と言うわけで、ここでちょっぴり過去編です。
では、どうぞ。
それはまだ、篠ノ之 束によって変革される前の時代。
IS学園はおろか、人々がまだ「IS」と言う兵器の存在を知るはずも無かった時代。
世界が、1人の天才の「遊び場」になる前の時代。
3人の姉妹と2人の姉弟が、まだ共に在った時代。
まだ・・・何もかもが台無しになる、直前。
これは、そんな時間の物語―――――。
◆ ◆ ◆
少年と少女が、向かい合っている。
いや、少年と少女と言うこともできない程に幼い2人は、男の子と女の子と表現すべきだろう。
年の頃は、小学校に入学したかどうか・・・5、6歳ほどだろうか。
1人は黒髪の男の子で、活発さを表すように髪の所々がピンピン跳ねている。
女の子はリボンをつけたポニーテールで、幼いながらもすでに凛とした雰囲気を備えている。
2人が着ている物は道着であり、手に持っているのは竹刀。
そして立っているのは、冬の空気が冷たい板張りの剣道場・・・。
「今日は、俺が勝つ!」
「ふん」
「・・・だあああああっ!」
鼻で笑われたのが気に入らなかったのか、男の子はすぐに竹刀を大きく振りかぶって斬りかかった。
まだ剣道を始めて間が無いのか、その行動はどこか直線的で直情的だった。
対する女の子、こちらは慣れているのか、冷静に相手の剣先を避けて竹刀を横にして・・・。
べしっ、ぐしゃっ。
見事に胴が決まり、男の子が剣道場の床に沈む。
それから女の子が型を崩した瞬間、男の子はがばりと身を起こした。
その顔は、悔しさで真っ赤になっている。
「あ、明日は俺が勝つからな! 箒!」
「ふん、その明日はいつ来るのだろうな、一夏」
いつも同じ問答をしているのか、男の子―――織斑 一夏と、女の子―――篠ノ之 箒は、どこか慣れたような雰囲気を漂わせている。
一夏にしてみれば女子に勝てないと言うのが我慢できず、箒にしてみれば剣道場の娘として始めたばかりの一夏に負けるわけにはいかない、と言う事情がそれぞれにあるわけだが・・・。
お互いにそれを察せられる程には、まだ成長していない。
「・・・くりすます?」
「んだよ、知らないのか? 千冬姉が言ってたぞ、ケーキとか食う日だよ」
2人しかいない剣道場で、自分の道具を手入れしながら―――篠ノ之道場の伝統である―――一夏と箒は12月25日と言う今日、クリスマスの話題に興じていた。
厳密にはクリスマスはケーキを食べる日では無いわけだが、そこは子供、細かい点は無視である。
「けーき・・・?」
「知らねーのか?」
「ば、馬鹿にするな! それくらいは知っている!」
もちろん、箒はケーキと言う食べ物は知っている。
ただ家が神社でしかも剣道場なため、クリスマスと言う習慣とは無縁なのである。
箒自身、そう言うナヨナヨしたイベントは好まないわけだからして・・・。
「・・・箒姉さん?」
その時、2人きりだった剣道場にもう1人、客が現れた。
いや、客と言うのもおかしい・・・何故ならそれは、ここ篠ノ之神社の娘の1人なのだから。
名前を。
「楓!」
妹の名を呼んで、箒が立ち上がる。
そして道場の入口まで駆けて行く小さな背中を、一夏はぼんやりと眺めていた。
ああ、明日は勝ちてぇなぁ―――と、そう思いながら。
◆ ◆ ◆
篠ノ之 楓と言う名の少女―――女の子は、どこか儚げな印象を受ける子供だった。
おかっぱの黒髪に、日の光に当たったことが無いかのような白い肌。
道場の引き戸に半分隠れている小さな身体には、白い襦袢を纏っている。
どこか不安そうだった表情は、姉である箒が駆け寄ってくると明るい物に変わる。
普通なら日が差したような明るさとして表現する所だが、この女の子の場合は雪に月明かりが反射したような、静かな明るさと言うのが相応しいだろう。
姉・・・箒がその薄い肩に触れると、妹の身体がひどく冷えていることに気付く。
「ダメじゃないか、寝ていないと・・・こんなに冷えて」
「大丈夫だよ、今日は気分も良いし・・・空気が冷たくて気持ち良いくらい」
「ダメだ、昨日もそう言って熱を出したばかりじゃないか」
蚊の鳴くような小さな声で応える楓に、箒は厳しい言葉を返す。
箒は、真っ赤な顔をして目を回していた昨夜の妹の様子を覚えている。
そんな姉の気持ちはわかっている物の、楓は姉のように動き回りたいと言う気持ちを抑えられない。
なので、割と揉める2人でもあった。
「箒、俺もう帰るぜー? 千冬姉がうるせーから」
「あ、ああ、また明日な」
「おーう・・・ちゃんと寝てろよ」
最後の言葉は楓に向けて、一夏は姉妹の傍を駆け抜けて行った。
彼は彼で、自分の姉の待つ家へと帰りたくなったのである。
箒はそれを目だけで追った後・・・再び妹を睨んだ。
・・・なお箒本人は睨んでいるつもりは無いのだが、ツリ目のためかそう見えてしまうのである。
そこは、本人も少し悩んでいる様子である。
それはそれとして、箒は楓の背中を押しながら。
「ほら、早く部屋に戻るんだ」
「箒姉さん、今日はケーキ食べるの・・・?」
「何だ、聞こえていたのか? うちは神社だぞ、ケーキなんて出ないに決まっている」
「あ・・・そう、なんだ・・・」
箒に背を押されながら、しょぼん、と沈む楓。
そんな妹の様子に片眉をピクリと動かしながらも、箒は楓を部屋の布団に戻そうと・・・。
「・・・こほっ、こほっ・・・」
「ああ、ほら。早く布団に入って寝るんだ、また熱が出るぞ」
「・・・うん」
軽く咳き込み始めた楓の背中を撫でてやりながら、箒は心配そうに楓の顔を覗きこむ。
少し赤みを帯びた頬が、白い肌に映えて妹の可憐さを彩っている。
だがそれが良く無い―――体調を崩す―――兆候であることを知っている箒は、心配でならなかった。
身体の弱い末の妹、楓。
一日のほとんどを布団の中で過ごす、双子の妹。
・・・この時、箒は妹のために小さな、そして大きな決断をした。
◆ ◆ ◆
カシャンッ・・・多少くぐもってはいる物の、陶器が割れたような音が響く。
そして実際、ような、では無く割れた物がある。
新聞紙に包まれたそれを丁寧に扱うのは、幼い少女・・・箒だった。
側には小さなトンカチがあり、新聞紙の包みからは薄桃色の陶器の破片が出て来た。
そして破片に塗れるような形で、何枚かの硬貨が見える。
薄桃色のそれを繋ぎ合わせると、豚のような形になったかもしれない。
とどのつまり、豚さんの貯金箱を割ったのである。
「ひぃ、ふぅ、みぃ・・・の・・・」
たどたどしい手つきで数を数えながら、箒は膝の上に置いていた赤いがま口に硬貨を大事そうにしまっている。
それは、箒が今まで貯めて来たささやかな貯金だった。
それを今日、使う。
・・・妹のために。
「・・・良し」
がま口を首から下げて、部屋を飛び出す箒。
隣の部屋―――楓が寝ている―――の方を見て、箒の表情は決意の色に染まる。
そして・・・。
「箒ちゃーん、どこに行くのぉ~?」
縁側に面する部屋の襖が開いたかと思うと、ズルズルと何かが這い出て来た。
のんびりした動作と口調、しかし伸ばし放題になった長い髪が廊下の板に広がっていて、幼い箒は少し怖かった。
「姉さん」
「堅いよー、楓ちゃんみたいにお姉ちゃんって呼んでよー」
「・・・嫌だ」
「ええぇ~」
駄々っ子のようにその場でゴロゴロしているのは、篠ノ之 束と言う名の少女だった。
篠ノ之家の長姉であり、風変わりな娘として周囲から敬遠されている。
とは言え、2人の妹にはいつも優しい、そんな姉だった。
どこかの村娘のような、村人のような、黒い西洋風のドレスのような服。
コンセプトは、「1人ヘンゼルとグレーテル」。
年齢の割に豊満な胸が、窮屈そうにブラウスの中に納まっている。
「むぎゅー」
「ね、ねねね姉さん、離して・・・っ」
「お姉ちゃんって呼んでよー」
「・・・」
「んー?」
束に身体を掴まれて引き倒され、柔らかな姉の身体の上でモフモフされる箒。
その顔は、トマトのように赤い。
でも嫌がられてはいない、だから束もニコーっと笑っている。
箒は右に左に視線を彷徨わせた後、普段からは想像もできない程に小さな声で。
「・・・お姉、ちゃん・・・」
「か・・・可愛い―――!」
「ね、姉さん、ね・・・っ!?」
散々姉に抱き潰された後、箒は息を荒げながら束から離れた。
束はニコニコと上機嫌そうに笑っていたが、箒の首に下がったがま口を見て首を傾げる。
はて、どこかに行くのだろうか?
「箒ちゃん、どこに行くの?」
「ちょ、ちょっと商店街まで・・・」
「しょーてんがい?」
うん? と首を傾げる束。
箒は少し恥ずかしさが残っているのか、赤い顔のまま姉に背を向けて駆け出す。
「静かにしててね、楓が寝てるんだから!」
「え、うんー」
頭の上に「?」をいくつも浮かべながら、束は活発な妹を見送る。
この時点で、1人を除いて並ぶ者が無い程の才能を発揮している彼女。
そんな彼女をしても、人の心は複雑怪奇にして摩訶不思議、その深さの全てを知ることはできない。
だからこそ、興味がある・・・相手が大事な妹となれば、なおさら。
そう思い、束はもう1人の妹が寝ているであろう隣の部屋へと視線を向けた・・・。
◆ ◆ ◆
織斑 千冬と言うのが、その少女の名前だった。
艶やかな黒髪、はっとするほど整った顔、雪よりも白く映えるきめ細やかな肌。
モデル並の長身を学校の黒い制服で包むその姿は、男女を問わず通りすがる人々の視線を惹きつけてやまない。
鋭さとキツさを併せ持つ切れ長の瞳は、吸いこまれそうな程に美しい黒。
彼女がそこにいるだけで、周囲の空気までもが張りつめた物になりそうな程だ。
実際に声をかける勇気ある男性もいるが、その全てが視線一つで追い払われてしまう。
そんな彼女の心配事は、たった1つ。
「・・・遅くなってしまった。一夏も腹を空かせて待っているだろう」
ポツリと呟いたその言葉にだけは、鋭さとは無縁の温かな感情が見え隠れしている。
特に「一夏」・・・弟の名を紡ぐ時、その表情に浮かぶ感情は冷厳さよりも温かさの方が勝っているように思える。
そんな彼女の手には、大きく膨らんだ買い物袋。
彼女が今まさに商店街で購入した食材であり、今日の夕飯の材料である。
料理はあまり得意では無い千冬だが、クリスマスくらいは弟に温かい食事を食べさせてやりたい。
両親が蒸発して以降、弟の世話だけが千冬にとって・・・。
「・・・うん?」
商店街の端にまで来た時、千冬は足を止めた。
はたと立ち止まって見つめるその先には、剣道着姿の小さな女の子がいる。
道行く人の多さに戸惑っているのか、酷く困っている様子だった。
普段なら気にも留めない千冬だが、それが良く知る顔だっただけに無視はできなかったのである。
「・・・箒?」
「あ・・・千冬さん」
そこにいたのは、箒だった。
千冬にとっては通っている剣道場の娘であり、親友(たばね)の妹である。
加えて言えば、千冬の弟の友達でもある。
「どうした?」
「あ、その・・・」
胸の前で手を握り締める箒に、千冬はしゃがみ込んで視線を合わせる。
いつも明瞭な受け答えをする箒にしては珍しく、どうも言いにくそうである。
千冬は内心で頭を掻きながら、根気強く待った。
だがむしろ、幼い箒は千冬の視線の鋭さに気圧されていたわけだが・・・。
・・・この点、千冬と箒は共通の悩みを抱えていると言える。
「・・・実は・・・」
やがて、ポツポツと箒は自分が1人で家を出て来た理由を告げる。
それを聞いた千冬は、話の最中に頷きを返しつつ事情を了解した。
箒が行きたい場所は・・・。
「・・・良くわかった」
ぽんっ、箒の頭に手を置きながら、千冬は厳格に告げる。
「では一緒に行こう、ちょうどうちの予約した分を取りに行く所だ」
「・・・い、良いん、ですか?」
「構わないさ」
そこで初めて笑って、千冬は立ち上がる。
そして箒に手を差し伸べると、箒は戸惑いつつもその手を取った。
2人は手を繋いだまま、商店街の雑踏の中に消えた。
・・・なお結果として、箒が持っていた分のお金では目的の物は買えなかった。
千冬が箒から受け取った分にそっと100円玉を足してレジの店員に渡したのは、また別の話である。
◆ ◆ ◆
「・・・ったく、千冬姉はどこに行ったんだよ」
たったったっ・・・と道を走りながら、一夏は不満そうに唇を尖らせる。
家にいるはずの姉の姿は家に無く、一夏は姉を求めて近所を駆けずり回っていたのだ。
本人は絶対に認めないが、つまりは姉が恋しいのである。
箒と楓を見て、影響されたのかもしれない。
「・・・ったくよー、箒はよー」
思い出したせいか、一夏は別の意味で唇を尖らせる。
寒い冬の空気の中で、一夏はどうしたら箒に勝てるかを考える。
・・・が、妙案は何も思い付かなかった。
「あーくそー・・・勝ちてぇなぁ、勝てねぇかなぁ・・・」
元々、姉の千冬に無理矢理やらされていた剣道。
だが、箒の存在が一夏のやる気を刺激している。
同い年の女の子に勝てないと言うのは、幼い男の子のプライドに大きな傷をつけているのである。
だが実直な姉の影響か、一夏は原因を自分の力不足に求める。
箒のことは気に入らないが、それで箒自身をどうこうとは思わない・・・。
「・・・あ?」
いくつか角を曲がったあたりで、一夏は足を止める。
目を細めて先を良く見ると・・・。
・・・そこに、数人の男子に囲まれた箒の姿を見つけた。
◆ ◆ ◆
商店街で千冬と別れた後、箒は急いで家に戻ろうとしていた。
もうすぐ日が暮れる時間で、トタトタと走る。
もっとも、子供なのでそれほど速くは無いが・・・。
あと少しで神社・・・家につくと言う所で疲れたのか、肩で息をしながら立ち止まる。
はぁ、はぁ・・・と息を吐きながら、箒は自分の胸元に視線を落とす。
そこには、両手で大事そうに抱えた白い箱があった。
箒はその箱を見ると、かすかに笑みを浮かべて・・・。
「あ、男女だ!」
「本当だ、男女(おとこおんな)がいるぞ!」
「・・・?」
その時、道の向こう側から2、3人の男子がやってくるのが見えた。
箒と同い年の男子で、箒も知っている顔だった。
かと言って、それは仲が良いことを意味しない。
そもそも仲が良ければ、箒のことを「男女」とは呼ばない。
「おーい、男女、今日は木刀持ってないのかよ」
「喋り方も変だもんな、俺知ってるぜ、武士って言うんだ」
「武士って男だもんな、やっぱり男女だよな」
木刀では無く、竹刀だ。
だがそれを訂正する気にもなれない、箒は今度は本当に相手を睨んでいる。
剣道を習っている箒は、基本的に同い年の男子よりも強い。
それが原因で、こう言うことは何度もあった。
「あれ? コイツ今日リボンしてるぞ、男女のくせに」
「わっ、ほんとだ~、似合わねー」
箒は普段から髪を縛っているが、基本的にリボンはつけない。
リボンをつけるのは、一夏との稽古の日だけだ。
だがそれにも、箒は手にした箱を抱き締めるだけで何も言い返さない。
「・・・何だ? その箱」
「・・・っ、触るな!」
ぱぁんっ・・・乾いた音が響く。
箒の持つ箱に触ろうとした男子の顔を、箒が片手で張った音だ。
頬を張られた男子は少しよろめいた後、顔を押さえながら。
「な・・・何すんだよ、コイツ!」
「やっちまえ!」
男子達が箒に掴みかかろうとして、そして箒が両手で箱を庇おうとした時・・・。
「よってたかって、何してんだお前ら」
「・・・一夏!」
家に帰ったはずの一夏が何故ここに、と言う疑問を箒が感じている間に、一夏は3人の男子相手に喧嘩を始めた。
箒も加勢したかったが、両手が塞がっていてできない。
・・・と言うか、剣道に加えて千冬に武術の基礎の基礎を習っている一夏は、途中から3人の男子を一方的に殴っていた。
むしろ、一夏が苛めているようにも見えるから不思議である。
「ぱ、パパに言い付けてやるからな!」
「お、覚えてろよ!」
「へっ、おとといきやがれってんだ」
覚えたての言葉を無駄に使いながら、一夏は舌を出して男子達を追い払った。
流石に無傷では無いが、逃げて行く男子達に比べれば軽い物だった。
ぐいっ・・・手の甲で頬を擦りながら、一夏は「へっ」ともう一度鼻で笑う。
「い、一夏・・・」
「ん? ああ、大丈夫かお前」
「あ、ああ・・・」
どことなく視線を彷徨わせながら返事をする箒、一夏は心の中で「へんなやつ」と思うが、それを口にはしなかった。
「べ、別に、お前の助けなんていらなかったんだ」
「別にお前を助けたわけじゃねーよ。ただ男のくせによってたかってってのが気に入らなかっただけだ、勘違いすんなよ」
「ふ、ふん。そうか、それなら良いんだ」
そっぽを向きつつも、箒はチラチラと一夏のことを見る。
一夏は逆に、頭を掻きながら箒から目を離す。
箒は、箱をぎゅっと抱き締めながら・・・。
「あ・・・あ、あり、ありが「ああ、それよりさぁ」と・・・何だ?」
「千冬姉、知らね?」
「・・・・・・・・・もう、帰ってると思うぞ。さっき商店街で別れた」
「マジ!? ヤッベ・・・!」
「あ、おい・・・」
そのまま別れも告げず、一夏は一目散に駆けて行く。
伸ばしかけた手を引っ込めて、箒はそんな一夏の背中を見送る。
一夏としては、千冬に叱られたくないがための行動である。
とは言え、箒としては拍子抜けも良い所だった。
「じゃーな、箒! また明日な」
「・・・ああ!」
それでも、一夏の声に手を振って応じる。
また明日、その言葉があればそれで良かった。
箒は手を振った拍子に落としかけた箱を、慌てて持ち直す。
再び顔を上げた時には一夏の姿は見えなくなっていて、溜息を吐く。
・・・それから、思い出したかのように駆け出した。
家へ・・・妹の、所へ。
◆ ◆ ◆
軽く咳き込む音と、熱に浮かされたような呼吸。
姉によって布団に押し込められた後、やはりと言うか何と言うか、楓は体調を崩していた。
箒が心配していたように、身体を冷やしたのが不味かったのかもしれない。
母親は風邪だろうと言い、楓に少量のおかゆと薬を飲ませた後、楓を寝かしつけた。
楓が目を覚ましたのは、夜になってからのことだった。
障子の向こう側は真っ暗で、自分がまた1日を布団の中で過ごしたことを嫌でも思い知らされた。
それが幼い楓には辛くて悔しくて、仕方が無かった。
「・・・はぁ・・・」
熱を孕んだ吐息を漏らして、楓は半身を起こす。
その時、はらりと額に乗っていた濡れタオルが落ちる。
それから体調を崩した時に特有の寒気を感じて、自分の身体を抱くようにする。
楓は思う、幼いながらに。
自分がもっと、いや、ほんの少しで良い。
丈夫な身体で生まれて来ていれば、良かったのに―――。
「お姉ちゃん達は、良いな・・・」
2人の姉は2人とも、病気とは無縁の生活を送っている。
上の姉は良く分からない人だが、とても頭が良くて明るい。
下の姉は楓の憧れで、毎日を健康に健全に生きて、剣道では年上にも勝つ程だと言う。
2人の姉はあんなにも、輝いているのに・・・。
「・・・にゃんにゃにゃーん・・・」
「え・・・?」
その時、楓の寝ている部屋の襖がゆっくりと開いた。
暗がりの中、そこから頭を出したのは・・・大きなクマさんだった。
クマなのに何故「にゃ」なのかは、不明である。
「にゃにゃにゃ、おはようにゃーん♪」
「・・・束、お姉ちゃん?」
「ギクゥッ! 何故にバレたにゃ?」
楓よりも大きそうなクマさんの影から出て来たのは、束だった。
楓が起きるのを待っていたのかどうなのか、そそくさと部屋の中に入ってきて・・・。
箒と同じように、楓を抱き潰しにかかった。
「にゃる~ん、楓ちゃんは可愛いなぁ」
「わぷっ・・・!」
「ん? んん~? 楓ちゃん、身体がポカポカだね。どうしたの、オーバーヒート?」
普通に熱っぽいだけである。
「ほいほーい、お姉ちゃんからのクリスマスプレゼントだよん」
「・・・くまさん?」
「むふふ、見て見て楓ちゃん! これねぇ、ここを押すと~」
『やふー、束お姉ちゃんだよん! 今日もらぶりぃ?』
「ほらほら、お姉ちゃんの声で喋るんだよ、凄いでしょー?」
「う、うん・・・」
これでいつもお姉ちゃんと一緒だからね、と笑う束の顔を、楓はとても眩しそうにしながら見上げる。
束は、本当に何でもできる。
自分とは、大違いだと思いながら・・・。
「・・・お姉ちゃんは、凄いね」
「うん? むふふ、そりゃあ天才の束さんだからね。仕方無いよ、お姉ちゃんが凄いのは生まれた時から決まってることだもん。で、で? 嬉しい? 楓ちゃん嬉しい?」
「う、うん、ありが「楓ちゃん可愛い~!」もががが・・・っ」
むぎゅうっ、と抱き締めたり頬をスリスリしたり、やりたい放題な姉であった。
とは言え、束の体力に楓がついていけるはずも無く・・・。
「・・・こほっ、こほっ・・・」
「おやおや? 楓ちゃん風邪? キャッチコールド?」
「ん・・・ぐすっ・・・」
すんすん、と鼻を啜りながら咳き込む楓を、束は不思議そうに覗き込む。
「お姉ちゃんは、良いな・・・」
それは、羨ましさを通り越して羨望ですらあった。
外を走りたい、遠くに行きたい。
自分の足で駆け回って、いろいろな所へ。
「楓、お外で遊びたい・・・」
「ふーん、そうなの。変なお願いだねぇ、ふぅーん」
束は首を傾げて妹を眺めた後、ふむっ、と腕を組んで思考の海に沈む。
ぽく、ぽく、ぽく・・・ちーんっ。
まさにそのような感じで、ぽんっ、と手を打つ束。
「おーけー、おーけー、任せて楓ちゃん。お姉ちゃんがぜぇんぶ、何とかしてあげるからねっ。大丈夫、束お姉ちゃんは世界一の大天才だかんね、ドクターゲ○も真っ青さ!」
「どく・・・?」
「うんうん、楓ちゃんはなぁんにも、心配しなくて良いからね。全部お姉ちゃんがやったげる、何もかも隅から隅まで塵一つ残さず、綺麗さっぱり全部! うん、もういっそのこと星の外まで行っちゃう感じで・・・ああ、うん、良いねそれ・・・」
ぐしぐしぐし・・・妹の頭を撫でて、束は立ち上がる。
鼻歌など歌いつつ出て行く姉を呼び止めようとするも、楓の小さな声は届かない。
こほっ・・・小さく咳き込みながら、楓は姉を見送るしかなかった。
上の姉の考えていることは、幼い楓にはわからない。
ただ、疲れたように息を吐いて・・・。
「・・・楓? 今、姉さんが来ていたのか・・・?」
そして、もう1人・・・下の姉が、楓の部屋を訪れた。
その手に、小さな箱を持って・・・。
◆ ◆ ◆
「・・・ほら」
「・・・?」
そっぽを向きながら箒が押しつけて来たのは、小さな白い箱だった。
押しつけられる格好となった楓は、不思議そうな顔で手元のそれを見る。
何かが入っているのか、少し重い・・・。
「これ、何・・・?」
「良いから、開けてみろ」
そっぽを向いたままそう告げる姉、楓は小さく首を傾げながら箱を開ける。
そこには・・・。
「わぁ・・・」
そこには小さな苺のショートケーキが、一つだけ入っていた。
しかも、砂糖菓子のサンタがちょこんと鎮座している。
楓の目が、一瞬だけ輝いて見えた。
箒は妹が目を輝かせるのを見て、少しだけ嬉しそうな顔をしたのだが・・・。
楓が自分のことを見ると、慌てて仏頂面でそっぽを向くのである。
「は、早く食べろ。父さんに見つかったら、叱られるぞ」
「う、うん」
付属のプラスチックのフォークを使って、楓は小さく切り取ったケーキを口に含む。
クリームの甘さに、熱とは別の種類の赤みが頬にさす。
本当は、体調が悪い時にケーキは食べない物だが・・・。
「う、美味いか?」
「うん、うん・・・」
「そ、そうか。もっと食べろ」
「ん、ん・・・」
口一杯にケーキを詰め込んで頷く妹に、箒はほっとしたような表情を浮かべる。
その時、不意に楓は箒を見た。
そして少しだけ首を傾げて・・・。
「・・・箒姉さんは、食べないの・・・?」
「わ、私は・・・こ、ここに来るまでに食べてしまったのだ。だから気にするな・・・ほら、早く食べろ!」
「う、うん・・・」
姉に急かされて、楓は慌ててケーキを食べるのを再開する。
・・・本当は、箒もケーキを食べたかったのだが。
それでもケーキを食べる楓を見ていると、箒は小さな胸に温かい何かを感じることができた。
箒にとって、楓は守るべき大切な妹で。
その妹を喜ばせられるのが、どうしようも無く嬉しかった。
それは・・・そんな夜の、出来事だった。
◆ ◆ ◆
クリスマスから幾日かが過ぎて、年も改まったある日。
千冬は篠ノ之神社への初詣のついでに、唯一とも言っても良い親友を訪ねた。
両親や妹まで―――例によって寝込んでいる楓は別として―――が忙しくしている中、巫女としての役割を欠片も果たしていない親友を。
「束、いるのか?」
勝手知ったる何とやら、居住スペースの屋敷の縁側を歩きながら、千冬は束の名前を呼ぶ。
普段はやかましいくらいに付きまとって来る親友が、この1週間は音信不通。
本人は認めないだろうが、千冬も心配になってきていたのである。
そうこうしている内に、束の部屋の前に到着する。
耳を澄ましてみれば、部屋の中からは何かの電子音や何かを削っているような音が響いている。
和風の家には、似つかわしく無い音だった。
とは言え、それは今に始まった話では無い。
「束、入るぞ」
千冬は軽く眉を顰めて襖を開けて・・・結果、さらに深く眉間に皺を寄せることになる。
意外と広い畳の部屋、そこには・・・。
白銀の、鎧のような「ナニカ」があった。
周辺は奇妙な機材やコードで溢れており、気のせいで無ければ化学薬品の匂いや何かが焦げているような音すら聞こえる。
和風な部屋には似つかわしく無い物が、その部屋には揃い過ぎていた。
そして数々の計器の中に埋もれるように、1人の少女が何かをしている。
その少女、篠ノ之 束は千冬に気が付くと、にへら、と頬を緩めた。
「ちーちゃん」
「・・・何を、しているんだ? 束」
「え、これ? うふふ、まだ内緒だよん」
ニヤニヤと、悪戯を仕掛けている最中の子供の顔で束が告げる。
千冬はそれに対して、さらに顔を顰める。
何故なら今の束の顔は、とんでもないことをやらかす時特有の物だったからだ。
「うーん、でも私これ乗れないしなぁ・・・そだ。ねぇねぇ、手伝ってよ、ちーちゃん」
「手伝う?」
「うんうん、2人の愛の共同作ぎょおおおおぉおぉぉ・・・!?」
千冬のアイアンクローにバタバタと悶える束、それを無視しながら千冬は部屋の真ん中で鎮座する無骨な鎧のような「ナニカ」を見上げる。
鋭く、目を細めて・・・。
「・・・で、束。コレは何だ」
「え? うーん、まだ名前とかは決めて無いんだけどねぇ・・・とりあえず・・・」
千冬のアイアンクローからしれっと逃れて、束は楽しそうに白銀の「ナニカ」を見上げる。
まだ誰も知らない、世界で2人しか知らない「ナニカ」を。
むふふと笑って、束は告げる。
「『白騎士(しろきし)』ってのは、どうかなぁ?」
その時の束の顔を、この後、千冬は生涯忘れないことになる。
何故ならそれは、運命の瞬間だったのだから―――――。
篠ノ之 楓:
懐かしいなぁ、いつのクリスマスだっけ。
あの頃はまだ身体が弱くて、ほとんど寝てばっかりだったけど・・・。
篠ノ之 箒:
そう、だったな・・・。
篠ノ之 束:
あの頃は箒ちゃんも「お姉ちゃん、お姉ちゃん」ってお姉ちゃんの後をついてきてくれてたんだけどねぇ、懐かしいなぁ。
篠ノ之 箒:
う、嘘を言わないでください!
と言うか、何でいる・・・!?
篠ノ之 束:
箒ちゃん、ひどぅいっ!
ねぇ、楓ちゃん、酷いよねぇ!?
篠ノ之 楓:
え、ええぇぇ・・・。