本日の日照量最大値をマークする太陽光に頭を焦がされつつ、正太と蓮乃は目的地であるスーパーマーケット「ビックバスケット」への道を歩いていた。
帽子をかぶるべきだったか、それとも家を出る時間をずらすべきだったか。どちらにせよ頭が暑い、いや熱い。スポーツ刈りの頭では、髪の機能である「頭部の保護」を発揮するに至らず、その隙間から差す直射日光に頭皮を炙られて正太は色々と後悔しつつあった。
一方の蓮乃はというといつも以上に元気過剰だ。ノタノタ歩く正太を中心に衛星軌道を巡っている。満月よろしく自転を加えて錐揉み回転しながら正太の方へと笑顔を向ける。蓮乃の髪質は軽いのか、蓮乃が回る度に濡れ羽色の髪が宙を舞って一瞬の薄衣を織る。
「おーひのとーててー♪なりらもなたくーらたー♪」
加えて何が楽しいのか歌詞以外は完璧な歌を口ずさみながら、色白の細い手を振り回し、蓮乃は正太と歩いている。とりあえず隣にいてはくれるものの、蓮乃は歩調を合わせるという言葉を知らないようで、好き勝手なペースで正太の周りを動き回っている。おかげで正太は蓮乃を追い抜かないように、蓮乃に置いていかれないように、その都度歩幅を調節する羽目になっていた。
正直言って面倒くさいったらありゃしない。けれども蓮乃はえらく楽しそうで、正太にはそれを指摘するのはどうにも野暮に思えて仕方がなかった。
ほんっとこいつは元気一杯だこと。思う存分両手を振り回し回転する蓮乃の様子を眺めながら、先より控えめな苦笑を浮かべた正太はため息を鼻でつくと、胸の内で皮肉混じりな一言をぼやいた。
こうして自分はスーパーまでの往路だけでひいこら言ってるのに、かたや蓮乃は一緒に歩くだけではなく回って踊るだけの余裕があるわけだ。まあ、子供は体力配分を間違えやすいものだから、しばらく経ったらヘトヘトの蓮乃の手を引っ張る羽目になっているかもしれない。それとも自分が運動不足なだけだろうか。
正太が視線を下へと向ければ、でっぷりと突き出した腹周りが見える。裸になっても上から自分の逸物が見えないくらいには、贅肉で膨れ上がっている。実を言えば体育の授業は結構好きだし、保健体育の成績もそう悪いものではなかったりする。外観から勘違いされがちだが、小学校の頃はクラスで言えば中の上くらいは運動が得意だった。
それでもこの腹では言い訳の仕様もない。実際、中学入学以来体育の授業以外でまともに運動した覚えがない。久方ぶりに「訓練場」に行ってみるべきだろうか。でも最後に顔を出したのは「前の一件」直前のバカ丸出し絶頂期だったしなぁ。はっきり言って知り合った人と顔を合わせるのに気後れしているのが現状だ。
どーしたもんか。正太は意味もなく後頭部を掻きむしり、考えるだけ無駄なことを考える。結局の所、正太の勇気とコミュニケーションの問題なのだ。悩んだところで畳水練に机上の空論。為さねば成らぬ、為せば成る。
ふと目をやれば蓮乃は回転運動に満足したのか、正太の隣に停止している。テンション青天井な蓮乃へと正太は視線を向けた。蓮乃の元気は底なしなのか、正太の目からその顔に疲れの色は全く見えない。
やっぱりこいつは子供なんだな。やくたいもない感想が正太の脳裏にぼんやりと浮かぶ。そんでもってやっぱり美人だ。ぶん回す手は雪のように白い肌にほの赤い薄桃色の爪。指の長さも掌のサイズも黄金比で、手首から先だけでもモデルになれそうだ。
きっと蓮乃は学校でも人気者なんだろうな。脳髄を煮込む暑さを誤魔化すように、正太は無為に想像を膨らませる。美人でかわいい上に良くも悪くも元気一杯。これだけでもクラスで一番モテるだろう。その上、ちゃんと教えたことは一発で理解して、いい意味で子供っぽく素直で天真爛漫。これで先生たちからも大人気だ。これだけあって人に好かれない方が可笑しい。とても口には出せないが、本音を言うと羨ましい。
一方、自分を鑑みてみれば、通学先の公立戸小中学校では相も変わらずぼっちな身。なんでこんなんなっちゃたんだろう。理由なんぞ考えなくても解る。「前の一件」以来、家族以外とまともに人付き合いができなくなったからだ。顔を合わせてまともに雑談ができるのは家族のみ。いや、蓮乃もなぜか除外される。こっちの理由は知らない。多少考えたが結局解らなかった。解らないなら解らないでもいいだろう。それでうまく行っているのだ。
「よふどーかおうー♪てきびーぼーひさーみばー♪」
蓮乃のことを考えたついでに当人の方へと視線を向ける。相も変わらず底抜けの笑顔で、よく解らない歌を気持ちよさそうに歌っている。音程もリズムも合っているのだが、当人が言葉をしゃべれないせいで何を歌っているのか全く解らない。メロディに聞き覚えはあるので、おそらくどこかで聴いたはずの曲だと思う。確か古いアニメーションのメインテーマだった記憶がある。
日本語を知らない外人が歌う歌謡曲は、きっとこんな感じになるんじゃなかろうか。ブランコより激しく腕を振り回し歌声を響かせる蓮乃を見ながら、正太の脳裏に疑問が浮かび上がった。
――そういえばこいつはどこの小学校に通っているんだ?
こんだけ話題になりそうな奴が通っているのだ。同級生から毎日山ほど相談を持ち込まれる清子なら多少は知っていそうなものだが、清子から蓮乃に関してその手の話を聞かされた覚えはない。別段タブーにするような話題でもないだろうから、蓮乃の通学先を単純に知らないのだろう。
他にそれについて知っていそうなのは、親御さんの睦美さんくらいだ。蓮乃の母親である睦美さんが知らないはずもないだろうが、睦美さんはそんなこと話すようなタイプではない。となれば、蓮乃本人から聞き出すほかはあるまい。
どうでも良いことをやけに緻密に考えながら、質問を書くべくメモとペンを取り出す。正太はどうやら無駄なことほど力の入るタイプのようだ。ある意味、社会生活に向いていない種類の人間とも言える。そんな正太の問いかけに対する蓮乃の返答は、正太にとって斜め上四五度方向に予想外であった。
『学校はいってないよ?』
学校入ってない? 学校は行ってない? いや、どちらでも同じだ。先に蓮乃が書いたように、小学校へ通学していないという意味だ。しかしそれなら、義務教育とかはどうしているんだ?。
魔法発現による混乱以来、学校制度に多少の変更が加えられているが「小中高大」基本の流れは変わっていない。中高一貫校が増えたとは言え、義務教育は小学校と中学校で変化なしだ。そして中学生である正太から見て、蓮乃はどう見ても二個下の清子より年下だ。なら年を考えれば蓮乃は小学校に行ってなければおかしいことになる。さてどーいうことだ? 不可解と書かれた表情を浮かべ、正太は顎に手を当てて考え込む。
『勉強はしてる!』
そんな正太の表情をどう解釈したのか、むっとした蓮乃は頓珍漢な返答を書いて見せた。しかし、蓮乃の的外れな答えに正太は珍しくピンときた。常に錆び付いているような正太の勘が偶発的に働いたのだ。
『もしかして通信教育ってやつか?』
『それ!』
考えてみれば蓮乃は「魔法使い+障害者」の二倍掛けだ。一般の小学校に入学するのが難しいということは十分にあり得る。探せば専門の学校があるかもしれないが、決してその数は多くないだろう。母子家庭で県外の学校に通い続けるのも通学のために引っ越すのも楽なことではないに違いない。結果、蓮乃は公の補助を受けての通信教育を受けているというわけだ。言われてみれば何も可笑しくはない。よくよく納得できる話と言える。
理解と納得を得た正太は静かに頷いた。こいつもこいつで色々あるんだな。十人十色、人に歴史あり。幼かろうが平凡だろうが、それぞれの人生にはそれぞれの過去がある。そしてそれぞれの過去がそれぞれの人となりを作るのだ。
そこまで考えたところで正太は蓮乃の顔を見てふと思った。もしかしてこいつが異様なくらい子供子供しているのは、学校に行っていないせいじゃないか?
人様の成長について一席ぶれるほどの知識は持ち合わせていないが、直感としてはあり得そうな気がしてならない。歳の割に人間が出来過ぎているように見える清子とは真逆に、蓮乃には年齢を鑑みても子供っぽすぎる所が多々見受けられる。こうして繋いだ手を勢いよく振り回して元気一杯に歌声を響かせている様は(あまりに失礼な物言いではあるが)幼稚園児のそれと重なって見える。自分が想定している歳は清子より二つ三つ下の九~一〇歳だが、行動だけで見るならばもう四~五年分歳を下げても違和感があまり感じられないのだ。
さて、学校は文字通り「学問を習う」所ではあるが、また同時に「社会生活を学ぶ」場所でもある。生まれたときから顔見知った家族から離れ、見ず知らずとまでは行かないまでも、深くは知らない同級生たちや先生方と同じ時間を過ごす。自分の不満を先んじて解決してくれる親とは違い、先生方は手助けこそしてくれるもののおんぶにだっこはしてくれない。同級生たちは言わずもがなだ。
そうして子供たちは、幾つもの事を学校生活を通して学ぶ。学べることは色々だ。「人生は思い通りにならない」という事、「人様は親のように我が儘を聞いてくれない」という事、「集団から爪弾きにされるのがいかに辛いか」という事。そして何より「周囲は自分を評価して番号付けしている」という事。
そして蓮乃はというと、そういった周囲の視線に非常に疎い。何かあれば気持ちのままに泣き笑い、何かをするにも全身全霊をブン回す。出力調整は基本MAX―〇の二進法のみ。適量? 適切? んなモン自分のしったこっちゃないらしい。
少しでも周りの評判や視線を気にするならばこうはいかない。右に倣えの日本人にとって、周囲の目は最も強いブレーキである。お天道様は見て無くとも周りの誰かは見ているのだ。それを無視して動けるのはよほどの大人物か、相当の恥知らずか、考えなしの子供くらいしかいない。蓮乃は『自分のせいでお菓子作りに失敗した』と申し訳なくて泣くくらいだから、少なくとも恥知らずではなさそうだ。しかし、蓮乃が未来の大人物か、ただひたすらのガキンチョか、それともその両方か。
そこまで考えたところで、正太は視線を空へと動かした。綿飴とも羊とも言い難い形の積雲が一つプカリと浮かんでいる。それを見ながら正太の顔に小さな自嘲の笑みが浮ぶ。
――だがしかし、見る目のない自分には区別が付かない。
清子あたりだったらなんて言うだろうか。自分の意見を容赦なく否定して「兄ちゃんホント見る目無いネ」と笑われてこき下ろされるか。それとも、逆に珍しいことに肯定して「兄ちゃんもたまにはモノが見えるんだネェ」と笑い混じりに感心されるか。どっちにせよこんな事を話題にした時点で笑われることは確定だな。
ため息と併せて正太は自嘲の苦い笑みを濃くする。ああ空が青い。それに、そもそも学校に通っている自分自身が「前の一件」であのザマなのだ。自分はどうかと聞かれれば、反論どころかグウの音も出ない。自分はどうこう言える立場じゃない。他人様の人生なのだ。自分がくちばしを突っ込めるようなことでもない。たかだか十四の、それも色々と足りない子供が、お隣の娘さんの人生をどう論じるつもりなのか。玄人面して自分探しのアドバイスでもするつもりか? 笑えない話だ、お話にもならない。
「?」
自嘲を顔に浮かべてため息を付く正太に気がついたのか、蓮乃は疑問と心配をごたまぜこぜにした顔で見つめてくる。他人様に心配をかけさせるのはよろしいことではない。ましてや年下相手ならなおさらだ。それでも、毎度毎度こんな調子だからイヤになる。時々、いや結構な頻度で、自分が嫌いだ。
正太はそんな自己嫌悪を腹の底に沈めると、『まあ、ちょっとな』と言葉を濁した。
*
無駄話や考え事をしていると道中というのは以外と早く過ぎるもので、そうこうしている内に目的地が近づいてきたようだ。二人の視界に道並ぶ建物の列から一際大きく飛び出す看板が目に入る。建物自体はそう大きいものではないが、垂直記号のように突き出た看板は実によく目立った。そしてその看板にはポップアート調に書かれた「BigBasket」という文字がバスケットの絵の中に並べられている。
スーパー「ビッグバスケット」。駅近くのビル一階を占める大総グループの大型食料量販店であり、周辺地域商店街を軒並み青ざめさせた大型スーパーであり、ついでに言うと宇城家の基本的な食料供給源の一つでもある。
「ふなぁーーー!」
目的地が見えたせいか、蓮乃のご機嫌は最高潮だ。頬をほんのりと紅潮させ、両目は星が飛び出そうなほどにきらきらと輝いている。このまま行けば正太を置いてビッグバスケットに突撃を仕掛けかねないだろう。そう感じた正太は、繋いだ手を軽く引っ張ってアクセル全開の蓮乃にブレーキをかける。犬の散歩の要領である。
「うーにー!」
「いいところなのに」と少々不満げに蓮乃は抗議の声を上げる。だが正太は頓着しない。蓮乃を楽しませるだけに来たわけではないのだ。まず買い物リストにある買うべき物を買う。そうせずに「後で後で」と後回しにしていたらついつい忘れてしまうかもしれないし、そうなれば帰宅後には母の拳骨と妹のお小言がタッグを組んで待ちかまえている事となる。それはちょいと御免こうむる。
そんな正太の態度に蓮乃は唇を尖らせるものの、ビッグバスケットの入り口前に近づくにつれて、所狭しと並べられた商品に目を奪われてゆく。
まず目に付くのは生鮮食品。木箱入りの野菜が段をなし、季節の果物が周囲を飾りたてる。大根、長ネギ、キャベツに人参。苺、甘夏、ビワにサクランボ。変わり種にはナッツビーンやグレープメロンなどの遺伝子を徹底的に弄くられた特殊生物も売られている。当然であるが合法なものだ。
各種お菓子も数多い。各種フレーバーのデンプンチップスの紙袋に、生体樹脂ボトルの清涼飲料水。山と積まれた袋入りのあめ玉に、ずらりと並ぶラムネの瓶。アミセン、炒り豆、揚げ餅そのほか諸々バラエティパックが隙間を埋める。
そして商品を紹介するポップアップには、これまたポップな書体で値段と税と紹介が書かれている。なかには人間を抽象化したポンチ絵が商品を紹介している物もある。絵心のある従業員が書いたのか結構可愛らしくて上手だ。
両目をまん丸にして商品を眺める蓮乃をさておき、正太は買い物袋から取り出した買うものリストを見直した。ざっと見た限り、店頭販売されている商品にお目当ての品は見あたらない。残念なことに本日の目玉商品として安売りされている訳ではないようだ。なら店内で探すほかあるまい。
正太は入り口のガラス戸に手をかけた。が、入り口に手をかけた正太の肘を引っ張るモノがあった。正太はそんなモノを一つしか知らない。目を向ければ肘を摘む小さな手。摘んだ手からその付け根の方へと視線を動かす。当然そこには蓮乃以外に居ないわけで、正太の目には商品をじぃっと見つめる蓮乃が写った。
「オイ、何だよいったい」
胸中でため息を付きながら、正太は蓮乃へと呼びかける。蓮乃は言葉を聞き取ることが出来ないが、音を聞くことは何の問題もない。呼びかけに答えたのか蓮乃は正太の方へと顔を向けた。何かを訴えるような不満げなふくれっ面をしている。ついでに肘をもう一回引っ張った。
いい加減正太にも見当がついた。どうやら蓮乃は店頭販売の商品に随分と心引かれているらしい。こんなことにここまで執着しているあたり、やっぱり蓮乃の内面は自分の理解の外にあるようだ。しかし、先のとおりここで時間を潰して目的を忘れてしまったならば元も子も何もない。ここに置いていくという方法もあるにはあるが、余所様の子供を預かっておきながらそんな無責任な事をするわけにも行かない。
追加でさらに一回、正太の肘がぐいと引っ張られた。蓮乃の顔は不満げな色を濃くし、膨れた頬がさらに膨らむ。このまま放って置いたらどでかい癇癪を爆発させかねない。それに今居るのはスーパーの出入り口だ。どう考えても他の客の邪魔である。
さて、この梃子でも動かなそうな意固地拗らす固持娘を、一体全体どう動かしたものか。餌が歯の間に引っかかってとれない豚の顔で、正太はしばし悩む。腹を空かした豚めいたうなり声を上げつつ、新しいメモを手に取った。
『中にも色々あるぞ』
とりあえず正太はスーパーの中に連れて行くことにした。蓮乃が出入り口前に陣取ってしまっているのは、店頭に置かれている商品が気になるからだろう。だったら店内にも色々な商品が置かれているのを示せばいい。当然ではあるが店の中の品数の方が多いのだ。
しかし、蓮乃は正太の摘んだメモを見ながら迷った顔を浮かべている。眉の間に小さなシワ山脈を築き上げ、商品とメモとを視線が行きつつ戻りつつ往復している。これで動くかと思いきや、もう一押しが必要なようだ。一応、案はあるがやっていいものか多少迷う。さすがに甘やかしすぎかもしれない。でもまあ、自分の財布から出すんだし、喜ぶだろうし別にいいか。
『一個だけならお菓子買ってもいいぞ』
蓮乃は目を丸くして驚き、メモと正太を何度も見直す。正太は静かに一度頷いた。蓮乃の目が獲物を前にした餓狼のそれに変わった。もっとも顔が顔なので餌を待つ柴の子犬にしか見えないが。
一応は動く気になっただろう蓮乃を確認して、正太は一つ息を吐いた。延々歩かせ店まで連れてきながら、ウィンドウショッピングでハイ終わりとはさすがに御無体だろう。蓮乃がスーパーでの買い物を楽しみにしていたのは、そういった理由もあってのことだと想像できる。自分だって母の買い物に付き合ったなら、ちょっとくらいは期待する。財布の余裕はあんまりないが、菓子の一つくらいなら何とかならなくもない。しかし……
――ちょっと甘すぎるだろうか?
正太はわずかに疑問を覚えるものの、「まあいいか」とあっさりと流した。だが正太の行動は、隣近所の子供に対しては他人から見ても甘やかしすぎると言えそうなものだった。初孫相手の爺婆より幾らかましと言ったレベルだろう。しかし正太がそれに気が付く様子はない。自分への問いかけもまた、甘やかしへの言い訳と理由付けと大差ない。それはまるで意図的に意識から外しているようにも見えた。