転移の指輪の発動と共に視界を覆った一瞬の闇が晴れ、ブルー・プラネットの目に第六階層の光景が映る。転移した先は
(今はもう楽しんでいる時間は無いな)
ズシリズシリと重い足音を立てて歩きながら、ブルー・プラネットは腕に嵌めた時計を見る。
23:50だ。サービス終了予定時刻まであと10分しか残されていない。
「
得意とするドルイド魔法の詠唱とともにブルー・プラネットの体は白く半透明になり、輪郭も定かではない霧の塊へと変わる。その半実体の霧の塊は宙に浮かび、音もなく駆け足の速さで滑るように移動する。そして、接近に反応しない格子戸をそのまますり抜け、闘技場の上空に舞い上がる。
「変わっていないなあ……」
ブルー・プラネットの形を残す白い影は呟くと、深く息を吸い込んで、夜空を抱きかかえるように腕を大きく伸ばす。
サービス終了が夜でよかった――アインズ・ウール・ゴウンに別れを告げた時、ユグドラシル標準時に合わせて第六階層の昼夜が自動で交代するように設定しており、この夜空を見るために「
ブルー・プラネットは闘技場の縁、空に向かって伸びる角の先に降り、そこに腰かけて夜空を眺めて誰に向かって言うともなく呟く。
「怖い……? 確かに、怖いね……」
それは、初めてこの夜空を仲間たちに公開したとき、彼らから返ってきた感想だ。
あのときは「そうかな?」と軽く聞き流した感想だが、何年も経ってあらためてこの夜空を眺めると、彼らの気持ちも分かる。全天を覆う透き通る闇は見る者を吸い込むように深く、そこに浮かぶ星々の瞬きは何かを語りかけてくるようだ。「怖い」という感想は当たっているかも知れない。
現実の世界では、空は常に厚い灰褐色の雲で覆われている。大気中には微小な有害物質の粒子が漂い、遠くまで見通すことも出来ない。そんな世界に暮らす者にとって「澄んだ空」という存在は異質な概念だ。22世紀になって生まれた若い世代では「青い空」という表現にすら違和感を覚える者も増えているという。彼らは「空が青いなんて気持ち悪い」と言うのだ。
設定上では澄んだ青空が広がる上層のワールド――例えばアルフヘイム――でこの問題は起きた。ユグドラシルの初期バージョンでは透明感のある空が実装されていたのだが、これが不評だったのだ。
調子に乗ったプレイヤーが何処までも高く飛び、システム上の飛行高度制限から仮想空間に設けられた天井に衝突して興を殺がれる――そんな事故が頻発した。だが、これは<飛行>の効果に制限やペナルティを加えることで解決した。
空の仕様が変わる決め手となったのは、プレイヤーから寄せられた意見だった。
「空が高すぎて、落ち着かない」――その意見に多数のプレイヤーが賛同した。
そして、ユグドラシルの青空は、太陽や流れる雲といったエフェクトを貼り付けた平坦な蓋となった。昼夜の変化は単純な色彩の変化で表され、人々はその覆いの下でゲームに興じた。
空が本来あるべき姿を異質なものとして認識する人々――ユグドラシルを始めたとき、ブルー・プラネットは嘆息した。すでに人類は生物としての本能すら歪められていると考えたとき、ブルー・プラネットの背中に冷たいものが走った。そして、自分たちの拠点――ナザリック地下大墳墓――を得て、第六階層の改修を任されたとき、ブルー・プラネットは決心したのだ。
仲間たちに世界の本当の姿――美しい世界を思い出してもらおうと。
新たな拠点ナザリック大墳墓は、空が見えないワールド「ヘルヘイム」にある。ワールドの空は改変できないが、拠点内の空ならば幾らでも弄ることが出来る。
ブルー・プラネットは課金アイテムを使って第六階層の天井にエフェクトを付け加えることに熱中した。元は単調なテクスチャであったものを澄んだ青空へと貼り直し、さらに流れる雲、嵐の空に閃く稲光、それに天候操作の魔法を連動させて、地上へと降り注ぐ雨等々の気象を再現した。
しかし、そのままでは常に真昼の空でしかない――そう考えて、朝焼け、夕焼け、春の空、夏の空……とバリエーションを増やしていった。ただの夕焼けでは物足りない――そう考えて、午後5時の夕焼け、午後6時の夕焼け……様々なエフェクトを考えたとき、ブルー・プラネットはその方法ではキリが無いことに気が付いた。
ブルー・プラネットは、第六階層の空を根本的に改造することに決めた。
単純なエフェクトの切り替えではなく、空の状態をシミュレートする――その管理のために旧ギルド武器「
そして、夜空を得た第六階層はさらに改良された。
はじめに創られた夜空には照明用の月しか浮かんでおらず、あとは漆黒の背景だった。
ブルー・プラネットは最初にこの月を何とかしようと考えた。
本物の月の美しさ――それを知るブルー・プラネットはユグドラシルの用意する「月」のエフェクトでは満足できず、天文写真をデータ化して持ち込んだ。
次に、星々――現実世界で星図を購入し、それに従って星々のエフェクトを貼っていった。星図を拡大して貼り付けるだけでは朝焼けや夕焼けを再現できない――ここには大きな赤い星、ここには明るく輝く青白い星、ここには星雲を……星図の無数の光点をコピーし、個別に調整して貼りつけていった。
気の遠くなるような作業だったが、後ろを振り返ると、貼りつけた無数の星々が瞬いている――その煌きに元気を取り戻した。再び前を見ると、まだ何もない漆黒の空間が広がっている――ブルー・プラネットは頷いて黙々と作業を続けた。
単純な作業だが、努力の跡が形となって残る――それが嬉しく、楽しかった。
メンバーの皆がログアウトして誰も居なくなった深夜に第六階層を「夜空」に切り替え、黙々と作業を続けた。そのまま朝まで作業を続け、睡眠不足で仕事にならなかった日もあった。
試行錯誤の結果、数か月を費やして星の貼り付けが終わった後は、空の透明感を調整して、星々が太陽光の散乱によって隠される朝焼けや夕焼けを再現した。大気の透明度は、人類が誕生する以前の考古学データから計算された――これは自分の手には余る仕事であったため、メンバーにいた大学教授に協力してもらった。現実世界の上司と同じく中二病を患っていたその大学教授は喜んで協力してくれた。
そのおかげで最終的には、太陽や月の動き、地球の軌道要素も組み込んで、カレンダーを設定すれば月食や日食も正確に再現できる程になった。
第六階層の改装はギルドメンバーに伝えていたが、実際の作業は全て秘密裏に行った。手伝おうかと言ってくれた仲間もいたが、「ビックリさせたいんです」と言って断った。
そして、ブルー・プラネット自身が納得出来たところで皆に夜空を披露した――その時の皆の反応を思い出すと、今でも自然に頬が緩む。ユグドラシルではキャラクターの顔は動かないが、現実世界の顔はきっと笑っているのだろう。
時間を60倍速に設定し、昼間から翌日の朝焼けまでを20分間で再現するようにして仲間たちを第六階層に呼んだ。
「えー、長いこと掛かりましたけど、第六階層の空の改修が終わりましたんで、お披露目します」
ブルー・プラネットの挨拶に、異形の仲間達が拍手した。
「まず設定は2130年の9月23日、新京都、正午。湿度は50%として、晴れの……」
そこまで言ったとき、仲間からブーイングが飛んだ。難しいことはいいから早く見せろ、と。
それではと、ブルー・プラネットはもったいぶって「星の王笏」を振り回した。真昼の太陽が西に移動して青空が夕焼けに変わり、やがて天頂から深い藍が広がっていき、星が一つ、また一つと現れた。
「おー、お見事! やるもんだなぁ!」
「あ……あれが一番星って言うヤツ? なーるほど、これが『金星』かぁ」
「きれいだねぇ」
「ぼく、こんなの見るのは初めてだよ!」
「ほほぉ、すごいっすねえ……」
仲間たちが口々に賞賛の声を上げるなか、第六階層の空は回転を続けた。
地平に残っていた青も消え、深まる闇の中を月と星明りだけが皆を照らしていた。
「すごいけど、ちょっと怖い」
メンバーの口数が少なくなり、誰かが呟いた。
「怖いけど、なんだか懐かしい……」
誰かが静かに言い、そして、誰ももう口を開かなかった。しばらくの間、皆が言葉もなく空を見上げていた。
夜空は回転を続け、やがて朝が来た。地平に赤みが差し、青白い染みが広がっていったかと思うと、まばゆい光が走り、太陽が姿を現した。
ほぅっと誰かが息を吐き、時間停止が解けたかのように皆が動き出した。
「いやぁ、良いもの見せていただきました」
――いつも正論を押し付ける聖騎士が神妙に頭を下げた。
「ほんと、感激ですよ!」
――いつもニヒルを気取っている大妖術師も子供のように声を弾ませていた。
「ほんっとうに素敵でした……」
――いつの間にか、ブルー・プラネットの横でピンク色の塊がプルプル震え高音を発していた。
だが、今は空を眺める仲間もいない。
物音一つしないこの空間に瞬く星の光がさらにブルー・プラネットの孤独を深める。
そうだ、この重さだ――ブルー・プラネットは夜空に向けていた目を伏せる。
仲間と一緒にゲームを楽しんでいたときも、ふと一人で第六階層を訪れて夜空を見上げることがあった。そんなとき、青白く光る月はブルー・プラネットを咎めているように、瞬く星々はブルー・プラネットを嘲笑っているように感じられたのだ。
『世界の終わりに、お前は何をしているんだ?』
それは自問だった。現実の世界では月も星も姿を隠し、地上からは動植物の姿が消えている。世界を汚し尽した人類の一人であり、紛い物の世界を創造して星空を眺めている俺は何者なんだ――そんな疑問だった。
そして、ブルー・プラネットは、広川毅志は、その問いから目を背けた。
「もう来ないと思います」
居室に残してあるアイテムの処分をギルド長のモモンガに一任し、別れを惜しむ仲間たちの声を背に、消え入るような声で宣言してブルー・プラネットはログアウトした。
帰還した現実世界の自室で広川は静かにプラグを外し、椅子に座って俯いたままでいた。
あの問いに対する答えは未だに無い――再び夜空に会いに来た自分は愚かだと思う。
地上では仲間たち、そして他のプレイヤーも一緒に最後のバカ騒ぎをしているのだろう。
世界の終わりを忘れるために偽りの世界を創り出し、そしてその偽りの世界が終わる瞬間まで空虚な宴を続ける愚物たち……だが、自分も彼らと違いは無い。
心血を注いで作り上げたこの空も、所詮は紛い物だ。現実を忘れるために用意された蜜だ。そして、それは現実の世界の終わりを待たず、今日、消え去る。
くだらないことだ……それは分かっていたはずだが。
ブルー・プラネットは座っていた闘技場の角から飛び降り、そして上昇して天井の近くで止まる。そこには不可視の壁があり、アイテムを操作しない限りエフェクトに触ることはできない。
枝を伸ばして不可視の壁越しに星々を撫でる。
すまなかった、と心の中で謝りながら。
人類は努力したのだ。汚染を減らすため、あるいは取り除くために新技術を開発しようとした。
だが、結局、そのような「
ユグドラシルという世界が終わりこの夜空が消え去った後も、現実の世界では滅びへと続く日常が待っている――ブルー・プラネットは長い溜息をつく。あとわずかな時間でこの星々とも別れを告げなければならない。いや、星々が我々に別れを告げるのか、と思いながら。
ブループラネットは時計を見る。
――23:59:37。
ブルー・プラネットは不可視の壁に顔をくっつけ、せめて心の中に残そうと瞬きもせずに星を見つめる。
あと数秒でサービス終了の時間だ。サービス終了はどんな形で訪れるのだろうか?
過去の回線トラブルで突然接続が切れてしまった時のことを思い出す。あの時のように目の前の景色が歪んで消え、現実世界に引き戻されるのは気分が良いものではない。特に、この夜空の星々が目の前で消え去るのは。
星に背を向けて目を伏せる。腕時計に目を落とし、心の中でカウントする。
10、9、8、7……
もうじきだ。
4、3、2、1……ゼロ……あれ?
ブルー・プラネットは戸惑う。ヘッドセットに視界が切り替わらない。霧でぼやけて見間違えたかと思ったが、見直しても時計が示す数字は予定時刻を過ぎている。
00:00:02
00:00:03
00:00:04
……
あわてて後ろを振り返る。
星空は依然として目の前に広がっている。相変わらずブルー・プラネットを嘲笑うように。周囲の風景も変わっていない。月は青白い光を放っている。眼下の森は月明かりに照らされ、樹々の黒い影が風に揺れている。
「え?」
ブルー・プラネットは間抜けな声を上げ、困惑して再び腕時計に目を遣る――00:00:12だ。
間違いない。予定時刻を過ぎている。ユグドラシル標準時に同期している時計が狂っているはずもない。
ふむ――ブルー・プラネットは首を捻って考える。
確かにサービス終了は0時丁度とアナウンスされていた。しかし、それは飽くまでユーザー向けの予定だ。業務終了時刻になっても残務整理によって時間が延びることはよくある。
放っておいても、10分もすれば警告が流れるだろう。「まだログアウトされていないプレイヤーは速やかに――」と。
ブルー・プラネットはログアウトしようと試みる。自分の意志でこの夜空から去るのは不本意だが――そう思って自嘲する。不可抗力を言い訳にして逃げようとした卑怯者め、と。
だが、ログアウト操作のコンソールが出てこない。システムが働いていないのだろう。
では、未だにこの仮想空間が続いているのは何故だ?
ユーザー側の操作はすでに遮断されているが、サーバーからの感覚情報は続いている。
これこそ不可抗力だ――そう考えて、ユグドラシルの運営にログアウトを頼もうと連絡をする。
繋がらない。
問い合わせも出来なくなっているのかとブルー・プラネットは推理する。そして、強制的に排除されるのを待つことにする。自分で出来ることは無いのだから。
――しばらく待ってもアナウンスが無い。強制的な排除も起きない。処理に手間取っているのか。
北欧神話を基とするユグドラシルには九つの世界があるとされ、各々の世界を管理するサーバー群は異なっている。それらを一度に落とすとなると大変だから、順々にユグドラシルの世界が消えていくのかもしれない。上の世界から順に落としていくとなると、このヘルヘイムは最後の方になるのだろう――ブルー・プラネットはそう考えて納得する。
終了処理によって世界はどうなるのだろうか? 再度疑問が沸き上がる。
世界ごと一度に消えるのか、あるいは、1つの世界の中でも徐々に消えていくのだろうか?
空の端、地平線の向こうから世界が無に帰していく……あるいは虫食い状に崩壊していくのか?
ブルー・プラネットは興味を惹かれ、外の様子を見てみようと思い立つ。
そして、もう一度だけ恐々と星々を見つめ、まだ消えていないことを確認すると目を逸らし、そのまま地表部に転移する。
◇◇◇◇◇◇◇◇
指輪で転移したナザリック地下大墳墓の地表部――転移できる最上層部――は、正確に言えば地上の霊廟と地下第一階層とを結ぶ階段である。第一階層への通路が扉でふさがれているために「地表部」として認識されているが、霊廟に出るまでには階段を上る必要がある。
ブルー・プラネットは、階段の上を霧となって漂い、霊廟へと移動する。
辿り着いた地表の霊廟は崩れかけた神殿のような構造をしている。床には死体を安置する台が点在し、天井には複雑に入り組んだ稜が巡らされている。半実体の霧となったブルー・プラネットにはそれらをすり抜けることが可能であり、頭をぶつける心配はない。それでも、目の前に構造物が迫るのはあまり気分が良いものではなく、格子戸を抜けたときのように「えいやっ」という気合が必要だ。
障害物に当たらないように天井近くの中空を白い霧の塊となってフワフワと漂いながら、ブルー・プラネットは霊廟の正面入り口に向かう。その入り口からは明るい光が差し込んでおり、その外には――存在するはずの毒の沼地ではなく、空から降る柔らかな光に照らされた夜の草原が広がっている。
「なんやこれ!」
ブルー・プラネットは思わず叫ぶ。急いで霊廟を出ると地上に降り、実体化して草を触ってみる。ごく普通の草――種類は分からないが、現実世界で育てている植物と同質のものだ。
「ユグドラシルの地表テクスチャと違う……」
これが通過時にダメージを与える鋭い棘を生やした草であったら納得できないこともない。しかし、ユグドラシルでは何ら特別な効果を持たない普通の草は「ただの草」としてその外見は簡略化されている。それは単に緑色の薄い板状突起であり、その上を移動するとカサカサと音を立てるように設定されただけの存在だ。特殊な効果――ゲーム進行において個としての意味をもつ存在だけが細かなテクスチャをもつ。
今目の前に存在するのはユグドラシルの地表では見たことの無い実写的な植物であり、それでいて触ってみても何ら特殊効果は感じられない。痛みも、体力回復の感覚もない。
何の効果もない草――それでいて複数の種類の植物が混在する群落であり、同種とみられる草の中でも成長の度合いには差があり、背の高いもの、低いものがランダムに混じっている。そんな複雑なテクスチャは――
「あり……えない……」
ブルー・プラネットは呻き、地面を撫で、草を引き抜いて、手に取って調べる。ブチブチと音を立てて引き千切られた草が何か小さく悲鳴を上げたように感じて一瞬躊躇したが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。
この草はただのテクスチャとも違う。手に取ることが出来るアイテムだが、何の効果もないアイテムを地面に点在させるなど考えられない。誰かがハズレガチャをぶちまけたのかとも思ったが、「ただの草」――そんなアイテムがこんな作りこみであるはずがない。何より、そんなアイテムが毟って引き千切ることも可能な破壊対象となるなど――
「カツラじゃあるまいし」
草の塊を引き抜いて、頭の上に乗せてみる。土の塊がボロボロとブルー・プラネットの顔を撫でながら落ちる。頭部にフィット感は無い。やはりカツラではない。
周囲の草を手当たり次第に毟りながら、ブルー・プラネットの脳裏には無数の疑問が浮かぶ。
引退後にユグドラシルがアップデートされ、これほどリアルな地表が再現されていたのか?
いや、それは考えにくい。一目で豊かな生態系が形成されていると分かるこれほどの地表を再現するには、それ相応の生態学者の協力が必要だったであろう。そんなプロジェクトがあったなら、たとえ他の研究所でも噂が届いているはずだ。そもそも、あの運営がそこまで気を使うとは思えない。
では、プレイヤーの誰か――自分の様に生態系に詳しい者がここまで作りこんだのだろうか?
いや、ここは霊廟の外――拠点外のはずだ。拠点外のフィールド・テクスチャを改変できるはずがない。改変できるのは、あくまでギルドとして確保された拠点の領域内だけだ。
では、別なギルドの――町や公園のような開放型の領域と重なり合っていたのか?
いや、他のギルドの目の前で開放型の領域をもつギルドを展開することも考えられない。特に悪名高いアインズ・ウール・ゴウンの目の前に開放型の領域を展開する命知らずなギルドが存在するとは考えにくい。
では、何らかのバグで座標が狂い、他所のギルドの作り込んだ地表テクスチャが飛んできたのか?
……これが一番可能性が高い。今までにも座標のバグでいきなり洞窟が空に出現した等の報告がある。そんなバグはアップデート時に多く、特に今日はサービス終了作業でサーバーも弄られているはずであり、エラーが多発しても不思議ではない。
一応の納得をして、ブルー・プラネットは引き千切った草をよく見ようと顔を近づける。
どこの誰が作ったのか知らないが、本当に良く出来ている――そう感心して。
草に顔を近づけると、青臭さが鼻をつく。草の香りだ。
ユグドラシルでは匂いまでは再現していないはずだ――困惑してブルプラは空を仰ぐ。
「あ……月……?」
頭に乗せた草の塊がずり落ちる。見上げた空には薄い雲がかかっており、そのベールは月明りでの淡く輝いている。周囲を見ると、遥か遠くに山脈が伸びており、その上に満月に近い月が雲の向こうから滲むような青白い光を放っている。
「ヘルヘイムから別のワールドに移されたのか?」
ナザリック地下大墳墓が位置していたヘルヘイムは厚い雲に覆われた闇の世界だ。光源として月が出ているのはもっと上のワールド――例えばアルフヘイムのような――に限られる。
ブルー・プラネットは一瞬戸惑ったが、これでサーバーのバグ、おそらくはサービス終了の手順にともなう混乱が起きているという仮説が説得力を増すと考えて頷く。
草の臭いは相変わらず原因不明だが。
一体どこのワールドに飛ばされたのか――ブルー・プラネットは周囲を見渡し、再び体を霧と化して空へ舞い上がる。地形を確認するため高度を上げ、雲を抜ける。
そしてブルー・プラネットは硬直する。見てしまったのだ。魂を奪う光景を。
昔、希少な植物を採取するために初めて海外に派遣されたときに飛行機の窓から見た夜空――厚く漂う汚染物質の雲海を抜けると、その上には澄み切った藍色が広がり、白い月が素知らぬ顔で気高く煌々と輝いていた。雲を抜けてきた下界の者なぞ知らぬとでも言うように。そして、女王たる月を取り巻くように輝く可憐な無数の星々……
広川は飛行機の小さな窓に顔をつけ、食い入るように月を見つめた。あの景色――本物の夜空――を思い浮かべながら第六階層に星空を作り上げたのだが……視界を妨げる窓がない今、あの記憶を上回る光景が直接、目の前に広がっている。
ブルー・プラネットの足元には、ゆっくりと波打つ薄雲が遥か遠くまで広がり、月光に染められて淡い銀色に輝いている。その上には藍色の硬質な空間に星々が小さな穴から漏れるように光を散らしている。そして、月が――見たこともない大きな月が清浄な白い光で全てを照らしている。
ブルー・プラネットは圧倒される。この銀の絨毯で敷き詰められた玉座の間、あるいは神殿のような――神聖な空間を声で汚すことはできず、息も潜めてただ呆然と月を眺める。
やがて月に向かってゆっくりとブルー・プラネットの腕が伸ばされ、その視界で枝の先端が月と重なる。霧となった体で散乱されて月光が枝の輪郭を伝い、白く細く光らせる。枝を覆う若葉の縁が濡れたように煌き、ブルー・プラネットは月の光が白銀の流れとなって自分に向かう幻をみる。
澄んだ大気と巨大な月が距離感を失わせる。この仮の肉体が月の光に溶けていく錯覚に誘われ、ブルー・プラネットは月に向かって吸い寄せられるように飛行する。
もっと速く、もっと高く……
言葉にはならない。しかし、その意識に反応して魔力が消費され、ブルー・プラネットの霧の身体は加速し、銃弾のように大気を切り裂いて飛行する。しかし、どれほど飛んでも月は動かない。近づけない。ただ遥か下で雲の絨毯だけが揺らめいて後方へと流れていく。
ブルー・プラネットの魔力が更に費やされ、速度はさらに増す。
平野を、山脈を飛び越えてブルー・プラネットはひたすらに飛ぶ。
やがて、ブルー・プラネットの魔力が尽きる。
急に意識が霞み、激しい眩暈とともに脳が締め付けられるような不快感が押し寄せ、ブルー・プラネットは自我を取り戻す。そして気付く――実体化しつつある身体を切り裂くような低温ダメージに。何キロ上昇したのか――高度が上がりすぎたため、周囲の気温が危険なほどに低下しているのだ。
「<
反射的に、寒さに対抗するための魔法を叫ぶ。
それが限界だった。最後の魔力が絞りつくされ、維持できなくなった霧の体が完全に実体化する。突如として重力を感じたブルー・プラネットは空中で体勢を崩し、身を守るように体を丸める。体を覆う葉がバタバタと風で煽られ悲鳴を上げる。そして、そのまま意識を失い、ブルー・プラネットは地表に広がる黒い染みのような森にゆっくりと、吸い込まれるように落ちていく。
はるか遠く、ナザリック地下大墳墓の奥深くでモモンガが仲間に呼びかけた
そのころ、第六階層。
アウラ 「あれー? さっきまで至高の御方がいらっしゃったような気配があったんだけどなー? あっ、モモンガ様だ……とうっ!!」
そのころ第十階層~
セバス 「ふう……地上は遠いですね」
捏造設定:空の透明度など
どうでもいい捏造設定
「カツラ」……ユグドラシルの外装を弄るための簡便なアイテム。物理・魔法の両方によって破壊が可能。<上位道具破壊>によって破壊すると、一瞬、キャラクター本来の髪の毛まで消える。その瞬間を狙って写真を撮る専門クランも存在した。