……彼女は裂帛の気合いとともに薙刀を突き出した。男もまた地を震わすような雄叫びと共に長巻を突き出す。刹那の間、互いの刀身が篝火を写し白く光った。交差は一瞬、彼女の刃は男の肩を、男の刃は彼女の頬を切り裂く。
実力は互角、しかし互いの人生が反応を分けた。受けた傷に怯みたたらを踏んだ男と、受けた傷を無視して踏み込んだ彼女。その才能と実力からまともに傷を負ったことがない男と、血と泥に塗れながらも地を這うようにして生きてきた彼女。男が嘲笑った傷だらけの人生がその僅かな、しかし致命的な差を生んだのだ。彼女は傷も痛みも無視して薙刀を振るう。その薙刀は深々と男の肩を切り裂き、男の手から長巻が滑り落ちた。もはや男に長巻は握れない。勝負はあった。
だが彼女は薙刀を構えたまま、ゆっくりと男へと足を踏みだす。その両目には身を焦がさんばかりの憎悪と怒りが、暗く黒く燃え上がっていた。自分たちの苦しみを食らい、悲しみを貪り、嘆きを飲み干してきた男に、彼女はとどめの一撃を加えんと歩を進める。そして足下でのたうつ男の呻きも命乞いも復讐の炎にくべる薪とし、彼女は殺意を込めて薙刀を降りあげた。
その瞬間だった……
ぼーん、ぼーん、ぼーん、ぼーん
どこか間の抜けた掛け時計の時報をきっかけに、正太は読みふけっていた小説から顔を上げた。少々集中しすぎていたらしく、首を回すと小枝を折ったような軽い音が連続して響く。同時に首の筋が延び、心地よい苦痛が肩を引っ張り、思わず一つ息を吐く。そして机の向こうに目をやると、膝丈の机に突っ伏したような姿勢のまま、一心不乱に小説を読みふける蓮乃の姿があった。
自分が読ませた小説は随分と性にあったらしい。今の蓮乃の世界は、あの小説で完結しているに違いない。もはや、怒られて気まずい思いをしたことどころか、今自分がいるのが他人の家である事実すら頭にあるか疑わしいほどだ。メモの内容もきれいさっぱり忘れていることだろう。
正太は苦みの混じった笑みを浮かべながら、その有様を眺める。どうやら気まずい思いはもうせずにすんでいるようだ。あれだけ小説にのめり込んでいるのだ。おそらく気持ちも落ち着いてもいることだろう。さてそうなれば、そろそろ読書の時間を終えてもらって「怒った理由」の説明をしなければなるまい。
一息にそう考えると、正太は蓮乃の肩を軽く揺すった。揺すられた蓮乃は、いぶかしそうに正太に顔を向ける。
最初はキョトンとした、何処にいるのかもよくわかっていないような顔。
その次は、自分のお楽しみを邪魔されて随分と不満そうに眉根を寄せた顔。
続いて「あ」とでも言いそうな、今の状況そのほかを思い出した顔。
そして最後に、泣きじゃくった自分の有様が記憶から浮かんできたのか少々居心地の悪そうな顔。
――「百花繚乱」というか、「千差万別」というか。ああ、そうだ「百面相」ってやつだ
目まぐるしく次々に変わる蓮乃の表情を見て、正太はそれを表す適当な言葉を。頭の中から探り出した。それにしても、コロコロ・クルクルと、瞬く間に蓮乃の表情は変わるものだ。本来の意味である宴会芸の百面相も、やろうと思えばできそうなくらいだ。次から次へと表情が変わる蓮乃の顔に、思わずこみ上げてきた笑いの衝動を正太は口の中でかみ殺す。
さて、いつまでもそうしているわけにはいかない。蓮乃になぜ自分が怒られたのかを、正しく理解してもらう必要がある。なにせまた至近でやられた場合、下手すれば自分も一緒に取り調べを受ける羽目になりかねないし、使い方のよくわかっていない魔法を振り回されれば、こっちも怪我をしかねない。
正太はメモにペンを走らせると、蓮乃の座っているソファーの方へと座り直した。
*
『どうして怒ったかわかるか?』
正太が突き出したメモの一文を眺めた蓮乃はゆっくりと首を横に振った。首を動かす度に、柔らかな黒髪がふわりと舞う。
できれば聞きたくなかった回答を頂き、天井を仰いで目を閉じる正太。子供の魔法使いには真っ先に教えるべきことだろうと、顔も知らない蓮乃の母親へ口の内で不満をこぼした。
『国が決めたところでしか大きな魔法は使っちゃいけないのにお前が使ったからだ』
とりあえずのつもりで、正太はメモに一文を書き加える。なぜ使ってはいけないか。その一番簡単な回答だ。取り合えず落第しないくらいの点数はもらえるだろう。
無論、花丸満点にはほど遠い。理由を語っていない以上、理解できるのはよっぽど頭の良い人間だけだからだ。そして、正太の目の前に座る蓮乃は、よっぽど頭がいいわけではないようだった。
『なんで?』
なんで使っちゃだめなの? 蓮乃は首を傾げて疑問を書く。当然の疑問である。
どうやって説明したものかと正太は唸った。自分もガキといえばガキだが、相手は子供だ。できるだけ簡単かつ理解しやすい言葉で伝えばなるまい。
『たとえば、俺の魔法を他人に使えば怪我させることができる』
正太の魔法は「熱量操作」。自分の体内にある熱量(カロリー)を操ることができる。たとえば、それを一点に集中させれば、触れただけで相手を大火傷させることも可能だ。当然自分も大火傷確定ではあるが、とりあえず可能であることに違いはない。
『でも、普通の人はそんなことはできない』
ふんふんと蓮乃は相づちがわりに首を振る。
『つまり、魔法を使える人は普通の人に一方的に攻撃できる』
内心歯がゆい思いをしながら正太は筆を進める。あまりに極端な言い方だ。魔法の使えない普通の人であろうとも、やろうと思えばどうとでもできるものだ。実際、魔法使いをただの人間が、集団リンチで殺害した例など枚挙に暇がない。だが、それでも魔法という「力」が、魔法使いである自分達だけにあることは事実なのだ。
『そんなことしないもん』
文章を読んだ蓮乃が、文句ありげな表情を浮かべる。正太は大きく首を縦に振り、同意と共感を示す。そりゃあこんなこと言われ、いや書かれてそう思わない奴は少ないだろう。しかし、だ。
『お前さんはしないだろう。でもやっている奴はいるんだ。そしてやるかもしれんと思っている奴もな』
魔法は老若男女を差別せず、突然使えるようになる。それを人を傷つけることに躊躇いのない奴が手にすれば、一体全体どうなるか。ずいぶんと簡単に想像できることだろう。
無論、これは刃物や銃器など他のものでも十分にあり得ることだ。しかし、魔法は唐突に理由もなく手に入る上、魔法使いであるか否かの判別がえらく難しい。その上、能動型の魔法なら、引き金は自分の意志だ。殺意をそのまま殺人に変換できる。
例えばテロリスト、例えば犯罪者。そういった人間がそれを手にした結果は、数えきれない数の特殊犯罪と魔法テロ、そして目を背けたくなる数の被害者によって示されている。
「銃」に置き換えればもう少し分かりやすいだろうか。唐突に誰かの元へ、「見えない」「弾切れのない」「自分以外触れられない」短機関銃が手にはいるのだ。それを使って、テロリストが、犯罪者が人を傷つけたとなれば、持っていない人は当然不安になる。
もしかしたら、隣の奴は持っているんじゃないか。
もしかしたら、持っているあいつも犯罪に使うんじゃないか。
もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら――
疑心と恐怖はたやすく狂気を招く。
「この間、魔法使いの連中に怪我をさせちまった」
「あいつ等は恨んでいるだろう」
「あいつ等は攻撃の準備をしているはずだ」
「もう行動を始めているかもしれない」
「やられる前にあいつらをやっちまうしかない」
こんな恐怖の想像力が多くの虐殺の原因だ。だから政府は「銃を持っている証明書」=「腕輪」を作り、「勝手に銃を撃ってはいけない法律」=「特殊能力の使用に関する法律」を作ったのだ。
これは、普通の人の為だけの法律ではない。魔法使いのための法律でもあるのだ。例えば「腕輪」はそれをつけた人間が「政府に管理された魔法使い」であることを示している。すなわち、これは「何か問題を起こしたときは政府が処罰する」と同時に「何か被害を受けたときは政府が保護してくれる」ことも意味しているのだ。
普通の人が不安にならないように。魔法使いが安全であるように。
『だから、勝手に魔法を使っちゃいけないんだ』
蓮乃は大きくうなずく。どうやらわかってもらえたらしい。正太は大きく安堵の息をこぼした。
『でもなんで魔法使いだけなの?』
――こいつやっぱり判ってねぇ。
*
最終的に蓮乃が正太の説明を理解しきるまでに、追加でオキアミ煎餅二袋、ラムネ二瓶が必要だった。
口の周りにアミセンの欠片を付けた蓮乃が、最後の一ページ前まで文字で埋まったノートを閉じて、「ほふぅ」と満足そうな息をはく。一方、基本的な常識を理解させるだけで、買い置きの菓子をずいぶんと食われてしまったと、正太は苦虫を噛み潰した。しかしそれだけ食わせた効果はあったようで、蓮乃の表情には泣かれた後のような怯えや気後れを感じさせるものはない。ある意味、状況は振り出しに戻ったといえる。
「さて」と小さく呟くと、正太はソファーから勢いをつけて腰を上げた。いい加減、親御さんに電話連絡をせねばなるまい。子供の相手に、常識の説明に、とずいぶん疲れた。さっさと済ませて自分だけの時間を取り戻そう。
そう決めると正太はメモを掴み、TV横の電話機の前へと足を進めた。今度はさ流石に蓮乃が追いかけてくる様子はない。リダイヤルボタンを押して先ほどの番号を呼び出すと、外線ボタンを押し電話をかける。先ほどとは異なって、三度の呼び出し音の後に電話をとる音が受話器から聞こえた。
『はい、もしもし。向井ですが、どちら様でしょうか?』
鈴を転がすような涼やかな声、とでも表現すべきだろうか。耳に心地よいさらりとした女性の声が響く。蓮乃の顔立ちを考えれば、その母親が随分と素晴らしい外観をしているだろうことは、正太にも簡単に予想できた。きっとこの声に違わない美しい顔をしていることだろう。少しドギマギとしながら、慌てて正太は電話に答える。
「あ、俺、いや私は宇城正太というものです。向井蓮乃ちゃんのお母さんですか?」
『は、蓮乃に何かありましたか!?』
蓮乃の名前を出した瞬間、声の調子が途端に変わった。今までの声が清流の湧き水なら、今度の声は急斜面の鉄砲水だ。
「あ、いえ、その、ええと」
先とは違う意味でドギマギする正太。患っているコミュニケーション障害も相まって、まともな言葉がでてこない。そんな正太を後目に、電話の向こうはますますヒートアップしていく。
『蓮乃はどうなんですか!? 蓮乃に何があったんですか!?』
立て板に水というか崖から滝というか、ダム決壊の勢いで蓮乃の母は喋り倒す。濁流じみた言葉の怒濤に、正太はもう溺死寸前だ。
『そちらは何処になりますか!? すぐにそちらに向かいます!』
これ以上聞いていてはダメだと、正太は受話器を耳から外して深呼吸をする。ゆっくりと胸一杯に空気を吸い込んで、緩やかに全て吐き出す。これを二度三度と繰り返すと、頭を満たしていた困惑と混乱が段々と解れていった。ある程度頭が落ち着いたあたりで、正太は再び受話器を耳に近づけた。
『答えてくださいお願いします!』
聞こえてきたのは、電話向こうの絶叫だった。ようやく落ち着いたはずの混乱が、急激にぶり返しかける。それをさほど多くない精神力で無理矢理押さえ込み、電話向こうへと正太もまた絶叫した。
「お、落ち着いてください! 蓮乃ちゃんは元気です!」
『元気ってどんな状態なんですか!?』
「我が家の買い置きのお菓子一通り食べちまうくらいには元気です!」
なんとも言い難い沈黙が電話線を通して、お互いの間に漂った。
『え、ええと、とにかく蓮乃は無事なんですね?』
改めて電話の向こうがしゃべり始めるが、流石に興奮が取れたのか、さっきよりはいくらか落ち着いた様子だ。電話向こうの混乱が収まったおかげか、正太のパニックも随分と落ち着いた。
「はい、怪我も病気も何もありません。蓮乃ちゃんは今、ええっと心ゆくまでお菓子を食べてご満悦の顔ですね。ここから見る限り、大丈夫そうに見えます」
さすがに「蓮乃ちゃんの頭をひっぱたいた上、目が赤くなるまで泣かせました」とは言えない。なので正太は嘘にならない程度の当たり障りのない言葉を選んで、適当な具合にお茶を濁した。
『よかった……何かあったらと思って……』
受話器を通じて安堵の声が漏れ聞こえた。その声が耳に届いた正太の脳裏に蓮乃の泣き顔が浮かび、えも言われぬ座りの悪さが尻の辺りからこみ上げてきた。背筋を這い登るバツの悪さを頭を振って振り落とすと、正太は電話先へ意識を向け直した。
「……つまりですね、私が帰ってみたら部屋に蓮乃ちゃんがいまして。それで話を聞いたら庭から入ってきてしまったそうなので、それをお母さんに連絡しようと思いまして」
『わかりました。うちの蓮乃がご迷惑をかけまして、誠に申し訳ございません。こんなことが二度と無いように、よく言って聴かせますので』
とりあえずではあるが、今回の事情と自宅の住所ほかを正太は電話先へと連絡する。やはり、耳に心地いい素晴らしい声である。聞いているだけで思わず心臓が高鳴りそうだ。無論、落ち着いた状態という前提でだ。落ち着いていないと、自分の心臓は別の意味で高鳴ってしまう。
「い、いえ、そんなに迷惑をかけられたわけでもありませんし」
『いえ、こういったことはしっかりとしておきませんいと。帰宅は午後五時半頃になりますので、済みませんがその時間辺りまで続けて蓮乃をお願いできないでしょうか』
「わかりました。お母さんが帰宅されるまで、改めて蓮乃ちゃんをお預かりいたします。それでは失礼しました」
そう告げて正太は受話器を下ろした。ふと壁にかかった時計に目をやると、たったの数分しか過ぎていない。電話相手のテンションがえらく激しい上下動をかましていたので、長いこと話していた気分になってしまったらしい。
「ふぅ」
正太は張り詰めていた気持ちを、ため息という形で吐き出した。そしてブロックメモを一枚はがし、「蓮乃母と話が済んだこと」「蓮乃母の帰宅が午後五時半頃になること」を書き込む。振り返ってソファーの方へ視線をやると、蓮乃は上機嫌そうにリズムを取りつつ、机の裏を足で蹴りあげている。お菓子もたっぷり食べて随分とご機嫌だ。そんな蓮乃の肩を突っつき、振り返った顔の前で正太はメモを揺らした。
メモの文面を目で追う蓮乃の顔から、スッと色が抜けた。蓮乃母の帰宅についての一文を見た途端だった。正太が驚愕に目を見開くより早く、蓮乃の表情は瞬く間にしおれていく。今まで子供子供していた蓮乃の表情が、うって変わって人形じみた硬質の、かつ絶望感たっぷりのそれへと成り果ててしまったのだ。
あまりの急変に正太の表情もひきつり、思わず天井を仰ぐ。しかし当然ながら、天井の何処にも「絶望した子供への緊急対応マニュアル」は書かれていない。強ばった顔の正太の呟きは無意味に居間に広がって消えた。
「ど、どーしたもんだろ……」