第31弾:「俺は団長から組織を預かっている身だ」
森の中、深夜ということ。その二つを踏まえてもなお、そこは不気味な程に不自然な程に静寂に包まれすぎていた。
暗闇を暗闇と言うのも正しいかわからない。夜闇を夜闇と呼ぶのも正解かも不明である。暗黒を暗黒と言って良いか否か。
少なくとも
なにもこれは彼の目の前に広がる情景を指し示しているだけの言葉ではない。事実、今彼がいる状況からは、いつ自分の命が吹き飛んでもおかしくないのだ。
本渡は自分の背後にそっと目を向ける。二つ、テントが張ってあり、その中では本渡の属する組織の仲間がつかの間の休息に勤しんでいるだろう……休憩に勤しむ、というのはどこかおかしな気もするが、休んでいる連中の中で素直に休憩したがっている者など誰一人としてないので、やはり勤しんでいるのが正解だろう。
と、背後で動く姿がある。ソフト帽に丈の長いコート姿の本渡が言えた義理ではないが、彼女の恰好は今いる状況下に手かなり不適切な服装をしていると言っても過言ではないだろう。
「栖本さん、新和さん、倉岳さんから定時報告が。栖本さんと倉岳さんの班は指定時刻通りの時間に合流可能だそうです。新和さんは追手を撒くのと誘導に少し手間取ったようで、指定時刻から十分から二十分程度遅れると」
「そうか……次の定時報告まで休んでいてくれ」
無精髭が目立つ顎をさすりながら、三十路前の本渡は苦言を交えた声で牛深に言う。
そんな彼の言葉に、牛深は牛乳瓶の底をそのまま切り取ったかのような分厚いレンズの眼鏡の奥の瞳をぎょっと歪めた。
「ほ、本渡さん!?もう四日は寝てないですよ!いいかげん休まないと……」
「俺は大丈夫だ。何も問題は無い」
「無いわけ無いです!隈はすごいし、少しやつれてます!」
少し声を荒げて訴える牛深。自分の愛弟子の言葉に、普段は飄々としている風来坊のような本渡も流石にうぐ、と言葉を詰まらせる。
しかしそこで本渡は頭を軽く左右に振る。
「李衣、俺は団長から組織を預かっている身だ。実質上、俺が指揮官ってことになっている。いざと言う時に備えて、俺は起きてないとだな」
「それでも限度というものがあります!それに少しは私も頼って下さい、伊達に十年間本渡さんの弟子をやってないんですから!」
悲鳴に似た声による痛恨の訴え。普段は引っ込み思案で話の輪に入るのが苦手な愛弟子の必死な態度を見て、本渡はソフト帽の上から頭をガシガシと掻いた。
「ああ、わかったよ。でもあと一時間経ってからだ。次の定時報告を聞いたら素直に休むから。な?」
「……わかりました」
不服そうな顔で、牛深はしぶしぶ了承した。
本渡からしてみれば、ついこの前まで平仮名を書いて一喜一憂していた女児がここまで育っているのかと思うと感慨深い物がある。自分を本当の兄のように慕ってくれていた彼女を見て……そして、自分たちのせいで逃げるように姿を消した牛深の幼馴染にして本渡にとってのもう一人の妹分、そしてなによりも自分が仕えるべき相手の事を想う。
何も聞こえない不自然な静寂。闇を闇と現していいのかもわからないひとけの無い暗い森の中。
太陽の下では考えると気が滅入ってしまう情けない自分がいるその話題も、この暗闇の中であれば少しは前向きに考えられるか。
そう思った所で。
「本渡さん、牛深さん、微笑ましいっすけど、とりあえず十年来の師弟の痴話喧嘩はそこらへんにしといて下さい」
テントの傍らから少し離れていた二人に、痩身の少年が近づきながら声を掛けてきた。
本渡と牛深の同僚の一人で、少し姿勢が悪いのが特徴的な少年は名を
「……どうした、幸樹」
普段からテンションの低い彼ではあるが、しかしいつもとは少し違う様子を見て、本渡は少し声のトーンを下げた。
自らの上官の質問に、幸樹は要点を簡潔にまとめて言う。
「追手を罠にかけることに成功しました。数は五十から八十前後、その他複数の場所で二十から三十前後の集団です」
そう言って手元に持っていた一枚の紙を掲げるように本渡に見せる。
「動きのパターンや用意しておいた罠の稼働状況から推察するに、追手は“百鬼夜行”最高幹部“八妖の蓮”の一角、“煙軍師”煙々羅の率いる攻勢部隊の一つ、後詰部隊と考えて、まず間違いは無いでしょう」
顔は無骨なガスマスク。頭部は煤けた軍用ヘルメット、両目は右のレンズに少しヒビの入ったゴーグル。体はべこべこにへこんだ鉄パイプを主軸に自動車の歪んだホイールや自転車のハンドル、もう真直ぐにならないほどに幾多も折れ曲がった無数の針金や絞めることのできないほどに緩んだネジ、他にも錆ついた歯車や鎖が無数に絡みあって磔にされるかのように密集させている。
そんな体を、暗幕を思わせる黒い布で簀巻くように包みこみ、無数の体の間から見える中身は空洞。
その姿は言うなれば、無数の廃棄物で組み上げられた歪な案山子。空洞という生物的な所を一切見せないというのに、彼という存在は確かに確固たるものとしてここに鎮座している。
それは空洞となっている廃材の隙間から何処となく吹き漏れる白い煙が辺り一帯を覆う濃霧に混じっていることからもよくわかることだろう。
日本随一の妖怪組織“百鬼夜行”の八者の最高幹部“八妖の蓮”、その一角にして攻勢部隊の中でその名の通り後詰めを担当する部隊、後詰部隊の将帥を務める妖怪。
二つ名を“煙軍師”、名を煙々羅。指揮官としての能力の突出した軍人気質の“八妖の蓮”にして、百鬼夜行全体での作戦の際には常に立案を担当する戦上手な妖怪たる彼は現在、自分の率いる後詰部隊を自分の指揮圏に置く中隊と、自分の信頼する有象無象の中では他の物より有力な副官株の数人に指揮を任せた複数の小隊を編成し終えたばかりであった。
それが、少々仇となったようだ。
「将帥、これはいったい……?」
傍らにいるのは自分の中隊の副官として残した妖怪、
煙々羅の身の丈を軽く超える巨体でありながら、その体は二頭身。体と頭の比率が不自然な程に同等であり、首の付け根は煙々羅の肩元よりも低いという不気味な出で立ちである。
そんな鬼一口のいう『これ』とは、単に今の彼らの状況を現す疑問であった。
つまり、つい先ほど中隊と無数の小隊に分隊した後、格小隊からの連絡がぱったりと全て途絶えた、という状況だ。
「格小隊との連絡の途絶、周辺の気配察知の不可、視界を遮る濃霧、そしてなによりも将帥の“
鬼一口の声色は、自分の頭に思い浮かべた術式とは違うと煙々羅に否定して欲しいというものであった。が、煙々羅は物理的な鉄面皮の無表情に、平坦な声を乗せながら言う。
「……環境利用型大結界“
否定して欲しかった二つの術の名の前に、鬼一口は少し肩を落とした様子を見せる。
「彼奴等とて考えなしに逃亡をしていたというわけではないのだ。こちらに気付かせないように不特定の動きをしていると見せかけながら我らの部隊を“迷森”の内部に誘導していた、というわけだ。無論、こちらの一手を妨害することに特化した“濃霧迷宮”を同時に用意して、のことだが」
「しかし、“迷森”も“濃霧迷宮”も維持にかなりの人員が必要と聞き及んでおりますが」
「うむ、私とてこの大結界を単独で同時に維持できる人間など歴史上一人しか知らぬ。が、彼奴等はそもそもこのような大結界を手繰る事自体が達者な組織だ」
「……“偽装十字団”、ですか……」
「隠蔽、遁走、工作……大前提よりそういった偽装をするために生まれた組織、と言ってしまえばそれまでだが。人間社会における醜い弾圧の中生き続けたかの組織の能力は、この逃亡戦に関して言うならばそれこそ彼奴等の領分と言えるだろう」
“偽装十字団”。嘗てキリスト教を弾圧した江戸幕府政権。国と言う最高権力からの弾圧に於いて、それでも神を信仰し続けた者たち、隠れキリシタン。
“偽装十字団”はそんな隠れキリシタンたちがその通り隠れながら結成した組織を前身とした組織にして、こんな題目を掲げる組織である。
『全ての人々に救いの手を』。
まったくもって胡散臭い絵空事だ、と煙々羅は思う。もっともそれは物事を理屈的に考える彼に限った話ではなく、彼を除く“八妖の蓮”やこの中隊の構成員の殆どの者たちもそう思っているほどだ。
しかし“偽装十字団”の性質が悪いのは、そういった絵空事を本気で行動に移し、全てとは言わないまでも事実として多くの人々を救っている所である。
前身が隠れキリシタンという性質上、長い間司祭などの指導を受けることができず、結果変遷を辿って行った“偽装十字団”。十字架を象徴とし、隣人を愛せという言葉を元に、それらを苦しみを知る自分たちだからこそ他人を苦しみから解放したいという考えに変え。
最早キリスト教ではなく、否、そもそも宗教でも無く、ただ一つの目的を持っただけの組織へと姿を変えた。彼らには教えなど既に無く、ただ自分たちが正しいと思う中でのみ、救いの手を差し伸べ戦う者たち。
善人ぶった偽善者たちの集団。それが“偽装十字団”である。
「……それでも、何もしない善人よりは良い、か……」
「……?将帥?」
鬼一口が平坦にぽつりと呟いた煙々羅に疑問符を浮かべる。
過去に。
煙々羅は“偽装十字団”と幾度かの鎬を削り合ったことがある。此度の追撃戦にしたって、彼がその経験から参戦を他の“八妖の蓮”の面々から望まれたと言っても過言ではない。
その言葉は、現在“偽装十字団”に於いて実質的な指導者として働いているとある男の言葉であった。
『善人が何もしないんだから、俺たち偽善者がやるしかねぇのさ。俺たち偽善者の役割が終わんのは、本物の正義の味方が出て来た時だ。だから、俺たち紛い物はそれまで戦い続けんのさ』。
“偽装十字団”の行動を快く思っていない煙々羅からしてみれば、自分たちの行動の大義名分を騙っているようにしか思えない言葉であった。
しかし。
その言葉を語った男の目は、人間としては本気の物であり。
有言実行していることもまた事実である。
(……ここで、決着をつけるとしよう)
“百鬼夜行”最高幹部、“八妖の蓮”の一角、後詰部隊将帥、煙々羅は、彼にしては本当に珍しく戦いに飢えていた。
合理性ばかりを求め、理屈っぽい堅物の彼には、本来見られない所である。
だが。
今宵の敵は、自分がそうなる程度にはここで叩き潰す価値のある相手だ。
(……本渡航、私に見せてみるが良い……貴君の策略を)
自分が生きてきた中で五本指に入る策略家の男に闘志を燃やし、煙々羅は決着の策を練り、
そして、行動に移した。