星伽 霙と名乗る少女は、元々は星伽神社に生まれた生粋の超能力者である“武装巫女”ではなかった。
彼女は人見知りするとはいえ友達も多いと言うわけではなくとも不十分に感じない程にはいる、どこにでもいるようなごくごく普通の一般家庭で生まれ育った普通の少女だったのだ。
普通に笑い、普通に怒り、普通に泣く。感情表現は豊かな方だったと言えるだろう。それこそ、今の彼女からは想像もつかない程にはまともな子供だったはずだ。
少なくとも言えることは特殊な力など持ってはおらず、それこそ“武装巫女”という物騒な役職に就く理由などどこにも見当たらない、日本と言う割と治安の良い一国家の義務教育に定められた小学校に通う、漫画で言うなれば背景と一緒に扱われるようなただの小学生と言えるはずだ。
事実として彼女は自分の事が特別だと思ったことは無いし、ドラマの中の主人公や漫画のヒロインに憧れはしたものの、そういった一つのお話で自分が重要人物となるような事などありえないと思っていた。
彼女の周りはとても平凡で平和が溢れた場所だったのだ。
彼女には特に不満があったわけではない。そう生きていくことは殆どの人間にとってあたり前な事と思っていたし、ドラマや漫画の登場人物のような刺激あふれる生活など実際は存在しないのが常識だとばかり思っていた。
そんな彼女の考えを百八十度改めさせる人生の転機は、彼女が小学四年生の春休みの時に訪れた。
彼女の兄の私立中学進級の御祝いで、父と母、兄、そして三歳になる妹の四人と彼女は遊びに出かけた。ドライバーは車の運転が趣味の母、助手席には少しばかり頼りないけれど優しい父、後部座席は彼女を真ん中にして右側が勤勉な兄、左側が最近やっと言葉を話せるようになってきた妹。
学校は春休みに入っていた割には国道はあまり車は多くなかった。彼女自身よく家族とこうして出かけるわけだが、遠出は冬休みにスキー場に行ったきりであり、間違いなく彼女はとても浮かれていた。
家族と一緒に行ったのは遊園地だった。最近できたと話題になった新型ジェットコースターが目当てだった。
結局、彼女は身長が足りないということで乗れなかったけれど、次こそは絶対に乗ってやると牛乳を毎朝飲むことを決意した。
そんな、楽しいありふれた日常の中での帰り道でのことだった。
通る車の少ない交差点で、彼女の一家の乗る車がカージャックに襲われた。
犯行グループは目だし帽を被った三人の男たちだった。右手には全員拳銃を持っており、一時停止していた乗用車に押し入ったのだ。
武偵という職業こそあれ、しかし日本にはその制度が導入されていなかった頃の話だ。
まず最初に殺されたのは父だった。拳銃でこめかみを一発撃たれた。乾いたような発砲音に、後部座席のチャイルドシートで眠っていた三歳の妹が大泣きを始め、その泣き声を疎ましく思った三人組の一人が妹に手を伸ばした。
それと止めようと、兄が彼女の前に飛び出そうとして、父を殺した男に銃殺された。金切声をあげて彼女と妹を守ろうと運転席から身を乗り出そうとした母が左胸を撃たれた。
チャイルドシートから妹が取り上げられ、それを目だし帽の男が地面に叩きつけようとした。目の前で父と母と兄が殺され、その中の兄の死体が膝の上にあった彼女は、それへの怯えで動くことができなかった。
何度発狂しそうになったことだろう。しかし悲しきかな、そこらへんに溢れているごくごく一般的なただの小学生女児であった彼女にはそれらに対する対応策など講じることができるはずもなかった。
……気が付いたら、妹の泣き声が止んでいた。
おそるおそる、妹を取り上げた男の足元を見て……、そこにぐったりと横たわる小さな体を見つけた。
彼女は、腹の底から悲鳴を上げた。自分の頭を両手で抱え、膝元にある兄の頭をシートに取り落とし、喉が枯れそうになるのを厭わずに、両目から大粒の涙を流して、ただただ叫んだ。
それを妹の時と同様に疎ましく思ったのだろう、妹をその手で殺した目だし帽の男が、次は自分に手を伸ばしてきた。拳銃を持っているのにそれを使わない。やはり、自分には使う必要が無いと言う意味なのだろう。
どうして。どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして!!
どうして、家族はこんな奴らに殺されなくちゃならなかったのか。
彼女の心の中に、どろどろとして黒い感情が生まれ始めた。自分がここまで人に対してその感情を抱けるのかと驚くほどに、その黒い感情は一斉に湧きあがってきた。
湧水のような黒い感情は自制心と言う名のダムを容易に決壊させ、彼女の心を真っ黒に染め上げた。一瞬の出来事だったのだろうか……それは、いとも簡単に彼女の価値観を完全に変化させた。
後々になって思い返せばあの瞬間、彼女の心はぼろぼろに壊れたのだろう。いや、その後の彼女の成長の上で発狂するなどと言った後遺症が特にあったわけではないので、その表現は違うかもしれない。言うなればそう……変わったのだ。
あの瞬間、どこにでもいるようなごくごく一般的で普通であった一人の少女は、普通では無くなった。異常と言うにはあまりにも仰々しく、しかし普通と言うのにはかなりの不適切なところがある。
彼女は……外れたのだ。
――憎い。
そう思った。ただ純粋に、目の前の人殺しを憎悪した。目の前の男たちを殺したいと思った。家族の仇を討ちたいと思った。
――じゃあ、ボクが力をあげよっカ?
そんな時、声が聞こえた。耳から入ってくる物ではない。まるで頭の中に直接響くかのような、超能力のテレパシーを連想させるような声だった。
ソプラノの高い、成長期に入る前後の少年少女の声に近い声だろう。まるでほんの悪戯をするかのような軽い口調で、その声は彼女に語りかける。
――ボクの名前はサトリって言うんダ。キミたち人間風に言うと妖怪とかアヤカシとか物の怪って言うヤツだヨ?
頭の中に直接響く声は突然そんなことを言った。疑問を頭の中で形にして口に出そうとすると、それを遮るように声が彼女の頭の中で発生する。
――おっト。声は出さないでくれヨ?ボクとしては、君を殺そうとしている三人組に勘づかれたくないからネ。
声は……サトリは笑いを含んだ声で言葉を続ける。到底信じることのできなさそうな胡散臭い話を、胡散臭い口調で胡散臭く、胡散臭く。
――ボクはヒトの感情とかそういうのを察知する妖怪でネ。実はついさっき、キミの強い感情を察知したんダ。キミの憎悪……すばらしイ。すばらしい程に人を憎む気持ちだ。
少々饒舌になりながら、サトリは胡散臭く言う。その声が聞こえたことによって、まるで時が止まったかのような錯覚に陥る彼女をほったらかしにして、焚きつけるように言葉を放つ。
ただただ、彼女へ向けて。彼女の欲望をかなえてくれるただ一つの誘いの言葉を、サトリは問う。
――ボクと契約しないかイ?そうすれば、キミにその三人組に復讐する機会をあげるヨ?それだけじゃない、今後大事なヒトはだーれも失わなくて済むような、そんなすっごいチカラをサ。
うまい話には裏がある、という言葉を彼女は少なからず知っていたはずだった。子供とは言え、彼女はそういったことに関心を持っていたこともあり、その言葉は信じる要素の無い、でたらめな定型文だったと言える。それは彼女が一人の“武装巫女”となった今でさえ、変えることの無い事実だった。
だが、彼女はその呼びかけに応じた。裏があろうとも、その時の……それからの、彼女には関係ないことだったのだ。
……どうせ、もう自分は家族と共に死んだのだから。
だから別の人間になったつもりで、自分ではない他の誰かに生まれ変わったつもりでその呼びかけに応じた。応じてしまった。
――決まりだネ。祝福するヨ……新しい
なにはともあれ、彼女は、後の星伽 霙はそうやって魔法少女になった。
……だが、それからの記憶はない。
ただ朧げに記憶にあるのは悲鳴を上げて逃げ惑う三人組の男の姿と、血だまりの中心にぽつりと立つ自分の姿、そして点滅するパトランプだけだ。
それからの出来事は簡単だ。彼女の魔法少女としての力に目を付けた星伽神社に養子として迎えられ、星伽 霙という名前を貰い、星伽 淡雪という唯一の理解者に恵まれながら、しかし彼女の……霙の心が普通に戻ることは無かったというだけの話。
とても救いようのないような、悲劇しかない彼女の変貌した人生が始まって……事件から五年が既に経っている。
一歩進むごとに救われなくなっていく彼女を助けようと……否、助けられる者は未だに現れない。