One more sweet sweets 作:Kohya S.
予定の日。あなたはいつもより早く、時計のアラームが鳴る前に目覚めた。カーテンの隙間から差し込む光がまぶしい。数日前に梅雨は
待ち合わせは午前中だった。あなたは
自宅を出てJRを乗りつぎ、時間のすこし前に最寄りの駅についた。
ことりはこのあたりには、やはり来たことがないらしい。どちらかというとビジネス街なので無理もないだろう。待ち合わせは前回と同じくなるべくわかりやすい、ただし人のすくなそうな場所にしておいた。
三つある出口、そのひとつを出ると正面にタクシー乗り場、右手に広場があった。休日ではあるが混雑はそれほどでもなくあなたは安心する。
広場の隅、オブジェの前のベンチに、ことりがちょこんと座っていた。
あなたが近づくと彼女は顔を上げた。
「あっ、おはようございます」
そういいながら立ち上がる。
彼女は淡いアクアブルーのバルーン袖のシャツ――夏らしく半袖だ――に白のミニスカートという組み合わせだった。リボンは白。同じく白の小ぶりのネクタイがかわいらしい。
あなたは迷わなかったかと聞く。前回の人混みにこりて繁華でない出口を指定したのだが――。
「はい、大丈夫でした。地図を見ながら来たので……」
ことりは手元の黄色いスマートフォンを示して微笑む。彼女が購入するときにあなたがアドバイスしたものだ。
「今日は、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げることりに、あなたはどうせもらい物だと話す。
「でも、さそっていただいて……」
去年のことを思い出したのだろうか、彼女はしばらく黙る。気を取り直したように続けた。
「さっそく、行きますか?」
ことりはスマートフォンを鞄にしまった。あなたはうなずいた。
地下道からも行けてそちらなら信号もなくいくぶん涼しいはずだが、せいぜい五分ほどなのであなたたちは地上を歩いていくことにする。
ことりは最近の学院のこと、アイドル活動のことなどを楽しそうに話した。
途中、石造りの洋館然とした建物の前を通る。
「素敵な建物ですね」
ことりは建物を見上げて目を細めた。あなたは事前に周辺の地図を確認してあった。ここは由緒ある建物でいまは小さな博物館――今日の目的地とは別の――になっているらしい。
「へーっ、帰りに寄れるかなあ」
あなたはもし時間があればと話す。
「そうですね。またあとで、来てもいいですし」
ことりはうんうんというようにうなずいた。次の機会があるだろうか――。あなたは言葉を
・
あなたたちは途中の看板の指示にしたがって高層のオフィスビルへと入った。ある企業のビルで四階が博物館になっていた。
ロビーからエスカレーターで上がっていく。
目的のフロアには開放的な空間が広がっていた。
一方は全面がガラス窓になっており柔らかな光が差し込んでいる。窓の前は椅子やテーブルが並ぶ休憩スペースを兼ねた通路で、今回の展示の大きな立て看板があった。通路の先に展示への入り口があるらしい。
そして通路の反対側は展示室。ガラス張りで外から展示の一部を見ることができた。
「わっ、素敵ですね」
ちらりと見えるドレスに、早速ことりの目が輝いた。
幸い会場はそれほど混雑していないようだった。
あなたはことりをうながすようにして入り口まで歩く。入り口の前であなたはことりにチケットを渡した。
「ありがとうございます」
ことりはもう一度、礼をいった。
会場に入るとことりは鞄からメモと筆記用具を取り出した。相変わらず勉強熱心だな、とあなたは思う。
ビルの
年代別に並べられた展示をあなたたちはゆっくりと見ていった。
「これ、すごく細かいデザインですね」
ことりは一着のドレスの前でスケッチを始めた。袖なしで床までつきそうな黒い細身のワンピースに、同じく黒で半透明の生地のスカートが組み合わされていた。スカートにはドレープがたっぷりととられ、
あなたはスケッチをのぞく。ことりはすこし恥ずかしそうな顔をしたが隠すようなことはしなかった。
「お待たせしました」
ことりが描き終えるとあなたは上手なものだと口にした。
「もう、なにも出ませんからね」
ことりは頬を赤らめた。
ドレスなどの衣装だけでなく各種アクセサリや、椅子や机、小物などのインテリアも並んでいてあなたにも興味深かった。
ことりはそれからもスケッチをしたり、メモを取ったりしながら熱心に眺めていた。
会場の最後のコーナーには、ここのみ撮影可能と掲示があった。あなたはことりに告げる。
「あっ、ほんとですね。えへへ、嬉しいな」
ことりはスマートフォンを取り出し、トルソーに着せられたドレスを四方から撮影していた。
あなたはそんなことりを、展示と一緒に自分のスマートフォンのカメラにおさめた。
出口の前、小さなミュージアムショップでことりは図録を買った。
あなたたちは出口を出て休憩スペースの椅子に座った。
「充実してましたね。とっても楽しかったです」
笑みを浮かべることり。
「お付きあいしていただいて、すみませんでした」
彼女はそういって頭を下げた。
あなたはとんでもない、自分も楽しかったといい、疲れていないか聞く。ことりはかぶりをふった。
「私はぜんぜん。あなたはどうですか」
疲れてはいないがおなかがすいたと話す。
「うふふ、そうですね」
ことりは手を口にあてて微笑んだ。
時刻はそろそろ昼になるところだった。食事にしてもよいがスイーツを食べに行ってもいいかもしれない。
「うーん、せっかくですし、甘いものでおやつにしましょうか」
あなたの問いにことりはそう答えた。
「お店、紹介してくれるんですよね?」
あなたはうなずいて椅子から立ち上がった。
・
あなたの
「いいえ、大丈夫です」
たしかに自分よりもことりのほうがよほど体力はあるだろう。
駅のほうに戻りガードをくぐって歩く。店までは駅から五分ほどだった。
「わあっ、こんなところにあるんですね」
ことりが驚いたようにいう。
その店は雑居ビルの一階にあり、ドラッグストアとビジネスコンビニ――コピーや製本サービス、事務用品などをあつかう店――に、はさまれていた。あなたは取引先のひとつに来たとき、近くにあるこの店にたまたま気づいたのだった。
「素敵なお店ですね」
店は通りに面して大きく窓が取られていて、なかのようすがよく見えた。窓の中央にはガラスの両開きの扉がある。窓の上にはオレンジのオーニングがあり、さらにその上には白い壁面に金の切文字で店名が書かれていた。
あなたは先に立って店内に入った。左手がケーキの並んだショーケース、右手には焼き菓子が棚に並んでいる。奥には十数席ほどの広めの喫茶コーナーがあった。
ことりはさっそくショーケースに目をうばわれていた。
「えーっと、どれにしようかな。どれもおいしそうで……迷っちゃいます……」
ことりが視線を移すのにつれてリボンがぴょこぴょこと揺れる。あなたはそんな彼女を微笑ましく見守った。
「どれがおすすめですか?」
ことりが急にふり返りあなたにたずねた。いきなりのことであなたは言葉につまる。どぎまぎしながらもなんとか、以前食べておいしかったものをいくつか伝える。
「なるほど……」
ことりは向き直りふたたび悩み始める。内心の動揺が気付かれなかったようすにあなたは胸をなで下ろした。ことりが考えているあいだに自分のケーキを選んでおく。
「よし、決めました」
ことりが顔を上げた。あなたに向かっていう。
「あの、ここは私に出させてください。博物館のチケット、いただきましたし……」
自分ももらった物だと話しても彼女は受け入れなかった。あきらめてここはゆずる。
「はい、そうさせてください」
ことりはすましてみせた。
ことりは二個のケーキと紅茶を、あなたも同じく二個と紅茶を頼んだ。残念ながら店員に顔を覚えられるほどの常連ではない。
あなたたちは喫茶スペースで待った。
・
ほどなくして注文がやってきた。
ことりはあなたのおすすめのチョコケーキと赤いハート型のケーキを選んでいた。あなたはことりに、赤いほうは食べたことがないという。
「あ、そうなんですね。かわいいから、選んでみました」
ことりはにこりと笑った。
あなたは角型のバターケーキに円筒形のムースだ。後者は新作らしくあなたも初めて見た。
「では、いただきます」
ことりは手をあわせた。あなたも神妙にそれにならう。
赤いケーキは表面が
「あ、なかはババロアですね」
ゆっくりと食べる。
「ん……。バニラが香って……すこしキルシュも効いてますね」
あなたは前回のことを思い出しピストレがけかと聞く。
「はい、そうですね。これは赤い色を付けたホワイトチョコだと思います」
ことりは嬉しそうに微笑んだ。
あなたもムースに手を付けることにした。
円筒形のクリーム色のムースの上に生クリームがたっぷりと絞られ、赤いパウダーがふられていた。さらにいくつかのピスタチオが飾られている。
あなたはまず生クリームを試してみる。赤いパウダーはどうやらイチゴの粉末らしい。どこか懐かしい香りがした。
続けてムース本体も食べる。白ワインの風味がして、ふわりとした口当たりだった。細かく刻んだフルーツが、フレッシュな酸味と食感のバリエーションを加えている。土台にはダックワーズが使われていた。
ふと顔を上げると、ことりと目があった。
「一口、いかがですか?」
あなたはうなずく。ことりはフォークで赤いケーキを切り取った。
「はいっ♪」
にこりと笑ってあなたの目の前に差し出す。
あなたは一瞬、固まった。このままぱくりと食べてしまっていいのだろうか。
ことりも気づいたようだった。
「あ、私ったら……。つい友達のときと、おんなじことを……」
彼女は顔を真っ赤にして目をふせた。しばし悩んでいたようだが切り取った
視線を落としたまま、あらためて彼女はケーキの皿をあなたのほうに差し出した。
「どうぞ……」
あなたはことりに食べさせてもらうのにやぶさかではなかったが――なにも見なかったふりをした。
あなたはケーキをいただく。ババロアはことりのいうように洋酒が使われていて、さわやかな香気だった。またババロアの中央には赤いジュレが隠されていた。すこし味見するとベリーのジュレらしい。
あなたはそういいながら皿を返す。
「わあ、こだわってますね」
ことりは目を閉じてババロアとジュレを一緒に味わう。
「酸味がいいアクセントになって……。甘味を引き出してますね」
彼女は感心したようにいった。
あなたが自分のムースをすすめると、ことりは恥ずかしそうに切り取った。こくりと飲み込む。
「ふむ……。白桃と、パイナップルかな。ムースはふわふわで、きちんとメレンゲを使ってますね」
あなたはそんなことがわかるのか、と聞く。
「はい。ムースはゼラチンで固めたりもするんですけど、そっちだともうすこし、なめらかでしっとりした感じになりますね」
あなたは感嘆の言葉をもらした。
「そんな……。たいしたことないですよ」
ことりは顔を赤らめて紅茶を飲んだ。
あなたも紅茶で口の中をリセットしてから二個目に取りかかった。
・
四角いケーキはコーヒー風味のビスキュイとムースを交互に三層ほど重ね、その上にバタークリームをたっぷりと塗ったものだった。くるりとカールしたチョコレートが飾られている。あなたは前回食べたときに気に入っていた。
ふと興味を覚えて、あなたはことりにこのチョコはどうやって作るのかとたずねた。
「あ、それはですね。溶かしたチョコレートをクッキングシートとかに広げるんです。固まったあと、へらで、すーって
ことりは身ぶり手ぶりを交えて解説した。あなたはもう一度感心するが、あまり口にするとことりが照れるだろう。そう思ってうなずくだけにしておいた。
ケーキを口にする。コクのあるバタークリームとしっかり味のついたビスキュイとが複雑なコンビネーションを見せていた。やはりおいしい、と思う。
ことりはあなたのおすすめのチョコケーキをじっと見つめていた。
「デコレーション、すごく
ベースは角型のブラウニーだが、一辺にはまるでビルのファサードのように板状のカラメルが飾られていた。上には淡いグリーンのクリームが乗り、さらにクリームには板チョコと店名の入った金色の小さいカードが、絶妙なバランスで添えられていた。
あなたはことりが食べたときにどんな顔をするかな、と楽しみになる。
「それでは……」
ことりはクリームと一緒にブラウニーをフォークに取った。形のよい口に運ぶことりをあなたはじっと見つめる。
ことりは上品に
「ブラウニーだけかと思ったら、あいだに……。キウイのコンフィチュールがはさんであるんですね」
あなたは微笑んだ。
「意外な組み合わせです」
ことりもあなたに笑いかけた。
「そしてこれは……ヌガティーヌですね」
飾りのカラメルを食べたことりがいう。あなたの視線に気づいたのかそのまま続ける。
「ヌガティーヌは、カラメルにアーモンドを加えたものですよ。このケーキのは、さらにココアが使ってありますね」
彼女はふむふむというようにうなずいた。
ことりは紅茶を飲んで一段落してから、あなたのすすめた二個目のコーヒー風味のケーキをひとかけら、口にした。
「これは……甘みもしっかりしていて、コクもあって、疲れがとれそうですね。でも……」
いいよどむことりにあなたは問いかけるような目を向ける。
「……ちょっとカロリーが、気になっちゃいますね。ケーキを二個も食べてるのに、そんなことをいっても、仕方ないですけど」
ことりはかわいらしく舌を出してみせた。
あなたはそんなにスリムなら気にしなくてもいいのでは、と話す。
「そんなことないですよ。こう見えてもいろいろ努力、してるんですから」
ことりはぷくりと頬をふくらませてみせた。あなたはそんなようすがかわいくて、思わず口元をゆるめる。彼女もつられたように微笑んだ。
ことりは自分のチョコケーキをあなたにすすめた。あなたは食べたことがあると断ったが彼女はゆずらず――いただくことにした。
・
おいしいケーキを食べるときに無心になるのはなぜだろう。気づいたときには目の前の皿は空になっていた。ことりのも同じく空だ。
「ごちそうさまでした」
あなたもごちそうさま、と手をあわせた。
ことりは
「……チョコケーキ、あとで作って、みんなに持っていこうかな。さすがにピスタチオのクリームは難しいから、なにかにかえて……」
あなたは君の手作りのケーキが食べられるなんてうらやましい、とつい口にする。
「えっ。あっ、わ、私のでよかったら、いつでも作ってきます」
ことりは真っ赤になって下を向いた。
「味のほうは、自信ないですけど……」
彼女の作るものならなんでも歓迎だが、それをいうのは逆に悪いだろう――もちろんおいしいに違いないが。あなたはうなずくだけにしておいた。
あなたはことりが相談したいことがある、といっていたのを思い出す。
「そうなんです。でも……」
ことりはちらりと周囲に視線を送った。ここの喫茶コーナーはかなり広いが、それでも喫茶店のように落ち着いた感じではない。何人かの客もいる。
あなたたちはいったん店を出ることにした。
ことりは焼き菓子のコーナーでマカロンいくつか買い、おみやげにしていた。
外に出ると昼下がりの熱気が押し寄せてきた。とりあえず日陰をひろいながら歩きだした。
どこか落ち着ける店があっただろうか、とあなたは考える。たしか取引先の近くに喫茶店があったはずだ――そう口にしようとすると、ことりがいった。
「そういえば、駅からの途中に、公園が見えましたね。あそこなんか、どうでしょうか」
社会人になってから公園でゆっくり話したことは記憶になかった。ただ高校生のころはそんなこともあったと思い出す。
あなたたちはもと来た道をすこし戻り、交差点を折れて公園に向かった。