香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

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第六話

浩介の父親が仕事中に倒れ病院に運ばれた。その連絡を受け取った時、香織はスマホを落としそうになった。

 

 

「浩介先輩のお父さんが……」

 

「浩介が飛行機を降りてスマホの電源を入れたら大量に着信が着ていて。掛け直したら従兄弟からだったんだって。……それで、お父さんが倒れて病院に運ばれたって知ったみたい」

 

 

一過性の脳の血管障害で後遺症もなく、ただ念のため検査入院になった。病院に到着した浩介からのメールでそう伝えられた香織は安堵した。

問題がなければ関西大会にも間に合うのでは。

しかし、浩介はそのまま父親の検査に付き添うために、関西大会の会場である兵庫には行けないことの謝罪も追加のメールにあった。

 

香織は運ばれてきたコーヒーを一口飲むと一息つく。

 

 

「周りで知ってるのは私だけなんだけど、優子ちゃんなら知っても良いかなと思うことがあるの」

 

「何ですか?」

 

「浩介の両親は離婚しているんだ」

 

「え、」

 

 

急な発言に優子は言葉を失う。

親が離婚している。テレビなどでもよく耳にすることであり、今日日珍しいことでない。しかし、周りの人間には知っている限りいないこと、そして浩介のいつもの姿からは全く想像がつかないことが、より驚きを増していた。

 

 

「離婚していることをハンデに思われたくない、変に同情されたくない。そういう気持ちがあるから誰にも言っていないんだって」

 

「あの……、それ私が知って良かったんですか?」

 

 

今さらながらとんでもない情報を暴露され、若干混乱気味になってきている。本人のいないところで聞いて良い話ではないのではないか。

優子の疑問に香織は頷く。

 

 

「大丈夫だよ。元々タイミングを見計らって優子ちゃんに伝えるつもりではいたんだ。浩介が自分からは言いたくないから、適当なタイミングで私から伝えてって」

 

「そうですか……」

 

 

彼女である香織しか知らなかったことを教えてもらえた。それは信用されているということなのだろう。状況と内容次第では素直に喜べたかもしれない。

 

 

「今はお母さんと二人暮ししていて、京都には中学を卒業するタイミングで越して来たんだって」

 

 

元々京都はお母さんの出身地で、離婚を機に戻ってきたんだって。

香織はコップの縁をなぞる。紙のコースターには水滴が落ちてついたシミが少しずつ広がっていく。

 

 

「もしかしたらだけど、今回のことでそのまま千葉に戻っちゃうんじゃないかって不安になっちゃって」

 

 

そんなことはありえないと否定したい。

ただ、浩介が年に何度か父親に会いに千葉に行っていることは知っている。生まれ育った街に思い入れがあることも知っている。

キッカケがあれば戻ってしまうのではないか––––以前両親が離婚しているのとを聞いてから危惧していたことである。

 

千葉に戻るの?

そう聞いたのなら笑顔で否定することは容易に想像出来る。

だから怖いのだ。ある日、突然いなくなってしまうのではないか、と。

 

優子は言葉を掛けることが出来なかった。

慰めることは簡単だ。でも、その言葉が正解なのか分からない。膝の上の拳を強く握りしめる。

 

 

「ごめんね、暗い話しちゃって。デザート食べよっか」

 

「……はい」

 

 

カタラーナを掬って口に運ぶ。甘みが口の中に広がる。美味しいはずのこの甘さが今はしつこく感じた。

香織には笑顔でいてほしい。部活を辞めようか悩んだ時、後押しをしてくれたから今がある。そして今、その先輩が苦しんでいる。

何かできることはないのか。優子は必死に頭を働かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「浩介、すまんな」

 

 

離婚して以来、少し目立つようになった白髪。小さい頃は怖いと思っていた目つきに変わりはないが、以前より弱々しく見えるのは自分が成長したせいだろうか。

ベッドで横になり、天井を見つめたまま呟く。

 

 

「別に謝ることなんかないでしょ。……とりあえず無事で良かった」

 

「大会も近い大事な時期に、こんなところにいるべきではないだろ」

 

「親より大事なもんなんてないから」

 

 

後遺症が残らなくて良かった。浩介は安堵する。明日の検査も問題がなければ仕事にも復帰できる筈だ。

帰国後早々に従兄弟の泣き声を聞いたときは死を覚悟したが、いざ病院に到着するとあっけらかんとした父親と従兄弟に気が抜けた。

ただ、楽観視して良いものではないことは医師からも説明を受けている。今回のように、何か起こった時に近くに人がいれるような環境の方が良い。

その言葉は浩介の頭を悩ませた。理想は自分が一緒に住むことである。

しかし、そうなると母親を京都に置いていくことになる。そして、京都には香織もいる。

決して離れたくなどない。

 

 

 

不意にスマホが振動する。

画面を確認すると優子からの着信であった。滅多に掛けてくることのない人物からの電話に首を傾げる。

個室のために通話すること自体は問題ない。むしろ廊下では通話が出来ないため、電話に出るならばこの部屋か病院の外になる。

後でかけ直そう。

そう判断し、ポケットに仕舞おうとする。しかし、父親が手でそれを制した。

 

 

「父さんの時みたいに緊急の内容かもしれないんだから。今出なさい」

 

 

つい昨日起きたばかりのことを本人から言われたならば、出ない訳にはいかない。浩介は画面に触れスライドさせた。

 

 

「もしもし?」

 

『あ、浩介先輩。急にすみません』

 

「大丈夫だよ。それで何かな?」

 

『えっと……』

 

 

何か言いづらいことでもあるのか、優子が言い淀んでいる間にチラリと父親を見る。

いつの間にか眠ってしまったかのように目を瞑り横になっている。内容を聞かないようにするから、という意思表示なのだろう。

 

 

『あ、明日!』

 

「明日?」

 

『無理かもしれませんが……、兵庫まで来て欲しいんです』

 

 

兵庫は関西大会の会場だった記憶がある。つまり関西大会に来て欲しいということなのだろう。

しかし、なんでまたこのタイミングで。

香織から千葉にいることは聞いている筈である。その理由も。

その上で言っているのだろう。

 

 

『香織先輩が……、演奏に集中出来ていないんです』

 

「香織が?」

 

『浩介先輩が千葉から戻ってこないんじゃないかって、すごい不安になってます』

 

 

心臓がどきりとする。

香織はどれだけ人の考えていることを察してくるのだろうか。

 

 

『一目だけで良いんです。……あのままだと香織先輩きっと後悔します』

 

 

語尾がか細く沈んでいく。

香織のためになるならば、直ぐにだって会いに行きたい。無意識にスマホを掴む手に力が入る。

 

 

「申し訳ないけど––––」

 

『バカなこと言ってるって分かってます! でも!』

 

 

でも……。

涙ぐみながら何度も、でも、と繰り返す声にこみ上げてくるものがある。このままでは香織だけでなく、優子まで演奏に影響が出る可能性がある。

それだけは絶対に避けなければならない。例え嘘をつくことになっても。

 

 

「分かった」

 

『え……、本当ですか?!』

 

「絶対に、とは言えないけど、最大限努力するから」

 

『待ってますからね?! 絶対ですよ?!』

 

「いや、だから––––」

 

『香織先輩にも伝えておきますから!』

 

 

否定する前に通話が終了する。

画面を見つめたまま浩介は固まった。会うことが確定事項にされてしまった。

でも、会いにいくことは出来ない。

ごめん、と心の中で謝罪する。嫌われても仕方がないような嘘をついてしまった。その事実に心がざわめく。

 

 

 

 

「行ってきなさい」

 

 

顔をあげると、いつの間にか父親は目を開けてこちらを見ていた。優子の声が大きかったために、おおよそ内容は聞こえていたらしい。

 

 

「いや、でも。明日検査あるでしょ」

 

「則に来てもらうから大丈夫だ。それより、大切な人なんだろう? 近くにいてやりなさい」

 

「父さん……」

 

「父さんみたいになるな」

 

 

真剣な眼差しは浩介に頷かせる以外の選択肢を与えなかった。ため息を吐くとスマホで時刻表を確認する。

 

 

「今日は父さんの家に泊まって明日の朝帰るよ」

 

「分かった」

 

「今度千葉に来る時は連れてくるから」

 

「ああ。どんな子か楽しみにしてる」

 

 

昔からあまり言葉には出さないが、間違いなく浩介の考え方の根底には父親の生き方が反映されている。浩介はそれが誇らしくもあった。

例え離婚していようが父親は父親である。

 

 

「則ちゃんに連絡してあるの?」

 

「まだだな」

 

「おい」

 

 

直ぐに則––––従兄弟に電話を掛ける。

付き添いの了承を得ることが出来、一安心すると浩介はバッグの中を整理する。

久しぶりの再会で名残惜しくはあるが、そろそろ面会終了の時間である。

バッグから袋を取り出し、ドイツで購入してきたお土産を父親へ渡す。

 

 

「じゃあ、また明日。お土産は二つあるから則ちゃんにも渡しといてよ」

 

「分かった」

 

 

浩介はドアを閉めると深く息を吐く。

退院後の話は先送りにしてしまった。近い将来、進路とあわせて考えなくてはならない。

また母親と一緒に暮らしてくれたなら良いのに。叶わない願望はため息となって空気に混じっていった。

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