第一話
蝉の大合唱が響き渡る夏真っ盛り。
毎年であれば部活を引退し、受験生へと切り替わっている時期。
関西大会出場を決めた北宇治高校吹奏楽部は、その先の全国を目指すべく新たなスタートを切っていた。
関西大会から全国大会への壁は非常に高い。関西大会から全国大会へと進める高校の枠は三校である。各府県から選ばれた二十を超える高校の中から上位三校に、しかも特に大阪に集中する所謂三強の何処かを上回る演奏をしなくてはならない。
北宇治高校はその壁を越えるため、滝の旧友のプロの演奏者を特別講師として呼んでさらなる成長を遂げようとしていた。浩介は香織から話を聞くたびに、吹奏楽部が本気で全国に行こうとしていることがひしひしと感じられていた。
夏休みということもあるが、最近は帰りの時間も一緒にならないことがある。浩介と別に帰る日は、部活終了後の自主練を含め夜の七時を大きく過ぎるらしい。
そこまで追い込んでいると、むしろ倒れないか心配にすらなってくる。浩介は香織に熱中症になった時に、直ぐに水分補給が出来るよう経口補水液を持たせていた。
さらには食事が摂れているか、睡眠時間は問題ないか等々……、様々なことを確認し、自分のこと以上に香織の健康管理に気を配っている。一度軽く抗議したこともあるものの、暖簾に腕押しでありお節介だとしても態度を変えるつもりがないことが分かってからはされるがままになっていた。
そのお陰かは分からないが、多少の煩わしさを感じつつも香織は夏バテすることなく健康体そのもので練習に取り組めていた。
まだ、北宇治高校吹奏楽部の夏は終わらない。
「ドイツ行くの来週なら今度の土曜日は大丈夫だね」
先にサッカー部の練習が終わっていた浩介は、教師に許可をもらい空き教室で勉強をしていた。代表に呼ばれたりしているために授業を少し休んだりしている分、教師も特例として認めてくれたことに感謝しながら教科書と睨めっこをつづけていると、いつの間にか陽は沈んでいた。
ペンを置き一度背伸びをする。まだ練習は終わっていないらしい。負けられないな。軽く頬を叩いて気合いを入れる。分からない点は香織から借りたノートに丁寧に書いてある。借りている以上、返すまでにしっかり理解をして自分のモノにする。浩介は再びペンを手に持った。
時間が夜八時に近付く頃にスマホに通知が入る。ようやく練習が終わったようだ。今日は優子も一緒に残って練習をしていたらしく、三人で夜道を歩く。盆地という地形のためか、夜になっても熱を含む空気が体にまとわりつく。昼間より幾分涼しくはあるものの、歩いているとじんわり汗をかいてくる。
シャツが肌にピタッとくっつく感覚があまり好きではなく、汗で湿ったワイシャツを乾かすようにパタパタと仰いでみるが大して効果はなさそうだ。
黙っていると余計に暑さを感じる。そう判断したのか、いつも以上に会話をしようとお互いに口を開いていた。
会話の途中で香織はふと思い出したようにスマホで日程を確認する。
「そうだね。確か早朝練があって……、うん、それだけかな?」
向こうに行くための準備はあるけど、と付け加える。一緒にドイツに行くメンバーに連絡を取りながら、持って行った方が良い物をリストアップし少しずつ用意をしていってる最中だ。
香織はその答えを聞き満足そうに頷く。
「じゃあ、花火大会問題ないね」
「あー、そういえばもう今週末か」
香織と花火大会に行くのは今回で三回目になる。まだほとんど二人で出掛けたことのなかった頃に行ったのが初めてであり、もうあの時から二年が経過していることに何処か感慨深いものがある。
ふむ、と顎を撫でていると横から視線を感じる。振り向いた先にはジト目の優子が口を尖らせていた。
「浩介先輩は良いですね。香織先輩と花火大会に行けて」
最近になりやっと"浩介先輩"と呼ぶことに慣れてきた彼女の言葉には若干の棘が含まれていた。
チラリと香織を見ると苦笑いしている。
「じゃあ一緒に、と誘いたいところなんだけど、花火大会は特別な日なんだ」
「特別な日……」
「何年経ってもこれだけは毎年二人で一緒に見ようって決めてるの」
香織が横から補足する。
別に二人が付き合い始めた日なんてものは、どちらも大して気にしてはいない。
しかし、付き合って初めてのデートがその花火大会であり、それが二人の唯一の記念日となっていた。花火大会の日程が変われば記念日も動くために、それを記念日と言って良いのかは分からないが。
尊敬する二人の先輩の特別な日––––そんなことを言われたらワガママなど言えない。でも、仲間外れにされたような気がして少し寂しさがある。優子は唇を噛んだ。
「優子ちゃんは今度別の機会で一緒に花火しようね?」
「……はい」
俯く優子と、それに寄り添う香織は、まるで拗ねた子供とそれを宥める母親のようにも見える。
無意識に口からフフッと笑い声が漏れる。優子はからかわれたと思ったのか撫でられながらも頰を膨らました。
「何が可笑しいんですか?」
「ごめん、ごめん。別に可笑しくて笑ったとかじゃないんだ」
「じゃあ何ですか?」
「いや、ね……。香織に子供がいたらこんな感じなのかなって」
「こ、子供って–––––」
急な発言に思わず香織は赤面する。何故か優子まで顔を赤くしているが理由は分からない。
深い意味があって言った訳ではなかったが、予想以上に慌てる様子に浩介まで恥ずかしさを感じてくる。
そして恥ずかしさが限界突破した香織は暴走を始める。
「それは、いつか浩介と子供が出来たら良いなとは思うよ? でもまだ高校生だし、将来どうなるか分からないしまだ早いと思うの。まだこれからのことをしっかり考えてからで、まだ––––」
「か、香織! 落ち着いて?!」
「香織先輩に何してくれてるんですか。サイテーですね」
「いやいや、香織が勝手に変なこと口走ってるだけだから! 全くそんな話とかしてないし!」
「普段の生活では浩介と共働きになるかもしれないのかな? でもそれで二人で保育園まで迎えに行くのも良いよね」
「共働きなんて先輩甲斐性なしですね」
「甲斐性とか以前にまだ高校生だし! サッカーだって今後どうするか決めてないのに––––」
「サッカー。うん、子供はサッカーチーム作れるくらいがいいかな? それでチーム作って、チーム名は進藤フットボールクラブでSFCとか良いと思うの」
「お盛ん夫婦ですね」
「もう止めてください……」
頭を下げても気付くことなく言葉を発し続ける様子に優子も若干辟易してきていた。これ以上は流石にマズい。強引に妄想を止めようと香織の額にデコピンをする。
痛ッという言葉と共に香織は額に手を当てた。少し目を潤ませながら浩介を睨む。
「急に何するの」
「俺もしたくはなかったけど、あまりにも目に余る暴走っぷりだったから仕方なくだよ」
「流石に浩介先輩に同意します。表情は可愛かったですけど、だだ漏れしてた妄想の内容は天使じゃなかったです」
優子にそこまで言わせるだけのことを無意識ながら言っていたことがショックだったらしく、救いを求めるように浩介の方を向く。
「将来のことは追々考えていきたいとは思うけど、もうちょい自重しような?」
「はい……」
項垂れる香織の頭に手を置く。何度か撫でていると直ぐに復活する辺り現金だなと思うが、口に出すとまた落ち込むために心に留めておく。
チラリと優子を見ると考えが伝わったのか頷いていた。
「そういえばさ、俺は花火大会の日大丈夫だけど、吹奏楽部の練習は時間までに終わるの?」
「あ……」
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「花火大会の日は、交通規制がかかって私が帰れなくなるかもしれないので早めに練習は終わりにします」
滝の説明に香織は安堵した。いつも通りの練習では終わってから制服のまま向かってもギリギリかもしれない。花火の時間に間に合わないなんてことは絶対に避けたい事案であったため一安心だ。
しかも滝の都合もあり早く終わるために、一度帰宅して浴衣に着替えることが出来そうだ。
せっかくこの前のデートの時に一緒に選んで購入したのだ。キチンと着て行かないと意味がない。それでちゃんと褒めてもらうんだ。
想像しただけで、自然と顔は綻んでいた。
早めに終わるために久しぶりに羽を伸ばせる日とあり、吹奏楽部員は各々花火大会の予定を立てていた。
その中に若干沈んだ様子の男子生徒––––塚本秀一がいた。秀一は先ほどの自分の発言を後悔していた。想いを寄せる女子と花火大会に行けたなら。その気持ちはあるが、麗奈のからかいを含んだ挑発に思わず否定してしまった。
しかし、流石に女子二人と行くなんてことになったのなら、きっと羞恥心が保たないだろう。少々の名残惜しさはあるものの、いつも通りちかおや周りのメンバーと行くことにした。
先日ユーフォの公式演奏会に参加してきました。
生で聴く音楽はとても素晴らしかったです。