“Jack the Reaper”。
“死神ジャック”。
しかしその名は、通り名としては適切でない。
なぜなら、“死神ジャック”と呼ばれるその人物は他でも無い、九歳の
故に“死神ジャック”、ではなくジャックの女性形であるジャクリーン、“死神ジャクリーン”と呼ぶのが正しい。
と、言うのはあくまでロンドン武偵局が彼女に着けた公式の仮称での話。実際の所、彼女には本名と呼べるだけの名前が無い。『K‐79』という機械めいたただ単純な識別番号染みた呼び名があるだけである。
さて、その“死神ジャック”改め“死神ジャクリーン”ことK‐79。機械染みた識別番号を持つだけの少女がどうしてロンドンの寒空の下、夜の闇にまぎれて辻斬り紛いのことをしているのか。
理由など単純。そもそも理由なんて
それでも言うとしたらそれが、彼女が作られた役目だったからだ。
K‐79。端的に言って、彼女は嘗てとある組織にて人工的に作られた“
元々はアメリカのとある組織に対抗するために欧州を中心に世界各国から集まった過激派の人間たちが共謀して作り上げた非公式の組織であった。俗に言う強化人間を作る組織であり、合衆国の作り上げる史上最強の人間たち“
その存在理由は一つ。作られた天才への劣等を晴らすための、凡人が自分たちの最も理想的な強さを持った偶像。何も思わず何も感じず、ただ与えられた命令を執行し続けるだけの戦闘マシーン。
“Killer impulse”……日本において“殺人欲求”と呼ばれる特殊な体質を先天的に体に植え付けると同時に髪の形状・硬質を自由に変化させる超能力を保有し、さらに支配側の人間の思い通りに動くように洗脳染みた教育を施し、なおかつ常人以上の身体能力を持つように様々な薬品を用いて。
そうやって作られたのが、“死神ジャック”とロンドン武偵局にコードネームを付けられた“殺人人形”K‐79であり、また彼女の姉妹たちである。
……もっとも。
彼女たち“
残りの半分以下、その八割近くが“殺人人形”を作った人間達の欲のための所業の中で命を散らし。
そして三割の中の九割が半年前、“殺人人形の姉妹たち”を作り上げた組織を危険視した『水面下の社会』の組織連合における一斉攻撃の際に
その連合というのも、今後数百年は破られることの無い錚々たるものである。イギリスの秘密結社“リバティー・メイソン”の構成員を中心にローマ武偵高“
この参加者たちを指して言えば、普段一触即発の敵対している“殲魔科”の“祓魔師”たちと“魔女連隊”の魔女たちが一時的な休戦をしたことや、他国の事に関しては基本的に不可侵の“公安0課”、自分たちのメリットにならないことには参入をすることなど殆ど無い“藍幇”が攻勢に名を連ねたことから、“殺人人形の姉妹たち”を作った組織の危険性が外聞的にわかるだろう。
そんな中で本当に偶然生き残ったK‐79は七十八人の姉と十五人の妹を持つ“殺人人形”であった。
総勢九十四人。その内五十三人が実験により死に絶え、三十一人が欲のために壊され、残り十人の中で九人が連合の攻撃に乗じてある者は身を守るための道具として扱われ、ある者は瓦礫の中に呑まれ死んだ。
結局、九十四人の姉妹の中で唯一生き残ったのはK‐79だけである。
一般人や、凶器を持った程度の人間であれば一体で圧倒する戦闘能力を持つ“殺人人形”。
しかしながら相手はその平凡を殺せる彼女ら非凡を圧倒的に上回っていた非凡であった、ただそれだけのことである。
そして彼女は居場所を、例えどれだけ薄汚れた場所であろうと仮にも自分の存在意義があった場所を失い、同時に彼女の手綱を握っていた支配者を失った。
運転手を失った車はどうなるか。
結果はただ一つ、目標を定めない無差別の
……とは言っても、K‐79は白昼から大量殺人を行なう、などと言うわけではない。
K‐79という“殺人人形”にあらかじめインプットされていた最低限の行動制限、即ち闇夜に乗じてのみ殺人を行なうという行動指針を持っているのだ。
故に。
K‐79は理由なくその行動指針に従っている、従うしかない。
彼女はその行動指針通り、偶然目に入る人間を殺した。
最初に殺したのは夜遊びをしていた若い男だ。その次は身なりの汚い男。それから何人もの人間を殺し、ある時には孤児として自分を拾ってくれた老夫婦を手にかけてしまったこともある。
老夫婦を殺した時は悲しかったけれど、しかし彼女の中にある絶対唯一の行動指針を曲げることはできなかった。
だから。
今回もその行動指針に従い、目の前の男を殺すべく攻撃を行い。
一撃必殺を狙った一撃はその男を掠ることも無く、文字通りK‐79は一蹴される。
「かふっ……」
K‐79はその現象を理解出来なかった……いや、彼女は命令を実行するだけの人形である。正確には自分の行動が失敗したその事実が解析不可能だった。
K‐79は両手を地面に着けると、バク転の要領で体勢を整え直す。
目の前のターゲット、偶然目についただけだが、を確認する。
男だ。しかし今まで殺して来た男と違うのは肌の色が白くない所だろう。黄色人種、東洋人と言うやつだ。金髪だが色が汚い。サングラスをかけており、左目には大きな傷跡がある。手には巨大な槍のような武器を持っていた。体格はそれなりに鍛えられているようで、服の上からでも一般人でないことはわかった。
そこまで、“殺人人形”として分析して。
K‐79は“
“三尾髪”の内の一本、右側頭部の一本が巨大な鉤爪のような形へと変化して男に襲いかかる。
今まではそれで終わりだった。
ついさっき襲った武偵の男にも、こうやって“鉤爪の髪”を突き立てたのだ。
しかし。
想定された結果とは違う結果が現実に発生する。
巨大な鉤爪は男の持つ巨大な槍のような武器に動きを阻害され、空いているもう一方の腕が右側頭部の“三尾髪”を掴んだ。
直後そのまま髪を容赦なく自分の方へ引っ張り寄せ、右足が回し蹴りとしてK‐79に叩きこまれた。
「っ……っっ!?」
鳩尾へとまっすぐ入った一撃に、肺の中の酸素を体外に吐き出させられる。
生まれて初めて感じる目眩。殺人に特化している故にほぼ一撃必殺の戦い、否、殺しをしていたK‐79はこの現実に対応できなかった。
ただ、相手が強いと認識した。
勝てない、とは思わない……思えない。自分が相手を殺す。それがK‐79の思考回路である。
なにがあろうととにかく殺す。
だから“殺人人形”の少女は気付かない。
目の前の男を、敵にまわしてはいけなかったことに。そして全てが既に手遅れであることに。
その件の相手、サングラスを掛けた金に染色された髪を持つ大男、秘密結社イ・ウーに属する“鬼策”鬼蔵隷示は襲撃者たる少女に対して極めていつも通りの彼らしく冷静に頭を回転させて、そしていつもの彼の通りに行動する。
全てはいつも通りに。
なんら変わりなくその結果は下る。
すなわち、“殺人人形”の少女の意識の暗転と共に。
“鬼策”鬼蔵隷示の手によって、神崎・H・アリア誘拐事件、“死神ジャック”事件、僅か一時の間交差した二つの事件が、この時終幕した。
ただ一つ。
鬼蔵隷示の大薙刀、“岩融”の矛先によって。
勇者の役割は魔王を斃すこと。ヒーローの役割は悪の怪人から人々を守ること。
そんな様々な役割について、鬼蔵隷示は僅か二十数年の人生の中で考えた回数は計り知れない。
百では足りない。もしかしたら千でもなく、万以上かもしれない。
御伽噺やゲーム、小説や絵本。その中に登場する主人公たちは物語をハッピーエンドに終幕させる。
勇者は魔王を斃し世界を救い、ヒーローは悪の組織を潰して人々に平和を与える。
ありふれた物語。人を楽しませるために作られた娯楽の仮想の英雄たち。
しかしながら彼らを思うたびに、隷示はいつもこう考えずにはいられない。
『彼らはその後、どうなったのだろう』。
勇者の役割は魔王を斃すこと。ヒーローの役割は悪の怪人から人々を守ること。
その役割を成し遂げて、
勇者は自分の役割の上で敵手であった魔王を失って、ヒーローは人々を守るための敵手を失う。根本的からの役割の消失は、直結して彼らの存在意義の消滅に他ならない。
いったい、役割を無くした彼らはどうするのだろう。
ハッピーエンドの中、人々が幸せに暮らす中、彼らに本当の幸せは存在するのだろうか。
いや、それよりも。
英雄たる彼らに、居場所があるのだろうか。
魔王は怪物だ。悪の組織も怪物だろう。そんな怪物を葬った彼らは、英雄と同時にバケモノとして扱われるのではないか。
ただ自分の役割を果たしただけなのに、もしそうなったとしたらもう立つ瀬が無い。役割と居場所まで失った彼らに、望む未来がくるのだろうか。
なにもこれは空想に対する偏見的な否定意見などではない。かつての隷示のただ一つの疑問であり、そして答えが喉から手が出る程欲していた文言なのだ。
つまり。
人ならざる程の特別、異質、そういった力を持った人間に、普通の普段の通常の世界に居場所があるのだろうか、という疑問。
“
嘗て、日本にとある人間がいた。
武蔵坊弁慶。後に源義経となる少年、牛若丸との戦いに敗れ彼に忠誠を誓った武人。たった一人で九百九十九本の刀を武者から決闘で奪いとった豪傑。怪力無双の武人として数々の伝説・伝承を残し、弁慶の泣き所や内弁慶などの言葉の元にもされる有名な存在。
端的に言って鬼蔵隷示は、その男の子孫である。
“SLEC”。“過剰生体電気体質”。鬼蔵隷示の一族が先天的に持つ特殊な体質。人間ならばかならず体内に流れている微弱な電流、生体電気。大なり小なり人間が発している電気信号。それが常人とかけ離れて異常に強い。言ってしまえば“SLEC”とはただそれだけの体質である。
しかし生体電気が強いだけというのは結局『だけ』に留まることが無い。
人間の生体活動に於いて、生体電気は必要不可欠なものだ。体の部位を動かす行為は脳からの生体電気を電気信号として送っているわけだし、神経細胞から筋肉に信号を伝えるのも電気だ。脳、心臓もこの生体電気が電流として流れることで動いている。
その生体電気が常人より圧倒的に強い。これは全ての体の器官自体が常人より強く、あるいは高く、はたまた速く。駆動し、機能し、反応することである。
隷示の常人並みはずれた怪力や頑丈さ、反応の速さは全て“SLEC”に由来している。生体電気が強い故に隷示の何の変哲もない単純な力は常軌を逸しており、脳からの指令も強く速い故に考えた事を即実行することができる。
自分の君主を守り立ち往生し死んだとされる彼の先祖、武蔵坊弁慶もこの特殊体質を持ち、その持て余る馬鹿力を用いて剛力無双の豪傑として英雄の一人となった。
しかし、それはあくまで西暦千年代での話。西暦二千年代の今日日に於いて、その異質な剛力などを生みだす体質は、平穏に暮らすにあたって邪魔にしかならない錘である。
なぜなら常人ばかりが暮らす中で一人の異端がいれば、それは迫害されるのだから。
戦いの中でしか役割を見出すことのできない力、“SLEC”。
鬼蔵隷示は思う。魔王を斃した勇者はどうするべきか。悪の組織を潰したヒーローは何から人々を守ればいいのか。
……戦うしか能の無い、それが唯一の役割であった体質を科せられた自分からその役割を無くしてしまったら、どうすれば良いのか。
日常から追い出された自分はどうすれば良いのか。
この、生まれ持った“SLEC”を、どうすれば。
自分の異質を幼きながら自覚したその日から、鬼蔵隷示は自分の無い役割に対してそれを探すようになった。
人の役に立ちたい。そう純粋な思いで多くの人を手助けし、その異質さを逆に誇示してしまった。
結局の話。
鬼蔵隷示という一人の人間は、大衆に於いて周囲から浮いてしまう存在で、彼の居場所はそういった普通の世界には一切無くて。
そんな彼が唯一の肉親であった母親の死を契機に異端者だらけの秘密結社イ・ウーに在籍することになったのは、ある意味では必然なことなのかもしれない。
孤独。たった一人でいること。当時十歳の隷示少年にはそのことは自分の身を裂かれるよりも辛く苦しいことで、自分の居場所を欲し。
他でも無い、一人の女性の言葉で。
あなたの力が必要な時がきっと来る、という柔和な一人の誘いに……土御門蓮華という一人の女性の言葉で鬼蔵隷示はイ・ウーへと辿りついたのだ。
勇者は魔王を斃したらどうするのか。ヒーローは何から人々を守るのか。
何のことも無い、答えは簡単だ。役割を無くしたのなら、また別の役割を見つければそれでよかったのだ。
“SLEC”。戦いにしか使えないチカラ。隷示を非常人たらしめる根源。
戦いにしか使えない……確かにそうだろう。だったら戦いに使うしかない。でも、その戦いを隷示自身がコントロールすれば、それはきっとまた別の事象に繋がるはずだ。
本来食物を切るための道具である包丁が人を刺し殺す凶器になるように。
本来人を斬るための武具である刀が芸術品となるように。
本来戦うためのチカラである“SLEC”も、本来の用途とは別の使い道があるはずだ。
だから。
鬼蔵隷示は何も迷うことなく、それを実行する。
戦うための力で、“SLEC”を用いて。
昔の自分のような人間を救うために。
「よう、お目覚めかい?」
意識を取り戻した直後、自分に掛けられた言葉にK‐79は突然頭を叩かれたような顔をした。