なりぞこないのシンデレラ Des Cendrillon Manqué   作:etis

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人といふ人のこころに
一人づつ囚人がゐて
うめくかなしさ

石川啄木 「一握の砂」より


二章 散逸していく日々

ざわめく会議室。

大きく開いた窓からは昼の柔らかな光がさし込むが、スーツ姿の男たちは落ち着かなそうに小声で会話をしたり、しきりと会議室の入り口を見つめたりしている。

金属音が響き、一人の女性が部屋に入ってくる。

体のラインに合わせられたスーツは彼女の鍛えぬかれた身体を隠すこともせず、化粧も相まってその眼光はまるでレーザーのように人を貫く。ストライプ柄のスーツが彼女の自尊心と自信、そして、その実力を表し、ヒールの音がスーツ姿の男たちの心を砕く。

柔らかな光は彼女の顔を照らさない。

明るい昼の光に、胸元の宝石が牙を立てる。

会議室の前方に置かれた演台に彼女は腰を降ろさず、マイクの電源を入れる。

雑音の後、凛とした声が静かな部屋に響く。

「……今回の事業展開に関しての統括重役である常務の美城だ。通達にはすでに目を通して、今後の事業展開について少しは理解しただろう。まず、今回このような時期に集まってもらったことを感謝する。様々な疑問があるだろうが、まずは私の話を聞いて欲しい」

そこで少し言葉を切る。

「諸君らの疑問に応えるためにも、私は今から美城グループとは何か、ということを改めて説明したいと思う。知っての通り、『346プロダクション』それ自体の歴史は十年にも見たないごく短いものであり、美城グループの企業の一つである。『美城グループ』、すなわち本体である『美城総合芸能事務所 』の歴史は戦前まで遡り、現在も本社や『346プロダクション』の社屋が建っているこの都内の一等地はそのころから所有し続けている、グループにとってかけがえのない財産である。『美城総合芸能事務所』の社風は、知っての通り、実力主義だ。それも単なる実力主義ではなく、未来を見据えたものだ。君たちに求められているものは単なる能力だけではない。能力を見つけ出す力、能力を伸ばす力、未来を作る人を作る力だ。

我々は裏方である。実際にスポットライトを浴びるのは君たちではない。美しく飾られた花々の匂いに酔うことができるのは私達ではない。しかしながら、それであるがゆえにこそ、我々は花の匂いではなくドブ土埃の匂いに慣れ、無明の中を這いつくばってでも進まねばならぬ。彼女たちをおとぎ話のきらびやかなお城へと運ぶのは彼女たちの足ではない。我々なのだ。馬車を買い付け、馬をしつけ、彼女たちが怪我をしないように降りるときに手を支え、そして脇に控える。それが我々の仕事だ。

二度の大戦を乗り越えながら、我がグループはその気風を強め、育み、さらに高めてきた。

我が社、『346プロダクション』が設立されたのは五年前である。二年の準備期間の後、第一期生として、高垣楓や川島瑞樹、それに十時愛梨といった大きな成功を得られたことは記憶に新しいだろう。この成功というのは、どのような理由によるものだろうか?」 

彼女は、そこでぐるりと部屋を見渡した。

「ひとえに、我々の、『美城グループ』の理念の勝利であると私は考える」

一人の男が、身動ぎをする。

「理想というのは我々の手段の先にあるものであり、我々の手段の先にあるものこそが理想である。……だが、今年度の我が社の成績、そして、諸君らに蔓延している精神を鑑みるに、この理念というのはなるほどきちんとは了解されていないようだ。それが、今この話をした理由である。さて、諸君」

身を乗り出し、彼女はスーツ姿の男たちに顔を近づける。

少しだけ声を低くして、彼女は言った。

「我々は変わらなければならぬ。昨日までのままではうまくいかない。そのことがわかっていながらそれを続けようとするような愚者は、この部屋にいないと私は信じている」

彼女がそばにいた男性に目配せをすると、その男性は手に抱えていた資料を配り始める。

「今後の事業展開に関する詳細な資料だ。現時点で、可能なところから私の手配によって社内の部署の整理などは行っているが、それに関する資料もあるので該当する部署のものはよく読むことだ。その他、今後半期の事業目標、計画、それに関して諸君らの部署がどのようにコミットし、発展させることができるか――の可能性だけがその資料には描かれている。具体的な方策は諸君らに任せられている。さて、非常に大雑把であるが私からは以上だ。さて、今のところ、何か質問は?」

「常務、よろしいですか」

会議室の先頭に背の小さな座っていた男が手を挙げる。

「なんだ」

「この、『現行のアイドル部門を解体し、整理、再編成する』というのは、どういった意味でしょうか」

「言葉通りだ。現アイドル事業部門のすべてのプロジェクトを解体し、白紙に戻す。その後、我々の理念に共鳴するアイドルのみを厳選し、強化する。これにより我々は、美城グループの虎の威を借る狐ではなく、美城という名を名実ともに背負うことができ、強力なブランドイメージを確立することができる」

その言葉を聞いて、耐え切れずに男たちは小声を交わす。

だが、それを遮るように椅子のキャスターを閃かせ、ある体の大きな男が立ち上がり、叫ぶ。

「プロジェクトにはそれぞれの方針があり、その中でアイドルは成長し、個性を伸ばしていると思うのですが」

彼女は尊大なまでに表情を変えない。

「個性を伸ばす。大いに結構だ。しかし、時計の針は待ってくれない。今の非効率的なやり方では成果が出るのが遅すぎる。本来であれば映画俳優などの分野におけるわがグループの立ち位置とは行かないにしても、より強力な、支配的ポジションを手に入れていたはずなのだ。その原因は、明らかに現行のやりかたにある。それで伸びるのは個性であっても、能力であるという保証がない。理念を実現するためには、足りないのだ」

「しかし! 一人ひとり歩み方は違います! 彼女たちはみな一様に同じ速度で歩いているわけではありません。一人は周りを見渡しながら歩き、一人はおそるおそると、一人は危なっかしくも後ろ歩きをしつつ、走り続けて途中で力尽きてしまう娘も、それを助け上げてともに歩み始めることができる娘もいます! 私はそれを知っています。ですが、それを無視しては笑顔を失ってしまいます! ……笑顔を失ってしまうやりかたは、自分にはできません」

常務はため息をつく。

「……では、君の案を聞こう。そんなに主張するからにはこれ以上の案があるのか?」

「少しだけ時間をいただければ、必ず……」

「早急に提出しなさい。私はあまり気が長いほうではない」

ぴしゃりと言い立てた女性は、即座に演台を離れる。

マイクの電源が切られた瞬間の雑音が、男たちの緊張の糸を切る。

常務が部屋の外に出たあと、部屋は瞬く間に不安に満ちた会話であふれた。

 

 

二人の男が346プロダクションの廊下を歩いている。片方は背の大きな男で、しきりに独り言 をつぶやいている。もう片方の男が男性としても低い背をしているせいか、縮尺がおかしいのかもしれないと思うほどにアンバランスな二人だった。

背の小さな男が話しかける。

「なかなかすごい発表だったな」

「ええ……」

「お前、本当にやるつもりなのか?」

「ええ……」

「なあ、聞いてるか?」

「ええ……」

「……」

背の小さな男がジャンプして、大きい男の頭をはたく。

「いたっ……!? な、なんでしょう?」

「お前、俺の話聞いてた?」

「い、いえ。申し訳ありません」

「いいよ。けどさ、さっきの話、本当に企画書出すのか?」

「……出す、いえ、出さなければならない。そう思っています」

小さな男が大きく肩を落とし、ため息をつく。

「まあ、どうせお前のことだろうから昇進のことなんて考えてないんだろうけど。お前と仲良くしてると昇進コースから外れちまうよ」

「それは、その、申し訳ありません。……離れたほうがよろしいでしょうか?」

「あぁー……いや、そんなつもりはない。まったく、お前には冗談も通じないな……」

「……申し訳、ありません」

「はぁ、これだよ。まあいいや。お前がそんなんなのは今に始まったことじゃないしな」

再度ため息をつく男。

「少しくらい昇進とか、社内政治とか考えたらどうだ?」

「いえ、しかし、私にとって彼女たちは……」

「色々あったのは知ってるよ。けどさ、それもこれも、社内で立場を作ってからのほうがいいんじゃないか? お前、本当なら今西部長経由で常務とだって仲良くなれたし、そうしてたら今回のことだってうまくいったかもしれないだろ?」

「……それはそうかもしれませんが、しかし」

「ああ、いいよいいよ。どうせお前のことだからそんな器用なことはできないって知ってるよ」

「はあ……」

大きいほうの男が困ったように手を首に当てる。

「別にこれまでがどうだったっていうのは今更うだうだやっても仕方ねえ。これからどうするか、だぜ。企画書を出すんだったら、少しは手伝ってやる」

「は、はい? い、いえ、お手を煩わせるわけには……」

「お前どうせ部長には手伝ってもらうんだろ?」

「あ、いや、まあそのつもりですが」

「なら俺に言ったっておんなじようなもんだろ?」

「それは……そうでしょうか?」

「そうなんだよ。だから、なんかあったら気兼ねなく言ってこい」

「……申し訳ありません」

「そういうときはありがとうって言ってくれ。ああ、もうこんなところか。今西部長によろしく言っておいてくれ。じゃあな」

そう言うと、彼は自分の部署に戻ろうとする。

「はい。わかりました。……ありがとうございます」

「気にすんなよ」

最後に肩を叩こうとして、届かずに腕を叩いて、男はちょっとだけ不機嫌そうになり、廊下の角を曲がっていった。

それを見送った大きなほうの男は立ち止まっていた足を再び動かし、また歩き始めた。

彼の部署も解体されているに違いないだろうに、なぜ余裕そうに見えるのだろうか。

自分はこんなにも慌てふためいているというのに。

そんな八つ当たりをしている自分に気づいて、さらに気分が沈む。

男の担当していたプロジェクトは、解体され、居室の割り振りはなくなり、プロジェクトメンバーたちの置いていた私物も、今まで使われていなかった地下倉庫に置かれているらしい。今後、身の振り方が決定するまで放置されるはずだ。

まるで本当の灰かぶりのようだ。

男は自嘲するように笑う。

これが結末だったのか。

自分の過去の過ち。笑顔を失わせた罰が、これなのか。

いつか再び、失わせてしまったぶんも笑わせてあげようと。

そう考えたのがいけなかったのか。

なんのためにこれまでやってきたのだろうか。

ガラス張りの渡り廊下から見ると、窓の外は夏から秋に変わろうとしている。

もしかしたら、そうなのかもしれない。

私たちは間違っていて、常務こそが正しいのかもしれない。

それが笑顔をなくすのだとしても、それが正しいのかもしれない。

だが笑顔をなくすのだとしならば。

私はそれを否定しなければならない。

正しいものであったとしても否定しなければならない。

そうと決めたあの日のことを、私は覚えている。

あの日、美しくもはかなく地面にこぼれ落ちた彼女の涙を見たその瞬間を。

私が消してしまった彼女の心の火の、暖かく、物哀しい残り火を。

忘れるな。

大きな音を立てて両手で顔を叩く。

「……よし」

まずは彼女たちに説明しなければならない。

……シンデレラプロジェクトのメンバーたちへ。

 

 

あたしこと神谷奈緒は、あ、あい、……アイドルだ。

まだ仕事は少ないけれど、いつの日にか大きな舞台で、可愛い衣装を……。

じゃなくて、というかそんな場合じゃない。

アタシは自分の荷物を抱えながら、椅子の上で膝を抱えて座り込んでいる。

アイドルであるということは、つまり芸能事務所なりプロダクションなりの一員であるということだ。フリーの人もいるにはいるらしいが、アタシには関係のないこと。

あたしの所属している事務所、346プロダクションは自分で言うのもなんだけれど業界でも大きいほうだ。だから社内を歩くだけで有名なアイドルがごろごろいるし、建物は綺麗だし、それに比例してここでアイドルになろうとする娘も多い。

そんな中で、あたしは自分がなぜアイドルになれたのか、なってから数ヶ月経った今でも不思議に思っている。

アタシがこの事務所に来てからの記憶は、これまでの人生で一番濃いものだと言える。

会社で働くということ自体が初めての経験だというのを割引いても、部署の先輩である城ヶ崎美嘉はそれまでテレビの中でしか見たことのない雲の上の人で、そんな人からダンスや歌のレッスンを受けたというだけでも天に登るような気分だ。

けれど、そういうふうに浮かれる自分を、冷静な自分が見ている。

どうして、自分はここにいるんだろう? いられるんだろう?

だから、今ここ、今まで使っていた部屋よりもずいぶんと小さな部屋に部署全員が押し込められている状況であっても、思ったよりも落ち着いていた。

美嘉はどこだろうとぐるっと視線を巡らす。一人でイヤホンをしながらリズムを取っている。それは、ライブの前によく目にする姿で、美嘉の精神統一のポーズだ。、

加蓮は私の横に座って本を読んでいる。こいつは、正直なところ何を考えているのかわからない。体が弱いくせに突拍子もないことをしはじめるから注意が必要だ。今回も、どうなるか……。

さておき、目に見えて慌てる様子がないのはその二人くらいで、美嘉は部署の最古参であり、最年長であるということを考えれば理解できるけれど、加蓮も落ちついているようだ。それ以外の娘たち――私達を合わせても十人もいないが――は皆一様に不安そうな顔をしていて、ひそひそ声で話し合っている。

その中の一人、大槻唯は、普段通りぺろぺろキャンディを食べていたが、さっき間違えてばりっと噛み砕いてしまってからは苛ついた顔をしながら自分の携帯電話を乱暴にいじり続けている。彼女の所属するユニットがティーンズ向けの渋谷系であるので、彼女のファッションもその傾向が強い。文字が大きく書かれた装飾過多のパーカーを着て、デニム生地のホットパンツにはスパンコールがあしらわれている。

もう一人のメンバー、藤本里奈はいつもの軽薄な様子は影を潜め、神経質そうに時折歩きまわってはそれを大槻唯にたしなめられている。大槻唯と同じユニットに属するため、彼女もギャル系のファッションであり、今日はタンクトップの上に向こうが透けるほどの薄い生地のシャツを、右肩を出して着ている。

がちゃり、とドアノブが回る。

すべての視線がドアに向かう。

「やあみんな、おはよう」

私達を担当しているプロデューサー、いや、聞くところによると担当していた、になるプロデューサーが明るく挨拶をしてくる。

三々五々部署のメンバーが挨拶をしていくのに答えながら、彼は皆に話しやすいような位置に歩いて行く。

彼からちょっと視線を横にずらすといつの間にか、美嘉がそばにいる。

「さて、みんな知っての通りだ。今回の件、聞いているね?」

皆答えない。

「……この部署は解体され、君たちはしかるべき部署に再度配置される。それは追って知らせる」

「解体……!?」

「やっぱり……」

驚きと戸惑いに満ちた声が部署のメンバーから発せられる。

そのざわめきが少し落ち着いたころに、彼は言葉を続けた。

「それと」

彼がこんな顔をしているのは初めて見たかもしれない。

奈緒はそう感じた。

「……現在のプロデュース方向も、今後は会社全体の方向に合わせて変更する必要がある。もしこの部署に残っていたとしても、これまでと同じようにやっていけるかは、正直なところわからない」

「どうにかならないの?」

「……何とか、何とかなあ」

彼は困ったように手を挙げる。

引きつったようなその顔は、どんな感情を表しているのかわからない。

「なんとかしたいと思ったのは思ったが、俺としても最近うまくいってないなっていうのは感じてたんだよ……」

「それはっ……」

彼は藤本里奈が何か言おうとするのを遮る。

「だから、いい機会かと思ってな。俺は、このままじゃいけないと思う」

そう言い放ったプロデューサーの言葉に、静寂が返る。

数瞬だったかもしれないし、数分であったかもしれない。

その言葉が聞こえた瞬間に、私達は止まっていた時を思い出した。

「まーいいかもね」

大槻唯が言った。

「唯!?」

彼女は左手を右側の手で挟んで、キャンディの軸だったプラスティックの棒を顔の脇で揺らす。

「だってさぁ。あたしたち、最近似たような仕事ばっかりだったじゃん? ジッサイ飽きてたんだよね~」

「ああ、俺もその点については申し訳ないと思う。美嘉を中心にお前たちに組んでもらっているユニット、『セクシーギャルズ』はその元々のキャラクターがそこにあったからな」

「そうそう。だから、ちょうどいいんじゃない? あたしたち、今までのままだったら」

唯はそこで後ろに立っていた私と奈緒も含めて全員に目を向ける。

「腐ってたかもしれないね」

楽しそうに言う彼女に、アタシは少しだけ怖くなった。

昨日まで気のいい仲間だった彼女が言い出す言葉。

裏切られた、とは違うだろう。

「里奈は、どう思う?」

美嘉が問う。

「アタシは……」

藤本里奈は手を口元にやったり、袖をいじったり、口ごもりながらも答えた。

「アタシは、わかんない。今までやってきたことが間違ってるとは思わない。けど、最近おもしろくなくなってたのは確か、だと思う」

「そう……」

美嘉は、藤本里奈の正直な告白を聞いて、考えこむように黙った。

「そうか。わかった」

そう言うとプロデューサーは三人が視界に入るように体の方向を変えた。

「唯、里奈、それに美嘉。…………すまなかった。今までがよかったからといって、これからもうまくいくとは限らないもんな」

そう言って声を上げたけれど、あたしには笑い声とは到底思えなかった。

ひとしきり笑った彼は、あたし達にも、セクシーギャルズの三人にも目線を丁寧に合わせたあと、断ち切るように言った。

「今日を持って『セクシーギャルズ』、そして、この部署は解体される」

もう一度大きく息を吸うと、

「……今まで、ありがとう。……特に、奈緒と加蓮には申し訳ないことをした。みんな、情けないプロデューサーですまないな」

「い、いえ……」

加蓮が慌てて言うのに合わせて、何か言おうとするけれど、声がでない。ただ、首を振り、否定するしかない。

「唯、里奈、……それに美嘉。これから先、お互いにどうなるかはわからないが、お前たちならばなんでもできるし、どこででも輝けると信じている」

「当然っしょ?」大槻唯がからかうように言った。

「ああ」

彼は、柔らかく微笑んだ。

「里奈もそう思うっしょ?」

「う、うーん……。アタシにできるかな……」

「里奈、お前ならできるさ」

「プロデューサー……」

里奈は、何も言わないままプロデューサーを見つめる。

「里奈。あんたなら大丈夫だよ」

美嘉が言葉を発した。

「美嘉……」

「里奈。最初初めてあったときから見たら、あんたは成長したよ。……アタシなんか要らないくらいにね」

藤本里奈は、耐え切れないといったように美嘉に向けていた目線を下げる。

私達は、皆黙り込んでしまう。

彼女たちの後ろには、あたしたちの思いもつかないような時間と、努力と涙、汗が結晶となっているに違いないのだ。その具体的な形はわからないけれど、その輪郭くらいは、これまで彼女たちと過ごしてきたたかだか数ヶ月でもよくわかった。今の彼女たちがアイドルとしてかなりの立場を築いている事実、それが、その証明だと言えるだろう。

俯いていたプロデューサーが、ゆっくりと美嘉に顔を向ける。

「美嘉、お前は……」

「いいよ。別に」

「え……?」

「アタシ、初めて会った時にこう思ったの。うん、この人は信じて大丈夫だ、って。アタシは正直なところ才能はないし、今の『セクシーギャルズ』のリーダーだって、全然できるって思ってなかった」

彼女は両手を胸の前で重ねあわせ、目を閉じる。

「けどね。アンタを信じてやってきたの。アタシが信じたプロデューサーが、アタシをここまで連れて来てくれたの」

目を閉じた美嘉は、祈るように言った。

「だから、アタシの心を、アンタを信じた心を、信じてよ」

「美嘉……」

その言葉を聞いたプロデューサーは顔を手のひらで覆ってしまう。

鼻をすするような音が少ししたと思ったが、すぐに彼はハンカチを取り出して顔を拭う。

「美嘉、すまなかった」

「すまない、じゃなくて。ありがとうって言ってほしいな」

プロデューサーの口癖だ。

くすりと二人は顔を合わせて微笑んだ。

「俺は、幸せものだな」

「そうそう。渋谷のカリスマセクシーギャル『城ヶ崎美嘉』をここまで育て上げたのは後にも先にもアンタだけなんだから!」

「はははっ。それはそうだ。その役目だけは誰にも譲らん!」

目を赤くした彼と、目尻から溢れる涙を隠そうとしない美嘉が、笑っている。

と、そこで里奈がプロデューサーの腕を取り、体を近づける。

「えーっ! アタシはアタシは!? アタシもセクシーギャルズの一員なのにー!」

「いっ!?」

「あー、里奈! 唯も唯もー!」

そう言いながら、大槻唯もまた里奈と反対側の腕をとり、胸に抱え込む。

「唯、またか!」

「ちょっと、アンタたち……」

プロデューサーは慌てふためきながら、二人を引き離そうとするが、下手に力技を使うこともできずに、ほっぺたを突かれたり、耳に息を吹きかけられたりと二人はやりたい放題だ。

美嘉の控えめな静止も効くはずがなく、どころか、それを狙ってやっているのだから行為はさらにエスカレートする。

挙句のはてに背広のボタンを外して中をまさぐろうとし始めたあたりで、美嘉が爆発した。

「あ、あああ、アンタたちぃーーーー!!!」

ひとかたまりになっている三人に、顔を真っ赤にして近づく美嘉。

「うわやばっ、やり過ぎた!」

「ちょっと、唯ちん!」

「てへっ」

「てへっじゃないっしょよー!」

「アンタたち、言い訳はなんかある!?」

「ないから見逃してくんない?」

そう言う唯に、美嘉はにこやかに答えた。

仕事で見られるいつもの笑顔の五割増しくらいさわやかだ。

「……見逃すと思う?」

「思わなーい! よし、逃げるよ、里奈!」

「がってん!」

二人を取り押さえようと突っ込んできた美嘉が、即座に離れた二人に突き飛ばされてプロデューサーの胸の中に飛び込んで、ドギマギしているのを二人がニヤニヤしながら眺めて、そしてさらにそれに気づいた美嘉が怒りながら二人を追い掛け回して、プロデューサーが笑っている。

「これって……」

「うん……、いつもどおりのアレだね」

美嘉に対する発破かけだ。

二人して、笑う。

いつもどおりの、といっても、それが再び行われるかはわからない。

けれど、あたしはその光景を見て、何故か涙がこぼれそうになった。

少しだけ不安になったのは。

なにも言わずにじっと三人を見つめている加蓮が、何を考えているのかわからないことだけだった。

 

 

今西部長の部屋。窓の外は、薄暗く、雨が降り続く。

分厚い紙の束を応接机の上に置く。

「君らしい企画だねえ」

シンデレラプロジェクトのプロデューサーが持ってきたその資料には、『シンデレラの舞踏会(仮)』と、常務への対抗策として彼が作った企画の名前が記されていた。

一週間と経たずに作成された資料とは思えない量と質。やはり彼に目を止めた僕と……そして彼女の目は間違っていなかった。

「他にも、いくつか考えたのですが」

「いや、君の信念を感じる、良い企画だと思うよ」

企画をほめても、彼は顔を上げない。

「ただ……」

彼もわかっていることだが、僕は改めて言わなければならない。

「美城常務がこの内容を納得してくれるか、かね?」

「……部署や、彼女たちの未来がかかっています」

僕はその真剣な顔に、つい彼と同じ癖――手を首にあてる――をしてしまう。

少しだけ手伝いをしてあげようと思い、そういえば、と思い出したていで話し始める。

「高垣くんの話、聞いたかね?」

高垣楓、346プロのアイドルとしては最初期にデビューした人物だ。

そして、彼との浅からぬ因縁も、僕は知っている。

「あ……はい。美城常務の誘いを、断ったと」

「彼女も彼女のやりかたで美城常務に対抗するようだ」

僕は、単なる彼ら、シンデレラプロジェクトの味方ではない。そして、敵でもない。

僕が目指しているのは、美城の本当の理念。そのために。

「なんだか、君に少し似てると思ってね」

そのためならば、彼も、彼女らも利用する。

 

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