二人の話   作:属物

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第四話、二人が友達の家に行く話(その六)

 「おつかれ~」

 

 誰に聞かせるとも無しに疲労を宣言しながら正太はベッドに飛び込んだ。代えたばかりのシーツは柔らかに冷たく、風呂上がりの肌に心地いい。

 

 「蓮乃ちゃんのお世話、ご苦労さん」

 

 宛先のない言葉に妹の清子が苦笑いで答えた。

 

 「今日は別件で疲れたよ」

 

 「別件? 今日は蓮乃ちゃんのお友達の家に行ったんだっけ?」

 

 「そ」

 

 短音の単音で応じつつ正太は今日を想起する。

 葛折りの坂、スコーン配り、友香の『親友』、クソガキの暴言、チョコレート野郎との接戦、グラウンドに正座してのお説教。

 色々ありすぎて疲労の溜息が出てくる。

 

 「その友達の氷川さんはいい子なんだけどね。以前話したロクでもないのが突っかかってきてさ」

 

 「ああ、あの」

 

 直接会った事はないが清子も話には聞いている。聞いた話よれば、天使じみた外観のおガキ様とその背中を面白全部で押しに押す色黒美形な兄貴分。

 人間は顔じゃないなんてお為ごかしは言うつもりはないが、それでも会いたいとは一片も思えない連中だ。

 

 「そんで、チョコレートっぽい方からバスケの試合挑まれて…………負けた」

 

 「何で受けたのよ」

 

 外観に反して正太は随分と運動ができる方だが、小学校時代の転校以ロクに運動をしていない事を清子は知っている。

 試合を挑む以上相手には勝算と勝機が有ったはずだ。考え無しの条件反射で応じて勝てるとは思えない。

 

 「ここで引いたら男が廃るってやつさ」

 

 「格好付けても結局負けてるじゃない」

 

 寝っ転がったまま肩を竦めるが、清子の台詞にはグウの音ぐらいしか出ない。それでも、と正太は一応反論を試みる。

 

 「一応、一点差の惜敗くらいにはもっていけたんだがね」

 

 「あら、頑張ったじゃないの」

 

 話しぶりからしてボロ負けかと思っていたが、思いの外いい勝負をしていたようだ。しかし正太の顔に浮かんでいるのは、鎬削るいい勝負を終えたというにはほど遠い表情。

 

 「それにしちゃ浮かない顔だけど」

 

 「そりゃ勝てると思ったところで負けたからな」

 

 惜しくも負けるから惜敗だ。惜しくも悔しくもなんともないならそんな呼び方はしない。

 

 「ま、次は勝てるようにしなさいな」

 

 「蓮乃にも言われたよ。言われた以上、次は負けんさ。必ず勝つ」

 

 曇った顔の一枚裏には、ぎらつく熱が滾っていた。前の虐め以来、久しく見なかった気合いの入った兄の表情に清子は表情を緩めた。

 

 「蓮乃ちゃんに格好いいとこ見せてあげなよ」

 

 「おう、今度は……」

 

 

 

 

 

 

 同時刻。宇城兄弟話題の人物であるピーノは、布団にくるまりじっと天井を見上げていた。厚徳園の夜は早い。柳を筆頭とした職員たちがTVも照明も一つ残らず消灯してしまう。

 とは言え、遊びたい盛りの子供たちはそう簡単におねむとは行かず、隣近所の布団の合間でしばらくお喋りは絶えないのだが。

 しかし今日のピーノは酷く静かだった。

 

 「どうしたんだろう?」「なんかあったのかな?」

 

 同じ部屋の子供たちが訝しむ程には異様だ。普段ならば就寝時間後も子供らと一緒に騒いでは職員から叱り飛ばされるのが常だが、本日は就寝時間を過ぎたらさっさと寝に入ってしまったのだ。

 不思議がる弟達の声をBGMにまんじりともせずにピーノは天井を見つめる。その目が映しているのは積層合板の天井板ではなく、辛くも勝利を得た本日の試合であった。

 いや、ピーノの内面においてあれは勝利ではない。引き分けか負けかは判らないが、反則を犯していたのは自分だった。

 

 ピーノはセンスと才能の塊ではあるが負けたことは相応にある。バスケにしても努力と才能を併せ持つ本気のプレーヤーには早々勝てない。

 しかし彼らのように敗北に悔し涙をこぼすようなことはなかった。それは本気にならない遊びだったからか、或いは直感が先んじて敗北を告げていたからか。

 

 それが今、涙こそ無いが胸の内で屈辱の苦い氷が冷たく堅く凝っている。直感の導きに従えば軽く潰せる相手だった。センスの物差しで測れば「論外」の二文字で終わる相手だった。

 それなのに存分に食らいつかれ全く引き離せず、終いには自覚無しの反則行為で負けと何一つ変わらない勝ちを拾う始末。

 

 あんなものが勝ちである筈がない。生まれて初めて得たどうしようもない悔しさ。これを晴らす方法はただ一つ、勝利を於いてほかにない。

 ピーノの口から言葉が決意が滑り出る。それは奇しくも正太と同じタイミングで、正太と同じ台詞だった。

 

 「次は……」

 

 

 

 

 

 

「「言い訳の仕様もないくらい徹底的に負かしてやる」」

 

 

 

 

 

 

 「これでいいの」

 

 抱えた膝の合間に自分にすら聞こえない呟きをこぼす。聞こえてはいけない。すぐ近くで『あいつ』が、舞が眠っているのだから。

 初夏の夜は十二分に暖かい。だから布団の中は暑いぐらいなのに、友香はさらにきつく体を丸める。寒さを堪えるように、或いは痛みに耐えるように。

 

 「全部巧く行ってる」

 

 蓮乃と舞の顔合わせは狙い通りにいった。舞の地雷である『親友』に触れるトラブルはあったが、そこは正太が上手く取りなしてくれた。

 このまま厚徳園に二人を繰り返し呼び寄せて、蓮乃と舞とどんどん仲良くさせる。そうすれば自分はお役御免で解放されるのだ。

 

 「大丈夫」

 

 釘を刺していた筈の利辺が動いたのは想定外だったが、そのお陰でピーノと正太の関係性は改善された。好意の反対は無関心。目も合わせない間柄からいがみ合いう相手となったのなら、それは進歩と言えるだろう。

 少なくとも正太が嫌がって蓮乃も厚徳園に来なくなる最悪のシナリオは避けられた。

 

 「問題なんかない」

 

 舞の求める『親友』に、自分より遙かに蓮乃は理想的だ。子供っぽく明るく素直で、色も姿も舞と綺麗な対照形。蓮乃が舞の『親友』になれば全ての問題は解決する。

 それまでの辛抱だ。そうなればもう舞になにもされなくて済む。でも、『親友』になった蓮乃は?

 

 「これでいいの」

 

 もう一度繰り返して友香は目を閉じた。蓮乃は舞の描く『親友』そのもの。自分のような『調整』なしに舞は満足するはずだ。

 自分はあんな目に遭わされてるのに蓮乃ちゃんは何にもされない。罪悪感と逆恨みと。矛盾する感情が胸中でグルグル回る。

 

 まんじりともできないのに夜はまだ長かった。

 

 

 

 

 

 

 夜更かし大好きな世の子供達とは違い、蓮乃の夜は基本的に短い。早寝早起きな向井家の一人娘は20時過ぎには布団の中で夢の中だ。布団を被って目を閉じれば、次の瞬間にはもう太陽が昇っている。

 毎晩快眠、毎朝爽快。健康優良児童の夜に悩みはない。悩み多い母が時折暗い目をして見つめるほどに。

 

 「にー……なー……」

 

 いつも正太にそうするように掴んだ布団を揉んでこねて抱きしめる。

 

 「にへへへ……」

 

 餅肌の頬を枕にすり付けながら煮餅のようにとろけた笑みを浮かべて寝言を漏らした。正太と一緒にぼた餅を頬張る夢でも見ているのだろうか。美麗衆目に整った顔立ちが台無しな方向に愛くるしい。

 

 蓮乃の幸せな夜はいつも通りに今日も短い。

 

 

 

 

 

 

 家族と再戦の決意を誓う正太。

 

 一人報復の意志を固めるピーノ。

 

 矛盾を抱えて眠れぬ夜を過ごす友香。

 

 暖かな夢に抱かれて幸福に眠る蓮乃。

 

 

 四者四様の夜が、更けてゆく。


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