さあ、最初のクエストに出発だ。
この村はもう終わりだ……
金色の癖毛に同じ色の顎髭を蓄えた細身の男は、病に苦しむ村人に白湯を飲ませながら心の中で呟く。そして、今までこの村で積み上げたものが瓦解する想像に、神経質そうな青白い顔をしかめた。
男の名はスリン・ネスタカム。このケラナック村に住む薬師だ。都会の生活に疲れ、この貧しい開拓村の人々を救うことに一生を捧げるつもりで数年前に移住してきた。しかし、その村が疫病で滅びようとしているのだ。
発端は1週間ほど前、近くの小川で遊んでいた子供たちが集団で熱病に倒れた事件だ。体中に発疹が現れ、嘔吐や下痢を繰り返す。川の水を飲んだのが原因らしく、村人が上流を調べるとそこには大型の獣の死骸が浸かっていた。
親たちは心配して介護にあたったが、ほどなくして同じ病に倒れた。そして、子供の見舞いに訪れた村人たちも。
人口が200人足らずの小さな村である。多くの村人が家族同然の付き合いをしていた。
薬師であるネスタカムが危険に気付いた時には既に村人の3分の2が病に侵されており、ほぼ全ての家が患者を抱えていた。ネスタカムは患者との不用意な接触を避けるよう村人に指示し、吐瀉物を石灰で消毒していく。そして、薬草からなる治療薬を調合し、患者たちに飲ませていた。
しかし、手持ちの薬草の効力は弱く、さらに村の住人のほとんどが病に侵された状態では、その薬草すらすぐに使い果たしてしまった。今の彼にできるのは病人に水を与え、病状を村長に伝えることだけだ。
村長のボロナ・イヘインムルは、自身も激しい頭痛と腹痛に悩まされながらも最寄りの都市に救援を要請した。農作業で鍛えた逞しい体を寝具に横たえながら手紙を綴り、その手紙を無事な者が都市の薬師組合に運んだ。馬を使ったので1日あれば連絡はつくはずだが、症状にあった薬草を調合し100人分以上も薬を用意するとなると都市であっても相応の日数がかかる。
魔法と錬金術で製造されるポーションであれば原因が何であれ直ちに効力を発揮するのだが、そのような物は極めて高価であり、貧しい村では到底手が届かない。家畜を売って対価にすることは、この村の放棄を意味し、病が癒えたとしても村人にとって悲惨な未来が待ち受けることには変わりない。
病気の症状自体はそれほど恐ろしいものではない。十分な水分を取り、休養をとれば数日で治るものだ。恐ろしいのはその感染力である。瞬く間に村人の大半が倒れてしまい、すでに水を汲み、食事を用意する者すら十分ではなくなっている。
脱水と栄養状態の悪化から、体力のない者たち――老人や幼子――から順に死んでいき、すでに犠牲者は10人を超える。死にはしないであろう若者たちも満足に動けず、村の機能は止まっている。人間ばかりではない。家畜にも症状が出ており、さらに世話をする者がいないため、水や餌を欠く家畜は倒れ、あるいは逃げ出している。
畑も荒れている。暑さが増していくこの季節、水やりは必須なのだが、すでに畑の葉は萎れかけている。早く手を打たないと秋の収穫は見込めず、村は飢えることになる。
その日の昼過ぎ、往診を終えたネスタカムは村長の家を訪ね、状況を報告する。
もはや神に祈るほかないのだと。
神に祈る――司祭や神官が来てくれれば治癒の魔法で助かるだろう。しかし、神官を呼ぶ金はこの村にはない。貧しい開拓村が1つ消えることなど、神殿の奥の者にとって興味の対象ではない。
「どうにかならないのかね……」
寝具に体を預けている村長は絞り出すように薬師に尋ねる。
寝具の側に距離を保って立っている薬師は黙って項垂れる。
苦い沈黙が支配する室内に、まだ動ける村の若者が1人、息せき切って駆け込んできた。
「イヘインムルさん! 旅の……旅の薬師が来て、薬をもっていると!」
村長と薬師は顔を見合わせる。言葉を交わすまでもない。薬師ネスタカムは叫ぶ。
「すぐに行く! どこだ? 案内してくれ」
若者に連れられてネスタカムは、村の境界を示すだけの柵に設けられた門に駆けつける。
そこに2人の男たち――鞄を抱えた中年と青年――が微笑んで立っていた。
「あなたたちが薬師ですか?」
ネスタカムが確認する。2人の服装は農民のそれだ。薬師の身分を示すものは何も持っていないように見える。
「ええ、私たちは旅の薬師で――」
さえない風貌の中年の男が答える。
「私がブルプラ・ワン、そして、彼がネット・ツーです」
横に立つ逞しい青年は黙って肯く。ネスタカムは、彼――ネットと紹介された若者がブルプラの弟子なのだろうと推測する。
「食料を調達したいと思って立ち寄らせていただいたのですが、村で病が流行っていると聞きました」
ブルプラと名乗る中年の男は、村の若者に手を向ける。
「ええ、ええ、川で腐った水を飲んだ者から病毒が広がったようで……ああ、すみません、私はこの村の薬師、ネスタカムと申します」
ネスタカムは急いで自己紹介をする。
「それで、よろしければ薬草などをお持ちではないかと……」
「なるほど、なるほど、食中毒の類ですね……はい、では患者を見せていただけますか?」
ブルプラは微笑んで頷く。ネスタカムは目の端に涙を浮かべて何度も頷き返す。
そして、ネスタカムは村長の家に2人を案内する。一刻も早く治療に当たりたいのだが、素性が定かではない旅人をいきなり村の患者たちに会わせるわけにいかない。それに村長自身もかなり症状が重いのだ。
「ネスタカムです。入ります」
村長の家の戸から中に向かって大声で叫び、ネスタカムは家の中に入る。そして、村長の寝室に入り、ブルプラたちを紹介する。
「イヘインムルさん、こちらが旅の薬師、ブルプラさんとネットさんです」
紹介された2人は頭を下げ、鞄を開けて緑色の液体を満たした透明な容器を取り出す。
「そ、それは高価な――」
ポーションではないのか、とネスタカムは叫びかける。彼自身はそのような緑色のポーションを見たことはないが、その容器は極めて繊細な作りであり、透き通った液体は高度に精製された物であることは薬師ならば一目で分かる。
「まずこれを飲んでみてください」
ブルプラと名乗る男は、しかし、狼狽するネスタカムの叫びが終わる前にポーションを村長に差し出し、村長は勧められるままにそれを飲む。
「ぅ、お……」
村長の目が驚きに見開かれる。今までの苦痛を訴える額の皺が消えている。
「よ、良くなったぞ。おい、すごいぞ、これは!」
村長は寝具から身を起こし、ブルプラとネスタカム、そして空になった瓶を見つめる。
「どうやら薬が合ったようですね」
ブルプラが空き瓶を受け取りながら事もなげに口にした言葉にネスタカムは言葉を失う。そんな薬師を見て、ブルプラは不思議そうに尋ねる。
「どうかしましたか? 何かおかしかったでしょうか?」
「い、いえ……でも、しかし、その……ポーションは……高価な物なのでは……?」
ネスタカムは、自分の言葉に自分で呆れる。何かもっと言うべきことはあるだろうと。
ブルプラは何かを言いかけ、そしてゲフン、ゲフンと2回咳払いをした。
「……お代のことはご心配なく。まずは皆を救いましょう」
「し、しかし……」
「……大丈夫ですよ。それよりも、まず、他の患者に会わせてください」
ネスタカムの顔が赤くなる。ブルプラの言うことは尤もだ。だが、魔法を使って製造したものは高価であり、それを100人以上の患者に使うとなると――
――村の全てを売り払っても足りない。
そのことを村長に目で訴えるが、村長はそれに気が付いた風は無い。すっかりこのポーションの効き目に心を奪われているようだ。無理はない。村を襲っているこの悪夢を一瞬のうちに拭い去る奇跡の薬を目にしたのだから。
「そ、そうだな。では、ネスタ君、ブルプラさんを患者の所まで。あと、奥で寝ている家内の分も頂けますかな?」
すっかり元気になった村長は、これ以上ないという笑顔を振りまいてネスタカムに指示を出す。
「ええ、いいですよ。奥さんの分ですね」
ブルプラは鞄の中から再びポーションを取り出し、村長に渡す。
ネスタカムはそれを制止するように手を伸ばしかけ、止める。そして足元をふらつかせながら無言で何度も肯き、ブルプラとネットを連れて村長の家から出る。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ブルプラのもつポーションの効き目は絶大だった。
数に限りがあるということで重篤な患者から診ていったのだが、脱水して顔を土気色にした患者達がポーションを飲むや否や生気を取り戻し、目を覚ます。発疹は拭い去られたように消え、熱も下がっている。
患者の家族の喜びようは一通りではなく、ブルプラに抱き着いて涙を流した。
ネスタカムは、抱き着かれて困惑するブルプラを後ろから見ているだけだった。
すぐに10軒の治療が終わり、ブルプラは薬が尽きたという。そこで村長の家に戻る道中、ネスタカムは思い切って尋ねる。
「これは……ただの薬草の抽出液ではないですよね?」
ネスタカムの問いに、ブルプラは事もなげに答える。
「ええ、薬草の抽出物に魔法を加えたものです」
ネスタカムは、それでも信じられないという顔をする。ポーションには三段階あり、最下位のもの――ただの薬草抽出物は滋養強壮の作用がある程度だ。魔法を組み合わせたものはその効き目が強化され、高価な錬金溶液と魔法を組み合わせたものに至って確実に、瞬時に効果が現れるようになる。
ブルプラのもつポーションは、効き目から考えればどう考えても錬金溶液と魔法から製造されたものだ。色からは植物性であると推測されるが、薬草抽出物につきものの濁りや沈殿も見られない。
「申し訳ございません、それはどのような魔法でしょうか?」
「私たちは……
「ああ、
ネスタカムは頷き、半分ほど納得する。
だが、半分は納得できない。
何か理由があるのだろうかとネスタカムは疑問に思い、それでも平然を装って質問を続ける。
「ドルイド魔法のポーションを見たのは初めてです。後学のため、作るところを一度お見せいただけないでしょうか?」
だが、ブルプラの答は素っ気ないものだ。
「申し訳ございません。これは秘儀に属するものでして……」
「そうですか……」
秘儀と言われてしまえば仕方がない。落ち込むネスタカムにブルプラは続ける。
「それより、あと何人くらい患者はいるのですか? 明日、森で薬を作ってきますので」
「そうですね……これでとりあえず危険な状態の患者はいなくなりましたが、あと100人以上に症状が出ています。明日以降、発症する可能性がある者を入れると最大150人分かと」
それだけのポーションを一度に用意するのは無理だ。今日使った12本の作成に何日かかったのか知らないが、その10倍以上の本数を製造するのだ。しばらくは村に滞在することになるだろうし、その間に何かしらの知識を得られる機会もあるだろう――そう考えて、ネスタカムは多めの数字を述べる。
「そうですか……150人分となると手持ちのビンが足りないですね……人数分の酒ビンか何か、入れ物を用意していただけますか?」
「は? え? 一度に、ですか?」
ネスタカムは再び眩暈に襲われる。自分の常識を完全にひっくり返す提案に。
薬草にせよ錬金溶液にせよ、魔力を注いで作られるポーションの製造には相応の魔力が消費される。熟練の薬師であっても1日で作ることが出来るのは数本が限度。それを150本だと……。
笑いしか出てこない。ネスタカムは下を向き、ヒッヒッと痙攣した声を出しながらブルプラの後ろに続いて村長の家に向かう。そして、ブルプラは時折振り向いて、そんなネスタカムを不思議そうに見つめる。
村長の家では、イヘインムルとその妻が入り口で心配と期待の混ざった表情で待っていた。
「どうでした? 治りましたか?」
「ええ、とりあえず危険な状態の者は皆、治ったようです。明日、残りの方を治療しますね」
ブルプラはネスタカムを促しながら村長に伝える。
「そうですか……明日には……。助かります。本当に助かります」
村長はブルプラの手を両手で包み込むように握り、繰り返し感謝の意を述べる。
これほど早く治るのであれば、まだこの村は立て直せる――その希望を胸にして。
「しかし、その、ポーションの代金は……」
ネスタカムが横から疑問を投げかけた。
そして、村長はハッとしたようにブルプラの顔を見る。ポーションを差し出されたときは病の苦しさから、そしてそれが治った直後は奇跡を目の当たりにした喜びから、金銭のことは頭から抜け落ちていた。だが、ネスタカムの言葉で夢から醒めたように村長の脳裏に現実が戻る。
このポーションが安価なものではありえないことぐらい開拓村の村長でも知っていた。昔、彼がまだ少年であり、村がまだ荒地だったころ、大怪我をした村人が法外と思える料金を提示され、治療を受けられずに死んでいったのを何度も見てきたのだ。
「いえ、そうですね、ちょっと食料や生活用品を分けていただければ、それで十分です。……その、先日、嵐で寝具が吹き飛ばされてしまいまして。ええ、寝具が吹き飛ばされて……」
ブルプラの答は簡素だ。
金銭の要求が無かったことで村長の顔が緩む。
そして村長は、村の恩人に出来る限りのもてなしを約束する。
「そうですか……寝具が……それは旅の方には辛いでしょうな。よろしかったら村でお泊りください。粗末ではありますが、私の家には空き部屋もあります。食料でしたらあるだけ用意いたします!」
「ありがとうございます。でも、私たちは森の中で寝るのが性に合っていますので」
ブルプラは微笑み、顔の前で両手を振る。
残念そうな表情を浮かべる村長に、ネスタカムが「彼らは
「あ、あー、
「そうですね、まず、酒ビンか何か、ポーションを入れる容器を150本、用意していただけますか? 明日の昼ごろ、またポーションを持ってまいりますので」
「はい、それならばすぐに各家々の物を用意いたします。では、こちらでお待ちください。ああ、ネスタカムさん、村を回ってビンを用意してくれないかね?」
村長に促され、ネスタカムは急いで外に出る。そして、家の外で「手伝ってくれ」と無事な村人に呼びかけ、各家庭から瓶を集める作業に着手する。
ほどなくして、ネスタカムは荷車に酒ビンを乗せて戻ってくる。各家庭から提出してもらった瓶の類は全部で150本を上回った。蓋が無い瓶もあって数に余裕を持たせたのだが、ブルプラは問題ないという。
そして、ブルプラたちは「台車をお借りします」とだけ言い、村長が用意してくれた毛布で瓶を包んで台車に乗せ、森に戻っていった。
村長はネスタカムと一緒に村の入り口まで出てブルプラたちを見送る。そして、ネスタカムは――ブルプラたちの姿が見えなくなると村長と一緒に一度村の中に戻り、そして、独り密かに森の中に向かって駆けて行く。
自分でも薬草を取りに何度も入った森だ。レンジャーのスキルはなくとも、大きな台車を引いて通れるルートは見当がつく――そう考えて。
(あのポーションを作り出す森祭司の秘儀を、何としても見届けてやる)
ネスタカムは妬んでいた。自分が何年もかけて作り上げようとした「村の恩人」という立場――それが危うくなったと思ったら、いきなり現れた余所者にあっさりとその地位を奪われてしまったのだから。
ネスタカムは自分に薬師としての才能がないことを自覚している。強力なコネも無く、都会では大した地位に昇れはしないことは分かりきっている。
だからこそ、競争相手が居ない辺境の村で成り上がろう――そう考えて移住したのだ。
ネスタカムは森に入り、周囲を見回す。そして、台車の後を追って数十メートル進み――ブルプラに後ろから肩を叩かれる。
「ネスタカムさん……そういうのは、止めていただけないでしょうか?」
いつの間に現れたのか、ブルプラとネットは無表情にネスタカムを見つめている。
ヒッと軽い悲鳴を上げたネスタカムは顔を真っ赤にして謝罪する。そして、泣き笑いのような声を上げながら、傾いた日差しの中を村に向かって逃げるように走っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
森の樹の中に潜んでいたブルー・プラネットは体を樹から出し、溜息をつく。
常態化している
そして、ネスタカムから向けられた感覚。敵意ではないが何か暴力的なもの、ブルー・プラネットの分身となったブルプラに向けられつつも、それには触れようとしない感情の刃――ブルー・プラネットはその真意を見極めようと注意を向け、そして知った。これは「嫉妬」だと。
トレントなど特定の種族・職業には相手の感情やウソを暴く「真意看破」というスキルがあった。
ユグドラシルではシステムがプレイヤーの思考を読み取るが、それがそのまま他のプレイヤーに流されることは無かった。当たり前だ。他人に自分の思考を読み取られて気分が良い者などいるはずがない。感情はプレイヤー自身がキャラクターの頭上にアイコンを浮かべて伝えるものだ。
だが、例外はあった。
ユグドラシルのアバターの表情は固定されており、現実世界のように表情を読み取ることが出来ない。話の真意を判断するのに口調からでは限界があり、冗談は通じず、嘘はバレにくい。そこで、この「真意看破」のスキルを発動しながら質問すれば、それに対する返答が本心のものであるか否かを特定の脳波パターンによって判断できたのだ。いわゆる「ウソ発見器」のようなものである。
例えばギルドの訪問者がPKに来たのか否か――戦意の有無を問えば、確実ではないがその真意の見当がついたのだ。
そして、今は質問の形をとらなくても意識を強く集中することで相手の感情が伝わってくる。敵意は針で突かれるように、好意は暖かな空気で包まれるように、そして嫉妬は鋭い氷の刃を押し当てられるように……感情が物理的な感覚として認識され、その意味も大体見当がつく。現実の広川は、感情を読むのはむしろ苦手な方だったのだが。
「行こうか」
逃げていくネスタカムの足音を確認し、ブルー・プラネットはシモベたちを手招きして<霧化飛翔>を掛ける。そして、自身は台車を引いて大木の中に溶け込み、そのまま大木を伝ってシェルターのある広場に戻り、実体化する。
「それでは、ポーションを作ろう」
霧となって戻ったシモベたちを実体化させ、命令する。
瓶を台車から降ろし、シェルターの前の地面に並べさせる。その1本1本に洗浄液を掛け、瓶の中の汚れと共にそれが気化するのを確認する。そして、清潔になった瓶に治癒のポーションを注ぎ込む。地道な作業に、かつての「花まつり」で仲間たちとアイテムを配ったときのことを思い出して遠い目をする。
今、現実世界の同僚たちは何をやっているのだろうか――と。
「何かご心配でも?」
「いや、何でもない。ただ、明日の計画を考えていただけだ」
ブルプラと名付けたシモベが心配そうに尋ねてくる。
ブルー・プラネットは笑って再び作業に集中する。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ポーション詰めの作業はすぐに終わる。92本ほど作ったところで洗浄液と回復液のスキルが打ち止めになったのだ。昼に作ったものと合わせ、薬液の分泌は1日200本が限界のようだ。
瓶には全てブルー・プラネットが別のスキルで創り出した蝋の板が栓として嵌められている。蝋の板――ユグドラシル時代は敵の頭の上に垂らして固めてしまう植物系モンスターのスキルだったが、簡単な型取りや工作に使うこともできたものだ。
「残りは、明日、村に行く前に作ろう」
ブルー・プラネットはシモベにそう言って目の前に並べられた瓶を眺める。蝋で封じられた瓶に満たされた緑色のポーション――これだけの質量の液――1本100ミリリットルとして9リットル、洗浄液を合わせればその倍――がどこから出たのだ、と。
――まったく、魔法というものは理不尽なものだ。そして、この世界自身も。
今日、村で見聞きしたことを振り返る。
まず、村の入り口に行ったとき、村人を呼んで現れた若者――彼と言語による意思疎通が出来たことは、獣から作り出したシモベが喋れたことを考えれば意外ではなかった。しかし、日本式の挨拶――握手や礼――をすると不思議そうな顔をされた。まあ、意図は伝わったようで、相手も同じように礼を返してくれたのだが。
そして、初めは彼らが日本語を喋っていると――ユグドラシルでは当然のことだったが――思い込んでいたのだが、よく見ると、口の動きが聞こえる音と一致していなかった。
――これも何かの魔法によるものだろうか?
そう考えて、村長に古典的なダジャレ、日本語でしか通じないものを投げかけてみた。
「先日の嵐で、『布団が吹っ飛んだ』のですが……ええ、『布団が吹っ飛んだ』んです……」
だが、村長はそれに気が付いた風もなく、真顔で愚直に寝具の心配をしてくれた。確認の言葉にもダジャレの要素は無かった。
つまり、実際に口から発せられる音によらず、意図が翻訳されて伝わっているようなのだ。
――これは危険かもしれない。
ブルー・プラネットは警戒する。逆に、相手がダジャレのつもりで発した言葉に気が付かない可能性があるのだ。それはコミュニケーションを阻害する危険を意味する。現実の世界には「お偉いさん」のオヤジギャグに笑わなかったため別の部署に飛ばされた優秀な同僚もいた。
――鈴川のヤツ、今は何をやってるんだろうか。
日本語が使われていないのであれば、文字はどうだろうか?
そう思って、地面に並べられた酒瓶を見る。
どうやら銘柄などが書かれているらしいが、ラベルの情報はさっぱり読み取れない。念のためにシモベにも聞いてみたが、彼らが話す言葉は口の動きからみても日本語であり、簡単な書き取りでも使う文字は日本語であった。そして、この世界の文字は――元が獣だということもあり期待はしていなかったが、やはり分からないという。
(どういう仕組みか分からないが、自動翻訳機能付きか……人間たちの間ではどういう認識なのだろう?)
ブルー・プラネットはかつてのギルド<シャーウッズ>を思い出す。あれが「殺ウッズ」と呼ばれたのは、「殺」という文字が中国語で「シャー」と発音されるからだ。同じ文字を使っていても発音が同じだとは限らない。ならば、この世界の人間たちの間でもダジャレの類は通じていない可能性がある。ちょっとした冗談が本気に受け取られるかもしれず、それは文化に影響しているだろう。
「さて、明日はどうするか」
シモベたちを休ませ、ブルー・プラネットは計画を練る。
シモベを人間として村に送り込む計画の第一弾は成功した。この路線で間違いはなさそうだ。
シモベに「体の自由を奪ったこと」への感想を聞いたが、そのシモベは「人間同士の会話について、とても良い勉強をさせていただきました」とキラキラした目を向けてきた。ならば、明日もこの方式で行くことに問題は無いだろう。
自分たちは薬師であり、ドルイドでもある――村人たちにはそう伝えた。これは勢いで言った発言だったのだが、信じてもらえたようだ。だが、この世界にも存在するらしいドルイドのことをもっと調べ、それに相応しく行動すべきだろう。
ネスタカムというあの薬師は――彼の自尊心を傷つけてしまったらしい。なんとか穏便に済ませたいものだ。しきりにポーションの価格を気にしていたが、この世界のポーションの相場はどんなものだろうか?
(まあ、命が助かったのだから、それなりの価格にはなると思うが)
ブルー・プラネットはそう考え、金銭的な欲求をしても良かったかと反省する。金銭という概念があるのならば、それによって情報を得ることもできるのだから。
この世界の「設定」を知る必要を痛感する。ユグドラシルとも異なるこの世界のことを。考えてみれば、あの村の名前も聞いていなかった。そして、村人たちを虐殺していた騎士や魔法詠唱者のことも。つまりは、彼らの背後にあると思われる「国家」のこと、法律のこと……。
知るべきことは幾らでもある。その知識によって今後の行動が変わる。
この森で一生を過ごすならば人間社会など放っておくことも出来るが、やはりナザリックを探したい。その探索のためには、この世界でも支配的な知的生物らしい「人間」の情報を使う必要があるだろう。ならば、あの小さな村だけでなく、大都市に行って人付き合いをしなければならない。何の罪があったのか分からないが、村人を惨殺し、村ごと焼き払うような者達とも交渉しなくてはならないのだろう――否応なしにイベントにも巻き込まれるだろう。
「はぁ……」
色々と大変だ――ブルー・プラネットは溜息をつき、シェルターの外に出て星を眺める。
澄んだ夜空に浮かぶ星々の瞬きが、まるで自分を嗤っているかのように感じられた。
捏造”裏”設定
言語変換……実は、部分的に日本語も伝わってます。
過去のプレイヤーが「神」としてこの世界で人間を指導する際に、
特に上流階級(「神」に関わりがあった者たち)は「神の言語」として日本語を学ぶ機会がありました。
特に傲慢な「八欲王」などは自分のダジャレに笑わないと不機嫌になったりするので、割と命がけで。
辺境の村人などは、神々に関わることもなかったので日本語も知りません。