One more sweet sweets 作:Kohya S.
それからというもの、ことりからはときどきメールが届くようになった。内容は新しいスイーツのことや学校のことなど――軽い話題なのは幸いというべきだろうか――日常的なことばかりだったが、いつの間にかあなたはそれを楽しみにしていた。
あなたからも機会があればメールを送った。
仕事と趣味の話くらいしかできないが、それもことりには新鮮だったらしい。彼女の反応は微笑ましかったり、また異なる視点からの鋭い考察があったりと、あなたを飽きさせなかった。
・
ある日の夜。仕事を終えた帰り、あなたがワンルームマンションの扉を開けたとき、ポケットのスマートフォンからメール着信音が響いた。
扉に鍵をかけ、居間に鞄をおろしてスーツの上着を脱ぐ。会社からのメールだと面倒だなと思いながら開くと、ことりからだった。あなたはほっとする。
『スイーツのお店』と題されたメールには、ある有名店が期間限定で東京に出店すること、よかったらこれから電話したいことが書かれていた。
あなたはわざわざ電話する理由をいぶかしく思ったものの、かまわないと返信した。
メールを送るとすぐにスマートフォンが鳴り出した。あなたは受話ボタンをタップする。
『
あなたは問題ないと話し、彼女と簡単に近況を交換する。彼女の声がどこか弾んでいるのは気のせいだろうか。
『あの、メールにも書いたんですけど、期間限定でスイーツのお店が、東京に来るんです』
あなたは
『京都の有名なケーキのお店です。こんな機会でもないと、なかなか食べられないので、すごく楽しみなんです』
興味を持ったあなたに彼女は続けた。
『でも、出店期間がすごく短くて、一週間だけで……』彼女はわずかに言葉を切る。息を吸い込んだようだ。『よかったら、一緒に行きませんか?』
あなたはためらった。
有名店のケーキは魅力だし、ことりに会えれば嬉しいことは否めない。しかしそれはまるでデートのようで――自分にそんな資格があるのだろうかと思う。
『……お忙しい、ですか?』
すこし不安そうな声。あなたはすぐに、そんなことはないと否定する。
『それじゃあ……』
ここで断れば彼女を悲しませてしまうかもしれない。あなたは自分にそういい聞かせる。心のどこかで、言い訳だとわかっていたが――。
『ありがとうございます♪』
あなたの承諾の返事に彼女は嬉しそうに答えた。
それから予定を調整し、次の週末、土曜日に駅で待ち合わせることになった。
『よろしくお願いします。楽しみにしてますね』
彼女はそういって電話を切った。
暗転したスマートフォンの画面を見ながら、あなたはひとつ、ため息をついた。
・
週末はすぐにやってきた。よく晴れて初夏の日差しは暑いくらいだった。
ことりに会うのが彼女にとって、自分にとってよいことなのかどうか、あなたはまだわからなかった。とりあえずたまたま一緒に出かけるだけ、と思おうとする。
待ち合わせはとある駅前だった。土曜日の昼過ぎということもあり周囲はかなりの混雑だ。
ことりがそのあたりの地理にはあまり明るくない、というのでわかりやすい場所にしたのだが、あなたは後悔していた。
わかりやすい場所ということはつまり、誰にとっても絶好の待ち合わせスポットだった。
時間まであと十分ほどあるが、ことりにうまく会えるかどうか不安になる。
それに、と思う。ラブライブ!で優勝した彼女はかなりの有名人だ。もし気づかれたなら面倒なことになるかもしれない。
あなたはJRの出口をほうを気にしながら待った。
幸いあなたの心配は
ゆっくりと歩いてくることりの姿は見間違えようもなかった。あなたには彼女の存在がひときわ輝いて見えた。ただ彼女はつばの広い帽子をかぶっていて、それがチャームポイントの髪をうまく隠していた。
あなたに気づいたのか彼女は足を速める。
「こんにちは。待たせちゃいましたか?」
ことりは小首をかしげた。あなたはいま来たばかりだと答える。彼女はデニムのショートタイプのサロペットスカートに白いブラウスをあわせていた。
「それならよかったです」にこりと微笑む。「早速、行きましょうか?」
あなたはうなずいて歩き出した。
例の店が出店しているデパートはここからすぐで、駅ビルからも連絡通路が延びていた。
あなたは駅から直接行くこともできるが、わかりやすいようにここを待ち合わせ場所にした、と話す。また、歩かせてしまって申し訳ない、とも。
「いいえ、とんでもないです。ありがとうございます」
最上階の催事場で物産展が開催されていた。あなたたちは混雑したエレベーターではなくエスカレーターを選ぶ。
ことりは帽子を取り、たたんで鞄へとおさめた。有名になって苦労も多いのではないかというあなたの問いに、ことりはいう。
「いいえ、そうでもないですよ。意外に気づかれないみたいで……。ステージ衣装のイメージが、強いのかもしれません」
そんなものだろうか、とあなたは思った。
「それで、今日のお店なんですけど……」
ゆっくりと進むエスカレーターであなたの前の段に立ったことりは、体をすこしひねってあなたのほうを向きながら話した。
「パティシエのかたはフランスで修業したんだそうです」
次のエスカレーターに乗り換える。
「味のほうは当然として、外見もかわいいって評判で……。私も、実際に見るのは初めてなんです」
また次のエスカレーターに。スイーツのことを話すことりは本当に楽しそうだ。きっと服飾の次くらいに、こだわりがあるのだろう。
「あなたも、気に入ってくれるといいんですけど……。きゃっ!」
話に熱中したのかエスカレーターの終わりに気づくのがすこし遅れたようだ。ことりはランディングプレートにつまづいて、たたらを踏む。
あなたはあわてて腕を伸ばし、彼女の腰をなかば抱くようにして支えた。そのままエスカレーターに押し出されるように彼女のわきに
「す、すみません」
エスカレーターからすこし離れ、ことりは両手を体の前であわせて頭を下げた。あなたは怪我がなくてよかった、という。
「気を付けます」
起こした顔はすこし朱をおびていた。彼女は次のエスカレーターへ向かう。
「また、助けられちゃいましたね……」
小さくそうつぶやくのがあなたに聞こえた。
・
「わーっ!」
最後のエスカレーターを降りたことりの目が輝いた。
広いフロアにはいくつものブースが並んでいた。食品に工芸品、服飾など種類はさまざまだ。通路には大勢の人があふれ、呼び込みの声が響いている。
「あの……ちょっとほかの店をのぞいていっても、いいですか?」
あなたがもちろん、というとことりは嬉しそうに微笑んだ。
跳ねるように歩くことりのあとをあなたはついていく。彼女はときどき足を止め、並んでいる品物を眺めていた。京都の物産展ということで和風の雑貨や和装小物の店も多い。ことりがもっとも興味をひかれているのもそういった店のようだった。
「これ、かわいいですよね。ひとつ買っていこうかな……」
「どっちがいいと思います?」
突然、話をふられてあなたは一瞬うろたえた。そんなあなたを見て、ことりはくすりと笑った。
あなたは気を取り直し直感で――ふたつの手ぬぐい生地のブックカバーから――片方を選んだ。
「そうですよね。私もどちらかというとそっちかな、って思ってました」
彼女はそれを買い求めた。
「すみません、私ばっかり」
品物を鞄に入れてことりはそういった。あなたは首をふり、せっかくだからゆっくり見ていくといいと話す。
「……それじゃ、お言葉に甘えて」
ことりはぺこりと頭を下げた。やはりデートのようだ、とあなたは思った。
・
さらにいくつかの店を回ってから、あなたたちは壁際にある目当てのブースのところまでやってきた。
「あ、ここです」
ことりが天井から下げられた店名を見てうなずいた。ショーケースには色とりどりのケーキが並んでいる。またブースにはイートインスペースが用意されているようだった。
あなたは彼女に、ここでも食べられるようだがどうするかたずねる。
「あ、そうなんですね」
ことりはスペースのほうを見やる。席はうまっていて並ぶことになりそうだが、そのあいだにケーキを選ぶことができるだろう。
「ここで食べていきましょう」
あなたはうなずいた。
列に並びながらケースを眺める。
「うーん、さすがですね。どれも本当に素敵です」
ことりが話したように、それらは細部にまでこだわっているようだった。あなたはそれほど多くの店を知っているわけではないが、東京のいわゆる名店に勝るとも劣らないと感じた。
しばらく悩んでから候補をふたつ選んだ。
ゆっくりと列の先頭が近づく。
「よし、決めました」
次に順番が来るというところで彼女がいった。ぎゅっと右手を握りしめている。あなたはどれにするか聞いた。
「はい、バナナのパイと、チョコムースで」
店員にケーキを計四個、注文する。ドリンクについて聞かれたので、ことりに確認してコーヒーをふたりぶん頼んだ。
「あ、お金、払いますね」
鞄から財布を出そうとすることり。前回、払ってもらったので今回はおごるつもりだった。
「え、でも、私からお誘いしたのに……」
気にしないでほしいとあなたはいう。またイベントを紹介してくれたお礼だと加えると、彼女も納得したようだった。
「ありがとうございます。ごちそうになります」
頭を下げることり。リボンが揺れた。
イートインスペースの席で待つように店員にいわれたあなたたちはそちらに座った。
「自分の部屋でゆっくり食べるのも落ち着きますけど……だれかと一緒に食べるほうが、おいしいですよね」
ことりはあなたに白い歯を見せた。残念ながらあなたには最近、そんな機会はなかったものの、彼女と一緒なら楽しいのは間違いない。迷うことなく同意した。
・
やがて店員がトレーを持ってきた。ケーキが二個ずつのった皿とコーヒーを、あなたとことりの前に置く。
「きれい……」
ことりがうっとりとした口調で話した。
ことりの前にはクリームがたっぷりのったパイと低い円筒状のチョコケーキが並んでいた。あなたは同じく円筒形の赤いムース、それに四角いチーズケーキを選んでいた。
ことりのチョコケーキの表面は半分ほどがビロードのように
ときどき見かけるそのデコレーションについて、あなたはことりに聞いてみる。
「これですか? これは、ピストレがけですね」
聞きなれない言葉に
「こう、専用の機械で……スプレーガン、っていうんですけど、溶かしたチョコレートを吹き付けるんです。ぷしゅーって」
ことりは手でなにかを握るような仕草をした。
「実は、この前、その機械を思い切って買っちゃったんですけど、意外に難しいんですよね。まわりじゅうチョコレートが飛んじゃって……エプロンとかも」
あなたはチョコまみれになっていることりを想像して、笑いをかみ殺す。
「まだまだ修行中です。あとは……」
ことりはケーキのもう半分を指さす。そちら側は光沢ある滑らかなチョコレートでおおわれていた。
「こちらはグラサージュですね。溶かしたチョコでコーティングしてあります」
あなたはもう一度、うなずいた。
ことりのもうひとつのケーキは、パイの本体が見えなくなるくらいたっぷりとクリームが絞られていた。
「これは生クリームかな……。でも、なにか工夫がありそうです。食べるのが楽しみですね」
ことりはあなたの前のケーキに視線を移した。
ムースの表面は深紅でつややかに輝いていた。真ん中にちいさくナッツが乗っている。あなたがこれも、と聞くと彼女はうなずいた。
「はい、これもグラサージュですね。ムースの外側を固めてあります」
ことりはもう片方にも
「こちらはオーソドックスなレアチーズケーキに見えます。生クリームの上のナッツはピスタチオで……ラズベリーとあわせて、たぶんもう片方のケーキと
ムースの赤はラズベリーということか。あなたはことりの知識と観察力に舌を巻いた。素直にそういうとことりは恥ずかしそうに下を向いた。
「すみません、ちょっと話しすぎちゃいました」
あなたはとんでもないと話す。ことりはほっとしたように見えた。
「もちろん、おいしいのが一番ですけど……。デコレーションもやっぱり、大事ですよね」
あなたは首を縦にふった。
「コーヒーがさめる前に、いただきましょうか」
・
あなたはまずムースにフォークを入れた。外側のあざやかなコーティングの下は緑色であなたは驚く。口にするとことりのいう通りピスタチオのムースで、外側のラズベリーとあいまって複雑なハーモニーを
ことりはまずパイの上のクリームを味わっていた。
「うん、やっぱり……」そういって目を閉じる。「コンデンスミルクとあわせてありますね。優しい甘さです」
目を開けたことりはあなたの視線に気づいたようだった。あわててあなたは目をそらす。
「……食べますか?」
ことりはいたずらっぽい顔を見せた。あなたはどきりとするが平静をよそおってうなずいた。
「パイも一緒にどうぞ」
あなたはクリームとその下のパイを切り取った。くずれないように慎重に口に運ぶ。パイは層状ではないもののざくざくとした食感で、バナナの香りが甘いクリームとほどよく調和していた。
あなたがそういうと、ことりはあらためてパイとクリームを食べた。
「ん……」ゆっくりと味わう。「バナナがいい香り……。生地は……
ことりはあなたを見て続ける。
「練りパイは、バターを折り込むんじゃなくて、混ぜて作るんですよ」
ことりがコーヒーを飲んでひといきついたところで、あなたは自分のケーキをすすめる。
「すみません、では、遠慮なく……」
だいぶ慣れてきたようだ、とあなたは微笑ましくなった。
ことりはムースを眺める。
「あ、なかは緑に、それにピンクなんですね。意外な取りあわせですね。味のほうは……」
口にしたことりはあなたと同じく目を見開いた。
「チェリーですか。うーん、ピスタチオと甘み、酸味がよくあってます」
ことりにとっても意外性のある組み合わせだったらしい。
あなたは二個目に取りかかった。
そのレアチーズケーキは滑らかで、本体のほどよい酸味に、上に乗ったナッツの香ばしさが良いアクセントになっていた。土台も一風かわった味わいだ。
ことりもチョコケーキに手を付ける。
「ん、こっちもおいしいです」
ことりは至福の表情を浮かべた。本当においしそうに食べる、とあなたは思った。
ことりの言葉に甘えてあなたはチョコケーキをいただく。ピストレがけの内側はチョコムースで、その下側には不思議な食感のチョコレートの層があった。
「それはフィヤンティーヌとプラリネですね。さくさくですよね」
あなたが疑問を顔に出すと、ことりは嬉しそうにフィヤンティーヌについて解説した。なんでも薄く焼いたクレープのようなものを砕いて作るらしい。
あなたはお返しにチーズケーキをすすめた。
「実は、ケーキのなかでは、チーズケーキが一番、好きなんです」とことり。
どうして頼まなかったのか、と聞く。
「あの、かわいいケーキがいっぱいあって……」
それならいくらでもどうぞとあなたがいうと、ことりは小声で「すみません」とつぶやいた。生クリームと生地をまず一口、続いて生地とビスキュイを味わう。
ことりは食べ終えると、ふうっと吐息を漏らした。
「シンプルですけど、それだけによくできてますね。ビスキュイはシロップが打ってあって、やさしい感じです」
それが変化になっていたのかとあなたは納得した。
ふたりはしばらく無言でスイーツを堪能した。
・
あなたはコーヒーを飲んだ。苦みが
「おいしかったですね」
彼女の共犯者めいた微笑みにあなたも笑みを返した。
「それに、デコレーションも、素材の組み合わせも参考になったし……。大収穫でした」
ことりは嬉しそうにうなずいた。
ふと我に返ったかのように姿勢を正す。
「す、すみません。私ったら、へんなうんちくばっかり……ご迷惑じゃ、なかったですか」
あなたはかぶりをふった。
「そうですか。なら、いいんですけど……」
いろいろ参考になったし、ひとりで食べるよりもずっとおいしかったとあなたは話す。
「えっ、あの、ありがとう、ございます」
ことりは下を向いた。そのまま小さな声で続ける。
「あの、また、ご一緒してくれますか」
あなたはどきりとする。彼女とのひとときは、とても楽しく、心安らぐものだったが――。
あなたが黙っているとことりは続けた。
「だめ、でしょうか」
ことりがあなたのことをどう思っているのか、それがわからないのが不安だった。たんなる友人としてならよいが、もし去年のようなことがあったら。
そして自分がことりのことを、友人として見ることができるのか。もしかしたら彼女のことをもう一度――。
上目遣いで見つめることりと目があった。
あなたは自分に素直になることに決めた。とりあえず友人としてなら、といい聞かせる。あなたは内心の懸念をふりはらい、にこりと笑った。
喜んで、というあなたの言葉に、ことりは輝くような笑顔を浮かべた。