そこは仄暗く、まるで腐臭が漂う井戸の底というように、地上で響く華々しい剣戟とは無縁の世界だった。
そんな生物の息吹がある筈のない
ソレは有体に言って瀕死のようだが、止めれば自身の命が潰えるという様に生物らしい規則性で上下する肩が彼の存命を証明している。
「―――いよいよ、もうすぐだ。■■ちゃん、■■さん……俺が必ず、あの人達を――っぁ」
深めに被ったフードの為か、はたまたその印象通りやはり死の間際にいるのか、苦悶の発露の様な独白は反響する筈の空気をもってしても、周囲が拾い取る事は敵わないだろう程に弱々しい。
だが、ソレ、男は理解を求めてこのような瀕死の重体になった訳ではない。
救いを求めて魔道に墜ちた訳でもなく、希望を求めて吸血鬼に縋った訳でもない。
「持ってくれよ、俺の身体っ」
その願いは文字通り命を削るような苦痛を伴う修練の果てに摩耗し、徐々に歪みが生じ始めている。それに気づく事のない当たり、男はまだ幸福だったのかもしれない。
―――ともあれ、男の願望とはもともと、己の命を対価に投げ打ってでも掴み取ると誓ったものであり、そうであったからにはおそらく、きっと、尊い輝きに満ちた祈りの様なものだったのだろう。
例えその根底にある源が己の罪過を償う為であったとしても、新たに芽生えた祈りはそんな独善に満ちた不純な動機から生まれたのではないと、男は信じている。
そう、あの笑顔を失った■■にもう一度陽だまりが照らす暖かな世界に送り出すと誓ったのだから。
まるで病巣に蝕まれた老人の枯れ木の様な手を自嘲の意味を込めて眺めていた男は、辛うじて動く顔の頬筋、その半分を歪めていたが、その目が途端に鋭くなる。
それが彼の持ってしまった歪みだ。
苦痛によって歪められた精神は、願望の成就を願うあまり、己の脆弱さに負けないよう仮想の敵影を構築し、いつしかその偶像を明確な憎しみの対象に昇華させてしまった。
「……アイツだ。―――クククッ」
その目に映るのは此処ではない、月の光に照らされた地上の戦闘。その只中に現れた黄金の髪を湛える丈夫だ。
それを明確な憎しみをもって、まるで目の前にいる様に虚空を睨む男はそのサーヴァントがなんであるのかを知っている。正確には、それが誰を主とした従者なのかを知っている。
「時臣のサーヴァント―――アァ、どうやら、俺はまだっ天運に見放されてないらしいな」
遠坂 時臣、それが彼の根源に刻まれた怨敵の名前だ。
“遠坂”とは聖杯戦争という儀式を作り出した3人の魔術師、三家をさして“始まりの御三家”と言われる一角を担う、この冬木の地土着の魔術師であり、“遠坂 時臣”はその現当主である。
そんな彼を何故男が身を犠牲にしてまで恨むのか――それこそが彼が気付くべき過ちであるのだが、それは己が従者に課した特性と同じく盲目的になった彼にとって―――
「行け、バーサーカー――」
主と同じく妄念に狂う戦士、バーサーカーは鎖から解き放たれた猟犬のように獲物を穿つ為にここではない地上へとその気配を冷気と共に移動する。
その虚実であったその身が戦場で象を結ぶ光景が、男の魔術によって情報として網膜に送られてくる。場が突然の乱入により困惑と苛立ちに満ちた混沌に陥っていく様に男は顔に笑みを張り付ける。
そうだ、この身は魔術師、マスターとしては半人前かもしれない。聖杯を手にする、その瞬間までこの体が持つかもわからない。だが、アレは、あのサーヴァントは歴とした狂者であり、紛う事無き強者に他ならない。
「ぐっ――ぁ、が、ぁあぁぁああああっ!!」
それ故に男に降りかかる代償は壮絶の一言だが―――魔術師はその魔力を生成する核として“魔術回路”なるものがある。生来、その回路自体が脆弱だった男が聖杯戦争で他のマスターと渡り合えるだけの魔力を生成する術、所謂“擬似魔術回路”を自身の体に埋め込むしか術がなかったのだが、それを無理に積み込んだ為に、その体は“擬似魔術回路”に蝕まれている。それこそ男の体をまるで死に体である風に見間違う事の正体だった。
「いける、いいぞっ、アイツに――っぐ―――ぁ、お前の選択を、俺が後悔させてやるっ、時臣ィ―――!!」
その身を狂気でステータスを向上させているバーサーカーは、他のサーヴァントと比べて比較にならない程魔力を消費する。だが、魔力の生成と共に理性を燃焼させているのか、男の狂気は留まる事を知らず、その狂気に染まる様に、目に映る戦場は混沌と化していく。
だが――
彼にとって既に聖杯の奪取が二の次になっているなど、本末転倒な動機は自覚をさせない為にその主を自虐に駆り立てていく。
その先に待っている結末が破滅であろうと男が踏みとどまるかどうかは―――おそらく、従者の狂化と同じく常軌を逸脱した彼はその罪過と向き合わない限り、永遠と気付く事はないだろう。
戦場と化して蹂躙された埠頭、その中で比較的真面に原型を保っているコンテナの上に腰を掛けていた少女はその場に集ったセイバー、ランサー、アーチャー、バーサーカーを順に一瞥した後、額に皺を寄せ、うんうん唸りながら唇に人差し指を当てながら思案顔だ。
だが、あれは敵を見定める為の目というより、何故か目の前の玩具を使ってどのように遊ぶか思案する――あの子供独特な無邪気である故の悪意を見た気がして、セイバーなどは背筋に悪寒が走った程だ。もっとも、それが醸し出す“純粋さ”とは媚を売るような故意を感じる、子供以上に悪意に満ちたモノであったが。
「よっとっ、うんうん。健闘ご苦労皆の衆! そのまま私の為に愚かに手札を晒したまえ―――」
場を凍らす様な緊張から一転、別の意味で場を
「―――は、流石にふざけ過ぎたかしらね。ああ、そこのお目々がツンツンしてるお兄さんには聞いてないから、ていうか、いつもそんな顔してるの? 疲れない?」
そう、彼女の言に真っ先に噛みつくだろう男が、まさかの睨むだけでの沈黙を示している異常を異様としないでなんとするのか。いや、それどころか彼女が現れるまさにその瞬間までこの戦場を混沌とさせていたバーサーカーでさえ静かに佇んでいる。
いったいどういう事だと視界を巡らせたセイバーは、その視界に奇妙なモノを捉えた。
バーサーカーの出現で街灯の光源が全壊したこの場において、唯一の光は頭上に佇む月の光のみだ。そして、淡い光はこうして相対する彼女等の輪郭を朧げだが、把握するには困らない。
で、あるならば、その少女を中心に
繰り返して言う、この場において存在する光は霞む月の光のみだ。
「――っ、テメェ……」
途切れ途切れに聞こえる声はランサーのものだ。セイバーとの戦闘が始まってから比較的饒舌だった彼からすればらしさに欠けると捉えても無理はない。
そして、ここまで出そろえばこの現状の源がなんであるのか、もはや疑いようもない。まさかの6人目の介入者というのも選択肢として無い訳ではないが、したり顔で笑みを絶やさずランサーの前で手を振る少女を見ればそれは考慮しえない。
「まあ、いっか。アンタに言っても素直に聞いてくれると思えないし……ねえ、見てるんでしょう? 答えなさいよランサーのマスター」
しかしどういう訳か、場に強制権を強いた彼女は他のサーヴァントに止めを刺すでもなく、この場で姿を隠蔽しているランサーのマスターに呼びかけた。
『――小娘風情が、従者の分際で余所とはいえマスターを名指しで指名するのだ……余程の要件であるのだろうな?』
「ええ、貴方みたいな小心者の小物なら素直に言う事聞いてくれそうだもの、そう悪い話じゃないわよ?」
姿は見えずともランサーのマスターが歯を噛む様が目に浮かぶ。
場のその他を一茶無視して、いいや寧ろ会話を投げたその男すらも相手としてみているかも怪しい不遜な言葉、戦場に現れた以上サーヴァントであるのは間違いないのだが、クラスや能力は兎に角置いておくとしても、乱入した彼女がこの場を支配しているのは事実だ。
『――っ、それは、まさかこの場に姿を現さない様を指しているのではないだろうな。――だとしたら短慮がすぎるとしか言いようがないな、この完璧な魔術処理を前にして―――』
「ああ、此処から北東に500m……ってとこかしら? それも倉庫の内部じゃなくて見晴らしの良い屋根に陣取るあたり、虚栄心の塊みたいな男ねアナタ」
『―――話を、聞こうか』
一瞬漏れた息を飲む音はランサーのマスターが零した驚愕を表す。それはつまり、少女の指摘が当てずっぽうに言ったものではなく、男の位置を正確に把握している事の証明だ。その証拠に少女を嘲笑うかの様な対応をもっていた男の声が真剣みを帯びている。
「そう難しい話じゃないわ――ランサーをこの場から退かせなさい。貴方ならできる筈よ」
そして少女の声も年相応な陽気さが見られた発音も也を潜めて冷徹さが増す。それはまるで熟練された貫録のある声だったが――確かに、聖杯戦争に召喚される英霊、サーヴァントはその全盛期である姿をもって召喚されるのが原則だ。であれば、少女が見た目通りの年齢であると判断して軽視するのは愚かともいえる。
その彼女の言葉に対して、ランサーのマスターは―――
『フ――フハハハッハっ! 何を言うかと思えばっ、やはり小娘だな程度が知れる! この場において私のサーヴァントを下げろと? 節穴かね君の瞳は、先程まで場を圧倒していた我がランサーを退けるなど、そんな下策に私が乗る筈も無かろうにっ、ましてやそれが敵の言葉に乗せられてなど――このロード・エルメロイを甘く見るでないわ!』
確かにランサーの宝具解放には場の全て、それこそサーヴァントはおろか、此処を監視している他のマスターですら驚愕する事態であり、目を見張るだけの力を秘めていた。あの光景を見たのなら下がらせるという案は取りえない。
成程、彼の主張も理解できる、そう首を一つ振って肯定の意を形として示した少女はしかし、その目に侮蔑の色を宿していた。
「ええ、確かに貴方のランサーは驚異的ね。私でもこうして注意を逸らそうものなら首に喰い付かれかねない程狂犬だし……でもさぁ、やっぱりアナタバカでしょ?」
『何っ?』
「ランサーは強大、確かにその力の認識は正しいわ。でも、この場には聖杯戦争に参加する7騎のサーヴァントの内、半数以上が集っているのよ? おまけにセイバーとランサー、二人のあれだけ魅力的な戦いを他のマスターが覗き見もしないとは考えられないわ」
少女の言はふざけた風を装っているが、その内容は順序立てるまでも無く正論だ。
聖杯戦争において真名の秘匿が前提とされ、その秘奥を解放するのなら必殺を誓い、一撃で仕留めるというのが定石。なぜならそれはサーヴァントの名を他に知られないよう情報漏洩を防ぐ為だからだ。無論、宝具を解放するまでなく敵を屠れるのならそれに越した事はない。
「ねぇ、ランサーのマスター、仮に、この場の誰かをランサーが仕留められたとしましょうか……そしてその後の聖杯戦争、アナタはどんな采配をもって勝ち抜くというのかしら。ねえミスター・エルメロイ、良ければ聞かせてくださる? 正直、見物よね。手札の内のジョーカ、その二枚を大勢の目に晒して尚勝つ気でいるんですもの―――甘く見てるのはどちらかしらねえ、ボウヤ」
だが、聖杯戦争はそうした甘い考えが通じる戦いではない。
少女の言うとおり、参加する他のマスター達にサーヴァントの素性を明かすキーを自ら与える行為を良しとするなど、後の戦いを軽んじていると指摘されても反論のしようがないのだ。何しろ聖杯戦争では、如何に強力なサーヴァントを引き当てようと、正体が知れれば相性によって打倒されることもある。その手段を用意される恐れもある。もっと言えば、共闘されて窮地に追い込まれる事態とてあるのだ。
先程、男は少女の進言を下策と切って捨てたが、このやり取りを聞いてどちらがより短簡であるのか、皆まで聞く必要があろうか。
『――クッ―――――この場は、退けランサーっ』
この場での形勢の不利を認めたのか、ランサーのマスター、エルメロイは苦悶の声を漏らし、己が従者に撤退を命令する。
その言葉に対してランサーが示すのは当然不満の叫びだ。依然と声を張り上げる事が叶わぬ状態ではあるらしいが、大気を焦がす様に明確な怒気までは制限されていない。
故に、エルメロイがとった行動は、サーヴァントに対する三画の絶対命令権、“令呪”による強制か、はたまた彼らの間に交わされた盟約なのか、外野である者に知る術はないが、奥歯をかみ砕かんばかりに顔を歪めたランサーがその身を透かし始めている事から、どうやら少女の主張が通る破目になったようだ。が、やはりそれでもランサーは不満なのだろう様子を隠しもしない。
「クソっが――――女ァっ、覚えたぞその面、次会った時は問答無用で魂も残さず食い殺してやるっ! 精々首を洗っ――」
だが、その恨み節が最後まで発せられることも無くランサーはその姿はおろか気配も霧散させられた。
最後にはその身に科せられた強制を振り切らんばかりの叫びだったが―――ともかく、これにて状況は大きく動く、事の発端であるランサーの離脱をもってして、その主因である少女の存在を明示した。
「――それで、私たちのコレは何時になったら解いて頂けるのでしょうか?」
そうして埠頭に訪れた静けさを切ったのは、先程のランサーと同じくその体制から微動だにしなかったアーチャーだ。見ればバーサーカーも同様のようで、こちらはその力によるものなのか僅かに身じろぎしている様子が見受けられるが、三者とも変わらず拘束されていたらしい。
「ああ――忘れてた。ごめんね~」
動きを拘束されるという窮屈さに対する不満を言葉にしてみただけだったのだろう。まさか少女が素直に解除を応じるとは思わず、徐々に戻る自由に若干の困惑が見られた神父。
そして、そんな彼等と違い、少女の出現から動きを拘束されていなかった彼女、セイバーは事態の硬直という事実が流動しても背に仮初の主であるアイリスフィールを背に庇ったまま動けない。そう、この場に現れた少女の介入の意図がわからない以上迂闊に動けないのだ。
「…………」
背中越しに窺う気配はランサーがその宝具を解放しようとした時に比べれば、幾分か整っているのを感じる。離脱を踏み切るのならこのタイミングが最良なのかもしれない。
いや、だがしかし―――
「あ、いやーね。おねーさん、さっきのツンツン兄さんじゃないけど目がこーんなに尖ってるわよ? 心配しなくても、此処で戦闘行為をするつもりはないわ」
ああ、だがしかし、どの顔で戦闘意思がないなどと宣うのかこの少女は。
拘束を解除されたのはアーチャーのみ、最初から対象とされていなかったセイバーは兎も角、そもそも交渉の余地が無いと判断したのかバーサーカーは依然と鈍い動きのままだ。
「んーコレ? まいったなー一応保険でまだ展開していたいんだけど」
そして何より、無抵抗を謳う少女の足元では彼女等を挑発するように、その枝分かれした影が水面に揺れる水草の様に、ともすれば手を拱く水妖の不気味さを醸し出している。
ランサーを始めとする三騎のサーヴァントを縫い付けた絡繰り、その詳細はセイバーにとって断言しずらいものがあるが、あの影がその原因であると判断するのはそう難しくない。
「保険だと?」
「ええ、まだ貴方達にも話したい事があるし」
成程、なかなか理に適った物理的な理論武装だ。
交渉の席を用意しようと、そもそも席に着くかも怪しいランサーとバーサーカー、交渉に乗ろうと見せつつ相手の転覆誘うように油断ならない風体のアーチャー、主を守る為保守的になっているセイバー。
彼等を相手取って交渉のカードを切るのにこれほど効果的なプレゼンはないだろう。
「この状況で交渉、ですか。失礼ですが、あそこの黒い彼には提案しないのですか?」
「ああ、アレ。無理無理、話し合いが通じる相手とも思えないし。あの手のは従者よりも主人を席に引っ張りでもしないとね」
前者二組には退場、沈黙して頂き、二癖ありそうな神父には力による打算を示し、セイバーには退路という救いを演出する。
場の半数をテーブルにつかせればいいという考えは合理的だが、その了承を疑っていないあたり少女の傲慢ともいえる自信が伺えた。
「話を逸らすのはそこまでにしてください……用向きがあるのなら簡潔にお願いします」
「せっかちねー余裕のない女はモテないわよ?」
目に見えた挑発に、歯を噛み気を静めるに努めるセイバー。
目の前の少女といい、アーチャーといい、基本的に二人とも他人を逆なでするのが得意……というより好んでそう振る舞っている様に見える。であれば、その趣向を好むのなら自らその筋書きに乗ってやる必要はない、そう自ら結論付けて息を吐き出す。だが、そんな彼女の一挙動すら少女の琴線に触れる愉悦であるとは、まさか、彼女も思わなかっただろう。
「それで、提案というのは?」
「ああ、ウンそうそれ。今回の聖杯戦争、私は貴方達に共戦協定を提案しに来たの」
「理由を、聞きましょうか」
共戦協定、事が通常の戦争、戦闘行為ならそれもあり得た話であったのかもしれない。だが、この戦いは“聖杯戦争”。たった、7人のマスターによる7騎のサーヴァントを伴う闘争だ。
仮に共闘により順当に勝ったとしても、待ち受けているのは互いに
「ま、そうね。もうわかってるかもしれないけど、私のクラス“キャスター”はハッキリ言って戦闘向けのクラスじゃないわ。というか、このシステムを考えた人間は頭悪いんじゃないの? 私にしろアサシンにしろ、三騎士を除く4騎のサーヴァントはあまりにバットステータス過ぎるし、バランスなんて度外視、全く、創始者達の悪意が見えるようだわ」
その疑問に対して、少女、キャスターは迷いなく己のクラスを明かす。先ほどの捕縛術といい、場を圧倒した話術といい納得のクラスだ。しかし、真名ではないにしてもクラスは隠せるのなら虚をつく手札にもなる。今回会敵した相手は誰もその点に躊躇しない者が多かったが、どうやら彼女もその例に漏れないらしい。
「でも、私はそんなひ弱な魔術師なんてレベルの英霊じゃないわ。確かに前で殴り合えって言うのは嫌いだけど、こうして後方から手を尽くすのは好きだし得意よ? それはまあこうして貴方達も身に染みてわかってくれたと思うけど――――だから、聖杯戦争終盤、私達が勝ち抜くまでの間お互いに協力し合える関係でいたいの、どうかしら、悪い話じゃないでしょ?」
確かに悪い話ではない。
クラス隠匿の恩恵を逆手に取った説得はある意味で効果的だ。己のクラスは最弱のサーヴァント、こと前面での勝負では貴方達に及ぶべくもないが、サポートなら有能だという。それは裏切られた場合、協力する側にとってメリットが増える様に見える。が―――
「ああ――言うまでも無いけど、今あのバーサーカーを止めてるの私だから。今度は本気で貴方達を止めにかかるし、あれの邪魔はしない――むしろ貴方たちのどちらかの足を引っ張るのも面白そうね」
交渉の際にもこうしてジョーカーを必ず脇に控えるキャスター、そんな彼女に隙があるなどと軽視できるはずもない。何しろ示したバーサーカーはまさに鎖に繋がれた狂犬、彼女の
「―――いいでしょう。この話、お断りさせて頂きます」
「へぇ……理由を聞かせてもらってもいいかしら?」
「ええ、それが当然というものでしょう。まあ、単純明快、私の主はそれを望まないからです」
だというのに、セイバーの横で簡潔に異を唱えた男には迷いというものが見られない。
そもそもこの提案を提案として捉えていたのかも怪しい物言いだ。こんな話は戯言に等しいと。
「今生にて盟約を交わした我がマスターは真実魔術師然としたお方です。大願である根源への到達、その成就の過程に一手段として策を巡らし、その為にはある程度の犠牲を已む無しとするお方だ―――ですが、彼は決して外道の所業を許さない。その要因、此処まで言えばキャスター、貴女なら解らないはずもないでしょう」
「ええ―――よく解ったわ。交渉、決裂ね」
アーチャーとキャスターの間で交わされる事の詳細はセイバーに窺う事は出来ない。が、どういう情報網を持っているのか、今の話だけ聞くとアーチャー側では既にキャスターのマスターか、或いはキャスターの正体に心当たりがあり、今のやり取りだけで確信を得たのだろう。それは、対するキャスターがこの場で初めて見せた腸が煮え繰り返るように表情を見れば把握できる。
そして、それでもめげない厚かましさ――もとい、逞しさを感じさせる笑みでセイバーに振り替えるキャスター、その表情を見るまでも無く、その先の言葉は予想できるだろう。
「で、セイバーは? まさか貴方もそこの木偶神父みたいな――」
「いいえキャスター。騎士である私もそれは同じです。主に捧げる聖杯は己の手で掴み取ります」
故に、にべも無く一蹴する。
もちろん言葉通り、そこにキャスターが信用できるかどうかを加味した訳でもなく、彼女は騎士として他力は請わないと断ったのだ。
「……ま、いいわ。もともと協力者が得られれば儲けものくらいに思ってたし、今日は退いてあげる。でもアーチャー――」
「はい、私もこの場は退却させていただきます。元々こちら側もこの場での戦闘、それは望むものではありませんでしたし――何より、アレは私がいては収まりますまい」
「決まりね」
終始蚊帳の外だったバーサーカーを視線で指したアーチャーに当然という風に頷くキャスター。
あれが自分達が去った後に大人しく去ってくれる保証はないが、出現とほぼ同時にアーチャーを狙ったのだ。その思惑がマスターのものなのか、サーヴァントのものなのかは不明だが、彼が先に離脱してくれれば目標を失ったバーサーカーが消える算段も上がるというものだろう。
「では―――」
そしてこれまた簡潔な言葉と会釈をもってその体を霊体へと変換するアーチャー。その身がこの場を離れるのをサーヴァント独特の気配から察し、残ったキャスターとセイバーは依然と拘束されているバーサーカーを確認する。
時間にして5分と掛からなかったか、アーチャーが去って行った虚空を睨むようにその雁字搦めな拘束を振りほどこうとしていたバーサーカーは、先程までの抵抗が嘘のように大人しくなり、徐々にその身を透かしていく。
そして――
「――?」
その身が完全に霊体になる一瞬の出来事だ。
マスクを隔てて伺える筈もない視線がその瞬間、セイバーには確かに交差したように見えたのだ。
「協力は得られなかったけど、ま――いいわ」
敵の、それも正体もわからない相手の事だ、深く考えるまでも無いかもしれない。
それよりも今は目の前に残った敵をと、主人を背にした状態を保ちつつ警戒は怠らない。
「じゃあねセイバー、精々お互い楽しみましょう。この戦いを――」
そうして今度こそ他のサーヴァントの気配が完全になくなる。
その事態に張りつめていた緊張の糸をゆっくりと解し、溜めていた息を肺から重いものを取り出すように吐き出す。一日で4騎のサーヴァントと邂逅したのだ。それもいずれも尋常ならざる相手とくれば彼女の心労も無理もない。だが――次の瞬間背後で何かが崩れるような音を耳に拾った。
「――! アイリスフィール!?」
寸での所で地面に倒れるのを腕に止めたセイバーは、そのまま簡単に状態を確認する。
極度の緊張と、その体からランサーの吸魂の影響だろう、魔力がかなり奪われている。
「……ごめんなさい。なんだか緊張が解けたら足が震えちゃって、情けないわね」
「いえ、そんな事は――っ」
戦闘において後方に控えていたアイリスフィールだが、彼女は戦闘中に治癒や周囲のマスターの探査などその能力を全開にセイバーを補佐していた。あのランサーの魔器に受けた傷がもう塞がり始めている事も考えれば彼女の疲労は当然と言える。
しかし、こうして容態を窺っていても状態は改善しない。セイバーに自己回復の能力があっても他者を回復する治癒の術を彼女は持ってないのだ。早急に協力者と合流、もしくは隠れ家に移動する必要があるが―――こうなるとこの場に徒歩で向かった事が今更ながら悔やまれる。
「立てますか、アイリスフィール。マスターが去ればこの場の結界もやがて霧散します。辛いでしょうがっ」
肩を貸してようやく立った主を支えるセイバー。互いに160にも満たない身長が近い事もあって支えるのには苦労しない――いや、その身の重さは控えめにいって、ややもう片方の方が軽い――
「ん゛、んっ」
「どうしたのっ、セイバー?」
「あ、え、いえ、なんでもありませんっ」
無駄な思考をしたと切り上げる。傍らで我が君が不思議そうな顔をして窺っているが、こればかりは詳細を明かせない。主に乙女の心情的な意味で――いや、別に主従で争う事など詮無い事だとわかっているが……
「――あ、見てセイバー」
そうして自問自答に耽っていたセイバーを促すアイリスフィールの呼びかけに、何事かと視線を上げてみれば、その先に一台の車が止まっている。
この場はランサーのマスターもだいぶ前に去っているだろうが、それを促したキャスターが後の交渉の事まで加味していたのならその手の対策は万全だろう。その彼女が去ってまだそれほど時間も経っていない。一般人はおろか警察機関の類が駆けつけるにはまだ早い筈、となれば、ここに現れるのはこの戦いの関係者に他ならない。
見知った顔がそのガラスの向こうから窺えた事に肩を貸していたアイリスフィールの安堵がその接点を通して伝わってくる。
「……聖杯戦争、どのサーヴァントもそう簡単に勝たせてはくれそうになかったわね」
「ええ……」
苛烈であり、獰猛に闘争と血に飢えるた獣の様を見せたランサー。
突然の介入から不可解な手段で槍兵の一撃を一蹴したアーチャー。
圧倒的な暴力を誇示し、怨鎖とともに場を蹂躙したバーサーカー。
周囲を瞬く間に制圧し、その存在を明確に印象付けたキャスター。
いずれも尋常ではないサーヴァント達だ。
聖杯を得るのなら彼等と戦い、そして勝たなくてはならない。
そしてまだ見ぬクラスも決して楽観できる相手ではないだろう。
「それでも――勝つのは私達よ」
「ハイ、次こそは必ずやっ」
「期待してるわよ、私達のナイトさん」
気負いするなという様に笑いを交えておどける主の言葉に言い表せない感謝の念を抱き、埠頭に回された車に主を乗せる。
この勝負、もとより負けられない戦いだったが、それを更に決意を固め、閉めた車のドアを背に戦場痕の真新しい埠頭を今一度視界に収める。
聖杯戦争第一戦、その長い夜はこうして幕を閉じた――――
戦闘色が今まで強かったので今回はキャスターさんによる精神的な無双をやってもらおうかとw
そしてアイリさんだけだったマスターもお二人参加してもらいました――内一人sound onlyですが――なんというか、アイリさんが空気にならないようにするのが結構大変です(苦笑
あ、追記として。
作中最後に登場キャラの体重を表現してる描写がありますが、公式だとあれ逆なんですよね。ただ、いくらホムンクルスとはいえ、騎士で戦場駆けていた人間がそれより軽いとは思えずそう措置を取りました。具体的に何㌔なのかは乙女の秘密的な禁則事項なので口が裂けても言えません!!
察して下さい!(切実