感想、誤字脱字報告ありがとうございます。
滝は悩んでいた。
副顧問の松本美知恵と塾考した末に出したオーディションの結果が部員の理解を得られていない。
そして、麗奈と昔からの知り合いであることが部員の不信感に拍車をかけている。
ここにきて初めて顧問を務めている経験の浅さが浮き彫りになっていた。父のようにベテランであったならば、部員の納得を引き出すことが出来ているのかもしれない。しかしそれは無い物ねだりである。
––––良い音には良いと言わざるを得ない。
松本に掛けられた言葉が頭の中をリフレインし続けている。答えが喉まで出かかっているはずなのに上手く言葉として表現することができない。ただただもどかしい気持ちが支配していた。
どうにかして早めに解決策を見出さなければ、コンクールどころの話ではなくなる。
未熟故に部員に怒りをぶつけてしまったことを後悔しつつも滝は必死に悩んでいた。
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失望した。
優子はどこかで期待していた。
浩介なら分かってくれると。
香織は昨年、険悪な雰囲気になっている一年生と三年生の間を取り成そうと必死になっていた。その現場を何度も目にしていたからこそ分かる。香織は報われなくちゃいけない。
当時誰よりも演奏が上手かった香織がソロを担当出来ずに、散々足を引っ張った先輩がソロパートを吹く。そのことが優子は非常に悔しかった。
それなのに、今度は一番上手い人が担当する。
麗奈が反則的にレベルが高いことは十分に理解していた。でも、何故香織ではいけないのか。何故よりによってこのタイミングなのか。
来年自分がソロパートを担当するとかしないとか、そんなことはどうだって良い。
香織にソロを吹いてもらいたい。香織の想いが報われて欲しい。
ただそれだけなのだ。
憂鬱な気持ちを引きずったまま音楽室へと繋がる廊下を歩いていると話し声が聞こえたため顔を上げる。そこには滝と浩介が向かい合っていた。
咄嗟に優子は角に隠れてしまったのは二人に対する気まずさからだろう。
二人が何を話しているのか、無意識に息を潜めた。
「今年は吹奏楽部は全国に行けそうって香織––––中世古さんから聞いてます。残念ながらサッカー部はダメだったので、吹奏楽部が行けるよう応援してます」
「ありがとうございます……」
「滝先生?」
「ああ、すみません。私も部のみなさんの実力が上がっていくのを見ているので期待しているんですよ」
滝が沈んだ様子であることは一目で分かる。今もオーディションの件は解決していないようだ。
「そういえば……、進藤くんは一年生からサッカー部のレギュラーだったんですよね?」
「はい、そうです」
「進藤くんは上級生の代わりにレギュラーになって、周りはどうでしたか?」
みんな同じようなことを聞いてきているのは気のせいだろうか。
いや、それだけ以前の吹奏楽部とは変わろうとしていることの証拠なのかもしれない。
「直ぐには認めてくれない先輩とかもいましたね。最後の大会なのに一年生にレギュラー取られる訳ですし」
「直ぐには、ってことは後々には認められたんですね?」
「はい。僕もどうしたら認めてもらえるだろうって悩みました。でも、結局は周りが僕のプレーを、実力を知らないから認めなかったのだと思います。だから僕のプレーを周りの人に知ってもらって、それで徐々に認めてもらえたと思っています」
「周りの人に知ってもらう……」
「サッカーはチームプレーですから」
「良い音は、良いと言わざるを得ない……。そうか! 進藤くん、ありがとうございます!」
滝は感謝の言葉をかけると足早に去っていった。
滝が角を曲がったことを確認すると、浩介は振り向いた。
「吉川、これが俺の考えだよ」
「……気付いていたんですね」
「普通に歩いて来るのが見えていたからな」
「先輩は香織先輩がソロを吹けなくても、それでも何とも思わないんですか?」
「個人的な意見なら吹いてほしいよ。でも、あいつは全国に行くために頑張っている。自ら部の足を引っ張ってまでソロを吹きたいとは思っていない」
「でも……」
「それに、さっきの話からきっと滝先生は部員が納得出来る形で……、それこそ必要となったなら再度ソロを決め直すはずだよ。もしそうなったなら、あとは香織次第だ」
そうだ。
この人だって香織に吹いてもらいたいに決まっている。偶然なのか、意図したのかは知らないけど、滝に働きかけまでしていた。
浩介の気持ちは分かった。それでも、優子は香織にソロを吹いてほしい。
それが唯一の希望だった。
「先輩の考えは分かりました。でも私は香織先輩に吹いてほしいです。それは変わりません」
優子は宣言すると浩介の脇を通り過ぎた。音楽室に行って早く練習を始めなくてはいけない。
香織が、吹奏楽部が全国を目指している以上、香織の足を引っ張ることだけはしたくない。
結果として来週トランペットソロパートのオーディションを再度行うことになった。
いつもの帰り道。香織の目を見て浩介は理解した。まだ香織は諦めていない。
「そっか。もう一度チャンスがもらえたんだ」
「高坂さんには申し訳ないけど……。でも、これでどんな結果であっても私は受け入れられると思う」
香織も分かっている。麗奈が実力でソロパートを勝ち取っていることを。
それでも全員で、そして自分の耳で聴き、納得出来る結果が欲しい。例え部員たちの前で打ちのめされる結果になったとしても––––それが三年間やってきた香織のプライドなのだろう。
浩介はそう解釈した。
「来週か。期間が短いね」
「でもチャンスを貰えないより全然良いよ」
「そうだね」
浩介は香織の頭に手を置く。
少し気負い過ぎている気がする。降って涌いたチャンスに視界が狭まっているのではないか。
「よし、景気付けに何か食べて帰ろうか」
「じゃあ……、パンケーキ!」
「もう少し安いのでお願いします」
「フフッ、冗談だよ。ハンバーガー久しぶりに食べたいな」
「したらいつものとこ行くか」
それならば、再オーディションの日までサポートするのが自分の仕事である。
「あ、進藤先輩! こんにちは!」
「カトちゃんか、何してるの?」
翌日、ふと教室の前を通りがかったところを葉月が見つけ声を掛けてくる。
浩介が振り向くと何人かの女子が集まっていた。夏紀も輪の中におり、一年生の集まりという訳ではなさそうである。
チームモナカ。オーディションに落選した部員の集まりは手作業を行っていた。
「大会に出場するみんなに何かしたいってことでお守り作りしているんです」
「なるほど、それは良いね」
手元を見ると裁縫道具が置かれている。個々のイニシャルを入れたものにするという手の込みようである。
「私たちにはこういうことしか出来ないので」
「いやいや、なっつん。嬉しいもんだよ? サポートしてくれる人たちの存在って励みになるからね」
「そうだと嬉しいです」
少し照れながら頬をかく。自分のやっていることが褒められるのは嬉しいけれども、少し気恥ずかしい気持ちもある。
必死に練習に取り組んでいるメンバーを見ていると、彼女たちを応援する気持ちは日々強くなっていた。彼女らの姿に心震わされ、モナカの面々も自発的に動いている。
「このお守りの中にメッセージ付きおみくじ入れるんですけど、香織先輩のやつに先輩も入れますか?」
「ありがたい提案だけど、俺が入れるのはマズいんじゃない?」
「いえいえ! 香織先輩も喜ぶと思いますからぜひ入れて下さい!」
浩介に紙を渡してきた女子は聞くところによるとトランペットパートの子らしい。確かに優子と一緒にいるところを見たような記憶もある。
香織が少しでも勇気付けられるなら、その強い思いに浩介も思わずペンを受け取る。
「じゃあ、お言葉に甘えて書かせてもらうけど、内容は誰も見ないでね?」
「進藤先輩が香織先輩に向けた言葉ですから、私たちは絶対に見ないですよ」
誰かに応援メッセージのようなものを書くのは意外に難しい。
うーん、と腕を組み数分間悩んだ後、ペンを走らせる。葉月はこっそり覗き込もうとするが、夏紀に腕を掴まれた。夏紀はダメだよと首を振る。
「夏紀先輩は気にならないんですか?」
「気になるけど見ちゃダメでしょ」
「どんなこと書いてるのか気になるのにー」
浩介に聞こえないよう小さい声でコソコソと話していると、いつの間にか二人の後ろに立つ姿があった。
「見ないって宣言してから約束破るの早いな」
「し、進藤先輩……。冗談ですよ〜」
「カトちゃんは顔に出るから分かりやすいね。はい、これよろしくね」
呆れながらも小さく折り畳んだ紙を夏紀に渡す。
夏紀は受け取ると直ぐに香織のお守りに入れた。香織のお守りはもう完成していたらしい。
「良く出来てるね。こういうお守り貰えるなんて羨ましいよ」
「サッカー部のマネージャーとかはやらないんですか?」
「うちはやらないね。そこまでやってもらっちゃうと負担が大きいからって」
マネージャーが多くいた昔はお守り作りはあったと聞いているが、山田が顧問になってからマネージャーは必要最低限の人数のみになっている。
マネージャーの仕事も多く、縁の下の力持ちとして円滑に練習や試合が行われるくらいにはサッカー部への貢献度は高い。お守り作りをしなくても応援されていることは十分に感じ取れる。
もちろんお守りが貰えたのなら、さらに部員のモチベーションは上がることだろう。
冗談めかすように夏紀が提案する。
「じゃあ進藤先輩のも作りましょうか?」
「そんなの貰った日には香織に拗ねられちゃうよ」
大げさに首を振る様子が可笑しく見えたのか、モナカの面々もクスクスと笑っている。
受動的にお守り作りをしている訳ではないことが雰囲気の良さからも伝わってくる。
気が付くと結構な時間が経っていた。
これ以上長居しても良くないから、と浩介は手を振り教室を出た。
きっと吹奏楽部の夏は長く続くのだろう。そんなことを予感させていた。