第10弾:異常-abnormal-
ガリガリガリガリガリガリガリガリ……………
月が雲に隠された夜の街で、何かがアスファルトを引っ掻いている。その音と一緒に小さな足音も持続していた。
銃声が鳴った。乾いたその音に、アスファルトを引っ掻いている音が止む。
「やったか……!?」
そう呟いたのは朱色の制服を着た少年だ。
武装探偵……通称『武偵』を現すエンブレムを左腕につけたその少年は、FNブローニング・ハイパワーの銃口を
……………………ガリガリガリガリガリガリガリガリガリ……………………
「くっ……、まだか!」
パァンパァン!と、引き金を音の発信源へ引く。再び、引っ掻く音が途切れた。
………………………ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ………………………
「――っ!?」
武偵の少年の喉が干上がる。何度も途切れ、何度も鳴り始める何かがアスファルトを引っ掻く音は、まるで獲物を狙い唸り声を上げる獣のようだ。
「くそっくそっくそっ!」
半ばヤケクソ気味に引き金を音源に向かって引く、引く、引く。ガキンッと弾切れを起こした弾倉を入れ替え、弾幕を張る作業を繰り返す。
しかし、アスファルトを引っ掻く音が完全に止むことは無い。弾幕の間途切れるそれは、決まって銃弾の雨が止むと再び鳴り始める。
ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ………………………
延々と永遠に繰り返される単純作業。引っ掻く音、弾幕、引っ掻く音、弾幕……深夜の街に音が無くなることのない、気の遠くなるような異常な空間で、正体不明の敵とあるかもわからない勝敗を賭けて対峙する。
しかし。
その異常な空間が崩壊した。理由など他でもない。武偵の少年の弾切れによってだ。
銃弾の雨が、発砲音が異常な空間から喪失される。
武偵の少年の頬を、冷や汗が伝った。今まで等間隔とは言わないまでも一定の間隔で続いていた弾幕が来ないことから、引っ掻く音を放つ何かは武偵の少年が弾切れを起こしたことに気付いたようだ。
近づいてくる。ガリガリという引っ掻く音と、コツコツというローファーの立てる小さな足音が、着実に、少しずつ。
「くそっ、なんだよこれ、聞いてない、聞いてないぞ!!」
武偵の少年は狂うかのように逃走を、否、敗走を開始した。
そもそも武偵の少年がここに来たのは戦うためではない。
端的に言って、彼がここにいるのは夜間のパトロールのようなものだ。
ここ数週間、奇妙な事件が続いていた。
ある時は、建造物の外壁。
ある時は、樹齢数百年の樹木の太枝。
ある時は、商店街の街灯。
その全てに共通する事……刃物で無理矢理斬られたかのように切断されるという不可解極まりない事件。
武偵の少年は、その事件の捜査の
(――、そうだ、あいつらに……!)
そこで、共に捜査に当たっていた三人の仲間のことを思い出す。決して忘却をしていたわけではなかったが、正体不明の何かとの接触で内心慌てていたのだから、連絡をしなかったことは別に糾弾すべきことではない。
善は急げ。武偵の少年は携帯電話を取り出して仲間に連絡を取る。
しかし……。
『お掛けになった電話番号は、現在電波の届かないところか――』
返ってきたのは聞き慣れた仲間の声ではなく、留守電サービスの概要を説明する音声ガイダンスだった。
違和感が募る。よくよく思い返してみれば、自分は彼らと一緒に行動しており……気がついた時に
そこで、びちゃりと水が跳ねた。どうやら水たまりを踏んだようだ。
だが、しかしよく考えてみれば、ここ数日雨など
「……っ…………!?」
雲に隠れていた月が顔を覗かせた。武偵の少年の周辺が月明かりに照らされる。
足元の水たまり。違和感の通り、それは水たまりなどではなかった。
――血だった。
いや、血で済まして良い量では無かった。
血だまり……比喩するのなら、血の海。
そして、その血の海の中心に倒れている三つの影に、見覚えがあった。
「そ、そんな……」
自分と一緒に来ていた仲間だった。既に三年以上の付き合いだから見間違うはずもない。
三人とも、死んでいるわけでは無いようだった。しかしどくどくとあふれ続ける血の量を考えれば、それは重傷から死傷へ、そして最期には死へと繋がることは間違いなさそうだった。
武偵の少年は、耳に当てていた携帯電話をすぐにダイヤル画面に切り替えて、救急番号を入力する。理由など問うまでも無い。
ところが。
ツーツーツー、と。
バカな、という言葉が自然と口から漏れた。
救急番号が、繋がらない。山の奥の奥などならまだしも、深夜とはいえここは街の中だ。ましてやここは屋外。それが繋がらないなどあるはずがない。
しかしそれは実際問題として現在起きていた。確立0%のはずの事実に、驚かないはずがない。
そこで、思考から外していた音が返ってきた。ガリガリガリガリガリガリガリガリ……という、アスファルトを引っ掻く何かの音だ。
(近い――!?)
武偵の少年は、自分が仲間の惨状に気を取られている隙に狭められた何かとの距離に動揺する。
ガリガリガリガリガリガリ……コツッコツッコツ……
アスファルトを引っ掻く音と、ローファーが出す足音。二つの音が奏でる恐怖の二重奏。
そして、その音が止む……いや、止まる。すぐ近くで、武偵の少年のすぐ後ろで。
体が硬直する。恐怖の存在がすぐ後ろにいるという事実に、体が言うことをきかない。
いやな汗が首筋を玉雫となって撫でる。恐怖から喉がひゅーひゅーと呼吸を空回りさせる。
「
声が聞こえた。武偵の少年の恐怖によってガチガチに固まった思考からは、それが男の物なのか女の物なのかははっきりと判別することはできなかった。
動かすことのできない首を必死に後ろに向ける。振り向く。正体を確認する。
しかし……武偵の少年が見たのは、一閃される月明かりを反射した刀剣の刃のみであった。
血がまき散らされる。振り抜かれた刃に体を斬り裂かれた武偵の少年は、糸の切れた人形のように、力なく地面に倒れ伏した。
四人の武偵は、血の海を広げる糧となる。
何かは、再び闇夜に恐怖の二重奏を奏でながら、血の海から遠ざかって行った。
シャワールームからお世辞にも広いとは言い難い部屋に戻ってくると、金色の髪の少女が自分のベッドに寝転がりながらアイスキャンデーを貪り、何かの雑誌を読んでいた。
「あ、ちぎりんお帰りー」
「……またか、理子」
ちぎりんこと契は、頭を拭いているタオルの下から呆れた様子で金髪の少女、理子に言う。
「いつも勝手に入るなと言っているだろう。なぜそんな簡単なことをできないのだ」
彼の記憶では確かに部屋の鍵は閉めたはずだ。しかしアルセーヌ・リュパンという大怪盗の血を引く少女にこんな小部屋の鍵が解除できないはずもないのもまた事実。
いや、できるできないを以前に、人の部屋に勝手に入ると言う行為自体に問題があるのだけど、それを目の前の少女に説き伏せても何の意味も為さないことだろう。
「また勝手に人の冷蔵庫を開けたのか」
理子が咥えているアイスキャンデーの出所は、おそらく最近部屋に設置した小型冷蔵庫だろう。あるのとないのとでは随分違うと隷示が言うので、契もなし崩し的に部屋に置いてみたら、これがまた随分と便利な箱型家電なのだが、どこか理子の餌付け用になっている気もする。
冷蔵庫の上の扉を開けると案の定アイスキャンデーが数本無くなっている。どうやら今食べている一本だけというわけではないようだ。
「……腹壊すぞ」
「大丈夫大丈夫♪りこりんはこの程度でお腹を壊す程ヤワではないのだ☆」
冷蔵庫から缶コーヒーを取り出して、契は呆れた様子で返す。
「同じことを言って『食堂』で甘い物をバカ食いして三時間トイレに閉じこもったとか汐織に聞いたが?」
ぎくっ!?と、理子が反応する。わかりやすいにも程がある反応に、二年前の彼女の姿はどこにも見ることはできない。
理子がイ・ウーに身を寄せて二年が経った。思えば彼女が来てからの日々は光陰矢のごとしといった感じで、随分と早く時間が過ぎた気がする。
最初こそ契の影に隠れて服の袖を常に握ってびくびくしていた理子であったが、契が“無限罪”ブラドを斃してからは少しずつ周りにも心を開きはじめ、今ではこの明るい性格で周りに癒しを振りまいている。
ちなみに契と理子は
「なんでしお姉はちぎりんに言っちゃうかなー、もう!」
ぷんすかとやり所のわからない(というかそもそも自業自得のようなものであり、やり所など元からどこにもない)怒りを発散させる理子。ベッドをギシギシ鳴らしながら、両手両足を上下左右前後に縦横無尽に振り回す。
ヒラヒラのフリフリのワンピースのスカートがめくれて人に見せられないような状態になる。
と、そこで理子の持っている雑誌に目が行った。
「……理子」
「え、なーにちぎりん?」
「それ、なんだ?」
「なんだ、ってベッドの下にあったんだけど、ちぎりんのでしょ?」
そう言って理子が雑誌を差し出してくる。
それはグラビア雑誌だった。より正確に言えば、全てのページに写っているのは女性で、大抵があられもない姿をしていた。
……ようするにエロ本である。
「……隷示か」
ぽつりと契が呟く。
次の瞬間、理子から手渡されたエロ本は木端微塵に弾け飛び、缶コーヒーのスチール缶がぐちゃぐちゃにひしゃげた。
「……理子」
「んー、なーに、ちぎりん?」
「俺は少しあのバカを
それだけ言うと、壁に立てかけておいた二振りの太刀を掴み、それが引っかかったのかテーブルの上に山積みにされていたいくつかの書類やら本やらが崩れて床に散乱したのも気に留めず、『男子寮』の通路へと出て行った。
それから少し経ってから、
『わー、何だよ契ぃ!?』
『問答無用……殺す』
『お前が言うと洒落にならねぇって……おい危ねーよ、ネタじゃなくてガチで危ねーからなそれっ!?』
『伊賀流忍術「断」――』
『あぁぁぁ!?悪かったよほんの出来心だったんだ謝るから許してこんな冗談に忍術使うんじゃねーようわなにするやめぇぇぇ……』
いぃぃぃやぁぁぁ、と、自分の兄貴分的な存在の金髪グラサンの断末魔が響き渡るのを聞いて、
「相変わらずだな~、ちぎりんもれーじんも」
小さく笑う。自分が初めて出会ったときとなんら変わらない彼らを、理子はとても嬉しく思う。
「……あれ?」
と、そこで理子は契が太刀を掴んで持って行った時に引っ掛けて床に落とした書類やら本やらの中に、ある物を見つけた。
「京都観光ガイド?」
観光など、そう言った娯楽からはかけ離れている(とは言っても彼も人間らしさをこの二年で取り戻している)契が持っている者としては随分と珍しいそれを、理子は拾い上げる。
ぱらぱらと目を通していくと、ガイド本の中に挟んであったのか一つの封筒が床に落ちた。
それを拾い上げてみると、その中には色々と記入されたメモ用紙が数枚、入っていた。
「これ、れんれんの字だ」
れんれん……今や自分の上役である土御門 蓮華の女性らしさのでた字で記された文章を読んで行く。
その内容を要約すると、こう言う意味だった。
――日本京都のどこかの社寺に奉納されているとされる『妖刀“村正”』の所在を調査し、可能であればそれを回収せよ――