それでもよろしければ、どうぞ見てやってください。
「やった……やったぞ……! ついに……ついに、俺も……!」
目の前に据え置かれたPCモニタ――そのちょうど中央に映る、古めかしいながらも重厚感溢れる鋼鉄の武装に身を包んだ5人の少女と、そこから視点をちょっとだけ右にずらした先に踊る【艦これ 艦隊これくしょん】の表記がされたバナー。そして、更に下へと続く【GAME START 艦隊司令部へようこそ!】と【柱島泊地】の文字列に見入りながら、俺は喜びに打ち震える心を隠し切ることができずにいた。
それは、他ならぬ俺自身が、2013年からサービスを開始し、2016年の今に至ってもなお多くのプレイ人口を抱える【艦隊これくしょん―艦これ―】へのプレイヤー登録を新規に果たしたことを意味していた。
「思えば、このゲームの存在を知ってから早3年。何度も何度も着任を果たそうと試みて、その都度抽選漏れで弾かれて……それから程なく常時開放制に移行したと思えば、今度は突然停電に遭うし、鼠にケーブル齧られて回線やられるし、原因不明の電波障害が何でかこの家だけを襲うし……挙句の果てには、PCが木っ端微塵になるほどの爆発なんていう思い出すのも嫌な不幸の連続で挑戦することすらままならず……掲示板でそのことを愚痴ったら、『そんな不幸な奴なんて某とあるラノベの主人公ぐらいなもんだろwww』とか笑われて相手にもされず……先に同期で艦これやってた奴らからは、『えっ? まさかお前まだ着任できてなかったの?』とか不思議がられたり同情されたり……あれ、改めて思い返してみたら、良いことなさすぎてなんか泣けてきた……」
思いがけず涙が滲み出てきてしまったので、机の上から取り上げたティッシュボックスから数枚抜き取ってサッと拭い取る。ついでとばかりにそれで鼻もかむ。ちーんと耳を痛めるほどに景気良くやってやれば、自らの不幸に由来してこれまで着任できなかったモヤモヤも少しは収まり、すっきりしたように思われた。それに、その類稀な災難の数々も、目の前で今もなお輝く錨と軍艦のシルエットに縁取られたバナーを目にしてしまえば、この素晴らしき結果を彩るためにふりかけられた過程という名のスパイスに過ぎなかったと胸を張って言うことができる。
――そう、俺は成し遂げたのだ。
攻略wikiやまとめサイトを巡回して頭でっかちに情報や知識だけを仕入れ、イラストやSSを漁って遣り切れない感情を抑え、それにすら耐え切れなくなって仮想(火葬)戦記や艦船プラモ、米軍の公式作戦記録などを始めとした戦史に関わる資料群に手を出し、北は大湊から南はチューク、西にロリアン、東にサンディエゴなどという聖地巡礼に、大学生特有の無駄に長くて多い休日を使って繰り出す。あのような、一見充実しつつもどこか虚しさが残る日々を送る必要はもうないのだ。
「……くっ、くふっ。今の俺は、阿修羅すら凌駕する存在だ。誰にも止められない……止めさせはしない……!」
どこかで聞いたような台詞と共に、俺は、傍から見て邪悪極まりないであろう笑みを浮かべる。
今の時刻は午前三時……をとっくに振り切って、そろそろ四時に至ろうかという頃合いだ。加えて、外はザアザアと滝のような雨が絶え間なく降り続け、時折稲光も瞬く最悪なコンディション。傍らの窓は暴風に煽られ、今もガタガタと軋むような音を立てて震えている。
また、夜が明ければ、買って数年の長い付き合いであるボロの原付に跨り、片道一時間はかかる我が愛しの大学に一限から
「今、で、しょ、とおっ!!」
これまたどこかで聞いたような台詞を叫ぶと共に、俺はマウスを強く握り締める。カーソルを素早く動かし、そして、躊躇なくクリックする。そうして、直後に流れてくるであろう数種類のログインボイスの内の、はたしてどれが選ばれるだろうとか、そういえば初期艦を誰にするかまだ決めてなかったよな、とかいろんな思いを巡らせながら、あふれんばかりの期待を胸に待っていると――いきなり雷の直撃を食らったような強烈な衝撃と痺れに襲われたかと思えば、辺り一面に焦げて炭化したような嫌な臭いが充満して……そこで、俺の意識は急速に遠のいていった。
『――次のニュースをお伝えします。本日未明、台風○○号に伴う強烈な雷雨に見舞われていた○○県○○市市内の住宅一棟に雷が落ちる事故が発生しました。警察などによりますと、この落雷によって、この家に住んでいた21歳の大学生である【
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「――きなさいっ! 起きなさいったら!!」
――これは、ひょっとしなくても夢なのだろうか?
あれほど恋い焦がれた存在であった
しかし、直後に俺の頭は、そのバカげた考えを否定する。そうだ、そんなことはありえない、と。だって、ゲームの中の“電子データ”の一つに過ぎない
だから、これはよくある泡沫の夢の一つなのだろう。目が覚めれば、PCのキーボード上で、あれほど待ち焦がれていたにも関わらず、艦これ起動と同時に寝落ちするという無様な醜態を晒した現実の自分とご対面できるはずだ。
――しっかし、それにしてもすげえリアルだよなあ。
拷問じみた振り子運動に現在晒されているために目を開けることは叶わないものの、視覚を除いたそれ以外の四感は、絶えず様々な形で俺へと訴えかけていた。
ゆっさゆっさと何の遠慮会釈もなしにさっきから一貫して続いているこのキツめの揺さぶりも。
それによって、胃の奥底から徐々に徐々に緩急織り交ぜて迫りつつある酸味混じりの気持ち悪さも。
沸騰して煮立っているかのような熱い疼きを覚えながら、全身に血潮を送り出す心臓のドクドクとした鼓動も。
むせ返るほどに圧倒的な鉄と硝煙の臭いの中にあっても仄かに存在感を放つフローラルな香りも。
その全てが、圧倒的な情報量をはらんだ形でそこに存在していた。いや、
ようやくパチリと両の目が見開かれる。世界が光と色を取り戻す。その先に見えたのは――。
「むら、くも……?」
「――ッ!? アンタ、なんで私の名前を知って……!!」
そこに居たのは、蒼銀と表現すべき流れるように美しい髪を持つ少女だった。そして、その彼女の黒い指ぬきのグローブをはめた左手が、俺の胸ぐらを千切れんばかりに掴んで締め上げている。整った眉尻はキリリと引き締められ、水平線上の夕陽を思わせる橙色の切れ長の瞳には、激しい怒りの炎が昇っている。後頭部に浮かぶ獣耳を思わせる一対の機械も、そんな主人の今の感情を反映してか、チカチカと赤い瞬きをひっきりなしに送っていた。
間違いない、という言葉が俺の口からこぼれ出る。君の、その容姿も。君の、その
その彼女が今、俺の目の前に、確かに存在していた。“電子データ”としてではない。温かな熱と柔らかな質感で構成された肉体を伴って。瞬間、じわりと涙が滲み出る。あふれた分が頬から顎を伝って襟元へと滴っていく。歪む視界の中で、輪郭のぼやけた彼女が一瞬だけ呆けたかと思えば、即座に慌てる様子が見て取れた。
――ああ。
「ちょ……ちょっと――!? アンタ、なんで急に泣き出したりなんかしてっ――!?」
――願わくば。
「てっ!? こら、しっかり立ちなさいよもうっ!! アンタにはこれからたっぷり聞き出さなきゃいけないことがあるんだからっ!!」
――これが夢なら、どうか。
「ああもおっ!! 何なのよいったいー!!」
――どうか、覚めないでください。
―――
――
―
「……知らない天井だ」
もはや何番煎じかわからないほど巷で有名になった目覚めの言葉と共に、俺はゆっくりと上半身を起こす。すると、バサリと布に触れたような感触が額に伝わる。天井かと思ったものは、実は厚手のナイロン生地が地面に立脚した骨組みに支えられてドーム状の壁を成形したものであったらしい。起き抜けでぼんやりとした思考がそれでも、その正体が“テント”と世間で呼ばれるものだということを教えてくれる。
テント? はて、そんなものに一体いつ俺は潜り込んだのだろう。眉間にしわ寄せてしばし考えに耽ってみる。
が、こうして起きる前までの朧気な記憶の中に、今のこの状況に置かれるに至った明確な答えが見当たることはなかった。ただ、どうしてか、銀色の煌めきがやたらと脳内をちらついていた。
「……まあでも、こっから出てみりゃ全部わかるよな」
思い出す作業を一時中断する。ふいっと視線を横に傾けた先には、俺が一夜を過ごした……であろうテントの入口があった。そこからは、淡いながらも外の光が漏れ出ている。
毛布をはねのけ四つん這いになって、その場所までそろりそろりと近寄って行く。だらりと下がった、壁よりもやや薄手のナイロン生地――その長方形の線に沿うようにして、金色の縁取りがなされている。
ごくり、と喉が鳴る。今の俺は、ファラオの棺や聖櫃を前にした考古学者もかくやという心境だ。単なる薄っぺらな布地にすぎないはずなのに、それはまるで鉛のように重厚な威圧感を伴って、俺の前に立ちはだかっていた。
しかし、このパンドラの箱を開けずして先に進むことはできない。
「行くぞっ……!」
意を決して、右手を伸ばす。伸ばし切ったそれが今にも裾へと到達しようとした瞬間、バサッと音を立てて、入り口の幕が無遠慮に引き上げられる。
「なにやってんのよ、あんたはさっきから」
「うおぉおおっ!?」
直後に頭上から呆れたような声が投げかけられる。それを聞いて思わず、俺は反対側へと飛び退ってしまう。退いた先にはなんだかいろんな用品の数々が収められていたようで、ガチャガチャドッタンバッタンと騒々しい音を立ててしまうが、声の主はそれを気にするふうでもなくテントの中へと踏み入ってくる。
そして、立ち直れないでいる俺の方へと手を差し出してきた。差し出されたその手には、黒い指ぬきのグローブがはめられていた。
「ほら、つかまりなさいよ」
「あ……ああ、すまない」
自分より小さくて白いその手をおずおずと握ると、想像していたよりも遥かに強い力でぐっと引き上げられる。その時、ようやく顔を拝むことができた。夕陽を思わせる橙の切れ長の瞳が、まっすぐにこちらを見返している。そこで、ようやく思い出す。ああ、そうだった、彼女の
「
「……一度ならず二度ともなると、アンタ、やっぱり私の
「え、えっと……」
「朝餉よ! あ・さ・げ! まったく、この私が手づから作って上げた代物なんだから、高くつくわよ? ありがたく食すことね」
そう言うと、彼女は銀の長髪を翻しながらテントを出て行く。一人取り残された俺は、たった今起きた一陣の風が吹き抜けたかのような短い一幕に、ただただ呆然とする。あーうーと言葉にならない呻きが漏れる。額に手をやったり、頬をかいたりと意味もない行為を何度も繰り返す。繁雑として捉えきれないものが胸中をかき回す。そんなことをひとしきりやった後、
「……なるようになるか」
諦念にも似た感情を獲得すると共に、俺は彼女を追うようにテントの入口を開け、外へと踏み出して行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そんな感じで出て来てみて、最初に目に飛び込んできたのは、東京タワーが赤色の基部だけを残して、
「………………はっ?」
現時点で明かせる情報①
主人公の青年の運パラメータは、公式四コマで登場した【不幸のお茶会】への参入を果たせるほど低いものである。