「いよいよ明日だね」
吹奏楽コンクール府大会を明日に控えた部活の帰り道、浩介と香織は並んで歩いていた。前日ということもあり、吹奏楽部の練習は早めに終わっているもののサッカー部の練習のある浩介を待っていたために帰る頃には夕方になっていた。浩介は明日の大会の準備とかあるだろうから、早めに帰って良いと伝えてはいたが、香織は待っていると譲らなかった。
「今は不思議と緊張してないんだ」
「これから色々考えて緊張してくるんじゃない?」
「そうやって脅さないでよ。でも、なんでだろ。取り敢えずやれることはやった、そう思ってるせいかな」
「そっか。じゃあ全国も問題ないね」
「それはまた別だよ」
ふと会話が途切れる。
浩介は明日に思いを馳せていた。明日、北宇治高校吹奏楽部はどんな演奏を聴かせてくれるのだろう。前回サンフェスで聴いて以来になるので楽しみで仕方なかった。
「明日応援に行くからね」
「あれ? 部活は?」
「明日は早朝練だから昼前には終わるし、確か北宇治の演奏は午後からだから間に合うよね?」
山田がサッカー部顧問になってから取り入れられた早朝練。夏場の気温の上昇が著しい日に行われる練習であり、朝六時から行うという、気温が上がりきる前に始めることで熱中症を予防することを目的とした練習である。
通常の練習内容を午前中の四時間程度に詰め込むため、より濃密な練習になっている。明日は幸いにも早朝練のため、練習後に浩介は演奏を聴きに行くつもりであった。
「じゃあ余計に頑張らないとね」
「気合い入れすぎて失敗しないでよ?」
「そんな晴香みたいなことしないよ」
「ちょい待て。誰がそんなことするか」
「おお?!」
振り向くと後ろには晴香が立っていた。私服であることから一度帰宅した後のようだ。腕を組んでしかめ面しており、いかにも私怒ってますを全面に押し出している。
香織は納得がいったという風に頷く。
「晴香すごいね。ツッコむ為だけに急に現れるなんて」
「ちょっと、ツッコむことが生き甲斐みたいに言わないで。買い物帰りに偶々歩いている二人が見えたから声かけようと思っただけだし」
なるほど、手には店名がプリントされた紙袋を持っている。
気が弱いところがあるために緊張し過ぎて塞ぎ込んでいないか気になってはいたが、前日にリフレッシュ出来るくらいには落ち着いているみたいだ。
「そうだ。これから浩介とご飯行くけど晴香も来る?」
「いや、私お邪魔虫でしょ」
「今さらだな」
「オイ」
適当に入ったファミレスは、夕食にはやや時間が早いせいか客があまりいなかったためスムーズに席に着くことができた。三人はメニューを開くと各々のオーダーを店員に伝える。
浩介と香織が隣同士で、向かい側に晴香が着席している。三人が四人席に座る時はいつもこうなる。
「結局来てるのな」
「どうせいつもお邪魔虫だからね。気にしないことにしたよ」
「根に持つタイプだったか」
明日が最後の演奏になるかもしれないというのに予想以上に落ち着いている。晴香は吹奏楽部の部長であり、部長の気持ちは部員へと伝染する。それが悪い方向であればさらに。
しかし、今の落ち着きが明日も維持出来ていれば、部員もいつも通りに近い状態にいることが出来るだろう。浩介はドリンクバーから持ってきた紅茶を飲みながら安堵していた。
料理を待つ三人の会話が途切れる。
晴香はストローでコップの中の氷を突きながら、少し寂しそうに笑った。
「でも気が付いたらもう大会なんだね……」
「そうだね。特に三年生になってからはあっという間だった気がする」
「それだけ吹奏楽部が本気だったってことだな」
「うん。色々学べたこともあるし」
香織は覚悟とか、と心に付け加える。
もし吹奏楽部が去年までと同じだったならば、きっと浩介と同じ景色を見たいなんてことは思わなかっただろう。それは大きな成長だと自負している。
晴香も香織の言葉に頷く。
「私も少しは部長らしくなれたと思う」
「そうだね。晴香が部長じゃなかったら吹部はもっとダメだったと思う」
「そ、そんなことないよ」
「照れてる晴香も可愛い。なんで彼氏出来ないんだろ」
「なんだとー?」
「すごい褒めてるんだよ? 彼氏居ても全然おかしくないもん」
「おかしくない、ね。でも私の周りの男子でマトモなのがいないからな〜」
晴香は意趣返しのつもりでチラリと浩介を見やる。
浩介が首を傾げると香織が慌てて浩介の前に身を乗り出す。
「浩介はダメだからね?!」
「ふふっ。冗談だよ。進藤愛されてるね」
「だろ?」
「もう!」
香織はやり返されると弱いため、いじり返すことが晴香の密かな楽しみになっていた。
赤面しそっぽを向く香織を宥めるため浩介は頭を撫でる。拗ねながらも抵抗せずにされるがままであり、そんな二人を晴香も優しげに眺めている。もしかしたら、もうこの光景を見ることも無くなってくるのかもしれない。
そんなことを思った瞬間、目から涙が流れた。慌ててハンカチで目をおさえる。
「晴香……?」
「ごめん、何でもないの。こんな風にいられることも引退したら無くなっちゃうのかなって……。そんなこと考えたらちょっと寂しくなって」
「夏が終わったら引退はするけど、例え卒業してもご飯だって遊んだりだって出来るよ」
「……うん」
いつの間にか香織は晴香の隣に移動し手を重ねていた。部長らしくなってきていても、涙脆いところは相変わらずのようだ。
浩介はスマホを取り出すと二人の様子を写真に収める。それに気付いた晴香が涙を拭き抗議するが、どこ吹く風と受け流しスマホを操作する。
「うん、晴香よく撮れてるね」
「送ってこなくて良いからさっさと消してよ」
「大会前日に泣いたんだし、明日の本番では泣かなくて済みそうだな」
「でも、晴香のことだから関西大会が決まっても泣きそうだね」
「いや、人の話流してないで聞けよ」
料理が運ばれてきてからも三人は話に花を咲かせていた。浩介が冗談を言い香織が冗談を重ね、晴香がツッコミを入れる。
店内が混み合い店員に追い出されるまでずっと三人から笑顔が無くなることはなかった。
ファミレスを出て晴香と別れると二人は歩き出す。
結局のところ話が盛り上がりすぎ、気が付くといつもより遅い時間になっていた。香織は断ったが、こんな時間に一人で帰す訳にはいかない。家まで送ると浩介は香織の隣を歩いていた。
「すっかり遅くなっちゃったな」
「浩介明日朝早いんでしょ? ここら辺でもう大丈夫だよ」
「俺が一緒にいたくてやってることだから気にしなくて良いよ」
もう、とため息をつくと浩介の腕を取る。人目がほとんどない今なら思いっきりくっ付くことが出来る。香織は浩介にピッタリと体を寄せた。
「歩きにくいよ」
「良いでしょ?」
「まあ、悪い気はしないね」
「何それ」
浩介の耳が赤くなっていることが分かり、自然と笑みがこぼれる。
他の人がいる時は冷静なフリをしているが、意外と初心であることは香織しか知らない秘密だ。
ずっとこうしていたいけれども、幸せな時間も終わりはやってくる。
街灯の明かりの先に香織の家が見えてきた。香織は絡めていた腕を離すと浩介の二、三歩前を歩いて振り返る。
「ここまでで良いよ。今日はありがとうね」
「うん」
二人の間に静寂が訪れる。
浩介は口を開いて何かを言おうとして、しかし声にはならなかった。明日が香織の集大成になるかもしれない。何を伝えれば良いのか分からなかった。
浩介の葛藤を汲み取ったのか、香織は目を細めた。
「別に無理して何か言おうとしなくても良いんだよ? もう十分気持ちは伝わってるんだから」
香織は浩介の手を取ると目を見つめる。街灯の光のせいだろうか、浩介の目には香織の姿が幻想的に映った。
「だから、明日。私の姿を目に焼き付けて」
––––それが私からのお願い
手を振って家に入っていく姿を見送ると、浩介は空を見上げた。ビルなどが周りにないために人工的な光で遮られることもなく、夜空に広がる星がよく見える。
明日で終わってしまうのか、それともまだまだ続くのか。それこそ明日になってみないと分からない。だから香織は見ていて欲しいのだろう––––今の全力の自分を。
なら浩介は見届けるだけだ。香織の姿を最後まで。