実力ないけど彼女をコミカルに描きたいなー。
まずい……。間に合わないかもしれない。
浩介はスマホで何度も時間を確認していた。
サンフェスの北宇治高校の演奏開始予定時刻は午後三時頃。
––––現在時刻午後三時十分。
予定通りならもう北宇治高校吹奏楽学部の演奏は始まっている。公園を一周するために、各高校の演奏は一時間近く行われるとのことではあるが、なるべく長く聴いていたい。気持ちに焦りが生まれるが、焦ったところでバスは動かない。渋滞に捕まり、ノンビリとしか動かないバスの中、今すぐにでもバスを降りて走りたい気持ちを抑え、またスマホの時間を確かめた。
「そろそろ立華の番だね」
「絶対レベル高いもん。聴きたくない」
「晴香がそんなんじゃ、みんなも下向いちゃうよ」
聞こえない、と耳を塞ぐ晴香を宥めていると、立華の出番を告げるアナウンスが流れる。出発地点へと向かう立華の部員たちを見ながら人知れず香織は息を呑む。偏見かもしれないが、一つ一つの動作が素早いし無駄がない。演奏だけでなく、こういったところから強豪の雰囲気を醸し出していることが分かる。
今の私たちがどこまでやれているのか。
実力––––現在の立ち位置は観客の声が教えてくれるだろう。彼らは何よりも純粋で、毎年私たちを無意識に傷付けてくる存在。今年は少しでも彼らを驚かせてみたい。
「フフッ」
「香織?」
「ちょっとね、自分に可笑しくなっちゃっただけだよ」
「うん? まあ、私みたいに緊張しているよりはマシか……」
「私も緊張はしてるよ。でもね、ワクワクする部分もあるんだ」
決して去年までは感じなかったワクワク感。みんなで共有出来たら嬉しいけれど。
香織の思いとは裏腹に周りの表情は一様に硬い。演奏の順番が悪いこともあるが、立華と比べられることを恐れている。なまじ努力をしただけに、その気持ちは強くなっているかもしれない。
部員の緊張が解けることなく、しかし次第に歓声が聞こえ始めてきた。立華の演奏が始まったようである。徐々に大きくなっていく音、全く外すことなく聴こえてくるメロディに部員たちの顔はどんどんと暗くなっていく。
このままでは演奏どころの話ではない。
晴香も必死に部員たちを宥めようとするが、不安が伝染している状態では、全く耳に届くことがない。
どうにかしなくちゃ。しかし、方法が何も浮かばない。出番が近づくにつれ不安はますます大きくなっていく。
瞬間、トランペットの音が部員の間を駆け抜けた。
音の主は高坂麗奈。トランペットパートの期待の一年生である。唖然とする集団からいち早く復帰した優子が叱りつける。
「ちょっと高坂! 何してるの! ここに来たら音出し禁止って言われたでしょ!」
「すみませんでした」
口だけの謝罪のみで全く申し訳なさそうにしていない麗奈の様子に、不安で固くなっていた部員たちの緊張はほぐれていく。
香織は助かった、と思うと同時に何も出来なかった自分に対し苛立ちも感じた。本当ならば三年生がやらなくてはいけなかったことである。
「後で晴香と反省会だな……」
香織の呟きは誰に聞こえるでもなく空気に溶けていった。
『北宇治高校の吹奏楽部、準備を始めて下さい』
アナウンスが流れると滝、松本の両名が部員の前に立った。松本は先ほど言ったことが全てという表情で腕を組むのみであった。一方滝は靴紐が解けていることに気付きしゃがんでいる。
「先生、そろそろ時間です」
「本来。音楽はライバルに己の実力を見せつけるためにあるものではありません」
靴紐を縛りながら滝は語り始めた。部員も一言一句逃さないよう真剣な表情をしている。
彼女たちの表情は以前と異なっていることは一目瞭然である。滝はクスリと笑った。
「しかし、今ここにいる多くの生徒や観客はまだ、北宇治の力を未だ知りません。だから、今日はそれを知ってもらう良い機会だと、先生は思います」
––––さあ、北宇治の実力、見せつけてきなさい
その言葉は部員を活気付けるのに最高の言葉であった。誰もが自信に溢れた表情を浮かべている。そこにかつての北宇治高校吹奏楽部の面影はなかった。
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やっとついた。
浩介は軽く息を切らしながらも会場に到着していた。日曜日であり、強豪校が出場していることもあり会場は熱気にあふれていた。
演奏を待つために並んでいる高校を眺めるが、そこに北宇治高校はない。順番待ちの高校をパンフレットの一覧表から確認する。今準備している高校は洛秋高校。北宇治高校は今さっきスタートしたばかりのようだ。
ゴール地点に近いところなら、問題なく間に合いそうだ。
浩介はさっそく移動を開始する。
観客がまばらで良いポジションを確保すると遠くから演奏が聞こえ始めてきた。ベストタイミングである。
先頭には、高校名の書かれた看板を持つ部員。その後ろに旗を持った人(後で聞いたところによるとガードというらしい)と謎ステップを披露するダンス組のようだ。葉月が笑顔で踊っている姿も確認できる。謎ステップは無事習得できたようで、ぎこちなさも無く弾むように踊る姿は観客を楽しませている。
そして、メインの演奏組がやってくる。あすかを先頭に一糸乱れずに行進している姿は、いつもの北宇治高校吹奏楽部とは思えないレベルであった。
もちろん浩介にはレベルの高い低いは明確には分からない。しかし、強豪校の演奏と言われても信じてしまう程に、ただただ圧倒されていた。
「お、いたいた」
暫し惚けていたが、お目当の香織を見つけ復活する。真剣な表情でトランペットを演奏している姿を早速スマホで撮影する。香織を撮り続け、そのうちに一眼レフカメラに手を出しそうな勢いである。今はまだ所持金がないためにスマホで我慢しているが、一心不乱にスマホの画面をタップするその様子は端から見てストーカーに思われてもおかしくない。
一方の香織は、ただ前を向いており気付く様子はない。前を歩く優子も珍しく真剣な顔をしている。香織とのツーショットになるように撮影する。同じく香織を愛でる者として後でプレゼントしてやろう。謎の上から目線で一人頷いていた。
「おわった……」
「晴香ダレすぎ」
「本当に疲れたから許して」
見るからに疲労困憊の状態で座り込む晴香に、香織は苦笑いで手を差し伸べる。本当に全力を出し切ったのだろう。疲れは見てとれるが、それ以上に顔は満足感に溢れていた。
「お疲れ様ー!」
「あ、あすか。お疲れ様。ドラムメジャー格好良かったよ」
「お褒めいただき光栄でございます」
演技染みた礼をするあすか。様になっているように見えるのは彼女のなせる技だろう。マーチングでも観客の視線を集めており、今日のサンフェスでミスコンをやったならば、文句なしでグランプリに選ばれるであろう。それくらいに輝いて見えた。女子の目線から見てもそれくらいに美人に見えるのだ。男目線なら更に、だろう。
「その格好のまま歩いてるとナンパされちゃうんじゃない?」
私は何を言ってるんだろう。口にした後、すぐ後悔した。求めている答えがある訳でもなく、どうしてか自分でも分からなかった。
「もう、私がナンパされる筈ないじゃない。それとも––––」
––––香織がナンパしてくれる?
その妖艶な目つきにドキッとしてしまったのは仕方のないことだ。そう言い聞かせるように深呼吸した。本当の美人は性を越えて魅了する。目の前の存在がそれを証明している。肯定の返事以外は出来ない。
返事を返そうとすると不意に頭に手を置かれる。振り返るとそこには仏頂面の浩介が立っていた。
「おい、人の彼女をナンパするな」
「えー、だって可愛いんだもん。何この可愛い子。独り占めはズルいわよ」
「可愛いのは認めるけどやらん」
香織は急激に体温が下がっていくのを感じた。浮気をした訳ではないのに、浮気現場を押さえられた気分である。幻滅されたかもしれない。そのことが頭を下げ支配してしまう。
「……ごめんなさい」
「うん? 特に謝ることはないかと。ああ、そういえば演奏とても良かったよ」
何事もなく話を変えた浩介に安堵する。確かに悪いことはしていない。見逃してくれた?ことに感謝し浩介のスマホで撮ったという画像を見ようとする。
「でも田中が女子とはいえ、浩介くんは嫉妬しちゃったから、後で罰ゲームだな」
耳元で香織にだけ聞こえるように囁いた。