なりぞこないのシンデレラ Des Cendrillon Manqué 作:etis
列車の窓に花のごと凍てしを
染むるあかつきの色
石川啄木 「一握の砂」より
ライブはつつがなく進んでいた。
シンデレラプロジェクト、そして常務による改革以後にシンデレラプロジェクトと協力するようになった部署を合わせたパフォーマンスが終わったとき、俺は人知れず息をついていた。
シンデレラプロジェクトの彼と彼女らは、常務への対抗として彼らだけではない新たな絆を育み、それをこの場で咲かせた。一時期は美城常務による再編成によってレギュラーを失った安部菜々、新たに編成されるロックバンドのメンバーとされていたはずの木村夏樹、最近神崎蘭子とのコンビで露出の多い白坂小梅など、シンデレラプロジェクトは前までのものとは違ってきていた。
「さて、次はプロジェクトクローネの……鷺沢文香と橘ありす」
俺はスケジュールを頭に思い描きながら、タオルを持って自分のアイドルが戻ってくるのを待つ。
城ヶ崎美嘉、俺の初めて担当したアイドルであり、今ではもうたった一人の担当アイドル。
俺たちのいた部署は、他の部署と合併してしまった。プロジェクトのリーダーとしてやっていた俺は、今では美嘉のプロデューサーでしかない。
舞台袖、階段の下で立っていると彼女の歌声が聞こえる。
彼には出世することも考えろといったが、自分はといえばもう望みがないだろう。目をかけていたアイドルたちは彼の元を去っていった。
救いと言えば今の部署の少女たちが彼に、彼ら二人に隔意を感じてはいなさそうだということだった。
そして、本当ならば、俺と一緒にいると、俺が担当なんかしていると美嘉には迷惑なはずだろう。だから、俺は彼女から……。
濁った思考を振り払うように、横を見る。そこには青みがかった衣装に身を包んだ二人がいた。
鷺沢文香と橘ありすだろう。
ふたりともが深い青の衣装を着ている。
鷺沢文香は水色のケープを羽織っている。彼女の顔はこわばっている。
横の橘ありすもこわばっているが、鷺沢文香ほどではない。子供らしく気張った、しかし期待に溢れているような顔をしている。
鷺沢文香の表情が気になる。
確かに緊張するだろうが、彼女のそれは度を越している。
よく見ると、身体も震えている。
「鷺沢さん……?」
橘ありすが気づいて、声をかける。
それが引き金だったのだろう。
鷺沢文香は荒い息を吐きながらうずくまってしまう。
「言わんこっちゃない……」
やれやれと思いながら、俺は彼女に近づく。
「えっ!? 鷺沢さん!」
曲がもう終わりそうだ。
「おい。大丈夫か」
声をかけると鷺沢文香だけでなく、橘ありすもびくりと震える。
鷺沢文香は答える元気もないようだ。
「あの、鷺沢さん!」
鷺沢文香は答えず、震えているだけだ。
かろうじて耳を近づけて聞こえたのは、
「いた……い。おな……か、が……」
病気を患っているという話は聞いたことがない。緊張による痛みだろうか。
「鷺沢さん。鷺沢さん」
曲が終わってしまった。歓声が聞こえてくる。
ゆるゆると彼女がこちらに目線を向けた。
ああ、美嘉もこんな目をしていたことがある。初めてのライブのとき。
「ステージは無理か?」
「は……い」
彼女は悔しそうにうなずいた。
「わかった。なんとかしよう」
「え……?」
「そんなあっさり?」
呆けている二人。だが、悠長にしている時間はない。
なんとか場を繋げなければならない。
「橘さんだね?」
「え、あっ、はい」
「彼女についていてくれ」
言い残して、俺は周りで心配そうに様子を伺っていたスタッフを飛び止める。
「おい、すまないがシンデレラプロジェクトのプロデューサーを読んできてくれ。あと、事務員の千川も」
すぐになんとかできるならなんとかしてやりたいところだが手札がない。唯一の手札である美嘉は、今歌い終わったばかりだ。もうそろそろMCが終わって戻ってくる。ここで彼女をステージに出して再度MCで繋いでもらうという手もあるが、結局は対処療法だ。そこから先が持たない。
どうするればいい……?
俺には今、権限もない。部署の長であったころなら、もう少し融通が効いたが今ではただの平だ。シンデレラプロジェクトのプロデューサーの力を借りるしかない。
考えながら、俺は他のスタッフに彼女の介抱をするように指示する。
その時、舞台袖に入ってくる少女たちに気づく。
トライアドプリムス。
奈緒と加蓮、二人が俺に気づいた。
その後ろからプロジェクトクローネのメンバーが顔を出す。
ちょうどいい、とりあえず彼女たちに鷺沢文香を楽屋へ連れていってもらおう。
「プロジェクトクローネ!」
近づいていくと、少しだけ顔がこわばる気がする。けれど、そんなことを気にしている場合じゃない。
「誰か、この先に出番がない人はいないか?」
「あ、私、もうありません」
そう言ってトライアドプリムス以外のプロジェクトクローネメンバーの先頭に立っていた、ショートの少女が手をあげた。
確か、速水奏か。
「鷺沢さんを楽屋に連れて行ってくれ」
「え?」
呆けている顔に、なにが起きたのか彼女たちはわかっていないんだということを思い出す。
確かに自分も気が動転しているらしい。
顔を振り、気を取り直して、「鷺沢さんは体調不良で出られない。まだ出番のある人にやってもらうわけにはいかないが、楽屋に連れて行ってほしい」
「ああ……なるほど。鷺沢さんは、大丈夫なんですか?」
「わからない。だがここにいてもらうわけにもいかない」
そこで、ステージを降りてきた美嘉がばたばたと衣装をはためかせながら近づいてきた。
「これ、どうしたの!?」
額に浮かんだ汗を拭いもせずに美嘉は聞いてくる。
だが、きちんと説明している時間も惜しい。とりあえず持っていたタオルを差し出してやる。
「美嘉。すまないがつなげることはできないか?」
彼女ならすぐに俺の意図を理解してくれる。
汗を拭きながらすっと目を細めて、彼女は問う。
「どれくらい?」
「とりあえず五分でいい」
「わかった」
言うが早いか、即座に彼女はステージに向かって走っていく。
これでひとまずは大丈夫だが、いつまでもは繋げられない。
女性スタッフと速水奏に両脇を抱えられ、鷺沢文香が楽屋へと移動する。その後ろを、橘ありすが小走りについていった。
危なっかしい足取りを少し眺めていると、後ろから声をかけられる。
「プロデューサー……」
加蓮が不安そうに俺を呼んだ。
「久しぶりだな。奈緒も」
「う、うん」
「……プロデューサー?」
小首をかしげて渋谷凛が聞いてくる。
「君が渋谷凛さんだね。俺は城ヶ崎美嘉のプロデューサー。ちょっと前までは奈緒と加蓮のプロデューサーでもあった」
「ああ……、なるほど」
「プロデューサー、これどうすればいいの?」と加蓮が聞いてくる。
「どうにかしたいところだが、手がない。誰かで穴埋めしたいところだが美嘉一人ではそうそういつまでもは繋げられない。だから、君のところになんとかしてもらえないかと思っている。まだ具体的には考えていないが……」
「私の?」渋谷凛が自らを指差す。
「そうだ」
そう言ったところで、舞台裏に三人の男女が入ってくる。
事務員の千川ちひろ、シンデレラプロジェクトのプロデューサー、そして彼を呼ぶように言いつけたスタッフだった。よくよく見ると、そのスタッフはシンデレラプロジェクトのメンバーである本田未央だった。
「状況はわかっています」
彼は走り寄ってくるなりそう言った。
「出演順を入れ替えて、トライアドプリムスが先に出ることは可能ですか」
まず彼が渋谷凛を見る。渋谷凛は、そうして向けられた目線を奈緒と加蓮に向ける。
「えっ……あ、ああ」
「う、うん」
そして、その目線がまた凛に帰ってきて、
「いける」
プロデューサーへと戻る。
その視線を受取り、頷いた彼は舞台の準備を担当するスタッフへと言った。
「それで、調整できますか」
「少し、時間をいただければ」
そうして、千川ちひろが関係各所への連絡を受け持つことになり、スタッフと彼女が走り去る。
出演順の入れ替え、それだけじゃ足りない。
短く見積もっても十分以上は準備にかかる。
その間をすべて無言で満たすのはもちろん、美嘉のMCだけでもきつい。
二人考え込んでいると、本田未央がシンデレラプロジェクトのプロデューサーへいった言葉が聞こえた。
「私に、なにかできることある!?」
そうか。
「なあ、プロデューサー」
「なんですか?」
「そっちのメンバー、今暇か?」
問いかけると、はっとした顔をする。
にやりと笑いかけて、「こっちの美嘉のMCとお前らのアイドルのMCでつなごう。人数がいればいくらでも保たせられる」
こくりと頷いた彼が本田未央に向かって言う。
「全員を集めてください」
「おっけー!」
大慌てで呼びに行く彼女に、廊下に出て後ろから声をかける。
「急ぎすぎてこけるなよ!」
「はい!」
口のあたりにあてていた手を下ろして、俺は廊下に立ち尽くす。
布石は打った。
あとはもう動くだけだ。
揺れる視界。
薄ぼんやりとした意識の向こうから、腹部のじくじくとした痛みと髄まで染みこむようなステージからの音が小さく聞こえる。
ゆっくりと身体を起こす。
「鷺沢さんっ」
橘さんの声が聴こえる。
「あぁ……」
ごめんなさい。
「ごめんなさい……」
こんなに小さな娘でも、立派にステージに立とうとしていたというのに。
あんなときに倒れてしまうなんて。
涙を流してはいけない。
そんなものは、駄目だ。
迷惑をもっとかけてしまう。
私に望まれているのは、早く体調を直すことだ。
泣きわめくことでは、ない。
自らの手が、震えていることに気づく。
見捨てられるのが怖いのだ。
橘さんに、見下げられるのが怖いのだ。
自らの小さなプライドが。
矮小な、芽生えかけた自信が。
それをひどく怖がっている。
「鷺沢さん……」
震えた手に温かな何かが重ねられる。
顔を上げると、彼女は困ったような顔をしている。
「ありすで、いいです」
そうか。
橘さんの、いや、ありすさんの手も震えている。
「ありす、さん」
そうわななく唇が、彼女の名前を音にする。
今日初めて、ありすさんの顔をきちんと見た気がする。
それは、不安に満ちていて、けれど。
「不安は」
ぎゅっとありすさんが強く私の手を握る。
「不安は二人で分かち合えば、へっちゃらです」
「ありす、さん」
私は、なんて愚かなのか。
不安に思わないはずはないのに。
けれど、こんなふうにうつむいていても前には進めない。
「ありすさん」
私は、前に進みたい。
だから、いまここにいるのだ。
「はい」
私は、彼女と共に進むための勇気を、温かなそのぬくもりから貰ったのだ。
「私のことは文香、と呼んでください」
さっきとはまったく違う意味のドキドキが、心臓を揺らす。
けれど、目を逸らしてはいけない。
ありすさんは、一瞬きょとんとした顔をする。
そして、すぐに大輪の花のような笑顔を見せる。
「はいっ! 文香さん!」
可愛らしい、そして、頼りになる私の相棒。
私はありすさんの手を外側から握り直すようにしてから一緒に抱え上げる。
「ありすさん。今度こそ、よろしくお願いします」
「ええ。文香さん」
二人なら、歩んで行ける。
そう、信じられる。
一息ついたころにはもう夜半もいいところだった。
外はもう真っ暗で、晩秋の風が吹いていることだろう。
そこらじゅうを歩きまわったせいでくたびれはてて、シャツは汗を吸い、埃にスーツは汚れている。
悪くない気分だった。
すでにアイドルたちは帰宅しているはずだ。
舞台や舞台衣装なんかの撤収作業も終わり、今はほそぼそとした書類なんかをまとめている。今日の昼にはこまごまとしたものがたくさん置かれて、人の往来の激しかった楽屋は、今はがらんとしている。
ふと扉のノックの音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
答えると、シンデレラプロジェクトのプロデューサーが入ってきた。
「やあ」
「お疲れ様です」
「なにか、用でも?」
「そういうわけではありません。そろそろ事務所に戻ろうかと思いまして」
「ああ、乗せてってくれるのか」
彼は頷いた。
「それは助かるよ」
俺は書類をファイルにまとめながら、聞いた。
「こんだけ成功したし、問題が起きたときの対応だって丸投げだったんだ。美城常務はなにか言っていたか?」
「とりあえずは、来年の審査まで待っていただけることになりました」
「そうか」
そいつは良かった。
つぶやきながら、とん、と書類を整える。
「このぶんだと、春のそれもうまくいくだろうな」
「はい。……いいえ」
「なにか、不安なのか?」
「不安、といいますか。すこし気にかかることが」
「それは?」
彼は口を開きかけ、閉じる。
「……とりあえず、外に出るか」
うなずいた彼とともに、無言のままで部屋を出る。
廊下には人気が少ない。時折すれ違う者たちももう帰り支度を済ませている。
ライブ会場の建物の裏口から外へ出ると、思った通りに肌寒い。
スーツだけではそろそろいられないかもしれない。
彼の車の置いてある駐車場で二人、歩く。
脇を通る車のクラクションが、ドップラー効果で低くなる。
「……私のプロジェクトの、かたのことなのですが」
「ん?」
「さっき言いかけた、悩み事です」
「ああ」
「最近、少し様子がおかしいような気がしているんです。具体的にどうとは、よく言えないのですが」
「それは……」
「ふとした拍子に、目線を向けるとなんだかぼうっとした目をしていたり、何か無理をしているような気がして……」
「いちおう聞いておきたいんだが、どの娘の話だ?」
「それは」
彼はちょっと口ごもり、
「島村さんです」
「島村さん? 島村卯月さんか?」
彼はこくりと首を縦にふる。
「彼女、最近あんまり見ていないがどうなってるんだ? ああ、いや、ニュージェネか……」
「はい。渋谷さんがプロジェクトクローネに参加している都合上、ニュージェネとしての活動が減りました。ですが彼女個人としての仕事もあるので、それほど減らした感覚はなかったのですが……」
「そうか? うーん、俺の勘違いかな。見ないような気がしたんだが……」
「……わかりませんが、その島村さんの様子がおかしくて、それが気がかりなんです」
「そんなに深刻なのか? なんか、学校で友達とうまくいってないとか、そういうのじゃないのか」
俺はズボンのポケットに手を突っ込むことがある。だが、彼はしない。
冷えた手を温めるように、彼は首を抑えた。
「島村さんはいつも快活で、塞ぎこむようなことのあまりない方なので。大したことでなければいいのですが……、島村さんには、これまで何度となく助けられたので」
恩返しというわけではありませんが、と彼は少し喉を鳴らした。
「助けられた?」
俺の問に、答えずに彼は言った。
「……島村さんには、何が見えているのかずいぶんと不思議に思ったことがあります。以前、本田さんが道を見失いかけたとき、島村さんに本田さんも、そして私も助けられました。あんなにまっすぐな瞳を、正面を向いた態度を、私は忘れていた気がします」
「そいつは……」
もともと不器用なやつだったが、最近の常務への反発は、そのおかげか。
「あの時のこと、まだひきずってんのか?」
ぴたりと彼は足を止める。
一歩だけ前で、俺も止まる。
街灯の切れ間で、彼はうつむく。
顔は、よく見えない。
「……忘れられません。忘れられるものですか」
珍しい彼の怒気が、握りしめた拳から聞こえる。
「そう、だよな」
「はい。いくら先輩に忘れろと言われても」
俺は大きなため息を出す。
「わかってるよ。けど今はそうじゃないだろう。島村さんは、どうするんだ?」
彼は顔を上げて、俺を見た。
「……そう、ですね」
深呼吸をして彼は、申し訳ありません、行きましょう、と言った。
そのまま言葉少なに歩き続けて駐車場にたどり着いた。
車に乗り込んでから、助手席に座った俺は軽い調子で言った。
「なあ」
「はい?」
「あの時のこと、彼女たちに言ってみたらどうだ?」
「そんなことは……」
「わかるさ。自分の失敗を言いたくないのはな。けど、お前を構成する一部分だろ。それに、あのときの娘だって今じゃ立派になってるんだ。この前、今西部長から聞いたぞ?」
「は。いえ、彼女は」
「いいから。そろそろお前も、過去を清算するべきなんだよ」
横目に彼を見る。
迷った瞳。
「……言う、言わないは別にして、そういうことだよ」
「わかり、ました……」
彼はのろのろと車のエンジンをかける。
社用車の漂白された匂いの上に、アイドルたちのいろいろな匂いが覆いかぶさっている。
こんなところにも歴史、いや、日々は積み重なっていくものなんだ。
過去の傷だって、いつまでもいつまでも痛がっていてもしかたない。
できたかさぶたが、本当の身体の一部になるようにしなくては。
少しくすぐったいかもしれないが、前に進むことができるようになる。
彼の傷が、彼女の傷かもしれない何かをわかってくれることを。そうでなくても、傷をわかることのできるようななにかであることを祈りながら、俺達は事務所への帰途に着く。
事務所にたどり着いたのがぎりぎり午前0時前。
そのまま軽く食事をして、仕事をしようと城ヶ崎美嘉のプロデューサーと別れ、シンデレラプロジェクトの部屋に戻る。
しん、とした部屋の中には今朝までにメンバーたちが準備していた跡が残っていた。
ホワイトボードには、スケジュール表などの事務的な掲示のほかにライブに向けた意気込みが寄せ書きのように書かれている。
私はほほが緩むのを感じながら、それに近寄り、眺める。
子供ができたら、彼女たちに感じるような思いを抱くんだろうか。
触ってしまったら文字が崩れてしまう。だが、抱きしめたいほどに大切な。
純粋に私はそれが愛おしかった。
ホワイトボードから離れて、机の上には編成表やスケジュールなどの書類がまとめられている。全員が参照する用の書類もある。こういった調整は、新田さんが主にやっていてくれているが、それ以外にも高校生のメンバーを中心に手伝っていてくれるようだ。
ソファの上にスーツを脱ぎ捨てて、ソファに座り込む。
少しだけ、眠ってからにしようか。
時計の針が時を刻む。
薄暗い倉庫だった部屋の中で、今日のライブの音が思い出される。
そして、今日じゃない、数年前のライブもその音の奥底から湧き出てくる。
いつもならば辛く、悲しくなるその音。
だが今ならばそれを聞けるかもしれない。
いや、聞かなければならない。
彼女たちが前に進もうとしているのに、私が進まなくていい道理はない。
ゆるゆると身体がソファに沈み込んでいく。
過去を思い出しながら、私は静けさに埋もれていく。
「プロデューサーさん」
「……」
「プロデューサーさんっ」
「えっ、あ、申し訳ありません」
「もう、しっかりしてくださいね? 今日は私の初単独ライブの日なんですから」
私はごまかすように笑いながら、言った。
「申し訳ありません。ちょっと、その、現実感がなくて」
そう言うと、彼女も困ったように笑った。
「ふふ。それは、確かにそうですね。私も現実感がなくて、これは夢なんじゃないかって朝起きたときに思いましたから」
有名になる夢、なんて怖いですね。そう彼女は笑った。
「今は、そうじゃないんですか?」
「あなたに会ったら、そんなものは吹き飛んじゃいました」
「それは……?」
どうしてでしょうか。
「現実逃避なら、あなたがこんなに楽しそうにしているはずはないもの」
「そんな顔を……していますか?」
「ええ」
彼女は心底おかしそうに笑った。
今朝起きた時に見た自分の顔は、いつもとかわらなかったけれど。
「いつもより眉間によったシワの数が一つだけ少ないです」
「よくわかりますね」
「冗談ですよ?」
驚いた声を上げても即座に切り返される。
私は憮然とした顔をして、それでもよく無表情だと言われるのだけれど、自分としてはむっとしているつもりの顔を向ける。
「あらあら。怒っちゃいました?」
「怒ってはいません」
「ですよね」
そう、彼女は私より私を知っている。
何歳か歳下の彼女。
そんな彼女と一緒に仕事を始めたのは三ヶ月ほど前のことだ。
一緒に仕事を、と言ってもこの会社は普通の商社なんかではない。
彼女はアイドル、そして私はそのプロデューサー。
まだこの会社は出来たばかりだ。346プロダクションは美城グループを母体としたグループ企業のうちの一社だ。美城グループと言えば芸能業界のドンで、比類するもののない王者として君臨していた。
ただし、それはアイドルなどを除けば、の話だ。
以前から『美城はその名の通り、城のように硬い』と言われていて、扱う作品や人材はその多くがきちんとした賞をとった海外の映画や流行した私小説や純文学、ミステリ、SFの映画化、そして映画俳優や吹き替えの声優、あるいはスタントマンなどであり、アイドルや芸人の類はあまり扱おうとしてこなかった。
しかしながら、それではもちろんのことながら近年のコンテンツとニッチの多様化に追従できないことは明らかだ。
なので、旧態依然の象徴のようであった美城グループが346プロクションを設立したことは業界関係者にとって驚きであった。
そのころの職場は場末の小さなプロダクションで、所属しているアイドルや俳優の数は片手で足りる程度だった。
不可もなく可もなく、淡々と大手の言いなりになって仕事を進める。
そんなことが嫌になって転職先を探していたときに346プロダクションの噂を聞いた。そして、ひょんなことから今西部長と知己を得て、引きぬかれた。
美城グループ本体からもある程度は人を出すものの、やはりそこは新規設立であるために人材の不足は大きな問題だった。そこに経験者と来ればどんなものであれ欲しくなるというものだった。
そして、私は大きなキャリアアップを果たした。
別にキャリアアップ自体は目的ではなかったが、それでも昔から欲しかったテーラーメイドのスーツ一式を揃えたり、手巻き機械式の腕時計を買ったりといったことができたときは、満足感を感じたものだった。
だが、今考えるとゆっくりとした時間は彼女と出会ってからなくなった。
自らの手でなくした、というほうが正しいかもしれない。
彼女はまさしくステージの上に立つために生まれた女性だった。
いま、目の前に立っている彼女の魅力は、すらりと長く、細い足。そのぶん背たけは大きく、女性としては少々珍しいだろう。
こんなことを言うと女性には、彼女には怒られてしまうかもしれないが、化粧をしていないときの顔を思い浮かべてもその魅力には遜色がないように思える。まなじりは柔らかく、鼻梁は筋をなす。唇は厚く、それでもいやらしさは感じさせない。
衣装もあいまって、妖精のような。
「あら、妖精だったら、いたずらしちゃおうかしら」
ぱっと口を抑える。
「声に出してましたか?」
「出てましたよ?」
彼女といると調子が狂う。
見ていると彼女がこちらの目を見つめる。
上目遣いで、首をかしげながら。
さらりと髪が流れて頬に線を作る。
鎖骨が露わになり、私はごくりと息を飲む。
「私、妖精のように可愛いでしょう?」
ここで負けてはいけない、その一心でこう答える。
「ええ。美しいです」
そう答えると、彼女は頬を赤く染める。
「そ、そうですか……」
こういうときにこそ正直に答えると彼女は案外と弱い。
それが、何ヶ月も一緒に過ごしておもちゃにされがちな自分が気づけたことだった。
しかしながら、言った本人も気恥ずかしさで耐えられなくなるのが問題だった。
二人して顔を真赤にしている。
「なんだか、阿呆みたいですね」
「……そうですね」
目をそらして、私は意味もなくネクタイを整える。
視界の端で、彼女も髪をいじっている。
「そういえば、準備はもういいんですか」
「え、ええ。もちろん」
言ってから気づいたが、ここに来ている時点でもう大丈夫にきまっている。
なにも話すことがなくなってしまって、二人とも目線を合わせてはそらしてを繰り返す。
そういえば、彼女は何をしに来たんだろう。
事務的な話ならいくらでもできるけれど、後はもう開始時間まで待つだけだ。このライブは彼女にとって初めての単独ライブだが、今この段に至ってはしなくてはいけないことがない。できることはいままですべてやったつもりだ。
不思議に思っていると、彼女がこちらに向き直り、顔を上げる。
「あの……」
「はい」
「プロデューサーさん。一つ、お願いがあるんです」
「お願い?」
「はい。お願いです」
「それは、どのような?」
彼女は首を横に振った。
「私を、信じてください」
「……それは、どういう意味でしょうか?」
「私は、あなたを信じますから、あなたも私を信じて、前に進んでください」
困惑したまま、とりあえず言葉を発する。
「よくわかりませんが、私はあなたを信頼しているつもりです」
「ええ、それでいいんです。それで」
儚げに笑う彼女。
私は何かを間違ってしまったのだろうかと不安になる。
何かを言い足そうと口を開きかけたそのとき、スタッフの呼ぶ声が聞こえた。
「すみませーん。そろそろスタンバイお願いしまーす」
「あ、はーい」
答えた彼女は、視線をこちらに戻す。
さきほどとは打って変わって力強い瞳だ。
百人も行かないほどのチケットしか売れなかったし、そのチケットだって知り合いなど方方(ほうぼう)を通じてやっとその数に届いたほどだった。活動を始めたばかりのアイドルにはお似合いと言える。
だが、それでも。
前いた会社での仕事とくらべてさえも規模は小さいけれど、ここが自分にとっての始まりだ。だが、どこにたどり着けるかはわからなくても、この道を歩きたいと思ったのだ。
それは彼女もそうなのだろう。
「プロデューサーさん」
「はい」
「いってきます」
「……いってらっしゃい」
私は、できうる限りの心を込めて、彼女へと微笑んだ。
「高垣さん」
彼女は私の言葉に振り向いて、目を一瞬だけつむったあと、力強く歩き出した。
ステージから漏れ出る光に彼女が埋もれていく。
私はもう一度だけ口の中でつぶやいた。
いってらっしゃい。
それからは矢が飛ぶように月日が過ぎていった。
今となって思うとそれは幸せな日々であり、そして、崩壊への日々でもあったに違いない。
とんとん拍子にスターダムに上り詰めてゆく彼女と、私は自分も一緒に登れているのだと思っていた。
彼女の隣に立っているのは自分なのだという錯覚。
一年も経った頃に、私が担当しているアイドルは五人ほどに増えて、初めて担当したアイドル――高垣楓――に付き添って仕事に行くことは減っていた。
あの日、高垣さんは撮影のために出ていたが、私は事務所で作業だった。
昼ごはんを食べるために、つい最近社屋の一階に出来たばかりのカフェテリアに行こうかと考え、廊下を歩いていると見知った顔に出くわした。
「おう、昼飯か?」
今は城ケ崎美嘉のプロデューサーである彼は外部から入社した私と違い、美城グループの関連会社から出向してきた社員である。会社の立ち上げ時期から彼は業務に携わっており、初対面のとき自分のことを名前でも役職でもなく、先輩、と呼ぶように(冗談交じりながら)要求してきたことをよく覚えている。
「はい。行きますか?」
「おう」
二人連れ立って歩き出す。
「いやはや、あそこが出来てから外に出て飯買いに行かなくて済むようになって楽だよ」
「本当ですね」
「けど、あの量で足りるのか?」
「あの量で、とは?」
「お前、身体でかいし、カフェテリアってぶっちゃけあんまり量ないと思うけど」
「ああ、いえ、身体が大きいからといってたくさん食べるというわけでもありませんよ」
「ふーん、そうなのか」
カフェテリアに入ると、昼時らしく席は大方埋まっている。
「いらっしゃいませ! 二名様ですか?」
空いていそうなところを探していると、店員らしき少女が笑顔で話しかけてくる。メイド服のような制服で、髪の毛をポニーテイルに縛っているリボンは、彼女が動くのに合わせてまるでうさぎの耳のようにひらひらと踊っている。
「やあ、また来たよ」
「こんにちは! 今日も来てくださってうれしいです!」
彼はできてそんなに経っていないというのにもう常連扱いになっているらしい。
「それでは、お席にご案内いたします」
店員の少女が、にっこりと微笑む。幼い外見に反して、しっかりとした立ち振舞いだ。
席につくなり、先輩がメニューを広げて、「お前はどうする? 俺はランチメニューにするんだが」
「ランチですか?」
「ああ。とりあえずなんでもいいならそれが一番楽だ。美味いし、安いし、日替わりだし」
「そうですか……じゃあそれにします」
「うん。あ、すいませーん!」
「はーい!」
ぱたぱたとリボンをはためかせて先ほどの店員が走り寄ってくる。
「ランチ二つ」
「ランチセットをお二つですね」
エプロンからメモ帳を取り出して、さらさらと書き出す。
「では、少々お待ち下さい」
お辞儀をして彼女は再びにっこりと笑った。
歩き去っていく少女を眺めながら、先輩は言った。
「……あの娘、アイドル志望なんだよ」
「え?」
「どうにも親御さんにいい顔をされなかったらしくてな。家出同然で来てるんだ」
「そう、なんですか」
「他のところも受けたらしいんだが、のきなみダメだったんだと」
「それで、うちに?」
「ああ、とりあえずここでバイトすれば移動時間とかも削れるし、レッスン受けながらときどき回ってくる仕事をやっているんだとさ」
「回ってくる? 担当の者はいないのですか?」
彼は首を横に振る。
「いないわけじゃないんだが……」と、彼は言葉を濁すと、小声で「ここだけの話だが、腰掛けだから、育てる気がないんだよ」と言った。
「腰掛け?」いきおい私も小声になる。
「関連会社からの出向さ。一年二年経てば元の会社なり本社なりに戻ることが決まってるからやる気がないのさ」
「それは……」
「ひどい話だよ。あんなに頑張っているのに、やりきれない話だ」
それきり、彼は口を閉じてしまう。
店内を忙しなく動きまわる彼女をぼうっと見つめる。
かわいらしい笑顔を振りまいているけれど、彼女は心中でどう考えているのだろうか。
「俺たちにはなにもできんさ。できるのは自分の担当をきちんと見てやることくらいさ」
「それくらいしか、できませんね……」
「あるいは、出世したときのことを考えるくらいか。やれやれ。暗い話はやめておこう」
言うと、彼は無理やりに雰囲気を変えて笑顔を作る。
「そっちの高垣さん、調子良いみたいだな」
「ええ。おかげさまで、今度はアルバムが出せます」
「随分ととんとん拍子だよな。よくやったよ、お前は」
そう言って彼は胸ポケットから煙草を取り出す。
「……ええ、高垣さんの努力あってこそです」
「たしかにな。ま、うちの美嘉も負けてられないな」
冗談めかして言う彼。困ったように眉を寄せながら煙草に火を付ける。
「ファースト・シングル以来、どうにもうまく行かなくてな。ある程度のレベルの仕事は来るから、まあいいと言えばいいんだが……。もうちょっと上を狙えるはずなのに、どうにも消極的で。あんなギャルギャルしてるのに、根は小心者、っつうのもギャップ萌えになるんかな」
「ギャップ萌え、ですか?」
「ああいう表面上強気でその実繊細な弱い女性っつうのが男は好きなものさ。いつもいつもかっちりしてる女なんか、肩がこって仕方ない」
「まあ、それはそうかもしれませんが……、そういう女性が好きな方もいらっしゃるのでは?」
「そりゃそうだが、それはアイドルじゃないだろう?」
「え? ……はあ、そうかもしれませんね」
「まあそれはいいとしてだ。そろそろ殻を破ってほしいなっていうのが現状なわけだよ。俺が手伝っちゃ意味がないから、なにもしないけどな」
ふてくされるように言った彼の言葉に、「なにもできなくてはがゆい、の間違いじゃないですか?」とからかうように聞く。
「……ふん、そんなわけないだろう。このくらいの壁、一人で乗り越えてもらわんと、こっからさきは大変だからな」
「ははは……」
素直じゃないな、と思いながら笑っているとランチが運ばれてきた。
「ランチセット、お2つです」
「ああ、ありがとう」
そう先輩が言うと、少女はトレイから二つのランチプレートを配膳し、
「いえいえ! 今後共ご贔屓によろしくお願いします!」と言った。
深々とトレイを抱えてお辞儀をした少女は、もう一度微笑んで仕事に戻っていく。
「……あの娘のためになるかはわからんが、俺達も頑張らないとな」
「はい」
ランチプレートの上にはサラダとデザート、そして温かなクラブサンドが置かれていた。
「美味しそう、ですね」
「ああ……そうだな」
そうして、私たちは静かに昼食をとった。
その日の夜、複数人のプロデューサーで共有している部屋で、残業をしているのが自分だけになった。いつもならば何人かはこの時間でも残っているのに、珍しいことだ。
部屋の中で、一人パソコンに向き合っていると窓を雨が叩く音が聞こえる。
昼過ぎから降り始めたその雨は夜になるにつれ強くなってきた。
高垣さんは、傘を持って行ったのだろうか。
朝会った時に確認すればよかったな。直帰だから、もう関係ないけれど。
そう思いながら冷たくなったコーヒーをすする。
ふと、画面に何かが動いた様子が反射した。
誰かが戻ってきたのだろうか。忘れ物だろうか。
そう思いながら振り返ると、そこには高垣さんの姿があった。
「高垣さん!?」
細身のジーンズも、カーディガンに包まれた上半身も、全身ずぶ濡れで彼女は部屋の入り口に立っている。
髪の毛がとくに濡れていて、傘もささずに外を歩いたのだろう、目も隠れてしまっている。
「こんなに濡れて……! 今タオルを……!」
慌てて立ち上がった私は、けれど彼女が発した言葉に動けなくなった。
「プロデューサーさん」
いつものように私を呼ぶ声なのに。
「あなたは、私を信じてくれなかった」
「え……? あの、高垣さん?」
うつむいた彼女の顔はよく見えない。
「私のことも、結局高垣さんとしか呼んでくれませんでしたし、そういうことだった」
「なにを言っているんですか?」
「信じていたのは私だけ……。馬鹿みたいですね」
「あの、何を……」
「プロデューサーさん、聞きました」
「聞いた……?」
「私の今度の仕事のために、『何か』をしたらしいですね」
私が何をしたか、彼女は知ってしまったのか?
私が、彼女に仕事をしてもらうために、他の少女の夢を蹴落としたことを。
「知っているんです。あなたが何をしたのか。あなたが、私のためになにをしたのか」
「私が、何をしたっていうんです」
自分の声が震えていると分かる。
「言わなければ、なりませんか? 直接あの娘と、そのプロデューサーさんから聞いたっていうのに?」
息を飲む。
「あれは……、その、あなたのほうが似合う仕事でした。あちらのプロデューサーからも承諾を得ていましたし……」
「そんなことは関係ありません!!」
大きな声を上げて、高垣さんが顔をあげた。
今、やっと気づいた。
彼女は、泣いているんだ。
彼女の声が変に聞こえたのは勘違いではなく声が震えているからだ。
泣いているから、声が震えているんだ。
「あなたは! あなたは、彼女のあの仕事への思いを知らないから、そんなことが言えるんです! あの娘は、自分があの仕事に合っていないことなんてわかっていました。それでも、憧れていた仕事だから合っていなくても、なんとかやりきってみせようと。オーディションに受かったあとそう言っていたのに……、言ってくれたのに……」
彼女はこぼれ落ちる涙を拭いながら叫んだ。
「奪い取って得たこの仕事を、私が喜ぶと思いますか! 見知った彼女が泣いている姿をさっぱり忘れて笑顔になれると思いますか!」
「た、高垣さん」
「あの娘が、笑顔で仕事をできると思いますか! あなたも、あの娘のプロデューサーも、なんでそんな単純なことがわからないんですか!」
豊かな声量で、涼やかな凛とした声で。
そんな彼女を形容する言葉は忘れ去られる。
燃え尽きる前の篝火のように、濃霧の中に光が紛れていくように。
彼女は、泣いている。
「……プロデューサーさん、私は今まであなたを信じて来ました」
「高垣さん、私は、私もあなたを信じてきたつもりで……」
「いいえ」
彼女は首を横に振った。
涙に濡れた瞳で、彼女はこちらを睨みつける。
「あなたが信じていたのは、私じゃない。あなたが信じていたのは、あなたの中にいる都合のいい私の影だけ……。私は、あなたの道具じゃない!」
言い捨てて、彼女は部屋を飛び出していく。
「たっ高垣さん!」
一瞬呆然として、自分も部屋を飛び出すが、近くにある角をもう曲がってしまったらしい。その姿はもう見えない。
立ち尽くしていると、後ろから声をかけられる。
先輩だった。
買い物にでかけていただけらしい。左手にコンビニのビニール袋をもって、右手で菓子パンを頬張っている。
「よう、どうしたんだ?」
「あっ……」
「ってお前、すごい顔してるぞ」
心配して声をかけてくる先輩にも答えられない。
この段になって私はようやく何かを間違えてしまったということを実感したのだった。
それから、私と彼女の関係は考えるのも嫌になるようなものだった。
救いと言っていいのか、一月もしないうちに私は彼女の担当を外れることになった。
それは、もしかしたらうまく行っていない仲を鑑みてのものだったかもしれないし、成功したアイドルをいつまでも外部からの人間に任せてはいられないという上層部の意向だったのかもしれない。
それでも数ヶ月が経って、久しぶりに出会ったとき彼女は私に対していつものように微笑んできた。
通り一遍の挨拶の後、一言だけ彼女が言い残した。
「私は、あなたがやったことは、正しいんだと思います。けど、正しくても、嫌なんです」
こともなげに彼女は笑って言った。
私の反応も見ずに、彼女は別れの挨拶をする。
さようなら。
また会おうでもなく、さよならとしか言わない彼女。
去っていく後ろ姿にやはりステージの上に立つために生まれたような素晴らしい女性だと思い、そして、私はその横に立つ立場ではなかったのだと感じる。
私のような手を使わなくても彼女はいずれ頂上へとたどり着く。
私のやり方は正しいと彼女は言った。それでも彼女は私と共に歩むことを選ばなかった。
私の手を離れてからの彼女は、変わらずに成功を重ねている。
もしかしたら、私が担当していたときよりも伸びがいいかもしれない。
考えれば考えるほどに、私が彼女と一緒にいたあの時間が幻のように思えてくる。
ああ。
妖精に騙されていたのかもしれない。
私が見ていたのは、妖精の見せた幻だったのだ。
そう。
私には華やかなお城で美しい姫と踊るようなことは似合わない。
お城に続く馬車を操る、無愛想な御者がお似合いだ。