……何も、起きない?
「あ、あの……流歌さん。これは一体……?」
目の前に広がるおかしな光景。ここは魔女の結界に違いないはずなのだ。だけど、一向に使い魔が襲い掛かってくる気配がない。
「何があっても驚かないでね」
「……え?」
私の手の甲に紋章が浮かび上がる。斧の様な角が生えた牛の顔面。これが斧の魔女の……絵理の口づけ。
これはあくまでサインだ。絵理を呼ぶための。私の足元に同じ模様が浮かび上がり、夜の公園を侵食するように闘牛場が現れる。
「おいで、絵理」
血の様な色をした結界の空から斧が落ち、私の目の前に突き刺さった。
「え、あ、それ、えぇっ!?」
仁美は今起きている事を理解できていないようで、言語能力の崩壊が始まっている。
塔の外には何も居ないのかもしれない。ならこの結界から出るためには……。
「仁美、ついてきて」
「ぇ、ぁ、はい!」
斧を持つ手とは逆の手で仁美の手を掴み、走り出す。鈍い銀色に輝く塔の扉を蹴破り、侵入した。
「い、一体ここは何なんですの?」
その質問には答えない。一般人に知られたところで、面倒以外の何者でもないのだ。
塔の内部は、外から見た塔よりも随分と広かった。魔女の結界だから、空間が歪曲しているのかもしれない。
私は塔の中から天辺を見上げる。レースに使われるような道路が、8の字を描きながら段々と上へ昇っていく。この道を進んで魔女のもとに行け、と言うことなのだろう。
「絶対に、離れないでね」
斧を両手で持ち走り出す。緩い坂の道路を走っていると、上の方からエンジン音が聞こえてきた。
「――来た!」
でもそこまで強くはなさそうだ。あれはきっと使い魔なのだろう。
『BRRRRRRRRRRRRRRR!』
2台のバイクが並走し、サドルから生えた『知恵の輪』によって結び付いている。
「バイク、かぁ。ガラの悪い魔女だね」
五月蝿くてしょうがない。使い魔は私たちをめがけて坂道を下ってくる。
「……速い。でもそれじゃあ、迎撃してくださいって言ってるようなものだよ」
私は使い魔の前に立ち、タイミングを見計らって攻撃を『置いておく』。
使い魔は私が振り下ろす斧に自ら当たりに来た。知恵の輪が断たれ、制御を失った2台のバイクは互いに激突、爆発して消え去った。
「す、凄い……ですわ」
だが使い魔を撃破したことで、魔女が私たちの存在に気づいたようだ。エスカレーターの様に道路そのものが動きだし、私達を天辺の扉まで運ぼうとする。
「きゃっ」
転びそうになった仁美の体を片手で支える。私の腕を掴んだ仁美は不安げな様子で、彼女を見なくても震えていることが分かった。
「……仁美に怪我はさせないから」
私がそう言うと、仁美の震えが止まる。それでも彼女は私の腕を離そうとはしなかった。
「あ、ありがとう……ございます」
巨大なスパナがつっかえ棒の様になった扉。私はスパナを蹴りあげて扉を開ける。
「かかってきなよ、この結界の主さん」
扉の先へと足を進める。金色の空を、白い粉が降る廃墟を、コインで出来た海を越え、魔女の住む空間が現れる。
『BR!BR!BRRRRRRRRRRRRRR!』
けたたましいエンジン音が鳴り響く。巨大なジョッキや注射器、灰皿が地面に刺さった不可解な景色。その中心にある環状の道路を、魔女は爆走していた。
使い魔と同じように2台のバイクが並んでいる。その上にあるのは知恵の輪ではなくルービックキューブだ。
「あれが今回の魔女、かぁ」
ルービッキューブの側面からは、9本ずつ、合計18の腕が生えていて、それぞれが釘の刺さった金属バットを持っている。
「こ、こわい……ですわ……」
魔女はその手に持ったバットでジョッキを、注射器を、灰皿を、そして道路まで破壊しながら走り続けている。よっぽど破壊衝動が強いみたいだ。
「あんた、ロクな奴じゃ無かったんだろうね」
取り合えず呼びやすくするために仮の名前をつけておこう。そう、こいつの名前は……バイクの魔女だ。
バイクの魔女。その性質は退廃。ありとあらゆる悪行を愛する魔女。満たされぬ想いをエンジン音にのせて叫び、ゴールの無い道を走り続ける。
バイクの魔女は私達を見つけると、挑発するようにバットを持った手をこまねいた。
「……行くよ、絵理」
挑発に乗った、訳ではない。だがこちらから向こうに行かない限りはどうしようもないと判断しての事だ。
「仁美、そこから動かないでね」
斧の魔女の魔力を使い、私の分身を産み出す。喋ったりすることの無い木偶人形だけど、使い魔の処理位は任せられる。
「わ、わかりました、わ……」
私は地面を蹴って魔女の真上まで跳躍。そのまま斧を振り上げ、重力と共にルービッキューブの体をぶった斬る……筈だった。
『BRRRRRRRRRRRRRR!』
バイクの魔女が急に加速したせいでその攻撃は不発に終わる。目はおろか口もないバイクの魔女が、ニヤリと笑った気がした。
「チッ……厄介な……」
『BRRRRRRRRRRRRRR!』
高笑いでもするかの様なエンジン音。ルービッキューブの上面にあるブロックが「パカッ」と開き、何かが発射された。
「流歌さんっ!」
私は早すぎてよく見えないそれを斧で打ち返した。我ながら見事なスイング。野球なんてしたこと無いけど。
「注射器……?」
魔女が飛ばしたのは、真っ白に塗られた中身の見えない注射器だった。私に跳ね返され結界の壁に激突したソレは、ガラスが割れる音と共に中身の液体をぶちまけた。
『BR!BR!BRRRRRRRRRRRRRR!』
2台のバイクを使って器用に地団駄を踏んだバイクの魔女は、どうやら数で押しきるつもりなのか9本の注射器を発射する。
「……どうしたもんかな」
そう考えている内にも注射器は迫ってくる。時間はない。なら、頭を使わない対処法を!
「これで、どうっ!?」
斧を持って全力で回転。斬撃は空間に停滞し、やがて竜巻を作り上げる。
『BRRRRRRRRRRRRRR!?』
注射器の群れは竜巻に弾かれ砕け散る。注射器の内部の極彩色の液体が雨のように降り注ぐ。
「思ったより、強くないんだね」
私のその言葉に憤怒したバイクの魔女は、金属バットを地面に叩きつけながら走り出す。
砕かれた道路の破片が私めがけて飛んでくる。だが、特別大きいわけではないただの石ころに当たるはずもない。
「学習しないね。使い魔がどうやられたか覚えてないの?」
バイクのスピード、タイミングを計算し、使い魔の時と同じように攻撃を置いておく。バイクの魔女は止まることなく突っ込――
『BRRBRRBRBRBRBRBRRBRBRBRBRRBRBR!』
まない!?
斧の寸前で急停止したバイクは9本の金属バットで斧をどかし、残ったもう9本のバットで私の体を殴打する。
「がぁ……っ!?」
それはもう素晴らしいアッパーで私の体がかちあげられる。そして落下するタイミングにあわせて、魔女はもう一度バットを振った。
「流歌さんっ!?」
ホームラン。私の体は真っ直ぐに飛び、壁にめり込んだ。バイクの魔女の後輪が伸び、まるでバッタの足の様に変形する。
『BRRRRRRRRRRRRRR!』
耳障りなエンジン音と共にバイクは跳躍。私を押し潰す積もりなのだろう。
「でも、甘いよ」
なぜなら私は、そこに居ないのだから。
『BRR・・・R?』
私の分身に気をとられたバイクの魔女の後ろ。私は大きく斧を振り上げ、ルービッキューブを真っ二つに切断した。
「中々強かったよ。でも、おつむが足りないみたいだね」
もうエンジン音が鳴り響くことはない。ルービッキューブからビールのような液体が飛び散る。そしてそれと同時に、鎖の破片のようなものが飛んでいった。
「……あれは?」
だがその破片が何をすることもなく、そのままグリーフシードだけを残して霧散した。
もう魔女は居ない。私達が立っているのは元居た公園だ。
「一体、あれは……」
私に魔女について聞こうとする仁美の首筋に斧を向ける。
「ひっ!?」
勿論当てたりしない。傷をつけたくもないから、寸止めだ。
「仁美、今のはあなたが見た悪い夢。そう、あなたは何も覚えてないの。それでいいよね?」
仁美は声も出ないようで、ただコクコクと頷いていた。
「……はぁ」
殴られた箇所がまだ痛む。ホームランを受けたときに咄嗟に分身を作り、そっちを壁の方に投げた。だからやられることはなかったけど……正直、危なかった。
「それじゃあね、仁美」
私は絵理にサインを送る。斧の姿の絵理はそれを理解したようで、結界の中に引っ込んでいった。
もし魔法少女が見たら、間違いなく驚くだろう。絵理は、斧の魔女の結界は、常に私の背後に付きまとっているのだから。
流歌さんは何も言わずに去っていく。私にとっては、あのおぞましい姿のナニカよりも、流歌さんの方が恐ろしかった。
あの異形の存在を躊躇わずに殺す力。そして私に向けた冷酷な瞳。
「……いけませんわ」
なのに、なのにどうしてでしょう。私の心の中に、恐怖とは違う感情が涌き出てくるのが分かる。
「だって、これは………」
耳まで紅くなっていく。私の、この感情は、上条君の為の物だと言うのに。
「禁断の、恋の形ですのよ……!」
そんな私の小さな呟きは、誰に聞かれることもなく夜の空へと消えていった。
2話でした。仁美の恋は前途多難です。どっちを選ぶんでしょうね。
今回登場した魔女はそれなりに強い魔女だったりします。お菓子の魔女より少し弱いくらいです。
それではまた次回、お会いできたら幸いです。
ではでは。
以下魔女設定↓
バイクの魔女
バイクの魔女。その性質は退廃。ありとあらゆる悪行を愛する魔女。満たされぬ想いをエンジン音にのせて叫び、ゴールの無い道を走り続ける。
特徴:バイクが2つ平行に並び4輪になり、その上にルービックキューブが乗ったような姿の魔女。ルービックキューブの側面……合計18のブロックからは影のような腕が生え、それぞれが釘の刺さった金属バットを持っている。結界内を爆走しながら、そのバットで破壊と殺戮を続ける。
バイクの魔女の手下(ポンプスピード)
バイクの魔女の手下。その役割は悦楽。中に謎の液体が入った注射器型の使い魔。魔女の体の中からミサイルのように発射される。自力で動くことは出来ず、使い捨ての存在。
特徴:見た目は巨大な注射器。中身の液体が見えないくらい真っ白に塗り潰されている。魔女のルービックキューブから発射される、どちらかというと武器に近い存在。刺さると中の液体が飛び出し、その液体が体内に入った者は高揚感と幻覚に襲われる。
バイクの魔女の手下(パンクスキッド)
バイクの魔女の手下。その役割は並走。バイクの魔女と一緒に走る使い魔。小回りがきき、魔女の隙を縫うように行動する。
特徴:結界内の警備や魔女の取り巻きを受け持つバイク型の使い魔。2台のバイクが、サドルから生えた知恵の輪によって結び付いている。武器を持っていないため攻撃方法は体当たりのみ。単体ではそれほど恐れる強さではない。あとがきを書いた後に取り巻いてない事に気づいた。
バイクの魔女結界
8の字型に交差し、段々と上へ上っていく道路が特徴の塔の内部のような結界。使い魔は上から下に降りてくる。魔女のいる空間は、タバコの吸殻や割れたジョッキ、針の折れた注射器等が散らばった環状の道路。