日常にひとさじの魔法を   作:センセンシャル!!
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今回は明音視点でお送りします。

2016/09/24 活動報告の方に第一章あとがき的なサムシングを追加しました。


幕間 休日・大西明音

「お姉ちゃん、もう8時だよ! いい加減起きて!」

 

 暖かい布団の中で惰眠をむさぼっていると、ゆさゆさとゆすり起こされた。昨日は中々寝つけなかったから、もうちょっと眠っていたかったんだけど。

 あたしを起こす妹の手ごと布団を撥ね退け、体を起こした。

 

「ふぁー……日曜日なんだからもうちょっと寝かせてよ」

「もー。お姉ちゃん陸上辞めてからたるみすぎ! 以前は6時には起きて走りに行ってたのに」

 

 恐らく既にひとっ走り終えてきたのだろう、妹の明莉(あかり)はジャージにスパッツという動きやすそうな格好だった。顔もちょっと赤い。

 あたしが怪我をして陸上を辞める前、去年の夏ぐらいまでは、休みの日はいつも妹と一緒に走ってた。今では体を動かしたいときに時々一緒するぐらいだ。

 あかりは中学一年生で、現役の陸上部員。あたしが出来なかった県大会優勝を達成するんだと意気込んでいる。その気持ちは嬉しいんだけどね。

 

「へへー。今のあたしは文化部なんだよ。もう無理して休みの日に早起きする必要はないもんねー」

「またそういうこと言う! 怪我は治ったんだから、もう一度陸上やればよかったのに……」

 

 あかりとしては、姉妹で陸上を頑張りたかったんだと思うけど……あたしにそのモチベーションがないんだからしょうがないよ。

 謝る代わりに、あかりをギュッと抱きしめた。運動直後の熱が伝わってくる。

 

「あたしの分はあかりが頑張ってくれるって信じてるから。しっかりやれよー、妹!」

「お姉ちゃ、息出来なっ……!」

 

 おっとと。力が入り過ぎたみたいであかりがジタバタしたので、体を離してやった。この間も坂上君に同じことして失敗しちゃったんだよね。

 「まったくもう」と言いながらあかりは、困ったような笑みを浮かべた。あたしの意思を大事にしてくれて、ありがとう。

 

「先に下行ってて。あたしも着替えて降りるから」

「はーい。二度寝しちゃダメだからね!」

 

 そう言ってあかりは部屋を出てドアを閉めた。あたしもすぐに出るんだから、閉める必要はないんだけど。どうせ女所帯なんだし。

 ま、あかりはあたしと違ってそういうところがマメだからね。よく出来た妹だよ。

 

「さってと。今日は何にしよっかな」

 

 歌うように洋服ダンスから着替えを取り出し、私服に着替えるべくパジャマを脱いだ。

 

 あたしの家は両親と妹の四人家族。だけどお父さんは出張が多い仕事で、よく家を空けている。今も出張期間のため、家にいるのは女三人だけ。

 だからなのか、あたしは「男性の目」というのをあまり気にしたことがない。あかりはそうでもないから、もしかしたらただの性格の問題なのかもしれないけど。

 ……お父さんが帰ってきたとき、あたしの生活態度を見て嘆くのよね。「もうちょっと女の子らしくしなさい」って。こっちは目いっぱい女の子らしくしてるっての。

 

「おはよ、ママ。朝ごはんは何?」

「やっと起きたのね。もう冷めちゃってるわよ」

 

 今日の朝ごはんは、トーストとスクランブルエッグ、野菜スープ。あかりに合わせて作ったのか、すっかり冷めてしまっていた。

 仕方ないので、スクランブルエッグとスープは電子レンジでチンする。トーストは自分で焼くから問題なし。

 トーストにバターを塗り、その上にはちみつをかけて食べる。うん、おいしい!

 

「昨日は遅くまで起きてたみたいだけど、またゲームでもやってたの?」

 

 ママはちょっと責める口調。今まで休みの前日はゲームか漫画で夜更かしすることがあったから、そう思われても仕方ない。

 だけどあたしは自信を持って反論する。今回は違うのだ!

 

「勉強よ、勉強。一昨日やっと同好会が出来たから、その活動に向けて勉強中なの」

「ああ、そういえば言ってたわね。……明音が何処まで続けられるか、不安ねぇ」

「何それー! あたしだって、やるときはやるんだからね!?」

 

 自信を持った反論は、だけどママに呆れられた。そりゃ、頭を使うことは苦手だけどさ。

 一応これでも中三の後半は勉強を頑張って高校入試を突破した実績があるんだから、もう少し信頼してほしい。

 

「だけど、魔術関係なんでしょ? 私もお父さんも魔法はからっきしなんだから、明音に出来るとは思えないのよねぇ」

「そんなのやってみなきゃわかんないでしょ。それに、あたし一人でやるわけじゃないんだから」

「「坂上」さんだっけ。なんであんな活動内容で入っちゃうかな。入らなければ、またお姉ちゃんが陸上やってくれたかもしれないのに……」

 

 ストレッチを終えたあかりがテーブルに着き、大コップになみなみと注がれた牛乳を飲む。運動の後は牛乳に限る。

 あかり的には、坂上君が余計なことをしたと思ってるみたいだ。だけどもし同好会が成立しなくても、あたしは陸上だけはやらなかった。彼を恨むのは見当はずれだ。

 

「そんな言い方しちゃダメだよ、あかり。坂上君、いい人なんだから」

「しつこい明音に付き合ってくれてるんだから、いい人には違いないでしょうけどね。あんまり迷惑かけると、いつか愛想つかされちゃうわよ」

「そんなことありませんー。坂上君だって色々言いながら楽しんでるんだから」

 

 ほんとあの子、あたしのこと弄って楽しんでるわよね。最初からそうだったけど、あたしとちゃんと話してくれるようになってからますます加速したと思う。

 あたしも、坂上君と一緒に楽しんでる。別に弄られて喜ぶMってわけじゃないけど、坂上君は面白い方向に話題を転がしてくれるから。

 まだまだ短い彼との交流を思い返し、頬が緩んだかもしれない。あたしを見ていたあかりが不機嫌そうな表情になった。

 

「あたしはまだ、その坂上って人を認めてないもん。……絶対認めないんだから!」

 

 牛乳を飲み終わったあかりは、席を立って玄関の方に向かった。

 あたしの母校・文堂第二中学校はスポーツに力を入れていて、運動部は日曜も部活がある。あかりはこれから部活の練習だ。

 あたしも朝ごはんをさっと食べ終えて、あかりを見送る。出がけにもう一度、「絶対認めないんだからね!」と言って、あかりは学校に向かった。我が妹ながら可愛い奴よのぅ。

 

「明莉も中学生になったんだし、そろそろ姉離れ出来ないと困るわねぇ」

 

 ママが言う通り、あかりはあたしが坂上君に取られたと思ってるわけだ。自分で言うのもなんだけど、あたしのこと大好きだからね、あの子。もちろん、あたしもあかりのことは大好きだ。

 

「少しずつ変わってくよ。あの子だっていつまでも子供じゃないんだからさ」

「……明音が言うとまったく説得力がないから、不思議ね」

「何でよー!?」

 

 冗談なのか本気なのか、ママは笑いながら食器を流しに持っていった。……あたしだって、ちゃんと大人になってるもん!

 

 

 

 ご飯を終えて軽く体を動かしてから、再び自室に戻った。昨晩読みながら眠ってしまったためベッドに置かれた一冊の本を手に取り、勉強机に向かう。

 本のタイトルは「猿でも分かる魔法入門」。昨日の放課後、同好会の活動の一環として坂上君と一緒に購入した魔法の解説本だ。お値段イチキュッパ。

 月々の小遣いが2,000円のあたしにはちょっとキツい出費だったけど、坂上君が「まずは魔法がどういうものかを理論的に知るべきだ」と言ったので、分かりやすそうな本を探して買った。

 彼が吟味に吟味を重ねて見つけたこの本は、あたしにも理解出来るほど分かりやすかった。メインは魔術についてだけど、三種類の魔法全部に触れており、共通する部分や違う点が大まかに書かれていた。

 ……やっぱり坂上君って、優しいよね。彼が同好会に入会を決めてくれたときのことを思いだし、思わずにやけてしまう。あれはほんとに嬉しかった。

 

 坂上君……坂上透君。あたしと同じクラスの、見た目はちょっと暗い感じの男子生徒。あまり印象に残るタイプではなく、最初の自己紹介のときも小さな声で名前を言っただけだった。

 当時はあたしも「魔術部に入って凄い魔法を覚えるぞ!」って考えで頭がいっぱいで、彼のことを意識することはなかった。それもまた、坂上君が印象に残らなかった理由だろう。

 彼のことを初めて意識したのは、部活未所属の件で羽山先生から呼び出しを受けているのを見たとき。あたしがキザメガネに門前払いを喰らって、同好会設立のための勧誘で駆けまわっていたときのことだった。

 あたしが考えた同好会は、皆に受け入れてもらえなかった。「魔術部にも負けない凄い魔法を」という目標は、皆からすれば「考えるまでもなく無理」だった。

 そんなときに部活に所属していない坂上君という存在を知った。あたしは、多分これがラストチャンスだと思った。だから坂上君を勧誘することにしたんだ。

 坂上君は……彼も無謀だとは思ったみたいだけど、それでもあたしの話はちゃんと聞いてくれた。ちゃんと正面から受け止めてくれた。流すことなく、茶化すことなく、しっかりと。

 彼は凄く真面目で、本当はとても優しい人間なんだと直感的に理解した。だからあたしは、坂上君と一緒に同好会をやりたいって、坂上君が一緒じゃなきゃ嫌だって、そう思うようになった。

 

 最初は大変だった。真面目に話を聞いて、真面目に考えた結果の坂上君の答えはノー。あたしは思わず詰め寄って、何故か校内で追いかけっこをすることになってしまった。

 あのときは散々だった。途中で坂上君には撒かれるし、校内を走っているのを羽山先生に見つかってゲンコツ落とされるし。女の子なんだから、もうちょっと手加減してほしい。

 そして翌日から坂上君への猛勧誘が始まり、何故か魔術部を見学することになって、あまりのレベルの高さに二人揃って落ち込んだりして。影山達があの事件を起こして。

 あたしは、坂上君の過去を知った。何で人を遠ざけるような真似をするのか、その理由を知った。坂上君が持つ、彼にも制御出来ない強すぎる感応を知った。

 あたしは……その話を聞いて、やっぱり坂上君は優しい人なんだと確信した。優しいから、誰かを傷つけてしまうのが辛くて、一人で背負いこんでしまう。それを素直に伝えられない、優し過ぎる人なんだって。

 だから、あたしを遠ざけようとする彼を叩いて、そんなの間違ってるって、あたしは坂上君を必要としてるって、全身で訴えた。あたしは坂上君の力になりたいんだって、必死に伝えた。

 結局、あたしの言葉が通じたのかどうかは分からない。彼が自分を省みたのは、間違いなくその後の羽山先生の言葉がきっかけだったから。……少し、悔しかった。

 そういえば、坂上君のお父さんから家での坂上君の様子を聞いたんだっけ。坂上君、家では普通にしゃべるみたいで、学校の様子も事細かに伝えてるらしい。あたしのことも何回か話題に上がったとか。

 なんか、ベタ褒めだったらしい。「大西さんは誰にでも明るく接してくれるいい子だよ」とか「いつも人の輪の中にいて話を盛り上げているから凄い」とか。聞いてて恥ずかしくなってしまった。

 いやいや、あたしみたいな自分のことしか考えてないようなバカよりも、そうやって他人のいい所を分析出来る坂上君の方がよっぽどいい子でしょうが。思わず「坂上君には負けますよ」と返してしまった。

 そうしたら坂上君のお父さんは、「今後も透と仲良くしてやってくれると嬉しい」って、安心したように言った。それがとても印象的だった。もちろん、あたしは是非もなく頷いた。

 

 それからは、坂上君と一緒に色んな部活を見て回った。さつきちゃんがいる文芸部から始まって、羽山先生にもらったリストに書いてあった部活は全て見学した。

 あたしはチラホラ興味を惹かれた部活もあったけど、坂上君はどれも大した興味を持たなかったみたい。彼は「自分のやりたいことが分からない」と言っていた。

 それを聞いて、あたしも具体的に何をしたいかまでは分かっていなかったことに気付いた。ただ漠然と「魔法に触れたい」「大きなことをしてみたい」と思ってただけだ。

 だから「一緒にやりたいことを探そう」って提案して……彼は頷いてくれた。とても自然に、あっさりと。

 あんまりにもあっさりしていたものだから、初めは彼が何を言ってるのか分からなかった。坂上君が申請書に名前を書いてくれて、それをしばらく眺めて、ようやく実感が伴った。

 あたしの気持ちは、坂上君に通じたんだ。そう思った瞬間喜びが爆発して、思わず坂上君に飛びついてしまった。タップされなかったら気絶させてしまっていたかもしれない。

 

「……んふふふー。坂上君、可愛かったなぁ」

 

 思い出して、またにやける。あたしは周りと比べてかなり胸が大きい自覚がある(陸上部時代は非常に邪魔だった)。だからなのか、あたしが抱き着くと坂上君は凄く恥ずかしがる。

 彼は目が前髪で隠れてるからパッと見だと分かりづらいけど、よくよく見れば視線が泳いで狼狽えているのがあからさまだ。それでいて必死に冷静さを保とうとしているのだから、健気で可愛らしい。

 そんな坂上君の反応を見たくて、彼に対してはついついスキンシップに走ってしまう。誰に対してもそうするわけじゃない、坂上君に対してだけだ。

 なんて言ったらいいか……ちょうどあかりに接するみたいな感じなのかな? 頼りになる弟みたいな感じ。元々人との距離が狭いと注意されるあたしだけど、坂上君に対してはもっと狭くなってしまう。

 それでも彼は迷惑がったりしないから(少なくとも表面上は)、やっぱり優しい人なんだと思う。

 最近は学校で坂上君とくだらない話をするのが楽しくて仕方ない。月曜日になるのが待ち遠しいなんて、もしかしたら初めてかもしれない。

 明日は何の話をしよう。妹の話は興味あるかな? あたしが坂上君の家には行ったけど、彼がうちには来てないし、あたしの家族のことも教えたい。同好会の時間も使って、たっぷりと。

 

「おっと、集中集中」

 

 ここ数日の出来事を思い出して少しボンヤリしていたことに気付く。今は坂上君との同好会活動に向けた勉強中。あたしが会長なんだから、しっかりやらないとね。

 

 

 

 あたしは基本的にバカだ。それは自覚してる。勉強は苦手だし、考えるよりも先に体が動いてしまう。考えたとしても、浅い理解が限界だ。この間の中間テストは赤点ギリギリでママからも渋い顔をされた。

 だけど、やるとなったらやるだけの頭は持っているはずだ。雲谷東高はあたしの通学圏内では一番の難関校で、そこの入試を突破することが出来たんだから。

 だから、「猿でも分かる」と題されたこの本ぐらいなんてことはない。……はずだ。

 

「そもそもお猿に魔法なんて使えるのー……?」

 

 考えすぎでちょっと頭が熱っぽい。確かにこの本は分かりやすいんだけど、かなり分厚い。読み終えるまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 勉強を始めて一時間。そろそろ集中が切れてきた。自然と手がケータイに伸びた。

 アドレス帳を開き、スクロールする。中学時代のクラスメイトや、高校に入ってから追加されたクラスメイトの名前が並んでいる。

 だけどその中に、坂上君の名前はなかった。教えてもらえなかった……というわけじゃなくて、そもそも坂上君はケータイを持ってなかった。「今まで必要になることはなかったから」だとか。

 今一番話をしたいのは坂上君なのに。そう思い、ちょっとむくれてしまう。しょうがないことなんだけど、それでも納得できなかった。坂上君もケータイを買うべきだよ。

 

「……あっ」

 

 アドレス帳の上下を行ったり来たりしていると、一つの名前が目に止まった。高校に入ってからのクラスメイトであり、最近仲良くなった文芸部所属の友達。

 彼女の名前をタップし、通話モードを起動する。しばらくコール音が鳴った。

 

『はい、伊藤です。あかねちゃん、どうかしましたか?』

「もしもしさつきちゃん、おはよー。今日って何か予定ある?」

『今日ですか? 特にありませんけど、私に何か御用ですか?』

「用事ってほどのものじゃないんだけど、一緒に遊ばないかなーってね。日曜を魔法の勉強だけで潰すのももったいないし」

 

 「ああ……」と納得した様子のさつきちゃん。部室がご近所さんの彼女は、あたし達の活動状況をよく知っている。昨日魔法の参考書を買ったことも伝えていた。

 

『ちゃんと勉強しないとダメですよ、会長さん。せっかく坂上君が手伝ってくれてるんですから』

「そうだけどー。あたしの頭じゃ一時間も集中したら休憩挟まないと無理」

『クスッ。困った会長さんですね』

 

 さつきちゃんは上品に笑った。彼女はなんていうか、あたしにはない気品がある女の子だと思う。これが元運動部と根っからの文化部の差なのかしらん?

 

『そうですね……私はお昼に図書館に行こうかなって考えてたんですけど、あかねちゃんも御一緒にどうですか?』

「おー、文芸部って感じ。なら、あたしも図書館で何か魔法関係の資料でも借りようかな。今後いつか必要になるだろうし」

『借りっぱなしはダメですからね? でしたら、11時に萌木町(もえぎまち)駅東口で待ち合わせということでどうでしょう』

 

 萌木町駅は雲谷市唯一の駅で、市の中心からちょっと北西にある。駅の周辺は繁華街になっていて、あたしもちょくちょく利用していたりする。

 うちからだとバスで10分程度。さつきちゃんは東一丁目って言ってたから、20分ぐらいかかるはずだ。

 

「もっとそっちの近場でよくない?」

『駅の方が図書館が近いですから。それに、お昼のことも考えたら駅周辺の方が都合がいいでしょう』

「あ、それもそっか。じゃあ11時に萌木町の東口前ね!」

 

 そんな感じで、今日はさつきちゃんとお昼を食べて、その後図書館へ行くことになった。「またあとでね」と言って通話を切る。

 

「ママー。お昼は外で友達と食べることになったからー」

「あら、そうなの? てっきり今日は一日家にいるものだと思ってたけど」

「気分転換だよ。行先は図書館だし。同じクラスの文芸部の子と一緒だよ」

「……あとで買い物に行くときは傘を持っていかなきゃね」

 

 あたしが図書館に行くのがそんなに珍しいかっての。……珍しいけどさ。

 

 

 

 

 

 11時15分前に家を出てバスに乗り、待ち合わせのちょっと前に萌木町駅に到着した。さつきちゃんはもう着いてるかな。真面目そうな子だし、時間にルーズってことはないと思うけど。

 と、すぐに何だか騒がしい様子が目につく。ガラの悪い感じの男数人に、一人の女の子が絡まれて……って!

 

「いいだろぉ? ちょっとお茶に付き合ってくれるだけでいいからさぁ」

「こ、困ります! 私、お友達と待ち合わせしてるんです!」

「待たせる方が悪いって。そんな友達よりも、俺達といる方が楽しいって」

「さ、さつきちゃん!」

 

 絡まれているのは、いつもの三つ編みと眼鏡が特徴的なさつきちゃんだった。白のブラウスと淡いピンクのスカートで清純な雰囲気が強調されていて、制服姿とはまた違った印象を受ける。

 それが運悪くこのガラの悪い連中の目に留まってしまったみたいだ。あたしは急いで駆け付けて、さつきちゃんの肩を掴む男の手を払った。

 男は一瞬あたしを睨み付け、すぐにいやらしい笑みに戻った。

 

「お友達って女の子だったのか。二人とも可愛いねぇ~」

「うはっ、こっちの子おっぱいでけえ! Eぐらいあるんじゃねえ?」

「それ以上近付いたら悲鳴あげるよ。さっさと消えな」

「あ、あかねちゃん……」

「おー気ぃ強いねぇ。そういうの嫌いじゃないぜ?」

 

 こいつら……多分、西の工業高校の連中だね。あっちは治安よくないって話だし。駅前を待ち合わせ場所にしたのはまずかったか。

 当たり前だけど、あたしはケンカが強いわけじゃない。小学生時代は男子相手に大立ち回りをしたこともあるけど、中学以降はそんなこともなかった。単純な腕力じゃ、こいつらに敵うわけがない。

 だからあたしに出来るのは走って逃げることだけど、さつきちゃんも一緒だ。彼女を引っ張った状態で、どの程度走れるだろうか。

 出来ることなら最終手段――悲鳴を上げて警察を呼んでもらうことはしたくない。それをやると、事情聴取だとかで時間を取られてしまうって聞いたことがある。せっかくの休日をそんなことで潰したくはない。

 さつきちゃんを後ろに隠しながら、にじり寄ってくる男達を睨みつける。だけど男達はそんなことで止まってはくれず、逆にいやらしい目つきであたしを見る。うう、気持ち悪い……。

 一か八か、逃げるしかないか。あたしがそう決断してさつきちゃんの手を取った瞬間、男達の何人かが動き出す。

 あたし達の方へ……ではなく、上の方へ。つまり上空、地面から足が離れて宙に浮かんでるって意味だ。

 

『へっ?』

 

 思わずあたしとさつきちゃんの声がハモるぐらい呆気にとられる光景だった。男達の誰かがやったのかと思ったけど、そんなことをする意味はないだろうし、そもそもあいつらだって驚いている。

 となれば、やったのは周りの誰かってことになるけど……こんな強力な念動力を、一体誰が。

 

「ダメよ、あなた達。女の子には優しくしなくちゃ」

 

 答えとなる人物は、あたし達の後ろからやってきた。優しげな声、落ち着いた雰囲気。それはつい最近聞き覚えのある声だった。

 振り向くと、そこには穏やかな微笑みを浮かべた可愛らしい女の人が立っていた。両手いっぱいに買い物袋を提げており、その姿はまさに主婦。

 っていうか、坂上君のお母さんだった。

 

「えー……? 坂上君のお母さんって、感応使いだったんですか?」

「そうよー。こんにちは、明音ちゃん。こっちの子は初めましてかしら」

「あ、はい。伊藤皐月と申します。……坂上君のお母さん、なんですか」

 

 見た目的にはあたし達と同じかちょっと上ぐらいの可愛らしい女の人。実際はあたし達と同い年の息子がいる立派な専業主婦。そのギャップに、さつきちゃんは驚きを隠せていなかった。

 坂上君のお母さんはさつきちゃん向けに軽く自己紹介をすると、「ちょっと待っててね」と言って、いまだ宙に浮かんでもがいている男達の方へと歩み寄った。

 

「女の子はとっても繊細な生き物なのよ。あんな風に乱暴にしたら傷ついちゃうの。だから、もっと優しく接しないとダメよ?」

「あ、は、はい……」

 

 あくまで優しく諌めるように。坂上君のお母さんの深い母性の前には、荒くれ者どもも形無しだった。

 一人一人確認を取り、全員が肯定の返事を返したところで、坂上君のお母さんは拘束を解いた。やっぱりそれなりに疲れることだったらしく、大きく息を吐き出した。

 その後、男達はペコペコ謝りながらどこかへ行った。乱戦必至のあの状況から、何事もなく解決に導いてしまった。……さすがは"あの"坂上君のお母さんだ。

 

「二人とも、怪我はない?」

「あ、はい。おかげさまで。……なんていうか、パワフルお母さんですね。うちのママよりずっとお淑やかな感じなのに」

「それはもちろん。透ちゃんの母親ですもの」

 

 買い物袋を持ち上げて力瘤を作って見せる坂上君のお母さん。本当に凄いお母さんだね。坂上君が両親にだけは普通にしゃべれる理由がよく分かる気がする。

 さつきちゃんは「透、"ちゃん"……」と坂上君の家での呼ばれ方に困惑していた。……まあ、確かに"ちゃん"って感じではないよね、坂上君。

 

「坂上君のお母さんは……」

「普通に「おばさん」でいいわよ。毎回「坂上君のお母さん」だと呼び辛いでしょう?」

「あ、じゃあ「かすみさん」って呼ばせてもらいますね」

 

 坂上霞さん。お父さんの方は、坂上悟(さとる)さんという名前だ。この間、坂上君を家まで運んだときに聞いた。この外見で「おばさん」って呼ぶのは……違和感がね。

 それはともかく。

 

「かすみさんは、元々強力な感応を使えたんですか?」

「いいえ、そんなことないわよ。昔は足元に落ちた消しゴムを拾うぐらいで精一杯だったわ」

「でも、さっきは遠くから三人の男性を浮かせてましたよね。……やっぱり、坂上君みたいに?」

 

 さつきちゃんは躊躇いながら尋ねた。「暴発事故を起こしたのか」なんて、聞きづらいよね。あたしも思ったけど。

 だけどかすみさんは首を横に振る。これは訓練のたまものなんだという。

 

「もし透ちゃんがまた事故を起こしちゃったら、ちゃんと止められる人が必要でしょう? 私達は、それを人任せにはしたくなかったの。大事な息子だもの」

 

 坂上君の強力過ぎる感応を抑えるために、念動力で人を浮かせるほどに鍛え上げる。言葉にすれば単純だけど、どう考えても簡単なことじゃない。

 かすみさんはあたしが思っていたよりもずっと、凄いお母さんだったんだ。

 

「あなた達には感謝してるのよ。最近は透ちゃん、いい顔をするようになったの。以前も私達の前では笑ってくれてたけど、人との関わりを諦めてる感じだったから」

「……あたしは、何もできませんでした。坂上君が感応を使ったときも見てるだけしか出来なくて……その後のことも、あたしだけじゃどうにもなりませんでした」

「あかねちゃん……」

 

 多分あたしは、坂上君の心を動かせるだけの「根拠」を持ってなかったんだと思う。あたしが勝手に「力になりたい」って思ってただけで。それだけじゃ人の心は動かない。……あたしが陸上に戻れなかったように。

 だから、あのとき先生が坂上君に「よくやった」って言ってくれなかったら、彼はあたしに気を許してくれなかっただろう。自分の力で勝ち取れた信頼じゃないから、悔しいんだ。

 かすみさんはちょっと俯いたあたしを見て、柔らかく微笑んだ。

 

「大丈夫よ。明音ちゃんは、ちゃんと自分を省みることが出来ているでしょう? 今は無理でも、いつかは届くはずよ。私も悟さんも応援してるから、頑張ってね」

「っ、はい!」

 

 ぐっとくる激励だった。陸上をやってたときは、こんな心に響く「がんばれ」を聞いたことがなかった。あたしの判断自体は間違いじゃなかったんだって、自信を持てた。

 あたしを心配そうに見ていたさつきちゃんは、ほうっと安心したように息を吐いた。するとかすみさんが、今度はさつきちゃんに言葉をかける。

 

「あなたもね、皐月ちゃん。あなたのことも、透ちゃんから聞いてるのよ。「上品でお淑やかで素敵な女の子」だってね」

「へ!? あ、いえ、そんな……!」

 

 ……坂上君って、意外と女好きなのかな? あたしのときと同じく、さつきちゃんのこともベタ褒めみたいだ。いや坂上君は決して間違ってないんだけど。あたしも同じ感想だし。

 なんか、ちょっと納得いかなかった。さつきちゃんを見る目がジトッとしてしまったのは許してもらいたい。彼女は顔を真っ赤にして、あたしの視線を気にしてる余裕はないみたいだった。

 

「こんなに可愛い女の子達に囲まれてるなんて、透ちゃんは幸せ者ね。親として鼻が高い気分だわ」

「わ、私なんてそんな、地味ですから……!」

「純朴で清純ってことよ。卑下することなんてないわ。明音ちゃんも皐月ちゃんも、とっても可愛い女の子よ。ずっと見ていたいぐらい」

「あ、あはは。それはさすがに、照れますね……」

 

 お世辞、じゃなさそうだ。この人は本心から言ってる気がする。それが何故だか、坂上君を髣髴とさせた。

 かすみさんは買い物の帰りだ。あまり長く引き留めることは出来ず、「今度うちに遊びにいらっしゃい」と言って雲谷東行きのバスに乗った。

 

「……凄い人でしたね」

「うん、ほんと。あんな凄いなんて、知らなかったよ」

 

 二人でバスを見送りながら、あたし達は同じ感想を口にした。

 

 

 

 あたしの到着が遅かったことでさつきちゃんが絡まれてしまったことを詫びた。さつきちゃんは「私が早く着き過ぎただけですよ」と気にしないでくれた。

 まずは駅前の喫茶店に入って昼食を摂ることにする。12時になると混むけれど、11時半少し前の今ならばそれほどでもない。そのために11時集合ということにしたらしい。

 

「だけど、駅前は避けるべきでしたね。反省です」

「さつきちゃんが気にすることじゃないよ。あんなの、滅多にないでしょ。運が悪かっただけだよ」

 

 あたしも駅前は結構利用するけど、人が絡まれているということ自体初めて見た。ひょっとしたらあたしの知らないときにそういうことはあったかもしれないけど、駅周辺の治安が悪いということは聞いたことがない。

 さつきちゃんも駅前の利用が初めてというわけじゃないだろうし、これまでに絡まれたことなんてなかっただろう。あったら、もっと別の反応になってると思う。

 

「それに、おかげでかすみさんとお話出来たんだし、いいこともあったじゃない。結果オーライでいこうよ」

「……ふふっ、あかねちゃんらしいですね。分かりました、私もあまり気にしないことにします」

 

 そう言ったたところで、注文の品がやってきた。あたしは大盛りのスパゲッティミートソースで、さつきちゃんはBLTサンドと紅茶。……あたしの方、さつきちゃんの二倍ぐらいある気がするんだけど。

 

「そういえば、さつきちゃんって東一丁目なんだよね。坂上君ちの近所じゃない?」

「ええ。それどころか、実は坂上君とは中学時代に同じクラスになったこともあるんですよ。そのときはお互いに会話もしませんでしたけど」

 

 あれま、以前から知り合いだったんだ。……知り合いってわけじゃないのかな。坂上君の方はさつきちゃんと「つい最近知り合った」と思ってるみたいだし。

 この間の話からして、中学の三年間は人と関わらないようにしてたはずだから、仕方ないのかもしれない。その分、高校であたし達と一緒に思い出を作ればいいんだ。

 

「霞さんのお話じゃないですけど、私もあかねちゃんには感謝してるんです。坂上君のこと、ずっと気にしてましたから……」

「中学時代からってこと?」

「はい。坂上君、休み時間になっても誰とも話さなくて、行事のときも班の中で孤立してたみたいで……」

 

 そりゃ気になるわ。もしあたしが同じ学校だったら、間違いなく気になってる。さつきちゃん以外にも同じように思った子はいたかもしれないね。

 さつきちゃんは何とかしたいと思ったみたいなんだけど、そのとき既にクラスに浸透してた「坂上君に近寄ってはいけない」的な雰囲気で身動きが取れなかったらしい。

 そして高校に進学し偶然同じクラスになり、これまた偶然図書館で出会ったときに行動を起こし……あんなことになってしまった。

 

「私は、坂上君に「迷惑だ」って言われて、竦んじゃったんです。あかねちゃんみたいに、勇気がなかったから……」

「あー、ストップストップ。さつきちゃん、ネガ入ってるよ。ちょっと落ち着こ。ね?」

「……ごめんなさい」

 

 ちょっと時間を置いてさつきちゃんを宥める。1分ほどかけて、さつきちゃんは落ち着きを取り戻した。

 

「あたしの場合は、何も考えてないだけだよ。思ったらそのまま行動しちゃうから。あたしからすれば、考えて行動出来たさつきちゃんの方が凄いと思うよ」

「そんな、私なんて……」

「この間の中間テストも、さつきちゃん学年で3位だったでしょ? あたしなんて後ろから数えた方が早かったんだから。ね、さつきちゃんは凄い子なの」

 

 ちなみに坂上君は8位だった。さすがはインテリメガネ先生が目を付けるだけはあると思うよ。

 若干自虐の入ったあたしの励ましで、さつきちゃんは苦笑気味に笑った。ちゃんと元気付けられたみたいだ。

 

「あかねちゃんは、もうちょっと勉強も頑張るべきですよ。赤点スレスレじゃ、会長さんとして示しがつきませんよ?」

「ま、まあそこはおいおいってことで。期末は坂上君とさつきちゃんに手伝ってもらうことにするよ」

 

 自分で振った話題だけど、勉強の話になるとどうしても弱いあたしだった。

 

 服装の話など他愛のない雑談を挟んで、それぞれの部活動の話になる。

 

「私は普段、読んだ小説の論評を書いてるんですけど、この間部長さんから「小説を書いてみないか」って勧められまして……」

「えー、凄いじゃん! さつきちゃん、小説家になるの!?」

「そ、そんな大それたことじゃないですよ! 文化祭で部が発行する小冊子に載せる短編を書いてほしいって話です。でも私、物語なんか書いたことないから、ちゃんと出来るかどうか……」

「やってみなよ! あたし、さつきちゃんの書いたお話、読んでみたいよ!」

「あかねちゃん……、はい。少し、考えてみますね。なるべく前向きに検討する方向で」

 

 小説を書く。あたしみたいなバカじゃ想像もつかないほど凄い事だと感じる。そんな凄い事を任されるほど、さつきちゃんは文芸部の部長さんから信頼されてるんだろう。

 友達として誇らしくて、自分のことみたいに嬉しく感じる。……あたしもさつきちゃんが誇れるように、友達として頑張らないと。

 

「あかねちゃんは、魔法のお勉強はどんな具合ですか?」

 

 攻守交代で、今度はさつきちゃんがあたしの進行度を確認してくる。と言ってもねぇ。

 

「活動開始して、まだたったの二日だからね。そこまで進んではいないよ。せいぜい「魔術と感応はやり方が違うだけで、本質的には一緒」って分かったぐらいかな」

「それだけでも十分な進歩ですよ。あかねちゃん、魔法を漠然としか分かってなかったじゃないですか」

 

 うっ。ま、まあそうなんだけどね。そもそも魔法の正式な呼び方も曖昧だったし。今はもう間違えないわよ。

 「非科学的技術能力」、通称「魔法」。現在の科学的な手法では解析・再現が不可能な技術や能力のことで、大まかに分けて「魔術」「感応」「霊能」の三つが存在する。

 これら三つの共通点は「精神が関係していること」で、精神を持たない機械で代用することができない。魔法の行使にはどうしても人が必要になってしまい、そのため現代の高度化した産業には使いにくい。

 そして魔術と感応については、どちらも「特定の活動」がカギとなってあたし達の世界に影響を及ぼす魔法だ。そのカギが、魔術の場合は「儀式」で、感応の場合は「精神活動」という違いがあるだけ。

 だから本質的には同じものであり、「もし精神の形を自由に変えられるなら、感応も魔術と同じだけの自由度を持つことが出来るだろう」って書いてあった。そんなことは出来ないらしいけど。

 あたしが勉強の成果を説明すると、さつきちゃんはパチパチと手を打った。ちょっと照れる。

 

「凄いですよ、あかねちゃん。とても昨日まで何となくしか魔法を理解してなかったとは思えません!」

「実際その通りなんだけどね……。魔術部見学と坂上君の感応見てたから、ちょっとは理解の手助けになったかも」

 

 あたしは一切魔法を使えない。感応の才能はないし、魔術も習得していない。霊能なんてもってのほかだ。だから、感覚として魔法を理解する術がなかった。

 だけど少し前に「本格的な魔法」を見ていたから、「魔法ってこういうものなんだ」というイメージは出来上がっていた。それを言葉で説明した感じだ。

 

「さつきちゃんは、感応使える?」

「いえ、私も魔法は使えませんよ。中学時代に魔術を習ったクラスメイトが自慢げに解説してましたので」

 

 あー、文堂二中の方でもいたね、そんなの。当時は陸上に意識がいってたから、まるで気にしてなかったけど。

 

「とりあえず、こんな感じで勉強中。あたしは魔法使えないんだから、せめて知識で頼れるようにならなきゃ」

「道は険しそうですね。けど、応援します。頑張ってください、あかねちゃん」

「おうともさ!」

 

 ――坂上君の方が理解するスピードが早くて、知識についても坂上君頼りになることを知る由もないあたしだった。

 

 

 

 

 

 その後、予定通り二人で図書館に行き、さつきちゃんは小説を、あたしは魔術の参考書を探した。

 だけどあたし一人ではどれを借りればいいかが分からず(どれもこれも難しそうで取っつきづらかった)、さつきちゃんも魔術に詳しくはなかったため、結局何も借りることが出来なかった。

 ……坂上君の言う通り、魔術に詳しい会員が最低一人は必要だね。

 図書館の後は近くの公園を散策したり、駅前に戻ってウィンドウショッピングなんかをしたりして、4時まで遊んでから解散となった。

 

「とまあ、そんな感じの一日だったよ」

 

 家に帰ってから、あかりに今日の出来事を話す。晩御飯を終えてお風呂にも入り、後は寝るだけだ。

 ベッドに座るパジャマ姿のあかりは、犬のぬいぐるみを抱きしめながらふくれっ面をした。

 

「お姉ちゃんがどんどんダメになってる……」

「失敬な。文化人になってるって言いなさいよ」

「だってー!」

 

 あかりを後ろから抱っこして締め上げる。お洒落な喫茶店での小粋なトークがそんなに似合わないか。

 いやまあ、中学までのあたしを考えたら似合わないと思うけど。高校に入ってあたしは生まれ変わったのよ!

 

「ふふん、その内木陰で読書が似合う素敵なレディーになってやるわ」

「絶対似合わないと思う。お姉ちゃんは、男の子に混じってサッカーとかやってる方が似合ってるよ」

「言ったなー、このー!」

「やーめーてー!」

 

 ドスンバタンとじゃれ合っていると、下の階から「静かにしなさい!」というママの声。ちょっとうるさかったね。

 

「……お姉ちゃん、本当にもう陸上はやらないの?」

 

 ちょっと悲しそうな妹の問いかけ。……あかりをそんな気持ちにしてしまうというのは少し苦しいけど、お姉ちゃんとしてしっかり答えてあげなきゃね。

 

「うん。陸上だけは、絶対やらない。それは不誠実だから」

「誰も気にしないよ。お姉ちゃんは、何も悪いことしてないんだから」

「やる気がないのに陸上をすることが悪いことなんだよ。あたしは……それで結果を出せちゃうから」

 

 あたしは、多分陸上の才能はあるんだと思う。走ることは楽しいし、もっと速く走れるようになりたいとも思える。だけど、勝つことには全くと言っていいほど興味がない。

 だから、あたしは監督の言うことを聞かないでオーバーワークをして……大一番でヘマをした。あたしだけじゃなくて、部全体に迷惑をかけてしまった。

 もちろん皆「気にしない」と言ってくれた。「怪我はどうしようもない」とも。だけど、あたしは思う。あれは回避することが出来た怪我だ。監督の言うことを聞いておけば、あたしはちゃんと優勝出来たと思う。

 あたしは本当のところ優勝に興味がなくて、「もっと速く走りたい」という欲求を満たすためだけに走っていた。皆が囃し立てるから、調子に乗って選手の役割を引き受けただけだ。

 代表としての責任感もなく、駆けっこの延長で競技に出て、自業自得で怪我をした。そんなの、擁護できるわけがない。

 

「その点あかりは、あたしと違ってしっかりしてるから、安心だよ。……あたしは、あかりを応援する側でいいんだよ」

「お姉ちゃん……っ」

 

 体の向きを変えて、あかりはあたしの胸に顔を埋めた。肩が少し震えていた。

 あたしは、朝の失敗は繰り返さないように、あかりの体を優しく抱きしめた。

 

「あたしはちゃんと、あたしのやりたいことを、あたしの責任でやるから。あかりは何も気にしないで、思いっきり走ってよ」

「……うんっ……」

 

 妹の頭を撫でてやる。あたしと同じ、茶色みがかった髪。あかりはあたしによく似てるけど、性格は似なくてよかったって本当に思う。

 少しの間そうしていれば、あかりはすぐに落ち着いてくれた。

 

「今度は、あかりも一緒に行こうよ。さつきちゃんのこと紹介したいしね」

「文芸部の人なんだっけ。話合わなさそう……」

「だいじょーぶよ、あたしが話せてるんだから。さつきちゃん、ほんと話上手なんだから」

「それなら、まあ……っていうかお姉ちゃん、今は文化部なのにそういう発言ってどうなの?」

 

 それはそれ、これはこれって奴よ。

 さつきちゃんの話の他に、かすみさんの話もした。坂上君のお母さんということで、あかりはまたふくれっ面をしたけど、本人に会ったら180°意見が変わるだろうね。もちろん、坂上君についても。

 そのうちにあかりが船をこぎ始めたので、ベッドに寝かせる。あたしも部屋の電気を消して、自分のベッドに潜った。

 

「おやすみ、あかり」

「……おやしゅみ、お姉ひゃん……」

 

 可愛い妹だなぁ。一人笑い、あたしも目を閉じて睡魔の訪れを待った。

 

 明日は月曜日。また坂上君と一緒に、同好会を頑張ろう。




今回の語録
「うん、おいしい!」



・地域紹介

雲谷市(もやし)
透や明音が住んでいる市。海と山の両方に面しており、交通は主にバスが利用される。電車も通っているが、市外との行き来のために使われるのみである。
各地域の特徴としては、東は主に住宅街、北は主に商店街、西は主に工業地域、南は海に面している。
透達が通う雲谷東高校は東地域の北西部にある。雲谷市内なら、何処からでも比較的アクセスしやすい場所である。

萌木町駅(もえぎまちえき)
雲谷市唯一の駅。北から市の中心を通って西に抜ける形で線路が走っている。工業高校などがある西側は、ちょうど線路で切り取られる形になっている。
周辺、特に東口側は繁華街として栄えており、主婦御用達のスーパー「もやしマート」が存在する。近くには市役所もある。
駅周辺は交番もあり比較的治安はいいが、それでも時々西側からチンピラが流れ込んでくることがある。東側は東側で逞しいので、騒ぎが起きてもすぐに鎮圧される。




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