「なっ!」
居間の窓を開いた先には、当然と言わんばかりのドヤ顔をする蓮乃がいた。「んふ~」とか聞こえてきそうな鼻息荒い顔で正太を見つめる蓮乃は、右腕を振り上げてご挨拶だ。
一方、渋い顔の正太は居間の上から、庭の蓮乃の全身を眺める。よそ行き用のお出かけ装備だろうか。蓮乃の姿はいつも通りのそれとは違う。基本装備のウサギポーチと水玉ワンピースに加えて、何故かクリーム色のパナマ帽を被り、ビーチサンダルを五本指靴下で履いていた。
その格好は、センス〇%ほぼ確定の正太から見てもずいぶんとチグハグに見えた。思わず「何かおかしくねぇ?」とツッコミを入れたくなる組み合わせだ。ポーチとワンピースのいつもの格好に加えて、五月の日差しを防ぐ帽子につっかけやすいビーチサンダル、多少なりとも歩くだろうから靴下も。発想としてと色々おかしいが、まあ、何とかそれに至ったのはわからなくもない。問題は全体の調和が一切合切とれていない点だ。
ウサギのポーチは赤目白毛のジャパニーズホワイト種をモチーフにしたいつも通りの代物で、水玉ワンピースは女の子らしいパステルカラーなピンクに白地の玉がちりばめられている。蓮乃の顔立ちは「かわいい」より「綺麗」と表されるが、くるくる変わる明るい表情を考慮に入れるなら十分似合う組み合わせといえる。
そんな雰囲気に「かわいい? 女の子らしい? んなもん知るか!」と言わんばかりの違和感をぶち込むのが、頭と足下の取り合わせだった。
まず頭上のパナマ帽は少し暗いクリーム色。おそらくは母親である”向井睦美”こと睦美さんの物だろう、大人びて落ち着いた色彩だ。
蓮乃の年齢を考えると、年に見合わない大人ぶった代物にしか見えない。生来の整った顔立ちを考量するなら、ぎりぎりいけるかもしれない程度だ。ほとんど不可能としか思えないが、取り澄ましたお澄まし顔を蓮乃が維持し続けられるならば、似合わないこともないだろう。常の百面相が出てくれば、一発退場レッドカード間違いなしだが。
続けて、足先につっかけられているのはキャラものビーチサンダル。これが女の子向けアニメのプリントだったり、無地のおとなしいサンダルならばほかのパーツと問題なく調和していたことだろう。
しかし、鼻緒に描かれたキャラクター、どう見ても「男の子向けの五人組特撮ヒーローシリーズ」で、しかも四・五年前に放映していた古いやつだ。自分も視聴していたからよくわかる。確証がないが、バザーや青空市で安く売られていたやつをつっかけ用に買ってきたのだろう。底地のすり減りと、全体の古び具合で想像がつく。それで外出しようと考えるこいつはどういう神経をしているんだ。というか、いつもの子供靴はどうしたんだ。
極めつけは両足をくるんだ五本指靴下だ。指が密着しないので水虫になりにくいとお父さん方に評判で、我が家の大黒柱もこいつを履いている。それでも足がよく臭うので、毎晩の氷酢酸は欠かせない。
何でまた蓮乃はこれを履いているのか。正しい年齢は知らないが、どう見ても水虫に悩まされる年ではあるまいに。それにつま先で布が余っているのを見るに、蓮乃の物ではないだろう。自分が知る限りでは、お隣一〇四号室は蓮乃と睦美さんの二人暮らしのはずだ。つまり消去法によりこれの持ち主は睦美さんと言うことになる。睦美さん、よりにもよってこんなん履いているんですか。正直に言って知りたくなかったです。
『膝下の父、首下の姉、足裏の弟の三人が三つ巴の大喧嘩して、頭上の母は素知らぬ顔で居座っている』
蓮乃の格好を総評するならそんなところだろう。一家勢揃いで家族喧嘩の真っ最中だ。家庭崩壊待ったなしである。
おそらくは、いや確実に睦美さんではなく蓮乃が選んだのだろう。この素っ頓狂で脳味噌ヒマワリ畑な娘っ子ならこんな発想をしてもおかしくはない。というよりこいつ以外こんな格好をしそうな、いや、している奴を自分は知らない。
そして最大の問題は「それが問題でない」ことだ。もしも今の蓮乃を後ろから見る者がいれば、そのセンスのなさに失笑どころか大爆笑するだろう。しかし、蓮乃が振り返るや否やその評価を一八〇度転換することになるに違いない。自分のように蓮乃の外観を見慣れているならばともかく、初めて目にする人間ならばほぼ確実にその顔立ちへと視線が向くだろう。そうなれば、蓮乃の珍妙な格好になど目が行くこともなくなる。『終わりよければ全てよし』ならぬ『顔立ちよければ全てよし』だ。所詮顔か、顔なのか、そうなのか。
無意味極まりない思考を全力で空転させる正太の顔は、呆れ四割、諦め三割、疲れ二割、その他一割の形容しがたい表情を浮かべている。一方、それをのぞき込む蓮乃の顔は、空前絶後のドヤ顔から疑問符を頭上に浮かべた訝しげな色合いに変わりつつあった。窓を開けてから正太の反応がないのが気になるようだ。
もう少しこう、どうにかならんものか。正太は乏しいセンスを回して蓮乃が似合いそうな外観を無理矢理想像する。たとえば帽子を麦わら帽子にサンダルをヒール有りの奴にして、その親父臭い靴下を脱げば「夏の海辺のお嬢様スタンダードスタイル」になるのに、こいつは何でこれを選ぶのか。蓮乃だからか。
発想が貧困で想像が貧弱な正太では、そんなベッタベタのテンプレートを思いつくのがやっとだった。清子が聞いたら半笑いを浮かべながら「もう少し考えなよ」といわれるだろう。はたまた失笑をこぼしつつ「まあ兄ちゃんだしネェ」と慰められて終わりか。どちらにせよ、清子に正太の野暮天さ加減が嘲われることだけは確かだ。
いい加減空回りに疲れたのか、正太は意識の歯車を噛み合わせ、改めて目の前の蓮乃へと視線を向けた。さっきから正太が一人相撲に興じていたせいで、放って置かれた蓮乃の顔には不満げな表情がありありと見える。
「む~~」
ついでに声で不機嫌を表明してくる蓮乃。ある意味、実に解りやすい。しかしながら蓮乃の目の前にいる正太は人心に疎い男子であり、他人の心境を正しく斟酌するような高度な芸当は到底不可能であった。事実、正太の脳裏に浮かんでいるのは、「不機嫌の原因はやっぱり格好の関係か?」という的外れにもほどがある想像だ。
不機嫌そうな蓮乃の顔を眺めていると、正太は以前に読んだ小説のワンシーンを思い出した。
正太は読書が主な趣味であり、その中でも特に読むことが多いのが、ある意味年相応なことに思春期向けの「ライトノベル」である。そしてライトノベルと言えばたいていの作品に恋愛描写が埋め込まれている。なにせその方が売れるのだから編集が入れさせない道理がない。
しかし、その内容はピンからキリまで千差万別、「惚れ込んだヒロインを主人公が、何話何冊と費やしてようやく振り向かせる」ような作品から、「主人公の活躍をみた次の瞬間に、ヒロインが目を潤ませて頬を染めている」ような作品まで、十人十色な恋愛模様が描かれている。
そして正太が思い出したのは、良く言えば定番、悪く言えば特色のないラブコメディ作品の、これまたどの作品にもありそうな一コマであった。
*
……ヒロインから「買い物につき合え」と言われ、渋々出かける主人公。デートのつもりのヒロインは何時間もかけて選んだ、お洒落な服をまとっている。しかし典型的ラブコメ主人公がそんなことに気がつくはずもなく、あっさりスルー。おかげでヒロインは大いにぶすくれて、翌日から学校での会話も全くなくなってしまったのだった……
このシーンを読んだ時、不可思議に感じた正太はちょうど近くにいた清子に質問をした。
・何故、お洒落したことを言いもしなかったのにヒロインは怒っているのか?
・そのことを話して尚、無視されたなら怒りを覚えるのは道理だが、一切合切伝えてもいないのに勝手にキレるのは無茶苦茶じゃないか?
清子は「あくまで自分の感覚だけど」と前置きをした上でこう答えた。
・がんばってお洒落した自分の努力を認めて欲しい
・言わなくてもわかることで”自分を見ていてくれている”ことを確かめたい
・綺麗になった自分に気が付いて欲しい、誉めて欲しい
・他多数
それを聞いた正太は戦慄した。これほどまでに女子とは七面倒くさい生き物だったのかと。そして女子とは一生理解できない生物なのだと確信した。
なお、それを口に出したところ、菩薩の顔をした清子に「じゃあ兄ちゃんは生涯確実にモテないネ」と慈悲無く烙印を押されたのであった。
*
たしか、そんなことが以前あった。蓮乃を眺める正太はそんなことを思い返していた。もしかして、目前の蓮乃が異様ななりをしているのは、蓮乃なりのお洒落なんじゃなかろ…………お洒落? これが?
正太は思わず天井を仰いだ。正太の薄っぺらい美的感覚が混乱の極みに達する。これほどの困惑はパリコレクションの最新モードをテレビで見たとき以来だった。
無数に変色する極彩色の水玉で指の先からつま先まで覆い尽くした全身タイツのモデルや、下着と水着の合いの子の上に投網を布代わりにしましたと言わんばかりの網模様を纏ったモデルなどなど、珍妙と言う言葉では足りない姿のモデル達。
そんな町中でみたら警察を呼びたくなるような格好をしたモデルたちが、テレビ画面の中で悠々と花道を歩いていた。正太の常識と良識とその他諸々を試験しているようなファッションが当然の様に誉め称えられている光景に、正太は自分の視力とテレビの故障、己の正気を疑った。
あのモデルたちはなにを考えてあれを着ていたのだろうか。いや、モデルはそれを着ろと言われて着ているだけだ。問題はそれを描いたデザイナーの方だ。そうなると蓮乃の服はあくまで市販品だから、問題は……やっぱりある。この組み合わせを考えたのは紛れもなくコイツだろうから言い訳ができそうにない。
明後日の方向へジェット推進でかっ飛ぶ思考を、正太は頭を振って無理矢理初心に立ち返らせる。ただし、初めの時点で大きく間違えていることに、当人が気がつく様子はない。なお正太の知らぬことではあるが、パリコレで発表されるファッションはコンセプトモデルで、実際に販売されるものは一般的な衣装である。
ま、まあ、とにかくこの格好は当人なりに考えた結果じゃなかろうか。それを頭ごなしに否定されれば腹の一つは立とうものだ。多少なりともオブラートに包んで、少しくらいは誉めて遣らねば角が立ってもおかしくない。コイツに泣かれたらエライ面倒なことになるのは、ここ数日で嫌になるほど(実際嫌だが)体感している。
それに結局の所、先にも考えたように蓮乃は顔の方が目立つからさほど問題にはならないだろうと予想できる。『肌の白いの七難隠す』とは言うが『顔が良いのは野暮天隠す』と言った所だろうか。それもこの格好のセンスも七難のうちか?
とりあえず蓮乃を誉めることにした正太は、テレビ横に常備してあるメモとペンを取ろうと体をひるがえした。蓮乃は音を聞くことはできても、生まれ付きの障害で言葉を聞き取ることができない。なので何かを正しく伝えたいならば文字にしてやる必要があるのだ。誉めるならぼんやりとしか解らない身振り手振りよりも、しっかりと伝わる文字の方がいいに決まっている。
「んっ!」
何やら蓮乃が元気のいい声を上げた。声の方へと振り返ると突き出されたノートとペン、そして「よくわかっているでしょう!」と書かれたドヤ顔が目に入った。いいタイミングだ、実際気が利いている。蓮乃には聞き取れないだろうが「ありがとな」と声をかけて、正太はシャープペンシルと「お話」と書かれたノートを受け取った。
『ノートとペン、ありがとう。それと』
そこまで書いた所でペンが止まった。正太の額を一滴の冷や汗が伝い落ちる。
――この格好をどうやって誉める!?
これを誉めれば嘘をつくことになる。本音としては、「ダセェ」の一言で切り捨てたい。しかし誉めねば蓮乃が拗ねるだろう。多少なりとも考えた格好を否定されれば角が立つのは当然だ。二律背反、まさにジレンマだ。正太は今、(本当にどうでもいい)岐路に立たされていた。
急にペンを止めた正太に蓮乃は不可思議そうな表情を浮かべる。加えて隠し味に不満と心配を少々入れた顔で蓮乃は眉根を寄せた。さっきから兄ちゃんなんだかおかしい。
何せ蓮乃の格好をみるなり凍り付いて、一人相撲で何やら悩んだ後、ようやくペンを持ったと思ったら、再び機能停止という案配だ。蓮乃でなくとも「なにがどうした」と言いたくなる。
そんな蓮乃の気持ちに一切合切気がつくことなく、便秘三日目での便所のごとくに正太は一人唸っている。ちょいとした嘘で誉めてやればいいだけの話なのだが、正太は軽く嘘がつけるようなタマではない。良きにつけ悪しきにつけ不器用な人間なのだ。それに両親から「意味もなく嘘をつくな」と教育を受けている。正太は尊敬する親の教えに逆らいたくはなかった。
これがフン詰まりなら最悪下剤を飲めばいいだけの話だが、アイディアをひりだしてくれる通じ薬なんぞどこにもなかった。魔法のせいで無駄に有機化学の発達した現代でも、バカにつける薬は見あたらない。
しかし『窮すれば通ず』という諺もあるように、人間追いつめられれば何とかしてしまうもの。正太の脳裏に一〇〇WLED電球が光った。どうやら嘘は付かずにすみそうだ。正太は意志力を総動員して凍り付いた利き腕を動かす。
『それと、ワンピースとポーチがよく似合っていてるぞ』
嘘は書いていない、決して嘘は書いていない。ワンピースとポーチが似合っているのは本当だ。他は一切似合っていないが、その二つは似合っている。自分の目から見ても、それだけなら可愛く見える。自分に必死に言い聞かせ、ながら正太はノートを蓮乃に向けて突き出した。
蓮乃は身を乗り出すようにノートをのぞき込んむ。そしてそのまま十秒ほど、一時停止ボタンを押したように文字を眺める。ノートに書かれた文字を見るその顔には、呆けたような透明な色が浮かんでいる。以前、一〇三号室前で正太を待っていた時のような、非人間的な硝子細工の美しさを帯びた表情だ。
ようやく読み終えたのか、蓮乃はゼンマイ仕掛けのようにことさらゆったりと顔を上げる。陶器人形を思わせる整った無表情が正太と向き合った。大理石の頬に水晶玉の眼、黒絹の髪に辰砂の唇。いつもの無駄にパワフルな百面相の下には、芸術作品として展覧会に出せる外観が眠っている。
毎度のことながら、本当に自然の創作物なのか疑いたくなる顔立ちだ。正太の貧弱な観察力では、その人形顔の裏でどんな思考が回っているのか想像も付かない。
数秒の沈黙。実は自分はピュグマリオンと同じ様に、人形を相手に一人相撲を取っているんじゃなかろうか。やくたいもない想像が正太の脳裏をよぎった。
それを否定するように、はたまた生き物であることを思い出したように、蓮乃の眼が瞬く。次の瞬間、蓮乃の無表情が煮込みすぎたカボチャのようにグズグズに溶け出した。
「えへへへへへへ」
だらしなく蓮乃の唇と頬がゆるむ。大理石の頬が餅のように伸び、水晶玉の眼はやに下がった瞼に沈んだ。蓮乃はワンピースの裾を摘むと、なにが楽しいのかネジを巻かれたゼンマイ人形みたいにグルグルと回り出す。黒絹の髪が動きにあわせふわりと舞って、辰砂の唇から喜び以外読みとれない無意味な言葉がこぼれだした。
「にへへへえへへへぇ」
女神像の硬質な美貌から急転直下で溶け崩れたマーガリンに変わった蓮乃の有様に、正太も顎を外して埴輪顔だ。
――え、なにこれ、こいつこんなんでこんなに喜ぶの?
正太からしてみれば誉め言葉が便秘気味だったとはいえ、さっき文字にしたのは単なるお世辞でしかない。これが清子相手なら「はいはいありがと」であっさり流されるか、「なんかまずったの?」と裏を勘ぐられるかそのあたりだろう。
しかし目の前の蓮乃はと言うと、「一部上場一流企業勤めのイケメンにプロポーズを決められた三十路女子」か、はたまた「サッカー部エースの美形キャプテンに告白された地味目影薄娘」の有様か。何にせよ「あり得ないと思っていた、でも心底望んでいた場面の主役になった」かの如き状態である。
なお、本当に清子に同じようなことを言った場合「……バカにしてるの?」と腹の底から蔑まれること請け合いだったりする。
なにせ、正太が口にしたお世辞は「ワンピースとポーチが似合っている」であり、ワンピースとポーチは常の蓮乃が身につけているもので、今日特別にした格好ではない。つまり正太の誉め言葉は「『いつもの格好が』似合っている」とも受け取れてしまう。逆を見れば「今の格好は似合っていない」と言っているのと等しいのだ。
これは怒る、普通は怒る。しかし蓮乃は喜んでいる。
埴輪立像と同じ顔をしたまま、正太は思考を巡らせる。以前にも考えたことがあるが、蓮乃は美貌だけで飯を食っていけるだけの外観を持っている。さらに加えて「面白桃色百面相」「脳内御花畑が百花繚乱」と少々小馬鹿にしてはいるが、非常に明るく周りを和ませる人当たりのいい性格と表情をしている。ならば周囲の人間がそれを理由にチヤホヤしてきたのは間違いないだろうし、チヤホヤされるのに慣れきっていたとしてもなにもおかしくはない。むしろその方が普通だ。
それなのにこんなお世辞未満の誉め言葉擬きで有頂天に達するとは、完全に想像の斜め下をロケット噴射で吹っ飛んでいる。さらに正太は脳内引き出しを片端からひっくり返して、今までの蓮乃とのやりとりを思い返す。
そう言えば昨日のお菓子づくり(第五話参照)の中でも、清子に誉められ撫でられて蓮乃は雑煮の餅みたいにとろけていた。考え直してみればかなり異様な話だ。それ以前の蓮乃を前提とするならば、せいぜいが薄っぺらい胸を張って『私、すごい!』とでも書いて終わりだろう。
それなのにまるで「誕生日のプレゼントに、欲しくて欲しくてたまらなかったぬいぐるみをもらった」かのように喜んでいる。これやそれや程度で心の底から喜ぶくらい、こいつの沸点は低いのか? それとも何か事情があるのだろうか。
正太はその理由を探ろうとさほど多くない脳細胞をフル稼働させる。しかし知識と経験と才能とセンスと根気そのほか諸々が足りない正太如きでは、蓮乃の内訳など想像することもできなかった。素焼きの埴輪を顔面に張り付けている正太は、埴輪らしくその目は節穴であったのだ。
――もういいや。自分にゃとてもじゃないが理解不能だ。
考えたって判んねぇだろうと思考を放棄した正太は埴輪顔を取りやめて頭を振るった。五月の日差しに照らされて、脳内ともどもメリーゴーラウンドよろしく回っている蓮乃を見ていると、いろいろ悩む自分の様が実に馬鹿らしくなってきた。端から見れば頓珍漢極まりない格好だが、何にせよ蓮乃は喜んでいるのだ。これ以上気にしても得にはならない。もうこれでいいだろう。
「いろいろ」を込めたため息をはいた正太は、改めて蓮乃へと視線をやった。パンケーキの上の蕩けたバターにケーキシロップをかけた表情で、ひさしの下の蓮乃が回っている。その脳天気な様を眺めていると、正太の顔に思わず苦笑と微笑が同時に浮かぶ。ほらまたくるりとまわって……突っかけた?
頭の中が雲の上をスキップしている当人に自覚はなさそうだが、時々突っかけてはたたらを踏んでいる。文字にするなら「くるりくるり」の途中に「くるとっと」が混ざっている感じだ。
正太の眉根が寄せてあがる。居間の縁側周りは母が毎日掃除をしていて、ひっかけて転ぶような小石の類はないはずだ。そもそも何かにぶつかって転びかけたなら何らかの音がしていいはずだし、回転ごとにバランスを崩すのも妙な話だ。
常の細目を糸より細めて正太は蓮乃を見つめる。元々の人相の悪さも相まって、他人が見たら即座に警察官が呼ばれそうな光景だ。だが当の正太は犯罪寸前の有様に気がつくことなく蓮乃への凝視を続ける。
くるりくるりのくるとっと。こいつ三回転に一回は靴下を踏んでいやがる。こうして回る蓮乃をよくよく見れば、靴下の爪先を踏んでいるのが正太の目に入る。どうやらサイズの合わない靴下を無理して履いたのが原因のようだ。ビロビロと先の余った靴下を逆の足で踏むもんで、そのつど重心を崩してたたらを踏んでいる。縁側とはいえ庭の上で靴下を踏みつけるものだから、爪先は焦茶色に汚れてしまっていた。
靴下の爪先が伸びているだけならともかく、泥と埃に汚れてしまっているのはさすがの正太でもいただけない。この状態で公共の場に出るのは、さすがに問題ありと言わざるを得ないだろう。見た目も悪けりゃ衛生にも悪い。ついでにセンスも悪くて評判も悪い。怪我の危険もあるし、こいつは外には出せそうもない。
靴下を履き代えるように言わなきゃならんな。ついでにサンダルからいつもの靴に履き代えるように言っておこう。そう胸の内で決定すると、雲上をスキップする心地の蓮乃を呼び戻すべく正太は肩を揺さぶった。