一話 プロローグ
調度品の一つ一つが目を見張る高級品だと、学のないスラム街で育った子供ですらわかる。しかし、その部屋は性行為で生まれたであろう鼻を付く匂いに満ち満ちていた。
キングサイズを遥かに超える、巨大ベッドには男と二人の美女が一糸纏わぬ姿で寝転がっている。
男の左側に侍った女は金髪金眼が特徴的な、まさに華やかという表現がぴったりな容姿をしている。右目の下には太陽の刺青が掘られており、普段は勝気に振る舞いそうな容貌だが、男を見つめる目は熱っぽく、そんな女のことを男は愛していた。頭を撫でるたびに目を細め、頬を赤く染める彼女のことがかわいくて仕方ないのだ。
男の左側の女の髪は銀色だが、瞳はもう一人の女と同じ金色をしている。金髪の女は絶世と言える美貌を持っているが、彼女とて一切引けを取らない美女である。金髪の女とは反対側の左目の下には月を模した刺青が掘られていた。ただ、男が自分ではなく金髪の女をかわいがる様子を目の前で見せられて、嫉妬を禁じえない。涙目の上目遣いで見てくる彼女のことも男は愛していた。
二人の美女に挟まれた位置にいる男の名はグラン・ドラグニル。ユグドラシルという一世を風靡したVR-MMOにおいて名前と姿こそ表にだすことはなかったが、大半のプレイヤーからボス認定されていた男である。
ある時、最上位ギルドでさえ攻略できなかったダンジョンをどこかの誰かが攻略し、拠点にしたと知られたときは、ユグドラシル全体での騒ぎとなった。攻略したのがギルドではなく個人だと判明したのは、単純にランキングトップ5に入るギルドでさえ攻略できなかったという点と、その手の情報を調べることに特化したワールドアイテムを使って調べた者がいたからだ。
ある意味、ユグドラシルでは――名前も顔も知られていないが――有名人だったグランだが、特に名誉欲のようなものは持たなかった。そのため、名乗り出ることはしなかった。補足すれば、名乗り出ると確実に面倒事が起きると予想できたというのもある。
そんな彼はソロプレイヤーとして自由気侭に、自身のロールプレイを楽しんでいたわけだが、ある時異世界に転移してしまった。それと同時に配下のNPCたちは意思を持ち、命が宿った。今、男が侍らしている女たちもそのNPCだ。
正直に言ってしまえば、グランにとって最早外の世界はどうでもいい。ただ、この拠点の中で愛する配下たちと暮らしていければいいのだ。それだけがグランの願いであり、そのために食料品を始めとした物資の生産体制を整えたりもした。完全なる自給自足を実現させたこの拠点ならば、一切、外に出ることなく暮らしていくことも不可能ではない。実際、グランはこの世界に来た当初は情報収集など精力的に活動もしていたが、ある時を境にして引きこもるようになり、かれこれ数百年もの月日が経つ。
食事を取り、運動し、拠点維持に関する書類諸々に目を通し、愛する女たちとの行為を楽しみ、疲れたら寝る。毎日毎日と似たようなことを繰り返すだけの日々だが、それはグランと配下たちにとってはまるで夢の微睡みにも似た、甘い幸福な時間だ。
しかしそれも今、壊されようとしている。それを思うと怒りが己のうちから湧き上がり、破壊衝動として何かにぶつけてしまいたい。闘争を好む本能が轟轟と音を立てていた。
「グラン様。至急、ご報告申し上げたいことが」
噂をすればなんとやら、だ。思わず舌打ちしそうになるが、寸前で思いとどまる。呼びかけた副官には罪はないし、両隣の女たち怖がらせることは避けたかった。
「あー、そうだな。今からそっち行くから、ちょっと待ってろ」
先程まで愛を語り合っていた女たちに口付けをしてから、グランはベッドを出る。仕事で会いに来た部下に、アレな匂いのするまま接するわけにもいかないので、自身に〈
グランを待つのは、この拠点においてグランに次ぐ地位を持つルーツという名の女である。先ほどまでグランが寝ていた女の片方と同じ銀髪だが、あちらは一つに纏めていたのに対して、ルーツは腰の辺りまで流している。銀色を基調とし、いくつもの赤いラインの入った衣装は彼女の髪色と見事に映えていた。
身嗜みには気をつけているとはいえ、これから会うのは主にして愛しい男だ。僅かであっても不格好な姿を見せるわけにはいかない。百レベルのステータスをフルに生かして乱れている部分がないかを再度チェックしながら、グランが出てくるのを待つ。
寝室から出てきたグランの格好はいつも通りだ。目元にギリギリ届く程度の、少し長い黒髪と輝く金色の瞳。百八十を超え、見事に引き締まった筋肉質な肉体の上から衣装を纏っていた。グランと近しいものでなければ、とてもではないが、彼がつい先ほどまで淫行に励んでいたとは気づけないだろう。
「ルーツ、だいたい予想はつくが……。また、侵入者か?」
グランの声には呆れや諦観が滲んでいた。声をかけられたルーツは当然それを察し、主の気分を害した者たちへの憎悪が胸のうちに湧き上がる。しかし、それを表に出すことはない。なぜならば、主のほうが遥かにブチ切れているからだ。
「はい。これでここ半年の無断の侵入は五百を超えましたね」
侵入者の急増。これこそが、グランとその配下の怒りの根源の正体だ。事が起こり始めた初期はただの偶然かないかで迷い込む者が連続しただけかと思ったが、それが何週間、何ヶ月も続けばさすがにおかしいと気づく。
「えーと。ナズチやら誰やらを動員して原因を調べさせてたよな。そっちは進展あったか?」
「はっ。捕らえた侵入者――ワーカーや冒険者と呼ばれる者たちですが、彼らから尋問官が絞り上げた情報と磨り合わせたところ、半年ほど前に――彼ら基準ですが――凄腕の冒険者が行方不明になったことが原因のようです」
半年ほど前。凄腕の冒険者。後者には覚えがないが、前者はちょうど侵入者の大量発生が置き始めた頃だ。
「つまり、えーと。こういうことか? 腕自慢が失踪したことでそれの原因究明のための調査が今、行われている?」
「どうやら国ぐるみの大事のようで、報奨金も出ているようです」
拠点の位置が把握されたのはおそらく、広範囲に散った調査員の中から行方不明になった場所を目安にして絞り込んだのだろう。あらかじめ、事態の推移を把握していればやりようはいくらでもあったというのに。周囲との摩擦を避けるために引きこもっていたことがまさか裏目に出るとは思わなかった。
「チッ、クソが。今の王族は何をやってやがる。
怒りは一瞬。目の前には愛する配下がいるのだから、すぐさま抑えた。
「ルーツ。これから王城に殴り込みに行くぞ。同行するメンバーの選定は任せる」
「はっ!」
――こうして眠れる龍が動き出した。