黒円卓の聖杯戦争   作:tonton

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「暗転」

 

 

 

 “冬木市民会館”後天的に霊地としての格を得た場所だ。此処でいう霊格は“聖杯”を降霊させうる条件を備えたという意味であり、冬木市が有数の霊地とされていてもその儀式に見合う条件を揃えたのは僅か四ヵ所のみである。となれば、それが如何に稀有であるのかは想像に難くない。

 また、近代化と共に尚開発が進む“新都”の開発シンボルともされる場所だけあって周囲は新興住宅に囲まれている。広大な面積を誇り、周囲に期待されている計画ではあるが、流石に住宅地が密集しているだけあってこの時間に工事関係者が作業もしているはずもなく、また、深夜の工事現場は墓地や廃ビルの様に人気の寄り付き辛い場所でもある。

 となればだ、“聖杯戦争”の舞台としてかなりの好条件を有していると言えた。

 

 

 

 まるでこちらを誘うようにその速度を落として揺れる端末上の光点を確認し、市民会館近くに到着した切嗣は乗りつけたバイクを逃走手段確保の為に簡易の魔術で視覚遮断処理を施す。

 改めて確認した端末はすぐそこの工事用の敷居を跨いだ先、こちらの思惑通り建設途中の市民会館を目指して明滅している。こちらの接近には気づいているだろうに、此処までの追跡過程に介入する素振りすらないそれは相手の余裕の表れなのか、単にこちらの罠を突破するだけの自信があるのか。

 どちらにせよ、此処で迷っている時間は無為でしかない。ならと一拍を置いて切り替えた彼はバイクの後部に取り付けられていたケースから、彼の礼装―――というにはあまりに無骨な銃器を取り出す。

 既に周囲の気配探査は終えている。素早く状態を確認して弾倉を取り付け、予備をコートの内に潜める。

 これが彼の礼装、いや、戦場に向かうにあたっての装備だ。

 その徹底して己が培う魔術すら手段の一つとする彼の認識は通常の魔術師とは異色と言っていい程かけ離れている。己のみにならず、血筋、代を渡って継承され、研磨して高め往くのが魔道なら、彼は魔術師とは別モノであるといってもいい。

 そんな彼は装備を一通り確認し終わると間を置かずにその現場へ身を潜めていく。

 この時間になれば街灯と言った明かりもあるのだろうが、工事中であるこの場にそんな気の利いたものはない。事故防止用のコーンとバーを目印に端末を片手確認しつつ慎重に、且つ迅速に移動する。幸い、障害物となるものには困らなかったのでルートの選択は選り取り見取りだ。

 素早く狙撃ポイントを確保した切嗣はその場に身を横たえ、端末を今一度確認して敵の姿が現れるのを待つ。

 そうして件の会館前、開けたそこは月夜の光を受けて光るステージのようでもあり、否が応にも不吉な、囚人に対する断頭台を連想するイメージを持たせる。

 そんな中に現れた無機物とは異なる二つの人影。

 

「―――ごきげんよう。月が綺麗な夜ね」

 

 その内の一人が、まるで出先の何気ない挨拶の様に気安い風に言葉を投掛けてきた。

 その位置から切嗣が潜む場所は只の物陰としてしか目に映らない筈であり、当然物音を響かせるような愚作を晒す彼でもない。だというのに、その人物はスコープ越しに狙いを定める切嗣と視線を合わせてきたのだ。

 この位置を看破する敵は特殊な“目”の様なものを持つのか、或いは何某かの高等な能力を持つとみてもいいだろう。

 つまり隠れている必要性は皆無となれば――彼はその影に潜むのを止め、無抵抗を装う様に両手を頭の高さまで上げながら月明かりにその身を晒す。

 

「…………」

 

 改めて目に映るのは見目麗しい長身の妙齢の女と、その半歩後ろに立つ20代前後と思われる少年だ。隣に立つ女性がその平均より高い身の丈の為か、それより低い彼はその予想される年齢より若く見えてしまっている。

 そして、その少年は切嗣達が聖杯戦争参加にあたって集めた資料の中で見た少年と特徴が一致する。

 名を、“ウェイバー・ベルベット”。

 魔術師達がその魔道を研鑽し、その暴発を抑制、管理する機関、“魔術協会”という自営団体がある。その機関の一角を担う魔術師達の総本山ともされる“時計塔”という組織に席を置いていた若輩の魔術師だ。

 ただし、組織に席を置くと言っても彼の扱いは世間的に言えば学生の様なものであり、彼のケイネス・エルメロイ・アーチボルトの様な高位の魔術師とは比べるべくもない。

 ならなぜ彼の様な人物の資料が切嗣達の目に留まったのか――実は、件のケイネスは時計塔に席を置く、所謂教師の様な立ち位置であり、此度の聖杯戦争参加は周知に知れる事を憚らない気があり――寧ろ自身から広めていた面もある――切嗣達はそんなケイネスの動向には殊更注視していた。

 そんな時である。英霊召喚の触媒となる聖遺物も取寄せ、いざ冬木の地へ赴かんとしていたその身に届いた一つの訃報、肝心の聖遺物が紛失したというのだ。この事件に対するケイネスの怒りは相当だったと聞くが――重要なのはその紛失した時期と時を置かずして身を暗ました一人の人物がいたのだ。

 

「……ウェイバー・ベルベットだな。成程、時計塔での“聖遺物紛失事件”の犯人見たりといったところか」

 

「――っ」

 

 それが目の前の少年―――ウェイバーである。

 彼については他に目につくような事件、評価は特に出てこなかったが、問題の紛失事件と全くの無関係と思えず、念の為に資料は揃えていたが、切嗣達もそれほど重要視していた訳ではない。それだけに、予想外でもあったが―――同時に想定内でもあり、驚異と推察していた相手の正体が判明すればそれは許容範囲内の敵性であるという事。

 

 だが――

 

 それで目の前の女性を軽視していい判断材料にはならない。

 何故なら、今の解釈が正しければ、彼女こそは本来ケイネスが聖杯戦争参加の為に、最初に選定したサーヴァントである可能性があるという事に他ならないからだ。

 見目麗しい女性、ラインの主張が強いタイトな服装に際立つ肢体は男好きしそうな、ある種の造形美を宿した彫刻の様に艶を宿している。が、アレは誘惑するなどという安い表現には収まらない。妖艶な美女然とした風体はそのまま戦闘に基くサーヴァントらしからぬ印象を与えるが、纏う雰囲気は艶とは対極的に剣呑なものだ。その美々しさからさながら毒婦のようと、まるで最初の印象と真逆のイメージを連想させる、そんな怪訝な様を醸し出している。

 

「――だ、だったらどうしたって言うんだ! 聖杯は僕の才能を認めたんだっ、このラい――」

 

 どうやら、年若いマスターはあまり駆け引きには慣れていない様子だ。

 確証もない筈の問いかけに対する竦む様な反応といい、沈黙を耐えきれない性分といい、総じて若さが目立つ。やはり見た目通り、コレは大した障害じゃないのかと切嗣が認識を固めようとして――その主人の前に立つ女従者はその手をかざして主の言の先を押し止めた。

 

「な、ちょ、お前――」

 

「態々ご招待してくれた事、まずは主に代わってお礼を言わせて頂こうかしら」

 

 マスターとして彼なりの理想像というものがあるのだろうか、虚勢を塗りたくる様にして精一杯張った見栄を挫かれたのが、余程慙愧に堪えないという風に自身のサーヴァントに抗議する事でなかった事にしたいのだろう。が、その慌て様から逆効果の様に見えるのは気のせいだろうか。

 対照的に女が落ち着いた言動を保っているだけに、これではどちらがマスターなのか、ともすれば子に対する親の図であるといえよう。

 

「――けど、申し訳ないけど、こちらの事情で今即戦うのは遠慮したいの。もちろん、貴方がこの場で戦えというのなら、話は別だけどね」

 

「戦う気はない、か。進路を変更し、こちらの誘いを知りながら足を向けた敵を前にそれを信じろと?」

 

 その印象に違わず、場を仕切るのは女サーヴァントだ。

 この場所を選定したのはこちら側だし、都合もあるが、その選定を承知で挑んできたの間違いないのだ。戦闘に至っても周辺への隠蔽は容易、その点を考慮しつつそれでも問題ないとして挑んでくる気概、それを含む進路変更といい、棘のない風体と言葉にする穏便な物腰からは受ける側に言葉通りの物受けをしてしまいそうにさせる――やはり、このサーヴァントは危険極まりない。

 

「確かに、勝手な物言いなのは承知しているわ。まあ、周りの被害を考慮しての人気の無い場所の選定にはこちらも同意できるし、貴方が戦闘一辺倒の人間じゃないのはわかったわ。けど、女性の前で凶器を隠したままテーブルに着くのは感心できないわね―――折角の月の下だもの、話をする意思があるというのなら、まずはその服の下に忍ばせた銃を収めてくれないかしら?」

 

「え―――銃!?」

 

 そうして切嗣が機を窺いつつ服に忍ばせていた銃を取るか、袖の下にギミックと共に仕込んだスタングレネードを取るかの僅かな逡巡を巡らせた時、微かな彼の変化を読み取る様に彼の武装を看破して見せた女。その傍で仰天する彼女の主人を見れば、その慧眼が卓越したものだとわかる。

 

「銃って、お前――いくらなんでも相手も魔術師だぞ! そんな近代装備なんて――」

 

「ええ、私もまさかとは思ったけど……生前の性の弊害――この場合恩恵とでもいうのかしらね。有体に言えば鼻が利くのよ。そうでなくても、そんなに火薬の臭いを服に染み込ませていたら、無視する方が難しいんじゃないかしら」

 

 若輩とはいえ、その身は魔術の総本山である“時計塔”で学を研磨していた身だ。その彼の持つ“常識”に照らし合わせれば彼女が述べる事実はひどく歪なものに聞こえたのだろう。いや、真っ当な道の魔道を学んだ者にとって、これが切嗣に抱く印象として正常なのだ。寧ろその事実を受けて尚平然と相手を窺うに留めている女の方が異常である。

 

「――それで、こちらの進路を塞いだのは交渉に来たのかしら? それとも、戦いに来たのかしら?」

 

 語尾に殺気が強みとして一瞬籠った問いかけに思わず固唾を飲む切嗣に対し、それで彼の意を察したのだろう。ひどく残念だという溜息と共に彼女は首を一振りし――その伏せていた顔を上げてこちらに視線を合わせてくる。

 

「―――そう、なら仕方ないわね」

 

「っ!?」

 

 その変化に切嗣が気づいたのは偶然の僥倖――されどそこは既に死地。

 頭上に煌く銀光は鈍い輝きを備えた鋭い刃の存在を明示するが、それを認識できる距離という事は既に回避を許さない。

 人にとって只でさえ頭上は死角であり、会話を投げつつも確りと相手に必殺の機を窺う抜目の無さは目を見張るものがある。

 ともあれ、その一撃を受ける切嗣にとってはその先を志向するなど無為でしかないが―――

 

「……あら、どういう絡繰りかしら」

 

 まさに刹那の出来事、月光に凶刃が瞬いた一瞬の出来事、その結果は女の攻撃が不発に終わるという結果を月の下に明示している。

 相手の把握より己の生存を優先させる場面で冷静に分析など出来るはずもないのは確かだ。が、確かに間違いなく頭上に現れた凶刃は次の刹那に彼を貫いていた筈である。だというのに彼の立ち位置はその着弾点より遙かに離れ、敵と数メートルの距離を離している。

 

「今のはそうそう避けれないように放ったつもりだったのだけれど……」

 

 そう、サーヴァントであれば刹那の攻防というのは何ら不思議ではない。だが、サーヴァントである彼女に切嗣がその手の英傑でないという事実は問うまでもない。なら、今のは只の魔術師である筈の敵の手によって己の必殺を捻じ曲げられたという事になる。

 

「―――気が変わったわ」

 

 故に、此処で初めて構えらしき動作を取った彼女にとってこの一連の攻防は癇に障ったのだろう。

 英霊であるその身の一撃を、見た目通常の魔術師である男によって無きモノにされる。有り得なくは――ない。だが、その卓越した技能、もしくは技巧は危険視してもいいレベルなのは最早疑いようがない。

 邂逅したその瞬間にはまだ彼女も切嗣の事を舐めていただろう。所詮魔道に傾倒した身であろうと、その程度は知れていると。

 

「その奇妙な術といい、武装の選択といい、あなたの様にアサシン染みた人間に戦場を掻き回されるのも、煩わされるのも面倒だもの―――ここでご退場願いましょう」

 

 だが――ふたを開けてみればどうだ。

 先の一撃から見てこの敵は何某等の手段を持っている。それも一目では看破で着ないくらい複雑な何かを――それを見極めるには慎重を重ねる必要があるが、いや、迅速を心がける必要がある聖杯戦争に長期戦というのは本来下策だ。

 何より、思い返すでもなく目の前の男は神秘も持たない一魔術師、ならば如何に摩訶不思議な技を持とうと、此処で潰すのにその程度は何ら障害にもなりますまい。

 そう断じて構えを流動させる彼女の手は虚空を走る。まるで宙に絵をかくような動作だが――その印象を覆す禍々しい気が大気に充満しだした。

 

「抵抗は無意味よ。今度は外さない、文字通り手加減はしないわ――だけどせめて、楽に行けるよう一瞬で送ってあげる」

 

 その背後に濃密な霧が影を色濃くするように顕現していく。

 形を成すように集積していく霧は魔道を収め、戦場を駆け抜けた切嗣をしてめまいがする程――いや、殺意に触れるのが日常の戦火を潜り抜けた彼だからこそ肌で感じられるものがある。

 ―――あの霧は狂気と殺意の塊だ。

 

「くっ――time al―――」

 

 交戦は不可だ。

 敵は間違いなく先程の遊びの様な一撃ではなく、英霊本来が持ちえる攻撃手段で相対してきている。神秘とは常人に理解も及ばない、触れえないからこそ奇跡なのだ。その領域に至らんとするのも魔術師の命題の一つだが、魔術師として異端の切嗣にそれに対抗する攻撃手段は持ちえない。

 故に咄嗟に取れる行動とは令呪による切り札、そして、先程見せた神業めいた回避の秘術。前者は精神の安定を大前提とする為、切嗣がこの場で頼りとしたのは慣れ親しんだ己の術による回避だ。

 その術は主の魔術回路に走る魔力を鋭敏に感じ取り、即座にその体へ変調を及ぼす―――

 

『――――Gedränge(潰しなさい)

 

 対して彼女の行動は霧を集積させた魔技の後に取った行動は単純、一言による思考命令。

 その言に従う影、顕現する人に近い形を保ったそれはその虚無な姿に反して俊敏な動きで距離を詰めにかかる。もし、切嗣がセイバー召喚の為に令呪使用に気を割いていたのなら、事は一瞬で決していただろう。それ程までの速力を誇る一足は場にある筈の無い踏込みによる大気の鳴動を錯覚させる程だ。

 対する切嗣もその技によって何とか距離を開けているが、彼の秘儀はその性質上、連続で使用できないという構造的欠陥を持っている。相手の虚をつく一手としては有効だが、戦闘手段として、それも常時使用するとなれば魔力が枯渇する前に体が熱暴走で内部から焼き切れる。

 故に、この勝負は初めからセイバーを召喚できなかった時点で詰んでいる。

 3回連続しただけで悲鳴を上げる身体に恨めしく思うも迫る凶刃に慈悲というものはまるで感じられない。

 此処までかと切嗣がその敵を目に据えた時――

 

「―――ハァアア!!!」

 

 彼と霧を隔てる様に現れた一条の銀光が迫る凶刃を弾き飛ばした。

 それは清浄という言葉を体現するように青白い透明度のある光を湛えている。この秘術を見間違うはずもない、それを解放する事を躊躇っていた人物は非常時ならば止む無しと迷いの無い表情で霧と、その向こうに佇む敵サーヴァントを睨む。

 

「っ、セイバー! なぜここに」

 

「舞弥から連絡を受け、アイリスフィールの命により単騎で急行しました。一応、無事な様で一安心しました」

 

 そう助勢に来た女従者の姿に驚愕する切嗣に簡潔に答えるセイバー。よりにもよって単騎で来たという事は、彼女達を最後に確認していた地点からここまで疾走して来たという事になる。車等の移動手段でも優に十数分は下らない距離を己の足で踏破するその脚力は英霊の名は伊達ではないという事の証明であり、増援としてこれほど頼もしい者もいないだろう。

 だがしかし、彼女はアイリスフィールの警護をしていたはずだ。それがここにいる以上、現状の彼女は切嗣の懸念通り無防備という事になる。その事に思い至った彼はすぐさまアイリスフィールの安否を尋ねるが―――

 

「彼女は“城”に送り届けました、舞弥も既に合流しているはずです」

 

 自身の伴侶を心配しておいて、その実伴侶、部下の采配によって生きながらえる。男としては情けない限りだが、死んでしまってはこの汚名の返上も、彼女達への感謝も伝えられない。

 まったく、自分は人望に恵まれているのかいないのか、己の、少なくとも平坦ではなかった人生を鑑みてため息を零した切嗣は直ぐに気を切り替える。

 

「それよりもあの霧とサーヴァントは……」

 

 セイバーの言葉にしたがって眺めるその先には、より形を明確にした“霧”がその後ろのマスターとサーヴァントを守る様に漂っている。その姿は先程よりもより人に近い手足を形作っているが――どういう絡繰りか、酷く視界で捉えずらい。簡単に言うとアレは“見えずらい”のだ。

 

「後ろのサーヴァントによる召喚魔の類だろうが――その身に纏うのはステータス、素性隠匿用の魔術、の様なものだろう。本来サーヴァント自体を隠すものだろうが……」

 

「ええ、見えにくいというのは中々に厄介ですね。身の丈はおろか、アレが持つ獲物もわからないとなれば――」

 

 姿形どころかその手に持つ武器すら覆う“霧”は視界情報を悉く妨害する。そこに敵がいる事はわかるが、何を持ち、どれだけの被害が及ぶのかは相対する者が想像と経験による勘で防ぐしかない。幸いその攻撃に移る際の動作や方向程度は判別がつくので、セイバー程剣技という接近戦に精通した英霊なら対処も可能になる。

 

「ですが、あの程度の小細工が全てならこの剣にかけて次は即座に切り伏せます。サーヴァントの大凡のステータスは?」

 

「ステータス全般は君に及ぶべくもない。唯一魔力値が他の能力に比べて飛びぬけている事を見ても、アレは典型的な“宝具が優秀な英霊”と見ていい。つまり――」

 

「宝具を、真名解放させるまでもなく叩き切ると……なら、アレは私が抑えます。切嗣――貴方は敵マスターを」

 

 となれば配役は決まったと切嗣の前で霧を抑えるセイバーを一瞥して敵マスターを視界にとらえる切嗣。そう、ここにきて形勢は一気に振出しに戻っている。

 敵クラス、残るクラスとはつまり騎乗兵(ライダー)だ。

 ライダーは必ずしも武功が優れているという訳ではなく、その宝具も高い機動力を有したもの、或いは強力な宝具を数多く所持するというクラスだ。サーヴァントの宝具が自身のステータス以上に強力というのが例にある以上、即時の決着が望ましい。強力とされる宝具を、なにもその解放まで見守る必要はないのである。

 であればと切嗣達が踏み込もうとするのに対し―――どういう訳か相手側、そのサーヴァントの戦意が霧が晴れる様に霧散していく。

 

「……とんだ邪魔が入ったわね」

 

「な!? ここで退くのかライダー!」

 

 ウェイバーが驚嘆するのも無理はない。そもセイバーの介入直前まで己のサーヴァント、その能力で持って相手を圧倒してたのだ。いくらセイバーの介入があったとはいえ、目の前で敵マスターを脱落させられる機会というのは中々に反故にし難いものがあるのだろう。

 だが、切嗣の考察通り、目の前のサーヴァント、ライダーはやはり冷静だ。言葉としてはしてやられたと言っているが、現状の戦力が思わしくない事を認めている。戦場において指揮を執るものが不利を認められないというのは多々ある事だ。それは目の前のマスター、ウェイバーを見てしてもわかるが、人は不条理に対しては認識が甘くなる。それを即座に勘定できるあたり、このサーヴァントは組敷難い。

 

「マスター、引き際を見極める目も時には重要よ。先の戦場でも同じだけど、この地の敵は相手の内情を探ろうと今は躍起になってるわ。そんな中で戦闘を長引かせようものなら―――どうなるかはわかるでしょう?」

 

「――っ、わ、分かった! この場はお前の言葉に従って退く事にするっ」

 

 ライダーが唱えたのは聖杯戦争における常道だ。それを聞いてウェイバーも己の失策を悟ったのか、顔に冷や汗垂らしながら現状を鑑みても今が何を優先すべきか順序づけたのだろう。

 もしかすると、彼は若輩故に柔軟であり、それ故に魔術師独特の凝り固まった思考というものが薄いのかもしれない。そう切嗣が危惧しかけたが、撤退を決めてからのライダー陣営の行動は速かった。

 

「おいセイバーにアサシン擬きっ! 今回は退いてやるが逃げる訳じゃないからな、次は絶対っボクが勝つ!」

 

 人型の霧は攻撃手段を有するだけあって質量を有するのか、その手と思わしき部分で主であるウェイバーとライダーを抱えて頭上高く飛び退る。その膂力たるや背後の会館をやすやすと飛び越える程であり、やはりアレはライダーが召喚したものであるが、下級の使い魔というレベルは超えている。セイバーの出現に向こうが退いてくれる形となったが、あのまま戦い秘奥を解放されていたら――事態がどちらに転がるかは想像に難い。

 追撃はいいのかと目で問うセイバーに対して首を一つ横に振って否定する。

 向こうが撤退してくれる以上、追う必要性はない。そもそもライダー達との接触もその進行ルートがアイリスフィール達の撤退先に被る危険性があった為に足止めに出たのだ。結果として彼等の追跡は止められ、当初の予定とは違い、秘奥を垣間見るまではいかなくてもその素性は幾らか明らかにできた。いや、流石に宝具の撃合いになればここ等一帯も無事では済まない。そう考えれば無為な戦闘をせずに収められたのだからこれで良しというものだ。

 魔術行使による疲弊をセイバーに悟られないよう二、三確認して彼女には先にアイリスフィール達に合流してもらう事にする。まるで彼女を邪険に扱うような対応だが、それというのも騎士の清廉とした彼女の風体と、戦場の殺し屋であった彼との性の違いからお互いの主張が真反対というのが原因だ。おそらくこの確執はそうやすやすと埋まるものではないだろう。今回であれ、緊急事態という事で即席の共闘紛いの状態を築く破目になったのだが。

 本来のマスターである切嗣が表舞台をアイリスフィールとセイバーに任せるというのは己を単独にして動きやすくするというのもあるが、何よりその精神の摩擦によるところが大きいのかもしれない。

 駆けつけた時の様な紫電を纏う雷速の疾走――という訳ではないが、常人を凌ぐ速度で“城”に待つアイリスフィールの元へと駆ける彼女を見送り、今日邂逅した敵を順に思い浮かべては情報を整理する切嗣は、既に次の戦闘に意識を切り替えていた――――

 

 

 

 

 

 

 

 冬木市は移住民が多かった為か、その町に新都、深山町に限らず、洋風な街並みを多く見受けられる。その影響か、新都の丘の上には広大な面積を誇る教会が建てられている。

 名を“冬木教会”と呼ばれ、その道に傾倒した者、教会にて祝言を上げる者達から親しまれているが、この教会はもう一つ、そういった街の象徴とは別の顔を持つ、それが件の聖杯戦争、そのルールが逸脱しないよう隠蔽、管理を司る機関の調停を担う“監督”である。

 それには聖杯戦争中の被害の事故処理も含まれており、先のセイバー達が遠慮なく蹂躙した埠頭の隠蔽工作もその“監督”役達の仕事である。また、聖杯戦争中、敗者であるマスターが無用の被害を受けないよう敗北を受け入れたマスターを保護する役割という側面もあるのだが――

 

「――――っ」

 

 そんな教会の中廊下、通常、礼拝に訪れる信者たちですら早々お目にかかれない質素でありながら洗練された内装を苛立たしげな歩調で進む男の影が一人。

 彼こそ七人目のマスターにして、早期に令呪を賜り、此度の聖杯戦争で最初の脱落者とされた男、“言峰 綺礼”である。

 聖杯戦争、そのサーヴァント・マスターが出揃い、いざ決戦の火蓋は落される――そう誰もが思った夜、彼はあろう事か御三家の一角であるとある魔術師の居城を強襲、ものの見事に返り討ちにあって令呪を消費する事無く己のサーヴァントを失ったのだ。

 つまり、その彼が教会にいるという事は己の敗北を受け止めたという事であり、脱落者の席に甘んじたという事に他ならない。通常、脱落したものはその安全を保障する代わりに原則出歩く事に制限がつくが――彼の足取りは明らかに外界を根歩き、そこで起きた出来事にひどく憤っている様を窺わせる。

 既に聖杯戦争に負けた身で何を憤るのか、そう疑問を思わせる風体で教会の一室――おそらく彼に宛がわれた部屋――の扉を開け放ち、彼の趣味なのか奥に陳列した簡易式のワインセラーからその内の一本を取り出した。

 

「おやぁ、いかがなされました?」

 

 そんな時である。

 この場には言峰 綺礼以外の人間は存在しない筈だというのに、愉快気に笑うこの耳に障る声はなんであるのか、姿は見えず、綺礼の趣味なのか必要最低限の物を除いてそこに身を隠すものなどある筈もない。後ろのワインセラーなどが異彩に珍しいだけで、それだけにこの部屋の主は遊びがない性分なのだと見るモノに窺わせる。

 なら何者が――

 

「……アサシンか」

 

 そう問う筈である綺礼本人はまるでその闖入者が既知の者であるのか。殊更驚くでもなく、それが当たり前かという風で、若干の煩わしさを感じさせる様に呼びかけた。

 

「何をしている。お前は公式には“消滅”しているはずのサーヴァントだ。幾らここが不可侵とはいえ、その存在を知らしめる行為は不用心にも程があるぞ」

 

「これは失敬を……いえしかし、私は単に我が主が珍しくも感情を露わにしていると物珍しくて声をかけた次第でありまして」

 

 しかし、これはおかしなやり取りである。目に見えない相手に話しかけている独り言染みた光景がではない、その相手の名前が問題なのだ。

 埠頭でその姿を晒したサーバントは5騎、セイバー、ランサー、アーチャー、バーサーカー、そしてキャスターである。そして先の冬木市民会館にて姿を現したライダーのサーヴァント。これで現在確認されたサーヴァントは6騎となり、現行で存在するサーヴァントの全てである。

 そう、埠頭での乱闘騒ぎが起きる前に脱落している筈の言峰 綺礼とそのサーヴァントを除いて、残るマスターとサーヴァントは6組でなくてはおかしいのである。

 だというのにこの綺礼なる人物は姿無き声に対して“暗殺者(アサシン)”と呼んだのだ。

 有り得ない事態である。その件のアサシンとは消滅したはずのサーヴァントで、その事実は御三家を襲撃するというネームバリューも相まってか他のマスター達も目にしている。あの消滅は紛れもない事実の筈なのである。

 

「―――そう、貴方ともあろうお方が、今日は些か険が立っておいでの様子となれば……」

 

 だというのに、事の次第がおかしくて堪らないと耳につく笑いを控える素振りもなく徐々にその場に像を結ぶ男の姿。

 その身は長身でありながら痩身であり、細くその身から伸びる四肢はどこか蜘蛛を連想させる男だ。病的なまでに白い肌に彫が深いせいで陥没して見える目元、その奥に光る狂気の色を見ても、彼が常人であると断ずるのは難しい。

 であれば、彼は紛う事無きサーヴァントという事になるのだが―――

 

「いや、しかし、件の“死体擬装”といい生前の業がこうも役に立つとは、人生何が待ち受けるのかは分かりませんねぇ……あ、いえ、もちろんマスターである貴方のご助力あっての事、おかげさまで私は動きやすい事この上なく――貴方には感謝していますよ綺礼」

 

 つまり、件の脱落はこの主従の偽装に他ならないという事、アサシンの保有するスキルにその手の工作技術は含まれていないが、暗殺者という意味合い、間諜の英霊というのはその手の能力を持つ者がいても不思議はない。つまりこのサーヴァントは自身のスキル、そして綺礼の何らかの助力によって他のマスター達の目を欺いたのである。

 

「険? 私が?」

 

 アサシンの言葉にこれまでの憤怒はまるで彼の思慮外だったのだろう。ともすれば自分が何に対して憤っているのかも理解しているか怪しい自身のマスターに、これは愉快と笑うサーヴァントは口を閉じる事無く言葉を繋げる。

 

「然り、ご自覚が無いという事は、成程成程、それほどまでの落胆とは―――そうまでして“彼”に合えなかったの事はご不満ですかな?」

 

 傾げる様に尋ねるアサシンの問いの中心である“彼”、それは綺礼自身、問われてみれば確かにと己の中で形が不定形だった憤りが像を得ていく。そう、この感情は期待を裏切られた事による理不尽な怒り、曲がりなりにも聖職者である筈の彼が抱いてはいけない筈の感情だ。

 

「“衛宮 切嗣”、幼い頃より戦地を転々とし、フリーランスの傭兵紛いを生業とした殺し屋……しかし、その裏では魔術師専門の殺し屋として悪名を轟かせていた危険人物――これだけ聞いていると私には彼を危険視する事はあっても別段それほど興味はそそられませんがねぇ」

 

 そう、彼が会えなかったというのはその衛宮 切嗣に他ならない。今夜の乱戦で素性が知れたのはセイバーのマスターであると思われるアインツベルン、そしてランサーのマスター、外部からの参加者であるケイネスである。

 戦場において効率的に戦火を平定、ないしその火種を屠る彼の経歴からすれば素性の知れたマスターを生かしておくとは思えない。ならば、当然今夜あたりにランサー陣営はその居城を襲われるだろうと予想するのは容易い。その居城にしても、件のケイネスは余程己の防備に自信があるのか隠す素振りすら見せなかったが――その場、或いは暗殺に適していると思われる場には彼の影も形もなかったのだ。所謂空振りである。

 しかし、何故綺礼はこうまでして衛宮 切嗣を追い求めるのか、彼の所業、“魔術師殺し”の異名に道徳観念が許さぬと言っているのなら信心らしくもあろう。だが、この男はその手の感情は希薄であった。いや、元来からして“言峰 綺礼”という男は空虚な男だった。

 彼は物心ついたころから世間一般が持ちえる価値観から擦れていた。

 曰く、他者が崇拝する理念に理解が及ばない。

 曰く、誰某の探求に見出す過程に快楽を見いだせない。

 曰く、憩いである筈の娯楽、興じるといった愉悦を感じ得ない。

 彼は一般人が大凡持ちえる価値観から乖離してしまった自分を悔い、恥ずべき者だと断じて己を清く正しくあれと律してきた。

 教会の教義に身を置いているのもその為だ。神の身元で崇高とされる真理に導かれればこの不徳も正されるのではないかと、そんな期待を抱き、また希望を抱き救いを希うのなら信徒として理想の徒で在らんと己に厳しくあったつもりだ。

 だが、現実とは無常であり、此処にこうして魔術師の闘争に身を置いているという事はその身に答えを得る事はなかったという事に他ならない。

 師曰く、聖杯とはより真摯にそれを必要とする者に己が所有権をめぐる闘争に加わる権利を与えるのだという。

 その言葉に従うのなら、権利の証である令呪を与えられた綺礼は聖杯に願うべくする願望というものが存在する筈なのである。だが、生来己が出会う全てに情熱も意欲もそそられない男が願望器たる聖杯に願う欲がなんであるのか、彼自身問いかけたいほどだ。あるいはその答えを得る為に彼は聖杯戦争に参加を決意したのかもしれない。

 そんな折である。師となる男が集めていた敵の資料、その一つに記されていた男の名前が目に留まったのは―――

 

 その資料に記されていた男の情報は、綺礼をもってしてもハッキリと歪だと言わしめるものだった。

 リスクを度外視した戦場と戦場を渡り歩く行為、それも彼が戦地に赴くのは決まってその戦火が苛烈となった場合が多い。それが金銭目的というのならあまりに非効率的だ。そもそも、こなす戦場の数が尋常でなく、その渡来する期間も非常に短い。まるで死地に赴く事を是としているような、自己とリスクの釣合いの取れていないそれはその男が自己利益の為に戦地を転々としていた訳ではないというのが綺礼の印象だ。

 

 ――では何の為に?

 

 考えれば考える程思考の坩堝に嵌っていく。

 試練を求める苛烈な殉教者の如き彼の足跡は綺礼にとって他人事とは思えない、であるのならば、彼も自身の様にその時、何かに迷い絶望していたのではないのか。そう思えてならないのだ。

 

「……だが、彼はある時期を境にその足取りを途絶えさせている」

 

 彼のアインツベルン、その城に招かれて以来、彼の戦地に赴く巡礼は途絶えている。そして、此度の聖杯戦争にて今一度彼は戦場に立つ事を選んだのだ。

 

「つまり――その時きっと彼は、答えを得たのだ」

 

 彼の地で得た何かを、それを掛けるだけの願いを得て聖杯に願うべく望みを遂げる為に。

 ならばそれは言峰 綺礼にとって、是が非でも問い乞わなくてはならない。

 何を求めて戦火を潜り、その果てに何を見て何を得たのかを――

 

「“衛宮 切嗣”あの男を知る事が出来れば、私が求めるモノの形もまた知る事が出来るかもしれない――」

 

 そうして虚空を見つめる男の胸に伝来したのは啓示にも等しい予感めいた何かだ。

 核心には至らない、だけどこの戦争の果てに自身は何かを形作る事が出来るのではないかと、願望にも似た期待は何時しか願いから確信に近い形に昇華されて彼の心中を占めていった。

 

 

 

 






 どうも、お騒がせしつつも5話投稿には間に合いましたtontonです。
 あれですね。構成の練りが甘いと痛感しました。他にも直したい部分はありますけど、しばらくは更新優先で行きたいと思います。前話の直した部分は切嗣の敵に挑む感情描写全般ですね。切嗣が己の身を危険に冒すのなら、やはりそれは誰かの為でなくてはならないと思い改変しました。
 そして今回でサーヴァントは一応すべて紹介が終わりました。一名『俺は?』と抗議する声が聞こえなくもありませんが、あの人は勝ち組ポジらしいので取りあえず封殺しておきます。某ストーキング神様曰く『私が法だ異論は認めん――』といった感じですかねw
 ライダー枠についてはいろいろご意見も予想されますが、他のメンバーを考えた時にこの枠だけ三騎士以外に候補がいないという衝撃……あれで投稿まで踏み切れなかった時期がありました、ええ。ですが、そこは言葉遊び的に頭をひねり、彼女が“■■を駆る”者であるその能力を鑑みて、候補に挙げられるかと愚考した為の配役です。後はウェイバーと組ませた時に無理があまりないかなと考えたのが主因です。
 最後に長くなりますが、執筆中に思い至った小話を一つ――
 作中でアイリ達が“城”と称されるアジトに行く描写が今回は多かったのですが、私の脳内変換で城=グラズヘイムになっていた混沌変換(苦笑 舞弥が案内先を間違うにしても、グラズヘイムはちょっとww 閣下自重出来ないからって城に客を招くのは勘弁してください。女性呼んだらエレ姐さんが烈火でヤバイからマジ勘弁っ(焦

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