隣に男の人がいるだけで心が苦しい。
別に話している男子と恋仲になっていないことは分かっている。それでも、ワガママと分かっていても––––見たくないのだ。
思考が色恋に染まっていることに自嘲してしまう。
流石に部活中はサッカー以外のことを考える余裕がないから問題ないが、授業中や家にいる間など勉強に支障をきたしかねないと危惧している。気がつくと板書しなければいけない内容が教師によってかき消されていた時は流石に焦ってしまった。
早めにどうにかしなければならない。ところがその解決方法を見出せずにいた。
いや、一つだけあることは分かっている。
分かってはいるのだけれども。ただ、成功しないと分かりきった方法を取る勇気は浩介にはなかった。
何故だろう。
いつから浩介のことを目で追うようになったのか。自分でも分かっていない。
晴香に会いに教室に行って、話している時もふと視線を彼に向けることがある。たまに目が合いそうになると慌てて顔を背けてしまう。目が合うと体が熱を持つのだ。
サッカー部のマネージャーと楽しそうに会話している場面を見た時に心が締め付けられるような感覚に陥った。私だけの存在でいて欲しいなんてことは間違った感情であるはずなのに。
話すと楽しい。好きなアーティストが同じ。
それは友達だから、と思っていたのに違ったみたいだ。
別に顔が好みな訳でもない。
でも彼を見るとドキッとしてしまう。
分からないフリはしなくていい。
もう自分の気持ちに答えは出ていることは分かった––––分かってしまった。
後はそれが本当に正しいのか答え合わせをするだけだ。
***********************
「では次の部長は佐藤に託す」
サッカー部の夏が終わった。
準々決勝。京都府のベスト四を賭けた試合。勝てば北宇治高校初の全国大会が見えてくるその試合で、サッカー部員は善戦したものの惜しくも敗れた。あと一点が遠かった。
今年の三年生の部長は大会の登録メンバーに入っていなかったこともあり、夏で引退することになっていた。後任には二年生の佐藤が選出される。佐藤であれば、冬まで部活を続ける三年生にも遠慮なく意見出来るだろうと誰も異論はなかった。
部室には沈んだ表情の顔はそれなりにいるが、泣き崩れるほどの部員はいなかった。むしろ入学後、自己最高の結果に満足している部員すらいた。
程なくして解散が告げられ、ほとんどの部員が部室を出て行ってからも浩介は座り込んでいた。ベンチに腰を降ろしたまま、何処を見る訳でもなくただただボーッと見つめていた。目を瞑ってしまえば、直ぐに先ほどの試合のシーンを思い出してしまう。
決定的な得点の場面を外し、その直後に決勝点を決められたその後悔は、一年生ながらチームを引っ張っていた浩介に強く残っていた。部室に鍵を掛けようと戻ってきた部長は浩介がいることに気付くとため息を吐いた。
「進藤、顔を上げろ」
「もっと……。部長とサッカーしたかったです。すみません……」
「お前が謝ることは何もない。俺は感謝してるんだ」
部長は浩介の頭をワシャワシャと強く撫でる。別に浩介のせいで負けたとは思っていない。それどころか浩介がいたからここまでこれた、そう考えている。
浩介の隣に座り目線を合わせた。浩介が視線を逸らそうとしたために肩を掴み決して逃がすことはさせない。
「進藤が初めて出た試合だけどな。俺はあの試合負けたと思ってたよ」
大会の登録メンバーから外れ、記録員としてベンチに座り試合を見守っていて感じたこと。
試合内容は五分五分であったが、全国間近という未知の世界へと進もうとするその緊張が選手のプレーには現れていた。どうにかしてやりたいと思ってもグラウンドに立っていない人間には声を掛けることしか出来ない。歯がゆさが募っていくばかりであった。
「だけど、後半から進藤が入って空気が変わった。お前には試合を変えるだけの力がある––––そう思ってる。……だから、今悔しいなら泣くな。泣いて悔しさを晴らすな」
「はい……」
「それで、全国に行け。俺たちが見れなかった景色を見せてくれ」
浩介は涙を拭うと部長の目を見る。
たった数ヶ月ではあったが、浩介のサッカー観に新しい風を吹き込んでくれた存在。彼はきっともうサッカーを辞めるのだろう。だからこそ、その想いを引き継がなくてはいけない。
「絶対に。来年は全国に行きます」
「その意気だ」
浩介が部室を出ると、夕焼けに染まるグラウンドが目に入った。
明日からは引退する三年生が抜け、佐藤を部長に据えた新生北宇治高校サッカー部が始動する。
寂しさを感じている場合ではない。
約束を果たすべく決意を新たにした。
校門へと差し掛かると一つの影があった。
今日は日曜日であり、部活動がある生徒以外は学校には来ていない筈である。日曜日にはほぼ活動をしない吹奏楽部の人間が学校に、それも私服でいる理由が浩介には見当がつかなかった。
そして、出来れば今は会いたくない人。
香織は浩介を見つけると一瞬笑顔になるが、負けたばかりであることを思い出し直ぐに表情を戻した。
「試合お疲れ様。その……、残念だったね」
「観に来てくれてたんだ」
「うん。どうしても確認したいことがあって」
「確認したいこと?」
「ううん、こっちの話。今日はもう帰り?」
試合に負けたという悔しい気持ちは、時間を追うごとに自分への怒りに変換されていく。
今は少し一人の時間が欲しい。落ち着いてからでないと、香織にすら言葉が厳しくなりそうである。そんなことをした日には後悔で死んでしまうだろう。
「今から帰るところだよ。中世古は?」
「私もちょうど帰るとこだったんだ。途中まで一緒してもいいかな?」
普段であれば即答しているが、直ぐに答えることが出来ない。
香織はその様子を見ると、首を振った。
「……と思ったけど、今日は止めとくね?」
「ごめん……」
「大丈夫だよ。また明日、学校でね!」
浩介は香織の後ろ姿を見送る。
待っていてくれたのに申し訳ない気持ちと、一人になれるというホッとした気持ちが合わさって複雑な気分となる。
「早く帰って寝よ……」
サッカー場の観客席に香織は友達と座っていた。グラウンドでは北宇治高校サッカー部のメンバーが試合前の準備運動を行っている。
「珍しいね、今度は香織から誘ってくるなんて」
「ちょっとね……。もう一度観たくなって」
「そっかそっか! サッカーファンが増えてくれるのは私も嬉しいよ!」
サッカーファンになった訳ではないけれども、と心で答える。わざわざ落胆させるようなことを言う必要はない。
視線をグラウンドに落とすと背番号15が見えた。リラックスした様子で先輩であろうチームメイトと話している姿から緊張はあまりしてなさそうである。
自分の方が緊張しているのは何か癪だ。香織は頬を膨らませた。
今回も前回同様に浩介はベンチスタートのようだ。若干落胆しつつも試合の状況を見つめる。
今日の試合も膠着状態が続き中々動きそうな気配はない。両校とも決定的な場面を作れないまま前半は終了した。
前半終了のホイッスルを聞き姿勢を正すと肩に力が入っていたことに気付く。それだけ集中して見入っていたということだ。香織はグッと背伸びをして凝っていた肩をほぐしながら、ハーフタイムの間にグラウンドで体を動かしている浩介を見つめる。やはり浩介を見ている時と、他の選手を見ている時とは違う感覚があった。胸がトクンと波打つ。
ハーフタイムが終わると後半が始まる。
後半のメンバーの中に浩介は入っていた。前回の試合と同じ展開であり、北宇治の攻撃に活気が戻ってくる。
––––そして決定的な場面は訪れる。
北宇治高校は敵のミスからボールを奪うと、相手の守備の人数が少ない隙を突いてパスをつなぎ、前にいた浩介がゴール前でボールを受け取る。
浩介と相手キーパーとの一対一になり、誰もが決まったと確信していた。
しかし、浩介はボールコントロールが上手く出来なかったのか、足から大きく弾いてしまい、そこを飛び出してきたキーパーに奪われた。スタンドからああ、という落胆の声が漏れる。
「もったいない」
「最後に色気出したな」
「シンプルに打てば決まったのに」
近くに座っている人たちの声が聞こえる。色気の意味はよく分からないけど、シンプルにシュートすれば良いのに何かしらやろうとして失敗したらしい。
キーパーは奪ったボールを素早く攻撃陣の方へと蹴り出す。
今度は前掛かりになっていた北宇治の守備の人数が少なく、人数差を生かされそのまま攻め込まれていく。
あっという間にゴールを決められた。
攻めていたと思ったら点を取られる。北宇治高校を応援している観客からは声が無くなる。
ハッと我に帰ると香織は浩介を探した。グラウンドの真ん中辺りに呆然と立ち尽くす姿を見つけ、その様子に胸が痛む。
「さっきのプレーでシュートで終わってれば防げた失点だな」
近くの観客の切り捨てるような発言に思わず言い返そうとして、しかし思い留まる。反論しても仕方がないし、まだ試合中だ。
懸命に走る浩介に無意識に声が出ていた。
「頑張って! まだいけるよ!」
自分でも何故そんなに声を出しているのか分からない。でも黙って観ているなんてことが出来ない。隣にいる友達も声を枯らしながら声援を送り続ける。
しかし、残り時間が少なくなり焦りが出てきたのか、北宇治は先ほどまでのようにパスがつながらなくなってきている。
相手の時間稼ぎのプレーに対してもイラつきが出てきており、余計にプレーが雑になっていく。
そして試合終了のホイッスルが鳴り響いた––––
どう声を掛けたら良いのか分からない。慰めの言葉を掛けることは正解なのだろうか。
だが、迷っている気持ちとは裏腹に自然と足は高校へと向いていた。他のサッカー部員から遅れること数十分が経った頃に浩介が姿を現した。その目は赤く充血していた。
「試合お疲れ様。その……、残念だったね」
違う、本当はもっと伝えたい気持ちはあった。掛けたい言葉はあった筈なのだ。
でも、目が合ったときの気まずそうな表情を見たら、そんなことは言えなかった。
––––答えは合っていた。
今はそれだけで良いのだと、自分に言い聞かせた。