黒円卓の聖杯戦争   作:tonton

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「夢想」

 

 

 

 近く、セイバーとバーサーカーが激突を繰り広げる遠坂邸の主は、間近の脅威に備えるでもなく、あくまで落ち着いて出迎えに玄関の戸をくぐる。

 

「これはこれは、こんな時間に客人とは珍しい」

 

 雨が晴れ、月明かりが差し込む夜の洋館。見れば幻想的な風景にソレに見劣りしない外観、家の主。内包する空間までもが主の気質を表しているといえる。そんな場所に、彼の言う珍客が訪問の用向きを伝える。

 

「客人? こんな時でもそう構えて見せるのね。こちらは主従揃って宣戦をしに来たというのに、出迎えが片手落ちなのは失礼にあたらないのかしら」

 

「これは手厳しい。こちらとしても万全に出迎えたい所だが、生憎と彼は出払っていてね。突然の来客に、出せるのはお茶くらいだよ」

 

 彼の主張に嘘はない。

 アーチャーが持つ“単独行動”のスキルは恐ろしく優秀な適性を示している。仮に時臣との契約が切れたとしても、二、三日は余裕で限界してみせるだろう。そしてそれだけに、彼は時臣の監視外の行動をとる。今まで表だって問題を起こす事が無かっただけに慌てる事もないと放置していただけだ。

 

「ああ、ですが主よ。それは私の落ち度だ。貴方が非難されるいわれはどこにもない」

 

 その声は頭上、館の上より投掛けられた。

 

「故に、謝罪は私がしましょうライダー。夜遅くにご苦労な事です」

 

 音もなく地に降りてみせた館の主の従者。アーチャーは時臣とライダー達の間に立ち降りる。その様は従者としては当然の所作。だが、ライダーにはその行動の全てが嘘に彩られて見える。

 それもその筈。願いに焦がれ、ぶつかり合う者達の中で、自分と同じく虚無で願いを表に出さなかった者を、彼女はこの男意外に知らない。

 

「どこで何をしていた、と聞かれても、貴方はどうせ答えないのでしょうね」

 

 故にその質問も内容には対した意味はない。

 そもそも彼と真面な問答を望むなど無意味。いやむしろ逆効果だ。彼の言葉には毒が宿る。嬉々と他人の傷口を切り広げ、手に持った病毒でその歪みを深くする。それが分かっていて尚問いかける意図、つまり彼女は言外にこう言っている。

 

 “自分はお前を知っているぞ”と。

 

「別段隠す事でもありません。私も天にまします我らが父に使える身であれば、日に一度は祈りを捧げたくもなるというもの。幸い、この地にはああして立派な教会がある事ですしね」

 

 故に答え自体には欠片も期待していない。

 

「祈り? “皮を被った”狼が羊の真似事をしようだなんて滑稽なだけよ」

 

 そもそも目の前の男は聖者でありながらその道を外れた物。他者を欺き、貶める事で自ら罪を積み上げ続ける男を、どうして“聖なる者(クリストフ)”等と呼べようか。

 酷い言い草だと嘆いた風を装うこの男、ヴァレリア・■■■■■とはそういう男なのだ。

 

「しかし、こうして目の前にすればするほど意外だ。ライダー、私の印象では貴方は最後まで戦況を見守る物と、思っていたのですが」

 

 横目で確認した小さな主が、震えそうになる心を押し込めてこの背中を見ている。目の前の男の恐ろしさを知っていようと、今この身に固まっている決意を再確認するにはそれで十分すぎた。

 それに、意外なのは彼女自身承知している。こうした他者に道を示すなどという求道は、自分の性分じゃない。もっと別に相応しい人間がいたはずで、それはたぶんあの娘のように真直ぐな子が抱く渇望(ユメ)

 

「私にも、たまには戦いの中に賭けてみたくなる時があるのよ」

 

 そしてその種が後ろで芽吹きかけているのを感じたから、柄でもないと承知で此処に立つ。

 目の前で告げられた時、握った手の暖かさを覚えているから。そのいっそ愚直な視線に無様は見せられないと思ったから。

 

「なるほど成る程―――いや、結構。そうまでして覚悟を決めてきたのなら、確かに無粋なのは私の方だ。改めて謝罪しますよライダー。どうやら、私は貴女を過大評価していたようだ」

 

 そのやり取り、彼女が今懐いている決意を見ただけで察したのか、どこか落胆したような風でアーチャーは頭を振る。

 それが決定的なやり取り。お互いに両者の素性を承知だという事の証明だ。そして、そんな二人が仲良くこんな場で、それも主を伴って昔を懐かしむ、という訳もないだろう。

 

「それで、どうします? いくら時を置こうと、貴女の待ち人はここには表れませんよ。何しろ彼は猛っていても紳士だ。心に決めた相手を目の前に、それも理性の仮面を取り戻したのなら尚の事」

 

「――ことなのね」

 

 だからこその確信を持った問いかけに、彼ははてととぼけた風で首を傾げる。だが、彼が言葉にした待ち人が誰の事であるのかは明々白々だろう。生残った四騎のサーヴァントを思えば解りきった事。そして、そうならないようにと奔走したライダーを嘲笑うかのように仕組んだ手管。彼は一人承知で、この歪んだ幻想を己の手で悪夢に変えようとしている。いや、変えかけているのだ。今この時まで、その為に奔走していた。

 

「……さて、そろそろいいだろう。アーチャーも昔話に興じるのは解るが、そろそろ己の本分を弁えてほしい」

 

 そして、ここで間を挟むのは彼の主である遠坂 時臣。その提案が狭量だと聞かれれば、そんなことは断じてない。寧ろ最終局面が近いこの場面で無駄話をこれまで黙認している事の方が不可思議だ。

 

「ああそうですねマスター。問答に熱が入るのは私の悪い癖だ。では――」

 

 だが、主の言葉を皮切りにアーチャーの雰囲気が変わる。先程まで口軽に捲し立てていた態を払拭し、両手を広げてまるで懺悔する子羊を迎えるように立つ。一見無防備に見えるが、驚くなかれ、これが彼の構えであり常套手段。彼はあくまで戦士ではなく牧師。如何に摩訶不思議な能力を持とうと、生来培ってきたモノは業のように根深く息づいている。

 

「さぁ、私たちの“聖杯戦争”を始めましょうかライダー」

 

「そう、ね」

 

 そして、だとしたら相対する彼女もそう。

 

『天が雨を降らすのも 霊と身体が動くのも』

 

 雨に侵された大地、恨みの念を上げるが如く異臭を立ち上げる。

 生ある者が恨めしい。

 僕たちはもっと生きたかった。

 痛い苦しい寒い寂しい。

 それは散っていた者達の嘆き、命を羨む合唱だ。

 

『神は自らあなたの許へ赴き 幾度となく使者でもって呼びかける』

 

 なぜ生きている。其処にいるのは苦痛だろうと。

 それらは疑問に思う心を持たない故に純粋で、そして残酷だ。何より容赦を知らない。己が知るところしか知らない知ろうとも思わないから。そんな哀れな魂たちを抱き続けてきた女も、彼等を否定する事をしなかった。知ってて目を逸らした。つまりこれはそのつけが回ってきた事だとでもいうのかと、自嘲気味に息を漏らす。

 

『起きよ そして参れ 私の愛の晩餐へ 』

 

 救いを求めた訳じゃなかった。気紛れだ。“願望の器”なんて、リザ・■■■ーは求めてはいない。

 

Yetzirah(イェツラー)――』

 

 だけどそんな彼女でも、

 

 蒼褪めた死面

『Pallida Mors』

 

 譲れぬものがあると、こんな夢物語、夢なら手遅れはないだろうと願う甘さは間違いではないと、そう思いたかったから。彼女は今一度己を奮い立たせ、夜明けを待たず、この地に新たな贄を捧げる儀式が幕を開ける。

 

 

 

 

 

 聖槍・ロンギヌス。

 

 曰く、聖者の生き血を啜った槍。

 曰く、聖者を見出す選定の宝具。

 曰く、神を滅ぼす盟約の神器。

 その他様々に、数多の国が血を流し、栄華を手に入れ、また沈んでいく。

 誰が口にしたのか、“その槍を手にしたものは、世界を制する力を与える”などという噂までもが独り歩きを始める始末。

 

 噛み砕いて言葉にするのなら、それは“聖者の血を浴びた”という一点。ただの槍であり、生き死を確認しただけであり、それ以上特質することは本来ない。だが、人々の念、信仰は時として狂気だ。その時代が“聖遺物”という形ある神器を求めた中で、人々の妄念を集約されたソレ等は確たる力を宿した。

 

 そしてその一つ、聖槍・ロンギヌス。

 

 数多の国が、権力者が求め与えられ、奪い渡り歩いた。当然、それが宝具として顕現するのは何らおかしくはない。寧ろ、破格の霊核だという事は論ずるまでもないだろう。“聖杯”も“聖遺物”として起源を同じくするものだとしたら、それが現れたのなら、勝負など形にもなりはしない。

 

 だがしかし、そこでセイバーの目の前で構えられたロンギヌスが真実聖槍なのかと言われれば、彼女は判断に窮していた。

 

 黒曜を削り出したように、だが荒い余計な文様は一つとしてない磨き抜かれた刃。ただ一つの装飾と見て取れる表面を駆ける線ですら、模様などという形骸的な物ではなく、それら全てを含めて“ヴェヴェルスブルグ・ロンギヌス”なのだろう。

 

 だが、これが聖なる槍だというのなら、それはあまりに禍々し過ぎた。

 数多の国、人の手に渡り、栄枯盛衰を見てきた槍というのなら、それは単に“聖”という属性だけではないだろう。つまり、清濁併せもって尚輝きを失わぬ後光。だからこその“聖槍”である筈だ。

 それを踏まえ、目の前の黒い無骨の槍は、確かに“ただの槍”というのには“歪”に完成されている。完成され過ぎている。これは手にする者を破滅させる類の魔器だと、その手に明るくないセイバーだとて判断できる。

 

 つまり、端的にいって、いま彼女は目の前の男と、その手に握られた“聖槍”の雰囲気にのまれていた。

 

「――君とこうして話すのは初めてだね。何ともおかしな感覚だよ」

 

 加え、目の前の男が、その得物である“聖槍”の矛先を下げた事もセイバーに怪訝を抱かせる。のみならず、彼は右手で矛先を下げたまま、ゆっくりとセイバーに一歩づつ近づき始めた。

 相手の油断を誘うとか、意識を誘導する類のブラフではない。その目に宿した感情は徹底して邪を排斥している。手に握る歪な槍に比べ、彼の気質は柳のような穏やかだった。

 

「すまない。まず初めに謝らせてくれ」

 

 加え、彼の言葉は第一声から戦闘に臨むもののそれではない。まるで偶然会った知り合いに話しかけるように穏やかで、見知らぬ人に信義を尽くすように柔らかい。この目で狂戦士からの変異を目にしていなければ、とても彼が獣性を纏った幽鬼だったとは信じられない程に。

 

「っ、止まりなさい。この期に及んで下手な取り繕いはやめてもらえませんか」

 

 だがしかし、彼女は間違いなくその異様な変化を目にしていた。まるで人が朽ちる様収めたテープを逆さに映すように不道理で、この聖杯戦争に参加した英霊達が皆超常の域の力なり能力を持った猛者揃いだとしても、彼においては一際際立っている。警戒を解いていい筈がない。 

 

「すまない。そう警戒するのは当然だね。呼び出されたサーヴァントは自分の、主の願いを叶える為にその都合を押し通さなくちゃならない。他者の願い祈りを踏み倒さなくてはならない」

 

 その主張は聖杯戦争参加者共通の認識にして、至極当然の理。程度の差こそあれ、望みを持たなくてはマスターには選ばれず、逆を言えば狂気の域で願いを持つ者ほど聖杯は優先的に参加の権利を与える。

 つまり、

 

「主の掲げる願いはとても歪んだものだって分かってはいるけど、こうして心を表にした今強く願う。彼の望みは、その輝きは誰よりも僕は共感している。だから」

 

 バーサーカーのマスターも、例外的な選定当てはまらないのだとしたら、至極当たり前に譲れない渇望を持っている。

 故に、彼がいう謝罪とは他者の祈りを踏みにじるこの戦闘自体に対するもので。 

 

「――君はここで死んでくれ」

 

 言葉が如何に丁寧だろうと、如何に真摯な青年だろうと、次の瞬間に剣を振り下ろしていたとしても何ら不思議な事はない。

 

 

「っ、ク!」

 

 寸での所で対応を間に合わせる。セイバーが咄嗟に取った行動は弾くのでもなく単に受けるのでもなく、受け流しによる後退。受けば即轢殺する筈の一撃に取ってしまった身に沁みついた反射。

 だが、

 

「……これはどういう事ですか」

 

 過不足なく、事実としてバーサーカーの“聖槍”を、セイバーの“聖剣”が受け流しきっていた。

 これまでの狂人的な暴力にさらされただけに、まるで手を抜かれたようなその一手は、これが不意を打つことに対する謝罪だったというのなら、それは戦いに臨む者にとっての侮辱に他ならない。

 

「何も別段不思議な事じゃないよ。僕程度が相手を謀るような戦い方ができる程、器用じゃない。不快にさせたのならそれも謝るよ。全身全霊、剣を取ったからにはこれでも真剣に振るっている」

 

 事実セイバーはそう受け取ったが、あっさりと自嘲気味に謝る目の前の男の言葉には偽りの色は見て取れない。つまり言葉通りだとしたら、彼の現状が全力。勿論言葉通りに受け止めるなどという愚は犯すつもりはない。ないが確かに、目の前の男が狂化の影響下にあるとは思えない。つまり、幾らかステータスの弱体化は想像に易いという事。そして反面、理性を取り戻したという事は、狂化の代償に失われていた能力を取り戻すという事だ。

 

「いえ、なら非礼をわびるのはむしろこちらの方です」

 

 ただ弱体化する札をこの場面できる輩などいない。劣勢から逆転する為の一手があると疑ってしかるべきなのだ。目の前で正眼に、今度は両の手で構える彼に、セイバーも油断なく剣線を交える。

 予想外の事態に身に施した“雷化”に乱れが生じたが、呼吸を一つ入れて再度研ぎ澄ます。

 相手が何を思って狂化を解いたのか。セイバーには推量れない。だが寧ろそこに思考を割くのは無駄な、余分である。どんな手札を切ろうと、斬捨て追い越し貫けばいい。これまで行ってきたことだし、この相手にも、そうして乗り越えて見せる。

 

 そう誓い、胸に刻みつけた輝きへと呼応するように雷を迸らせて、刹那より速く懐に入ったベアトリスの必殺の突きは―――

 

「例えどれだけ早く動けても、場所が分かるのなら対処のしようはある」

 

「ク――っ」

 

 その長大な“聖槍”をまるで盾のように地面に突き立てて凌ぎ切っていた。慣性の乗った高速の刃を防がれた事に。一端距離を開けて構えを取る。

 真正面からの攻撃であろうと、セイバーの速度でなら回避、防御の動作の“起こり”を見てからでも十分対処できる。だが、その速度に対応して見せたという事は、彼は初めから斬り返すのではなく、防ぐつもりで気がまえていた事。見誤ったと図りの甘い自分を恥じると共に、今度はそうはいかないと構え直すが――

 

「悪いけど、次はもうない。君を相手にこの状態で倒せない事は十二分にわかった。だけど、僕は君とアーチャーの、少なくとも二騎のサーヴァントを屠らなくちゃならない。だからそう、彼の言うとおり、僕たちに迷っている暇はない」

 

 そう言葉にし、彼は盾にする為に突き立てた“聖槍”を引き抜くのではなく、右手で柄を握ったまま、左手を刃に沿えた―――瞬間、剣より怖気を振りまく狂喜が溢れだした。

 

「何をっ」

 

 誓ってこれはセイバーを攻撃する為のモノではない。なぜなら、狂気に内包した飢餓の念は、“聖槍”の担い手たる彼自身に向けられていたのだから。

 

『血の道と 血の道と 其の血の道 返し畏み給おう』

 

 言葉が形になるたびに、生という生、蟲や鳥、空気でさえもその“歪み”逃げ惑う。周囲を巻き込む瘴気。それはセイバーにあの男を連想させるには条件が似すぎていた。が、その性質は根本的な所で差異があった。

 

『禍災に悩むこの病毒を この加持に今吹き払う呪いの神風』

 

 吸血鬼たらんとした彼は他者の活力を吸い上げ、己の糧とし新生しようとした。

 対して、この瘴気は他者ではなく自己を、担い手を染め上げて変生する。

 

『橘の 小戸の禊を始めにて 今も清むる吾が身なりけり』

 

 生気に満ちていた肌が冷気に触れて凍結するかのように青くなっていく。大気を歪ませるほど周囲に蔓延していた煤煙は発生源である“聖槍”から彼自身に収束しいく。

 コレの何処をみて、ソレが“聖なる槍”などと呼ぶことができるのか。

 

『千早振る 神の御末の吾なれば 祈りしことの叶わぬは無し』

 

 そう、セイバーの直観は正しく、これは魔剣や妖刀と呼ばれる禍つ性を与えられた一つ。術者に強大な力を約束する代わりに、命を喰らい、厄災をもたらす“偽槍”だ。

 

『創造――』

 

 ならば、彼が“偽槍”を正しく扱うべく贄を捧げたという事は即ち、

 

ここだくのわざわいめしてはやさすらいたまえちくらのおきくら

『許許太久禍穢速佐須良比給千座置座』

 

 此処に一つの“災禍”が産まれた。

 

「……この状態の僕には、あまり時間がない。雑で悪いけど、直ぐに終わらせてもらう」

 

 口から洩れた音は、肉声というのにはかけ離れたノイズの様なものが混じり始めていた。彼の言葉通り、瘴気が術者自身にも悪影響を及ぼす“毒”だと確認するまでもない。この霧は、端的にいって肌に悪い。人によっては嫌悪どころか吐き気も催すだろう。

 

「たかが瘴気を纏った程度で、どうにかなるとでも、安く見られたものですね」

 

 だが、所詮は瘴気。宝剣のなかでも信仰から聖剣としての核を持った“戦雷の聖剣(スルーズ・ワルキューレ)”をもってすれば祓ない道理はない。故にと、先程の轍は踏まず、側面背後に雷撃斬撃を混ぜた三方向からによる“同時攻撃”。音速で駆け抜ける彼女だからこそ可能な方法であり、雷そのものであるが故に、三矢はほぼ同時にバーサーカーに向かう。

 

 だが、

 

「言ったはずだ。次はないと」

 

 寸での所でセイバーが二の足を踏んだのは単なる直観だが、そのような機器察知が出来ない雷単体は当然バーサーカーに猛威を振るうべく疾走し、その手前で、ありえない陰りを見せた。

 祓いを宿した雷が黒く染まる。空気を引き裂く足が鈍る。バーサーカー本人に到達した雷は、彼の皮膚を傷付けこそすれ、対したダメージは与えてないということを物語っていた。

 

「バカなっ」

 

 威力の減退。

 キャスターが最後に見せた宝具の力のようであり、ランサーの吸魂のようでもあるが、やはりその根底が違う。

 

「寧ろそれは僕の言葉だ。まさか、僕のコレを躊躇せず突き進むとは、流石“最良の英霊”恐れ入る」

 

 殊勝な物言いだが、その能力は厄介極まりなく、壊滅的に狂っている。

 ランサーではないが、実際に見て、剣を交えればセイバーもその心根は大凡察せられる。この狂戦士の能力も、まず間違いなく彼の心象倫理を具現化した物。自己を渇望の具現媒体として己を異界化する禁呪。だが彼の変容。相手を、有機無機問わず、それこそ概念すら衰退させうる猛毒。その強力さも異様だが、自己を代償にする精神が歪に歪んでいる。

 

 つまり恐らくは腐毒。

 

 つまりは、

 

「――自分の魂を糧に腐食の鎧を身に纏う。正気ですかっ」

 

 今こうして対峙している間にも、バーサーカーはその肉体を腐らせ、蝕まれているという事。時間がないという先の発言は、既に彼女の中で疑いようもなかった。

 

「正確には、僕が“毒”そのものになるのが正しいけどね。でも、正気だって? 馬鹿を言わないでくれ。狂おしく願わなければ、それでも叶わないと知って悔やんできた。そんなもの、当の昔に捨て去っている」

 

「あれだけの実力をっ、戦士としての資質を持ちながら、何故そうまでして自身を持てないんですか」

 

 雷速に及んでいた彼女の剣を臆せず防いだ意思、決定力。狂化されてなお陰りを見せるどころか異彩に映るほど冴えを見せていた剣技。どれも一兵卒で担えるものではない。英霊として呼ばれた以上当然であるはずだが、剣を交えてより実感した。彼の剣には、徹底して自己を投影する信念が無い。

 例えば勝利による栄光。勝たなくてはいけないという強迫観念。復讐という連鎖に身を焦がした、焦がされて身に着いた絶望と救済。彼の剣に映るのは、そうした己を投影し、奮い立たせるものではない。徹頭徹尾、彼は自身に誇りを持ち合わせていないのだ。

 

「ああ、そうで在れたらどんなによかったか。己を持てないという意味でだとしたら、君の言うとおり、どうしようもなく恥じているよ。■■ ■は腐っているんだ。その信念に比べて薄汚れた、ちっぽけな存在なんだよ」

 

 彼の言葉に、セイバーが押し止まる。彼は自己を持てない。誰よりも自身の歪さを理解しているが故に、他者の、彼彼女等の尊さを、彼我の輝きの隔たりを誰よりも理解していたから。

 ならばなぜこんな“戦い”に応じたのかと言われれば、彼の答えは単純。主の願いに共感したからにほかならない。そう、バーサーカーのマスターである間桐 雁夜の渇望。

 

“間桐 桜を日の光歩けるよう助けたい”というたった一つだけ残った願いに。

 

 それだけは彼の中で歪む事無く残ったから、自分の存在を、その傍で光に生きている隣人の尊さを。彼女を救いたいと自らを差し出す自己犠牲(ヒロイズム)も、彼が自身のその精神に憎しみを抱いていることも、それしかできない自分に劣等感を抱いていることも、彼は雁夜以上に深く知っている。何しろ、英霊は死後の偉人。似た渇望を抱き、共鳴したという事は、程度はあれ、彼は間桐 雁夜が辿るかもしれない末路の一つに他ならないのだから。

 

「彼がそうと知っていながらすがるしかない自分に、“己は屑”だと―――だから、従者である僕だけは、彼を肯定する」

 

 ならばこそ、我が身が毒に蝕まれようと、穢れを纏い朽ちようと後悔はないという。彼が、彼の主が助けたいと願った少女に対する姿勢、その境遇に。その結果に救いが伴わない事を、既に手遅れだろうことも知って尚、彼はそれでもと、今尽くせる全力を尽くす。

 その姿勢に――

 

「――にするなっ」

 

 セイバーはどうしようもなくささくれだってしまう。

 そして、そこに至ってようやく、彼女は自身が何に“苛立ち”を感じているのかを理解した。

 ただ単純に、抱いてしまう。“どうして彼はこう”なのかと。

 

「貴方の願いがどんなに悲惨なものであろうと、私に勝利を譲る道理はありませんっ」

 

 自己犠牲という精神はセイバーの渇望にも共通する。だがそれは根幹に己があって初めて抱く感情だ。自己を知らねば他者を量れない。もし、他者を救う事を何よりも先に抱くような人間がいたとしたら――それは生まれついての奇形児か、後天的に心が壊れている。

 その願いが尊いものであったとしても、セイバーの目から見て眩いモノであったとしても、その歪さに気付けば目を晒すことができない。

 

 だからこそ、彼にはわからせなくてはいけないと、疑問に思う前に強く心に響く。

 

「私にも、誓いを立てた人はいる。その願いを叶えたいと、勝利を捧げると誓い戦ってきました」

 

 守るだけの人間には、だれも救えない。救うだけでは心まで拾えない。己を誇れない人間には、きっと他人と解りあえない。解りあおうとしない。

 かつて生きていた頃の摩耗した記憶。その中で鳴る警鐘の音が耳元で煩く喚くのだ。彼をそのままにしておくのは、“ベアトリス・■■■■■■■”は認めてはならないと。致命的な失敗を、遠い昔にしてしまったという後悔の念が胸をつくから。

 

「だから私は、貴方を倒して見せます」

 

 加減抜きで、全速で彼を止める為に駆け抜けよう。

 戦場で生き、死んだこの身はそれしか知らないし、それ以外の方法を知らない。

 

 時間がない。

 

 こんなに急く事はかつてあっただろうかと焦燥を抱きながらも、“聖剣”は主の呼びかけに応じてくれる。

 

 対して、

 

「是非もない。憐れみなんていう勘違いで手が鈍られるなんて興醒めだ。僕は僕で、全力で願い挑む敵を全て屠ろう」

 

 “偽槍”を構えた彼はここにきても勘違いを続ける。

 だからそれこそ大きな間違いだと声を大きく叩きつけたい衝動にかられ、同時に、その声も届かないという結果を“知っている”が故に、自身はまず勝たなくてはならないのだと悟った。

 

 そうして、両者は“聖剣”と“偽槍”を構えた。

 同刻、遠坂邸で霊核の激突を響かせる冬木の空の下、誰も観客の居ないステージに、最後の舞台へ向けた前座が始まりを告げる。

 

 終焉の時は、近い。

 

 






 久々に予告なし投稿。しばらくはこの流れが続くかと思われます。
 何しろ最終話まであと10話切っていますし。(何はとは言ってません。
 この話の根底(隠れてるか不明の物)が浮き彫りになってきた回でありますが、それが不明な方もいるでしょう。あと二話もすれば嬉々として彼が語ってくれますのでお待ちください(震え

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