One more sweet sweets   作:Kohya S.

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1. 再会

 雑居ビルの二階から見える近くの公園。桜の(つぼみ)がなんとなく色づき始めているようだった。そろそろ開花が近いのかもしれない。

 

 ガチャリと音がして扉が開き、中年の男性が入ってきた。あなたの上司だ。立ち上がって挨拶するほどかしこまった社風ではない。あなたは座ったままぺこりと頭を下げた。

 数人が入るのがやっとの狭い会議室。オフィスに会議室はこのひとつだけだが、小さな会社には十分だった。

 

 あなたの向かいに上司が腰を下ろした。あなたはさすがに居住まいを正す。

 

「ああ、そんなに気にしなくていいから。いつも通りで」

 

 あなたはうなずいた。三月、入社三年目の最後、あなたは今後のキャリアプランを相談するための面談に(のぞ)んでいた。会社の規模が規模だけに、キャリアプランといっても形だけのものに近いが――。

 

 上司はぱらぱらとあなたが提出した書類に目を通していった。

 

「基本的に総合職志望、それは去年と同じなんだね。……ん、海外勤務も積極的に考えたい、か。去年は違ったよね」

 

 あなたは肯定(こうてい)する。会社にはごく小さいもののロンドンとニューヨークにそれぞれ支店があった。

 

「あれかい、やっぱりあのお客さんの件かい?」

 

 あなたは昨年、ある顧客とのプロジェクトを初めて主担当(マネージャー)として進めた。最初のうちプロジェクトは順調で、あなたも――のんびりとした社風からはすこし浮くほどに――精力的に動いたのだが、先方の事情で突然プロジェクトはキャンセルされてしまった。

 赤字になったわけではなく社内からもねぎらいの言葉はあったとはいえ、気が抜けたことは(いな)めなかった。

 

 とはいえ、それが理由ではなかった。あなたはあいまいに否定する。

 

「ふーん、またどうして」

 

 家庭の事情が変わったからとあなたは話し、詳しいことは言葉を(にご)した。

 

 しかし、あなたのなかでは理由は明確だった。南ことりの存在だった。

 

        ・

 

 あなたと彼女が知りあったのは去年の初夏。会社帰りにふと立ち寄ったメイド喫茶で彼女が働いていたのだった。

 

 あとから聞いた話ではそれが彼女の初めてのアルバイトで、初めて接客した客があなただったらしい。

 古風なメイド服に身を包んだことりの、すこし緊張した、それでも優しそうな笑顔にあなたは心()かれた。

 

 あなたはときどきその店を訪れるようになった。

 大学時代から付きあっていた恋人とちょうど別れた直後で、人寂しかったということも、もしかしたら影響していたのかもしれない。

 

 ことりとは不思議と話が弾み、何度目かの訪問のときには連絡先を交換し、さらに店の外でも会うようになった。

 しかし、ある事情から――思い出すといまでも胸が締め付けられる――彼女とはもう会わないことにしようと決めたのだった。

 

 数か月後。思いがけなく彼女からメールが届いた。母の知人から、海外に留学して服飾を本格的に勉強しないか、と誘われたのだそうだ。あなたは以前、留学経験があると彼女に話したことがあったので、そのせいだろう。

 

 曲がりなりにも切りがついたのにふたたび連絡してくるところを見ると、よほど悩んでいるのだろうとあなたは思った。

 

 しかしあなたが話したそれは本当に短期の語学留学で――あまり参考にならないだろうと思いながらも、あなたは自分の経験を語ったり留学制度について調査したりと、彼女の相談に親身になったのだった。

 彼女のメールからは直接会いたいという気配が感じられたが、あなたは以前の決断をそのままに彼女とは会わなかった。

 

 その後、彼女はいったんは留学を決めたものの、友人の引き止めもあって結局は留学を取りやめた。最後に届いた丁寧なメールに、彼女はお礼と謝罪の言葉とともにそう書いていた。

 

 それ以来、彼女とのやり取りはなかった。

 

 ただ、あなたはそれからも、ときどきネットなどでことりのことを確認していた。彼女は友人たちと活動を継続し、最終的に彼女の属するアイドルグループ・μ's(ミューズ)は――μ'sの衣装はずっとことりが制作していたらしい――先月の大会で優勝をなしとげた。

 

 そしてなにより、彼女の前向きな姿勢、輝くような笑顔は、ディスプレイ越しでもあなたに強い印象を与え続けていた。

 

 恋人がいるわけでもないし、勉強にもなるだろう。もし機会があるのなら海外に行くのも悪くない。そう考え始めていたのだった。

 

        ・

 

「なるほどね。ただなあ、一応、全員に志望は聞いてるけどね……」

 

 上司は難しそうな顔をした。

 

「うちの海外支店、人数がすくないから、実際に行くのはなかなか厳しいかもね。まあ、短期ならあるかもしれないけど」

 

 あなたはそれを聞いてすこし落胆した。ただそんなことだろうとうすうす思ってはいたので、そう正直に話す。

 

「うん、一応、考慮はしておくから」

 

 上司はうなずいた。それから話は資格取得や職場の人間関係などへと移っていった。

 

        ・

 

 次の週末。都内はすでに桜の開花宣言も発表され、暖かい一日になっていた。

 あなたは神保町の大型書店に来ていた。秋葉原で趣味の店を見て回った帰りだった。

 

 エスカレーターで上がっていく途中、あなたはフロアの客のなかに見覚えのある姿を見つける。あなたはあわてて次のフロアから階段で下に降りた。

 

 彼女は背の高い棚のあいだの通路で、すこし前かがみになって熱心に背表紙を眺めていた。南ことりだった。その姿は忘れようにも忘れられなかった。

 

 彼女はすみれ色のジャケットに、淡いピンク系、細かい花柄のロングスカートという姿だった。髪にはピンク色のリボンをあわせている。

 

 あなたは話しかけるべきかどうか悩んだ。メールでやり取りしたのさえ半年前、直接、話したのはもう一年近く前だ。

 

 しかしその悩みにはすぐに結論が出た。気配を感じたのか彼女は体を起こして向き直る。その瞳が驚きに見開かれた。

 彼女は背筋を伸ばし、あなたをまっすぐに見つめて微笑んだ。

 

「――さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」

 

 その笑顔にあなたは去年のことを思い出し、どきりとする。内心の動揺を隠しながら挨拶を返し、元気かどうかたずねた。

 

「はい、おかげさまで」

 そういって彼女はふたたび笑った。そのまま続ける。

「留学については、ありがとうございました。相談に乗っていただいて……」

 

 あなたはたいしたことではないと首をふった。

 

「あの、よかったらすこしお話、できませんか?」

 

 もう会わないと決めたものの、時間が経過したいまなら彼女と自然に話せる気がした。それに彼女の姿を見かけて思わず追いかけてしまったこと、それがあなたの本心をあらわしていた。

 ただ彼女のほうがどう思っているのか、それだけは気になったが――。

 

 あなたが躊躇(ちゅうちょ)していると、ことりが続ける。

 

「せっかく相談に乗っていただいたのに、結局、取りやめてしまって……。一度、しっかりお話ししたいと、思っていたんです」

 

 彼女がそういうならとあなたは承諾した。

 

        ・

 

 ことりの提案で書店に併設されているカフェに行くことにした。ふたりでエスカレーターで二階に下りると、フロアの一角がカフェになっていた。

 

 入口の手前、右側にはガラスケースのなかにメニューのサンプルが並んでいた。コーヒーや紅茶に加えてデザートも充実している。パフェやシフォンケーキ、数種類のワッフルがあった。

 あなたはこの書店は何度も訪れていたが、カフェに来たのは初めてだった。店内にあるにしては席数も多くメニューも本格的で意外に思う。

 

 ことりに出会い彼女がスイーツ好きであることを知ってから、あなたもその魅力に目覚めていた。何軒か贔屓(ひいき)の店もできた。このカフェも悪くなさそうだ、と思う。

 

 あなたのとなりで、ことりは熱心にサンプルをのぞき込んでいた。

 

「どれもおいしそうです……」

 

 そうつぶやいているのが聞こえてきた。いつの間にかただよっていたコーヒーの香りに彼女からのかすかなフローラル系の香りが交ざり、鼻腔をくすぐった。

 

 しばらく悩んでいた彼女は決断をくだしたのか顔を上げた。目があったあなたに、はにかむように微笑んだ。

 

 あなたたちは席についた。店内は白が基調で清潔感のある内装だった。窓からは書店の前の交差点のようすが見えた。

 お(ひや)を持ってきた店員に注文を頼む。あなたはブレンドコーヒーとシフォンケーキ、ことりは紅茶に、ワッフルの生クリーム&ベリー添えだ。

 

 店員が去ったあと、あなたはメニューについて思ったことを話した。

 

「そうなんです」ことりの目が輝く。「このお店、意外な穴場なんですよ」

 

 ことりのおすすめなら間違いないだろう。この本屋に来たら立ち寄ること。あなたは頭のなかにメモした。

 

 注文が来るまでのあいだにあなたは彼女に近況をたずねた。つい先日のラストライブは、あなたもネット配信で視聴して大いに感銘を受けていた。

 

「ありがとうございます。ようやく落ち着きました」

 

 来年もスクールアイドルを続けるのか、あなたは聞く。

 

「そうですね、まだ決めてはいないんですけど……。そのつもりです」

 

 そう話すことりからは自信が感じられた。スクールアイドルとしていわば頂点に立ったことの(あかし)だろう。あなたは彼女がまぶしく見えた。

 

「でも、すこし活動は、控えめにしようと思ってるんです。もう、三年生ですから」

 

 進学や受験について考えればその通りだろうと思う。

 進級の話が出て思い出したのか、ことりはあらたまったようすで話す。

 

「あの、去年はありがとうございました」

 

 丁寧に頭を下げる彼女。あなたは首をふって受け流す。

 

「でも、本当に助かりました。……結局、残ることに、しちゃったんですけど」

 

 メールで概要は聞いていたものの、詳しい話に興味があったのは否めない。黙って続きを聞く。

 

穂乃果(ほのか)ちゃんが……」高坂(こうさか)穂乃果のことはことりから聞いて、またライブの配信などで知っている。「引きとめてくれたんです。嬉しかったな……」

 

 彼女の話では本当にぎりぎりのところだったのだそうだ。あなたもそれを聞いて、その後の彼女たちの活躍を思い、いまさらながら心のなかで安堵した。

 

「せっかく相談に乗ってもらったのに、すみませんでした」

 

 あなたはまったく気にしていないと話し、すまなそうにすることりに、君が残ってくれて自分も嬉しい、とつい本音をもらす。

 

「えっ……」

 彼女の頬がほのかに赤く染まった。

「あの、ありがとう、ございます」

 

 それを見てあなたは後悔する。活躍を見られてよかったというだけで他意はなかったが、去年のことを考えるといいすぎてしまったかもしれない。

 

 目を落とすことり。沈黙が流れた。

 ちょうどそこに店員がスイーツとドリンク、カトラリーを持ってきた。彼女は顔を上げた。

 

「わっ、素敵です♪」

 

 嬉しそうな笑顔。あなたは気まずい雰囲気が解消してほっとする。

 

 ワッフルは格子状に凹凸のある、いわゆるベルギーワッフルで、そのわきにはホイップクリームとベリー類――ラズベリーとブルーベリー、黒スグリ(ブラックカラント)――が添えられ、同じくベリーのソースがかかっていた。ミントの葉の緑がワンポイントになっている。

 

 あなたの前に置かれたシフォンケーキはシンプルだったが、生地はきめが細かく、ホイップクリームが厚く塗られていた。

 

「いただきます」

 

 ことりは軽く手をあわせて微笑みながらそういった。フォークを手にしてまずはワッフルを崩しにかかる。さくっという音が聞こえそうな気がした。

 あなたはコーヒーを一口、含みながらそのようすを見守った。

 

 ことりはひとかけら切り取って口に運んだ。

 

「ん、さくさくです」

 

 ことりは目を細める。いつの間にかあなたは彼女に見とれていた。

 

「……なんですか?」

 

 それに気づいたのかことりはすこし恥ずかしそうに、上目遣いであなたにたずねた。あなたは、すごくおいしそうに食べている、と感想を話す。――以前と同じように。

 

「だって、おいしいんですから、仕方ないです」

 

 彼女はぷくっと頬をふくらませて紅茶を飲んだ。

 

 あなたは自分も甘いものを食べるようになったと話した。

 

「そうなんですね。ちょっと、嬉しいです」

 

 あなたは自分のシフォンケーキに取りかかった。弾力があるスポンジはフォークを跳ね返すほどで、基本に忠実に作ってあることがわかる。

 一口ぶん切り取って食べると、控え目な甘さの生地にしっかりと主張するクリームがよくあっていた。クリームからはほのかに洋酒の香りがした。

 あなたは思わず頬をゆるめた。

 

 堪能してからコーヒーを飲む。コーヒーの苦みが口のなかをリセットしてくれる気がした。

 

 いつの間にかあなたは目を閉じていたらしい。目を開けるとことりがあなたを見つめていた。

 

「あなたも、すごくおいしそうに食べるんですね」

 

 一本取られた気がしてあなたは苦笑した。

 

 しばらくはふたりとも無言で甘味を味わった。

 

 半分くらい食べたところであなたは彼女の視線に気づく。どこかうらやましそうな表情。

 一切れフォークで差し出したら、彼女はどんな顔をするかな。そう思ったものの自重してケーキの皿を彼女のほうにすこし押しやる。

 

「あ、あの……」

 

 どうぞ、というあなたの提案にことりはあきらかに動揺した。内心の葛藤が目に見えるようだった。しかし最後にはケーキの誘惑に勝てなかったらしい。

 

「一口、いただきます」

 

 ことりは顔を赤らめながら、あなたが食べているのと反対側にフォークを入れた。あまりにも小さく取ろうとしているので、あなたはもっと大きくとうながす。

 

「す、すみません」

 

 彼女はあらためてケーキを切り取った。それでもあなたの一口の半分くらいだったが――。

 口元を手で隠しながら目を閉じてゆっくりと味わうことり。飲み込むと彼女の喉がかすかに動く。

 

「ふわふわで、へんな(くせ)もなくて、食べやすいですね。それに、これは……」

 

 キルシュかな、とあなたは話す。

 

「はい、そうですね。上品な香りですね」

 

 ことりは同好の士を見つけた、というように微笑んだ。

 あなたは照れくさくなり、顔を隠すようにしてコーヒーを飲んだ。

 

「はい、どうぞ」

 

 カップをソーサーに戻すと、ことりがワッフルの皿をあなたの前に動かした。あなたは断る。

 

「私だけいただくわけには、いきません」

 

 口調はおだやかだが有無をいわせぬ気配があった。あなたは礼をいってからワッフルを――なるべく小さめに――もらった。

 

 シフォンケーキとは異なりホイップクリームの甘さは控えめで、ベリーの酸味、ワッフルの甘味と絶妙なバランスだった。

 

 こちらもおいしい、というとことりは大きくうなずいた。

 

        ・

 

 至福の時間はあっという間にすぎて、ふたりの前の皿はどちらも空っぽになった。

 

「ごちそうさまでした」

 

 手をあわせることり。あなたもそれにならった。

 

 あなたはケーキが来るまえの話を思い出す。ことりもそうだったのだろう。ふたたび気まずい沈黙が流れた。

 

「あの、私、あのときは、すみませんでした」

 ことりはぺこりと頭を下げた。

「私、あなたのことも考えずに、その……あんなことを、いってしまって……」

 

 あなたは去年、彼女との最後のデートの帰り道、彼女から告白されたのだった。街路灯に照らされた小さな公園を思い出す。

 ことりが微塵(みじん)も自分の気持ちを疑っていないということは、彼女の態度、言葉の端々(はしばし)から信じられた。あなたも彼女には強く惹かれていた。

 

 しかし、あなたは断った。年齢の差はともかく、ちょうど仕事が忙しい時期で、仕事と彼女とを天秤(てんびん)にかけるようなことはしたくなかった。

 それにことりがどこまで本気なのか――本気なのは間違いないだろうが、彼女が舞い上がっていないか、恋に恋していないか、それが気になったのだった。

 

 その後の彼女の活躍を考えるとやはり正しい決断だったという確信が、あなたの心にあった。わずかな後悔とともに。

 

 あなたは肩をすくめて首をふった。ことりはすこしほっとしたようだ。

 

 そろそろ出ようかとあなたがいうと、ことりもうなずいた。

 伝票に伸ばしたあなたの手がことりのそれとぶつかる。あなたがあわてて手を引っ込めると、その(すき)に彼女が伝票を持って行った。

 

「ここは、私が」

 

 にこりと笑う。あなたは彼女に任せることにする。

 

 カフェを出て、これからの活躍を祈っているというと彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 

「これからも、連絡してもいいですか」

 

 あなたは予想外の言葉にうろたえる。

 

「おいしいスイーツのお店とか、紹介させてください」

 

 そういわれると断る理由が見つからなかった。あなたはあきらめて、よろしくと答える。

 

「はい♪」

 

 ことりはその日一番の笑顔を見せた。

 

        ・

 

 書店を出たところでことりと別れた。駅までの道をひとり歩いていく。

 ことりはかわった、とあなたは思う。そしてすぐに、いや、かわっていないのかもと思い直す。

 去年のどこか自信なさそうなようすは、すっかりなくなっていた。いまの彼女は自分のことをしっかりと理解しているように見える。

 しかし、純粋に、まっすぐに進んでいく姿――あなたが惹かれた――は、かわっていなかった。

 

 それにくらべて自分はどうだろうか。自問せずにはいられなかった。

 

 そういえば黄色いスマートフォンはいまも使ってくれているのだろうか。そんな思いがあなたの胸をよぎった。

 

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