葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
ああ、面倒くさい。父さんはパチンコに、母さんは買い物に行っちゃってるし、こんなこと安請け合いしなきゃよかったよ。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
でも請け負った以上はやることやらなけりゃなぁ。信用なんかしてもらえないし。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
それにあれだけのことを「前の一件」じゃしちまったんだし、これくらいやらないと。さっきも色々言われちゃったしなぁ。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
あん時は本当に家族には迷惑かけちゃったもんなぁ。父さん母さんはともかく、清子の奴は恨んでるかもな。俺のせいであいつまで転校する羽目になったんだし。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
葉っぱを掴んで根っこを掘ってゴミ袋に放り込む。
今更だけど謝ったほうがいいんだろうか。でも今更だし、むしろ蒸し返されたことでいやな気分になるかもしれ「なーおー!」
聞き覚えのある、というよりさっき聞いたばかりの声に正太はネガティブ全開の思考を中断した。お隣さんの娘さんである蓮乃と、本日二度目のエンカンウントである。
「なんだよ」
しかし、先までマイナス思考に眈溺していたせいか、その口調はずいぶんとぶっきらぼうかつ刺々しい。さっきと同じ植木の隙間に顔を向けると、正太の不機嫌そうな様子に驚いた顔を浮かべる蓮乃が目に入った。草むしりのために腰を落とした正太と、植木の隙間を抜けるために中腰の蓮乃は、ちょうど同じ目の高さだ。
父譲りの細目を糸のように細めて正太は蓮乃を見やる。一方の蓮乃は、驚きに加えてどこか怯えを含んだような目を正太に向けた。二人の視線がかち合い、何ともいいがたい数秒の沈黙がお互いの間に流れる。
この沈黙に先に耐えられなくなったのは正太の方だった。能面の仏頂面を維持できずに仮想的なガムを噛むように口をもごもごと動かすと、握っていたゴミ袋とスコップを地面に投げ出した。
正太の目から、蓮乃は「不機嫌な主人の様子に何か自分がやらかしたのではないかと不安がる子犬」の様に見えてしまっていた。まるで自分が罪のない子犬をいじめているような謎の罪悪感にかられた正太は、それに耐えきれなくなったのだ。
「あーもぅ」
性懲りもなく我が家にやってくる身勝手な蓮乃か、はたまたいちいちそれに応じる甘い自分か、それともその両方か。呆れたような諦めたような文句の声を口からこぼし、正太は頭を掻きつつ逆の手を差し出した。
「ほら、ノートとペン」
「ん!」
促すように正太が一声かけると、表情を明るくした蓮乃は会話用ノートをボールペンと一緒に差し出した。ボールペンをノックして芯を繰り出しつつ一番新しいページを開くと、ここ数日で否応なしに見覚えた蓮乃の筆跡と併せて三種類の文字が目に入った。まず覚えがあるのは、その外観通りに角張った父の字と丸みのある母の文字。生まれてこの方一四年来の家族付き合いであり、さすがに見間違えることはほぼない。となれば、残る一種類のやや乱雑な筆跡が、蓮乃の母である睦美さんという事となる。
改めて見直すと、ノートの一ページ目の「蓮乃の障害と連絡先」を書いた筆跡と同じものである事がわかった。もっとも、改めて見直さないとわからないくらいには文字が乱れていたりする。その乱れた文字を読むに、「勝手に動き回っていた事に対する叱責」と「障害のある親子向け相談会が午後からあるので準備をすること」が蓮乃に向けて書かれている。
こうしてみると睦美さんは結構厳しいことを蓮乃に言っているようだ。前に考えていた「だだ甘いせいで蓮乃に忌避されている睦美さん」は間違いだったようだ。しかし、こうした叱責みたいな「鞭」と宇城家への訪問許可のような「飴」を使い分けられるなら、もっと蓮乃が睦美さんによい反応を返しても良さそうなものだが、実際は蓮乃はどこか睦美さんを恐れているようにも思える。
文面に目を通しながら、正太は疑問に一人首をひねる。そして首を地面とだいたい水平にした正太の裾を、蓮乃がグイグイと引っ張った。首を曲げたまま蓮乃を見ると、ふくれっ面には「不満」の二文字がデカデカと記されている。会話をするつもりで渡したノートを熟読されては堪らないと、催促のつもりで裾を引いたのだろう。
『すまんすまん、で何用だ?』
さっと謝罪と疑問を書いて蓮乃にノートを帰す。だが、常と違いその顔の不満色は消えてはいない。アヒルの嘴のように唇を尖らせたまま、蓮乃は何事かをノートに記すと正太へ突き返した。
『他人のノートを勝手に見るの、よくないと思う』
その一文を見た正太の頬がひくつく。雨の日の植え込みのようなじっとりとした蓮乃の半目に晒されて、たじろいだ正太は視線を逸らした。
確かに勝手に見たのは問題あることかもしれないが、不可抗力というか仕様がないというか、別段何か意図あってみたわけでもないし。正太の胸中に渦巻く言い訳が、思わず口からこぼれ落ちる。
「いや、しかしな、しょうがないんじゃ……」
音声を聞き取ることができない蓮乃は、当然あいも変わらず文句をぶーたれた顔で正太を睨みつけている。視線を逸らす正太と睨みつける蓮乃。たっぷり三〇秒は経っただろうか、根負けしたのはまたも正太の方であった。
『すみませんでした』
ノートに改めて謝罪を書いて蓮乃へと渡す。それを見た蓮乃は「むふぅ」と満足げな息をもらし、ようやく文句たらたらな表情を改めたのだった。その顔を見ながら正太もまた一つ息をもらした。その吐息は蓮乃ほどではないが、先の草むしり前と異なり多少は明るいものだった。
こいつと顔を合わせていると一人で落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってくるな。おかげで幾らかは気晴らしができたし、多少はやる気もでてきた。まあ、確かに意図せずとも勝手にノートを読んだのはよろしくなかった。以後は気をつけるとしよう。さて、草むしりの続きといこう。最低限、やることをしなくてはなるまい。
正太は厳めしい顔に苦笑を浮かべると、地面に放って置いたゴミ袋と園芸用スコップを拾い上げた。「つづきつづき」と口の中で呟きながら、足下の雑草を握り根を掘り返す。想像以上に根が深い。雑草の種類によっては根の欠片からでも生え直す草もある。慎重に根を掘りだしてゆく。そして掘り返した雑草の土を軽く払うと、ゴミ袋の中に放り込もうとして、「真横の」蓮乃の視線に気がついた。
――真横?
視線の方を見直すと、さっきまで身を乗り出していた植木の隙間を乗り越えて、隙間の前で正太の行動をじぃっと見ている蓮乃の姿が目に入った。
「オイ」
正太の半ば反射的なツッコミにきょとんとした表情で見つめ返す蓮乃。その細い腕の中に抱えられたノートをペンと一緒に摘み上げると、正太は文句を書き殴った。
『我が家に来て良いとの許可は書かれてなかったぞ』
蓮乃と出会った初日と二日目をのぞけば、蓮乃は母親である睦美から許可を得て宇城家に遊びに来ている「はず」である。蓮乃に毎回その旨は確認をとっている。しかし、先ほど目を通したノートの文面には許可を意味するような文は一つもなかった。しかし、実際に宇城家の住む一〇三号室の庭にこうして蓮乃は乗り込んできている。
大雨洪水警報が出た後の河川敷のようなじっとりを通り越した目で、ノートを返した正太は蓮乃を睨みつける。この視線のせいでただでさえ獣じみた顔が、当社比六割り増しの怖さである。一方の蓮乃の視線は植木に空に地面に壁と、上下左右四方八方を三〇ノットで航海中であった。思い切り動揺しているのが誰でも見て取れるほどの焦りっぷりである。もはや二人の立場は完全に逆転していた。
視線が未だ宙をクロールしている蓮乃は、返されたノートの『他人のノートを勝手に見るの、よくないと思う』の一文を下線を引いて強調した。無論、ごまかしであることは正太にもよくわかる。対して正太は、渡されたノートに蓮乃を睨みつけたまま返答を追記した。
『見ちまった物はもうしょうがないだろう。それに最低限謝罪はしたぞ』
今更過去は帰られないし、そもそも自分は謝罪して蓮乃はそれを受け入れたのだ。これ以上この件でどうこう言われるのは筋が通らない。ノートとペンを返すついでに正太は目を細めて視線の収束率と貫通力を上げる。
『せいいがたんない』
「おい」
正太、本日二度目の反射ツッコミである。思わず正太の眉根のしわが三つも増えた。眼前で大きく開かれたノートには、ひらがなのみの短文が刻まれている。急いだせいか文字もずいぶん乱れているようだ。痛くもないはずの頭が、頭痛を訴えだしたような気がし始めた。
蓮乃の言う、いや書く「せいい」とはおそらく誠意のことだろう。この辛子蓮根娘はどーいうとこでそんな言葉覚えてきたんだ。いや、重要なのはそれじゃない。何か話がずれてきている気がする。そもそも俺と蓮乃は何の話をしていたんだっけ?
頭痛の幻痛に痛む頭蓋を振って、正太は記憶の中から答えを振り出そうとする。右、左、右、左、前、後、前、後、グルリと捻る。
――ああそうだ、思い出した。我が家に蓮乃が行く許可を睦美さんが出していないという話だ。
正太はようやく出てきた答えを吟味しながら、広げたノートで衝立よろしく顔を隠した蓮乃を見据える。当然その目に見えるのは『せいいがたんない』の一文ではあるが、未だ視線を泳がしているであろう蓮乃の顔は、想像力に自信のない正太でも簡単に脳裏に浮かべることができた。
さて、どーしたもんだろうか。蓮乃がこんなことを書いたのは十中八九話題そらしだろう。この娘っ子はそんなに我が家に来たいのか。よっぽど暇か、娯楽がないのか、はたまた別個に理由があるのか。どっちにせよ保護者の許可を得ていないにも関わらず、余所様の子を預かるわけにはいかんだろう。先日の睦美さんの様子を鑑みるに、警察呼ばれても不思議じゃない。本物の豚カツ丼は食ってみたいが、取調室で頂くのは御免被る。
結論は出た。蓮乃にはお帰り願おう。蓮乃が顔の前に掲げたノートを引っこ抜くようにして奪い取ると、ついでに握ったペンも利き手から抜き取る。「あ~!」「ぬ~」だの蓮乃が上げる声を無視して、正太はノートにペンを滑らした。
『お母さんから許可貰ってないのに、我が家にお前さんを置いとくわけにはいけません。隣のお家にお帰んなさい』
「ウゥ~」
犬か貴様は。食肉類めいた唸り声を上げる蓮乃を呆れた目で眺めながら、正太は蓮乃の肩に手を当てる。そしてクルリと一八〇度逆を向かせると、そのまま植木の隙間に押し込んだ。
「ほら帰った帰った、俺にゃまだ草むしりの続きがあんの」
「ぬぁ~! みぅに~~!」
押し込まれそうになった蓮乃は周りの植木にしがみついて抵抗する。おかげで細い植木の枝が限界を超えてしなっている。後少しで音を立てて折れることだろう。想像以上の抵抗ぶりに、正太は渋柿を頬張った表情を浮かべた。
こりゃ困った。多少の抵抗は想像していたが、予想より激しい暴れっぷりだ。このままだとご近所様の通報で警察のご厄介になりかねない。カツ丼食いたし留置所怖し。どーしたもんだろうか。
正太はここ数日の記憶をひっくり返して何かないかと探し回った。視線を宙にやりながら頭の中の引き出しを引きだしてはまた仕舞う。そうして正太が脳内で記憶と格闘している間、現実で抵抗している蓮乃はというと、歯を剥いて鼻にしわを寄せながら「ウーウー」声を上げて唸っている。まるで進入者か嫌いな奴を見つけた時の柴の番犬である。
その有様に目をやった正太は、実に何とも言い難い表情を浮かべる羽目になった。強いて言うならば「道路に飛び出しかけている野良猫を捕まえたら思いっきり引っかかれた」時のような表情だ。だが、そんな蓮乃を見ていたのが奏功したのか、初日の蓮乃と妹のやりとりを思い返すことができた。そうだ、これでいこう。
そのためにはまず手を離さなければならない。蓮乃の両肩を押していた手を離し、一二歩正太は後ずさった。すわここが正念場と蓮乃は「ふんすっ」と気合いを入れて足を踏み出そうとする。
その瞬間、蓮乃の目の前で正太は両手を素早く、そして力強く叩いた。
パァン!
破裂音にも似た柏手の音が辺りに響いた。相撲で言うところの猫だましである。蓮乃と初めて出会った日、落ち込んで自分の世界に浸りきってしまった蓮乃を現実に呼び戻すため、清子がこいつを食らわせたのだ。そのときと同様に目を白黒させた蓮乃は、思わず体の緊張をゆるめてしまっている。その隙に正太はここぞと肩をつかんで一〇四号室へと押しやった。猫だましの衝撃で反応の遅れた蓮乃はそれにあらがえない。蓮乃が気が付いたときには、もうその足は一〇四号室の庭を踏んでいた。
「うぅ~~にぃぃ~~!」
お前は犬か、それとも鹿か、はたまたウニか? 不意をやられて言いようにされた蓮乃が何かずれたような雄叫び、否、雌叫びを朗々と上げる。それを聞いた正太の表情はげんなりと崩れ、体からは先と同じく力が抜けた。ただし今度は、ついでにやる気的な何かも音を立てて抜けていった気がする。
気分が萎えた顔の正太は改めて蓮乃へと視線をやった。視線の先の蓮乃は非常に分かりやすく地団太を踏んで悔しがっている。両手を振り回し声を上げて地面を踏むその様は、人類やめて類人猿にでも成り下がったのかとでも言いたくなる有様だった。この間討論番組で見た過激な「子供は人間の一歩手前」という発言も、不満を全身で表現する蓮乃の様子を見るにさほどの間違いではないような気がしてくる。
その姿を見てさらに萎えた気分を、正太は大仰なため息として吐き出した。そして全身から抜け出たやる気を、深呼吸で再吸収する。まだ雑草は残っているのだ、草むしりを再開せねばならない。それに蓮乃という名の問題は「物理的にいなくなり」そうだ。
腕を振り回す蓮乃の背中に薄く影がのっかった。そろそろ太陽は中天に達しようとしており、ほぼ真上から日光は降り注いでいる。この状態で影はほぼ足下にしか現れない。つまり影が乗るということは、真後ろかつ至近距離に影の元がいると言うことだ。
「蓮乃、貴女なにをしているの?」
真後ろから声をかけられてようやく自分を覆う影に気が付いた蓮乃は、おそるおそる振り返る。その視線の先には、太陽を背にした向井睦美が仁王立っていた。その顔は逆光で塗りつぶされて見えない。だがその声音から、そのシルエットから、溢れ出る感情が目に見えるようだ。
今、蓮乃が居るのは一〇四号室の庭であり、そこの家主は母親である睦美さんだ。その上本日は日曜。睦美さんの仕事が何なのかは知らないが、休日である可能性は少なくない。そんなとこで大声上げて地団太踏んでいたなら、どうなるかなど想像しなくてもよくわかる。
至近距離のライオンに気づいてしまったシマウマのような蓮乃をみ見ながら、正太はスコップとゴミ袋を拾いなおした。睦美が全身から放つ気配で、知らず知らずの内に正太の掌に汗がにじむ。正太は草むしりの道具を握ったまま、逆光の中の睦美へと頭を下げた。
「こんにちは」
「こんにちは。度々申し訳ありませんが、家の蓮乃がまたご迷惑をおかけしていましたか?」
声をかけた正太へと睦美は改めて相対した。その声色は落ち着いているように聞こえるが、全身から放つ気配は真逆の色合いを帯びていた。その雰囲気に当てられた正太は無意識のうちに息を飲み込んでいた。
「あ、ええと」
「ご迷惑をおかけしたみたいですね」
この人もまともに話を聞いちゃいない。正太の頬がひきつる。落ち着いているように見えるが、おそらく他人の話を聞ける心境ではないのだろう。それは困る。非常に、困る。
以前正太は、純粋な目でビラを配る魔法使い至上主義者(通称、主義者)の集団に捕まりかけたことがあった。「魔法使いは人類の進化だ」とか「新たなる夜明けのために同志となろう」とかキラキラした目で一方的に演説をかます彼らに正太はドン引きし、官憲にしょっぴかれるのを見てようやく安堵の息をもらした覚えがある。人の話を聞かない人が、どれだけ面倒で迷惑か実地で思い知らされたのだ。
もっとも、それだけの経験をしておきながら結局「前の一件」を起こしたことを考えるに、自分は経験からも学べない愚者未満なのだろう。正太は胸の内で一人自嘲した。
だが、正太が一人過去を反省している間にも、睦美は一人話を勝手に進めていた。
『蓮乃、お隣の宇城さんに迷惑をかけちゃだめってあれほど言ったのに、まだわからないの?』
睦美が突き出したノートを前に、蓮乃は無言で俯く。突き出したノートを握る睦美の手は、緊張を堪えるように小刻みに震えていた。
「蓮乃?」
睦美の声はわずかにトーンをあげた。常ならば誰も気にしないほどわずかに。だが一瞬、その声に正太は決壊寸前のダムを幻視した。
「待ってください!」
半ば反射的に正太は制止の声を上げていた。その声に睦美のみならず蓮乃もまた顔を上げる。その表情は驚きの色が強い。
――え、俺何言ってんの!?
そして一番驚いているのは声を発した当人だった。何か考えがあったわけでも、睦美を説得できるような話があるわけでもないのだ。ただ単に、とっさに口走ってしまっただけだった。少なくとも正太自身には、その理由など見当もつかない。
だが口を出してしまった以上、逃げ出すわけにもいかない。言葉に魂が宿るかどうかは知らないが、少なくとも口にした責任は宿るのだ。正太はそう父から教わった。そういうこともあって正太は身振り手振りを交えて必死の言い訳を試みる。
「なにか?」
「ええっとですね、蓮乃ちゃんは別段我が家に迷惑をかけているわけではありませんでして、その」
矛先が変わったせいで多少は落ち着いたのか、睦美から放たれていた先のような破裂寸前の印象は薄らいだ。だが、いくら導火線の火を消したからといって爆弾が爆弾であることに変わりはない。
「……ですから自分の両親も嫌がっているわけではぜんぜんないですし、自分も妹も蓮乃ちゃんが来ることを楽しみにしていると言いますか……」
「宇城君が話していることと、ノートに書いてあることはずいぶん話が違うみたいですが」
さっきまで蓮乃の眼前に突きつけられていたノートを、今度は正太の目の前に突きつける。開かれたページには、正太の筆跡でかかれた『勝手に我が家に来るんじゃねぇやぃ』の一文があった。
確かに蓮乃が宇城家に来ることを拒むような文を正太は少なからずノートに書き込んでいた。無論、それは蓮乃が勝手に一〇三号室の中に入ろうとするからであって、しっかり連絡を取って許可をもらってやってくるならそこまで文句を言うつもりはない。しかし、この一文だけを見るならば「正太は蓮乃に来て欲しくないと思っている」と見えてしまうのは確かだ。
正太のひきつった顔に脂汗が吹き出た。
「そ、それはですね、えっとその」
「それに先日は蓮乃は叱られるようなことをしでかしましたね?」
宇城家にやってくるようになってから二日目に、蓮乃は叱りつけられるようなことをやらかした。(第二話参照)そのことと叱りつけたことは、当日の内に口頭で睦美さんへと伝えた。その時睦美さんは多少興奮した様子を見せていたが、最終的に納得して貰えたはずだった。そのはずだった。
「た、確かにそうですが、蓮乃ちゃんもちゃんと反省しているようですし」
「でも、蓮乃が迷惑をおかけしたことに何も変わりませんよ!」
気がつけば睦美は落ち着いた様子をかなぐり捨てて、声を張り上げて正太に詰め寄っている。さらに視線は定まらず、瞳は目の前の正太を映していない。その目はまるで現実を映すことを止めているように正太には見えた。
そもそもノートの文を読みとる限り、蓮乃が一〇三号室に来ることを拒んでいるのは目の前の正太である。だが、その正太が「蓮乃が来ることを楽しみにしている」などと喋って蓮乃のフォローに回っているのだ。睦美の発言の前提条件である、「蓮乃が宇城家に迷惑をかけている」を当人である正太が否定している以上、睦美の言動は既に破綻していると言ってもいいだろう。文句を言うなら正太の変節漢の方にこそ言うべきだ。
にもかかわらず、睦美は大声を張り上げて「蓮乃の迷惑」を必死で言い募る。睦美の精神という破裂寸前の風船に、幾つもの亀裂が入り始めた。正太にはそう感じられた。
強ばった顔の正太は睦美の有様を見て、胸の内で諦めと後悔を吐いた。こりゃもう自分の手に負えない。でも両親はいないしなぁ。ああ止めときゃよかった。もういいや、俺がサンドバックにでもなりゃ睦美さんも多少は気が晴れるだろうし、蓮乃への当たりも幾らか柔らかくもなるだろ。もうそれでいいやぁ。
意識を手放すようにして、正太は青空の向こうへと精神を飛ばす。ああ、いい天気だなぁ。
「何で嘘までついて、この子に関わろうとするんですか!? まさか、この子に何かよからぬ考えでも……」
「いえ、主に睦美さんにです」
そのせいだろうか、正太の口から意図せずに本音の一片がこぼれ落ちた。
想像外の一言を聞いたせいか、睦美は言葉を発しようとした半開きの口のまま呆けた表情を浮かべている。
――ほんと何言ってんの俺ぇ!?
一方、自分の口走ったことを理解した正太は人生を後悔しつつ、この世に生まれて以来最も速く思考を空転させていた。
確かに自分は睦美さんに、その、なんだ、あまり好ましくない考えを、少々、ほんの少し、わずかばかり抱いたことは無くもないとは言えなくもない。だからって何でよりにもよってこんな時に漏らしてんだ。あー、明日から変質者扱いだこりゃ。もし父さん母さんに伝わった日には、家族大会議開催決定だよほんと。あーもうこうなりゃ皿を食らわば毒までだ、いや逆か。どーでもいいや、死んでこよう。
実にダメな方向に決意を固めた正太は、新種の薬物でもキメたような目をして睦美へと向き直った。
「これ以上は勘弁してください、睦美さん。あなたは美人すぎるんですよ」
「ええっと、その、えっと」
詰め寄る正太と後ずさる睦美。二人の立場は完全にひっくり返っていた。ついでに言うなら、現実から目を背ける正太と目の前の相手にどん引きする睦美という点も逆転している。
「いいですか、こう至近距離でやられると思春期のいろんな物が暴発しそうなんです!」
「は、はぁ」
身振り手振りを交えて狂気の言動を正太は続ける。自分の発言に自家中毒でも起こし始めたのか、演説調に声を張り上げて睦美へと詰め寄りだしている
「そもそも思春期男子の脳味噌なんかどどめ色とショッキングピンクの市松模様なんですよ! そこになんですか、モデル並の美人でスタイルグンバツって! 一〇代の下半身にどれだけ悪影響かお分かりですか!?」
「わかりました、わかりましたからもういい加減にしてください!」
午後三時のネットショッピング司会者か、はたまた閉店間際のスーパーの売り子か、最高にハイな正太のマシンガントークは止まる様子を見せない。恐慌状態の睦美は必死に正太を押さえにかかるが焼け石に水だ。頭のネジが全て吹っ飛んだ正太の剣幕に睦美はもはや為す術もない。
だが天は彼女を見放してはいなかった。
「いーーえまだまだ続かせ「ぬー!」」
気を違えた正太の独演場に、場違いで不機嫌な声が響く。声の発信源は己の斜め下四五度。「つまんない、いいかげんかまえ」と書かれた顔をした蓮乃が、正太の服の裾を摘んで引っ張っていた。
「ぬ~!」
具体的に言うと、眉根を寄せて頬を膨らませ唇を尖らせた蓮乃が、蓮乃語で繰り返し不満をぶーたれている。正太と睦美の二人とも、半ば呆然とした顔で蓮乃へと視線を向けた。二人の視線が集まったことで多少は納得したのか、不満の声を止めて満足そうに蓮乃が頷く。興奮しきっていたところでの蓮乃の奇襲に、どこか呆けような表情でお互いの顔を見合わせる。二人は奇しくも全く同じ事を考えていた。
――さて、自分たちは何をしていたのだろうか?
正気に返った二人の表情は「口一杯に渋柿と梅干しを詰め込んだ」有様に激変した。加えて二人が二人とも後ろを向くと両手で顔を覆いうなだれる。正太も睦美も異常な行動をとるがある意味当たり前でもある。
なにせ、正太からしてみれば「無関係(に近い)お隣の家庭の事情に自ら首を突っ込んだあげく、投げ出して暴走して自爆して果てた」わけである。逆に睦美からすれば「子供相手に自己矛盾だらけの言動で詰め寄って、さらに子供の反論(になっていないが)の剣幕に良いように振り回され、娘に正気に戻された」状況なのだ。二人とも「穴が無くとも自分で掘って埋まりたい」心境なのは想像に難くないだろう。
両手で顔を覆って地面と対面したままの二人と、「わけがわかんない」と刻まれた顔で不可思議そうな不満顔で見つめる蓮乃。一〇三号室の庭には先日の正太・清子・蓮乃の三人のような、異様で異常な空間が構成されていた。
そしてこの異常事態からいち早く立ち直ったのは正太の方だった。意志の力で顔から手を無理矢理引き剥がすと、恥辱が溢れでた震えを噛み潰しながら、背中の睦美へと向き返った。
「ええっと、その、ご迷惑をおかけしました」
正直なところ何を言っていいのか解らないが、それでも迷惑をかけたことには変わりない。となればできるのは謝罪しかない。恥辱をすすぎ落とすように正太は深々と頭を下げた。
「い、いえ、こちらこそ本当にご迷惑を」
正太に遅れること数秒ほどで睦美もまた立ち直った。仮にも大人である自分が何という有様なのだろう。「恥」死的な情けなさに紅潮する頬を無視して、睦美もまた正太同様に頭を下げる。
「本当にすみません」
「こちらこそ申し訳ありません」
はコメツキバッタのようにペコペコと頭を下げ合う二人。何かがかみ合ったのかはたまた何かが通じあったのか、全くの同時に二人の頭が下げられる。その拍子にしゃがみ込む蓮乃の顔が目に入った。「わけのわからなさ」と「つまんなさ」にむくれてふくれっ面を浮かべた蓮乃を、二人は改めてその存在に気づいたように見つめる。今度は睦美の反応が先んじた。
「と、とにかく、これ以上ご迷惑をお掛けするわけにはいきませんので、失礼します!」
一声叫ぶように別れの挨拶を告げるや否や、睦美は半ば無理矢理蓮乃の手をひっ掴むと向きを翻した。力が入りすぎたのか抗議の声を上げようとする蓮乃を無視して、正太が「あっ」と言う間もなく一〇四号室へと姿を消した。
睦美が見せた想像外の速度に、正太は某漠とした視線を呆然とした表情でさまよわせる。そしてそのまま崩れ落ちるようにしゃがみ込むと、足下に落ちたままのスコップとゴミ袋を掴んだ。五月の柔らかな日差しといえど延々と浴び続けたせいで、正太の頭は湯立ちそうなほどの熱を帯びている。しかしそれを気にする様子もなく、否、気に出来るほどの気力もない様子で、足下に残った雑草に手を伸ばした。
青々と延びた葉っぱを掴んで、スコップで根っこを掘って、半ば雑草で埋まったゴミ袋に放り込む。皐月の薫風が正太の頬を優しくなでる。正太は能面じみた無表情のまま顔を上げると、遠く青空に浮かぶ羊雲を眺めながら言葉をこぼした。
「あ~~~~~~~~~、死にてぇ」