One more sweet sweets 作:Kohya S.
あなたたちは催事場の外に出た。
ちらりとスマートフォンを確認すると時刻は午後の
「そうですね、せっかくですから……」
ことりはあなたも知っているファッションビルの名前をあげた。
「でも、いいんですか?」
あなたはもちろんと答える。もともと特に予定もなかった。
「ありがとうございます♪」
デパートから出るとことりはふたたび帽子をかぶった。ふたりで歩き出す。
駅前の交差点はかなりの混雑だった。あなたはことりの手を取りたくなるが、自重しておく。彼女も子供ではないから大丈夫だろう。
交差点を抜けてやはり人であふれる通りをすこし歩くと目的のビルだった。
「すごく混んでましたね」
ロビーの隅、ようやく人混みから離れてことりはほっとした顔をする。あなたも同感だった。
「どうしようかな……」
帽子をしまい、ことりはフロアの案内を見ながらつぶやいた。あなたが適当に見ていけばよい、自分はついていくというと、彼女はにこりと笑った。
ことりはアパレルショップを中心にゆっくりと見て歩いた。ときどきメモを取っているのが彼女らしかった。
「あの、たいくつじゃないですか?」
ただ、彼女はあなたのことをいつも気にしていた。そのたびにあなたは否定するが、彼女はことあるごとに繰り返した。
あまり気を遣わせても悪いだろう。あなたはことりに声をかけて、雑貨の店や携帯電話グッズの店に立ち寄るようにした。彼女は嬉しそうについてきた。
「ありがとうございました、付きあってもらって」
あなたはこちらこそ、と話した。
・
ロビーにはなぜか大勢の人が集まっていた。みな外を気にしているようだ。
あなたたちが見ると、どうやら夕立が来ているらしい。今朝の天気予報は晴れで、雷雨の恐れはあるといっていたものの降水確率は低かった。あなたは傘を持っておらず、ことりも同様だった。
「どうしよう……。駅まで走ったら濡れちゃうし、傘を買おうかなあ……」
思案顔のことり。
あなたはしばらく考えてタクシーをつかまえようと提案した。
「えっ、でも、お金がかかりませんか」
下手に傘を買ったり、濡れた体で混雑した電車に乗ったりすることを考えれば、タクシーも安いものだ。とくにふたりいるなら。もっともそう思えるようになったのは社会人になって余裕ができてからだが――。ことりが懸念するのも無理はない。
ことりの家はちょうど途中だし、一緒に乗ればそれほど高いわけではない、と話す。
「わかりました。すみません」
あなたはことりに軒下で待つように告げて道路を観察した。
雷雨のときにはタクシーがつかまらないものだが、ちょうど駅から来た客を降ろしたタクシーがあった。走り寄って運転手に行き先を伝える。乗せてくれるとのことなので、ことりを手招きした。
彼女は小走りで駆け寄ってきた。先に乗せて、あとからあなたも乗り込む。
あなたはとりあえず御茶ノ水へ回ってくれと運転手に頼んだ。
「ちょうど小降りになって、たすかりました」
ことりはハンカチを取り出してあなたに差し出す。
「どうぞ、使ってください」
ことりの髪や服にも水滴が光っているが――押し問答しても仕方ないだろう。あなたは礼をいって受け取り、急いで頭や肩をふいた。ことりへ返すと彼女はにこりと笑った。
・
あなたたちを乗せたタクシーは雨の東京を走っていく。ときおり
「あの、今日はありがとうございました」
どういたしまして、とあなたは答えた。ケーキはおいしかったし、彼女との買い物も楽しかった。
「そんな……。でも、私も、楽しかったです」
彼女はうつむいた。その横顔はほのかに上気しているように見えた。
彼女はそれきり黙り、あなたもなにもいわなかった。
しばらく屋根にあたる雨音だけが響いた。ビル街が途切れて車窓に緑地が広がる。
ぼうっとそれを眺めていたあなたは、ふとことりの視線を感じた。
「――さんって、すごく、大人なんですね」
タクシーをつかまえたから?、とあなたは聞く。
「いえ、それは……それもなんですけど、すごく落ち着いてるなって」
自分の内心をことりが知ったなら、決してそんなことはいわないだろう。
彼女は続けた。
「それに、いろいろよくご存じですし」
たんに自分のほうが年を取っているだけだ。あなたがそういうと、ことりはかぶりをふった。
「そんなことないです」
彼女は目をそらす。つぶやくように声を落とした。
「一緒にいて、すごく安心できて……」
あなたは気づかなかったふりをした。
ことりは顔を上げ、あなたに苦笑いして見せる。
「私なんかぜんぜん子供で、恥ずかしいです」
それは違う。いまでも立派な女性だと思うし、将来はきっと自分よりもずっと大人な素敵な女性になるだろう。
「そう、でしょうか」
どこか不安そうな顔。間違いない、とあなたは断言した。
「……ありがとうございます」
ことりはそういうと、急になにかに気づいたかのように窓の外を眺めた。
やがてタクシーは皇居を通り過ぎた。ことりの自宅まではもうすこしだろう。あなたは彼女に道案内を頼む。
「あ、
タクシーはあなたもよく来るあたりを走っていく。
「そこの白いビルで右折していただいて……」
住宅街のなか、あるマンションの前でタクシーは止まった。夕立は幸い小雨になっていた。半分払うということりをなだめるようにして、あなたはいったん路上に降りる。
「本当にありがとうございました」
タクシーから降り、ことりは両手を
「あの、またご連絡します」
あなたは彼女にうなずいて、タクシーにふたたび乗り込んだ。
走り出したタクシーからちらりと後ろをみると、ことりは軒下に立ち軽く手をふっていた。
運転手に目的地を確認されたので、間違いないと答える。ここからは数分だろう。
あなたは座席に深く座りなおした。
・
デパートの催事のあと、ことりはああいっていたものの、あれ以来、彼女とはメールのやり取りのみで直接は会えていなかった。
音ノ木坂学院は廃校こそ回避されたがオープンキャンパスには今年も力を入れていて、ことりは忙しいようだった。
あなたは残念に思うが、ネットで配信された彼女たちの――今年から六人で活動している――ライブを見るとその思いも
・
「わざわざすみませんでしたね」
オフィスの受付の前で初老のスーツ姿の男性が頭を下げた。あなたもお辞儀をする。
あなたは都内のある取引先へ打ち合わせに来ていた。要件が終わり帰るところだ。あなたの会社と同じく、ここも大企業というわけではないので、受付には社員の姿はない。事務の女性社員が受付を兼ねているのだろう。
ふとあなたの目がカウンターに置かれた書類立てに止まった。『ご自由にお持ちください』とある。立てられているのは細長い紙で、なにかのチケットのように見えた。
「ああ、これですか」男性があなたの視線に気づく。「関係会社からもらいましてね。博物館のチケットです」
博物館とはなんの関係もなさそうな会社にどうして、と疑問に思う。
「……よかったら、どうぞ」
男性はチケットを取りあなたに二枚、差し出した。あなたは断るタイミングを
「それでは、例の件、お願いしますね」
あなたはもう一度、礼をしてオフィスを出た。
ビルから外に出ると梅雨の晴れ間の青空が広がっていた。日差しは暑い。そろそろ梅雨明けも近いだろう。
あなたは最寄り駅まで歩く途中でチケットを確認した。開催される博物館には有名なメーカーの名が――さきほどの企業と関係が深い――冠されていて、あなたは納得する。都心にあり、あなたも博物館こそ行ったことはないが周辺はよく訪れていた。
その特別展はファッションとインテリアに関するもので、あなたは以前ことりと行った展示会を思い出した。あのときあなたは、帰り道にことりに告白されたのだった。
今回もきっと彼女は興味を示すだろう。
チケットは二枚。ことりに二枚とも渡してしまうか、それとも一緒に行くか。ほかのだれかと行くという選択肢は思いもつかなかった。
一瞬、捨ててしまおうかと考えて、思いなおす。
もしことりに二枚渡せば、一緒に行こうといわれる可能性は高そうだ。断わることはできそうにない。それならこちらから、たんなる友人の誘いとして持ちかけたほうがいいとあなたは思う。言い訳にすぎないとはわかっていたが――。
その結果がどうなるにせよ、今度こそ、ふたりの
・
その日の夜、あなたはことりに電話をかけた。
『こんばんは。お久しぶりです。この前は、ありがとうございました』
たしかに直接話すのは久しぶりで、あなたは意外なほどに心が躍るのを感じる。ことりの声も明るいような気がした。
あなたは気にしないでくれといい、いま時間があるかどうかたずねる。
『はい、大丈夫ですよ』
あなたがライブの動画について話すと、彼女は恥ずかしそうに礼をのべた。続けて特別展のチケットをもらったこと、一緒に行ってほしいことを伝える。
『はい、興味あります。でも、いいんですか?』
君以外の相手は思いつかないと正直にいう。
『えっ。あの、嬉しいです……』
ことりは小さな声で答えた。すこし踏み込みすぎたかもしれない。君が一番興味を示すと考えた、といえばまだよかったのだろう――。とりあえず訂正はしないでおく。
あなたは近くに行きつけの菓子店があった。あわせて紹介したいと話す。
『それは楽しみです♪』
ほがらかに笑い、ことりは続けた。
『実は私も、すこし相談したいことがあったんです。ちょうどいいですね』
進学のことだろうか。それとなく聞くが彼女は答えをはぐらかした。あなたは気になるものの、無理にいま聞くことはないだろうと思う。
あなたたちは予定を話しあった。音ノ木坂学院はそろそろ夏休みだそうだが、あなたはまだまだ先だ。結局、ことりが夏休みに入った直後の週末に行くことになった。
『それでは、よろしくお願いします』
ことりは丁寧にいい、あなたは電話を切った。
そのままスマートフォンに予定を入力する。週末に女性との予定を入力するのは前回、彼女と出かけたとき以来だ。
いつの間にかことりの存在が、ふたたびあなたのなかで大きくなっていた。あんなところで再会しなければよかった、と胸が痛む。
もし、ことりからもう一度、告白されたとしたらどうするべきだろうか。彼女のことを考えて断ることができるだろうか。
あなたは前回は仕事をひとつの理由に断ってしまった。そのことは間違っていなかった、といまでも思う。しかし、実は仕事が理由というのは
ことりがあのまま輝きを増していったとき、彼女に嫉妬してしまわないか、彼女を
いまはどうだろうか。彼女はあのときから大きく成長している。
彼女のことを考えてということが、いや、彼女から告白されるかもしれないと考えることが、すでにおこがましいのだろう。
自分が彼女をどう思っているのか、大きく羽ばたいていく彼女をささえることができるのか、そして彼女を幸せにできるのか――。
あなたにはわからなかった。しかし次に会うときまでに決めなくてはならないと思う。
予想しているように彼女からなにもなかったとき――自分から彼女に告白できるかどうかも含めて。