「んん……」
「っ、坂上君! よかった、気が付いたのね……」
うっすらと目を開く。ぼんやりとした視界の中に飛び込んでくるのは、保健室の白い天井と、まだ心配そうだけど何処か安堵した様子の大西さんの顔。
どうして自分がこんなところにいるのかとか、何で大西さんがいるのかとか、最初は記憶が繋がらなかった。だけど体を起こし、全身の痛みで意識がはっきりすると、だんだんと自覚する。
――ああ、結局僕は最後まで我慢することが出来なかったんだ。怒りに身を任せて力を振るってしまったんだと、喪失感にも似た感情を覚えた。
「……影山達は?」
「尾崎がどっか連れてったわ。あいつらのことなんかよりも、今は坂上君のことでしょ!?」
大西さんは僕をもう一度横にならせようとしたけれど、僕がそれを拒絶する。そこまでしてもらわなくても大丈夫だし、……気を遣ってほしくない。
「……大西さんは、僕に何か聞きたいんじゃないの?」
「……坂上君が話したくないなら、聞かない。でも話してくれるなら、聞きたいよ」
「どうして感応使いであることを黙っていたのか」。言葉はなかったけど、内容を推測することは容易かった。だって、それ以外にないだろう。
もう黙っておく必要はない。彼女は見てしまったんだから。僕の"異形の感応"を知ってしまった。それを忘れさせるような魔法は持っていない。
「……元々は、普通の感応だった。出来ることもオーソドックスな念動力だけで、力も大したことはなかったんだ。平均より効果範囲が広いこと以外は、一般的な感応使いだったよ」
諦念とともに、どうして僕がこんな感応を持つに至ったかを話す。と言っても、そう珍しい話ではない。
「僕は過去に二回、感応の「暴発事故」を起こしてる」
感応は、精神活動によって発動する魔法だ。制御するのも当然精神活動であり、特に未熟な子供の期間は感応が暴発することも少なくない。
そんな中で、普段よりも大きな力が出てしまい、人を殺傷してしまったり器物を破損してしまったりすることを「暴発事故」と呼ぶ。
よくあること。だけど僕のときは、よくあることで済まされるレベルではなかった。特に二回目の方が。
「最初の一回は小学四年生のとき。原因は忘れたけど、クラスの友達と口ゲンカをしてたときだった」
あの頃はまだ、僕が根暗キャラを作る前だった。当然だ。その暴発事故が原因で、僕は人を遠ざけるようになったんだから。
口ゲンカがヒートアップして、取っ組み合いのケンカになったんだ。そんな中で、ケンカ相手だった友達――もう名前も顔も忘れてしまった――が、感応を使って攻撃してきた。
当時の僕が何を思ったかは覚えていない。だけど、物凄く頭に来たことだけは覚えてる。
それが、感応の暴発を引き起こした。
「気付いたときには、爆発が起きたみたいに人や物が散乱してた。僕がそれをやったなんて、しばらくは信じられなかったね」
暴発した感応は、クラス中を吹き飛ばしてしまった。ケンカをしていた彼だけじゃなくて、見ていただけの人も、本当に無関係だった人も、皆。
気付いたときには、僕を中心にクラス中の机がなぎ倒され、クラスメイト全員が倒れてうめき声をあげていた。無事なのは僕一人だけだった。
当然、問題になった。被害を受けたクラスメイトの親たちが学校側に抗議をし、「こんな危険な子供は隔離しろ」と声を上げた。
最終的には、先に相手の側が感応を使ったことと、僕の意図した結果ではなかったことから、今後暴発事故が発生しないように学校が正しい感応の使い方を指導するということで処理された。
僕は……この時点で自分の感応が怖くなっていた。
「暴発だったかもしれないけど、僕の感応は簡単に人を傷つけてしまえる可能性があるってことを理解した。だから僕は、その日からほとんど感応を使わなくなった」
同時に、人付き合いも徐々に減っていった。「もし暴発を起こしても、周りに人がいなければ誰も傷つけないで済む」という子供の浅知恵だ。
それでも四年生の間は、クラスメイトが元々の僕の性格や事故の経緯なんかを知ってるから、優しくしてくれた。全てが変わってしまったのは、五年生になってクラス替えを行ってからのことだ。
その頃には僕もあまり人としゃべらないようになっていて、知らない人間からすれば十分根暗に見えただろう。皆の方もあまり僕を気にかけることはなかった。
そんな状況だったからか、一部の奴らは僕にちょっかいを出してきた。分かりやすく言えば、いじめにあった。四年のときの暴発事故を人伝手で聞いたらしく、怖いもの見たさみたいなものだったんだろう。
物が隠されるのは序の口。机や椅子に悪戯を仕掛けられたり、体育の授業中に事故に見せかけた暴力を振るわれたこともあった。班を作るときに仲間外れにされることなんか日常茶飯事だった。
それでも僕は耐えて耐えて……心の中にストレスを溜めていった。今日と同じように、ドス黒い感情を胸の内に抑え込んでいた。
二度目の暴発事故は、六年生になってからだった。
「五人ぐらいだったかな。抑え込まれて、殴られたり蹴られたり、皆の前で裸にされたり。とにかく、やりたい放題だったよ」
「……ひどい」
悲しそうに顔を歪ませる大西さん。彼女は優しいから、そういう反応をするだろうとは思った。だけど、彼女がそんな顔をする必要はない。僕は彼らに、もっとひどいことをしたんだから。
僕に暴力を振るう奴らの、下卑た表情。品のない笑い声。嘲りの言葉。それが、僕の中に溜まりに溜まった負の感情を刺激した。
そして僕は思ってしまった。「こいつらをぶっ壊してしまいたい」と。その感情が、二度目の暴発……新しい感応の覚醒を促した。
そうして発現したのが、あの"触手"の感応だった。あれがどういうものなのかは、実は僕も分かっていない。
「"触手"は非常に強力だった。僕のことを取り囲んでいた連中だけを捕まえて、一人一人嬲った。感応を使える奴もいたけど……今日みたいに弾き飛ばして、やっぱり嬲った」
僕の黒い感情に従って、"触手"は暴れた。これまでの全てをやり返すように。
結果は、僕をいじめていた奴ら全員が重傷を負った。軽い奴で手足の骨折。一番酷い奴は、あちこちの骨が複雑骨折して二度と元には戻らないだろうと言われていた。
さすがの大西さんも息を飲んだ。感応が人に大怪我をさせた。普通じゃ考えられないだろう。でも、それが僕には出来てしまった。
「そこまでやっちゃったら、もう学校にはいられない。だから僕は雲谷市に引っ越してきて……中学に上がるまで休学した」
本当は、それっきり学校には行きたくなかった。また繰り返してしまうかもしれない。ふとしたはずみで人に大怪我をさせてしまうかもしれない。そう思って自分の殻に閉じこもった。
だけど、お父さんとお母さんが必死で僕のことを説得したんだ。自分達に出来ることは何でもする。絶対に守るから、どうかもう一度外の世界を見てくれって。
ほぼ一年に渡る説得で、僕はようやく中学に通えるようになって……今のように人と関わらない生活を始めた。
「体を鍛えたのは、またいじめの対象になったときに自衛出来るように。そして、感応に頼ることがないように。そうやって、今までは平穏にやってこれたと思う」
「……あたしが声をかけて、あいつらの目を坂上君に向けさせちゃったから……」
「大西さんのせいじゃないよ。僕の態度が好ましくないのは分かってた。今回のはただのきっかけで、遅かれ早かれこうなってたと思う」
もちろん、大西さんが声をかけなければもう少し時間は稼げただろう。だけどあの手の連中が、クラスで孤立している根暗そうな生徒を適当な理由で"玩具"にすることを考えないだろうか?
彼らがそれを実行したということは、それだけの実行力があったということだ。あるいは、行動が短絡的であったということだ。それならいつかは行動に起こしていたことが予測できる。
だからこれは僕のせい。彼らを甘く見て、油断した僕自身の責任だ。大西さんは関係ない。
「……ともかく、これが僕が黙っていた理由。こんな気持ち悪くて危険な感応、大っぴらに言えるわけがない」
「そんなことっ!」
「ないって、言える? 大西さんだって……怖がってたじゃないか」
僕が黙っていた理由は、人を傷つけないためじゃない。僕が傷付きたくないから。人から奇異の目を向けられることで、僕の心を傷つけたくないから。とんでもない自己中だ。
大西さんは黙ってしまう。あのとき……黒木の電撃をかき消して、彼の体を木の枝か何かのように軽々弾き飛ばしたとき、彼女は間違いなく恐怖していた。
彼女だって分かっているんだ。僕の力が、簡単に人を"壊して"しまえることを。僕が影山と黒木の二人を、"壊して"しまえたということを。
少し卑怯な言い方になってしまったけど、僕の言葉は厳然たる事実だ。これで……ようやく彼女は、僕を切り捨てられるだろう。
「……数日待ってもらえれば、僕は多分転校することになるから。それまで耐えてくれるだけでいいよ。そうすれば、僕は君の前からいなくなる」
「転、校? ど、どうして……」
「大西さんに見られた。影山と黒木と、尾崎にも。クラスに知れ渡るのも時間の問題だよ。以前の事故も調べられるだろうね。それが分かったら……誰だって、こんな危険人物と一緒にいたくはないよ」
PTAから圧力をかけられたら、学校だって動かざるを得ないだろう。大多数の生徒とたった一人の生徒、どっちを守るべきかなんて火を見るよりも明らかだ。
そうなったら、僕はこの学校にいられなくなる。自主退学、あるいは転校という形で学校を去ることになるだろう。……僕は、また一人に戻ることが出来る。それでいいんだ。
「そんなの、おかしいよ! 坂上君は自分の身を守っただけじゃない! 何も悪いことなんかしてない!」
「人一人の人生を滅茶苦茶にしてるんだよ。仕返しにしても、いくらなんでもやりすぎだよ。大西さんは、そうなって当然だったって思うの?」
「わかんないよ! だけど……やっぱり、おかしいよ!」
何となく、彼女だったら僕を擁護するかなとは思っていた。実際その通りだった。それが表面的なものなのか、それとも本心なのかは分からない。
いつの間にか、大西さんは涙を流していた。……また僕が原因で泣かせてしまった。極悪人だな、僕は。
「昔のことは、あたしがその場にいたわけじゃないし、バカだから想像も出来ないよ。だけど今日のアレは、絶対違う! 坂上君は全然悪くない!」
「悪いとか悪くないとか、もう関係ないよ。たとえ大西さんが黙ってくれても、目撃者が他にいる。大西さんは、あいつらを黙らせることが出来るの?」
「それは……」
何も言えず、溢れる涙の量を増やす大西さん。こうなったら、僕はとことん悪人になってしまおう。最初からこうしておけばよかったんだ。……彼女から嫌われれば、よかったんだ。
それが出来なかったのは、やっぱり僕は僕自身を守りたかっただけなんだろうな。彼女に嫌われたくなかったから。どこまでも救えない自己中だ。
「この際だから、はっきり言わせてもらうよ。君がやっていることは全部、余計なお節介だ。僕は最初から君に関わりたくなかった。「いやだ」って言ったとき、僕のことなんか切り捨ててくれればよかったんだ」
「坂上、くん……そんなのっ!」
「僕は一人でいたいんだ。誰かといると、安心できない。だから僕は、あんなに分かりやすく人を遠ざけてたのに。君はズカズカと僕のパーソナルスペースに踏み込んできた。正直、鬱陶しいんだよ」
はっきりと言った言葉で、大西さんは完全に言葉を失った。もうひと押し、かな。
「僕の過去をどう解釈しようと君の勝手だ。だけど、もう付き纏わないでくれ。……迷惑なんだよ」
パシンと頬を叩かれた。震えた彼女が、僕の頬を平手で叩いた。俯いた彼女の目から涙の粒がこぼれ、シーツに染みを作る。
これで、彼女には僕を切り捨てる十分な理由が出来ただろう。これだけ親切心を踏みにじられれば、誰だって不愉快に感じるはずだ。
最初からこうやって……僕が心の痛みに堪えればよかったんだ。そうすれば誰も傷つかずに済んだのに。いつまで経っても成長しないな、僕は。
突然、柔らかい何かに、乱暴に包まれた。意識を内面に向けていた僕には、そうとしか表現しようがなかった。
「……どうしてよ。どうして、諦めちゃうのよ。そんなの間違ってるよ……」
要するに僕は、大西さんにガッチリと抱きしめられたのだ。ちょうど顔が胸のところにうずめられるように。マシュマロみたいだと、非常に場違いな感想を覚えた。
困惑する僕には構わず、大西さんは涙ながらに訴えてきた。
「あたし、バカだからわかんなかった。坂上君がどれだけ苦しんだとか、どれだけ悩んだとか、そういうの全然想像出来なかった。だけど、それだけは……自分を粗末にするのだけは、絶対やっちゃダメだ」
「おお、にし、さん……」
「聞いて、坂上君。あたしはこの三日間、坂上君と話してて楽しかった。あたしのバカに遠慮なく的確に突っ込んでくれて、面白かった。もっと早くお話すればよかったって思ったよ」
「……ぼくの、はなしを……」
「だからあたしは、坂上君がいなくちゃいやだ! 坂上君と一緒に同好会を作りたい! あたしと坂上君のやりたいことをやれる、そんな同好会を作りたい!」
「……」
「お願いだよ、坂上君……あたしは坂上君を切り捨てたりしないから。坂上君も、この学校にいて。転校なんてしないで。お願いだよぉ……!」
もはや僕は言葉を発せなかった。そう、発することが出来なかった。何せ大西さんの大きな胸に圧迫されて、息をすることが出来なかったのだから。
意識が遠のく。本日二度目の気絶は近かった。
「坂上君……さかがみくん? 返事をし、って、キャアアア!? さ、坂上くん、しっかりして!」
ギリギリで大西さんが気付いてくれたので、何とか気絶を免れることは出来たのだった。
……大きくて柔らかかった。体を離されたとき少し残念に思ったのは……僕も健康な男なので、勘弁してもらいたい。
「ごめん」と謝られ、「別にいいよ」と返す。ひと騒動あったせいで空気が壊れてしまった。……気まずい。
「……あたしは何を言われたって、坂上君を切り捨てないよ。だから、一緒に考えよう?」
意を決したように大西さんは切り出した。ちょっと判断に苦しむところだけど、僕の目論見はバレてたってことだろうか。どっちにしても失敗なんだけど。
「考えようって、何を考えるのさ。さっきも言ったけど、目撃者は他にもいるんだよ。まさか口封じしろなんて言わないよね」
「そんなこと言わないわよ! 何かこう、脅してでも黙ってもらうとか、穏便な方法で……」
口封じと大差ないんだよなぁ。大体、それ以前の問題も残ってる。
「大西さんは「切り捨てない」っていうけど、君も僕の感応に怯えた。僕が信じると思うの?」
「それは……確かに、怖かったよ。坂上君が、坂上君じゃないみたいだったから。でもあたしは、今の坂上君を怖いだなんて思わない」
彼女は毅然とした態度で断言した。それでも……やっぱり僕には信じられない。
視線を外す。しばらくお互いに無言の時間が続いた。
「……ねえ。坂上君の感応って、自由に使えるものなの?」
大西さんがポツリと尋ねてくる。僕は言葉では答えず、首を縦に振って肯定した。確認して、彼女は続ける。
「今、出してくれる?」
「……危ないよ。力加減なんか、ほとんど出来ないんだ」
「じゃあ動かさないで。出してくれるだけでいいから。お願い」
彼女は僕をじっと見て、視線を逸らすことはなかった。……僕の方が根負けして、一本だけ"触手"を出現させる。
僕の背中から伸びるように現れた、半透明な"触手"。一本で人間一人分以上の大きさを持つ、巨大な"触手"。
大西さんはしばらくの間、じっとそれを見ていた。まるで目に焼き付けるように、しっかりと覚えるように観察していた。
やがて彼女は動き、"触手"に手で触れる。
「何してるの? 危ないよ」
「……大丈夫。坂上君のこと、信じてるから」
それは何も大丈夫の根拠にならないと思うんだけど。僕のことを信じられたって……僕自身が、僕のことを信じられないというのに。
僕の制止も聞かず、大西さんは"触手"にペタペタと触れる。感応で作り出したそれは、わずかながら感覚がある。少しこそばゆい感じがした。
彼女は、さらに大胆な行動に出る。
「ちょ、大西さん!?」
「大丈夫。大丈夫だから……」
なんと彼女は、"触手"を体全体で抱きしめたのだ。"触手"から再び大きなマシュマロの感触が伝わってくる。僕の一部分の血流が加速し、保っていた平静が崩れ始めた。
動かさないようにしていた"触手"が微妙に動いてしまう。そのたびに大西さんが「んっ」と妙に色っぽい声(錯覚)を出すからさらに大変だ。
「あの、ほんとヤバいから。そろそろ離して……」
「そうなの? これ、結構楽しいのに」
名残惜しそうに"触手"を離す大西さん。安堵と残念が混ざったため息をつき、僕は"触手"を消した。
……結局、彼女は何がしたかったんだろう。
「うん。やっぱりあたしは、坂上君のこと、怖くないよ」
「……どうしてそうなった」
自信満々に胸を張る大西さん。豊満な胸部が非常に強調され、健康な男子高校生にとっては目の保養であると同時に毒でもあった。視線を逸らす。
さっきから頭の中がピンクいけど、しょうがないだろう。男はどうしても反応してしまう生き物だ。悲しいサガなのだ。
「坂上君の感応は、確かに危ないことが出来ちゃうのかもしれないよ。だけど、あたしにはしなかった。影山達にも、大怪我はさせないようにしてた」
「……そんな趣味はないからね。だけど、出来るってことに変わりはない」
「坂上君は自分の意志でそんなことしないって信じられる。少なくともあたしはそうだよ。だから、怖くない」
それは結局、都合の悪いことから目を逸らしているだけで、根拠なんか何もないんじゃないだろうか。その「怖くない」は、ほんのちょっとしたきっかけで崩れてしまうものだ。
僕を信じられたって、そんなものは根拠にならない。僕が信じられないものを根拠にされたって、信じられるわけがない。
だけど、やっぱり大西さんには関係がない。彼女は我を通し、勝手な言い分で僕を信じる。僕が何を言ったところで聞く耳は持たないだろう。
そのぐらいのことは、この三日間の付き合いで分かってしまった。……本当に彼女は、ずるい女の子だ。
「……勝手にしなよ。それで痛い目を見たって、知らないからね」
「上等よ。そうしたら坂上君、責任とってくれるんでしょ?」
「にひひ」と笑いながら、大西さんはそう言った。それはさすがに勘弁してください。
話は戻る。大西さんは僕をこの学校に居続けさせたいと考えている。彼女は僕の感応を気にしないと言ったけど、それでも影山達に見られている。彼らが騒ぐ可能性はあるのだ。
……僕としては、騒ぎになる前に転校してしまいたいところだけど、そんなことを言っても大西さんは納得しない。かと言って、彼女にもいいアイデアはない。
「どうしよっか」
「少しは自分で考えてよ、君が言い出したことなんだから。……出来ることと言ったら、せいぜいが先生に話を聞いてもらうぐらいだと思う」
「あ、そっか。先生を味方に付けられれば、騒がれても抑えてくれるもんね」
そんな都合よくはいかないだろうけど。羽山先生が生徒を抑えつけられるからといって、保護者にまで影響力を持つわけではない。もし保護者の方に話が漏れたら、それで終わりだ。
だけどもし羽山先生の力で、話を生徒のうちにとどめることが出来たなら、騒ぎにはならないで済む。
時刻は7時前。ギリギリ運動部の活動時間だから、まだ先生はいるだろう。実行に移すなら今日のうちにやっておかないと、後手に回ることになってしまう。
「いるとしたら、グラウンドか職員室か。とにかく探そう。……あいたた」
「あ、まだ動いちゃダメよ!」
ベッドから立とうとして、痛みに耐えかねてうずくまってしまう。随分手ひどくやられたみたいだ。これ、ちゃんと家に帰りつけるんだろうか。
だけどじっとしているわけにもいかない。大西さんを手で制し、何とか動こうとし……保健室の扉が開かれた。
「よう、坂上。中々派手にやられたらしいな」
「羽山先生!? どうしてここに!」
現れたのは、今まさに僕達が探そうとしていた担任教師本人だった。そういえば、と気付く。今までこの部屋には僕と大西さんしかいなかった。
この時間ならまだ部活をしている生徒もいるわけだし、養護教諭もいるべきだろう。そうでなかったということは、羽山先生を呼びに行っていたのか。
彼は僕を見て、「案外気合入ってるじゃないか」と笑ってみせた。そうやって、暗い雰囲気にしないようにしていることが伝わってくる。
「保健の香坂(こうさか)先生からあらかた聞いた。あいつら、いつかはやるんじゃないかと思ってたが、まさかこんなに早く行動に出るとはな」
「そ、そうだ! 先生、坂上君は被害者なんです! 影山たちがよってたかってボコボコに!」
「大西さん、ちょっと黙ってて。僕が先生と話す」
既に僕をかばう気満々だった大西さんがまくしたてるのを遮る。彼女の意向であろうと、これは僕のことだ。僕自身が対応するのが筋というものだろう。
羽山先生はこちらまで来て、適当な丸椅子を引き寄せて座った。僕と正面から向き合う。
先生は、茶化すことなく核心を突いた。
「坂上。暴発事故は、起こしたか?」
「っ。先生、知って……」
「お前の親御さんは、ちゃんと学内に味方を作っておいたんだよ。いいご両親だな」
「……はいっ」
そっか。お父さんとお母さんは、先生に話しておいたんだ。彼は初めから、僕のバックグラウンドを知っていたんだ。
少し胸が熱くなった。……ありがとう、お父さん、お母さん。
「今回は、暴発事故じゃありません。僕自身の意志で感応を使いました」
「せ、先生! だからそれは自衛のためで……!」
「大西、黙ってろ。……相手はどうなった?」
「三人のうち二人は気絶。残った一人によれば「気絶しただけで大きな怪我はなし」だそうです」
ということだと思う。尾崎は「気絶しているだけ」としか言わなかったから、実際にどうだかは分からない。ひょっとしたら、後遺症の残る怪我をさせてしまったかもしれない。
それが彼らの自業自得だとしても、僕は嫌だった。……"壊す"ことしか出来ない感応が、大嫌いだ。
羽山先生は大きく頷き、立ち上がった。
「よくやった」
そう言って、彼は僕のボサボサの頭をわしゃわしゃと撫でた。意味が分からず、ポカンと彼を見上げる。
今、僕は褒められたのか? どうして?
「「どうして」って顔してるな。そりゃ簡単だ。お前は巨大すぎる感応の力を「正しく」使えた。過剰に振るうこともなく、抑え込むことも無くな」
「ただ、しく……?」
「無差別に攻撃したわけじゃない。それだけの怪我を負わされながら、気絶程度で追い打ちをしなかった。お前自身、取り返しがつかなくなるまで我慢はしなかった。適正範囲での使用だよ」
あれは、正しかったのか? 抑え込んだ感情が溢れるままに感応を使っただけなのに。あれが、正しかったというのか?
我慢できなかったのは、大西さんの涙を見た瞬間、我慢することがバカらしくなったからだ。決して自分の限界を冷静に判断したわけじゃない。
追い打ちをしなかったのも、僕自身の意識がそれ以上保ちそうになかったから。暴発でもないのに無差別に攻撃するなんてことあるわけがない。
「結果的に正しかった」だけであって、僕自身が正解を選べたわけじゃない。なのに、僕は褒められていた。やっぱり、わけがわからない。
「先生、違うんです。僕は……」
「いいんだよ、黙って褒められとけ。そうすりゃ……次は、ちゃんと自分の意志で選択できるだろ?」
言葉が出ない。先生は僕に「次」があると言っているのだ。まだこの学校にいてもいいと。
大西さんにも言われたことだったけど、彼女とは違ってちゃんとした根拠を感じる。だから、胸に響いた。
視界がにじみ、上を向けず俯く。大西さんが慌てたような気配があったけど、僕はそれに取り合わなかった。胸がいっぱいで取り合えなかった。
「これまでにも大きな感応の力を持ってる生徒ってのはいた。そいつらはお前と同じで、自分の力と向き合うのに苦労してたよ。程度の差はあるけどな」
僕の力は確かに大きいけど、探せばそういう人はこの世界に何人もいるだろう。僕だけが苦しんでいるわけじゃない。
実際、これまでに先生が受け持った生徒の中にはそういう人がいたみたいだ。それでも、僕ほど強力な感応は聞いたことがないと言う。
「元々感応を持ってたやつが後天的発現をしちまった結果なんだろうな。俺は専門家じゃないから詳しいことはわからんが」
「調べたかったらオタメガネにでも聞け」と言ってから、羽山先生は大事なことを伝えた。
「お前はあいつらよりももっと苦労することになると思う。ちゃんと向き合えるって保証もしてやれねえ。だけど、それをするのはお前だ。お前のことは、お前にしか何とか出来ないんだ」
……その通りだ。逃げたからといって、誰かが僕の感応を受け取ってくれるわけじゃない。現実から目を逸らしたところで、僕の感応が消えるわけでもない。
この暴力的で冒涜的な感応を何とか出来るとしたら、それは僕以外にいない。だって、僕自身のことなんだから。他の人に任せられるわけがない。
「お前が自分に自信を持てないって話はご両親から聞いてる。あんな過去じゃ、自分を信用できなくなっても仕方ないとも思う。だがな、それでもお前は今日、偶然だったとしても正しい選択をすることが出来たんだよ」
目から熱い滴が落ちるのを抑えられない。僕は、なんてバカだったんだろう。一人で勝手に抱え込んで、ダメだと決めつけて、現実から目を背け続けた。そんなことをしても何の解決にもならないというのに。
僕が自分の感応を嫌うというのなら、完全に制御下に置いて組み敷くべきだったんだ。その努力もせず、ただ無気力に過ごして、時間を無駄にし続けた。
大バカ野郎だ。大西さんのことを言えない。僕の方こそが、前を見ていないバカだったんだ。
「すぐに変われとは言わない、だが今日の選択を続けられる努力をしろ。そうすりゃ……少なくとも俺と大西は、お前の味方だぜ?」
「っ……はいっ!」
もう一度頭をわしわしと撫でられた。力強い、恩師の手。胸のうちに熱が広がった。
涙をぬぐう。泣いてる場合じゃない。僕はこれから、無駄にした時間を取り戻さなきゃいけないんだから。涙を拭いて、顔を上げる。
羽山先生は、ニッと笑っていた。僕は本当に素晴らしい恩師に恵まれていたんだと、今理解した。
と、ここまで緊張していたのか、大西さんがはぁーっと大きく息を吐いた。
「もぉー、先生ってばもうちょっと優しくしてあげてくださいよ。坂上君泣き出しちゃうし、あたしは気が気じゃなかったですよ」
「そいつは悪かったな。だがこいつが男の世界ってもんだよ、なあ坂上?」
「いえ、それはちょっと僕にも……」
「何だよノリ悪いな」とつぶやく僕らの担任。尊敬は出来るけど、運動部のノリはちょっと……。
空気が弛緩し、ちょっと楽になって気付いた。いつの間にか、根暗キャラの仮面が外れている。いやもうバレてるわけだから繕う必要はないんだろうけども。
「影山達については、俺に任せとけ。つっても、あいつらも無闇に騒ぎ立てることはないと思うけどな」
「そうなんですか? ああいう連中って、真っ先に騒ぎそうな気がしますけど」
「そりゃ大西、先入観で見過ぎだよ。あいつらはあいつらで、自分が正しいと思ったからやったんだよ。「クラスの和を乱す輩に鉄槌を」ってとこだろう。短絡的ではあるがな」
「……まあ、実際に僕はクラスの和を乱しまくってたでしょうからね」
黒木は分からないけど、影山と尾崎については、話し合えば意外と分かり合えるかもしれない。僕も不良っぽいと思ってたけど、行動と格好で思い込んでいただけかもしれない。
結局彼らについても、僕が下手に拒絶したから、そのせいで刺激してしまっただけということだ。今回の件はどこまでいっても自業自得だった。反省だな。
尾崎……そういえば僕が感応を見せたとき、おかしなことを言ってたな。記憶が正しければ、「やはり」と言っていた。彼は、僕の感応を知っていたのか?
「先生、尾崎の出身中学ってどこなんですか?」
「尾崎? 確か、西あずき中学校だったはずだが、それがどうした?」
「……いえ」
同じ中学出身かと思ったけど、違った。そもそも僕は中学で一度も感応を使っていない。誰かに見られたということはないはずだ。
考えても答えは出そうにない。……まあいいか、大したことじゃないし。どうしても気になるなら、あとで本人に聞けばいいんだ。
ともかく、僕はこの学校にいてもいいんだ。もう少し、努力してみよう。
「もう7時過ぎだな。申請してない生徒は完全下校の時間だ。お前らも落ち着いたらとっとと帰れよ」
「はい。ありがとうございました、羽山先生」
「また明日ー」
羽山先生は席を立ち、保健室を出て行った。陸上部はまだ活動を続けているんだろうか。……僕達のために時間を割いてくれて、ありがとうございます。
保健室には、再び僕と大西さんが残された。とはいえ、僕達も羽山先生の言った通り帰らなければ。そろそろお母さんが心配している頃だろう。
「坂上君、ちゃんと帰れる?」
「心配いらない。話してるうちに痛みは引いたよ。……あてて」
「全然ダメじゃない。あ、そうだ。さっきみたいに感応で自分の体運んで……は、人目に付きすぎるね」
それだけじゃなくて、本当に"触手"は力加減ができない。下手に自分の体を持ち上げようなんて考えたら、自分を締め上げることになりかねない。
屋上のときやさっきは「動かそう」という意思がなかったから平気だったけど、ガンガンに動かそうと思ったら人間砲弾もあり得る。というわけで感応を使って帰るのは却下。
「大丈夫だよ、家はそんなに遠くないし。歩きで10分ぐらいだから」
「あ、ほんとに近いんだ。あたしン家はバスで20分かかるのよねー」
僕が雲谷東高校を受けた最大の理由は、偏差値でも校風でもなく「近いから」。ここは雲谷東三丁目で、うちは雲谷東一丁目。目と鼻の先だ。
大西さんが住んでいるのは北の方の「文堂町(ぶんどうちょう)」だそうで、遠くはないが近くもない。歩きで通学したら40~50分ぐらいかかってしまうだろう。
「それだけ近いなら、あたしが坂上君の家まで連れて行こうか? 帰りはそのままバス使えばいいし」
「いや、いいよ。バス代がもったいないでしょ。大体この怪我は僕の自業自得なんだから、大西さんには関係ないよ」
「むっ、その言い方なんかやだ! あたしだって当事者の一人だよ。だから、一蓮托生!」
「決まり!」と勝手なことを言う大西さん。もう外は暗くて女の子の一人歩きは危ない時間だというのに。逆に僕が大西さんをバス停まで送るべきだろう。……無理なんだけどさ。
「大西さんも人のこと言えないね。もうちょっと自分を大事にしなよ。君だって一応女の子なんだから」
「一応って何よ!? あたしはバリッバリの女の子ですー!」
別に大西さんが男っぽいと言う気はないけど、女の子としての自覚があるのかないのか。何の躊躇もなく胸を押しつけてくるし。あんなに無防備じゃ不安にもなる。
……思い出したらまた一部に血流が。鋼の精神力で自制せねば。心頭滅却、心頭滅却……。
僕が自分の煩悩と戦っているというのに、大西さんは僕の腕を取り無理矢理肩を貸してくる。体が密着すれば、当然その「大きくて柔らかいもの」も僕の脇に当たるわけで。
「……大西さん、さっきからわざとやってるわけじゃないよね」
「? 何の話?」
「いや、わざとじゃないなら、別にいいんだけど」
「変な坂上君」と言って、彼女は二人分の鞄を持つ。……役得とでも思えばいいんだろうか? 自分との戦いでいっぱいいっぱいだったので、ちょっと分からなかった。
大西さんは、家の玄関まで僕を運んだ。その姿を両親に見られて……もちろん色々あったけど、割愛しよう。正直今日はもうお腹いっぱいだ。
彼女はお父さんがバス停まで連れて行ってくれた。僕は状態が状態だったので、早々に二階の自室に行き、ベッドで横になった。お腹は空いてるけど、口の中が切れてるから満足に食べられそうにない。
布団の中で、今日あったさまざまな出来事が頭を駆け巡った。魔術部見学。大西さんの過去。影山達に絡まれ、感応を使用した。そして、それを許容されたという事実。
あまりにもあっさりしすぎていて実感がわかない。ひょっとしたら僕の防衛本能が見せた都合のいい幻覚だったんじゃないだろうかという考えが頭をもたげる。
だけど……同時に胸の中にある熱い想いが、あれは現実だったと訴える。自分の弱さに負けるなと励ましてくる。
「今日の選択を続けられる努力、か」
羽山先生からもらった言葉を、改めて口に出す。僕は……努力をしていなかったんだと思い知らされた。それはそうだ。僕がやってたのは、ただの対症療法なんだから。
誰かにアドバイスを求めたことはなく、自分一人で考えた子供の浅知恵を続けて、この歳になってしまった。僕は、小学生のあのときに成長を止めてしまったんだ。
それではいつまで経っても何も変わらない。変わることを拒んでいるんだから、当たり前の話だ。僕は自分と戦っているつもりで、両親の愛情に甘えて逃げていただけなんだ。
「……影山達には、ちゃんと謝らないとな。伊藤さんにも」
彼らの行動が先生の言った通りだったとしたら、当たり前の行動だ。腕力に訴え過ぎな部分はあるけれど、不快の感情自体は持って当然だ。だから、僕の自業自得でもある。
伊藤さんも、大西さんと同じで僕のことを気にかけてくれたのに……酷い言葉で拒絶した。ちゃんと謝って……許されるかどうかは分からないけど、せめて傷にならないようにしたい。
それで、思い出した。
「そういえば、大西さんにも謝ってなかったな。運んでくれたのに「ありがとう」も言ってないや」
なんかもう色々ダメダメだな、僕は。明日から本気出そう。失敗フラグの常套句だけど、もう今日は終わりだからしょうがない。
大西さんと言えば、途中から同好会のことはすっかり忘れていた。明日になったらまた追い回されるんだろうか。拒む理由はもうないけど、やっぱり興味もないんだよな。
謝罪と感謝は伝えるにしても、何とか同好会のことは切り離して考えたい。……大西さんの魔の手(勧誘)から、僕は逃れることが出来るのだろうか。
連鎖的に思い出してしまう。胸とか胸とか、胸の感触とか。何で彼女はあんなに無防備なんだろう。自分の魅力に気付いていないんだろうか。それはそれでタチが悪い。
顔が熱くなり、一部分が怒張する。ええい、心頭滅却、心頭滅却……。
今後も付き纏われたとして、僕の自制心はいつまで持つだろうか。これまでとはまた違った意味で、自分の中の獣が信用できない僕だった。
今回の語録
「ホモの魔の手からは絶対に逃れられない!」
・簡単な世界観まとめ
この世界には三種類の魔法が存在するが、作中ではこれまでに二つの魔法に触れられている。
「魔術」は「儀式によって意図した結果を得る非科学技術の総称」。儀式さえ正確に理解すれば誰でも習得可能だが、簡単な儀式でさえ高校数学程度の難易度を持つ。
インプットが完全に儀式のみに依存しているため、いわゆる魔力のような概念は存在しない。結果の差は技師の儀式理解度と正確さの差によって現れる。
魔術を習得し行使できる者のことを「魔術技師」と呼ぶ。普及率は全人口に対して30%程度だが、本格的に魔術を学んでいるのは5%に満たない。
「感応」は「精神活動によって特定の現象を引き起こす非科学能力の総称」。完全に個人能力に依存しており、能力を持たない人には行使不能。古くは「超能力」と呼ばれた。
行使すると精神的に疲労する、努力次第で能力を伸ばすことが出来るなど、魔術とは違って「個人的な力」に依存している。また、起こせる現象も人によって様々である。
感応を持って生まれた人間のことを「感応使い」と呼び、全体の半数以上が感応使いである。但しほとんどは大した力を持たず、黒木ですら上位数%に含まれる使い手となる。