黒円卓の聖杯戦争   作:tonton

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「絶望ノ淵ヨリ」

 

 

 

 地上から空へと、金色の刃が奔っていった。

 その様は苛烈で、荘厳であり、同時に訃報を告げる狼煙のように見る者の胸を打つ。

 

 彼はその光をただ眺めていた。

 

 彼女が光に吞まれ、別れも言えぬまま、涙も苦言も言わぬまま光に消えた彼女をただ眺めていた。

 

 頬を何かが伝う。

 周囲が光に包まれ、熱気をはなっている為か、頬に伝うソレがいやに冷たかった。

 

 彼女との出会いは初めから好印象という訳ではなかった。寧ろ、己の望みをかけて聖杯戦争に臨むにあたって、半端な“意思の宿った人形”など邪魔なだけだとすら思っていた。

 言葉を聞き、思考ができたとしてもそれは子供とさして変わらない。いや、直感が素直に行動へつながる彼等の方がましだとさえ思った。実際、自己防衛の為に人型を取ったと言われたソレは、切嗣がまさに赤子の手を捻るかの如く拘束できた。

 

 それがいつからだろう。

 疎いながらも意識の片隅に置くようになったのは。

 

 初めは知識欲が貪欲だという印象だった。

 城にある書物を日がな読みふけり、人の倍を優に超える速さで吸収する。それこそ“人造生命”の強みなのかもしれないが、肝心の防衛に関しては相も変わらずお粗末。

 

 そんな日々が続いたある時の話。

 切嗣がそんな事では生き残れないとたびたび口にしていたからか、自身の有用性を証明する為だったのか、単に創造主たる主の命令に従っただけなのか。

 その日、彼女は初めて城の外に置き去りにされ、生還を義務づけられた。

 身を守る術すら碌にできず、もうじき冬に入るとはいえ、外には獣もいる。自衛もできない、外見のままただの女である彼女になすすべなど何もない。

 だから、彼は城を飛び出し、彼女がいるだろう場所へ急いだ。城主の戯れであるなら気にも留めなかっただろうが、彼の胸にはこの数日で彼女が切嗣に訴えていた言葉が刺さっていた。もし今回彼女がその命令を承諾した要因した一つに自身の言葉があるのなら、夢見の悪いにも程があるだろうと。

 

 そして、彼女は生きていた。

 辛うじて、シルクのドレスを己の血で染めていたが、息はあったのだ。

 

 それからだ。切嗣とアイリスフィールというホムンクルスとの距離が近づいていったのは。

 

 時に彼女の質問に答え、時には外の物を持ち寄ったり、彼が経験してきた中から話して聞かせもした。

 

 これまでの人生で、彼が父を殺し、恩人を殺した忌むべき時から幾何か、人との触れ合いを極端に避けていた彼が、彼女との触れ合いに小さな安らぎを感じなかったと言えば、嘘になる。次第に人間と同じように笑い、怒り、涙を流す彼女を、いつしか彼は人形などと見る事が出来なくなっていた。

 

 思えば、この時すでに彼の天秤に罅が入ってしまったのだろう。

 

 多くの人を救うために最小限の犠牲を量る天秤。

 そうで在れと己に科してきたその念は、つまる所、どんな存在でも平等にみるという事だ。

 言葉にすれば簡単だが、例えばそれが親友だったら、両親だったら、兄弟であったら、恋人だったらどうだろうか。人は相対する関係で比重が違うのが当然だ。だが彼はどんな相手であろうと、重さは同じとしてきた。それは機械のように、幼い頃初めて父を撃った時と同じように、誰であろうと切り捨てるという事。

 故に、彼はその時得てはいけない絆を持ってしまった。後にそれが楔となって足を引くと知っていて、愛娘を腕に抱いた彼は既に引けない所まできていた。

 

 

 ある時彼は娘に約束をした。

 

 “必ず■■■の事を迎えに行く。だからいい子で待っていてくれ”

 

 それが幼い彼女にとってどれだけ残酷な事なのか。

 聖杯を降誕させるために冬木へ赴くという事は、勝敗にかかわらず彼は彼女の母であるアイリスフィールを死地へと仕向けるという事になる。器として役目を全うしたアイリスフィールの定めとはいえ、仮に切嗣が最後のマスターとなった場合、彼は妻を殺めた手で娘を迎えるという事になる。

 その時自身は笑ってただいまといえるのかと、たった一言のそれが逃げ出したくなる程に怖かった。

 

 だが、自身はそれ以上に、最低な選択を選んでしまった。

 

「――っ」

 

 口にでそうになった彼女の名前を呑込む。

 己の手で、彼女が望んでいた役目を果たせるでもなく、一方的に奪ってしまった自分が心底醜く思えたから。そんな資格があるとも思えなかった。

 

 そうして、彼が膝をつきうつむいていた頭上から―――

 

「見事。卿の信念もさることながら、アレの散る姿の何と美しい事か……中々に心躍る余興であった」

 

 悪魔の囁きにも聞こえた、とある男の声が降ってきた。

 

「ライン、ハルト、何故っ」

 

 黄金の眼光が、膝をついている切嗣を射ぬいていた。

 だがその威容など問題ではない。仮にもクラスを纏い、聖杯を通じて現界していた彼が聖杯を破壊された後、何故象を保っているのか。

 

「何を驚く。とりたて不思議な事でもあるまい。器が破壊されようと、この地には大本たる杯が存在する。始まりは謳いながら、卿の主はそんなことも教えていなかったのか。加えて、英霊ともされる魂が、まさか完全に聖杯に依存している訳もあるまい。私も、そこまで脆弱をうたった覚えはない」

 

 つまりは、彼の選択した最低の手段でさえ、無為であったというかのように、彼はその手に聖槍を携えて立っていた。

 

「余興だとっ、コレを見て、この状況を作り上げてこの地獄すら些事と捨てるつもりか!」

 

「然り、地獄というのには、ここは些か生ぬるい。当たり前の日常、目を覚ませば日が昇るのが当然な朝。約束された明日、変化の無い停滞こそ、私はもっとも嫌悪するよ」

 

 その聖槍の担い、冬木の一角を焦土とした一戦。彼が力の一端でみせたこの惨劇すら、彼は“停滞”であるという。彼の言う“当たり前の日常”。存在そのものが戦争であろう様なこの男にとって、人が目を覆いたくなるような光景であろうと、彼の望むその時には程遠い。

 故に彼は求める。

 全力の境地を、己が会いたいし、壊れぬモノを見つけるその日まで――

 

「故に―――」

 

「だから壊すと」

 

 然りと返して見せた黄金の獣は、切嗣に向けていた視線を切り、一歩一歩、ゆっくりとアイリスフィールがいた舞台に歩んでいく。目まぐるしく変化する戦況、愛する彼女を失ったという消失、まだ終わってなどいなかったという絶望が彼の身体を動く事を許さなかった。

 やがて、微塵も残らず塵へと帰った舞台があった場所へ歩みを止めたラインハルトがその外套を翻し、再度切嗣へと振り返った。

 

「些か幕切れは拍子抜けさせられたが、その選択は英断だ。称賛に値する。おかげで、私もあと僅かも姿を保てないだろう。だが、最後によいモノを見れた。不満が無いと言えば嘘になるが――ああ、そうだなカールよ。卿の言うとおり、遊びが過ぎるのは確かに私の悪癖であるようだ」

 

「……何を言っている」

 

「わからぬか? そう難しい事ではない。卿が選択した一刀。愛しきモノを屠る、愛しているからこそその刃を振り下ろす時は己の手でと……刃となったのはヴァルキュリアであったが、なに、恥じる事はない。器が小さいとはいえ、アレも半場“聖遺物化”したもの、人の手で破壊しようとすれば手に余るのは道理だ」

 

 彼が何を言っているのか、切嗣には理解できなかった。

 それこそ外人の、知らない言語を初めて耳にしたように脳が単語を拾わない。それが直感で酷く不快なものだと感じたから、彼は努めて感情を殺していた。

 

「多くの人を、例え犠牲をはらっても掬い上げる天秤であろうと――ああ、実に美々しい。久方に胸を打たれる思いだ。その卿の信念、確かに見届けさせてもらった」

 

 心臓を鷲掴みされたかの様に不快感が全身を襲う。知らず背に汗が流れ、力なくついていた膝が震えながら必死に立とうとしていた。

 

「故、卿の願いを聞き届けよう。我が愛を謳うに足ると認め、此処に私が示す」

 

 だが、そうであったとしても、切嗣は理解していた。

 たぶん、恐らくこの時、或いは彼と対峙する前から全てが、何もかも遅かったのだと。

 

 

『おお、至福もたらす奇跡の御業よ。汝の傷を塞いだ槍から、聖なる血が流れ出す』

 

 

 彼が握る聖槍が、これまで見せた輝きをより一層強く瞬かせた。

 

「祝えよ、今こそ汝の悲願が成就する時だ」

 

 金神(ノロイ)の槍が狙いを定める。

 既にこの場で“正しく”生きているのは衛宮 切嗣のみ。

 目の前に判定を下す魔王は“狂い猛る墓の主”。

 故に、彼が担う聖槍が約束するのは死の安息ではなく―――

 

「その手で、全ての人間を一人余さず壊す(すくう)がいい」

 

 終わる事なき戦場の奴隷。ラインハルトに見初められ、聖痕として刃を刻まれた者が辿る末路。

 人からかけ離れ、条理より弾かれた化外へと墜ちていく。

 その絶望の宣告を理解し、この日、この瞬間、“衛宮 切嗣”という“魔術殺し”はその生を奪われた。

 

 

 

 

 

 男が二人、洋館の庭で話をしていた。

 賑やかという訳でも、険呑な言い合いをしているという訳でもない。だが、両者に共通した言葉に宿る真剣さが、事が重大であると雰囲気を作り出していた。それは離れていた場所で母親と戯れている娘子が無意識に距離を置くほどに。

 

「そうか、もう行ってしまうのか。娘も君に懐いている。魔道に関してはこの通りだからね、君に見てもらえると私としても嬉しいが」

 

 車椅子に身を預けている男が、傍らに立ち、寄れたコートを着た男に話しかけていた。

 どうやら、二人の間で交わされていた会話は別れの言葉だったらしい。

 別段別れを惜しむというような風ではなかったが、会話の端々に宿る柔らかさが、両者の間柄の親密さを物語っていた。

 

「……恐らく、遠くない内に“第五次”の悪夢が幕を開ける。その前に、僕は果たせなかった約束を今度こそ果たす。イリヤには怒られるだろうけど、せめて父親としてできるけじめをつけておきたいんだ」

 

 コートの男、切嗣はあの日と変わらない居出立ちでいた。変わったと言えば、今は煙草を止めた事くらいで、微かに硝煙を滲ませたコートに、恐らくその懐に備えた礼装も含め、彼は数年ぶりに“魔術師殺し”として赴く為に、この場に訪れている。

 

「娘の為にか、そういわれたら、私も強くは出れないな。力になれないのが申し訳ないが」

 

「それはお互い様だ。僕もあれから随分助けられた。あの時君がかくまってくれなかったら、僕は今頃封印指定されているか、いい実験材料だったさ」

 

 あの日、“第四次聖杯戦争”が終焉を迎えた日。冬木の街に、大きな爪痕が残された。

 テロやガス爆発による事故などと諸説流れ、それなりに世間をにぎわせていたが、流石に数年も経てば騒がしさもなりを潜める。今でこそあの更地は公園として再利用されている。駅からの立地や面積からそれなりに好条件を持っているが、原因不明の“大災害”を起こした場所を好んで利用する者など誰もいない。公園が立った場所の中心に立てられた慰霊碑と共に、アレは変わらず残り続けるだろう。

 “傷痕”を刻まれたというのはそういう事で、恐らく大本が消滅するまで元へ戻れない。そんな場所に変えられてしまった。

 

 今でも切嗣と、立つ事が出来なくなった時臣も、あの時の恐怖と絶望を忘れた事はない。

 ことが、四度目の聖杯戦争が終わったと結論を出してから、互いに諍う事無く聖杯を破壊しようと意見が一致した二人は今日まで幾度となくそれを試みてきた。結果は、現状、切嗣が彼のアインツベルン城があるドイツへと旅立とうとしている事からも窺えるように、いまだアレは健在だった。

 

 そして、今は亡きアイリスフィールとの娘、イリヤスフィールとの約束を果たす為、切嗣は単身冬木を離れた事は、これまで片手ではきかない程試みている。だがその度に、目に見えない何かが邪魔をしてくる。旅客機が不調を起こす事など移動中にトラブルが起きるのはざらで、酷い時はテロ騒ぎに巻き込まれた事もある。ようやく城がある森付近にたどり着いた時でさえ、如何に歩こうと、何重に施された結界を一つ一つ破壊しても結果は無情。彼は愛娘をその腕に抱くどころか、一目見る事さえ叶わない。

 その話は一度時臣に相談した事もある。彼曰くアインツベルンの魔術は強力だが、今の切嗣の“現状”を知る彼の意見では、外的要因がある筈だという。それがなんであるのか、時臣には心当たりがあるようだったが、彼はついぞ口を割る事はなかった。

 

「息子を頼む。少々根が曲がって育ったけど、芯のある人間にはなってくれたと思ってる」

 

「他ならぬ君の頼みだ、留守の事は心配しないでくれ。私の方でも、大師父に当れるか、歴代の当主が残してきた記録からもう一度この戦争について調べてみるつもりだ。何か解ったら連絡する」

 

 何度目の旅になるのか。

 あの“大災害”の折、切嗣は一人の少年に知り合った。

 周りが灰に散り、炎に焼かれた中で、奇跡的に一人だけ生存者がいたらしい。当然、幼い子供の両親はこの世になく、また親類の名乗りがなかった事からしばらく病院にいる事になっていた。世間にでれば報道の目が群がり、社会的に庇護が無かった彼が、病院を出れる事はなかった。

 事件から傷を癒し、事後処理に奔走していた彼等であったが、それを聞いた二人はすぐさま面会に赴いた。そしてその日、切嗣が子を養子にすると言い出したのだ。

 

 当時、隣にいた時臣に切嗣が何を思ったのかは知れなかったが、幼くして心に深い傷を負い、死んだような目で二人に誰なのかと問うた少年に、彼いても経ってもいられなかったのではないかと、時臣はそう思っている。

 

 そうして、少年も、時臣の娘も今では大きくなった。

 片方は魔道を知りながら深い関心は持たず。

 片方は真実の一端を知りながら、進んで魔道を志した。

 親からしてみれば家督を志してくれることは喜ばしい事ではあるが、二人の脳裏にはそれぞれ混沌の象徴たる二つの影がちらついてしまう。

 恐らく、きっと、切嗣の言うとおり、アレ等は再び冬木の地へと現れるだろう。今度こそ、世を修羅の道に染める為に。

 余興であり前座で、彼等は児戯と称して戯れに蹂躙する。その時は、あの日の比ではない被害が出るだろうと確信しているが為に、二人は今日まで模索していた。

 その成果が実を結ぶ事が限りなくゼロに近くても、あの時生残ってしまった者として、二人は背を向けて逃げる事だけはしなかった。

 

「衛宮」

 

 そうして、いよいよ旅立つとコートのポケットに手を入れて立ち去ろうとする切嗣に、時臣は声をかける。

 

「もし、止められないまま、遠坂の血脈に“令呪”が宿ってしまったら」

 

 仮定の話。切嗣が養子にした子は純粋な魔術師ではないのだから問題はないが、遠坂の娘が別問題だ。それも恐らくは確定している話で、断定できないのは不確かな希望に縋っているという事なのかもしれない。だが、その件の戦場に身を投じるのは自分の代である可能性が何処にあるというのか。息子娘の代であるかもしれない。孫の、曾孫の代であったり、その時自分たちは生きているのかも分からない。

 でも、だからこそ。

 

「ああ、その時は、今度こそ聖杯を破壊しよう」

 

 二人は変わらず、その命が潰えるまで、奔走する。

 耳に残る悪夢の象徴である二柱の笑い声が耳元で嘲笑う中、彼等はこの壊れた儀式を終わらせるため、背を向けたまま別れを告げた。

 

 あの“大災害”から、今年で冬木は三回目のクリスマスを迎えようとしている。

 冬木のとある地で、聖杯が静かに、だが確かに胎動を始めていた。

 

 

 






 という訳で、獣殿が最後まで掻き回してくれたENDを書いてみましたtontonでーすよ。

 長らくお世話になりました。“黒円卓の聖杯戦争”、本話で完結(仮)とさせていただきます。
 仮というのも実はの話、エンドをいくつか考えた中で選んだバットエンド。その途中で続編の構想を考え付いてしまったというのがあります。内容の断片的なのは活動報告や某所で呟いておりましたが、このEND後の“第五次聖杯戦争”というものです。同じ小説として書けばいいとも思ったのですが、内容的に“黒円卓”のタイトルと矛盾が生じてしまうので別の作品と区切って書いていこうと思います。取りあえずはプロローグを書いている途中ですが、経過についてはまた活動報告で上げようと思います。夏にむけてだんだん暇が減っていくので(震え
 それでは、あとがきがまた長くなりそうなので今回はこの辺で、そのうち番外編的なのも書くかもしれないですね。その時はよろしくお願いします。

 それでは、今まで本作にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
 興味を持っていただけたら、また次作でお目にかかれたら嬉しいです。


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