七十七話 夢・2
今日もまた、子供の頃の夢を見た。
それも俺が麻雀を始めたきっかけの夢、俺は幼い頃の自分を第三者視点で眺めている。
親父が親戚達の集まりで談笑しながら麻雀を打っているその膝に座って子供の頃の俺は卓上を眺めていた。
運と技術、和了るべき人が和了り、その権利を四人で奪うその様子に酷く魅了された事を思い出した。
萬子・索子・筒子・字牌の四種類の牌しか無いのに毎回毎回形が変わり、作る手役もコロコロ変わるゲーム。
トランプやテレビゲームでは味わえない興奮と奥深さ、流石はメジャーなゲームだとその時初めて理解した。
そして一荘戦を丸々観戦していた俺は放銃続きの親父が笑いながら次戦を開始した事に納得が行かなかった。
勝負事だ、負ける事に屈辱を覚える事は有っても笑っていられる事が理解出来なかった。
手積みの麻雀、自分の山は自分で積む以上細工し放題なのに勝つ事に拘りが無いかのごとく誰もそれをしていなかった。
『どうして和了牌を自分の山に積んでおかないの?』と聞いてしまうほど、俺はそれが不思議で仕方なかった。
親父達には大笑いされたが、それが勝つ事への拘りに繋がったのだろう。
毎日イカサマの練習をして、見かねた親父に麻雀牌を隠されてからは勝つ為にどうやって牌を操作するのかを考えて、そんな日々を送っていた矢先に先生に出会った。
強さの究極、流れ、技術、イカサマのあらゆる全てが一流と言う言葉では収まりきらない強さ、子供相手に理不尽な強さを見せ付けたあの人に、俺は憧れたのがよく分かる。
見からの巻き返し、調子良く打っていた相手がその実手のひらの上だったりと、イカサマにしか目が行って居なかった俺に強さを教えてくれたのだ。
口では理不尽だなんだと喚いているが、その目はキラキラと強い憧れと楽しさが入り混じった物だった。
……勝つ事にしか目が行っていなかった、勝つ事だけを求めなければあの人達に手が届かないと思っていた。
次に会ったのは先生二号、孤高の雀士であるあの人からは麻雀に対する姿勢を見せて貰った。
哭きの閃光は人を魅了するような芸術的な物、それだけですら鳴き麻雀の究極と言えるのに、彼の麻雀に対する姿勢が幼い俺にはあまりにも鮮烈過ぎた。
『麻雀に
一号とはまた違った強さ、自分の実力のみを信じて勝ち続ける姿は悲しくも美しかった。
最後に鷲巣さん、あの人は俺の人生の分岐点で大きな影響を与えていた。
ハンギング
和了する事が必然付けられた力技の麻雀、立直すれば一発、槓をすればドラが乗る、どれだけ安目であっても満貫が最低ライン。
豪運だけでなく、彼のカリスマ性に飲み込まれ、そしてそこである事に気が付いた。
それはある日の対局時、鷲巣さんが『役満は何時アガっても気持ちが良いのぉ』とと言って満足気な笑顔で役満を和了していたことだ。
思えば三人ともそれぞれ別の形ではあるけれど、麻雀を楽しんでいた。
自分よりも格下の相手であるにも関わらずだ、その秘訣が今漸く分かった。
–––––彼等は勝負だけじゃなく、麻雀そのものも楽しんでいたのだ。
俺が熱を失う筈だわ、最も重要な事を見落としてたんだから。
勝負事が楽しめなくなっていたのはそもそも麻雀を作業化していたからだ、いくら自分が成長しようとも関係無い、麻雀と言うゲームに熱を上げていた事を忘れなければ死んでも楽しめる筈なんだ。
その事に気がついた瞬間、目が覚めた。
自分の中に穴が空いた様な空虚な気分は微塵もなかった、寧ろ清々しさで一刻も早く麻雀を打ちたい様な気持ちだった。
時計を見ればまだ朝四時、早く起きすぎたけど下の階に向かったら先生一号二号がタバコ吸って暇を潰してた。
…………意外に早起きなんだね。
そんなツッコミを心の中で入れつつみんなが起きるまでの間三麻で対局する事になった。
結果は惨敗だったけど、悔しさよりも次こそは勝つと言う闘志が溢れ出して来るのが実感出来た。
そして、合宿最終日が始まるのだった。
うだうだするよりサクッと覚醒、次回三対一のドリームマッチ(白目
面子はお察し。
対局の順位は京太郎以外が均等に一位を取る形になりますねー(震え声