それでは二話目、どうぞ。
01,いつもの1日、壊れた平穏
「今日も1日、レン君が安らかに過ごせますように……」
何処かに居るかもしれない神様への祈りも忘れない。万が一、億が一の確率で願いが叶うかもしれないと、そう期待するだけならタダだ。
「ん、んん……」
それから、決まってカーテンに殆どを遮られた朝日が少し室内を照らす時間に起きるレン君に私は笑顔を見せる。
「おはようレン君。今日も良い天気やで」
「うん、おはよう……ジーク」
苦しい筈なのに、それでも微笑んでくれるレン君に安堵して、直後に安堵してしまった自分が嫌になった。
彼がこうなった原因が、ぬけぬけと何をしているのか。と、自分で自分を責める。
「自分で立てる?」
「うん。まだ、平気」
弱々しく、けれどしっかりと立ち上がったレン君の両手は、包帯でぐるぐる巻きにされていて肌の色が全く見えない。
「着替えは?」
「上だけ……手伝って」
そうしてレン君の上着を脱がしていくと、包帯を巻いていない素肌が露わになる。私は肩口から僅かに胴体の方へと進行している、レン君を苦しめているモノを見て僅かに顔を顰めた。
「昨日より、少し進んどる」
「そう?……分かんないや」
私は上着を着替え終えたレン君に背を向けて、窓の方へと歩いて行ってカーテンを開ける。そして窓を開け、外から吹き込む少し冷たい秋の風を室内へと入れる。
その間にレン君は下の方を着替え終え、ベッドから立ち上がっていた。
「ほな、行こか?」
「うん」
今日も、変わらない1日が始まる。
「おはようジーク、レン」
「おはよう、ヴィクター……」
「おはようヴィクター」
リビングに入ると、そこには優雅にティーカップを傾けているヴィクターの姿があった。本人はただ紅茶を飲んでいるだけなのだろうが、ヴィクターのその綺麗な容姿もあって、まるで絵画のようだ。
「今日も元気そうで何よりですわ」
「ん……元気」
「エドガー」
「既に」
ヴィクターの声と同時にキッチンの方から現れたエドガーは、作ったばかりであろう朝食を2人分……つまりは、レン君と私のを持って来てくれた。
「おおきにな、エドガー」
「けほっ……ありがとう」
「ええ。どういたしまして」
なんて事はない、いつも通りの朝だ。
この静かな騒がしさも、テレビから流れる朝のバラエティ番組のBGMも。昨日と何も変わらない。
「レン、口の端にベーコンの切れ端が付いてますわよ」
「本当?」
「本当ですわ。動かないで……よし、取れましたわ」
「ん。ありがとうヴィクター」
「礼には及びませんわ」
私の前で繰り広げられたやり取りが、まるで世話焼きな母が息子の世話をしているようで、少し笑みが零れた。
「……ジーク?なんで、笑ってるの?」
「いや、2人のやり取りが母親と息子みたいやなぁって思って」
「あら。それならジークは、さしずめ手間のかかる娘といった所かしらね」
「ちょ、ヴィクター!?」
「事実でしょう?勝手に落ち込んで、何かあるとすぐに自分の所為にして。心配する方の身になって欲しいですわ」
……事実なだけに何も言い返せない。
「それは……あっ!そうや。エドガー、エドガーは何が似合うやろなー」
「……うわぁ」
「露骨過ぎて何も言えませんわね」
お盆に乗せた紅茶の入ったティーカップを持ち運ぶエドガーを見て、私は2人の目線から逃れる為に頭を働かせる。
「でもそうね、エドガーはレンとジークの兄が似合うんじゃないかしら?」
「……エドガーは父親だと思う」
「どっちも似合いそうやわー」
「そう、ですかね……?」
ヴィクターが居て、エドガーが居て、私が居て、レン君が居る。
そんな、小さくて何の変哲も無い、けれど掛け替えのない幸せな一日の始まり。
────────
さて、今は午前10時という朝と呼ぶか昼と呼ぶか微妙な時間だ。レン君はソファに座って分厚い本を読んでいて、私はその隣で適当に変えたテレビ番組を見ている。
「…………」
「…………」
お互いに無言。それは話題が無いからとも言えるし、私の会話スキルが足りないとも言える。
元々口下手というか、寡黙であるレン君は自ら話し掛けてくる事は殆ど無い。皆無という訳ではないのだが、限りなく0に近い。でも話すのは嫌いではないらしく、話題を振ればしっかりと乗ってはくれる。
だからこそ、レン君と会話するには側にいる人が話題を提供しなければならないのだが……生憎と、私はレン君に振れる話題を一つも持ち合わせてはいなかった。
ヴィクターであれば難無く会話を広げたり出来るのだろうが、そのヴィクターはエドガーと共に、この時間はお屋敷の方へと戻っている。お昼頃には戻って来るだろうが、今は居ない。私の力だけで此処を切り抜けなければならない。
こういう時、がむしゃらに武道(と呼べるかは怪しい物ではあるが)に打ち込んでいた過去の自分を殴りたくなる。何故ネタを用意しなかった、過去の私。
ならば目の前のテレビ番組をネタにすれば良いではないか。と考えもしたけれど、画面に映ってるのは時代劇である。それも、古代ベルカの戦乱期の軍記物。
ヤバい。話が全く弾む気がしない。
そんな風に頭を悩ませていた私に助け舟を出してくれたのは、他ならぬレン君だった。
「そう、いえば……」
「うん?」
「ヴィクターが、クッキー置いて行ってた……ような」
レン君は本を閉じると、ゆっくりと、しかし危なげなく立ち上がる。それを見た私は、レン君の身体の調子が普段より良い事を察した。
「レン君。今日は身体の調子は良い?」
「うん……。今日は吐血、一回で済みそう」
「一回……それでも一回かぁ」
「マシな方」
「せやけども……」
普段は平均で5回、多い時は10回を超える事もある。それが1回で済みそうという事は、今日のレン君はすごぶる調子が良いのだろう。
「……あった」
「あっ、
「……でも」
「ええのええの。こういう時くらいは私が動かんと」
袋に入っていたヴィクターが焼いたクッキーをお皿に移してテーブルへ。でもそれだけでは何か物足りない気がしたので、ティーバッグの紅茶も用意する。
「……ヴィクターのカップは使えんなぁ」
その際に食器棚にある、ヴィクターがレン君と私に用意してくれているティーカップに意識を向けたが、万一割ってしまった事を考えて置いておく事にした。
こんな高そうな──いや、高そうではなく絶対に高い──ティーカップは、根っからの庶民派な私には扱いきれない。
だから私は、その隣に並べてある4人分の色違いでお揃いのマグカップから白いのと黒いのを取り出す。白いのがレン君ので、黒いのが私のだ。
「はい紅茶。ティーバッグの奴やけど」
「ありがとう……」
紅茶を飲んでクッキーに手を付ける。月並みな言葉だが、やはり美味しい。
「ヴィクター達は何をやっとるんやろなー」
「……トレーニング?」
「
2人で適当な話題で談笑する。窓から差し込む光がフローリングの床を照らす。外では少し強めの風が吹いているのか、赤や黄色に染まった紅葉が時々窓に張り付いては地面に落ちていく。
「もう秋なんやねぇ……」
「芋が美味しい季節……」
「芋だけやないで。色んな物が美味しい季節や」
「そう、だね」
柿、栗、梨、芋……こうして思いついた名前を適当に出すだけでも結構出て来る。
「レン君は何が食べたい?」
「うーん……果物、かな……」
「あら、ならちょうど良かった」
廊下の方から声が聞こえた。リビングの扉が開くと、何かが入った袋を持ったヴィクターがエドガーを引き連れて入って来た。
「お帰り、なさい……」
「お帰り〜。今日は早かったんやね」
「聖王教会に行って来ただけですもの。……あら、ティータイム中でしたのね」
「あはは、そんな優雅な物でもないんやけどな」
「お茶とお茶受けを用意すれば、それは立派なティータイムですわ。はいレン。お土産」
「……梨だ」
レン君が手を突っ込んだ袋から出て来たのは梨だった。それもかなりの数ある。
「食後のデザートにどうぞって、カリムさんから頂いたの」
「ありがとう……」
「おおきにヴィクター」
「礼は私にではなく、カリムさんにですわ」
レン君が袋から梨を取り出して冷蔵庫に入れているのを見ながら私はクッキーを一枚食べる。
「ジーク。午後、予定が空いているなら少し手合わせをお願いしても良いかしら?」
「ん、ええよ」
ヴィクターとの手合わせは、大抵は食後の運動がてらに行われる。
レン君の両親が遺したらしいこの家は庭が広い。レン君のお母さんが園芸好きだったらしく、土地の面積の大半を庭に使っているからだった。
この庭、私とヴィクターが動き回っても問題ないくらいには広い。レン君も見てるし、周りも住宅街だからあまり派手な事は出来ないが、それでも十分だ。
(人に見られるのも嫌やしな)
身体を動かせる広い場所は人の目が多い。私もヴィクターも有名人だから、なるべくそういった場所で練習するのは避けたかった。
レン君の事もそうではあるが、何よりヴィクターも私も人前に出る事を嫌っているからだ。
「それでは昼食後にしましょうか。食後の運動にね?」
「……ほどほどにね」
「分かっとる分かっとる」
「ええ。勿論分かっていますわ」
「だと、いいけど……」
レン君の言葉に、私達は笑みで返した。
────────
「いやー、ヴィクターは強いなぁ」
「そういうジークも。まるで勝てるビジョンが見えませんでしたわ」
場所は変わって風呂場。私とヴィクターは湯船に身体を浸からせていた。疲れが湯に溶けて消えていくような心地良さを感じながら、私はさっきレン君とエドガーにやられた事を思い出していた。
「それにしても、無理矢理風呂場に押し込むのはどうなんよ?」
夕方まで練習した私を、エドガーとレン君は有無を言わさずにお風呂に押し込んだのだ。きっと今の私は、口を不満気に尖らせているだろう。
「ジークを放っておくと、いつまでもレンの側から離れないからではないかしら?」
「それとこれと何の関係があるんや」
「レンと一緒にお風呂に入る、とでも言うつもりだったのでしょう?やめてあげなさい。レンだって男の子なんだし、異性とお風呂なんて恥ずかしくて入れないわよ」
……本当に、ヴィクターとエドガーに隠し事は出来ない。いや、私が分かりやすいだけ?
「両方ですわね。親は子供の隠し事を容易に見抜くと聞きますし、私やエドガーが親なら
勿論、ジークが分かりやすいのもあるとは思うけれども」
「朝のアレは冗談のつもりだったんやけど……」
でも想像してしっくり来ているのも確かだ。歳は一つしか違わない筈なのに、ヴィクターは何故かオカンという言葉が似合っている。そしてエドガーは主夫という言葉が似合っている。
「さて、もう出ましょうか。エドガーが夕食を作って待ってるわ」
「せやった。もうお腹ぺこぺこや〜」
「ふふ。私もよ」
思い出したら急にお腹が減って来た。早くリビングに戻ろう。
「お風呂上がったで」
「ん。こっちも、丁度終わったところ」
パジャマに着替えてリビングに戻ると、レン君とエドガーが丁度イスに座った所だった。
「丁度いいタイミングでしたわね」
「せやね」
ヴィクターはエドガーの隣に、私はレン君の隣に座る。エドガーが作ったであろう……フレンチ?だっけ?が良い感じに食欲を誘っている。
「じゃあレン。いつものように宜しくね」
「毎回、思うけど……ヴィクターがやればいい、じゃん。実質的な家主……だし」
「その私がお願いしているのですわ。ダメかしら?」
「……変なの」
「ですってよ、ジーク」
「なんでそこでこっちに振るん?」
「あら、最初にこれを提案したのはジークだったじゃない」
軽い言葉の応酬。これも恒例の挨拶のような物だ。エドガーもやれやれと言いたげな表情で私達を見守っている。
「ゴフッ……」
──だが、平和な時間は突然終わりを告げた。
「レン!?」
「レン君!!」
レン君が吐血してイスから転げ落ちそうになる。私は慌てて肩を抱き抱えて落ちないように支える。
「だい、じょうぶ……まだ、軽い方。だから」
「そんなの関係ありませんわ!エドガー、薬を!」
「もう用意しています!!」
「レン君!ほら、飲んで!」
「げほっごほっ、ゴフッ」
続けざまに二回の吐血をしたレン君は震える手で薬と、水の入ったコップを掴むと、急いで薬を水で飲み下した。
「大丈夫?」
「う、ん。まだいけるよ……まだ……」
薬を飲んだレン君は私に笑いかけようとしてくれて、でも体力の限界が来たらしくそのまま動かなくなった。
────動かなく、なった?
「レン君!?しっかりして‼︎」
すうっと、私の瞳が冷たく乾いていくのが自分でも分かる。私の中のエレミアが目覚めかけている。頭の中がクリアになり、余計な
そんな私を、ヴィクターが背中から羽交い締めした。咄嗟に振り払って首を折ろうとした私の耳にヴィクターの声が響く。
「落ち着きなさいジーク!」
「これで落ち着いていられる訳ないやろ!」
「レンは寝てるだけよ!ちゃんと見なさい!」
ハッとしてレン君の胸元へと視線を移す。ヴィクターの言う通り、レン君は気を失っただけみたいだった。すうすうと胸が上下している。
それを理解すると同時に、自分の目から涙が溢れ出る。削ぎ落とされていた
「良かった……本当に良かった……」
血に塗れたレン君の手を両手で包むように握った私の手を、涙が数滴濡らして光った。