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第0章 甘楽弥生の発端
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例えばの話をしよう。
例えば………自分の世界がいくつも重なる音と、色々な物が混ざり合った匂い、そして肌に触れる物の感触しかなかったとするんだ?
もし、そんな世界にいたとしたら、皆はそこをどんな世界だと思うんだろう?
いや、そもそもそんな状態の人間は『世界』を認識している事になるんだろうか?
『人間はいつか必ず死ぬ』それと同じくらい漠然とした感情として、僕は『世界』と言う物について疑問を抱いていた。
その疑問はある日、姉の他愛もない発言から解消される事になったんだ。
「ねえ弥生、アンタもやってみる? フルダイブ体験?」
いつもの様に、柔らかい感触に包まれる、寝るにはうってつけの場所で、姉の語るゲームの話に耳を傾けている時だ。姉は突然、名案とばかりに提案してきたのだ。
「え? フルダイブ………って、ナーヴギアっていう、あの頭を覆うやつ付けるあれ?」
「そうそう。今やってるソードアート・オンラインはマジすごいっ! βテストに参加した甲斐はあったよ! マジで!」
姉の声が興奮気味に高まり、喜びを訴えかけてくるのが伝わってくる。この人が喜んでくれているのなら僕も嫌な気はしない。
「でも、僕はゲーム出来ないよ? だって………」
続きを言おうとした時、既に何かが頭上に迫ってきている事には気付いていた。そう言う
あまりの痛さに意識が飛びそうになるのを堪えていたら、何かが僕の頭を顔部分まですっぽりと覆い尽くした。
「ね、姉さんっ!?」
困惑しながらも、近くにいる
「大丈夫よ。ナーヴギア無理矢理装着させただけだから♪」
「この姉、人の話無視して妹にゲームを強要しようとしている!?」
驚愕の事実に思わず説明的な突っ込みが口から漏れ出た。僕の悪い癖だよねこれ。
「大丈夫だって。………私さ、アンタに世界を見て欲しいのよ。たぶん………ううん、きっとこれなら、アンタにだって世界を
その言葉を、この先ずっと僕は忘れたりしない。
そのまま姉に押し切られ、半ば強引に「リンク・スタート」の合言葉………。
そして―――、
僕は―――世界を見たんです―――。
広がるは広大。見渡すは壮観。
そこに映る全てが、僕の知らないモノばかりで、その時の僕には言い表す言葉が全く見つからなかった。
完全に呆然実施状態。ただ驚嘆に周囲を眺める事だけを続け、ようやく我に返った僕は、そこでもう一つの事実に気付いた。
「え? あれ? ウソ!?」
脚が………動く!?
今まで『踏みしめる』と言う感触は愚か『立つ』と言う動作さえ忘れた僕が、今現在、何の不自由も無しにそれらを実行している。
これは何の冗談だろう? こんな嬉しい冗談があるなら、僕は騙されて高額の借金を背負ったって良いくらいだ。
胸の奥から湧き上がる感情に任せ、僕は『歩く』を試みる。遠い、本当に遠い過去に容易くできていた行為は、今ではかなりぎこちなかった。でも、この脚は僕の命令通りに動いてくれる。力強く踏締め、身体を前へ前へと押し上げてくれる。
次第に『歩く』は『駆ける』に変わって、そしたら『世界』が流れていくのが見えて、やっとそこで僕は『見ている』と言う事実に気付いた。
もうダメだ………。
歓喜が溢れすぎて、頭がおかしくなりそうだ。このまま死ねるのなら、なんと言う贅沢な死だろう? 今が人生最後の日になったとしたら、どれだけ神に感謝するだろう?
その時の僕は、本気でそこまで考え、ただ闇雲に世界を駆けて―――、
―――いつの間にか目の前に現れた、ふさふさの丸い物体に突き飛ばされた。
痛みはなかった。だから僕はただ笑って起き上ると、何も考えずにまた駆けて、また別のふさふさ丸々にブッ飛ばされて起き上って………。
景色が突然変わったところで冷静になった。
ホント、僕は一体何してたんだろうね………。今思い出すと自分の行動に恥ずかしくなるよ。
遅まきながら、僕はこの世界がゲームである事、つまり『仮想世界』『VRMMO』なのだと言う事を自覚した。
現実世界では体験できないモノを得られる。それが『VRMMO』ナーヴギアによるフル・ダイブ。
理解して、興奮が心臓を何度も跳ね上げる。
こんな素晴らしい『世界』が存在したんだ!
その後、僕はさっそくフィールドに出てモンスターを狩ると言う爽快感を体験しに行った。話だけでしか聞けなかった世界を、自分の身体で体験する事が堪らない。
何もかも忘れ遊び通した僕は、周囲が僕の良く知る『暗闇』に近くなった頃、ゲームを中止して姉に感謝をしなければと思い至るのだが………。
右手の人差指と中指の二本を立てて縦に振り、鈴の
「ログアウトボタンって………どれ?」
生まれてこの方『視覚』と言う物を持ち合わせていなかった僕は『字』は愚か『形』さえも知らないのだ。姉の話からメニューの出現までは出来たが、その後の『ログアウト』と云う字を見つけられない僕は、その事に気づいた姉がナーヴギアを直接外してくれるまで、ずっと途方に暮れる事になったのだった………。
二〇二二年十一月六日 十三時ジャスト。
「リンク・スタート!」
ナーヴギアをセットした僕は、音声時計の知らせを全て聞く前に声を発した。
闇に覆われているのが当然の視界に、光の色彩が浮かび上がり、パスワードの入力後『世界』へと接続される。
βテストから十年以上と御勘違いしてしまう程の長い時を経て、僕は再びこの剣の世界に足を付いた。
現実世界の自分がどんな顔をしているか知らない。おまけに僕のアバターは、元々姉の物であり、姉の趣味で完全に構成された『女心を擽る青少年』なる男性の姿だ。
でも、僕にはそんなの関係ない。むしろ、本来の自分と違う姿と言うのが別の身体を借りてこの世界にやってきたという感があって好ましく思える。
そうだ、僕はついに………っ!
「この世界に……っ! 戻ってきた~~~~~っ!!」
両手を振り上げ歓喜を齎しながら、僕はあらん限りの声で叫んでいた。
アレから幾日が過ぎ、僕を魅了したSAOβテスト期間は終わってしまった。製品版が届いた時も、それは元々姉の私物であり、当初の僕には使用資格などない。だがいずれ、親にせがむ形にはなってしまうのだろうが、ナーヴギアを購入し、再びSAOの世界に足を踏み入れようと、こっそり拳を握っていたりもした。
それがどうした事か、姉が急用が出来たとの事で、初スタートを断念する事になったのだ。その時姉が、僕に言ったのだ。「私がいない間、使ってても良いよ?」って。
僕は一も二も無く頷き、三時間も前からナーヴギアを装着して、音声時計の知らせをワクワクしながら待っていたくらいだ。
ログインしてからの僕は、姉が好んだ両手剣スキルの事をまったく考慮に入れず(姉は白い鎧に身を包んだ好青年が大好きなのだ)自分が得意とする槍スキルを真っ先に選び、初期設定の少ないコルを武器と回復用の消費アイテムに全部継ぎ込み、待った無しでフィールドに飛び出して行った。姉に対しての謝罪は、狩りでコルと経験値を稼いだ事で済ませよう。そう考えながら僕は夢中で狩りを続けた。始まりの町周辺の魔物を僕一人で枯渇させる勢いで走り回り、槍を振るった。気付いた時にはレベルが一つ上がって身体が光に満たされていた。そこでようやく僕の暴走とも言える興奮は落ち着きを取り戻した。
改めて広大な世界に視線を送る。
『世界』を知らなかった僕が、このSAOに来て初めて『世界』を知る事が出来た。
物の形や字は、この世界で勉強する事になった。βテスト期間中は、姉と交代で接続し、殆ど勉強に費やしてしまった。だから、この世界で最もやりたいと望んでいた『身体を動かす』と言う行為に没頭できる日は、これが初めてだった。
「うわ、でも空が赤い………! やりすぎちゃったかな?」
時間を忘れるほど楽しかったのは良い事かも知れないが、姉もそろそろ帰ってる頃だろう。夜くらいは姉にアバターを返し、この世界を堪能させるべきなのかもしれない。
一抹の残念感を感じながら、それでも姉が譲ってくれた時間を返さなければとメニューを呼び出しログアウトボタンを探す。
しばらく視線を彷徨わせていた僕は、そこで初フル・ドライブ時と同じ発言をする事になった。
「あれ? ログアウトボタンって………どれ?」
っと言うか何処? 姉に教えてもらった『ログアウト』の文字が何処にも見当たらない。位置は憶えているので僕が見落としたと言うわけではなさそうだ。いやいや、もしかするとβテストの時と場所が変わっているのかもしれない。現実世界では説明書を読む事のできない僕はその辺の差異を確認する事は出来ない。そう考えて覚えたての字が大量にひしめいているオプションメニューの一番上から一番下までを半分流しながら読み進めて行く。
最後の辺りで『倫理コード解除設定』なる物を発見し、意味が解らず超時間眺めてしまったりしたが、最後まで読み終える事が出来た。
うん、間違いなくログアウトボタンが消えている。これが姉が言うところのバグと言うものだろうか?
首をかしげつつ、それならそれでGMからの連絡がいずれ来るだろうし、あまり長い間ログインしていれば我慢できなくなった姉がナーヴギアを取り外して怒鳴りつけてくる事だろう。その時にでも事情を説明すればいい。
結論を出した僕は、再び槍を構え、多少減ったHPゲージに注意を払いながら狩りを続行しようとする。
壮大な鐘の音が響いたのはその瞬間だった。
気付いたら景色が始まりの町の広場に移り変わっていた。視覚的な情報で『場所を移動した』と言う自覚を持てない僕にとって、それは本当に視界が変わっただけと同義だった。それでも次の瞬間、その認識が『移動した』に変わったのは、周囲に次々と青い光に包まれたプレイヤーが出現していたからだ。NPCだと思わなかったのは、単に僕の認識不足でその考えが浮かばなかっただけだ。確たる確証などない。
状況の意味など解らなかったが、これもバグの一端なのかもしれない。そう考えた僕は、さっさと広場を出ようと試みたが、見えない壁の様な物に阻まれ出る事は叶わなかった。
仕方なく広場を適当に歩いて暇潰しでもしようとしていたのだが、次々この場所に転移してくるプレイヤーが続出し、ついに身動きが取れなくなってしまった。こんな事なら広場の端で大人しくしてれば良かった………。
「あっ………上を見ろ!!」
げんなりしているところ、その声が突然上がり、僕は咄嗟に空を仰ぎ見た。
【Warning】【System Announcement】
真っ赤に染まった空に、それ以上に濃い深紅に染まった模様はそう書かれていた。
この数カ月でやっと簡単な日本語を覚えたばかりの僕にとって、それは記号なのか字なのかも区別がつかない。辛うじてゲームのメニューに同じような物があるので、何かの単語だろうとは理解出来たが、完全に『初めて見る存在』で意味する所は一片たりとも解らない。
首を傾げるばかりの僕の目の前で突然記号が崩れ、血の様にどろりとした物に変わり流れ落ちる。ビックリする間もなく、それは目部下にフードを被ったローブ姿の何者かに変わった。『何者か』と表現したのは、フードの下に本来あるはずの顔が見られなかったからだ。
まあ、見られたとしても、僕には男女の区別は殆どできないのだけど………、とりあえず固そうというイメージを持てれば男。柔らかそうというイメージを持てれば女。くらいの区別はつく。若い子が相手だと顔だけではどうも判別しにくい。
空一面に出現したローブ男(たぶん)は現れて数秒後、自分に注目が集まった瞬間を狙う様に発言した。
『プレイヤー諸君、私の世界へようこそ。私の名前は茅場昌彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』
その先の事を、僕は正しく憶えていない。
憶える事を意識が拒否したのかもしれない。
ただ知識として記憶した内容は―――、曰く、このゲームのログアウトできないのは仕様である事。曰く、最大百層まである、このアインクラッドをクリアしない限りログアウトできないと言う事。曰く、もしこの世界でHPを0にするか、現実世界でナーヴギア強制的に外そうものなら、ナーヴギアに電子レンジの応用で高出力マイクロウェーブで脳を焼き尽くされて本当に死んでしまうと言う事。
そこまでの説明を受けた僕は、やっと手放しかけていた自我と言う物を取り戻す。そこまでの説明の過程にどんな事があったのか詳細に憶えていないが、危機感と言う本能がともかく自分をしっかり保てと訴えかける。くらくらする頭でそれに従いながら、僕はもう一度空を見上げる。
『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』
言葉に従い、僕はメインメニューを呼び出しアイテムタグを確認する。その中から、まだ覚えていない漢字で二文字、こう書かれている物があった。
≪手鏡≫
意味も解らず、そのアイテムをタップしオブジェクト化する。
手に取ったそれを確認して初めて、それが≪てかがみ≫だと言う事を理解した。
―――っと、鏡を覗き込んでいた瞬間、途端に視界が光に埋め尽くされ、思わず目を瞑ってしまう。光が遠のいたのを確認して瞼を開くと、さっきまで好青年然とした男の顔を写していた鏡が、今度は丸みを帯びた顔立ちに、少したれ気味の瞳を持つ、長い黒髪の誰かが映っていた。
「………誰?」
眉間に力を入れ覗き込むようにして僕が訪ねると、鏡の中の相手も難しい顔をしてこちらを覗き込んで来る。なにこれ?
「俺じゃんっ!?」
すぐ近くでそんな声がして振り返ると、そこにさっきまで見なかった男性が鏡を覗いて驚いていた。
「なんだよこれっ!?」
「え? わたし………?」
「どう見ても僕だ………」
「ウソだろ?」
「お前がクラインか!?」
「おめぇがキリトか!?」
「お前男だったのかよ!?」
「高校生って言うの嘘かよ!?」
次々上がる声の嵐に、やっと僕も状況を認識した。
鏡の存在は知っていた。それがどう言う物かもちゃんと知ってる。でも見るのは初めてだった。だから僕はもう一度鏡を覗き、そこにいる人物を確認する。
「これが………僕?」
そこに映った顔を見て、僕が最初に思い浮かんだのは「『僕』の一人称って絶対顔と合ってない!?」などと言うどうでもいい事だった。まあ、想像してた『不健康そうな薄幸の少女』然とした顔でないだけ自分の生まれに感謝するべきかもしれない。見た目の基準値は僕には解らないが、個人的に悪いとは思えない。………悪くないよねこれ?
初めて見る自分の顔と睨めっこしながら唸っていると、頭上のローブ、茅場昌彦が再び発言を繰り返す。
『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。なぜSAO及びナーヴギア開発の茅場昌彦はこんなことをしたのか?』
その疑問は、確かにある。僕も、自分の顔が初めて見る物ではなかったら、すぐにその疑問を思い浮かべていただろう。
疑問の回答を求め、僕は頭上の存在を仰ぎ見る。
『私の目的は、既に達成されている。私にとっての最終目的は、この世界を創り出し鑑賞する事にある。そして今、全ては達成せしめられた』
なに? それ………?
それだけの理由?
それはつまり、この先どんな状況変化がもたらされても、この人が僕達を解放してくれる事はないって事? 唯一の条件、ゲームクリアが成し遂げられるその時まで………。
『………以上で≪ソードアート・オンライン≫正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の―――健闘を祈る』
その言葉を最後に、ローブ男に扮した茅場昌彦の姿は消えさり、元の青空が戻ってくる。
束の間の静寂―――、後、誰かの悲鳴が上がった事で次々と声が上がる。
「嘘だろ………なんだよこれ、嘘だろ!」
「ふざけんなよ! 出せ! ここから出せ!」
「こんなの困る! この後約束があるのよ!」
「嫌ああ! 帰して! 帰してよおお!」
混乱の極み………そんな言葉があるとしたら、正にこの状況だろう。
僕も、考える事全てが恐ろしい事の様な気がして、その場に跪き、座り込んでしまう。
もう、僕はここから出られない? 安全圏の町の外に一歩でも出れば、そこは自分の命を刈り取る魔物の巣窟………。これはもう、ゲームじゃないよ………。
家族に会えない。姉さんに会えない。触れられない。声を聞けない。
そんなの………、そんなの嫌だよ!
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
こんなのは嫌だよ!!
現実を受け入れたくなくて、お尻を地面につけて目を閉じながら耳を塞ぎ頭を振り続ける僕は、瞳の奥が熱く痛くなるのを感じた。止めどなく溢れ出る涙が、僕の大切な物を零していくようで、ますます不安になって身体を丸くしてしまう。
もう何も聞きたくない! 何も考えたくない!!
そんな風に塞ぎ込んだまましばらく………突然別の不安が胸をよぎった。
真っ暗な視界、動かない足、頼りない音、肌を刺すような空気の痛み、認識の難しい匂い………。
これ? 何処かで体験した事無かったっけ?
疑問はすぐに解消される。何の事はない。これは現実世界の僕が置かれている状況とまったく変わらない。
そう、生まれた頃から僕の眼は見えなかった。幼い頃に階段から落ちて脚も動かなくなった。他人に付き添ってもらわなければ外にも出られず、家の中でさえ車椅子の通れる範囲に不自由し、自分の自由が幾つも束縛されていた。
そんな自分を不憫に思った事はなかった。生まれつき、こんな体だったし、後遺症的な痛みは伴なわなかったから辛いと思った事もなかった。自分が平均で周りの人間が特別なだけ。認識としてはそんな感じだった。
だけど僕は知ったんだ。世界を………光と、自分の脚で歩くと言う心強さを。
そうだ。この世界の僕は眼が見える。自分の脚で立てる。
この世界の僕は現実世界の僕よりずっと上等なんだ。
瞼を開く。手に持ったままだった手鏡を覗く。初めて見る自分の顔が映っている。
この世界の僕は、まったく別物の男の槍使いだった。でも、今は、現実世界の
ならばここは僕にとってゲームの世界じゃない。もう、まったく別の異世界と同義だ。
ここが異世界と言うのなら、まず僕がしなければいけない事はなんだろう? それは覚悟じゃないのか? 現実世界で当たり前の様にしていた簡単な覚悟。それを、僕はこの世界に持ってくるべきなのではないだろうか?
その覚悟は………―――?
「っ!!」
立ち上がる。
手鏡をアイテムストレージに放り込んで、僕は全力で走り始める。
町を駆け、街道を抜け、門を潜り、危険なフィールドに飛び出す。僅かな危機感が「止まれ」と「引き返せ」と叫ぶが、昂った感情と勢いに任せて振りはらう。
走れ! 走れ! 走れっ!
僕には今までなかった脚がある! 自分の意思で動かす事の出来る脚があるんだ!
脚があるなら前へ踏み出せ! 脚があるなら前へ進め! 地面を蹴れ! 立ち止まるな!
見ろ! 世界を見ろ! 前を見ろ!
暗闇ばかりの現実とは違う、光と色に満ちた広大が広がっている! 見渡しきれない世界が見える! 俯いたり、目を瞑ってばかりいたら、あの時と同じじゃないか!
僕は知ったはずだ! この世界は現実の世界とは違うと! なのに同じ事をしててどうするのさ!
突然、視界の先で青白い光が灯り、中から狼のModが出現した。
「僕は………っ!」
何も考えず、背中の槍を振るい抜く。
「僕はっ!!」
胸に覚悟を燈し、モーションを構え、槍のソードスキルを狼に向けて放つ。
青いライトエフェクトと共に狼を貫いき、クリティカルヒットを発動させる。
ポリゴンの欠片として消え去る狼に目もくれず、勢い殺さず走り抜ける。
息切れを起こす事の無いこの世界で、僕はステータスが許す限りの全力を振り絞って走り続ける。
「この世界で………生きるっ!!」
誰もが生まれてきた世界で当然にする覚悟を叫び、僕はこの世界に生まれた一人だと言う事を自覚した。
―――甘楽弥生じゃない。僕は、この世界で初めて生まれた………
1
勢いとは恐ろしい。僕はつくづくそれを痛感していた。
立ち止まって勢いを削いだら動けなくなる。覚悟が揺らぐ。そう思ったから感情のまま走り続けたのだけれど、おかげで殆ど準備しないまま隣町まで移動してきてしまった。
隣町、ホルンカの村まで到達した時には、無茶な突進の所為で体力ゲージもイエローまで減少していた。安全圏に入って慌ててポーションをオブジェクト化して胃袋に流し込む。体力ゲージが回復するのを確認して、やっと一息ついてしゃがみ込む。
「ふう………、疲れた………」
体力は無尽蔵のVRMMOでも、精神的な疲労は全く癒してはくれない。そうでなかったら逆に恐ろしい気もするけど、勢い任せに突進してきた今の僕は、それを恨めしく思ったりもした。
「休むのは後にしよ………」
気持ちが萎えない内に身体を動かしたい。そんな心情の元、僕は立ち上がり、次の方針を決めるためにメニューを呼び出しながら周囲を確認する。
既に日は完全に沈み、夜の時間帯になっていたが、この村には多くのプレイヤーが存在する事が頭上に浮かぶカーソルで確認できた。
このプレイヤー、全員がβテスターで間違いないみたい。
僕は、正しい意味でβテスターではなく、あくまでβ経験者と言ったところだ。実際、僕の経験したアインクラッドは、姉が進めた途中からだったし、そもそもβ期間中はまず勉強をしなければ始まらなかったのだからSAO内部には全く詳しくなれなかった。精々、戦い方のコツを知っているくらいだろう。
そんな僕は、ただ計画も無く闇雲に走ってきただけに過ぎない。なのに、この村に何人もプレイヤーがいると言う事は、彼らはβテスターで、僕とは違って計画性を持ってここに訪れたと言う事になる。
「どうせならここで誰かとパーティー組みたいよ………」
一人身の厳しさは、β中に嫌と言うほど思い知らされた。姉曰く、僕はSAOの戦闘に向いているらしいのだが、SAO内で僕が死んだ回数は姉の軽く五倍近い。とても向いてるとは思えない。
ちなみに、あまりの回数死に過ぎて、ペナルティもとんでもない事になっていたのだが、姉は「私がレベリングするより効率良いから気にしなくていいよ♪」っと、言葉の奥に冷たい炎が宿った様な声で笑い飛ばされた。本当にごめん、姉さん。
ともかく、この先の事を考えるならパーティーは必須条件の筈だ。問題は、今この場にいるのが全員β上がりで、僕の様な初心者がパーティー入りする事を好ましく思わない可能性が高いと言う事。
僕がβテスターと同じ知識を持っていれば、クエストを協力する代わりに、パーティーに入れてもらって鍛えてもらうと言う手もあるが、僕の知識ではそうもいかない。
困ったどうしよう………?
考えてもいい案が浮かばない。仕方ないのでそっちは後回し。僕はコルの使い道を決める事にした。
「とりあえず今持ってるコルは全部使おう。ケチってる場合じゃないよね?」
自分に言い聞かせ、武器と防具を買いに走る。
先に買い求めたのは防具。まず守りを高めない事には命の危険から逃れられない。最悪、一撃必殺なんて悲惨な結末だけは避けたい。
っと、そこで僕は一旦停止してしまう。防具の種類は二つ。防御力は低いが俊敏性を下げない革装備。俊敏性は失われるが防御の厚い鎧装備。
どちらを取るべきか迷った僕は残金を確認しながら一つ頷き、購入ボタンをタップする。
選んだのは身体を覆う革装備に、片腕だけガードした鎧装備。不格好で不揃いだと思ったが、動きを阻害されるのはどうも性に合わない。かと言って守りが脆過ぎるのは個人的に頂けない。どっちつかずと言う感はあったが、僕はこの半分半分を選んだ。
最後に新しい槍を購入したら残金が大変な事になってしまい、回復アイテムを購入する分が残ってなかった事には大いに慌てたが、今まで倒したモンスターからドロップした資材アイテムがある事に気付き、そちらを全部売却して何とか買い集めた。
「仲間探しもだけど、まずはお金稼がないと………!」
目の前の方針がいきなり決まった僕は、村中を駆けまわり、クエストっぽい物を探した。その中で森に生息するプラント系のモンスターを倒したら手に入る資材アイテムで薬を作ってくれると言うクエストを辛うじて発見。慌ててそれを受け、駆け足で森の中に突撃した。このクエストは、ともかく沢山のプラント系モンスターを倒して、沢山資材を集めれば、それだけ沢山ポーションを作ってくれると言う事らしい。
最初はお得に思えたこのクエスト、中身を開けて見ると全然お得じゃなかった。
確かにプラント系のモンスターが大量に存在する近隣の森では目的のモンスターなど探すまでも無く、うじゃうじゃいる。ただ意外と目的の資材アイテムが手に入り難いのだ。これがまた微妙で、落さないと言うわけではないが、ポーション一つ作ってくれる資材の数が中々揃わない。三つ分くらい集まった時にメニューを確認したら、コルがポーション十個くらいは買える金額になってた。
「詐欺だこれ!」
などと無駄に叫びながら、それでもレベリングのために僕は長い間森にとどまった。
目標としてはポーションを十個くらい作ってもらおうと考え、ともかくレベリングに集中した。
途中、やたら片手剣装備の人と遭遇したり通り過ぎたりしたけど、そこは互いにスルーし合う事で争い無く済んだ。
そうこうしてる内、そろそろ武器の耐久値が心配になってきた僕は、あと一戦して村に戻ろうと思いいたる。
索敵(サーチング)スキルで周囲を探りながら帰り道をゆき、最後の一体を探す。
初期状態でのスキルは二つまで空きがある。僕は一つを≪槍≫に、もう一つは≪
頭の中で愚痴を零しながら歩いていると、モンスターのカーソルが視界に映った。
これで最後!
心にそう決めて、今まで通り突進していく。頭の中で『猪突猛進』と言う言葉が浮かび、レベルが上がって余裕が出たら自分のスタイルを見直そうと決めた。
モンスターが視界に入った瞬間、迷わずソードスキル≪ソニック・チャージ≫と言うついさっき覚えたばかりの突進技を使用する。目に見えたプラント系のモンスターの腹(?)部分を貫き、そのまま通り過ぎて相手の後ろ側に回る。着地後、硬直が取れたタイミングで振り返り、僕は初めてそのモンスターの存在を目にする。
僕が今まで戦ってきたプラント系モンスターは≪リトルネペント≫と言われるウツボカズラみたいなモンスターだ。それは大抵ウツボカズラの胴体に自由に動かせるツタが付いているだけのモノなんだけど、なんでか僕の目の前にしてるこいつは、頭に真っ赤な『実』らしき物がくっ付いていた。
「何これ? レアモンスター?」
偶然バックアタックが発生したらしく敵がスタン状態になっているのをいい事に、僕は槍を思いっきり振りかぶり、初期ソードスキル≪ヘリカル・トワイス≫で横に斬り払う。
ライトエフェクトが軌跡をなぞり、大人二人分はありそうな胴体を真横に断ち斬る。同時に、延長線上に位置する、赤い実が斬り落とされ、それが地面に落下していく。
あ、やっぱり何かのレアアイテムでも落としてくれるのかな? なんて眺める中、落下した実はたちまち砕け異様な臭気を放った。
「―――っ!?」
思わず鼻を押さえて飛び退く中、異臭を放つ緑の煙は周囲への霧散してく。
何かのイベントでも起こるのかとそのまま待機していたが、特に変化は見られない。あの実付きはただの亜種だったのだろうか?
そんな疑問を思い浮かべた次の瞬間、僕は恐ろしい変化に気付いた。
索敵(サーチング)スキルが周囲一帯全方向から沢山のカーソルが近づいて来ている事を示す。ランダムに移動しているはずのModが、真直ぐ僕の場所を目指して集まってきているのだ。
「なんで………っ!?」
呟くと同時に思い至る。さっき割れた実の異臭は、周囲のモンスターを引き寄せる効果があったんだ。アレは特別なアイテムをドロップできるレアモンスターじゃない。倒し方を誤ると自滅する事になるトラップモンスターだ!
「くっ!?」
瞬時に逃走を考えるが、ここから安全圏の村までまだ少しかかる。全速力で走っても間に合うか解らない。だけど、戦ったとして勝てる可能性なんて、それこそ無いに等しいじゃないか!?
自分の迂闊さに歯噛みしながら、僕は手持ちのポーションを取り出し、今の内に体力を最大に回復させる。ついでに残りを確認するが、とても「なんとかなりそう」と楽観できる数は入っていない。急ぎ開いたメニューで装備を確認するが、残り耐久値はあまりにも乏しい。
僕はここで死ぬのだろうか?
そんな不安が過ぎ去り、慌てて頭を振って誤魔化す。
まだだ! まだ僕は生きているんだ! だから、最後まで諦めちゃダメだ!
そう自分を鼓舞して槍を構える。
指先の感覚が冷たく痺れて、良く解らない。膝が勝手に震えて座り込んでしまいそうだ。意味も無く肩が寂しくなって、誰かに支えて欲しいと望む。目の奥が痛くて涙が滲む。頭の後ろがチリチリして、勝手に全身の力を奪っていくようだ。
少し、少しだけ待って。せめて深呼吸して、気持ちを落ち着かせる余裕を頂戴。
そんな言葉を吐いたところで、誰も聞いてはくれない。
怖い。
不安ではない、明確な恐怖が僕の胸を空虚にしていく。心細い感覚が、僕の中から全てを奪っていくようだ。
心の準備が出来る前に、プラント系モンスター≪リトルネペント≫が大量に押し寄せてきた。もう、時間は待ってくれない。考える事もできない。僕は訳も解らず声を上げ、無我夢中で槍を振るう。
槍スキルは元々が後方支援的な目的のスキル。前衛が相手の気を引いている内に、後ろからちくちく攻撃すると言うのが基本だ。その例を無視した僕の戦い方は、必然的に一撃必殺から遠ざかりカウンター系の形を要して行った。槍の柄で攻撃を受け、力を受け流しつつ反撃の一撃を鋭く急所に入れる。それが最も冷静な時の僕の戦い方であり、猪突猛進の悪癖を出していない最良のスタイルだと信じている。
だが、この時ばかりはそうもいかなかった。次々と溢れる魔物の群れに、守りに徹する暇など考えられなかった。ともかく槍を振り回し、一体でも多く数を減らす事以外、楽になる道筋が見つけられなかった。
「うああああああああぁぁぁぁぁっ!」
叫び、槍を振るい、何度もモンスターを斬りつける。ポリゴンの破片が周囲に散っているので、何体かは倒した筈だ。正確な数は数える暇も無い。自分のHPの状況も殆ど確認できていないのだから。
「あぐぅっ!?」
背中に衝撃が走って赤いライトエフェクトが閃く。背中を攻撃されたと気付いて、槍を右手に握り、柄を腰に引っかけながら、左方向に三百六十度一回転する。それだけで周囲の敵を全て切りつけられた。確認は出来なかったがポリゴンの破片もいくつか散った。
荒い呼吸で肩を揺らしながら、顔を上げて周囲を確認する。周囲はまだまだ気が遠くなる数の≪リトルネペント≫で溢れ返っていた。肉体的に疲れないVRMMOで体力は無尽蔵だと言われようと、その精神までは無限じゃない。次第に疲弊して行き、戦う意思が殺がれていく。
もう無理だ。
頭でそれを理解しながら、それでも僕は立ち上がり、槍を構える。
例え既に限界へと辿り着いていても、まだ足は動く。眼は見える。だから僕は諦めるわけにはいかない。
相反する心が二つ、叫び声を上げて暴れまわる。僕は槍を握り、後ろに振り被りながら正面に向かって走り出す。
「うあああああああっ!」
飛び上がり、渾身の一撃を叩き込み、一体のリトルネペントを倒す。すかさず左右のリトルネペントに攻撃され、身体を揺さぶられ、よろける。そこに別のネペントが痛恨の一撃を放ち、近くの木にぶつかる程、思いっきり吹き飛ばされる。
痛みを感じない仮想世界でも、緊張状態の続いた戦闘に、僕の精神は完全に限界を迎えていた。今の一撃で槍の耐久値が限界を迎えたのか、ポリゴンとなって砕け散った。キラキラとした青白い光を目前に、僕は終わりを悟った。
不思議と後悔や絶望はない。だが、何の感慨も浮かんでこない。
ただ疲れた。そしてやっと休める。それだけの感慨に落ち、僕はゆっくりと瞼を閉じた。
最後の瞬間、自分のHPが赤くなったのと、誰かの声が聞こえた様な気がしたのは………きっと気の所為だ。
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「ていりゃあっ!」
目の前で戦っている男の子が、楽しそうに叫びながら剣を振るい、眼前のモンスターに斬りつける。よろけた尾と首の長いトカゲの様なモンスターは、たたらを踏んでから重そうな首を持ち直して噛みつきに掛る。
その顎を左手に構えていた盾で防ぎ、弾いた男の子は、お返しにソードスキルで一撃を据える。再びモンスターがよろけるのを確認して男の子は叫ぶ。
「スイッチ!」
声に反応した僕は準備していたソードスキル≪ソニック・チャージ≫で突撃し、モンスターを後ろに吹き飛ばす。槍に突かれたモンスターは一回地面を転がり、慌てて体勢を立て直そうとするが、その前に走り寄り、槍を巧みに回転させながらシステムアシスト無しのコンボを叩き込んでいく。既に盾持ち片手剣の男の子に大量のHPを削られていたトカゲは、コンボを終えたタイミングでポリゴン片となって爆散した。
「いえ~~いっ! 勝ち~~~!」
飛び上がり、身体全体で喜びを表現する男の子、『ラッツ』に向けて、僕もニッコリと笑いかける。
「うん! 勝ち~~~!」
僕達はハイタッチをして互いの健闘を称え合う。
あの森で気を失い、モンスターにやられて死んだ筈の僕は、何故かこうして生きていました。気付いた時には安全圏の村の木陰に隠される様にして移動していました。誰かが助けて、そこまで運んでくれたらしいのですが、僕は助けてくれた人の顔を見る事も出来ず、お礼さえできなかった始末です。助けてくれたのが複数だったのか、男なのか女なのかも解りません。だから、この先僕はその人物に出会ってもお礼を言う事も出来ず通り過ぎてしまう事でしょう。それはちょっと淋しい気もする。
何はともあれ、生き残る事が出来た以上、僕はやらなければならない事がある。当面の目標は、第一階層のボス攻略―――なんだけど、未だに迷宮区の攻略は進んでおらず、ボスの部屋さえ見つけていないと言うのが事実です。
デスゲームが始まって三週間と少し………、一月になろうとしている現状で、未だに一階層のボスさえ倒せていないという事実はどうなのだろう? 決して遅いわけではないだろうけど、安全マージンを優先されている事が攻略の進行を妨げている事は間違いない。
僕は溜息を洩らしながら、このペースでSAOが攻略されるのは一体いつの事になるんだろうと言う不安に悩まされる。
「どうした姉ちゃん? もう疲れた?」
「え? ううん。そんな事無いですよ?」
第一階層のサブダンジョンの森の中を悠々ハキハキと歩いて行くラッツが、子供らしい何も考えてなさそうな顔で問いかけてくる。
言葉の割に全然心配してなさそうな顔だったが、とりあえず答えておく。
彼とパーティーを組むようになったのは、僕が死を覚悟した森を抜け、それなりのレベルになって第一階層の迷宮区に挑んでいる最中での事だ。さすがにソロで迷宮区を挑むのが、どれだけ大変な事なのかと言う苦労を味わい、何処かのパーティーに入れてもらえないかを真剣に考えているところ、何か騒いでいるパーティーの一団を見つけた。
最初は特に気にしてなかったのだけれど、残念ながら先を進むためには一本道。騒いでいる一団とどうしても接触する必要があった。
イヤな予感はあったけど、いつまでも足止めされるわけにもいかないし、帰るにしてはまだまだ日が高い。仕方なく、一団に近づくと話の内容が嫌でも聞こえてきた。
どうやらゲーム初心者の一団が新しくメンバーに加えたらしいβテスト上がりの勝手な行動を糾弾しているところらしい。誰が誰かは解らなかったし、その時のメンバーも全然憶えていない。そもそも、初心者側の一団が言ってる事の方が正し過ぎて、β上がりの発言はあまりにも子供っぽすぎる理由ばかりだ。
呆れながらパーティーの目前まで迫った僕は、そこで脚を止めてしばらく待ってみる。だが、誰もこちらに気付いた様子はなく、口喧嘩に勤しむばかり。止めようと宥める者や、どうしていいのか解らずオドオドする者、僕の様に呆れる者、いがみ合っている物と、まさしく多種多様の反応を見ながら、僕はいい加減待ちくたびれて解り易く咳払いを一つした。
「ん、んん……っ!」
それほど大きな音が鳴ったわけじゃないけど、音の反響し易い迷宮区では口論中の相手にも気付かせるに充分な音量だったようだ。驚いてこちらに視線を送る一団に、内心かなり怯みながら、ポーカーフェイスで話しかける。
「パーティー内の問題に口出しする気はないけど、それならそれで、端の方でしてくれないかな?」
僕の言葉に、バツの悪そうにする者、慌てて謝罪を述べる者、苦笑を浮かべる者と、また様々な反応を見せて端による一団に、案外気の良いメンバーが揃っているらしいと知り安心した。一瞬、このパーティーに参加を求めようかとも思ったが、タイミング的に言い出すのがおかしい気がして諦めた。そのまま何も言わず通り過ぎようとしたら、不意に一団の一人に声を掛けられた。
「姉ちゃんソロか?」
声の相手を探し視線を巡らせると、一瞬見つけられなかったくらいの小さな男の子が僕の事を見上げていた。SAOのアバターは、GM茅場晶彦によって現実の自分の姿とまったく同じ物にされている。ならば目の前の男の子も見た目通りの年齢と言う事になるのだが、その幼さには正直驚いた。どう見積もっても十歳くらいの小さな男の子。そんな子がどうしてここにいるのか? SAOプレイヤーの平均年齢が十代後半だと考えていた僕にとってはかなり衝撃的な事実だった。
「そう、だけど………?」
驚きでちょっと言葉を詰まらせながら答えると、途端に男の子は悪戯を思いついて得意気になった子供の笑みを顔一杯に作って見せる。
「俺! お前らとパーティー組むの止める! この姉ちゃんと組む!」
いきなりそんな事を言って飛びついて来た。
殆ど自宅暮らしで、触れ合う相手など家族くらい、しかも姉や母が殆どと言う、他人とのスキンシップに極端になれてない僕は、男の子の腰に抱きつくと言う無邪気な行為に本気で慌て―――目の前に表示された『ハラスメントコードの発動しますか?』っと言うシステムメッセージに、本気で『Yes』ボタンを押しかけた。実際、僕の指はシステムがタップされたと認識されるギリギリ手前で止められていた。
鉄の意思で『No』をタップしてから、僕は男の子の頭をわりと固く握った拳骨で殴って離れさせる。今のでHPが減っていれば、僕のカーソルは犯罪行為をした人物として、オレンジに変わっていたかもしれないと言う事は、このさえ「何事も無くて良かった」の一言で片づける事にしよう。
まあ、何はともあれ、そのままなんかくっ付いてきちゃったのが、盾持ち片手剣を使うラッツくんと言う事になる。
彼が僕にくっ付いてきた理由は、実はちょっとした勘違いが原因であったりもする。その勘違いとは、彼は僕の事を自分と同じβ上がりだと信じ込んでいるのだ。迷宮区をソロで挑む様な人間はβテスターしかいない。そう思った彼は、気の合わなかった初心者と別れを告げ、同じβ上がりの僕と手を組もうと考えたと言う事だ。
正直、この事実を知った時、僕は助かったと思った。
確かに僕はβ経験者だが、残念ながら本物のβテスターと違い、その知識はあくまでSAOでのアバターの動かし方を覚えたという程度の物。クエストやイベント、モンスターやボス、スキルの情報などはまったく無いのだ。だからこそ、β中、五階層まで登ったと言う彼の同行は色々ありがたかった。
いや、それ以上に僕は一人でいる事の精神的限界を既に感じていたんだ。だから、それが騙す行為だと解っていながら、僕は彼の勘違いを訂正する事無く、βテスターを装い、二人パーティーを組んで行動している。
そして今は、ラッツの知識でこのサブダンジョンに生息するボスを倒し、レアアイテムを手に入れようと言う目論見で来ている。攻略は必要な事だが、それに必要なレベルとアイテムは入手しておくに限る。
ラッツに「ここのボスが落とす防具は五階層まで使えたんだぞ!」と自慢げに話してもらった時、ドロップした防具は彼の中でどっちが装備する事になっているのだろう? と一抹の不安を抱いていたりした。
まあ、僕は争い事嫌いだし、ラッツを騙している負い目もあるので、ここは彼に譲るの一択で良いだろう。とは思っているけど………。
何気にゲーマー魂を小さくも持っている僕の食指が働かない防具だと良いな~、なんて密かに願うのであった。
サブダンジョンとは言えさすがに第一階層。ダンジョンの深さはそれほどでも無く、安全マージンを意識して進めば二人でも最奥まで危なげなく辿り着いた。
「さあ姉ちゃん! ここから一歩出たらボスのエリアだ! 準備はいいか?」
「ええっと、待って待って………!」
慌ててメニューウインドウを開いて何か忘れてないかを確認する。
アイテム良し。装備良し。装備の耐久値良し。オブジェクト化してあるアイテムも良し。あとそれから………。
「姉ちゃん~~? ちょっと時間かけ過ぎじゃねえ~~?」
確認忘れが無いか細かく見ていたらそんな声を下方から掛けられる。
「そ、そうかな? ボス戦前だし、慎重にはなるんじゃない?」
「でもよ~~? 俺達二人だけのパーティーだぜ? 素人じゃねえんだから確認するもんなんて幾つも無いだろう?」
ギクリッ! てしたのをこの身で実際に体験する事になった。まあ、本当は肉体はないのだが、そうではなく―――。βテスターと言う嘘がバレそうになっているのを感じ、慌てて取り繕いに掛る。
「そ、そうでもないよ! ベータの時と違って、今はデスゲーム化してるんだから! 安全マージンは必要以上に取らないと! 今のSAOでは慎重すぎるくらい慎重になった方がお得なんだよ! バリバリ普通だよ! むしろ危機感が無い方がくにゃくにゃなんだよ!」
もう、自分で何言ってるか解んない………。穴があったら入りたい………。
話を聞いていたラッツも「ふ~~~ん」と気の無い返事を返しただけだ。もう、反応の薄さにいたたまれない気分だよ。いっそツッコミがあった方がまだ救われるよ!
心の中でこっそり涙を流しながら、表情は半泣きで、僕はもう一度やり忘れが無いかを確認してからウインドウを消し去る。
「………準備OK。いつでも出られるよ」
「よっしゃ! お楽しみのボス戦だ!」
意気込んで足を進めるラッツの後を追い掛けると、眼前に青白い光を帯びたポリゴンが巨大な何かを構成して行くのが見えた。
「ラッツ、作戦の最終確認! ラッツが前衛で気を引きつつ、僕が後ろからちくちく攻撃する。ラッツがソードスキルで攻撃して、硬直の隙が出来るようなら、その間を僕がスイッチして間を―――」
「もう解ってるよ! それより話してる間に出て来たぜ!」
ラッツの宣言通り、ポリゴンは緑色の昆虫の様なボスを形成していた。最初の印象として、それはバッタの様だと思ったのだが、よくよく見たそれは、緑をした別の虫に思えた。
「カマドウマ………」
四足歩行の爬虫類っぽく仕上げた、昆虫の様な脚の長いモンスターが、サメの様な牙をガチガチ鳴らしながらこちらを見降ろしていた。
「姉ちゃん! 溶解液にだけは注意な! コイツのは体力はあんま減らねえけど防具の耐久全損しかねねえぞ!」
「りょ、了解!」
声を返した僕は慌てながらも戦闘態勢に移行する。
いくらベータ上がり仲間にいるとは言え、二人だけでボスを倒しきれるのだろうか?
そんな疑問を心の隅に抱えながら、僕は力強くやりを構える。
最初の不安なんてものは大体杞憂に終わるのが定番だけど、まさかこんなに容易いとは意外過ぎだ。戦闘はかなり順調に進み、殆ど回復アイテムの消費さえしないほどだ。僕のヒットポイントも黄色になってはいるが、さほど心配する状況でも無い。彼も余裕の表情でカマドウマモドキを斬りつけている。
この分なら問題無く済みそうだと判断した僕は、カマドウマのヒットポイントが赤に変わったところで≪ソニック・チャージ≫を使って近接攻撃。僕自身も積極的に攻撃に回って一気に終わらせようと試みる。
「!? 姉ちゃんダメだ!」
「え?」
ラッツの声に視線を上げた瞬間、視界一杯に緑色の液体が飛び散ってきた。
まともに液体を浴びた僕は、驚きながらも必死に後ろに飛び退がる。液体が目に入った様な気がするけど、痛みを感じないSAO内では痛みで目が明かないと言う事はなさそうだ。仮に視覚がやられたとしても、元々目の見えなかった僕からすれば、音の遠近や空気の震えを再現しているSAO内で不便が生じると言う事はないのだけれど。
とりあえず目が見えるならと自分の身体を確認して、僕は驚愕を表情に出してしまう。まだまだ耐久値を残していたアーマー系の防具が液体に触れて煙を上げたかと思った次の瞬間、甲高い音を立ててポリゴンの光と消えた。
(溶解液!? アレ、プラント系だけが使うとばっかり思ってた!?)
「姉ちゃん逃げろ!」
言葉に我に返って視線を前に戻す。そこにはカマドウマが脚を折り畳んで、飛び掛かるための様な動作をして―――いたと思った瞬間、脚のばね一杯を使って飛びかかってきたカマドウマが、その大きな顎を開き、眼前に迫っていた。
咄嗟に防御姿勢をとるが、頑丈な防具を失った自分に、この攻撃を止められるのだろうかという不安は拭えなかった。
次の瞬間、身体を衝撃が突き抜けた。
芝生を転がった僕は、それが予測していた方向からきた衝撃で無かった事に困惑した。だけど、その困惑も、続いて響いた音にすぐ掻き消された。音のした方に視線を向けて、呆然としてしまう。
ラッツが木に叩きつけられ、剣と盾を零して芝生に倒れ込んだ。
慌ててポーションを取り出しながら駆け寄るけど、彼のHPバーは、すごい勢いで減って行き、回復が不可能な事を直感的に思い知らされた。
「姉ちゃん………」
愕然とする中、ラッツが僕を見上げて言った。
「姉ちゃんと一緒に戦えて楽しかった」
その表情を見た時、僕は自分の過ちに気付いた。
ラッツは、笑っていた。恐怖を押し殺した笑みではなく、よく解ってないけどとりあえず笑おう。そんな適当な笑み。
そして、0になるHPバーを見つめながら、キョトンとした表情でボリゴン片に爆散した。
………あの子は、何も解っていなかったのだ。このゲームがデスゲームになっている事を言葉で理解しながら、正しく意味を理解していなかった。だからこんな簡単に僕を庇うなんて真似が出来た。どうせゲームだからと、自分より年上のプレイヤーが相手でも大口を叩けた。今にして思えば、この世界でβテスターを名乗るのは、危険と隣り合わせだ。相手が子供とは言え、憎く思っている相手だっていたはずだ。それを受け入れていたあのパーティーは、きっと自分達なりにラッツを保護しようとしていたんだ。
それを僕は、彼を安全なパーティーから引き剥がし、自分の都合だけ押し付け、ここまで戦いに付き合わせ、ボス戦相手に二人だけで挑むと言う愚行まで犯してしまった。挙句、ラッツに「自分もβ」だと嘘まで付いて………、僕は、最低だ………。
嫌な音が周囲を包む。ラッツを殺したカマドウマが、顎を馴らして威嚇している。
ゆっくりと立ち上がった僕は、行き場の無い憤りをぶつける相手を見つけ―――静かに目を瞑った。
―――刹那の光景を、僕は意識的に作り出したわけじゃない。
その光景は瞼の裏に描かれた幻視の世界。視力を閉じた事によって創られた、音の世界の視覚化。故に、その世界を言葉として明確に表す事は僕にはできない。僕の目には、“顎を馴らす音”が見えているのだ。それを明確なビジョンとして言葉で伝える事は不可能だ。
ただ解った事が一つある。この世界に視覚は必要ない。そもそもが仮想世界で作られた『設定』。目に見えているモノはあくまで一つの記号に過ぎず、実際にそこに僕やカマドウマがいるわけではない。
カマドウマを意味する記号が、僕を意味する記号に触れると、HPバーと言う名の命が減少する。そう言う『設定』だけが存在するのだ。
なら、それは効果音の大小でも、予測は出来る。生来、目の見えなかった僕は、それが明確に可能なのだ。そう―――“自分の目で見るよりずっと”。
“構えた”音がした。予備動作だと解って、タイミング良く右に飛ぶ。音と風がすぐ傍を突きぬけて行く。触覚も偽物だが、これだけ精巧なら情報として認識する事は充分にできる。槍を構えた僕は、無意識に理解していた。
音の世界で生きてきた僕は、光の世界を知った事で、より深く音の世界を認識するようになったのだと。
もう僕に、音より遅い速度は、全て躱せる。その先の戦いは圧倒的な物となった。
ラッツの剣を木の近くの地面に突き刺し、両手を合わせる。
SAOで御墓を作ってあげる事は出来ない。だからせめて、彼が最後に立っていた木をお墓代わりに手を合わせる。
「守ってあげられなくて………ごめんね」
呟いた僕は、一つの決意をした。
もう、誰かを失いたくない。きっと、誰かがこのSAOで消える度に、僕と同じ痛みを残された人達が心に抱える。こんな痛みを抱えて行くのは嫌だ!
アイテムストレージから入手したばかりの防具アイテムをタップし装備する。
青み掛った袖の長い着物風の羽織り≪蒼衣≫翻り、僕の身体を纏う。
僕は決めた。同じように、この世界で悲劇を退けようとする者達と一緒に、この世界を戦おうと! そして、この世界から悲劇を無くそう!
いつか、このゲームが攻略された時、皆で笑って「クリアおめでとう!!」と言える様に!
僕は、長い戦いを決意した。
それから幾日、僕はレベル上げとコルの回収を優先的に行い、周囲の人間に献身的に奉仕するようにした。マナーの悪い人間は叱り付け、レベル上げに苦戦しているパーティーには積極的に協力を申し出、クエスト攻略などにも尽力した。
いつの間にか行われていたらしい一階層のフロアボス攻略会議の話を聞きつけた時には、その攻略パーティーのリーダーに接触し、少ないながらも消費アイテムと、装備強化に必要なコルの提供を自らした。さすがにリーダーのディアベルは僕の行動に驚いていたが、快く受け取ってくれた。残念ながら、コルはリーダーの彼一人の装備を一つ分強化するくらいの金額しかなかったが、それでも役には立ってくれたようだ。
その頃、まだ僕は知らなかったが、一部のプレイヤーに「プレイヤーを援助する≪蒼衣≫のプレイヤーがいる」と、密かに噂になり始めていた。
そして、第一層の転移門広場にて、僕は第二層転移門解放の時を待っている。
ここまでが『僕の物語』。そしてこれからは―――『僕達の物語』だ。
僕は、まだ知らないこの先の運命を前に、転移門の開放と共にゆっくりと踏み出した。
▼甘楽弥生キャラクターデータ
・本名:甘楽 弥生(つづら やよい)
・アバターネーム:SAYA(サヤ)
・性別:女性
・性格:基本的に明るい。他人の感情に影響され易い。キレた時だけキリトに似てる。
・容姿:痩せていて背が低いが、顔立ちの綺麗な大和撫子。髪を低い所で結わえている。
・装備:巫女装束的な物を中心に和風系を好んでいる。脚が女の子として気になるくらい細すぎているので、足を隠せない服を嫌う。でも、密かにスカートに憧れている。
・主なスキル:≪槍≫≪索敵≫
・行動原理:基本的に相手を疑わないが、相手の感情に敏感で、怪しさを雰囲気で感じ取ってしまう。そのためちょっと臆病。戦わなければならない時に、進んで前に出られる。誰かの命の危機には、どんな状況でも突進していく。レベル上げ中はともかくModに向かって突進しまくる悪癖がある。
・喋り方:ちょっと男の子っぽい喋り方。
「君達と一緒に戦うと、僕まで猪突猛進になっちゃいそうだよ………」
「ギルドマスターとして、そんな事見過ごせるはず無いでしょう!」
「僕の前で、仲間を失わせたりなんかさせないっ!」
「この世界に醤油が無いなんて………卵かけご飯は何処に行けば食べられるの~~~!?」
第一章イベント00:第一階層ボス攻略
依頼人:SGM
制限:キリト・アスナより弱いプレイヤー。原作変更できない。
上限人数:無し
参加必須キャラ:無し
作品傾向:コメディー・シリアス(どっちでも可)
シナリオの流れ:『SAOのデスゲームが始まった! これからどうするのか、自分達で考えて行動しなければならない。この脱出不可能となった世界で、まず自分達がやる事は何だろう? 最初にすべきことは? 始まりの町を出る事? 残る事? その後は? ダンジョンが攻略されボス部屋に辿り着いたら? 自分達は一体どうすればいいんだろう? ボスが攻略されるまでの物語は君が描くしかない………』
第一章イベント01:第二階層
依頼人:サヤ
制限:キリト・アスナより弱いプレイヤー。
上限人数:五人
参加必須キャラ:無し
作品傾向:コメディー・シリアス(どっちでも可)
目標:≪体術スキル≫の獲得
報酬:≪体術スキル≫
シナリオの流れ:『第二層から物語は始まる。第二層にエクストラスキルがあると言う噂を聞きつけたサヤは、エクストラスキル≪体術スキル≫を求め、ついでに武器強化のために素材を回収するため第二層を彷徨っていた。そこで出会った人物は、彼女にとって長い運命を共にするプレイヤーたちだった………』
なんか、原作のキリト君と、ほぼ変わらない気がするのですが………、すいません、意識してやったわけじゃありません。でも、パチっぽくなりました。こういうのを避けるためにも要望をお願いいたします。