学戦都市アスタリスク【六花に浮かぶ月と幻想】   作:観月(旧はくろ〜)

27 / 33
前回の話からおよそ1年、大変お待たせいたしました……。書きたいことの大筋は立っているんですが、こういった合間合間の小話となると書きなれていないせいで、こんなにお時間がかかってしまいました(という言い訳)。

1年経っても、未だにコロナの猛威が収まらないなかですが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。





第二十六話〜五十鈴の姉妹、其の弐〜

「――お覚悟を」

 

そう呟き、桐花は闇へ溶けるようにして間合いを詰める。聖夜からは、その姿が揺らめいて見えた。

 

――彼がそう感じた瞬間には、桐花はもう間合いに居た。

 

(巧い……!)

 

左側面から逆袈裟に飛んでくる鋭い銀閃を、聖夜の呪符から展開された小さな結界が防ぐ。牽制のつもりだったのか、その一撃は彼の想像よりも軽かった。結界特有の、しゃりいん、という小気味良い音と共に、桐花の刃が弾かれる。

 

防がれたことを確認するや否や、桐花は間髪入れず聖夜の背後に回り、小太刀を順手に持ち換えて連撃に入った。そうはさせじと聖夜も身体を半回転させ、今度は剣で迎撃にかかる。

 

 

――しかし。

 

(やっぱやり辛いな……ったく!)

 

桐花の剣戟に対して剣を振るっても、その度に視覚情報から得た小太刀の軌道予想からズレが生じ、きちんと狙った所で捉えられないのだ。剣の先端や根本に近いところでかち合えば力のバランスが崩れるし、それが予想もしていないものならば当然、次の行動にすら支障が出る。戦略面でもそうだが、何より精神面での負担が辛い。思うように動けないというのはそれだけで焦りをもたらし、徐々にペースを蝕まれていく。

 

それが幻術だ。大規模でも派手でも無いが、相手を追い詰めるのにはこの上なく適している、相手にするとかなり厄介な術。

 

しかし、対策が無いわけではない。

 

(なら、これで……)

 

何度も外れた場所に打ち込まれて手が痺れるのも構わず、力任せに桐花を弾き飛ばし、呪符を構える。とりあえず誤魔化せればと、選ぶのは水の術式。水の系統は瞬間火力に優れており、咄嗟に相手の流れを崩す必要があるような展開では特に優れた効果を発揮する。

 

だが、術式を発動しようとしたその時、聖夜は嫌な気配に気付いた。その感覚に従い素早く周囲に目を走らせると、彼にとっては既視感のある物体が、使い手と同じように揺らめきながら次々と迫ってきていて。

 

(……やっべ、忘れてた)

 

彼女の幻術に気を取られて、いつの間にか札が放たれていたことに気付かなかった。迎撃しなければと剣を構え直そうとして、しかしふと思い留まる。

 

(いや、下手な対応じゃペースは取り戻せないな。ちょっと工夫してみるか)

 

ここで術を中断し迎撃したところで流れは変わらない。そう結論づけて、聖夜は予定通り術式の発動に取り掛かった。

 

とはいえ、聖夜の術式発動速度は能力者基準で見れば遅い方だ。当然、術式の完成より先に、桐花の放った札達が彼を襲い、次々に爆発する。

 

「っ――!」

 

爆風で土煙が立ち込めるなか、桐花は怪訝な表情を浮かべた。

 

(回避すらしないなんて……これはもうこっちのものでしょ)

 

あくまでサブウェポンだとしても、桐花の札は牽制目的に留まるような威力では決してない。それを何発もまともに食らったのだから、それなりのダメージになっているはずだし、次の行動も遅れるはずだ。

 

煙が晴れる前に桐花は再び距離を詰める。ここで畳み掛ければ早々にこちらが勝てると、そう判断しての行動だった。

 

そのため、煙の向こうから数体の人形(ひとがた)が飛び出してきても、彼女は咄嗟に反応出来なかった。

 

(嘘っ!?)

 

札が命中してすぐに距離を詰めた。反撃に使える時間は与えていないはず。なのに、何故。

 

考える間もなく、彼女の目の前に水の球体が生まれ、弾けた。その凄まじい威力に、防御姿勢を取ってなお吹き飛ばされた桐花は、地面を転がる前に受け身を取ってなんとか体制を立て直す。

 

 

――その視線の先、薄まっていく土煙の向こうでは、聖夜がところどころ汚れのついた制服を手で払っていた。

 

「思ったより強かったな……結界張ったのは正解だったか」

 

見たところ、制服以外に目立ったダメージは無いようだった。一方、桐花の方も、大きく距離を取られこそしたものの、戦闘に影響するようなダメージは負っていない。仕切り直しだ。

 

再び小太刀を構える桐花に対して、聖夜は構えもせず自然体のまま立っていた。しかしそこに隙はなく、得体のしれない圧すら感じられる。場違いなほど落ち着き払った聖夜を前に、桐花はなかなか動けなかった。

 

(……っ、もう一度)

 

そのプレッシャーを抑え、彼女は札を放ちつつ、同時に再度間合いに飛び込む。先程は上手く主導権を握ることができたのだ、幻術を使えば再び優位に立てるはず。

 

だが、突っ込んでくる桐花を前にして、聖夜は何故か目を閉じるという奇行に打って出た。

 

(はっ、)

 

これには桐花も驚きを隠せなかった。視覚情報を幻術で誤魔化されてしまうなら、そもそも見なければ良いとでも考えたのだろうか。しかし、それにしたって。

 

(無茶が過ぎるんじゃないの……!)

 

そんなことでどうにかなるようなら、幻術はこの時代まで残っていない。目を閉じた場合は当然、気配だけで敵を捉えなければならなくなるが、言うは易く、しかしそれを実際に行うのは、たとえ幻術下でなくとも難しい。加えて、幻術が使いこなせるような者は気配の消し方も熟知している場合が多く、そもそも捉えることへの難易度自体が高い。正直に言って、聖夜のそれはほとんど意味の無い行動だ。

 

札がすべて斬り伏せられ、そして振り抜いた刃が迎撃されるまで、桐花は本気でそう思っていた。聖夜の口元が笑みの形に歪む。

 

(なあっ……どうして!?)

 

「――『光月(みつづき)』!」

 

空に浮かぶ月のような円弧を描く反撃の刃。それをなんとか躱しながらも、桐花の表情は隠しきれない驚愕に染まっていた。まさか、相対しているこの少年は、桐花が遠く及ばないほどの実力者だというのか。幻術すら一度の攻防で攻略できてしまう、規格外の人間だというのか。

 

ともかく、今の状況はよろしくない。一度幻術を破り、相手の存在を既に捉えている者に対しては、新たに幻術を行使しても大した効果を示さない。

 

躱した勢いのまま、大きく跳んで距離を取る。追撃がこないのを訝しく思いながらも、桐花はそのまま状況の把握につとめた。

 

(確かにとんでもない実力者なのかもしれない……けど、何か絡繰があると考える方が自然よね)

 

聖夜がなんらかの術式を発動していないか、その痕跡を探る。もっとも、正直なところ、桐花には古式の術式以外を上手く見分けられる自信がなかったが、幸いな事に()()はすぐに見つけられた。

 

「まさか……結界?」

 

それも防御に使うような、通常考えられるタイプの結界ではない。三重に張り巡らされたそれは、恐らく、境界を踏み越えた者の存在を術者に伝えるもの。そういった種類のものがあると、桐花はどこかで耳にしたことがある。

 

彼女が深く考えるより先に、聖夜がおもむろに目を開けて答えを話し始めた。

 

「お見事。君の言う通り、俺の周囲には結界がいくつか展開されている。これをセンサー代わりにすることで、幻術を使用している者も捉えることができるんだ」

「なるほど……」

 

「――勉強になります」

 

すると、今まで無言で見守っていた玲音がそう呟いた。言ったかいがありました、と聖夜も玲音に笑いかける。

 

そして、桐花もまた納得していた。幻術とは術者の見え方や音の出処を欺く術であり、相手の精神に大きく干渉するものではない上、術者の存在そのものを消すわけでもない。生物の感覚は誤魔化せても、それ以外の手段で存在を捉えることができる者を欺くことはできないのだ。

 

「しかし……幻術だけではなく、忍びとしての速さもまた桐花の武器。結界で幻術を突破しようとも、目を閉じた状態で迎撃すること自体が至難の技だと感じますが、どうなのでしょう」

 

思案する桐花の代わりに問うた玲音に、聖夜は少し考える素振りを見せて。

 

「正直、そのあたりは慣れですね。多数の攻撃を同時に捌かなければいけない状況や、搦手を使う実力者を相手にする状況が何度かあれば、その度に自分の中で洗練されていくものなので」

 

何度か、などと控えめに言ってはいるが、慣れが確立するということはそれだけの経験を積んでいるという事実に他ならない。まだ高等部の学生だというのに、一体どれほどの実力を隠し持っているのか。

 

 

――少なくとも自分に勝ち目があるとは思えなくなった桐花は、札を構えていた手を静かに降ろし、そして小太刀をゆっくりと鞘へ収めた。

 

そして、それを見た聖夜も、どこか疲れたような微笑みを浮かべながら剣を呪符の束に戻して、桐花に言った。

 

「……ん、それじゃ終わりにしようか。一応、認めてもらえたってことでいいのかな?」

「まあ、はい。私じゃ勝てないと思いましたし……」

 

相変わらずぶっきらぼうだが、しかしどこか気まずそうに答える桐花。その様子の変化に玲音は訝しげな視線を向けたが、姉がそれを問う前に、妹は自ら答えを口にした。

 

「あと……すみませんでした。散々、生意気言っちゃって」

 

元々、桐花は聖夜の実力を疑い、しかもそれを直接言動に表していた。しかし、いざ蓋を開けてみれば、自分よりも圧倒的に強いのでないかという別の疑いが生まれるほどで、とてもではないが実力が無いとは言えないレベルだった。

 

そうくれば、桐花が気まずさを感じるのも仕方ないことだと言えよう。初対面の上級生にいきなり失礼なことを言ったのだから、謝りたくもなる。

 

しかし、聖夜は困ったような顔で言った。

 

「気にしなくていいよ、本当に。生意気だったなんて全然思ってないから」

 

それに、と聖夜は口を開きかけた桐花を視線で制し、続ける。

 

「勝てるかと言われれば、それも結構怪しかったわけで。――幻術にしろ呪符にしろ、幸いにも同じような戦法とやり合った経験があったからこそ凌げたけど、それだってただの小細工だったんだし」

 

これは紛れもない本音だった。かつて妖狐や巫女と戦ったという経験、そして何より弾幕ごっこというバックボーンがなければ、結界を利用した対策など思いつく事もなく、飛来する札に流れを乱された挙句、今回の手合わせは聖夜が押し切られて終わっていただろう。

 

「それに、あの小細工もそう長くは続けられなかった。あの一回だけでもだいぶ疲れていたし、もし仕切り直されていたら遠からず限界がきていたよ」

 

目を閉じた状態での迎撃など、並の集中力でこなせるものではない。ましてや結界を展開しながらのやり取りで、脳への負担も馬鹿にならない状態だった。

 

だから、どこかで一旦引いてもらえればと。

 

「俺が札の直撃をどうにか防いだ時、少し焦っていたように見えたから。もしかしたらと思って、あえて余裕を演じさせてもらったんだ」

 

それを聞いて、桐花は酷く驚いた様子で呟いた。

 

「――もしかして、あの笑みも?」

「というと、札を打ち落としたときのやつかな? 確かに、あれも半分は演技だったと思う。……結界がきちんと効果を示した、っていうことに嬉しくなったのも事実だけど」

 

変な事しててごめんね、と申し訳なさそうに言う聖夜だったが、しかし桐花は内心で舌を巻いていた。

 

(簡単に言っているけど、戦闘に組み込めるほどの演技なんて……)

 

それはもはや精神攻撃だ。攻撃に対して余裕を見せることで相手の士気を低下させ、さらに上手くいけば、相手に効かないと判断させた攻撃を封じることもできる。それらが引き起こす戦闘中の影響は決して小さくない。

 

同じようなことを考えていたのだろう、玲音が尊敬の色を隠さずに言った。

 

「私もすっかり騙されてしまいました。そういった小技までこなせてこそ、真の実力者ということなんですね」

「いやー……私のは小手先の技ばっかりですから」

 

認められるほどの者じゃない、と暗に聖夜は言う。あくまで小細工、決定打になるようなものではないからと。

 

しかし、少なくとも彼女達はそう思わなかったらしい。

 

「そう卑下する必要はないんじゃないですか。私はその小技と演技にやられたんですけど」

 

桐花にとって、策に嵌っていいようにやられたことは事実だ。聖夜が何と言おうとそれは変わらない。もちろん、勝てないと感じたことも。

 

思いがけないその言葉にしばし呆気にとられる聖夜。しかし、やがてふっと表情を崩して。

 

「そっか。……それじゃあ、今回は一応俺の勝ちってことで。ごめんな、変に気を遣わせちゃって」

「……いえ、お気になさらず」

 

どこかやり難そうな表情で桐花はふいっ、と顔を逸らす。それを見て、玲音が微笑をたたえながら妹の側へと歩み寄った。

 

「聖夜様は不思議なお方ですね。勝利したというのに、驕りがまったく見られません」

「ええ……驕れるような闘いではありませんでしたから。それに、調子に乗ると後で必ず返ってきますし」

 

慢心はしない。大自然の中で生き残るためには、自信は適度に持ちつつも常に自分を下に見るくらいの方がちょうどいいのだと、彼は幾度とない狩りの中で学んだ。

 

「まあ……とても立派なお心構えですね。貴方様の強さの一端が垣間見えるようです」

 

しかし、玲音にはそれが立派なものに感じられたらしい。向けられる尊敬の眼差しに、聖夜は少しだけ決まり悪さを感じながら。

 

「ありがとうございます。心構えに実力が負けないよう精進しなければ」

「ふふっ、それ以上強くなられては、ますます私達が勝てなくなってしまいますね」

 

そんな聖夜の気まずさを察したのだろう、打って変わって冗談めかした様子で微笑んだ玲音は、聖夜へと両手を差し出した。

 

「こちら、お返し致します」

「ああ、ありがとうございます。何か問題は起こさなかったでしょうか?」

 

受け取りながら、彼は心配を滲ませつつ問う。預けていた物が物だけに、恐らく大丈夫であると分かっていても多少の懸念があった。

 

しかし、玲音は柔らかく首肯した。

 

「はい。純星煌式武装の中には使い手以外に触れられることすら嫌う物もあると言いますが、何も問題ありませんでした」

「それなら良かった……」

 

ほっと胸を撫で下ろした聖夜は、良い子にしてたんだな、と三つのコアをそれぞれ丁寧にホルダーへと戻す。そして、パーカーのポケットから懐中時計を取り出して。

 

(……よし、そんなに経ってないな)

 

自分達が邂逅してからさほど時間が過ぎていないことを確認した彼は、顔を上げて五十鈴姉妹へと向き直った。

 

「それで、本命のご用事はどういったものでしょう?」

 

先程の模擬戦で多少時間を使ったが、あれはあくまでその場の勢いで決まったもの。彼女達の用は別にあるはずだ。

 

しかし、曖昧に微笑んだ玲音を見て、聖夜は自分の予想が正しいのかどうか自信が無くなってしまった。

 

「えーっと、まさか本当に模擬戦のためだったとか……?」

「ああ、いえ、そういうわけではないのですが……」

 

しばし、逡巡の間があって。

 

「……貴方様がアスタリスクにいらっしゃるということを知ったので、ご挨拶をしなければと思いました次第です」

 

それを聞いて、驚きのあまり聖夜は思わず聞き返してしまった。

 

「といいますと……もしかして、それだけの為にわざわざここまで?」

 

わざわざ暗号文を苦無に括りつけるなら、代わりに連絡先でも送ってくれればこちらからコンタクトを取るのに。

 

と、そう考えていた聖夜だったが、直後に自分の勘違いに気付く。

 

「――そうか、リスクを抑えるために」

「はい。家柄に関する事と言えど――いえ、だからこそ、下手に連絡を取れば学園側に目を付けられてしまいます」

 

考えてみればその通りだ。学園側からすれば、自分達のところの何か重要な情報が他校の生徒に漏れる可能性があるのだから、警戒するのは至極当前のことだと言える。

 

「情報が流れて困るのはどこも同じ……ましてや、貴方様が望むのならば、私達は本当にどんな情報でも流すつもりなのですから」

「そこまでしてもらえるとは……」

 

それほどまでに慕われているなら当主冥利に尽きるというものだが、確かに他学園所属の情報提供者は貴重だ。そして、それ故に、学園側は自校の生徒が他学園と交流することをあまり良く思わないということも理解できる。しかも今回の場合は表沙汰になるようなものではなく、密会に近いのだから尚更だ。

 

「……ですので、聖夜様には大変ご迷惑をおかけしてしまいますが、今後もこういった形でのやり取りになってしまうことをお許しくださいませ」

「いえ、お気になさらないでください。むしろ、そんな危ない橋を渡ってまでご挨拶にきてくれたことには感謝しかありません」

 

聖夜が素直にそう言うと、玲音は小さく笑った。しかし同時に、どこか居心地悪そうに彼女が身じろぎしたのが分かって、聖夜は自分が何か失礼なことをしてしまったかと不安になり、思わず尋ねてしまう。

 

「あーっと、何か不快になることをしてしまいましたでしょうか……?」

「えっ……あ、いえ、そういうことではありません!」

 

そんな彼の不安とは裏腹に、そう食い気味に答えた玲音は、「すみません」と一言謝って。

 

「あまりにも身勝手なことなのですが、その……貴方様が私に敬語を使われているということに、少々戸惑いがありまして」

「と、言いますと、敬語は使わない方がいいでしょうか。友達と話すときのような言葉遣いとか……?」

 

難しい話だ、と聖夜は悩む。玲音に対して敬語を使っているのは、ひとえに彼女が年上であり、敬意を払うべき相手であるからだ。一方、玲音は、主である聖夜が自分に敬語を使っているということに違和感を覚えている。

 

「いや、どうしたものかな。敬語を使わないのは少しばかり抵抗感が……」

「そう、ですよね……申し訳ありません、出過ぎた発言をお許しください」

「そんな、気になさらなくても……ってこういう言葉遣いがダメなのか」

 

互いに互いを敬っているゆえ、結論の見えないことで悩む二人。それを見かねて、今まで黙っていた桐花が口を開いた。

 

「――それなら、ひとつ演技をしてみるのはどうですか?」

「ん……演技?」

 

思わず聞き返した聖夜に対して、桐花は軽く頷き。

 

「戦闘にも役立てられるほどのあなたの演技力であれば、敬語でなくても違和感の無い状況を演じることができるんじゃないかと思ったんです。……例えば、近しい親戚だとすれば、互いにタメ口でも不思議ではありませんし、そこまで気を遣う相手でもありません」

「親戚、か。なるほど……」

 

それを聞いて何を考えたか、聖夜は思案する素振りを見せる。しかし、やがて思い付いたように顔を上げて、玲音はおろか桐花すら想像していなかった言葉を発した。

 

「――玲姉(れいねえ)

 

当然、虚を衝かれたように固まる二人。しかし流石は年長者というべきか、玲音がいち早く正気を取り戻して聖夜へと問う。

 

「えっと、聖夜様? その『れいねえ』というのは、私のことでしょうか……?」

 

すると、聖夜は申し訳なさそうに笑って。

 

「すみません、思い付いたものがつい口に出てしまって。俺がこんなこと言っても気持ち悪いだけですよね、忘れてください」

「あっ……いえ、決して嫌なわけではなく!」

 

自虐的な聖夜に、玲音は慌てて否定の言葉を口にした。『れいねえ』、それを聞いた瞬間に彼女の心を満たした感情はマイナスのものではなく、むしろ。

 

「演技とはいえ、そのように呼んで頂けるのですか……?」

「ええ、そっちがよければ。というより、そう呼ばせて欲しいな、って」

 

玲音にどこかきらきらした視線を向けられた聖夜は、そう言いながら気恥ずかしそうに頬を掻いて。

 

「知っての通り、私――いや、俺にはもう家族が居ないから、兄弟姉妹というものには憧れがあるんです。なので、演技云々というより、本心からそう呼ばせて欲しいというか……」

 

情けないことを言っているという自覚があるだけに、聖夜の言葉はどこか歯切れの悪いものだった。しかしながらそれは、紛れのない本音でもあって。

 

そして、玲音はそれを好意的に捉えた。ぱあっ、と彼女の顔に笑顔が咲く。

 

「ええ、是非に!」

 

玲音にとってはこの上ない幸せだった。憧れの存在である聖夜から、まさか顔合わせをしたその日にそんな親しく呼んでもらえるとは。

 

喜び故に、彼女は自分でも意識しないまま聖夜へと大きく近付き、彼の顔を煌めく瞳で見つめる。それは、傍から見ていた桐花をして「子どもみたい」と思わせるほどだった。

 

当然、聖夜はそんな玲音の行動にたじろぎつつ。

 

「えっと、本当にいいんですか?」

「はい、どうぞご遠慮なく!」

 

言って、彼女はさらに距離を詰める。二人の背丈がほとんど変わらないということもあってか、聖夜には玲音の息遣いすら聞こえてしまいそうなほどだった。

 

無論、聖夜とて一人の男子である。となれば当然、年上の美人が無防備に顔を近付けてくれば、自分の意思に関わらず反応してしまうものであって。

 

――つまり、聖夜は思わず視線を泳がせてしまい、それに気付いた玲音がはっとした様子で顔を赤らめた。

 

「あっ……す、すみません。つい」

「あ、いや……うん、気にしないで」

 

気恥ずかしさを誤魔化すように一つ息を吐いて、聖夜は一歩下がった玲音と改めて目を合わせる。

 

「――玲姉。それなら、俺のことももっと気軽に呼んでほしいな。敬語も無しで」

「へっ? えっと、ですが……」

「ダメかな?」

 

先程までとは打って変わり、多少ぎこちなさは残っているものの砕けた口調で話す聖夜に対して、明らかな戸惑いを見せる玲音。

 

しかし、聖夜にじっと見つめられては、彼女も心を決めざるを得なかった。一つ、深呼吸をして。

 

「――分かった、聖夜君。こんな感じでいい?」

「うん。ありがとう、玲姉」

 

笑いかける聖夜に、玲音も小さくはにかみ返す。その様子はあまりにも初々しく、今まで見たことのないような姉の姿を、桐花はどこか可笑しく思った。

 

「――あははっ」

 

零れ出た笑い声に、玲音が驚きながら振り向く。

 

「びっくりした……どうしたの?」

「いえ……お姉ちゃんがそんな顔するの、珍しいなって」

 

桐花が正直にそう答えると、玲音は途端に、かあっ、と顔を赤く染めた。

 

「そんな変な顔、してた……?」

「変な顔ってわけじゃないけど、珍しい顔ではあったんじゃない?」

 

少なくとも、妹である桐花が初めて見るような表情ではあった。ふえ、と情けない声をあげた玲音は、恐る恐るといった様子で聖夜にちらりと視線を向ける。

 

それを受けて、彼は微笑しながら言った。

 

「俺には普段の玲姉の顔は分からないけど、桐花ちゃんがそう言うくらいなんだし……どうやら貴重なものを見せてもらったみたいで」

「うぅ、忘れてください……」

「それはちょっと難しいかなー」

 

だいぶ慣れてきたという様子で、聖夜は軽くおどけてみせた。そして、そんな二人を見た桐花も思わず苦笑を浮かべつつ。

 

「……まあ、そんな感じで呼び合えるなら大丈夫なのでは? 人前でも、そう簡単には怪しまれないでしょう」

「そうだね。ありがとう、良い提案だった」

「いえ、お気になさらず」

 

返した言葉に、素っ気なさが幾分か和らいでいることに気が付いて、桐花は自分でも少しばかり驚いた。人見知りである自身にしては、ましてや最初はあまり好印象を持っていなかった異性相手にしては珍しいな、とどこか他人事のようにも感じながら。

 

「――あとは桐花ちゃんも、俺のことをもっと親しげに呼んでくれたら嬉しいんだけどなー」

 

ただ、その発言には桐花も動揺を隠せなかった。

 

「なっ……親しげにって、それはもしや、」

 

少し早口になった彼女の言わんとするところをいち早く察して、聖夜は慌てて言い直す。

 

「ああいや、いきなり砕けた呼び方をしろってことじゃなくてね。ただ敬語を止めるとか、そういった感じで……もちろん兄扱いされるのもそれはそれで大いにありというかむしろこっちから頼みたいくらいなんだけども」

「……何言ってるんですか?」

 

しらっとした桐花の視線に、聖夜は自分の欲望が漏れ出していたことに気付き、わざとらしく咳払いを一つ。

 

「こほん。――まあ、呼び方や話し方云々は強要するものじゃないし。好きなように呼んでくださいな」

「はあ……分かりました。では、私は月影さんと呼ばせていただきます」

「敬語はそのままかーそっかー」

 

冗談めかした言葉とは裏腹に、聖夜は見る者の心に安らぎを与えるような柔らかい笑みを浮かべた。それは桐花も例外ではなく。

 

(ふーん……何だろ、別に悪い人ではなさそうだし、実力もあるし、ちょっとは信用してみてもいいか)

 

とはいえ、それで急に態度を一変できるわけでもない。多少言葉の棘は取れただけでも上出来だ、と桐花は自分の中でそう結論づけて、玲音の方を向いた。

 

「――では姉上、そろそろお暇しましょうか」

 

妹に突然話を振られた玲音は、驚きの表情を浮かべながらも聖夜に確認を取ろうとする。

 

「えっ? ええ、構わないけど……聖夜様、」

 

しかし、玲音は彼の名前を呼びかけて、はっと口をつぐみ、ついで苦笑いを浮かべた。

 

「……聖夜君。私達はそろそろ戻ろうと思うんだけど、大丈夫?」

「ああ、もちろん。今日はわざわざありがとう、玲姉。それと桐花ちゃんも、こんな遅くまで付き合わせちゃってごめんね」

「――いえ、私こそご迷惑をおかけしました。それではまた」

 

わざわざ名前を言い直した玲音に、聖夜もちょっと苦笑して、姉妹にそれぞれ礼を述べる。そうして双方は踵を返し、深夜の邂逅はこれにてお開きとなった。

 

 

――はずだったのだが、「あっ」と聖夜が思い出したように振り向き、慌てて二人を呼び止める。

 

「ごめんごめん、一つ聞きたいことがあったんだった。二人は、クインヴェールの三峯あずささんって人のことを知ってたりする?」

 

突然呼び止められて、玲音は不思議そうな表情で振り返った。

 

「はい。知ってます、けど……コホン、どうして?」

 

どっちつかずになった言葉遣いを咳払いで誤魔化した玲音に、聖夜は再び苦笑して。

 

「実は、彼女が所属しているバンドに誘われてね。一応自分でも少し調べてみたんだけど、同じ学園の人なら詳しく知っているんじゃないかなって」

「『ジ・アエリナ』のメンバーにですか!?」

 

その言葉を聞いて強い反応を見せたのは桐花だった。それに聖夜は驚きつつも、もしやと思い彼女へと問う。

 

「桐花ちゃんは『ジ・アエリナ』のファンなの?」

「……ええ、まあ。そんなところです」

 

自分でも予想外の反応をしてしまったのだろう、少し頬を赤くしてそっぽを向く桐花に対して、聖夜は言い知れぬ可愛らしさを感じながらも、決してそれは表に出さぬようにして二人に問いかける。

 

「まあそんな感じで、ネットに流れている情報だけじゃなくて、できればもうちょっと繋がりのあるところからの情報も欲しいなと思った次第で。もちろん学年も違うだろうけど、どうだろう、もし良ければ少しでも教えてくれると助かるんだけど……」

 

そう言って聖夜が拝むようなポーズをすると、玲音は「んー」と考える素振りを見せた。

 

「喜んで……と言いたいところなんだけど、私も友人として知っていること以上はあまり分からなくて。必要なら調べてくるよ?」

 

その問いかけに、聖夜は微笑みながら(かぶり)を振った。

 

「いや、そこまではしてもらわなくて大丈夫。もとより、その人の人柄とかを軽く知りたかっただけなんだ。そういう意味では、友人視点というのはとてもありがたい」

 

正直に言ってしまえば、聖夜は少々不安に思っているのだ。メンバーにと誘われて、それを快諾したは良いものの、聖夜には誘われたあずさのこともそれ以外のメンバーのことも、調べれば誰もが分かる程度のことしか知らない。最低でも、リーダーであるあずさがどんな人なのか、といった事くらいは知っておきたい。

 

そう伝えると、玲音は一つ頷いて話し始めた。

 

「分かった。――あずさは、誰に対しても敬語で、丁寧な所作を崩さないのが特徴かな? 柔らかい物腰のまま、相手の心を開いてしまうの」

 

肯定するかのように隣で小さく頷く桐花に微笑みかけ、玲音は続ける。

 

「でも、ただ物腰が柔らかいだけじゃなくて、時折心配になってしまうような、影がさすような笑顔を浮かべることもあってね。落差とも違うけれど、それを見ると引き込まれるような感じがして、それもまた彼女の魅力の一つなのかな。音楽関係のことは――」

 

ちら、と玲音が視線を向けると、待ってましたとばかりに桐花が口を開いた。

 

「少しだけですが、私が話します。――歌っている時や楽器を弾いているときのあずささんは、曲調によって自分を自在に変えてしまえる人、だと感じます。まるで曲に入り込んでいるかのようで、それで聞いている側も曲の世界にのめり込んでしまう」

 

それから、と続けようとした桐花は、しかし聖夜のどこか納得したような表情に気付いて口を噤む。代わりに疑問の視線を向ければ、聖夜は「ごめん」と苦笑して。

 

「ちょっと知り合いのことを思い出してね。その子もとんだカリスマ性の持ち主だったから、あずささんもきっとそうなんだろうなって」

 

観衆を自分の世界に引き込んでしまう、と第三者に言わしめるほどのカリスマ性の持ち主などそうはいない。聖夜の知り合いにもアイドルやモデルなどが数名いるが、そのような影響を持っていると彼が感じたのは今までで一人、とある年下のアイドルをしている少女だけだった。

 

少しばかり、眩しく思う。聖夜も一人のバンドマンとして、観衆を多少なりとも惹き付ける何かが自分やメンバーにあると思っているが、それが決して曲の世界に引き込むまでにはいかないものであることも自覚している。努力だけでは中々届かない、高い壁の先にあるようなそれは、恐らく才能という名前のものであるのだろう。

 

「ちょっとだけ、羨ましいけど。でも、そんな凄い人と一緒に音楽ができるのは、この上なく光栄なことだ」

 

半ば自分に言い聞かせるようなその言葉に、桐花は聖夜の内にある想いを垣間見たような気がした。

 

(――この人も、羨ましいって感じることがあるんだ)

 

手合わせを経て、桐花は聖夜のことを『完璧に近い人』という勝手な判断を下していた。確かな強さと経験があるのだから、悩みなども少なく、また他人に対してもどうこう思うことなどないのだろう、と。

 

しかしそれは勘違いだった。少なくとも、先程の彼の言葉には確かな羨望と歓喜、そして多少の諦めが滲み出ていた。彼は、確かな実力者であるとしても、同時に人並みに葛藤もする一人の人間なのだ。そのことに気付いたから、桐花は言葉を発せなかった。

 

そんな沈黙をどう捉えたか、聖夜が取り繕うように言った。

 

「あっ、いや、今のに大した意味はなくて。ごめんごめん、話遮っちゃった」

「……大丈夫です、話したいことは話したので」

 

焦りを滲ませた早口でそう言う聖夜に対して、かける言葉を見つけられないまま、とりあえず桐花はそう言うしかなかった。

 

(大した意味はない、なんてきっと嘘……だけど)

 

今の発言を、姉はどう捉えたのだろうか。彼女が横に視線を向けると、玲音は困ったような微笑みこそ浮かべていたものの、口を開くことはしなかった。深く追求はしないと、そういうことなのだろうか。

 

桐花の視線に気付き、玲音は桐花へ向けて苦笑しながら聖夜に言った。

 

「じゃあ、私達はそろそろ帰らせてもらうね。今日は突然押しかけてごめんなさい」

「えっ、」

 

何も聞かないの、という言葉を桐花はすんでのところで飲み込む。玲音の言葉を聞いた聖夜が、微かに安心した表情を見せたからだ。

 

「いや……こっちこそ足止めしちゃってすまなかった。お礼に今度、食事にでもお誘いしたいから、二人の連絡先を教えてもらってもいいかな?」

 

それを聞くと、玲音は手際よく端末を取り出し、自分の連絡先を表示させた。下手に通信を利用すると傍受されるリスクがあるため、提示している玲音の端末も打ち込んでいる聖夜の端末もオフライン状態だ。

 

「桐花、貴女のも見せていい?」

 

何故、どうして、という思考に耽りながら、ぼんやりと聖夜の手早いタイピングを見ていた桐花だったが、姉の問いかけに彼女は思考の海から浮上する。どうやら彼は私達の連絡先を知りたがっているらしい、と遅まきながら判断して、彼女は小さく頷いた。

 

「ありがとう。……はい。聖夜君、これが桐花のアドレスと番号です」

「了解。ありがとね、桐花ちゃん」

「……いえ、大丈夫です」

 

連絡先を知られることに不都合はない。一連のやり取りを通して、姉の手伝い程度なら、と思うくらいには桐花も聖夜のことを信頼している。それ故の、連絡先提示の許可だった。

 

「オッケー、打ち終わった。――それじゃあ、俺の連絡先も渡しておくね」

 

桐花の連絡先も素早く打ち終えて、聖夜はズボンのポケットから一枚の小さな紙を取り出し、それを玲音に渡した。

 

「戻ったら、時間がある時に入力しといてくれると助かります。その後は適当に処分しちゃって大丈夫だから」

 

連絡先を書いた紙を用意していたということは、もとより聖夜もそのつもりで来たのだろう。それをまるで宝物を扱うかのように大切そうに受け取って、玲音は自分のポケットに仕舞った。

 

「はい……確かに。丁重に扱わせて頂きますね」

「よろしくね。それと玲姉、口調戻ってるぞー」

 

おどけたように言う聖夜に、玲音はさっと顔を赤らめて誤魔化し笑いを浮かべた。

 

「あっ……ごめんなさい、つい」

「まあ、慣れるまではね。俺も頑張るから、玲姉も頑張ろ?」

 

恥ずかしそうにこくりと頷く玲音に、聖夜もくす、と笑って。

 

「それじゃ、今度こそお別れだ。二人共、時間をくれてありがとね」

「ううん、こちらこそ急なワガママを聞いてもらっちゃってありがとう。――連絡、待ってますね」

 

そう言って玲音が控えめに、両手で胸の前に携帯端末を掲げれば、聖夜はしばし驚いた様子を見せたあと。

 

「いや可愛すぎかよ……こほん」

 

零れた言葉を誤魔化すようにひらひらと手を振って、彼は星導館学園の方へと身体を向ける。しかしその途中でふと振り返り、突然「可愛い」と言われて固まっている玲音と、そんな姉と聖夜を見て呆れている桐花に。

 

「またね。玲姉、桐花ちゃん」

「――ええ。それでは、また」

 

きちんと別れの挨拶を残す。それに桐花が返事をし、玲音も慌てて手を振り返してくれたことを確認して、聖夜は今度こそ帰り道へと歩みを進めた。

 

 

 

――そのまま数歩進んだ時、後ろから微かに草の擦れる音が聞こえて、聖夜はゆるりと振り返る。しかしそこに彼女達の姿はなく、今はもう見慣れてしまった夜の闇が、視界の先にただただ広がっているだけ。

 

(やっぱり凄いな、あの二人は。あんな俺にはもったいないくらいに良い人達が協力してくれるなんて、この上ない幸せだ)

 

無意識に口元が緩んでしまうのをどこか嬉しく思いながら、聖夜もまた、夜の闇に紛れるように駆け出していく。いつか彼女達と食事に行き、姉妹のエピソードや趣味などの様々な話を聞くことができるのを心待ちにしながら。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。