「マスター」
自らを主と呼ぶ女性の声を聞き、作業を行っていた青年は振り返る。
そこには白のブラウスとロングスカートを身に纏った見た目十六歳ほどの少女の姿があった。腰まである長い綺麗な金髪、普段は邪魔にならないように三つ編みで纏められているはずのそれが解かれている所を見るに先程まで休息を取っていたようだ。
魔力の消費を抑える為に取っていたそれを止めてまで来るということはそれだけの事なのだろう。
向き直り先を言うように促すと、少女は応えるべく口を開いた。
「最後のサーヴァント、ライダーが召喚されたそうです」
恐らく監督役から言付かったであろうその言葉、思っていた通りの報告に、しかし青年は胸を撫で下ろした。
自分がサーヴァントを召喚してから早くも二ヶ月が経っていた。
最優とされるクラスのセイバーを引き当て、色々と準備を済ませてこの地に着いたのが一ヶ月ほど前だ。それから今までの間始まる気配を見せないそれに焦りを感じ始めていた。
タイムリミットが定められている今回の聖杯戦争。しかし一向にサーヴァントは揃わない。半月前に召喚されたのを期に一切の音沙汰はなかった。
流石に待てないと思い監督者に連絡をするも「令呪は既に渡っている、だから待て」の一点張り。気が短い訳ではないが、
今回の聖杯戦争に何故タイムリミットが存在するのか? その理由を監督役から聞いたことがある。
曰く、今回の聖杯は爆弾なのだという。それは比喩ではなく正真正銘の真実である。
多様に存在する聖杯、その中でも今回のは典型的なものだ。膨大な魔力が注がれた器、神代の時代には既にあったのではないかというまごうことなき奇跡の一品。正真正銘あらゆる願いを叶えれるそれは、しかしある欠点を持っていた。
膨大な魔力が籠もった器が壊れかけているらしい。元々この聖杯は信仰によって形を保ち、器に収まっていたのだという。しかし肝心の信仰していた文明が滅んだ為器は徐々に形を保てなくなった。本来であれば長い時間をかけ漏れ出した魔力を世界に還元するはずだったのだが……ここ数百年、紛い物とはいえ幾度にも聖杯が出没した為少なからず影響を受けてしまったらしい。器に
本来青年にとって見ず知らずの誰かがどうなろうと知ったことではなく、いくら願いが叶うとはいえこのような危険性の高いものに関わるのは主義ではない。ただ今日、明日……結果として数年先まで生きたいだけなのだ。生粋の魔術師ではない彼には崇高な願いなど持ち合わせていないのだ。
しかし青年は今
「……セイバー」
「はい」
物思いに耽りそうになる思考を現実に戻し、青年は少女を呼び寄せる。
言われるまま主の前にまで来ると青年はセイバーに向け左手を--三つの菱形が重なるように連なった赤い痣……令呪を宿した手を差し出す。
「令呪をもって命じる--」
「え……?」
唐突な令呪を使った命令にセイバーは理解が出来なかった。
貴重な三つしかないものを今このタイミングで使ったこともそうだが、問題はその内容だ。端的に言って青年は切り札である宝具の一つを禁じたのだ。
『宝具』とは英霊たるサーヴァントが使っていた武器や逸話が具象化したものだ。それはサーヴァントの象徴というべきものであり、それ故に使えば真名が割れてしまう文字通りの切り札。
その宝具を、しかもセイバーにとって破格の攻撃力を持つそれを封じてしまうとは……一体何を考えているのか?
そんな疑問の視線を投げ掛けられた青年は、興味がないかのように作業に戻る。机の上に散らばった小さな“宝”達に魔力を籠めながら言い捨てた。
「なんだ、使い捨てられたかったのか? お前は」
その一言。口は悪いが相手を気遣った言葉にセイバーは悟った。
--ああ、この人は按じているのか。たかがサーヴァントである自分の身を……。
青年が封じた宝具は確かに強力無比なものだ。しかしそれ故に使ってしまえば、代償として自身の命すら落としかねない死手でもある。
サーヴァントを失うのは事実上の失格だ。故にそれを防ぐ意味合いもあるのだろう……本来なら。しかし青年にとってこの戦争は早期解決こそが目的であり、願いは二の次なのだ。いや、いっそのこと願いなどセイバーに譲ってもいいと思っているだろう。
早期解決を行うなら場合によってはセイバーを使い捨てることもできるはず。だが今彼はその手を自ら絶った。
令呪による永続的な効果は日を追うごとに弱くなる。しかし、最低でもここニ、三日はその効果を無くすためにはもう一度令呪を使って打ち消さなくてはならない。普通に考えてもそれは無駄以外のなにものでもない。
馬鹿なことをしたものだと思った。だが同時にそこまで想われているのだと嬉しくもあった。
恐らく青年に理由を訊いても「負けるつもりはないから」などとありふれた返答をするのだろう。彼が素直な性格でないことは二ヶ月に
「ありがとうございます、マスター」
故に、ただ感謝の気持ちを言葉に乗せて伝える。自分のことを按じてくれたことに頬が緩み、自然と微笑を浮かべた。
「……ふん」
それを横目で見届けると青年は鼻を鳴らし作業を続ける。一見素っ気なく見えるが、あれで照れているのだ。もう二十は越えたというのに未だに子どもらしい一面を持つ主に少女は笑みを零さずにはいられなかった。
夜の帳を裂くように太陽が顔を出し、窓から光が差し込む。
夜明けを告げるそれと同じく青年もようやく準備が終わったらしい。魔力を籠めた宝達を布で一纏めにした後窓を開ける。すると一羽の烏が入り込んできた、それはサーヴァントのような高位のものではなく一般的な使い魔。その使い魔に宝達が入った布を
--仕掛けはよし、あとは掛かるかどうかだな。
飛び去った使い魔を見送りながら青年はこれからについて模索する。
最後のサーヴァントが召喚されたことにより正式に始まった聖杯戦争。恐らく気の早いものなら今日中にでも動くはずだ。……いや今まで散々焦らされたのだ、タイムリミットの件もある、動かないものはまずいない。例外が一組や二組いるとしても半数は動くだろう。
できることならその時に情報を集めたいが、如何に最優のセイバーといえど流石に乱戦は避けたいところ。狙うなら一騎ずつにするべきか……。
直接マスターを狙えるのならそれにこしたことはないが可能性は極めて低い。
そうなるとやはり……。
「出方を待つしかないか」
こちらが誘い出すという手がないことはないが、相手はサーヴァント。人間を相手取るのとは訳が違う、少しでも采配をミスればそこで終わる。故に慎重になることは致し方ないことか。
もっとも、先の仕掛けに掛かってくれるのならばこちらから打って出れるのだが……恐らくまだ時間が掛かるだろう。
どちらにしても今は待つ以外にないようだ。
この結論に至ると同時に欠伸が漏れた。思えば、徹夜で作業していたため全く寝ていない。眠気により判断力が鈍ることを考えるとここは一度仮眠を取った方がいいのかもしれない。
「三時間ほど寝る。お前も休んでおけ」
明るくなりつつある外とデジタル式の時計を流しみた後、セイバーにそう告げるとさっさと簡易型のベッドに横たわる。それからセイバーが質問するよりも早く眠りに着いた、僅か数秒にも満たない出来事であった。
「……仕方ありませんね」
流石に主の眠りを妨げるのは忍びない。セイバーは言われた通りに休んでいようと部屋を出る。
「しかし、どうしましょう……」
廊下に出て間もなく、セイバーは口に手を当て考える。
休めと言われたもののサーヴァントである自分は基本休息を必要としない。魔力を抑えるため、というのであれば霊体化すればいいが万が一に備えるならやはり実体化していた方がいいだろう。しかしそうなるとこれから三時間も時間を持て余してしまうことになる。ただ呆けているより何か青年の役に立ちたいのだが……。
そう思い詰めていると一匹の猫がセイバーの足元に擦り寄ってきた。
「どうしました、お腹が空きましたか?」
その猫は以前青年とともに町を詮索していた時に見つけた野良猫だった。薄い黒毛の弱々しい子猫であと半日は放って置いたら死ぬのではないか?と思うほどに衰弱していた。
サーヴァントとして召喚されようとも元来優しい性格の彼女はなんとか保護しようとしたのだが無論青年に止められた。
「これから生死を懸けた戦いが始まる、いつ死ぬともしれない状況なのにそんなもの飼えるわけがない」。尤もな理由に、しかし彼女は納得しなかった。救えるものは救いたいと何度も何度も説得を試みた。結果青年は根負けし、飼うことを許してくれたのだが、それから暫くはまともに口を聞いてくれないほど機嫌が悪くなったらしい。
そんな経緯で彼らの拠点に住むことになった猫にリビングでミルクを与えると元気に飲み干していく。
「あ……」
優しい表情でその姿を眺めていたセイバーは急にあることを思い出し声を上げてしまった。
「最近はあなたに構ってばかりでマスターの食事を用意するのを忘れてました……」
半月くらい前に拾い、最近になってようやく駆け回れるほどになった子猫。しかしその結果今まで行ってきたマスターの世話を厳かにしていたことにセイバーは気付いた。
彼女のマスターは魔術の一面を見るとかなり優秀な部類に入る。ものを使った応用力は目を見張るものがあり、敵からも一目置かれるほどだ。しかしその反面、生活面においてはかなりズボラなのだ。ちゃんとしたものを作れるのに面倒だからと一日三食インスタント食品は当たり前、片付けるとわからなくなると言って部屋は散らかり放題、集中し過ぎると部屋に篭りっきりになり風呂に入らないことなどしょっちゅうだ。
しまった……とセイバーは頭を抱えた。今の彼は不健康の塊だ。一応女性である自分に気を使って風呂には入ってくれていたとは思う。しかし間違いなく食事はインスタントで済ませているはずだ。作業中だからと思って目を瞑っていたがやはり部屋も汚かったし……。
「……まずは食事からですね」
聖杯戦争初日の朝。セイバーは違う方面で決意を固め、闘志を燃やす。己がマスターの健康を守るために奮起する。
そんな彼女の姿を見ていたジルと名付けられた子猫は呆れたように一鳴きした。
セイバーさんのキャラが早くも崩壊気味。面倒見が良いのは私生活でのマスターがダメな所為です。
セイバーの真名はお察しのあの方。キャラが違うのにも一応理由はありますが……そこはまだ伏せときます。