【更新停止】虚無の漂泊者   作:えたります

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クルタ族関連は出てるところまで
それ以外は独自になるかもです


第一話

 拓けた集落に朝東風が吹き付ける。霧が晴れて山の中腹である此処も燦然と太陽が照りつけており、花曇りしていた曇天が嘘のようだった。ジャポン原産のサクラが遠方の山々に仄かな色合いを滲ませている。今日日(きょうび)は少なからず陳腐な日々を避けられるだろうか───彼女は目を細めながら胸中で呟いた。

 

「お早う、母上」

「ええお早う」

 

 鍋から立ち昇る蒸気に山菜の香りが孕んでいる。彼女が起きるより数十分は早く仕込みを始めているらしい。これが毎日続くのだから彼女は母の健気さに少なからずの引け目を感じてしまう。たとい自分が役割を遂行していても、当たり前のように娘たる自らを甲斐甲斐しく世話を焼いてもらっている事が、彼女にはどうしても遣る瀬無かった。

 ならばと彼女が邁進しようと心がけるのは必然で、母の家事の一端くらいは手伝わせてほしいと頼み込んだ。本来なら手伝いなど片手間に留めておき、彼女にはやるべきことが在るのだが、生憎と義務とか責務とか須らくすべき……というモノでもない。

 母から受け継がれたくすみの無い金髪を一つに結いあげながら、彼女は着替えを済ませ、水桶が両端に吊られた天秤棒を担いで視線を交わすことなく家を出る。

 

「水汲みに行ってくる」

「気を付けてね。貴女はちょっと抜けてるんだから」

 

 からかうような、過保護なような。どちらにも受け取れる声音を背に、されど応えず玄関を出て、彼女は集落の東側にある獣道へと踏み入れた。

 春の芽吹きは虫や鳥などの有象無象が其処らに蔓延り、道行く彼女の前に躍り出ては何処かへと消えていく。蜂や野鳥は縄張り意識が強い生き物であるが、まるで彼女の存在など気にしていないかのように、悠々と宙を漂っていたり彼女の両天秤に留まっていたりする。

 そして彼女も、天秤棒に留まる野鳥に対して何かを想うわけでもない。()()()()()になるよう彼女は故意に無心を行っていた。この場合の無心は言葉の綾で、生物が普遍的に持ちうる感性を行使して彼女は自然に溶け込んでいるのである。

 ただ山奥の僻遠に住んでいるだけでなく、集落を築いて転々と世界各地を逍遥する彼女の部族は、必然と排他的だった。必然とは即ち外的要因によるモノ、彼女たちは隠遁せざるをえない部族であり、かと言って理不尽と嘆くことは無い。何故なら今日のように辺境に身を潜めて静かに暮らせばいいだけのこと。彼女たち部族が抱える理不尽には、俗世間から身を引くだけで謂わば自衛力にも直結していた。

 けれど彼女は退嬰的な暮らしを倦んでいる。こうして集落から外れた僻地の山奥まで足を運ぶ危険な作業に徹するのも、偏に、外への憧憬が強いからに他ならない。無論、そんなことが許されるわけもなく、如何に従順な素振りを見せようと彼女の属するクルタ族は対策を施している。

 水が打ち付ける爽やかな音が聞こえてきた辺りで彼女が足を止めたのも、その対策を潜らなければならない原因であった。一見すると視界の奥に高さ五メートルほどの小さい滝があるだけの水場だが、静かに俯瞰すると薄い膜が在る。俗称でオーラと呼ばれる生命力で、凝らした彼女の目には半透明の緋色の結界が、先ほどの集落を中心に広がって此処まで伸びているのが見て取れた。

 結界が入外出を許可するのはクルタ族のみである。どう判別するのかと言えば、やはり根本的に偽ることのできない本人の生命力だ。なればこそ、オーラを抑えて自然と同化している彼女は、状態を転換させて体に適当なオーラを纏わせた。

 

 ───(テン)

 

 数瞬にも満たずに彼女はオーラを発する。留まったオーラは綻びどころか揺らぎ一つなく、彼女のスレンダーな形貌に沿って洗練されたオーラが纏われた。

 オーラを体外に留めたまま結界に触れるとそのまますり抜ける。

 結界を超えてから再びオーラを自然なまま微かに滲ませ、彼女はなんとはなしに滝へと向かった。オーラを用いた技術を総称して念能力と呼び、先刻の様に念能力者からすればオーラが一切放出されていないのは不自然である。故に、彼女は人間として一般的なオーラを微かに放出しているのである。

 

「さて……」

 

 誰も居ない空間だ。他のクルタ族は、結界内に湧水地帯があるのだから、わざわざ結界を超えてまで水を汲みに来たりはしない。クルタ族の特異性ゆえに数多の人間から狙われているのだから当然だった。

 だが彼女に奇襲など考慮の余地すらない。それだけの力が彼女にはあった。

 人間は念能力者でなくてもオーラを、生命力を持つ。それは人間のみならず生物とて同様だ。だがやはり、人間はオーラへの感性が最も秀でた生物であり、意思を持つがゆえに塵芥な有象無象とは違うオーラを発している。それも念能力者となれば彼女と同じく洗練されたオーラを行使することだろう。

 生命力とは第六感───シックスセンスに近い何か。世の中の天才や超能力者が無自覚に念能力者である場合が多く、予知や透視なども念能力として発現することは可能である。故にオーラとは知覚の一種として感じ取る事も出来るのだ。

 ならばオーラに触れればどうなるか。また、オーラが念能力者を捉えればどうなるか。

 言うに易いだろう。

 

(円……む?)

 

 『纏』とオーラを練り上げる『練』を応用した『円』を行使。彼女を中心に真円状にオーラが広がっていく。密度で言えば『練』や『纏』の方が高いが、そもそも索敵の為の触覚である『円』に密度は関与しない。

 オーラをもってして生命力を知覚する。常人であれば数メートルから数十メートルが限度だろう。けれど彼女が広げた『円』は、直ぐ後背の集落を囲う結界すら飲み込んでいる。正確な距離は全力を出す機会はないため測っていないが、少なくとも尋常ならざる円の範囲である。

 滝で水を汲もうとしていた彼女が『円』で捉えた希薄なオーラを見逃すはずもない。何せこんな僻遠に訪れる要素など何一つ無いのだし、そのオーラは余りに洗練され過ぎている。紛うことなく念能力者に他ならないからだ。

 

「其処に居るのは誰だ? 出て来い、話くらいは聞いてやろう」

「……参ったな」

 

 天秤棒を地面に降ろした彼女が茂みへと声を掛ける。

 やや数秒おいて観念したように現れたのは、彼女とさして歳が変わらぬであろう青年だった。

 

「随分と手慣れた円だ。オレ、自信無くなるなぁ」

「……随分とフランクだな」

「コレが素だよ。まっ、お互い歳も近いようだし」

 

 カジュアルな服装で額を覆うバンダナをした青年はおどけたように肩を竦めて見せた。

 

「ふん……そう言って近づいてきた輩は何人もいた。こんな場所だ、近頃我々を探っているのは貴様だろう?」

「ありゃバレてた?」

「半信半疑だがな。結界に一度でも触れていれば警戒に値する。至極当然だ、遭難者でもあるまい」

「ってことは、君はクルタ族で間違いないのか?」

 

 青年は取り繕ったような爽やかな笑みを浮かべている。

 此処で単刀直入で聞いてくるとは彼女は思いもしなかったのか、言葉に窮してしまった。まさか自分からクルタ族が目的だと話すなんて墓穴を掘っているようなもの。ここで逡巡させるのが目的ならば余りに建設的でないし、何より青年は、目的がクルタ族の特異体質である『緋の眼』だと憚るべきでないのか? 考えられる可能性が尽く等しくなってしまった。つまり青年の目的が一概に『緋の眼』である、とは断言できない。

 

「……貴様の目的は何だ?」

 

 円を広げたまま臨戦態勢を崩さずに、重々しく彼女は問うた。

 だが彼女の剣呑な面持ちに、あっけらかんと青年は答える。

 

「簡単さ。クルタ族を知りたいってだけ」

「……は?」

「文献には載ってるさ。世界七大美色に数えられる『緋の眼』、山奥に住まう少数民族。でも知られるのはコレだけ、なら実際に現地へ行った方が速いだろう?」

「いや、確かにそうだが……」

「疑われるのは当然だ。でもオレには君と戦う意思はない」

 

 今は───ということくらい、彼女にも分かる。

 青年に敵意は無い。かと言って信用に値するわけでもない。

 だが彼女が戸惑ったしまったのは、偏に自分が住む世界が青年にとって未知である───なんて思いもよらなかったからだった。

 

 

「ならば今すぐ立ち去る事だな。我々は何者も拒まない、しかし何者も受け入れないだろう」

「……ほぉ」

 

 本性だろう、青年の双眸に僅かながらの感情が灯った。

 怒りか、歓喜か、悲哀か。彼女は読み取れなかったが、取り繕った青年の瞳は()()彼女という存在に焦点を宿らせた。

 

「奇遇だな……いや、必然か? しかし……」

「おい」

「……ああ済まない。いや、ゴメンだったか? まあ()()()()()目的はクルタ族の文化を調べたいだけさ」

「話にならんな。我々が危険を晒して一文の得もない。文化の保護だとか何とか謳った奴らは御帰り願っている」

「見返りくらいは聞いていいだろう?」

「今の生活に満足しているらしいからな。恐らく貴様の提示する見返りなど無下にされるだけだ」

「君自身は満足しているのか?」

 

 その時だった。ピクリと眉を潜めた彼女の反応を見て、青年は確信する。

 この女は異端だ。保守的なクルタ族とはかけ離れた自己を形成している。

 

 ───コイツは使えるな

 

「どうだい? 情報の裁量は任せる。その代わり君が望むモノを可能な限りオレから提供する」

「……私が何も話さないとは?」

「それはない」

「根拠は?」

「勘さ」

 

 実際には、青年が培ってきた人間分析の賜物であるが。

 

「悪くない条件だろう? 何なら契約を遵守させる念能力者を仲介してもいい」

「そこまでして知りたいのは何故だ? たかが一民族の文化だろう?」

「簡単な話さ」

 

 「オレ、本の虫だから」という言葉に虚偽は無い。だが漠然と、彼女も真実ではないと理解している。

 想起すれば自ずと惹かれていたのかもしれない。取り繕っていても彷彿とさせる青年の奔放な姿を。善悪が歪だと知る由もないが、ルクソ地方の僻遠まで足を運ぶ探究精神は、齢二十に満たぬ彼女が退嬰に燻らせていた憧憬を刺激した。

 差し出された左手に固唾を飲む。退嬰はもう、憧憬の前には等しく虚しい。

 

「……イクスだ。私の名だよ」

「ああ、忘れていたな。俺の名は」

 

 忌々しく、愛しい。愛憎の根源は、縷々として自身の名を告げた。

 『クロロ=ルシルフル』と───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「今日も見合いは破談か……」

「生涯生娘で構わん」

「そういう問題ではなくてだな」

「知らぬよ。弱い奴に嫁ぐ気はないと言っただろう」

「いいじゃない、イクスもまだ若いんだし」

「君がそう甘やかすから……」

 

 嗚呼、うんざりだ───その言葉を胸中に留めてイクスはこの場を後にする。

 少数民族であるが故に、イクスの下へと縁談が舞い込むのも当たり前だ。何より指折りでイクスの家系には美形が多い。イクスも例外ではなく、目は父親譲りで静謐であるが、母を彷徨させる顔立ちは歳の離れた弟とそっくりだった。

 

「姉さん、おかえり!」

「ただいまクラピカ。どうした?」

「……パイロに負けた」

「ははっ、気に病むことはない。お前は私の弟なのだからな、いずれ父くらいは容易く超えるさ」

 

 その言い草は聞き耳を立てていた父の胸に刺さったが、それを踏まえてイクスは毒舌を吐いたのである。父の隣では母が微笑んでいるらしく、図太さは母譲りだった。

 純粋な十三歳のクラピカからすれば、憧れの姉の言葉だからと目を輝かせていた。

 

「オレも姉さんの様に、強く……!」

「……強くなって何を為す?」

「姉さんやパイロを守る! 父さんは頼りないから」

「ならば父など通過点に過ぎんな」

 

 何処かで誰かが卒倒したようだが、イクスは気にせず弟のクラピカの頭に手を置いた。

 幼さが残る童顔でも成長すれば金髪も相まって瓜二つとなるだろう。小さいときは女子とからかわれても、クラピカは容姿が姉と似ていることを誇りに思っている。それはイクスも同じだった。ひたむきな純粋さは保守的なクルタ族の年配より、尊重されてしかるべきであると。

 確かに念能力者としてクルタ族は精鋭と称しても過言ではない。それはイクスとて重々承知だ。けれど何百年も隠遁を続けた今日日、保守的なだけで退嬰が蔓延る現状は驕りと何ら変わらない。思春期を過ぎ、現実志向を望まれる歳になっても、憧憬の根本は退嬰の払拭にある。イクスが現状に妥協するわけもなかった。

 

「クラピカ、将来はどうしたい?」

「将来? でも───」

「気にするな。お前の本当の気持ちを知りたいのだ」

 

 イクスは真摯にクラピカの両眼を覗き込む。

 穏やかな心情ではいられない。それくらいイクスも理解している。クラピカの純粋さは規律や秩序を慮るべきと喚起し、かと言って姉の前で嘘をつきたくないという葛藤も芽生えている。だが自己を抑圧する秩序など、一体何のために在ると言うのか? そんなもの唾棄せよと、眉唾であるとイクスは公言して憚らない。

 ならばと、クラピカは確固たる意志をもってして、仄かに緋色がかった双眸でイクスの瞳を捉えた。

 

「オレは……ハンターになりたい。ルクソ地方(ここ)だけじゃなく、色んな世界を知りたい。本だけじゃ分からないことが一杯あるから。あと……」

「そうだな……ん? あと?」

「うん。母さんが言ってたんだ、姉さんがハンターになりたいって。だから一緒にハンターになって世界を旅したい」

 

 十三歳でもクラピカは同年代より大人びている。そんなクラピカが羞恥もなく語る夢を思春期の憧憬だけとは考えられなかった。ハンターがどれだけ危険かクラピカが知らない筈もなく、自分の命やクルタ族の暗黙の了解を視野に入れてなお、姉と共に世界を巡りたいと宣言した。それだけで意思は強いのだと実感させられる。

 

「ハンターは死と隣合わせだ。無論、博識も必要になるだろう。けれど人間は欲を持つ、ハンターであろうと()()()()()()は居るものなのだよ」

「でも姉さんは違うじゃないか」

「……そう、だな」

 

 目の前で首を小首を傾げ、全く疑わない弟がどれだけ愛しく裏切ることの罪深きことか。嘗てのイクスがハンターを目指すなどとのたまっていたのも、専らこの集落から抜け出したいが為だった。けれど何とか抑制できたのは、姉たる自分がクルタを抜け出せばクラピカは悲しむから。それだけの為にイクスは集落に留まっていた。

 だがどうだ、穢れを知らない弟は、高尚な存在だとイクスを信じてやまない。あまつさえ欲望を肯定し、自らの意思を封殺するどころか殉じる行為に賛美を謳う。そんなイクスの本性にクラピカが思い描いている貴さなど見る影も無かろう。

 神妙な面持ちを必死に堪えながらイクスは取り繕うしかなかった。偽悪と偽善に板挟みとなった今、もはや開き直ることも後戻りすることも、矜持が決して許さないだろう。

 

「もし、例えばの話だ。私が死んでしまったらお前はどうする?」

「え?」

「……何でもない。ただ気になっただけさ」

 

 イクスは苦笑気味に頬を綻ばせ困惑するクラピカの頭を撫でる。

 その瞳に緋色が差し込んでいたのを知るのは、本人はおろか見上げるように覗き込んだクラピカだけだった。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「……行くのかい?」

「ああ。父よ、この私を止めるか?」

「掟ならば。それが我が一族のならわしだからね」

「ふん、女一人に一族総出とはたかが知れる……母は?」

「アイツは門出を祝えと……だが此処から先は地獄だ。それでもお前は」

「行くさ。無常に苛まれる煉獄よりかは幾分かマシだろうがな。熾きろ───『焚殺者(ツァラトゥストラ)』」

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