爆発が起こった。
空を薙ぐ音が木霊する。
男たちの悲鳴が響き渡る。
そんな惨状の被害者である黒いスーツにサングラスをかけた集団の一人、アラン=ボスフェルトは困惑の表情で、そして何より目の前に現れた脅威に対して絶望を感じていた。
――どうして、こんなことに。
作戦自体は完璧なものであったはずだ。その系統では有名な中国の組織に大金を叩いて発注した作戦だったのだ。その大金を遥かに上回る利益を期待できた対象だったために、惜しむことは無かったからだ。
多くのボディーガードや警備員の視線を掻い潜り、親族の誰にも悟られることなく、そしてなにより当人でさえ誘拐されたことをついさっきまで理解できず、今は車のトランクで眠っている程の作戦だと言うのに。
どうして。
どうして。
どうして。
どうして、自分たちは
絶叫が響く。アランの仲間……この声はハーマンだ……が半狂乱にグロックの引き金を引いた。
すると襲撃者はその方向へと首を曲げ、死んだ魚のような濁った目でハーマンを見据える。
そして、肉を断つ音。
「う、ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ!!」
直後、ハーマンはグロックごと落ちた自分の両手首を見て発狂した。瞳孔が開き、体全体が痙攣を起こすかのようにがたがたと震え始める。
そして数秒後、ハーマンは口から泡を吹いて倒れ……ようとして、その意識の無い体の上半身と下半身が分離した。
否、切り離された。
その光景を直接目にしたアランの喉が干上がる。
おかしい。こちらは拳銃やグレネードなどの装備一式を完全に揃えておいたはずだ。実際についさっき、ルークがロケットランチャーを撃ち、この港のコンテナ倉庫を火の海にしたではないか。
そして思いなおす。そのルークは直後に首を切断されたのだ。
どうなっている。
なぜ……なぜっ!!
その時、声にならない叫びにアランは堂々巡りの思考の海から引き戻された。
今の悲鳴は誰のものだっただろう。自分たちの中では一番若かったローレンスだろうか。それとも一番体格の良かったジョアンか?インテリ系でいけすかなかったマルコムかもしれない。
「おい、何をしているアラン!」
と、コンテナの影に隠れていたアランに鋭い声が飛んできた。この声はリーダー格のパーシーだ。彼の傍らには左腕を押さえたジョアンがいた。
「なにって」
「逃げるぞ!幸いターゲットの乗ってる車は無事だ。逃げて取引をやり直す!」
「あれがロンドン武偵局の差し金ってことは?」
「あり得ねぇ!どっからどう見ても
アランはその言葉に必死に首を縦に振った。もうこんな地獄から逃げれるのならなんだって良い。何の武器も持っていないのにこちらの連中をいとも簡単に殺すバケモノと戦うくらいならいくらだって逃げてやる。
へっぴり腰で走る。人質を乗せた車はコンテナの山の影に隠しておいた。元々ここで人質と身代金を交換する予定だったのだ。しかし身代金を持った家の当主を待っていたらこの体たらくである。
「ジェームズ、車を出せ!!今すぐ、逃げるぞ!」
「おい、どうなってるんだ。何があった、他の連中は!?」
車で見張りをしていたジェームズの戸惑いの声にパーシーは答える。
「殆ど殺されたよ!生き残ったのは俺たちだけだ。あのバケモノ、すぐに追いかけてくる……急げ!取引は後回しだ」
「――っ!?わかった乗れ」
切羽詰まったパーシーの声と騒音からジェームズも事態を察したのだろう。助手席にパーシーが、後部座席にアランとジョアンが乗り込んだのを見てアクセルを砕く勢いで踏んだ。
ギュルギュルギュルとタイヤがスリップする音と同時に動きだす。元々開放されていたコンテナ倉庫の出口へとまっすぐ進む黒塗りのイギリス車。
バックミラーで確認すると、逃げ出す自分たちの車を襲撃者が見ていた。だが相手は人間なのだ。いくら武器を持った男たちを殺せると言っても、自動車に追いつくことなど――
がしゃん
……次の瞬間には、ボンネットの上に襲撃者が立っていた。
襲撃者は小柄な体を数秒バランスを取るかのように揺らすと、長い灰色の髪を風に揺らし、その形が変化する。
無造作に伸ばされたそれが杭の形状によく似ている、先端の尖った鈍器のような怪器へと変貌した。
生気の無い目がパーシーを射抜く。半開きの口がさらに不気味さを助長させる。
そして、それが振り下ろされる――瞬間。
骨が折れたような、そんな鈍くて肝の冷えそうな、そして破裂に似通った音が聞こえ、そして無数の金属の塊が襲撃者に殺到した。
その方向に振り向いた襲撃者はほんの僅かに目を細めると、怪器となっていた自分の髪をしならせながら元に戻し、そしてそれを蛇のように蠢くが如くに揺らした。
がくん!と、逃走車が静止する。
弾かれた金属の塊が……否、それは正しい表現ではない。蠢いた髪は殺到するそれらを柔術のように軌道を変えた……つまり、軌道の
「お、おい、これって……」
後部座席のジョアンが、運転席と助手席の座席の間に跳びこんできた『それ』を、傷ついた体を押さえながら怯えた表情で見た。
『それ』は、途中で引き千切られたような跡がある、切断された鉄の配管だった。
「お、おい、ここれって……どうい――
運転席のジェームズの疑問による言葉は最後まで続くことなく途切れた。
理由など問う必要も無い。言葉を発し始めた直後に起こった、突如襲撃者を襲った攻撃の余波によって彼の意識が一瞬で刈り取られてしまったからだ。
その攻撃は、まるで振り子のような一撃だった。
襲撃者に対する襲撃者……と、いうのが適切な表現だろうか。その襲撃者に対する襲撃者の不意打ちによる攻撃は、要する所の、天井から吊り下がっている何本かの鋼鉄の綱に良く似たコンテナ移動用のワイヤーによる一種のロープワークから飛び降りて蹴りを放つ、ということに他ならなかった。
襲撃者はその一撃で吹き飛ばされる。ジェームズの意識が刈り取られるのを目の端に捉えながら、助手席に座るパーシーはその凶悪な一撃が、しかし襲撃者が髪を盾のように変質させてかろうじて防いでいたのを見ていた。
自分たちが、いくら撃っても防がれた拳銃の弾丸。ロケットランチャーが直撃してもさながら鉄壁のようにびくともしなかった襲撃者の体を、髪の盾ごと一方的に真後ろに吹き飛ばしたのだ。
襲撃者の代わりに、襲撃者に対する襲撃者がボンネットの上に着地する。何重にも重ねて染められた毒々しい金髪が特徴的な東洋人の男で、年はパーシーより少し年下に見える……が、彼が自分たちを助けに来てくれた救世主、なんて楽観的な考えは今のパーシーには無かった。
故にパーシーの行動は即決で、さらに潤滑に体が動いた。
グロックを取り出して発砲……自分の行動に気付く前に、左胸の近くに撃ちこんでやれ……そうすれば、目の前の人間の命が終わる。
自然の摂理を信じて、完全に躱すことのできない距離で、死角となる位置からパーシーは引き金を引く。
たしかに乾いた音が鳴った。鳴り響いた。
たしかに手元には反動が返って来た。目の前のグロックからは弾丸を発射した後の薬莢が飛び出てきた。
なのに。
しかし。
彼は、倒れるどころかよろめくことも、ましてや体を揺らすことさえ無かった。
直後、襲撃者に対する襲撃者は自分のズボンのベルト辺りをまさぐり……いつのまにか、三メートルに匹敵するのではないかという錯覚さえ覚えさせる巨大な薙刀を手にしていた。
彼はその薙刀を無造作に振るう……少なくともパーシーにはそう見えた……と、薙刀の刃が、長い持ち手が逃走車の屋根を粉砕して引きちぎった。
「……おい」
その時、襲撃者に対する襲撃者が初めて言葉を発した。アスリートのような体つきに百八十くらいの長身から出てくるドスの聞いた低い声は、目の前の自分たちに対する冷やかな目の現れか。
その声の主、襲撃者に対する襲撃者……鬼蔵隷示は大薙刀“岩融”の切っ先をパーシーへと向けて、迫力のある声で問いかける。
「神崎・H・アリアはどこだ?」
たった、たったそれだけの質問。パーシー達が攫った一人の子供の居場所を尋ねただけの簡素な言葉。
そうであったはずなのに、それだけの言葉なだけのはずなのに……パーシーは一つの感情をその体に抱いた。
――殺される。
殺気……とは少し違う。直観的な命の危険を察知した、というのが正しいのだろうか。しかしそれも適切には思えない。言葉で言い表すことの難しい、不可思議な感覚。
全身の身の毛がよだった気がした。今すぐに答えなければいけない。そんな義務感に良く似た感情が湧きでてくる。
「う、後ろのトランクの中に……」
失禁するかというほどの恐怖で体を震わしながら、パーシーは答えた。ガチガチと歯がぶつかり合う音がする。それが自分の鳴らしている音だということにはまだ気付かない、気付けない。
「……そうか」
隷示はパーシーの言葉を聞くと数秒、考えたように耽り、そして屋根の吹き飛んだ逃走車の座席の上を歩く。
座席の肩の部分にあたる所を大股で渡り……しかしその隙の多いはずの行動に、パーシーはおろか、アランもジョアンも懐にある拳銃の引き金を引こうとはほんの数瞬も考えようとはしなかった。
逃走車の後部座席から少し跳び、完全に後ろに回った隷示はトランクに手をかける。もちろん、鍵がかかっている……が、それを隷示は気にする事は無い。
直後、バギン!という音がした。
隷示が手をかけたトランクの蓋がまるまる折れて外れた音だった。
中にはクッションを始めとした衝撃吸収材がいくつも置かれており、その中心に金髪碧眼の少女が胎児のような体勢で横たわっていた。
彼女を持ち上げてみればトランクの底、蓋を良く見れば内側にも衝撃吸収材が仕込まれている。どうやら誘拐犯の一味たちでも、ちゃんとターゲットは管理しておこう、と思ったのだろう。
隷示は金髪碧眼の少女の顔を見る。頬を伝った水の痕は涙だろうか……とか考えながら、その瞳を閉じた眠り姫に見紛う姿は、間違いなくターゲットとされていた少女、神崎・。H・アリアの当人であった。
隷示は確認が済むと、左手だけで赤子のようにアリアを抱えあげる。大薙刀片手に、彼はその巨躯に見合う力強さのある動きで倉庫の壁へと突進のように走った。
目的は達成した。後は、彼女を連れてトンズラするだけだ。
目の前の倉庫の壁を“岩融”で吹き飛ばし、鬼蔵隷示はロンドンの闇夜に姿をくらました。
……そんな光景を見ている事しかできなかった、誘拐犯一派。
彼らが、ごとり、という音に気付いたのはそれから数分後の事であった。
その出来事があってから実に三十分の時を有して、ロンドン武偵局の武偵数十人の護衛に就き従われ、当時のH家当主が現場へと到着した。
しかし彼らはそこで見ることになったのは、誘拐された娘の顔ではなかった。
無残に殺された、誰一人として生き残っていない誘拐一派の亡骸たち。
中には、逃走車に搭乗した四人の男も含まれていた。
そしてなにより、現場には血で描かれた、一つのサインが残っていた。