香織先輩に彼氏がいたならば【本編完結】   作:お家が恋しい

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いつの間にか50話越えてたことに気付いた。


第十七話

気持ちの良い秋晴れである。

久美子を連れて校舎を出た浩介は、秋の陽射しに照らされ、柔らかい暖かさを肌に受ける。学ランへの移行期間であるが、今日はシャツだけでちょうど良い気温だ。

コンクリートの道を通り、木陰を作る木の根元にあるベンチへと向かう。その間、久美子は特に話すこともなく浩介の後をついていった。

浩介が時折話を振るものの、短い返事のみで会話は続かない。若干の気まずさを感じつつ、浩介はベンチに腰を下ろした。

 

どんな相談かな。浩介の問い掛けに、久美子は下を向いたまま静かな時間が流れる。どのように切り出して良いか分からずに悩んでいるようだ。浩介は、無理に聞き出そうとはせずに、話し始めるのを待った。

一分も経った頃だろうか、久美子は意を決したように顔を上げた。

 

 

「進藤先輩は、サッカーを辞めようと思ったことはありますか?」

 

 

サッカーを辞める。

それはきっと部活を辞めるという意味ではないだろう。その顔つきから、サッカーを手放す、そういうことだと判断する。

 

プロのサッカーチームに内定が決まっている相手に対して質問するには、失礼なことかもしれない。そう思ったが故に話し始めるまでに時間がかかった。

確かに人前では聞きにくい質問だ。

 

 

「辞めようと思ったこと、あるよ」

 

 

グラウンドでは数人の男子がキャッチボールをしている姿が見える。

ちゃんと投げろ。

お前こそちゃんと取れよ。

気心知れているからこそ出来るやり取りの声が、久美子の耳にまで届いていた。

穏やかな陽気の昼休み。

失礼な質問と思いつつも、どうしても聞いてみたかった。本気になっていることを諦めようと思ったことはあるのか。正直なところ、浩介は職業にまでする程の人だ。聞いてみたものの、まさか辞めることを考えているとは予想はつかなかった。

 

 

「……意外です。プロの選手になるくらいなので、考えたこともないのかと思いました」

 

「この前の夏の総体に負けた時、」

 

 

つい最近の出来事である。久美子は目を丸くする。

 

 

「あまりにも簡単に負けちゃって。サッカー続けることが怖くなったんだ」

 

「怖くなった……?」

 

「そう。夏前には、既に日本のプロのクラブチームからお誘いは来ていたんだ。でもこんなんで通用するのかなって。直ぐにクビにされるんじゃないかってね」

 

 

他の職業にも言えるが、中でもスポーツ選手はシビアである。選手生命は短く、実力が不相応となれば若手であっても引退は余儀なくされる。

引退後の何十年と続く人生を考えた時、浩介は恐怖した。

 

 

「だから、普通の人みたいに、普通に大学行って、普通に社会人になろうって思ったんだ」

 

「……でも結局続けたんですよね」

 

 

そうなんだよ、と浩介は苦笑いする。サッカーを続けていることは予想外のことのように考えているのだろうか。

ワイシャツの袖のボタンを外して、腕を捲り上げる。筋張った腕の筋肉が鍛えていることをうかがわせる。

 

 

「香織にね、怒られたんだ」

 

 

なんてことはない。隣で浩介を見てきた人物からの叱責だ。

 

 

「サッカーを続けたい気持ちを、なかったことにして良いのかって。––––好きなら最後までやりきれ」

 

 

あの香織からは想像つかないでしょ?

おどけた浩介の姿を他所に、その言葉は久美子の胸に強く響いた。

何か分からないけど、こみ上げるものがある。喉が熱くなるのを感じた。

 

 

「ハッとさせられたよ。負けたからって、勝手に自分の実力を分かったフリして……。無理だって自分の気持ちに嘘をついていたんだ」

 

 

一生後悔するところだった。

そう呟く浩介の顔は、安堵していた。大切なモノを失わずに済んだ。

不意に姉の麻美子の言葉が脳裏に浮かんだ。

 

 

「……分かったフリして、我慢して。諦めることが大人なんだと勘違いしていた」

 

「そう、そんな感じ。多くの人が、いつかサッカーを辞める時が来る。中学生か高校生か、またはプロなのか。いつになるのかは分からない。でも、自分が満足するまで続けることにしたんだ。格好悪くたって構わない。後から続ければ良かった、なんて思いたくない」

 

 

ストンと胸に落ちるものがあった。

久美子はあすかのことを考える。彼女は、いつも大人であった。いや、環境からして、大人にならなくてはいけなかったのかもしれない。

でも、彼女はユーフォニアムが好きだ。

私は彼女のユーフォニアムが好きだ。

一緒に全国大会の舞台に立ちたい。隣で彼女の奏でる音楽を聴いていたい。それだけなのだ。

 

 

「ありがとうございます。スッキリしました」

 

「別に何もしてないけど、今の話が何かの参考になったなら良かったよ」

 

「はい」

 

「あとは、自分の気持ちをぶつけるだけだよ。……頑張って」

 

 

久美子は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の放課後。

昇降口にいた香織の顔は、最近滅多に見ることのなかった笑顔をしていた。

上手くいったのだろう。浩介はその笑顔から判断する。

久美子からの相談を受けた際、あすか関連のことであると想像はついていた。久美子が、あすかと誰を重ね合わせていたのか知らない。しかし、部活を辞めたあすかのその後に近い存在がいたのかもしれない。

 

結果としてあすかは部に復帰した。

久美子がどのように説得したのか知らないし、別に知ろうとも思わない。ただ、あすかの心に響く何かがあったのだと、そう思っている。

 

 

「良かったな」

 

「うん……、本当に、良かったよ」

 

 

目尻に溜まった涙を拭い、目を細める。気持ちを入れ込み過ぎではないか、そう思わせるほどに香織はあすかのことを考え、無力さに悩んでいた。だからこそ誰よりもあすかの復帰を喜んでいた。

 

秋も深まり、部活が終わる頃には陽はもう沈んでいる。少し肌寒い夜道を二人並んで歩く。

ぐう、と空腹が抗議をあげた。音のした方を向くと彼女は赤面していた。

 

 

「安心したらお腹空いちゃった」

 

「最近食べる量も減ってたみたいだしね。久しぶりにハンバーガーでも食べて帰ろうか」

 

 

大きく頷く香織の笑顔に暫し見惚れてしまう。きっと何年経っても慣れることはないのだろうな。

浩介は頭を掻いて、香織の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***********************

 

 

 

 

 

「では、練習を始める前に、まず大会に臨むメンバーを発表する。呼ばれた者からユニフォームを受け取りに来ること」

 

 

京都府大会予選を目前に控え、サッカー部顧問の山田は、練習前に部員を集める。誰もが緊張しながら自分の名前が呼ばれるのを待っている。

風がグラウンドの砂を巻き上げ、ソックスとパンツの間の素肌にぶつかる。浩介は足を交互に軽く上げて、緊張で固まる関節を動かした。大きく息を吐き目を瞑る。

 

 

「背番号1番は––––」

 

 

いつものように背番号の1番から順に発表していく。呼ばれた部員は安堵し、返事をするとユニフォームを受け取る。当落線上にいながら未だ呼ばれていない部員は、少しずつ顔が硬くなっていく。

 

 

「10番……、岩田」

 

「……は、はい!」

 

 

夏の大会以来10番は再び浩介が着けていた。最後の大会ということもあり、浩介が呼ばれるものだと考えていた岩田は一瞬返事が遅れる。前でユニフォームを受け取り、列に戻る中チラリと浩介の顔を伺う。

手を後ろで結び、俯いたまま自分の名前が呼ばれるのを待っている。その姿に威圧されるように岩田は顔を逸らした。

今目が合えば謝ってしまいそうになる。悪いことをしている訳でもないのに、そんな気がした。

 

山田はその後も淡々と背番号を読み上げていく。チームにもよるが、大抵の場合、12番からはサブメンバーの番号である。

 

 

「14番、進藤」

 

「はい!」

 

 

浩介は名前を呼ばれると顔を上げユニフォームを受け取りに前へ出る。悔しさや喜びなど一切の表情はそこにはなかった。

その真剣な眼差しに岩田は息を呑む。

 

 

「……、以上が大会の登録メンバーだ。今のベストメンバーを選んだつもりだ。選ばれた者は、チームを背負うことの責任をもって、選ばれなかった者はチームを支えていって欲しい」

 

 

––––はい!

 

返事をする部員の顔は対照的であった。メンバーに選出された部員の決意に満ちた表情。選出外の部員の悔しさで歯をくいしばる表情。

特にメンバーに入らなかった三年生は、今この時をもって引退である。涙を流し立ち尽くす姿に、岩田は目を離すことが出来ずにいた。

 

 

「絶対に目を背けるな」

 

 

振り向くと浩介が隣にいた。無表情に見えて、瞳は僅かに揺れている。三年間を共にした仲間の涙に、冷静に居られる筈もない。

それでも浩介は気丈に振る舞う。

 

 

「俺たちは負けられないんだ。負けちゃいけないんだ」

 

 

まるで自分に言い聞かせるように呟く。

 

 

「絶対に全国に行くぞ」

 

「はい」

 

 

よし、と浩介は雰囲気を和らげ岩田の肩を軽く叩く。これがチームを背負うということ。そう言わんばかりの態度に、岩田は頰を叩き喝を入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで浩介が10番じゃないの?」

 

 

翌日の昼休み。例によって浩介は香織と向かい合い、弁当を広げていた。やや不満そうにおかずを口に運ぶ香織に苦笑いする。目の前の彼女は、浩介の背番号の数字が大きいことが少し気になるようだ。

最近は取材の数も少なくなり、周囲の空気も落ち着いたため昼食中に声を掛けられることもなくなってきた。

 

「それは何度も説得したでしょ?」

 

「でも納得出来ないよ」

 

「今のチームで、10番は岩田なんだよ。そのことに納得してるし、14番は俺が生まれて初めて着けた番号だから思い入れもあるんだ」

 

「それでも……、私はやっぱり10番が見たかったな」

 

 

無茶を言っていることは分かっている。

それでも、あの東京のサッカー場で観た10番の姿が忘れられずにいた。あの姿が浩介なのだと、そう思ってしまうのだ。

 

 

「俺は14番が北宇治の憧れの数字になるように頑張りたい」

 

「……うん」

 

 

だから応援して欲しいんだ。

浩介の笑顔を見て、これ以上不満を言っても仕方ないことを悟る。

ありがとう、と御礼を言う浩介に我が儘を漏らす自分が恥ずかしくなる。香織は視線から逃げるように、ミートボールに箸を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『これより京都府予選大会一回戦第二試合、北宇治高等学校対堀山高等学校の試合を開始します』

 

 

 

『プログラム三番、関西代表。北宇治高等学校。指揮は––––』

 

 

そして、物語は次の曲––––ステージへと進んで行く。

 

 

 

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