インフィニット・ストラトス―黒き叡智―   作:竜華零

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過去編②:「チョコレート・デイズ?」

それはまだ、篠ノ之 楓が黒い叡智を授かるよりも前の日々。

次姉と引き離されて、長姉の下でIS技術のノウハウを叩き込まれている日々。

世界がまだ、篠ノ之 楓と言う存在を無視していた日々。

 

 

3人の姉妹と2人の姉弟が、離れ離れになっていた日々。

もう・・・何もかもが台無しになった世界において、平和だった日々。

これは、そんな時間の物語―――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

某国・某地域・某秘密ラボ・某部屋―――――。

正確な位置はわからない、世界のどこか。

そこに、少女はいた。

 

 

「あ――う――・・・」

 

 

そこは、どこかの部屋だ。

部屋と言うには、あまりに奇妙。

床に散らばりっぱなしの何かの機械の部品や器具、太いケーブルがまるで木の根のように張り巡らされた部屋。

時折、機械仕掛けのリスがトトトッとケーブルの上を駆け抜けて行く。

 

 

「む、むむむむ、む~・・・?」

 

 

しかし少女・・・篠ノ之 楓と言う名の少女にとっては、さしたる興味を引く対象では無かった。

見慣れていたし、何よりもそのリスの存在理由を知らなかったからだ。

と言うより、理解できる程の知識がまだ無かった。

 

 

「く、ぬぬぬ・・・ぬ~」

 

 

楓は、不思議な椅子に座っていた。

鈍く輝く銀色、そしてそれはまるで恐竜の骨格のような椅子だった。

骨組みのような物が、薄桃色の襦袢姿の楓を包み込むようにして広がっている。

 

 

そして椅子の中にいる楓はと言えば、空中投影型の端末を叩きながら小さく唸っている。

可愛らしい顔は顰められ、まるで小さな文字を読むかのように眉間に皺を寄せている。

左手の薬指に嵌められている無骨な黒い指輪が、妙に浮いていた。

しかしそれ以上に浮いているのが、少女の膝に乗っている小さな黒い「箱」だった。

 

 

「ん~・・・ダメだ、開けないよ・・・」

 

 

諦観混じりの溜息を吐いて、楓は小さく項垂れる。

肩先まで伸びている髪がサラリと流れて、白い頬を隠す。

楓は残念そうな、それでいて不満そうな視線を膝の上の「箱」に向ける。

 

 

その黒い「箱」は、とても奇妙な「箱」だった。

何か複雑な紋様が表面に刻まれている立方体であり、所々の隙間からは電子的な光が漏れている。

それはかすかな熱も発しており、襦袢の下の楓の肌は少し汗で濡れていた。

 

 

「ん~、束お姉ちゃん、コレ何に使ってるんだろ・・・」

 

 

ちょっとした悪戯心で姉の私物に手を出した楓ではあったが、成果はゼロであった。

ここの所、姉に色々と教えて貰って実は少し天狗になっていたのだが、これではそのかすかな自信も砕かれると言う物だった。

 

 

―――やはり自分は、姉に遠く及ばない。

ある意味で当たり前の事実を、楓はこの時再確認していた。

 

 

 

「―――――束さま?」

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

びくっ・・・その時、楓の身体が目に見えて跳ねた。

その際に膝から黒い「箱」が床に落ちて音を立てて慌て、さらに椅子の解除の仕方がわからずにさらに慌て、ついでにいつの間にか自分の傍にいつの間にか立っていた同居人の存在に慌てて。

 

 

「・・・・・・楓さま」

「え、えへへ・・・こんにちは、くーちゃんさん」

 

 

最終的に、溜息を吐く同居人に半端な笑みを見せることしかできなかった。

そして「くーちゃん」と呼ばれたその同居人は、これまた特異な容姿の少女だった。

まず、その目は常に閉ざされていて開かれることが無い。

腰まである銀色の髪を三つ編みにして、黒い質素なワンピースを身に纏った美しい少女だ。

 

 

楓が長姉によって政府の病院から拉致されたのと同じ時期、姉に連れられて来た少女。

何故か、姉はこの10歳前後の少女を「娘」と言っているのだが・・・。

 

 

「楓さま、束さまのラボを勝手に使ってはいけないと・・・」

「ご、ごめんなさい・・・つい」

「つい・・・はぁ」

 

 

溜息を吐きながら、くーちゃんと呼ばれる少女は片手を銀の椅子に軽く触れさせる。

 

 

「わわっ・・・」

 

 

次の瞬間、骨組みのような銀の椅子はガラクタに変わった。

崩れ落ちた椅子の上で、襦袢姿の楓がポリポリと頬を掻く。

足元に転がっている黒い「箱」は、くーちゃんによって側の机の上に置かれる。

 

 

「・・・お? くーちゃんさん、その手に持っているのはもしや・・・」

「束さまのお食事です」

「ほ、ほほぅ・・・」

 

 

部屋に入って来た時からくーちゃんが片手に持っていた盆の上の皿には、おにぎりのような物があった。

「のような物」と言うからには、それはおにぎりでは無い。

少なくとも、炭化した黒焦げの何かをおにぎりとは呼ばない。

 

 

「こ、これは・・・」

「・・・やはり、ダメでしょうか・・・?」

「い、いや、その・・・っ」

 

 

姉の「女の子は料理の一つもできなくちゃいけないんだよ」と言う言葉を律義に守っている少女に、楓はどう言った物かと頭を悩ませる。

最近はそうでも無いが、以前であれば熱を出していただろう問題だ。

 

 

そう言えばと、楓は思う。

姉に病院から連れ出されてから1年余り、最近は病気になることが少ない気がする。

時期的に、姉のラボに来てからだが・・・。

 

 

「・・・と、とにかく、大丈夫だよ!」

「しかし・・・いつまでもコレでは、束さまに申し訳ないです・・・」

「ぐ・・・だ、大丈夫だよ! ほ、本を見て、その通りにすれば大体は何とかなるって、お母さん言ってたもん!」

 

 

この瞬間、楓は「くーちゃんさんの料理は下手」と宣言した。

なお、本人に悪気は無い。

悪気は無いが、くーちゃんはちょっとショックだった。

 

 

「料理の本・・・ですか。ですがこのラボには無くて・・・」

「ネットで・・・いや、取り寄せれば大丈夫だよ!」

 

 

・・・このような流れで、2人は束の秘密の物資補給ルートに料理本を紛れこませた。

束に内緒で、しかし束にバレていることに気付きもせずに。

 

 

「やっぱり女の子は、お料理の一つも覚えないとねー」

 

 

2人のいない所で、篠ノ之 束はそう言った物である。

なお、束自身は料理など生まれてこの方、したことが無い。

実に見事に、自分のことは棚に上げる束であった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

数日後、補給物資に潜り込ませた料理本が届いた。

だがそれは、2人の少女を満足させる物では無かった。

と、言うのも・・・。

 

 

「何故にこうなったし」

「さ、さぁ・・・」

 

 

秘密ラボ内部のキッチン、設備だけは立派だが滅多に使われない―――食事はほぼ保存食、唯一使用するくーちゃんは設備を使いこなせない―――その場所で少女が2人、床に座って額を付き合わせていた。

2人の少女の間には、何冊かの料理本・・・のはずだが、どうしてか表紙にはこう書かれている。

 

 

「バレンタイン特集」・・・と。

 

 

どうやら料理本の種類もわからないので、アマ○ンで適当な本を予約購入した結果、料理本と言うより雑誌と言った方が正しい物が届いたらしい。

しかし、それにしても間違い過ぎである。

 

 

「・・・もしかして、束お姉ちゃんが・・・」

「いえ、束さまには何も・・・」

 

 

この場合、束の万能・・・全能ぶりは少女達の思考の外である。

普段は姉(及び主人)のバグともチートとも取れる能力の高さを尊敬し畏怖すらしている2人だが、都合の良い時には忘れるのである。

楓13歳、くーちゃん10歳(推定)のことであった。

 

 

「・・・でも、このチョコレートって美味しそうだよね」

「はぁ・・・私には「美味しそう」と言う概念はわかりかねますが。楓さまが言うなら、そうなのでしょう」

「うち神社だったから、めったに食べられなくて・・・」

 

 

楓の場合、チョコレートを食べると鼻血を出して倒れるから両親が食べさせなかっただけである。

しかしくーちゃんはそこまでの事情は知らないので、ただ頷きを返す。

・・・と言うより、束と楓に対して「NO」を言うことは無い少女だった。

 

 

「カカオとか・・・材料とかもあるし、作ってみる?」

「そうですね。・・・ところで楓さま、ばれんたいん、とは何ですか?」

「えーと・・・す、好きな人に甘い物をあげる日・・・かな」

 

 

間違ってはいない。

 

 

「と、とにかく・・・後は野となれ山となれの精神で、とにかく本を見ながら作ってみようよ」

「そうですね」

 

 

 

―――――1時間後―――――

 

 

 

・・・沈黙。

そこには、沈黙だけがあった。

機能的なシステムキッチンは至る所がチョコ色に染まり、甘ったるい匂いが充満している。

だが・・・テーブルの上には、チョコレートでは無い「何か」があった。

 

 

銀の盆に置かれたそれは炭化しており、何をどうやったのか無臭である。

そしてそれを挟むようにして、2人の少女がテーブルに突っ伏していた。

 

 

「・・・・・・・・・」

「・・・楓さま・・・」

「・・・兵器、じゃ無い。平気・・・具合が悪くなるのには慣れてるから・・・」

「・・・申し訳ありません・・・」

 

 

2人が初めて作ったチョコレートは、何と言うか・・・苦かった。

甘さ控え目とかビターとか、そう言うレベルでは無かった。

ただ・・・苦かったのである。

篠ノ之 楓、久々に体調を崩した日であった。

 

 

「し・・・」

「楓さま・・・?」

「・・・しこーさくごが、大事だよ・・・」

「そ、そうですね・・・」

 

 

―――――少女達の奮闘は、まだまだ続く。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

<2日目>

 

「あっれー・・・? このチョコ、ゴムみたいな触感なんだけど・・・」

「・・・楓さま、包丁が通りません・・・」

 

 

湯せんして溶かし、型に流して冷蔵庫で冷やす。

その手順は守っているのに、何故か少女達の作ったチョコレートはゴムのような触り心地だった。

ふにょふにょしていて、ぶにぶにしていた。

食べる以前に、包丁だろうとフォークだろうと何も通さない、柔軟なチョコレートになっていた。

 

 

「・・・れ、レーザーカッターなら、イケるかな・・・?」

「・・・持って参ります」

 

 

結果だけを述べれば、無理だった。

2日目、終了・・・。

 

 

 

<3日目>

 

「かった!? 固いよコレくーちゃんさん!? え、温めても溶けないってどんだけ凍結させたの!?」

「・・・IS修理用の凝固剤を・・・」

「それが何故にチョコレート作りに適用できると思ったの・・・!?」

 

 

冷蔵庫から出したチョコレートは、瞬間1000度のバーナーで炙っても溶けない代物だった。

前日のチョコレート(?)は柔らか過ぎてアレだったが、今度は問答無用の強度だった。

むしろ、ISの装甲にできるのではないかと言うレベルだった。

つまるところ、コレはとてもチョコレートとは呼べない食べ物だった。

と言うか、噛めないので食べられなかった。

 

 

「あ、明日・・・明日こそは・・・」

「・・・そ、そうですね・・・」

 

 

3日目も、惨敗だった。

3日目、終了・・・。

 

 

 

<4日目>

 

4日目、2月13日である。

2月14日がバレンタイン当日であることは2人とも知っていたので、今日がラストチャンスであった。

この3日間の経験を踏まえて、2人は慎重に慎重を重ねて調理した。

そして・・・。

 

 

「ど、どう・・・かな・・・?」

「・・・そうですね」

 

 

楓が調理したチョコレートを一口含んだくーちゃんは、白いナプキンで口元を拭いながら頷く。

絹のように白い肌は、いつも以上に青白かった。

額には、心なしか汗が滲んでいた。

 

 

少女は主人たる束の妹である楓を傷付けないよう、努めて笑顔を浮かべた。

しかしその笑顔は、どこか引き攣っていた。

もし瞳が開いていれば、虚ろな目をしていただろう雰囲気を全身に纏っていた。

 

 

「・・・お、おぃし・・・ぃ・・・・です・・・」

「そんな無理して言わなくても良いよ!!」

「い、いぇ・・・そ、そんなことは・・・」

 

 

ガクガク震えながら笑顔を見せるくーちゃんに、楓はむしろ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

母親に料理を習っていた次姉ならともかく、寝たきりで料理などしたことも無い楓が料理上手であるわけが無かった。

むしろ、調理場に立ったのはこれが人生で初かもしれなかった。

 

 

「ど、どうしよう・・・本の通りにも作れないんじゃどうしようも・・・」

「そ、そうですね・・・やはり、諦めた方が良いのでしょうか・・・」

「そ、それはダメだよ。何か女の子的にアウトな気がするもん」

「お料理の一つもできないと女の子では無いとは・・・外の世界は厳しいですね」

 

 

何か重要な一言が聞こえたような気がしたか、この時の楓は気にも留めなかった。

頭の中は姉のことで一杯であって、それ以外のことは何も無かった。

この時の楓は、そう言う娘だった。

 

 

「と、とにかく、もう少し頑張ってみようよ・・・」

「・・・わ、わかりました・・・」

 

 

そして少女達の思考錯誤は、その後5時間に及んだ。

そこで少女達が得た結論は・・・。

 

 

自分達には、料理のセンスが無い。

 

 

・・・と、言うことであったと言う。

結論から言えば、チョコレート作りは「失敗」と言うことになった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

敗北・・・そう、それは圧倒的なまでの敗北だった。

過酷な現実の前に刀尽き矢折れ、精も根も尽き果てた2人の少女が向かった先は・・・。

 

 

「ん―――・・・さっぱりした~」

「・・・はい・・・」

 

 

秘密ラボ内の大浴場であった。

かぽ―――ん・・・そんな音がどこまでも響く浴場は、ちょっとした銭湯よりも広い。

所々に亜熱帯に生えているような観葉植物があり、一見するとジャングル風呂に見える。

 

 

5時間に及ぶチョコレートとの闘争で―――とどのつまり、身体中がチョコ塗れになったため―――疲れ果てた楓は、くーちゃんと共に入浴中だった。

ほんの1、2年前は両親か姉に付き添って貰わねば風呂にも入れなかったが、今では自分で入浴することができる。

大きな湯船で足を伸ばして入浴する楓は、もちろん服を着ていないが・・・中指には、無骨な黒い指輪を嵌めたままである。

 

 

『これを外しちゃダメだよ、いつでもどこでも・・・ね』

 

 

ここに連れて来られた頃に長姉の束がそう言ってプレゼントしてくれたそれを、楓は就寝時だろうと入浴時であろうと身に着けている。

姉の言い付けを守って、ずっと・・・。

 

 

「・・・失礼致します・・・」

「あ~い・・・」

 

 

湯船でふにゃ~っとしている楓の隣に、スラリ・・・と伸びた白く細い足が入ってくる。

身体を洗い終えた長い銀髪の少女は、髪を結い上げている。

入浴しているためだろう、頬やうなじがうっすらと赤く染まり、幼い外見ながらどこか色香を感じさせる。

つつ・・・と水滴が肩から腰へと流れて行く様は、同性と言えども息を飲むような艶やかさだった。

 

 

「あー・・・上手くいかなかったね・・・」

「・・・そう、ですね・・・」

 

 

ほぅ・・・と、2人の少女が湯船に浸かりながら吐息を漏らす。

篠ノ之 束と言う敬愛する存在を喜ばせようとして始めたことだったが、首尾は上々・・・とは、行かなかった。

事情は違えど、落ち込む気持ちは2人の少女に共通していた。

 

 

くーちゃんと束に名付けられた少女は、主のために何もできないことに落ち込んでいた。

そして楓は、大好きな姉を喜ばせることが何もできないと言う現実に落ち込んでいた。

例え身体が元気になっても、これでは何も変わらない・・・と。

 

 

「・・・箒姉さん・・・」

 

 

自分が困っていたら、いつでも助けてくれた次姉の名をぽつりと呼ぶ。

楓にとって、どこからか颯爽と現れて自分を助けてくれるヒーローのような姉。

もう1年以上、会っていない。

 

 

こんな時、次姉ならどうしただろうか・・・?

脳裏に浮かぶのは、毎日鍛錬を欠かさない凛々しい次姉の姿。

綺麗で、凛とした・・・憧れそのもの。

理想の、「自分」・・・そのイメージ。

 

 

「・・・まだ」

「・・・楓さま?」

「まだ、諦めたちゃダメだよ!」

 

 

ざぱっ・・・握り拳を作ってその場に立ち上がる楓。

その両目には、再び闘志の炎が燃えていた。

 

 

「まだ・・・何かこう、方法があるはずだよ!」

「は、はぁ・・・」

「具体的には、まだ何にも思い付かないけど・・・」

 

 

現実問題として、楓達はチョコレートが作れない。

料理スキルと言う物が、壊滅的であることは認めざるを得ない所である。

しかし、彼女達は篠ノ之 束直伝の別の「技術」があるではないか。

 

 

温かいお風呂のお湯をチャプチャプとしながら、楓は考える。

何か、良い方法は無い物だろうかと。

そう、何も食べるだけがチョコレートの用途では無いはず・・・。

意気込む楓を見つめながら、くーちゃんは小さな掌にお湯を掬って・・・ぽつりと。

 

 

「・・・この温度、まるで湯せんしたチョコレートですね・・・」

 

 

その時、篠ノ之 楓に電流走る―――――。

 

 

「そ・れ・だ―――――っ!!」

「・・・はい?」

 

 

びしぃっ、と楓に指差されて、くーちゃんは可愛らしく首を傾げた。

その仕草は、やけに見た目相応の仕草に見えた・・・。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

篠ノ之 束は天才である。

それは今に始まったことではないし、彼女が生まれた時から決定づけられていた運命である。

それを聞けば三女であれば「当たり前」と評したろうし、次女であれば苦い表情を浮かべただろう。

機械の備品とケーブルで覆われた部屋で、束は眠りについていた。

 

 

ただし、束にとって夢の中は安らぎの場所では無い。

それまでの理論を試行する場であり、起きていようと寝ていようとやることは同じである。

曰く、「天才は思考から解放されない」。

その言葉を発した本人である束が、そのことについてどう思いどう感じているのかは誰にもわからない。

束本人にも。

 

 

「・・・にゅ?」

 

 

ぎしっ・・・ベッド代わりに使っていた骨組みのような銀の椅子の上で、束は目覚める。

純白のワンピースのような服に、どこかローブを思わせる黒い生地を合わせた「1人シンデレラ」な衣装に身を包んだ束は、睡眠直後にも関わらず両目に深いクマがついたままだ。

もう何年も、束は安らかな睡眠と言う物を経験したことが無い・・・。

 

 

「・・・あー、暇・・・」

 

 

ぽつりと呟いた次の瞬間には、銀の椅子をバラバラに解体、床の上に寝そべる形になる。

その際、膝の上に置いたままだったらしい黒い「箱」がカラカラと床の上を転がった。

数日前、楓が持っていた物である。

束はそれをつまらなそうに見やると、ゴロゴロと転がりながら「箱」の所まで行った。

そして彼女が指先で少し押すだけで・・・。

 

 

カシャリと、「箱」が展開した。

 

 

乾いた音を立てながらバラバラになった立方体の面が空中に浮き、幾重にも重ねられたディスプレイを展開させる。

そこに記されるデータに、束は無感動な瞳を向ける。

束はこの「箱」を、そのまま「ブラックボックス」と呼んでいた。

それは逆に、それ以外の呼び方を思い付かなかったと言うことでもある。

 

 

「・・・楓ちゃん、いつになったら開けるかな~?」

 

 

妹のことを考えた時だけ、束の表情が変化する。

何かを楽しみにしているような、子供のような顔をする。

現実も夢も無い人生の中で、2人の妹だけが・・・。

 

 

「―――――束さま」

 

 

その時、部屋に誰かが入って来た。

誰か・・・それは束が「くーちゃん」と呼んでいる少女である。

瞬時に黒い「箱」が元の立方体に戻り、束は床から身を起こす。

 

 

「お休みでしたか・・・?」

「ん~ん、束さんは休んだことなんて無いからねぇ」

 

 

さらりと凄いことを言いながら、束は「娘」を迎える。

 

 

「やぁやぁやぁ、どうしたのかな、くーちゃん?」

「その・・・楓さまが・・・」

「うん? 楓ちゃんがどうしたのかな?」

 

 

きょとんっ、と小首を傾げる束に、少女はおずおずと告げる。

 

 

「楓さまが・・・浴場に来てほしいと・・・」

「ふん? おねーちゃんとお風呂に入りたいのかな?」

 

 

だったら自分で言いに来れば良いのに、そう思う束だった。

それに対し、くーちゃんは微妙な表情を浮かべたままであった。

そして、おずおずと少女が主に差し出した物は・・・。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

―――――チョコレート風呂、と言う物がある。

カカオエキスやトレハロースなどの成分を特殊な方法で加工することで、いわゆるチョコレートの香り入りの入浴剤を作ることができるのである。

なお、アレルギーなどがある人間はけして使用してはいけない。

 

 

定められた分量と機材があれば、ある程度の確率で製作することが可能である。

ましてやここは篠ノ之 束の秘密ラボ。

機材や技術には事欠かないし、各国企業から盗んだ技術情報すらデータベースに収められている。

再現できない技術など無い・・・とは、束本人の談である。

もっとも、束自身は他人の技術を再現する必要を感じることがそもそも無いが。

 

 

「おお~・・・」

 

 

その束が、今は感心したように秘密ラボの大浴場の一部を見つめる。

そこにはいつ増設したのか、新しいお風呂があった。

束は白いラインの入った紺色のワンピースタイプの水着を着ており、豊満なバストが窮屈そうに水着の胸元を押し上げている。

一方、まさしくチョコレート色のお湯が張られた湯船の側には・・・。

 

 

「・・・あ、束おね「かぁ―――えぇ―――でぇ―――ちゃ~~~んっっ!!」ぇあぅわあああぁぁぁっ!?」

 

 

突撃・・・それはまさしく、突撃だった。

感極まったように飛び出した束は、楓に飛びついた。

両手でがっしりと抱き締めて頬ずりし、なおかつそのままの勢いでチョコレート色の湯船の中に2人で飛び込んだ。

 

 

水柱・・・ならぬチョコ柱が立つ。

両手でタオルを持った白の水着姿のくーちゃんは、それをただ静かに見つめている。

水滴ならぬチョコ滴がいくらか飛び散って少女の身体を汚していたが、特に気にした様子は無い。

何故ならそれは、少女の主がやったことなのだから。

 

 

「んも~~ぅ、何々? お姉ちゃんとチョコレートで遊びたかったの? それならそうと言ってくれれば良いのに!」

「ち、違、違っ・・・!」

「うん? おやおやおやぁ~? 楓ちゃんからとても甘い香りが・・・・・・じゅるり」

「ひぃっ!? お、おねーちゃんおねーちゃんっ、ちょ、ちょっと待―――――!!」

 

 

楓は日頃の感謝を伝えたかっただけで、加えてもう少し静かに楽しみたかったのだが。

束は、妹のそんな事情を軽く無視した。

むしろ、薄桃色のワンピース水着をチョコ塗れにした妹をみて、何故か危ない視線を向けていた。

 

 

「ああ、束さまがあんなに楽しそうに・・・」

「く、くーちゃんさん、助けて――――っ!」

「ああ、楓さまがあんなに楽しそうに・・・」

「にゃはははっ、暴れない暴れない、水着が脱がせにくいじゃないかぁ~」

「ほ、箒姉さ―――――んっっ!!」

 

 

くーちゃんの目には、仲睦まじい姉妹の様子が映し出されていたのかもしれない。

束の目には、元気な妹の姿が見えていたのかもしれない。

・・・ただ楓だけは、割と必死だった。

 

 

「ひゃあっ!? ちょ、束お姉ちゃん、どこ触って・・・!」

「うふふ~、甘い、甘いぞ~♪」

「にゃ、ちょ、おねぇ・・・ほ、ほっぺ舐めちゃ・・・!」

 

 

全力全開、束お姉ちゃん。

そんな単語が脳裏に浮かぶほど、今日の束はテンションが高かった。

この時の束の楽しそうな顔を、楓は最期の時まで鮮明に思い出すことができた。

 

 

何故なら、この時間は。

二度と戻らないのだから―――――。

 




篠ノ之 楓:
懐かしいなぁ、あの後は束お姉ちゃんに舐められ・・・いいや、忘れよう。

篠ノ之 束:
ああー、あったねぇ~。

篠ノ之 楓:
あれ、束お姉ちゃん・・・ど、どうして私をそんなに見て・・・。

篠ノ之 束:
・・・じゅるり。

篠ノ之 楓:
ひぃ・・・っ!?


・・・可愛く言うと、楓は束にモフモフされました。

―――ひゃっ、ちょ・・・そ、そんなとこ、舐めちゃダメぇ・・・!
―――うふふふ~。よいではないか、よいではないか~。

・・・モフモフ、されました。
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