒業アルバムは、少しほこりをかぶっていた。それをリビングに戻って広げると、懐かしいような、悲しいような記憶がよみがえる。

ぱらぱらとめくりながらこのあいだ街で出会った顔を探すと、すぐに見つかった。

卒業写真なのに、彼女は一年生のころと変わらず仏頂面で、私は笑ってしまった。

彼女の名前をキャプションから読み取る。

「『渋谷凛』」

渋谷の渋谷凛。

「ぷっ……」

申し訳ないとは思ったけれど笑ってしまった。

「なるほどねえ」

同じ中学ということがわかったならば、連絡先もどこかにあるはずだ。中学一年生のころの連絡網を探せばいい。

そこまで考えて、はたと気づく。

私、なんのためにこんなことしているんだろう?

彼女に対する興味なんて、なかったはずだった。

一年生のころ、彼女と話したことが何度かある。

彼女は、強い女性だった。

強くて硬い女性だけれど、脆い女性だった。

いつも一人でも、私は平気です、なんでもないです、世界はつまらないです。

なんて言ってしまうようないわゆる中二病だった。

いま考えるとそう判断してすぐに接触しなくなった私も大概な中二病なんだけれど。

さて、なんで彼女がこんなに気になるのか?

「……ああ」

なんで彼女があんなに楽しそうなのか、それが気になるんだ。

まわりにいる女の子たちも、楽しそう。

私が持っている笑顔とは違う笑顔だと、分かる。

私の笑顔は、そういう笑顔じゃないって知っている。

そう。私と同じくらいにつまらない笑顔だったあの娘が。

昔は、あんなにつまらなそうな顔をしていたあの娘が。

きらきらと光る星になっているのはなんでだろう。

「気になるなあ」

どうしたらそれを知ることができるだろう?

直接聞くのも能がない。

それに、たぶんああいうタイプは自分のことがわからないから、聞いても無駄。

さてとなると……。

「うん」

私はもうすでに切り替わった番組を見ながら、ぼんやりとつぶやいた。

「決めた」

とりあえず、アイドルになってみよう。

 

 

私の身体は欠陥品だ。

アイドルになろうと思ってから数週間。書類審査も通過し、来週には面接が控えている平日の早朝。朝の光が差し込む自室で着替えながら思う。

スポーツブラを付けて、巻き込まれた髪の毛を外側に引っ張りだす。色素の薄い髪の毛に対して、肌は少し色が黒い。

ジャージ姿になった私は髪の毛をくくる。

ヘアゴムを咥えながら髪の毛を後ろにまとめて、持ち上げる。

姿見に映して、全身をチェック。

「うん。よし」

ウォータープルーフの化粧品は持っているけれど、基本的に付けない。肌がそんなに強くない。

小銭や携帯、イヤホンなんかを身につけて部屋を出て玄関まで歩くが、家の中は静かだ。

親が寝ているからではない。いないからだ。

彼らが帰ってくるのは週に一回だけ。日曜の夜。

その時だけは家族が揃うことになっている。

それは、三人が家族であることを確かめる儀式。

あるいは呪い。

両親は、お互いがお互いへの愛がもうないことをすでに知っている。

かろうじて浮気などの致命的な問題は起きていないけれど、時間の問題だろう。

愛もなにもなく、ただ共同体であるということだけ。

お互いがお互いに義務を感じ、そして生じるメリットにのみ依存した関係。

それが嫌いだとは思わない。

煩わしさはあるけれど、私がいまこうして生活できるのは確かに彼らの援助によるものだ。

結構裕福な家庭であるこの家で、私は不満もなく、満足もなく生きている。

趣味もあるし、友達と話すのだって楽しい。

毎日ごはんをきちんと食べることができ、痛みに目をさますこともないし、

何かが欠けている、だなんて贅沢なことは言わないし、両親のことを友達に愚痴ることさえ、楽しいものだ。

ああ、こんな両親の子供である私はなんて幸せものなんでしょう。

そう考えるだけでも、私はぞくぞくとして、昔なつかしい怖気と寒気と再会できる。

自分の原点というものがもしあるのだとすれば、それはベッドの中の、寝返りを打つことすら痛みでできなかったときに見つめていた壁の一点の汚れなんだろう。

それが今の自分の原点であり、いつの日にかまた回帰する点である。

「行ってきます」

と、誰もいない廊下に声をかけてから外に出て鍵をかけ、私は走りだす。

身体が快方に向かい始めたころ医者に勧められた始めたランニング。

何年もやればずいぶんと慣れるもの。

どこまで何分で、それから何分で家に帰れるか、冬ならこっちのほうが、光があたって暖かい、夏ならそっちのほうが涼しい、あそこは近くの家の犬の散歩ルートだから避けたほうが挨拶しなくて済む、あの時間に行けば猫があそこにいる……。

誰も彼も、変わらないことを愛している。

一方で少しずつ変わっていくものでもある。

今日も、少しだけ違った。

自分が息を荒げているようなところは、なるべく人に見られたくないから、私は人通りの少ないところ狙って走るようにしている。だから、出会う人というのも限られていて、パターンがある。

今日の場合は、この道、変哲のない路地裏で出会うような人はコンビニからのバイト帰りらしい大学生の女性以外にはいないはずだった。

だが、今日は珍しく少女が一人、道の真ん中でぜぇぜぇと息を切らし、立っている。

「あの……大丈夫ですか?」

「はっ……はぁ、っはい……だいっ、じょうぶ、です」

今にも倒れそうな声で彼女は言う。

ランニングを始めたばかりなのだろうか? そう思うも、シューズは結構汚れているから使いふるしのようだ。しかし、普段履きのものを使ってランニングを始めたということもありうるし……。

なんにせよ、調子の悪そうな彼女を放っておくわけにもいかない。

「……とりあえず、こっち来て」と手を取り道路脇の縁石に彼女を座らせる。

近くにあった自販機からスポーツドリンクを買って、彼女に差し出す。

「あ、ありがとうございます……」

彼女は何口か飲むと、勢い良く咳き込んでしまう。

横に座って背中を擦ったりしていると、数分して彼女は大きく深呼吸をしてから、顔をあげた。もみあげの髪の毛が、頬に張り付いている。

「いつもならこんなことにはならないんですけど……。ちょっと先週体調を崩してしまって、感覚がずれちゃったみたいで」

と言い訳のように彼女は言った。弱々しい笑みだったが、心底彼女が申し訳ないと思っていることはわかった。

「今日はもう帰ったほうがいいよ」

「はい……。そうします」

「じゃあ、私はそろそろ行くから」

「あっ」

「……なに?」

「そ、その。ジュースのお金を」

「別にいいよ。それくらい」

「じゃ、じゃあ、お名前だけでも!」

なんかついこないだもこんなことがあったような、と思いながら私は答える。

「北条加蓮」言い捨てると、私は外していたイヤホンを付け直す。「じゃあね」

これ以上付き合う義理はない。

後ろも見ずに私は走りだす。

少し経ってから、ゆったりとしたスピードで走りながらぼんやりと彼女の姿を思い出す。

ピンク色のジャージを着た少女。私と同年代だろう。華やかさはあまりないが、それでも綺麗な顔をしていたように思う。特に笑った瞬間だけは、よく覚えている。

あんな娘が、アイドルになったらメインストリームで売れるんだろうな。みんなが好きになるような人なんだろうな。愛されるんだろうな。あんな屈託の無さは、私には出せない。

だからというわけでもないが、いつもより走る速度を上げる。

家に帰ったら、シャワーを浴びて、今日の学校の準備をしなくては。

速く走ったぶん、時間の余裕はあるはずだ。

流れる汗に、不快を覚えながら私はそう思った。

 

 

 

ふとすると、日々は過ぎ去る。

あの日、少女と出会ったその次の週に受けた面接を経て、その一週間後には自分はトレーニングルームでジャージ姿になって体力の限界で床に倒れこんでいた。

「あの……、北条、さん。大丈夫か?」

濃い目の茶色の髪の毛が目の前に広がる。

それに気づいて、同期としてアイドルになるべくレッスンを受けている少女、神谷奈緒が髪をかきあげる。

「だい……じょうぶ……」

「全然だいじょうぶにみえないんだけど……」

レッスンルームの床と、ジャージに自分の汗が落ちる。

夏にうつりゆく途中の7月のはじめ。エアコンで涼しいはずの部屋の中で、体の中心に焼けた鉄のような痛みが走っている。

ゴムの擦れる音がする。

緩慢に後ろを振り返ると、そこには私と神谷奈緒の二人にレッスンを施してくれていたトレーナーがいた。タオルを私にかけると、彼女は力強く私の体を抱き起こす。

「北条、体のことはプロデューサーから聞いている。……少し休んでいろ」

「……はい」

壁際にもたれかかると、自分の心臓が立てる音がよく聞こえてくる。

汗をふく気にもならずに、片足の膝を立てて体重をのせる。

自分の心臓の音は、嫌いだ。

「北条、……さん、汗をふいたほうが……」

いつのまにか、神谷奈緒がそばに来ていたようだ。

「ちょっとそれ貸して」

「……ん」

何をするのかはわからないけれど、とりあえず了承の意図を込めて、首を彼女のほうから逆に傾けて、タオルを押し出す。

タオルを取ると、彼女は丁寧に首筋や手、それに顔を持ち上げて汗をふきとってくれた。

ぶっきらぼうな口調だけれど、意外と優しいのかもしれない。

「優しいね……」

真剣そうな顔をしていたのに、私がぼんやりとつぶやいた言葉を聞いて、

「んふぇっ!?」

顔を赤らめて狼狽し始める。

「べ、別に優しくなんかねえよ!」

そう言いながら、手は優しい。

吹き終わったタオルを、脇に几帳面に畳んだ彼女は、私と同じように壁にもたれかかる。

「十五分くらい休憩だってさ」

「……わかった」

言葉のやり取りが途切れる。

エアコンの風切り音と、トレーナーがスポーツマットを仕舞ったりしている音だけが聞こえる。

ボイストレーニングにも使うこの部屋は、外側には大きな二重窓がはめ殺しになっている。

「なあ……」

唐突に神谷奈緒が口を開く。

「その」

振り向くと、神谷奈緒はためらいがちに聞いてくる。

「北条、さんはなんでアイドルになろうと思ったんだ?」

「……なんで?」

「いや、ちょっと、気になったから」

体が弱いのか、とか聞いてくるのかと思ったけれど、予想外な質問だった。

何も答えなかった私を見て、勘違いしたのか、彼女は慌てたように言い募る。

「あ、いや、ごめん。別に言いたくないならいいんだ。その。私がなんかすごく適当な理由でアイドルになれちゃったから、ちょっと、びっくりしてて……」

「適当な理由?」

「私、あんまり女の子っぽくないだろ?」

「……そう?」

「そうなの! ……だからさ、アイドルになれたら少しは変われるかなって、思ってさ」

そう言って笑う彼女は、すでに変化することができたんじゃないんだろうか?

「だから、なんというか。北条、さん、には興味があるんだよ」

「……?」

「ああ、いやもう。わけわかんないこといってんな、アタシ」髪をいじりまわしながら、苛立ったように彼女は言った。

「だから、さ。私としては、ちょっと、自分に自信がなくてさ、いろんなことが知りたいんだ。その、特に……北条、さんは……綺麗だし」

そう言い、最後の方は真っ赤になった彼女を見て、私はなんとなく彼女のことがわかったような気がしていた。

「ふふっ……」

「? な、なに? 北条、さん」

「加蓮でいいよ」

「え?」

「私のこと、北条さんじゃなくて、加蓮って」

「あ、ああ!」彼女は嬉しそうに笑う。「代わりに、アタシのことは奈緒って呼んでくれよ! 『加蓮』!」

「分かったよ。『奈緒』」

不思議だった。

そのまま、休憩時間の十五分は他愛のない身の上、通っている学校、住んでいる場所、ここに来るまでに使う電車の路線なんかを話して終わった。

私は、それほど社交的な人間ではないし、奈緒もあまりそう見えなかった。

けれど少しはうまくやっていけそうな、錯覚かもしれないがそんな気がしている。

休憩が終わり、二人してトレーナーの前に戻ると、彼女は少しだけ嬉しそうに唇の端を上げた。

「おや、もう仲良くなったのか」

「ええ、少しは」

「う、うん」

私はあっけらかんと、けれど奈緒は少し恥ずかしげに応える。

「ほう、そうかそうか。仲良き事は美しき哉。どんどん交友を深めるといい。友達というのは得難い財産だ」

トレーナーは何回もうなずく。

「だがまあ休憩時間にあんなにおしゃべりできるくらいなんだから、体力が余っているってことだよなあ?」

「……え?」

「……は?」

「いやあ、さっきの時間はちょっと抑えすぎたって思ってたんだよ。さっきお前らのプロデューサーにも初日なので抑えてくださいって頼まれたから、抑えておこうと思ったんだが……。その必要はなさそうだな。特に……神谷?」

「はっ、はい!?」

「お前は運動部でもないようだが、どうしてそんなに体力がある?」

「え、えーっと、これは、その……」

「筋トレが趣味とかか? いや、趣味にはそんなことは書いてなかったはずだし……」

「えー、あのー……」

「日常的に運動しなければならないような生活でもしているのか? 自転車で学校まで通うとか……」

「いっ、い」

奈緒は、一瞬否定しかけたように見えたけれど、

「何キロか、ちょっと、毎日走っていて……」

「ほう、ランニングか! 高校生にしては殊勝な心がけだ。なにか理由でもあるのか?」

「り、理由ですか? いや、あの、特には……」

絶対『特には』という顔には見えなかったけれど、トレーナーは知ってか知らずか訳知り顔で頷いている。

「ふむ。なんにせよ、それは僥倖だ。ということで神谷」

「……なんですしょう?」

「とりあえず、トレーニングを少し、難しくしてみようか。なぁに、『少し』さ。問題ない」

「ぜったいそれ『少し』じゃないぞ……」

「奈緒」

「加蓮?」

「がーんばれ!」

「……白々しい笑顔をどうも」

会心の笑顔ができたと思ったのに、なんて言い草だ。

「ああ、北条」

「え?」

「北条には代わりに座学を増やしてやる」

「ええええええ!?」

「なんだ? 不満か? ……ああ! 残念ながら座学と言っても、メイクの仕方とかライティングの基礎くらいだ。大したことはないさ」

「本当ですか?」

「まあ、失敗したら容赦なく補習があるだろうけど」

「もー!?」

ニヤニヤと笑っているトレーナーを睨みつけていると、肩を叩かれた。

「なあなあ加蓮」

「なに!? 奈緒!」

振り向くと、満面の笑みを浮かべた奈緒が。

「がーんばれ!」

ぴしりと、体を止めて、大きな大きなため息をつく。

「……がんばろうか」

「……うん」

巨悪(トレーナー)に挑む勇者というのはこういう気分なんだろうか。明日筋肉痛と知恵熱で動けないだろうなと思いながら私たちは敵(レッスン)に切り込んでいくのだった。

第一部 、完。

神谷奈緒先生と北条加蓮先生の次回作にご期待ください!

 

 

 

私が彼女と夜の街で出会ってから早いもので、季節は初夏から真夏になっている。

朝、いつもよりも早起きをして準備を終えた私は駅に向かって歩いている。まだ昇ってから何時間も立っていないのに、陽は元気だ。

あくびを噛み殺し駅にたどり着き、いつものとおりに駅に入っても、いつもの電車には乗らない。

電車に乗った私は、今日ここに至るまでを少し思い出していた。

 

学校が夏休みなのをいいことにレッスン漬けの生活を送っているうちに、346プロが夏に定例でやっているライブが近づいていた。

そんなある日、めったに会わない自分の担当プロデューサーである男性が、今後の参考にしたらどうかと差し出してきたのがそのライブのチケットだった。

「これ、頂いてもいいんですか!?」

「ああ、もちろん」

背が小さく、加蓮や奈緒ともあまり目線が変わらない。そんな男が彼女たちを担当するプロデューサーであり、城ヶ崎美嘉という売れっ子を担当するやり手でもあった。

プロデューサーが差し出した飾りっけのないそのチケットを見て、奈緒が興奮している。

「奈緒、嬉しそうだね」

「加蓮は嬉しくないのか!? サマフェスのチケットだぞ!? ここの定例フェスといえば、倍率がすごくってすごくって……特に今年は参加アイドルの数が倍増に近いから、今回から野外フェスになって……」

などとあれこれと奈緒は説明を始める。

正直なところ、アイドルの卵になったといっても未だに自分の所属している部署くらいしか把握しておらず、かろうじて渋谷凛がいるユニットの名前――New Generations――をきちんと覚えているくらいだ。

「今までは基本的に少数精鋭、一匹狼のアイドルが多かったんだ。ここ、346プロは。できたばかりだっていうのもあって、一本釣りしてきた人をアイドルにすることが多くて、ユニットが組ませづらかったんだ。ほら、佐久間まゆなんかは読モ上がりで、高垣楓さんは正真正銘モデルだったし、川島瑞樹さんなんかは、アナウンサー。そう考えるとキャラが濃すぎて、ユニットを組ませるどころじゃない」

「ふーん」

「ところがだ! 今年は違う。シンデレラプロジェクトが始まった。今年の四月に始動してから、全員揃って初めて表舞台に出るのはこれが初めてで、シンデレラプロジェクト自体はユニットというよりもユニットの集合、まあ何期生とかそういうくくりに近いもので、活動する単位はもっと小さい最大で三人のユニット、あるいはソロ。New Generations、*(アスタリスク)、Candy Island、凸rations、Love Laika、Rosenburg Engel。シンデレラプロジェクトは最初からユニットを組むこと前提で集められた346初の大型プロジェクトなんだ!」

熱弁する奈緒に、私は少し顔をかしげて、「あれ、奈緒って、アニメとかだけじゃなくてアイドルも好きなの?」

「いっ!?」

奈緒は、あたふたとチケットを振り回す。

「いやっ、別に、これくらい少し興味があれば知っていることだぞ! 加蓮! というかなんで知らないんだ!?」

「だって、私春くらいまで興味なかったから……」

「あぁ、そうか……」

これまで、奈緒とは色々なことを話してきた。

毎日のようにレッスンをして、そしてそのたびに顔を合わせていれば、奈緒がアニメ好きのオタクだっていうことや、照れ隠しが最高に可愛い女の子であることも分かるようになる。

いまだって、まるでごちそうをおあずけされているみたいにうずうずした目をしている。

「なあなあ、プロデューサーさん。チケットは二枚あるのか?」

「当然。奈緒と加蓮の分あるぞ。せっかくだ、先輩たちの舞台を見て勉強するのもいいだろう」

そう言って彼は笑う。

「ありがとうございます」

「ありがとうございます!!!」

「最初はスタッフとして出てもらおうかなとも思ってたんだけど、加蓮が見たことないっていうからな。それに、」

彼は、言葉を切り、意味ありげに微笑む。

「一度くらい、目指す頂点っていうのを見ておいて損はない」

それを聞いて、私と奈緒は向き合う。

「奈緒!」

「加蓮!」

すぐにレッスンルームに引き返し、私達はレッスンに打ち込んだ。

 

それが、数週間前のこと。

電車に揺られながら今日のことを考える。

これから電車を乗り継いで、一時間半もかからないくらいで目的地、346プロサマーアイドルフェス会場にたどり着ける。

日焼け止め、水分、フェイシャルペーパー、タオル、着替え、幅広の帽子、雨合羽……etc

何を準備すればいいかは、周りの人間に聞けばいいからずいぶんと楽だった。ケミカルライトをどうしようか迷っていたときに、余っているからと奈緒が渡してくれた時はびっくりしたけれど。

「けど、ほんとにこんなにたくさんいるのかな?」

小さなかばんがぱんぱんになっている。持ち上げると肩に負担が来るのが感じられる。

目的地の駅で降りると、新幹線乗り場に向かって歩いて行く。

辿り着いたそこには、奈緒の姿があった。

「奈緒!」

手を振り近づくと、彼女は声の方向を探して少し左右を見回す。

気づいた奈緒は、キャップを持って振り上げる。

「かーれーん!」

ゆっくりと歩いて近づいたのに、奈緒は小走りで荷物を抱えながら向かってくる。

「加蓮!」

「奈緒、はしゃいでるね?」

「そりゃもう!」

きらきらとした目をして奈緒がうなずいた。

「いやーやっぱりアイドルなってよかったー!」

「それってどうなの……」

「絶対、ぜぇったい、加蓮も見たら分かるって!」

「そう……?」

そうだよ、と奈緒は腕を組んで講釈をするかのように右手を振り上げる。

「いいかね、加蓮くん」

「はい、奈緒、じゃなかった。神谷先生」

「加蓮くんは、ライブには行ったことがあるかね?」

「いや、ないけど」

「そんなんじゃだめだ! 人生は一度! この、今日のライブも一度! 行くっきゃない!」

「先生キャラ一瞬で消えたね……」

「そんなことはどうでもいいよ。な、早く乗ろうぜ」

現地にたどり着くまでの段取りを確認しあいながら、二人で駅の構内から新幹線ホームにまで上がる。

「実は私、新幹線乗るの始めてかも」

「んっ? ああ、言われてみるとあたしもそうかも」

「乗り場、ここでいいんだよね?」

ごそごそと荷物を持って歩く。

電光掲示板を見たりして、切符を見てひとしきり安心したら、周りを見渡す余裕ができた。

「……ねえ、奈緒?」

「なんだよ?」

小さな声で問いかけると、眉間にしわを寄せる奈緒。ちょっと太めな眉毛が大きく動くのが可愛らしい。

「もしかして、同じ目的の人、結構いる?」

「え? あー……そうかも」

奈緒もさっきの私と同じように周りを見渡す。

「まあすっごいたくさんの人が行くらしいし、東京から来る人もそりゃ多いんだろうなあ」

「ふーん……」

「みんな新幹線だけじゃなくて、バスで行くツアーとか、前泊している人もいると思う」

「まえはく?」

「ああ、前日宿泊の略だよ。前日のうちに現地に行って、ホテルに止まるんだ。金がないとできないけどな」

「新幹線だってけっこうするもんね」

「まあな。けどそのぶんの価値はあるぜ。……欲しかったグッズを諦めたんだから、その分も楽しまないと……」

「そんな気合の入れ方ってどうなの……?」

「まあ、それは冗談さ。どうせ帰りは寝てるだろうし」

「夜遅くになるんだよね?」

「うん。親にはきちんと言った?」

私は少しだけ口ごもる。

気づかないくらいに。

「大丈夫。きちんと言ってあるから」

「ならいいけどな。怒られたりはいやだぜ?」

冗談めかして言う奈緒に私は笑った。

「大丈夫だって」

そうしていると、私達が乗る予定の新幹線がホームに入るというアナウンスが聞こえる。

風圧に乱れる頭を抑えながら、入ってくる新幹線のほうを見る。

「意外と平べったいんだね」

「え?」

風で聞こえなかったのか、奈緒が聞き返してくる。

私は、なんでもないと首を振った。

「荷物は持ったか!?」

「大丈夫!」

完全に停止した車両に、私達は乗り込む。

 

 

「いやぁ~、すごかったなあ! 加蓮!」

「うん!」

サマーフェスティバルは終わり、観客たちがゲートから外へとはけていく。

少し疲れていた私たちは、その流れの谷間を狙ってゆったりと歩いて行く。

ぽつりと、私は今まで伝えていなかったことを口に出した。

よく考えれば、これを伝えていなかったことは大きな意味を持っていたのに、それをこの場で言ってしまうというのは、浮かれていたのだろう。

祭りの熱気にあてられた、いや、まるで幼い子どものように楽しんでいる奈緒の姿を見ていると、そんな気分になったのだ。

「ニュージェネの渋谷凛って娘」

「ん?」

「同じ中学だったんだ」

「へぇ~、そうなのか」

そして、考えれば当然だったけれど、そんなことは奈緒にとっては面白いけれど、そんなに大した話じゃないのだ。

火照った体を冷やすように、夏の夜風が体を覆う。

ふと夜空を見上げると、夏の大三角。

あんまり星座に興味はないけれど、それくらいは知っている。

このライブ会場にいる彼女も、同じように見ているだろうか?

あるいは、気にする暇もないくらいに忙しいんだろうか?

「けれど、本当に汗でやばいよ~」

「うん……。着替えたいけど、そうすると新幹線乗れるか怪しいよね」

「あーもう。新幹線の中のトイレで着替えられるかな~。みんな同じようなこと考えるよなぁ……」

ぶつぶつとこれからの算段を立てる奈緒と連れ立って歩きながら、私はまったく別のことを考える。

きらきらと輝く少女たち。

私達が目指すべき頂点。

彼女は、やはり楽しそうにしていた。

あそこに立って、同じように踊って、歌っている光景を想像してみようとする。

頑張っても、それはできない。

なんとなくぼやけた風景の中、私のような何かが踊っている。

彼女たちと何が違うのだろう?

あの、中学の頃の彼女と、今の彼女は何が違うのか?

今の彼女と、会ってみる必要があるのかもしれない。

今まで、なんとなく会う気がしなかった。それは、自分がなにもしていなかったことを考えると恥ずかしかったからだし、それに、もし会ったときに彼女が自分のことをかけらも覚えていなかったとしたら、悲しいからだ。

けれど、仕方ないのかもしれない。

私は彼女に興味があったし、ある程度友達もいた。反対に彼女はいつも一人だし、ポーズでなく本当に一人が好きなように見えた。

だからある意味憧れていたのかもしれない。

その孤高な精神に。

彼女なら、世をはかなんでいても、それにしがみつこうとする私を見て笑うかもしれない。

今の彼女は、どう思うかな?

「あーもう!」

唐突に奈緒が大声を上げる。

「考えてもしかたないな。とりあえずバスに乗るしかない」

私はその様子を見て、楽しくなる。

「そうだね」

なんにせよ、私は奈緒と東京に帰る。

新幹線の中、興奮して眠れそうにない。

 

 

それから瞬く間に一月が立った。

祭りの後だったとしてもトレーナーや先輩たちの働きぶりは変わることなく、そして当然私達のレッスンも変わらないどころか、よりハードなものになっていった。

少しずつ慣れたと思ったころにはレッスンが難しくなる。単純な体力と練習量ではなく、頭を使わないとダンスや歌というのは上達しない。幸いなことに、練習をして、欠点に気づき、修正していくサイクルを行えるくらいの体力はある。

「はーい、ワーン、ツー、スリー、フォー!」

今日は先輩である城ヶ崎美嘉の指導で、彼女のダンスを練習している。

手を取っての指導や、口頭での指導によってある程度の形ができたあと、通しで一曲踊る。

終わった頃にはもうへとへとだ。

「はい、おつかれー!」

「あ、ありがとうございました!」

「ありがとうございました」

けれど、昔よりはマシになった。

終わった瞬間にへたり込んだりはしない。

「いやー、奈緒も加蓮も、ずいぶんうまくなったね!」

「そ、そうですか?」

「うん! アタシの曲って結構動くからね」

美嘉は美味しそうにスポーツドリンクを飲む。

私達二人も、水分補給をする。

ちらりと奈緒を見ると褒められたせいか少しだけ目尻が下がっている。嬉しいらしい。

「思い出すなあ……」

「何をですか?」

質問をしてから気づいたけれど、今の言葉はひとりごとだったかもしれない。

「あぁ、うん。ニュージェネ、知ってるでしょ?」

けれど、美嘉は嫌そうな顔はしていなかった。

「うん」

「ニュージェネの三人が初めてステージに立ったの、いつか知ってる?」

私は奈緒に顔を向ける。

「知りません」

「ま、そうだよね。実はね……」

にやりと彼女は笑う。

「アタシのバックダンサーが初舞台なの! それも、デビューしてから一月も経ってないころだったんだよ!」

「えぇっー!?」

「それ、本当なんですか? すごいですね……」

「うん! あの娘たちと初めて顔を合わせた時にびびっとくるものがあって、あの娘たちのプロデューサーに掛けあってみたの」

「ニュージェネのプロデューサーPっていうと……」

「そ、あのおっきな人」

そう答えると、奈緒は顔をしかめる。

「奈緒、どうしたの?」

「いや、あの、あの人はちょっと……」

「怖くて苦手?」

「そ、そんなわけないだろう!?」

そんなじゃれあっている二人を見て、美嘉は難しい顔をしている。

「うーん……」

「どうしました?」

「いや、なんでもないよ」

なんでもないようには見えなかったが、彼女は気を取り直したように雰囲気を切り替える。

「それでね、あの娘たちにみっちりレッスンして、間に合わせたってわけ。未央は、あ、未央って分かる? ショートの娘」

「うん。本田未央、でしたっけ?」

と奈緒が相槌を打つ。

「未央はなんか普段から踊ったりしてたんだって。この前、アイドルなる前の動画を見せてもらったんだけど、途中からなんか恥ずかしかったのか、真っ赤になっちゃってさ」

「あー……」

「まあ、アタシが初めてのライブを見せられるとかそういうレベルの話だからね。そりゃ恥ずかしいっしょ。そんでも、あの娘たち、あの短期間で見せられるくらいにはなったんだから才能があるよ」

そう嬉しそうに言う彼女に、私達二人は少しだけ微妙な雰囲気になる。

それに気づいてか知らず、美嘉は話を続ける。。

「あ、でもねでもね。ハーフアップの娘、卯月って言うんだけど、あの娘、スクール上がりなのにダンス駄目なの」

少しだけいじわるげに、少しだけ愛おしげに。

「ま、アイドルの魅力ってのはそこだけじゃないから。いいんだけどね。あの娘の笑顔には勝てないよ、アタシも」

「そんなに、ですか……」

「真正面からあの娘の笑顔を見てみるといいよ。こんな素直な娘、ホントにいるんだって思ったもん。ああ、あと」

私は体を震わせ、右腕を左手で握りしめる。

「凛だね。あの娘、ホントすごいよ。ダンスしたことないし、歌もそんなにやらないって言ってたのに。最初の、本当に最初のレッスンのときに凛が歌ったワンフレーズ、あれでよくわかった」

「何が、ですか?」

奈緒が聞くと美嘉はアルカイックスマイル。

「天才って、いるんだなってこと」

「天才……」

「アタシは基本的に努力しかできないタイプ、まあそういうタイプの凡人だからね」

隣で奈緒が否定しようと「そんなことは……」と言いかけるが、美嘉は肩をすくめる。

「アタシのレッスン受けてればわかるでしょ。別になんもすごいことはしてないし、私が教えられるのはただ反復練習の習慣とか予習復習するようにとかくらいだからね」

寂しそうに美嘉は笑う。

「まあ、それでも、少しは才能はあるのかもね。努力の才能くらいは」

皮肉げに、可笑しそうにそう言って、美嘉はペットボトルを部屋の端に置きに行く。

真面目な話をした余韻か、あるいは奈緒が何を考えているのか、渋谷凛に対する美嘉の評価を聞いて、私は思考の海に沈もうとする。

しかし、それはすぐに遮られる。

「けどね。加蓮」

「え?」

夏の残り火が彼女を黒くする。

「アタシにとっては、加蓮。アンタも同じように見える」

「……それ、どういう意味ですか?」

「言葉どおりの意味だよ。アタシにはアンタも凛と同じ種類に見える。……アンタの才能を見ぬいて、うちの部署に引き込んだのはアタシだからね」

奈緒が驚いた顔をする。

「だから、逆に先輩として言っとく」

硬い声に、私は身じろぐ。

残り火というのにはまだ早かったのかもしれない。

動けなくなった標的に突き立てる牙をきらめかせながら、彼女は獰猛に微笑えむ。

頭の上の方でまとめ上げている髪飾りが陽光に自分を示す。

獣に襲われた鹿のように、私は震えた。

「アイドル、舐めてかからないほうがいいよ?」

私は、何も答えずにいる。

手を腰に添えて、美嘉は立つ。

鍛えられ、適度に肉のついた端正なプロポーションはモデルかと見まごうほどだ。運動のために薄化粧であっても、彼女の美しさは薄れない。どころか、こめかみや頬を伝う汗が艶かしさを生み、そしてその一方でそれに対する欲にまみれた目線を根源から否定するかのような晴れやかな笑み。そして、吸い込まれそうな瞳。

今の彼女が浮かべているのは単なるほほ笑みではなくて、それを向けている相手は、敵であり、後輩であり、庇護すべき弱者であり、追放すべき獅子身中の虫であり、刈り取らなければならない侵入者でもある。

私が今ここでのうのうとしていられるのは、彼女のおかげなのだ。

それを理解させる表情。

「まっ、こんなもんかな」

一瞬にして彼女の雰囲気が変わり、いつものさばさばとした美嘉が戻ってくる。

私も固くなっていた表情を柔らかく、「もう、怖がらせないでくださいよ」と冗談めかして言う。

「ごめんごめん。ちょっとやりすぎたね」

そう言いながら、彼女は奈緒のほうに向かう。

ごめんねー、怖がらせたねー、なんて言う美嘉に、さっきまでびくびくしていた奈緒は顔をこわばらせて不満を声高に言う。

そうしてじゃれあう二人、美嘉の背中を見ながら。

私は一人、じっと考え込んでいた。

 

数年前のことだ。

数週間病院と家を行き来した療養のあと。

久しぶりに中学に登校した私を待っていたのは、溜まっていたプリントの山だった。

かばんには入りきらないし、よしんば入りきっても私の体力では持ち帰ることができない。両親を呼ぶのには、放課後の今はまだ時間が早すぎて気が引けるし、誰か頼めるような同じ方向に帰る友達も知らない。それに、みんな部活に行ってしまった。

一人紙の山を前に途方にくれた結果、仕方ないので重要な書類だけを持ち帰ることにした私は、プリントの分別を始める。

小学校のころよりは良くなっていた私の体は、けれどまだ健康とは言いがたかった。

遅刻、早退当たり前。欠席もまあまあ多くて、年に一、二回は一週間以上休む。

昔、一学期まるまる休んでいたころに比べればずいぶんとましになったとはいえ、こうして長い休み明けに学校に来た時の開放感と絶望感は変わらない。

「はぁ……」

数学の小テスト、理科の星座早見の写し、国語のプリントには先生が教材として選んだ詩集のコピー、私が休んでいるうちに終わった勉強合宿のお知らせプリント、PTAの連絡、不審者情報多発注意…………。

「もー! なんでこんなにどうでもいいのがたくさん!」

自分のせい、というか自分の体のせいだから、なおさらやりきれない。

「ねぇ」

「まったく、面倒極まりない……」

「あんた」

「あっ、これ先月のテストの結果じゃない」

「ねえってば」

「なに!?」

いらいらしながらやっとのことで後ろからの声に振り返ると、そこには小柄な少女の姿があった。

確か、同じクラスの子だったはずだ。

「あんた、これ落としたよ」

「あっ……」

そう差し出されたプリントには、来月の中間テストの範囲が記されている。

「ありがとう」

「いや、別に……」

ショートボブ、いや、おかっぱと言うべきか。真っ黒な美しい髪は短く切りそろえられている。小さな手は長袖に埋まっている。全体的に制服が大きいようだ。女子にしては成長が遅い子だな。私はそう思った。

対照的に、目は理知的な色を帯びていて、ナイフのように鋭い視線を浴びせかける。

「早く受け取ってくれない」

「あっ、うん」

少し垂れ下がったさきをつまんで、受け取ったプリントを重要なプリントの山に重ねる。

すぐに立ち去るだろうと思っていたが、彼女は後ろに立ったまま動かない

なんだろうと思いながら、意味なくプリントの山を触っていると、彼女が口を開いた。

「……それ、範囲間違ってるから」

「えっ、ほんと?」

ぱっと顔を向けると、やはり無表情だ。

「国語の教科書、範囲は56ページから77じゃなくて、本当はその作品全体だと思ったほうがいい」

「ちょ、ちょっとまって」

大慌てで教科書を取り出して問題の範囲を探しだす。

「あと、本文だけじゃなくて章末の関連事項とか、資料集も一度は眺めておいたほうがいいよ。それじゃ」

「まっ、待って!」

言うべきことは言った、と立ち去りかけた彼女を呼び止める。

「……なに?」

初めて彼女が無表情じゃなくなったかもしれない。

顔をしかめただけだけど。

「なっ、名前は?」

そう聞くと、彼女はすぐに答えない。

夕焼けの中、なぜか少しだけ汗をかく瞬間。

「……凛。渋谷凛」

彼女はそう言い捨てて、足早に姿を消す。

これが、渋谷凛と初めて出会った瞬間。

彼女を彼女と認識した瞬間だった。

 

 

セミの鳴き声がする道端。

「なあ、ほんとにここであってんのか?」

「うん。あの娘の通ってる高校と、家の場所を考えればここを通るって」

「……なんでそんなこと知ってるんだろうなあ、あのプロデューサー」

「……知らないよ」

ぼんやりと空を見上げている奈緒と同じように顔を上に向ける。

夏が終わりかけている。

あの娘たちの姿を、シンデレラプロジェクトのメンバーをテレビや雑誌、街頭広告やSNSなどで見かけない日はないくらいだった。

「ねえ、昨日のマッスルキャッスル見た?」

ふと目の前を私達と同じような高校生の女子二人が話している。

「見たよぉ。やー! いつもどおりのどすえチーム対、シンデレラプロジェクトのLove LaikaラブライカとRosenburg Engelの混合チーム!」

Love Laikaラブライカ、確かアナスタシア、新田美波の二人ユニットで、Rosenburg Engelは神崎蘭子という娘のソロユニットだったはずだ。

アナスタシアはロシアとのハーフらしく、時々ロシア語が混ざる。

新田美波は確か、今大学生と聞いた。アナスタシアと二人で話しているのをバラエティや雑誌のインタビューなんかでは、姉妹のように見えるほどに仲がいい。

それに加えて、神崎蘭子も最近ではこの二人と仲がいいようだ。サマーフェスティバルで新田美波の代役として神崎蘭子がラブライカのパフォーマンスをしたことはよく覚えている。

「なんていうか、すごかったよね」

「うん、特に蘭子ちゃんが」

「……言ってる意味、わかった?」

「……まったくこれっぽっちも。ま、可愛いし、一生懸命なのはわかるからいいんだけどね」

「あーわかるぅ! それだよね。あの娘、なんか応援したくなる。空気入れで顔真っ赤にしてるの見てお母さんと一緒にがんばれって口走っちゃった」

「あとあと、美波ちゃんがアナスタシアちゃんと蘭子ちゃん二人のお姉さんみたいに見えなかった?」

「見えた! あんなお姉さん憧れるよねぇ」

「ねー。アナスタシアちゃんといえば、あれ、問題アーニャちゃんに合わせたんだよね、たぶん」

「だろうねえ。天文学の問題何個だっけ、三個? 四個?」

「覚えてないけど、けど、まあそれ抜きでもすごいよね。日本から全く見えない星座を全部教えて下さい、とか、マニアックだなー」

「あれ、私、そもそも見えない星座があるって知らなかったんだけど……」

「……ああ、アンタ、馬鹿だったね」

「馬鹿じゃない! ほら、行こう!」

そうして二人の少女は立ち去る。

「なあ、かれぇん」

「なぁに。奈緒」

「いつまで待つつもりだ?」

「うーん……」

精神的な面で言えば何時間でも待てるけれど、体力が持たないし、奈緒もそれがわかっていて聞いてくれているのだ。そう考えると、タイムリミットを設定すべきだと思い、腕時計を見る。

「……あと十分、待とうよ」

「……十分な。了解」

近くの車止めに腰かけている奈緒に内心感謝しながら、私は彼女が来るだろう方向をじっと見つめる。

私の目は結構よくて、1.0以上ある。眼鏡なんていらないし、眼鏡をかけていたこともある彼女よりは早く見つけられるはずだ。

じりじりと照りつける日差しに、すこしくらくらし始めた気がする。

決めた時刻までは待っていよう。その一心で、立ち続ける。

「あっ……」

見つけた。

昔よりも長い髪。

今も変わらない怜悧な瞳。

スカートのポケットに手を突っ込みながら、彼女はつまらなさそうに歩いてくる。

視線に気づいているのか、いないのか。

声が届く距離にまで彼女が来た。

「渋谷凛」

「え……?」

「ちゃん、だよね?」

「そうだけど……?」

「良かった。私は北条加蓮、こっちが神谷奈緒。私達も一応346プロのアイドルなの」

「え……?」

「部署は城ヶ崎美嘉ちゃんと一緒。最近デビューしたんだ」

「そうなんだ」

「先月のアイドルサマーフェス見たよ。 すっごく盛り上がってたよね。 ね、奈緒!」

「ま、まあな」

「奈緒は照れ屋だから素直に言わないけど、ライブのあいだじゅう、目をキラキラさせてたから!」

「はあぁ!? だ、誰がキラキラ……。ま、まあ良かったけどさ」

「あ、ありがとう」

「いつか、あんなライブがやりたいなあって思った。とりあえず目標ってってことで」

「なんか、そういうこと面と向かって言われるとこそばゆいね……」

「ふふっ。あ、そうそう、あと別に大したことじゃないんだけどさ、私のこと、覚えてる?」

「……ごめん。覚えてない」

「そっか、だよね」

「……加蓮」

「私と渋谷さん、実は同じ中学なんだ」

「え……、ああ……もしかして」

「うん、そう」

「そう、だったんだ。ごめん、中学のころってあんまり覚えてなくって」

「そうだよね。わかるよ」

「ま、そうだよな。あたしもあんまり覚えてないもん」

「……二人は同じ高校、ってわけじゃないんだね」

「そうだぜ。同じ部署の、同期」

「さっきも言ったけど、城ヶ崎美嘉ちゃん、いるでしょ? 先輩で、ときどき指導してくれたりするの」

「ああ、始めたてのころ、私達もお世話になったよ」

「バックダンサーの話だろ? すごいよなあ。あたしたちもそういうのでステップアップしていきたかったなあ」

「やめておいたほうがいいよ。あれはかなり大変だからね。出番直前に緊張しすぎて大変なことになりそうだったし」

「大変なこと?」

「……ちょっと言えないかな」

「そうか。しかたない。なんにせよ、地道なほうがいいのかもな、加蓮」

「……北条さん?」

私は、息を飲む。

「う、うん。そうだね」

「加蓮、調子悪いのか?」

「ううん、大丈夫。大丈夫だよ」

「…………あーっ!」

ちょっと大きな声にびっくりする。

「加蓮! ごめん、学校に忘れ物した!」

「え?」

「えぇっと、渋谷!? さん! ごめん」

そう言って、奈緒は私の手を取って、走りだす。

「え、え、ええ?」

「いいから! 走るよ!」

「う、うん」

いきなり走りだしたせいで落としかけたかばんの紐を肩にかけ直すと、目線を渋谷凛から外す。

最後に見えた渋谷凛の顔は、不思議に思っているだけのようだった。

「奈緒……」

「なんだよ」

走って、そのまま角を曲がる。

「ありがと」

「別に、忘れ物しただけさ」

私たちは立ち止まる。

奈緒は偉そうに手を腰にあてて仁王立ちする。

「学校に行かなくていいの?」

「よく考えたら、明日でもいいからな」

「……奈緒って、時々かっこつけたがるよね」

「それで何が悪いんだよ」

くすくす笑うと、仁王立ちしているのに、ちょっと気恥ずかしいのか顔を赤くする奈緒。

そんな、ええかっこしいの照れ屋が、私の相棒。

 

そんなことのあと、二人で笑い合いながらたどり着いた事務所で出会ったのは、予想だにしないことが起きた。

「CDデビュぅ~!? それ、本当か!?」

「疑うのか? 神谷」

最近は会うことも増えてきたプロデューサー、部署に割り振られた部屋にたどり着いた私達二人を迎えたのはいつになく笑顔のプロデューサーと、それを見守る美嘉の二人だった。

開口一番、書類を差し出しながら彼が言った。

それが、「CDデビュー、決まったぞ! ですか」と、私は書類をめくりながらつぶやく。

「そう。よかったね。あんたたち!」

それに美嘉が嬉しそうな顔をして答えた。

「うちの部署でこんなにすんなり決まったのは珍しいからな。誰かさんなんかいつまでも読モ気分だったから……」

「それ、アタシのこと言ってるの? アタシはサクッとCD出したじゃん!?」

「一枚目はお前ご祝儀みたいなもんだったろあの時期の会社からしたら! 二枚目のことを言ってるんだよ!」

「……あの」

「ひっどーい!」

「ひどくなんかないし~~~? 手間かけさせられたのこっちだし~~~?」

「……ちょっとー?」

「あ、アタシだってアンタには手間かけさせられたもん!」

「もしもーし?」

「ほほう? なら具体例を出してみろよ」

「え!? え、えぇっと、えぇ~っと……」

「駄目だよ、奈緒。もう二人の世界だ」

「う、うん。そうみたいだな」

美嘉が彼、男性としては非常に小柄で、正直なところあまり男性的魅力にあふれているとは言いがたい彼に恋をしているというのは部署での公然の秘密だった。

「恋路を邪魔するものは馬に蹴られるんだよ……」

ため息をつく。

しかたなく二人が言い合いという名のイチャイチャをしているのをBGMに資料を読んでいると、奈緒がぽつりと、言った。

「あ……ひとりずつ、なんだ」

「え……? あ……」

奈緒が資料を指差す。

そこには、私と奈緒、二人それぞれのCDデビューの企画が記されていた。

そうか。二人ユニットだと思い込んでいたけれど、そうじゃないのか。

「ってことは、ライバルだな! 加蓮!」

即座に思い直したのか、奈緒が挑戦的な笑顔を見せる。

私も、にこやかに、なるべく不敵に見えるように笑う。

「そうだね。奈緒。容赦はしないよ?」

そうしてふふふと二人して笑っていると、プロデューサーと美嘉の二人が近づいてくる。

「あ、いちゃつき終わったの?」

「いちゃ!?」

「おー。終わったぞ」

「いちゃついてなんかない!」

「あーもう美嘉、どうどう」

牙を立てるように威嚇してくる美嘉をいなしながら、「それで、なんか質問はあるか?」

「ううん。ないよ」

「あたしも」

そう二人して即答すると、彼は目をぱちぱちとさせて驚いたような顔をする。

「不満とか、ないのか?」

私たちはふるふると首を横に振る。

彼を横から見つつにやにや笑いながら美嘉が言った。

「ほら、だから言ったでしょ?」

「……今回ばかりは、お前のほうが正解だったみたいだな」

私と奈緒は、そんな二人を見て、もう一度笑いあったのだった。

 

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