なりぞこないのシンデレラ Des Cendrillon Manqué   作:etis

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鏡とり
能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽あきし時

石川啄木 「一握の砂」より


六章 再帰する日々

ライブが終わり、頭がまだふわふわとしている。

興奮した神経が、今日の出来事を何度も思い出している。

初めて奈緒と凛の二人と歌ったのが、歌えたのが今日でよかった。

あの時の、パフォーマンスの始まる前、暗転したステージをマイクの置かれた場所まで歩いて行く途中、なにを考えていたのだったか。演者が位置を確認するために張られているテープを探していて夢中だったかもしれない。

緊張はしていた。

していたのに、嫌じゃなかった。

終わったあとも、自分があんな舞台に立てたことが信じられなかった。

その、自分のしたことが信じられないということ自体が、その証明なのかもしれない。

途方も無いことをしたのだという実感。

終わってから、凛と奈緒、そして私の三人はそのまま帰る気にならなかった。

叶うことなら、いつまでも歌っていたかった。

だから、三人でカラオケに行った。

凛はあんまり最近のJ-POPを知らないみたいだ。広く浅く、いろんなアーティストの曲を聞く私とは違って、好きなアーティストが決まっていてその人の作品を昔のまで聞いてしまうタイプらしい。私たちが知っているアーティストでも、彼女が好きな、けれどメジャーじゃない曲を歌う彼女は少しだけ誇らしげだった。

奈緒は奈緒で、私の知らない曲をたくさん歌っていた。最初は恥ずかしがっていたけれど、やっぱり今日のライブでテンションが上がっていたのか、少し経って吹っ切れたのか、すごい勢いで歌い始めた。アニメのオープニングかエンディングだか知らないけれど、かっこつけたがりの奈緒があんな可愛らしい振り付けをしながら笑顔で歌うなんて、アニメってすごい。

そんな楽しい時間もいつまでは続かない。

私と凛は都内に住んでいるけれど奈緒は千葉に住んでいる。

そんなに遅くなったら、両親が心配してしまう。

仕方なく別れて、凛と二人で近くの駅まで一緒に帰ってきた。

住宅街にある駅。

小さなホームを上がり、改札を出ると今日一日が嘘のように静かだ。

「やー、楽しかったー!」

「うん」

「凛も、そう思う?」

「思うよ。……すっごく楽しかった」

凛は私の横で空を見上げている。

「ニュージェネとくらべて、どう?」

「えっ……と」

「ああ、ごめんごめん、別にどっちがいいとか悪いとかじゃなくて、なんていうか、違うものが見つかったのかなって」

「違うもの……」

凛は、視線をゆっくりと下ろす。

真正面から向き合った彼女の瞳は、綺麗だ。

「見つかった、と思う」

「そう、なら良かった」

「……加蓮は」

「ん?」

「加蓮は、楽しかった?」

「もちろん。どうして?」

「えっと……、ううん、なんでもない」

「? ふふっ、おかしな凛だね。……さて、そろそろ帰ろうか」

「そうだね」腕時計を見ながら凛は言う。「ああ、もうこんな時間か」

「また歌おうね、凛」

「うん、楽しみにしてる」

手を振って、反対の方向に歩き出す。

私の家はそんなに遠くはない。

風が吹く。

秋は裾や袖から入り込んでくる。

家に帰っても、あの人達はいないはずだ。

明かりがついていない家に帰るのは慣れている。

さほど歩かずに家の前に着いた。

遠くから犬の吠える声。

家のドアの鍵を開ける。

硬質な感触。冷たいドアノブを握りしめる。

「ただいま……」

そう言って、靴を脱いで上がる。

さっきまでカラオケにいたから、喉が乾いてしまった。

リビングに行って水を飲もう。

廊下の電気を付けて、ぺたぺたと歩く。

リビングからは何の音も、光もない。

だがそこには先客がいた。

「……!」

母親が、一人リビングのテーブルに座っている。

いつもの食事と同じように、同じ場所に座っている。

暗い部屋で、何もせずに。

「遅かったわね」

「……ライブ、だったから」

「そう」

そういえば、今日は日曜だったか。

「父さんは」

「父さんは、もう来ないわ」

「どういうこと?」

あの人が、来なかった日はめったになかったのに。

「別居することになったの」

「……別居」

驚いたな、と思うと同時に、いまさらなのか、とも思った。

「あの人は、もうこの家には来ないわ」

「そう、なんだ」

「離婚はしないわ。あなたのためにね」

私のために?

私のために、だなんて、嘘をなぜつく必要がある。

「ところで、加蓮。帰りが遅かったわね。次からは連絡をしなさい」

私のことなんて、今までずっと放置していたくせに。

いまさら、父親がいなくなったから母親面か?

「こんな遅い時間に帰るなんて……。いつのまにこんなにやさぐれたのかしら」

何年も前から私はこうだった。

気づかなかったのは、あなたたちだけだ。

「門限も、いままで決めていなかったけれど決めないとダメかしらね……」

ひとりごとのように言う母親。

だが、それは決してひとりごとじゃない。

私に聞かせようとしているのだ。

これみよがしに、善意を押し付けて。

いらつきを、むかつきを抑えようと右手を強く握りしめる。

けれど。

「どれもこれもアイドルなんて仕事を始めたからかしら?」

ああ、もう駄目だ。

「もういい」

「なに? 加蓮」

「もういい。いいから黙って。私の仕事を、アイドルを馬鹿にするのはやめて」

「馬鹿になんかしていないわ。けれど、こんな遅い時間に帰ってくるなんて、悪い友人でも……」

「本当に黙ってくれない」

様子の違う私に、母親は黙る。

私は努めていつもどおりの声を、優しい声を出す。

激情が、身体の中で渦巻いている。

ある怒りを、別の怒りが押さえ込んでいる。

だから、声は平静だ。

「ねえ、いままでどおりにしようよ」

「はい?」

「私はあなたたちのことには首を突っ込まないからさ。あなたたちも私に干渉しないで」

「私はあなたの母親で……」

「ここまで育ててくれたのは感謝してるよ。ありがとう。けれどね、もう、いいの。お互い不幸になるだけだよ」

「どうしてそんなことを」

「私は、何年も前から変わってない。ずっとこうだった。あなたたちが気付かなかっただけだよ。私は、子供だけれど、子供だからといって大人を理解できないわけじゃない。二人がもう夫婦としてやっていけていないなんて、わかってた。それでも、いままでやってきたでしょう? それで、いいじゃない」

「加蓮……」

「ねえ、もういいでしょ? 私たち、いままでのように、やっていこうよ」

私の本音はこれだったのか?

私が望んでいたのはこんな思いをすることだったのか?

「だから……私にはもうさわらないで」

「加蓮!」

ふらりとリビングを離れて、自分の部屋に駆け戻る。

母親は、私を追いかけない。

自分の部屋の鍵を締める。

こんな結末は、私が本当に望んでいたものだったのか?

わからないが、さっきの言葉は確かに私の中にいたはずの言葉たちだ。

それが本当の自分かなんてわからないけれど、私の中にいた思いだ。

あれが本当だなんて、私にもわからないんだから。

だから、泣き止んで。はるか昔、両親を愛していた私の心。

春のように温かな、あの日々。

どこかに消えてしまったあのぬくもり。

それを錯覚しながら一人ベッドで胎児のように丸くなり眠りにつく。

 

 

いつもより少しだけ早く目を覚ました。

ベッドから降りて身体を検めると汗臭い。

嘆息しながら着替えを用意してシャワーを浴びに行く。

リビングを通りがかっても、人の姿はない。

もう母親は出かけていったのだろう。

浴室は朝の冷たさに浸っている。

服を脱いで裸になるとあばら骨の浮き出た上半身が目に入る。昔よりは随分とマシになったが、病弱だったころの名残でまだ体の線が細い。髪の毛を縛っていたゴムを外して、手近なところに置く。靴下を脱いで、ひんやりとしたフローリングに足を下ろす。

浴室に入ってシャワーを流し始める。

ぼんやりと壁に取り付けられた鏡を見る。

客観と主観。双方は矛盾した結果を弾き出す。

平均より均整の取れた身体。太る体質じゃないから身体は細いし、胸だってけっこうある。肌はくすんだりしているところもあんまりないし、いわゆる卵肌。目は二重でぱっちりしているし、彼氏は、……出来たことはないけれど作ろうと思えばすぐ作れるだろう。作る気もないけど。少し厭世的な雰囲気を醸し出すこともあるけれど、それは多少の愛嬌というものだろう。

それでも。

私は、自分が嫌いだ。

髪に隠された瞳を水が覆い隠す。鏡に映し出された私の目は照明により落ち窪み、世界を呪っている。普通よりも大きく浮き出た骨は不健康さを際立たせている。私とともに歩んでくれるような男性など、現れるのだろうか? 私は、もしそんな人がいても、私がその人を信じることができるとは思えなかった。自らを信じることができないのだから、誰かを信じることも、私が誰かを信じることも、なにもかも信じることはできない。

だから、Triad Primusは嘘の塊だ。

それがたまらなく悲しくて、そしてたまらなく愉快でもある。

凛と奈緒の二人を臆面もなく信じられる自分がいることがうれしくて、そして、それを信じない自分が悲しい。

他人を信じてしまっている自分がいることがうとましくて、そして、それをあざ笑う自分が誇らしい。

相反する感覚が心のなかで渦巻いている。

どちらもが本当で、どちらもが嘘。

ただ、それでもどこかで信じたいのだと思っている、それは確かかもしれない。

そうでなければ、ほほを伝っているこの温かな水はただの湯なのだろうか?

わからない。

私は、二人を信じているんだろうか?

自分のことを信じられないのに。

自分に自信が持てないのに。

無意識の内に身体を清め終わり、シャワーを止める。

シャワーの先端から水滴が落ちる。

髪の毛をまとめて、絞りとる。

一本、髪の毛が抜けた。

それを排水口に向けて水で流す。

鏡は湯けむりで曇りつつある。

そっと手をあてて鏡を拭ってもう一度自分の顔を見つめる。

ふと、凛と奈緒の顔を思い出す。

凛に対しての罪悪感。

New Generationsのこと。

私を信じている奈緒を裏切っていること。

一瞬、鏡に向かって拳を振り上げそうになる。

ふっと力を抜いて浴室から出る。

今日は、学校だ。

早く着替えないといけない。

着替えながら、気づく。

なんてことのない調子でつぶやく。

「信じられないのは自分と、幸せな時間だ」

 

 

幸せな日々。

温かな日々。

明日が来ることを好ましく思う今日。

昨日が去りゆくことをはかなむ今日。

明日は、また次の日が楽しみになるだろう。

また明日。さようなら。また会おう。さようなら。

「加蓮?」

「え?」

「え、じゃないよ。話聞いてた?」

「ああ、うん。明日の撮影の話でしょう?」

そうだ、

もうあの日から二週間も経った。

私のProject Kroneのメンバーとしての活動は順調だった。

常務の方針から、レッスンの合間に常務が選んだ仕事だけを受ける。何の仕事をするのかの決定権は私たちにはないが、楽しい仕事ばかりだ。

今日はProject Kroneの居室でホワイトボードを前にミーティングだ。

「ぼーっとしてるから話聞いてないのかと思った」

奈緒が言った。

「私、ぼーっとしてた?」

「してたしてた」

「何か、あったの?」

「ううん、別に。なんにも。ただ、毎日忙しくて大変だなって」

「そうだな、加蓮。けど、そのほうがよくないか?」

「うん。私も、忙しいことはいいことだと思うよ。疲れちゃって大変だけど」

「凛は、シンデレラプロジェクトのほうもだもんなあ。本当に大丈夫か?」

「大丈夫だよ。ありがとう。奈緒は優しいね」

「別に、優しくはねえよ!」

顔を真赤にする奈緒。

「本当に優しい人は自分で自分のことをそうは言わないものだよ」

凛はそう言って、奈緒から私に顔を向けた。

「で、本当に大丈夫?」

「やだな。心配性なんだよ、ふたりとも」

「でも……昔……」

「それは昔だよ。身体が弱かったのは。だからもう今は大丈夫」

これ以上もう言わなくてもいい、と意思を込めて笑いかける。

二人は言いたげな様子をしていたが、次第に諦めたような顔に変わる。

「……ほんとに、何かあったら言ってね?」

「加蓮は弱音吐いたことないからなあ」

「うん。まあね。私なら大丈夫だから」

「そう……。じゃあ、仕事の話続けるね」

「おうよ!」「お願いね、凛」

そうして凛が撮影の段取りを説明し始める。

もともと私と奈緒が二人でいたとき、イニシアチブをとっていたのは基本的に私だった。

だが、常務の意向でTriad Primusのリーダーは凛になった。

不満はないが、その分彼女の体力が持つのか不安になる。

それでも先輩であるのでやはり頼りになる。

些細なことでも大人に聞くよりも聞きやすい。

「明日、化粧道具とかって持ってきてたほうがいいのかな?」

「うん。あったほうがいい。基本的には用意されてるものを使うけど、自分のを使いたいとかあったら、ものにもよるけど言えばそうしてくれると思うから」

「ふうん」

「明日は別に何か衣装とかとのタイアップじゃなくてPR写真の撮影だから、その辺けっこうゆるくなるんじゃないかな」

「ああ。化粧とかなら当然それ使わないといけないもんな」

「そういうこと」

うなずいた凛に、奈緒が相好を崩して言った。

「いやー、やっぱり経験者がいると随分気が楽だよ」

「経験者っていうか、まあ、何度も撮影はやってきたからね」

「それが重要なんだよ」

「そんなもんかな、まあ確かに初めてだったら困ることも多いけど、カメラマンさんとかスタッフさんはみんな優しいと思うから大丈夫だよ」

「うーん」と奈緒は唸る。「……心配だけど、まあなるようになれだ!」

「そうそう」

凛はそんな奈緒を見て、嬉しそうに顔を綻ばせる。

「そうだ。加蓮はどうだ? 不安ない?」

「私? うーん不安は、あんまり」

「やっぱそうかー」

「やっぱってなに、奈緒」私は少し笑ってしまう。

「いや、加蓮って度胸あるよなあって」奈緒は思い出すように顔を上に向けた。「ほら、あの時だって」

「あの時って?」

「凛を説得したときの話」

「ああ……」

凛は感慨深げに息を漏らした。

「あの時は、必死だったからね」

「加蓮がああ言ってくれなければ、トライアドはなかった、と思う」

「そんな大げさな」と私は笑い飛ばす。

だが凛と奈緒はふたりとも首を横にふる。

「あたしは、あの日ああまで突っ込んだことを言えなかったから……。そういうとこ、たぶん加蓮の強いところだよ」

「そうだね。その次の日、三人で歌ってみて……三人で歌って、何かがNew Generationとは違うって思えたから」

「凛は……」

奈緒が顔をそむけながら言った。

「凛は、後悔してないか?」

「後悔は……、わからない」

「後悔してるって、ことか?」

不安そうに奈緒が聞いた。

凛は手のひらを見つめて、答える。

「ううん、そうじゃない。そうじゃないんだけど。New Generationだけだったころと比べて前提が全然違うから。見えているものが、全然違くて、あの頃欲しかったものは、確かにトライアドでは手に入らないかもしれないけど、まったく違うものがいまここでは見ることができて。そして、今はそれが欲しい」

「見えるものが、違う……」

「違うところから見た景色は、違うものだっていうこと、考えてみれば当然なのにね」

「山登りみたいなものか?」

「うん、そうかも。登った山を、別なところから見つめて、逆にそこがもっと大好きになった。今は、前よりもニュージェネが好きになった」

「なるほど。そういうの、なんかいいよな」

奈緒が何度も頷いている。

「うん。トライアドのことも、ニュージェネのことも、どっちも好きだから。そういう贅沢なことができるようになって、そういう意味では後悔というよりは、その、目標が増えてしまって大変だなあって」

「贅沢な悩みって感じだな!」

「贅沢な悩み……、うん、その通りだね」

二人は笑い合っている。

「二人も、別のユニットとか考えたことある?」

「あたしらか? うーん……、もともとトライアドの前には加蓮と一緒のユニットとかいいかもと思ったことはあるけど……」

「ああ、もともと同じ部署だったんだっけ?」

「まあな。この会社に来たのも同じオーディションだったから。まあ、その日はテンパってて加蓮のことを覚えてないんだけどな」

「ふうん……。奈緒は、どうしてアイドルになろうと思ったの?」

「あたしは、うーん、そんな大それた理由があるわけじゃないんだよ」

奈緒は腰に手を付いて話しだす。

「あたし、話し方とか、言動がけっこう蓮っ葉だろ?」

「ん……まあ」

「だから、親とかにもよく言われるんだ。少しは女の子っぽくしなさいよって。たぶん、親としては冗談みたいなもんなのかもしれないけど、ずっと引っかかってたんだ。女の子らしさってなんだろうって。わかってるんだ、別に大した意味で言っているわけじゃないって。けど、あたしは昔っから着る服もかっこいいめのものが多くて、アイドルみたいな可愛い服とかメイクって全然したこともなかったんだ。だから、自分ひとりじゃできないけれど、とりあえずアイドルを目指してみてどうにかならないかなって。なにか、変わるかな、変われるかなって」

結局トライアドはかっこいい系のユニットだから、ちょっとそれは誤算だったけどな、と奈緒は笑った。

黙って聞いていた凛がぽつりとこぼす。

「十分な理由だと思うけど……、私に比べれば」

「凛の始めた理由? どんなのだ?」

「私は……」

そう言うと凛は恥ずかしげに顔を伏せる。

「私、シンデレラプロジェクトのプロデューサーにスカウトされてアイドルになったんだけど、なった理由は、なった理由ってよくよく考えるとないようなもんなんだよね」

「んん? どういう意味だ?」

「あの人、というかプロデューサーに会った時言われたんだ。今、夢中になれるものはありますか、って。私それに答えられなくって、けど目の前にアイドルの道があるって言われて、やってみようと思っただけ。夢中になれてるかは、わかんないけどね」

「うーん、夢中になれるもの、かあ」

「奈緒だったら、なんて答える? アニメ?」

「今だったらたぶんアイドルって答えるけれど。アイドルになる前なら、そうだったかもなあ……」

「加蓮は、どう思う?」

「私?」

アイドルになった理由?

つまらない笑顔だったあなたが気になったから。

あなたが、シンデレラプロジェクトのみんなが、なんであんなに綺麗な笑顔なのか、知りたかったから。

ただ、それを二人に伝えたら、なにかが終わる。

なにが終わるのかはわからないけれど、駄目だ。

「私が始めた理由かー」

考えこむように私は、北条加蓮は人差し指を唇に当てる。

「なんだよ、もったいぶるなよ。加蓮」

「別にもったいぶってるわけじゃないよ。私もたいした理由じゃないなって」

「そうなのか?」

私は嘘の理由を当然のように言葉にする。

「ほら、私って病弱だったって話、したじゃん?」

「……うん」

隠すなら、嘘の後ろに致命的な嘘を。

「元気になってからも、激しいスポーツとかはできないし、かといって他の部屋の中でできることにも興味わかなかったし、ぼやぼやしてたらいつの間にか高校生になっちゃうし、なんかヤバイなーって思ってたときに凛がアイドルやってるの見かけてさ」

「えっ!? それ、いつの話?」

「うーん? 6月か7月くらいかな。たぶん。テレビの新米アイドル特集っての」

「ああ、あれ、見てたの……?」

凛が苦い顔をしている。

「見たけど、なんか悪かった? 出てた時間短かったけれど、楽しそうだったよ?」

「ちょっとあの頃のダンスとか、思い出したくなくって……」

「ああ、そういうことか」

「うん。今となってあの頃のを見ると、ね。そう考えられるようになっただけ成長したとも言えるんだけどさ。美嘉さんもそう言ってた」

「あれ、凛は美嘉、のことを美嘉さんって呼ぶんだ?」

「え? うん。ほら、こっちには莉嘉がいるから」

「あっ、そうか」

「って、別にその話はもういいよ!」

顔を真赤にしながら凛が叫ぶように言う。

「加蓮がアイドル始めた理由の話でしょ!」

「あっ、そうか。ごめんごめん加蓮」

「別にそんな面白い話じゃないし、大体さっき言ったようなことだから別に話を戻さなくてもいいのに」

「いやいや、せっかくだしな」

「そうだよ。加蓮ってあんまりそういう話、してくれないし」

「え、そうかな?」

首をかしげると、二人とも勢い良く首を縦に振る。

「そんなつもりはないんだけどなあ……」

「加蓮は、別によそよそしいとかじゃないんだけど、なんか、ね」

ああ、わかっている。

わかっているよ。奈緒。

それが本当なんだ。

私は奈緒と凛に、本当の本音を伝えたことはない。

だから、壁があるのは本当なんだ。

「なに、別になにも隠してないよ」

だから、こう答える。

「うん……。まあ、本当に何かあったら言えよ?」

さっきも言ったけどさ、と奈緒は茶化しながら、しかし真剣な顔で言った。

「加蓮、私にも、なにかあったときは言って」

凛は心配そうに私を覗き込む。

だから、私は嬉しそうに笑みを浮かべる。

「ありがとう。大丈夫、なにかあったらきちんと伝えるよ」

私は、なにも二人に伝えることはない。

 

 

私は一人だった。Project Kroneのメンバーに割り振られた居室は殺風景だけれど、ソファくらいはある。

学校が珍しく早く終わったので早く来たのだが、レッスンはまだずっと後だ。奈緒もまだ来ないし、凛も来ない。暇つぶしに携帯を弄っていると、ノックの音が聞こえた。

「はーい?」

「失礼します」

入ってきたのはシンデレラプロジェクトのプロデューサーだった。

ソファの後ろに立った彼は部屋をきょろきょろと見渡している。

「あれ、どうしたんですか?」

「いえ……渋谷さんを探しに来たのですが、まだいらっしゃっていませんか」

「凛? 凛ならたぶんまだ一時間は来ないですよ?」

「そうですか……」言いながら彼は右手を首に当てる。

「何か凛に用事ですか? 言っておきましょうか?」

「ああ、いえ、用事というほどのものでは……」と、そこで彼は私の顔を見て、動きを止めた。

「ん? どうしました?」

「いえ。ただ、なんとなく……」

「なんですか?」

彼はすぐには言わない。考えるように目をつむって、開く。

「北条さん。あなたは、Triad Primsに、本当に夢中になれていますか?」

「え……?」

予想もしていなかった言葉に、私は一瞬何も言えなくなる。

「やっ……やだなあ、そんなことないですよ。私、凛と奈緒とユニットを組むことができて、本当に楽しいですよ」

「本当、ですか?」

「もちろん」

二人見つめ合う。

目をそらしたらいけない。

「……わかりました。申し訳ありません。私の勘違いだったようですね」

「そうだよ。前のライブだって、あんなにウケがよかったのに」

「そうですね」

言葉はわかった顔をしているけれど、彼の顔は動かない。

「もし、もしもですが」

「え?」

「北条さんがよろしかったら、なのですが、少しだけ付き合っていただけませんか?」

「……は?」

 

 

敷地内にあるカフェ。

「いらっしゃいま……せ!?」

「二人です」

店員さんは見たことのない組み合わせの二人に驚いているようだ。

私は髪の毛をいじりながらぶすっとした顔で彼の後ろに立っている。

「あ、は、はい! ど、どうぞこちらへ」

「ありがとうございます」

律儀に会釈をする彼の後ろを歩く。

昼どきを過ぎて、カフェの中に人気(ひとけ)はない。私たち三人が歩く以外には据え付けのテレビの発する音しかない。

案内された席に座って、型通りの説明を店員さんがするけれど、終わった途端に彼女はそそくさと立ち去っていく。

確かに、こんな不機嫌な顔をした女とプロデューサーの組み合わせは、面倒そうだろう。

「……で、話ってなんですか?」

ろくに説明もなしに連れてこられたせいでちょっと棘のある声で私は聞いた。

凛から聞いた話ではこんなことをするような人だとは思っていなかったのに。

なにかあったのだろうか?

不機嫌さを見せつけても、彼は頬を緩めるだけだ。

「別に大したことではありません……。とりあえず、何を飲まれますか?」

「……コーラ」

「わかりました」

彼は店員さんを呼び、コーラとコーヒーを頼む。

どうやら催促をしても無駄のようだから、憮然とした顔をして彼を睨むだけにする。

睨んでも、彼はやはり泰然としているばかりだ。

飲み物を運んできた店員さんは、今度も即座に立ち去る。

お互いに一口自分の飲み物を飲んだとき、頃合いだと思った。

口を開いたのは彼だった。

「北条さん、少し前の話を聞いてくれませんか」

いいも悪いもない。いまさら聞かないという選択肢もない。

私はうなずいた。

「4月の話です。私が、渋谷さんをスカウトしたとき」

彼はゆっくりと話しだす。

「シンデレラプロジェクトの定員は13でしたが、ご家庭の都合などにより3人の欠員が出ていて、どうにか補填する必要がありました。幸い一人は補欠合格者の中から一人選ぶことが出来ました。もう二人はオーディションから選ぶ心づもりでいたのですが、あの日、渋谷さんと出会って私は方針を変えました」

「ああ……聞いたことある。ストーカーに間違われたんだって?」

面白がるように笑いかける。

すると、彼は恥ずかしげに、けれど嬉しそうに笑った。

「私にはあの時、渋谷さんだけしか見えていませんでした」

まるで、恋をした青年のように。

「彼女ならば、みなを笑顔にできる。そう確信しました。変な話だと思います。彼女の笑顔なんて見たこともないのに、彼女の笑顔が、他の人を笑顔にすることができると信じていたのですから」

「ふぅ……ん」

なんだか恥ずかしいセリフのような気もするが、彼のことだし、大真面目に言っているんだろう。愛のセリフのようだ、なんて思ってもいないはず。

「ですが、渋谷さん自身はたぶん、飽きていたんでしょう。代わり映えのしない世界に。代わり映えのしない自分に。それは、たぶんありふれたものだと思います。ですが、ふつうの人はそれを忘れて日々に埋もれていくものです。友達と話しているうちにつまらなかったことを忘れて、面白くない自分のことを忘れる。そんなことをよしとしないで、正直に、真正面からそのつまらなさに向き合っている。その力強さ。それが、渋谷さんの魅力の源泉なのかもしれません」

「……凛が魅力的なのはわかったんだけど」

うんざりした顔で、ストローからコーラをすする。

なんかそろそろ敬語も使う気が失せてきた。

「別にはぐらかしているわけでありません。私にはただ、あなたが本当に楽しめているのか、不安だ、というだけですから」

「……だから、それは勘違いだって」

「……北条さんは、渋谷さんがアイドルとして活動することを楽しんでいると思われますか?」

「え? うん、楽しんでいると思うけど」

意味が分からず、思ったことをそのまま言うと、彼は笑った。

「渋谷さんは、たぶん自分が今楽しんでいるということに気づいていないと思います。渋谷さんは……情熱的な方ですから」

「それは、なんとなくわかるかも」

斜に構えたふりをしながら、中身は激情家。

それもまた、彼女を形容する言葉として正しいのかもしれない。

最近わかってきたことだった。

「ですが、本人に聞いたとき、楽しい、と思うとしか渋谷さんは答えませんでした。渋谷さんは、自分が楽しんでいるということを、信じられないのだと思います。ですが、だからこそさらに上を目指す。そのためらいを糧にして、新たな世界へと飛び立つ力を持っている」

コーヒーを飲んだ彼は、私と顔を合わせる。

「北条さん。あなたは、渋谷さんと似ているようで、似ていない」

私は口を結び、ただ眼球を前に向けている。

「あなたがなににためらっているかはわかりません。ですが、あなたの瞳、それは渋谷さんによく似ているようで、方向が違う」

「わかったような口を利くんだね」

「わかってなどいません。私は、なにも」

本当にそうだと思っているように彼は目を伏せる。

「ですが、わからないなりに考えています。わからないままでは、いられないからです。私は、あなたたちアイドルのみなさんを理解できなくても、理解したいとは思っています。それが、あなたたちのためになると信じて」

「あなたも、そう言うんだね。私たちのために、って」

「ええ、あなたたちのために」

「そんなの、私は要らない」

「北条さん」

「私は、そんなもの要らない」

私は、自分の中の二人の自分が同じ意見になったことに驚いた。

その二人は同時に立ち上がり、叫ぶ。

私を知って。

「私は理解されなくていい!」

私を助けて。

「私のこころを知ろうとしないで!」

私の幸せを共有して。

「私の幸せを理解しないで!」

私の世界に、私だけじゃ寂しい。

みんながいてほしい。

「私のことは放っておいて!」

激昂する私の前で、彼は柔らかに、そして鋭い刃を突きつけた。

「理解したら、どこかに行ってしまうから、ですか」

私は荒い息に揺れていた身体を凍らせる。

「幸せを言葉にして表したら、それがなくなったときに気づいてしまうから、ですか」

「それは」

「自分が信じていたという事実に気づいてしまうから、信じてしまっていたということを思い出させてしまうから、ですか」

「もう、やめて」

「自分が裏切っているという事実を、理解してしまうから、ですか」

「もうやめて!」

がたん、と机が揺れる。

そうして私たちは睨み合う。

「……北条さん」

「なに」

「申し訳ありませんでした」

深々と下げられた頭に、私は驚く。

「え……?」

顔をあげた彼は、「少し、昔話をさせていただけませんか」と言った。

「昔話……?」

「ええ、私の、恥ずかしい失敗談です」

失敗談と言いつつ、彼は微笑む。

何か、愛おしい何かについて話すように。

「私も昔、あなたのように考えていたんです。ある方とともに仕事をしていながら、私はあの方のことを全く信じていませんでした。それは、自分自身の能力が信じられないから、そして、誰も信じることができなかったから。信じられないから、信じたくないから、表面だけでもうまくいってれば、それでいいんだ、と」

「……それで?」

「簡単な話です。それで失敗したというだけの。あなたには、同じようになってほしくない。それに、それだけじゃなく、そう」

「?」

そこで彼は今日初めて、恥ずかしげに言葉を濁す。

「Triad Primsには、北条さんにはそれだけでなく、期待しているんです。……あなたがどうやって渋谷さんを説得したのか、神谷さんに聞きました」

奈緒め、べらべらと喋ったのか!

「あなたがいてくれたおかげで、Triad Primsは結成できた。私は、私が気づかなかった光を見ることができた。それが、本当に嬉しい」

「別に、私というか常務がやったことだし……」

「いいえ」そう彼は力強く言う。

「北条さんと神谷さんが見せた光があればこそです。口惜しいことですが、私たち大人の目はみな節穴です。あなたたちに見えていたとしても、私たちには見えない。その光を、そのすべてを探し当てることができない。だからこそ、あなたたちにはより光って欲しい。その光が、他のおぼろげな光を照らし、さらに世界を明るくすると、そうできると信じているからです」

「プロデューサーさん……」

「私を信じていただく必要はありません。ただ、あなたがやってきたことに少しだけでも目を向けてください。あなたがしたことが、正しくなくてもいいんです。誰かを傷つけてしまうことを恐れないでください。あなたが自分を信じられなくても、私はあなたを信じます。あなたと渋谷さん、神谷さん、それにCinderella Project、Project Krone、そしてファンのみなさん。その全員が笑顔になれるのならば、正しさなど要りません。そんなものは、必要ないんです」

「わたしは……」

ただ、何かを言おうとして空気が漏れる。

何を言おうとしているのか。何を言いたくないのか。

何を信じているのか。何を信じたくないのか。

「一つだけ、これだけは信じて欲しいことがあります」

「……なに?」

「渋谷さんと神谷さんは、あなたを信じているということ、です」

「凛と、奈緒が……」

「お二方が、あなたを信じているということだけは、私の言葉であっても信じていただきたい、そして、信じてもらえると、思っています」

私たちはそうして、会話をなくす。

「話はそれだけ?」

「はい」

「そう」

私は大きく深呼吸をする。

「コーラ、ありがとうございました」

そう言い捨てて席を離れる。

彼は座ったままだ。

「北条さん」

かけられた声に振り向く。

「なに」

「あなたを信じた理由、あなたたちならば渋谷さんと新たな空を目指すことができると確信した理由。それは、あのとき。始めてTrancing Pulseを歌っていたときあなたの笑顔です」

私は腰を浮かせた彼のその言葉に、歯を食いしばる。

何かが暴れだしそうになっている。

鉄格子に覆われた凶暴な心が、脳裏をシリアルキラーのように切り裂く。

なにも言わないで、店の外に出る。

後ろからかけられた店員さんの震えたありがとうございましたという声に、そういえばここはカフェだったなと思い出す。

これからのレッスンをまともにこなす自信はあまりなかった。

 

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